アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第十章:断たれた比翼

 

 

   Ⅰ 

 

 

「可愛かったよなぁ、アイビス。最近ずっときらきらしてたもんなぁ。どうしてだか、お前分かるか? 分からないか。そうかそうか」

 

 朗々と、独演が奏でられていた。

 

「そりゃぁお前、アイビスが頑張っていたからだよ。やっぱ夢に向かって行く女の子ってのはいいよな。スポ根ヒロインって感じでさ。実を言うと俺、その手の漫画やアニメが昔から結構好きなんだ。誰にも言うなよ、恥ずかしいから」

 

「……」

 

「そういうのだとさ。本人が事故にあったり、好きな男が大怪我をしたりで一時的に落ち込むなんて、よくあるパターンなんだよな。それを努力と根性で克服して、さらに成長し、最後には大団円ってわけ。定番だろ?」

 

「……」

 

 タスク・シングウジは延々と語り続ける。毎度の如く時刻は深夜、しかし場所は珍しいことにマサキの部屋だった。ここのところ夜遊びに乗ってこない彼の下を、タスクの方から訪ねたのである。

 

 挑発も混ぜて二度、三度とポーカー勝負に誘ってみたものの、マサキはベッドに寝そべったまま振り向きもしなかった。仕方なくカードを懐に仕舞ったタスクだったが帰る気はなく、椅子にどっかと座りこみ、やがて気の向くまま好き勝手に喋り倒し始めたというわけだった。

 

 最近の訓練についての愚痴や、レオナに対する純情なり煩悩なりなど、タスクの話はまさしく言いたい放題にあちらこちらへ跳ね回った。都合良く自問自答し、結論を自画自賛し、時に笑いも自給自足する。実のある話であるかはともかくとして、不思議と小気味良く、軽妙な語り口であることは確かで、そうこうしているうちに、タスクの話しはやがてアイビスの話題に行き着いていた。

 

「だからアイビスも大丈夫だって。俺が言うんだから間違いねえよ。きっとなにかの拍子にぱぱっと調子を取り戻して、前以上に頑張るようになるんじゃねえかな」

 

「……」

 

「やべえよなぁ。あれ以上輝かれたら、さすがの俺も手に負えねえよ。なぁ、お前どう思う?」

 

「……」

 

「そうだろ、そうだろ。俺が血迷わないためにも、レオナちゃんの幸せためにも、そこそこに抑えておいてもらわないとな」

 

 今というときに今のマサキに対してこんな話をするにあたっては、無論それなりの心構えがタスクの中にはあったが、結局は暖簾に腕押しに終始していた。これ見よがしに餌をぶら下げても、魚は食いつくどころか、関心を示す様子すらない。

 

 どれほど優れた話術の才があっても、タスクはその道のプロではなく、語彙や展開の数も限られていた。立て板に水のような独演は徐々に勢いを落とし始め、時計の長身が一回りもすると、ついにタスクも舌を止めざるをえなくなった。

 

「マサキ……なんとか言えよう。寂しいじゃねえか」

 

 そうやって白旗を挙げても、寝転ぶマサキの背中は揺らぎ一つみせない。タスクのため息だけが、ただ部屋の中に虚しく響いた。

 

 

 

 あれから四日が経過していた。

 

 マサキが強行した試験飛行は、結局のところ多くのものを無惨に崩壊させるだけに終わった。

 

 アイビスの病状については「極めて危険」というレッテルが改めて貼り直され、患者自身もこの期に及んでそれを嫌がりはしなかった。夢、すでに破れたり。事実を正しく認識したアイビスは、除隊処分や下船後の病院行きについても唯々諾々と受け入れる構えをみせ、医療班たちは受け入れ先との調整に一層駆け回るようになった。

 

 アイビスはそれきり医務室に閉じこもるようになり、一切の見舞いや面会を拒否した。食事も中でとるようになり、以降一度もアイビスの顔を見た事が無いという乗組員すらいるほどだった。隊内の誰かが良かれと思い見舞いを強行したところ、激しい諍いが起こったという噂もあったが真偽は不明である。該当する人物としてもっとも可能性がありそうなのはリオやレオナらであるが、少なくとも一見して彼女たちにそんな様子は見られなかった。

 

 一方、ツグミは断腸の思いで、テスラ研にて二人を待つフィリオ・プレスティに全てを報告した。三十分以上にものぼる長い通信であったようで、その時の彼女がどんな様子であったか、通信設備の操作のため同席したアヅキ・サワは余人に黙して語らなかった。

 

 そしてそのツグミであるが、彼女もまたこの二日間、天岩戸と化したアイビスの部屋に立ち入ることができないでいた。というよりもツグミこそ、いまアイビスが最も疎み遠ざけなくてはならない人物だった。それが分からぬツグミではなかったが、それでも数時間に一度彼女の部屋の扉をノックし、ひとこと言葉をかけることを欠かさなかった。一人にさせておきたい、一人にさせられない。鬩ぎあう矛盾に対する、一つの妥協点がそれだった。

 

 そしてフリューゲルス小隊は解散した。実のところデータ上はまだ存続しているのだが、これは手続きが済まされていないためで事実上は変わらない。マサキからの正式な申請書の提出が待たれているが、本人がそのことを覚えているかどうかは些か怪しいところだった。

 

 彼もまた、あれから一言もアイビスと言葉を交わしていない。アイビスは医務室に引きこもり、マサキも医務室へは全く近寄らなかったため、顔を合わせることすらなかった。

 

 しかし、だからといってどうということもなかった。一つの小隊、一組の人間関係が大きく弾け、そして消滅したことなど、結局のところ大局に大きく影響するものではなない。四日間、ハガネ隊はそれまでと同様にラングレー基地に留まり、新たな基地駐在員となる補充兵の到着を待ち続けていた。そのあいだブリッジ要員は外敵のレーダー反応に気を配り、整備士たちは破損した機動兵器の修理作業にかかりきりとなり、司厨員たちはそんな彼らに十分な栄養と活力源を提供することで精一杯だった。そしてパイロットたちもまた、常日頃と同様に訓練と療養に精を出し続けた。

 

 艦内の営みは、なに一つ変わらない。ただ強いて挙げれば、幾つかの光景が欠けているというだけだ。格納庫や訓練室、食堂やラウンジ。それまで、毎日艦内のどこかしらで繰り広げられていた一組の男女のやりとりが、綺麗さっぱりに消え失せていたというだけ。男女という字面から連想されるような色気も雰囲気も皆無であったが、それでも仲睦まじいことだけは確かであったアイビスとマサキの姿、それだけが欠けており、しかしそれだけでしかなかったのである。

 

 

 

「輸送船団の識別信号を捉えました。ほぼ予定通りの時刻です」

 

「開店休業もこれまでですか。もう少し遅れて来てくれても良かったのに。生真面目ですな、軍人というのは」

 

 ヒリュウ改の艦橋にて、そんな本気とも冗句ともつかないぼやきを口にするのは副長のショーン・ウェブリーである。外見は細身の壮年紳士といったところだが、こういったものぐさな軽口をよく叩く。しかしそういうときも、きちんと背筋を伸ばした折り目正しい姿勢で言うので、無精者という印象を抱かせない人物だった。

 

「新しい基地司令官のヒューイット大佐は、確かに生真面目な人柄だそうですよ。作戦本部の太鼓判つきです」

 

「ラングレー基地はこれから再出発というところですからな。そういった人物を選んだのでしょう」

 

 レフィーナとショーンの視線の先には、いままさにラングレー基地の領域内に足を踏み入れようとする補充部隊の姿があった。肉眼上ではまだ空に散らばる小さな機影にすぎないが、その実は最大級の輸送機が十七も連なった一大規模の輸送船団である。

 

 機動兵器を扱うためのパイロット、整備士、その他の基地機能を運用するための各種実務員たち、そして共に基地に住まう彼らの家族も含め、約二千人もの人員と彼らのための物資がこの船団に収められており、これでもまだ第一陣に過ぎない。ラングレーほどの基地を正しく機能させ、なおかつその人員を健康的に生活させるためには最終的には万単位の人員が必要となる。

 

 また言うまでもなく機動兵器もおよそ百機、その他の陸上・航空兵器もまた百機ほど搭載されている。解放されたラングレー基地の防衛を、今後は彼らが担う事になる。

 

 輸送艦隊が順次着陸体勢に入り始めたのを機に、レフィーナはショーンを連れて船外に出た。寒風を警戒してレフィーナは上着を着ていったが、無用であった。少し前までの雨雲はすっかり風に流されたようで、冬にしては陽気な天気がここのところ続いていた。上空の輸送機の船体がくっきり目に見えるほど、空気も空も澄んでいる。

 

 レフィーナらは外でダイテツ艦長やテツヤ・オノデラ副長とも合流し、滑走路の脇で輸送機の到着を待った。間もなく先頭の輸送機が危なげなく着陸し、ややあってジョージ・ヒューイット大佐が機内より姿を表した。基地の新しい代表となる人物に、ダイテツらは揃って踵を揃える。大佐といえば、ハガネ隊の中のだれよりも階級が高い人物である。

 

 ヒューイット大佐はショーンとさほど変わらない年齢であるが、印象は対照的な人物だった。柔和な老紳士といった物腰のショーンに対し、ヒューイット大佐の雰囲気はまさしく厳格という言葉を体現したかのようなそれであり、眼は鷹のように鋭く、口元も真一文字に引き締められていた。しかし何よりも印象的であったのは、ダイテツを目にした途端、その厳めしい顔が嘘のように、一瞬にして柔らかくほころんだことだった。岩が綿菓子になったかのような変貌に、とりわけレフィーナとテツヤの二人は呆気に取られた。

 

「ダイテツ艦長。本当にお久しぶりです」

 

「敬語はお止めください。大佐殿」

 

 旧知の仲であるらしい二人は固く握手を交した。ショーンも知らなかったことだが、ヒューイットはかつてダイテツの指揮下で経験を積んだ時期を持つ人物だった。やがて操艦以外の分野で才能を開花させ階級も追い抜いてしまったようだが、在りし日の敬意と親愛は些かも変わらぬようだった。

 

「遠路遥々、お疲れ様です。ようこそラングレーへ。新司令官殿」

 

「痛み入ります。ラングレー基地、謹んで頂戴いたします」

 

 基地の奪還を果たした者と、これからの運営を担う者。二人の老雄が手を取り合い頷き合うことで、基地の受け渡しはひとまず成立した。新たな司令官と人員を迎え入れ、ここに新生ラングレー基地の歩みが始まった。

 

 アイビスとマサキの絶縁などという些事など一切省みることなく、世は淡々と時計の針を回し続けていた。

 

 

   Ⅱ

 

 

 その後、艦長らとヒューイット司令官は引き継ぎを含めた各種手続きのために基地内部へと移動した。その間も、ハガネ隊の他の乗組員は引き続き通常業務を行う向きとなっている。

 

 ハガネ隊の出立は、若干予定を繰り上げ翌日と決まっていた。つまり今日がラングレーで過ごす最後の日となり、その後はオペレーション・プランタジネットのフェイズ2……月攻略作戦に参加するため宇宙へ向かう事となる。しかしラングレーを発つその前に、ハガネ隊は一つの別れを経なくてはならなかった。

 

 輸送船団到着より約二時間後の、十三時頃。さきほどダイテツたちが降り立ったのと同じ滑走路脇に、ツグミは立っていた。手には身の回りの品をおさめたバッグが一つ握られている。もともと敵軍から命からがらに逃亡する形でハガネに乗り込んだのだ。持ち帰られる荷物はほんのわずかだった。さして大きくもない鞄に収まってしまうほど、本当に僅かだった。

 

「本当に、お世話になりました」

 

 波立つような栗毛を風になびかせながら、ツグミは深々と頭を下げた。

 

「こちらこそ二人には良く助けられた。本当にありがとう」

 

 立ち並ぶ幾人かの見送りを代表して、キョウスケが応じる。

 

 アイビスとツグミはこの日のうちにハガネを降り、ラングレー基地に身を寄せることとなっていた。ハガネが出立した後、二人はヒューイット司令官の保護下に入り、さほど間を置かずしてアイビスは軍病院のあるハワイ州に、ツグミはコロラドのテスラ研にそれぞれ送られる手はずとなっている。

 

 見送られる者は、この場ではツグミ一人である。本来いなくてはならないもう一人は、先に基地入りを果たしていた。不義理ではあるが、それをありがたがる者も決してゼロではなかった。

 

 立ち並ぶ見送り人の顔を、ツグミは見渡した。キョウスケ、イルム、カチーナ、リョウト、リオ……。業務の合間を縫って駆けつけてくれた人々であり、他にもどうしてもこの時間は抜け出せないからということで、事前に何人もの乗組員から別れの言葉を受け取っていた。

 

 良い艦だった。以前より戦争に関わることを忌避してきたツグミの、正直な感想がそれだった。ハガネ隊という名が不釣り合いに見えるほど、優しく暖かな部隊だったように思う。

 

 ツグミは数歩踏み出して、場に居る中の一人に右手を差し出した。言葉だけでは済ませられない人物が一人だけいて、差し出されたツグミの手を、不審とも苛立ちとも付かぬ目でじっと見下ろしている。

 

「はやく握り返してよ。恥ずかしいじゃない」

 

 そう催促され、マサキは躊躇いつつも右手をツグミのそれと重ねた。ツグミはそれを努めて固く握り、ぶんぶんと上下に振った。やや一方的ながら、先ほどの艦長等にも負けぬ力強い握手だった。

 

「私、忘れないわ。なにがあっても」

 

 独り言のようにツグミは言った。

 

「この艦のこと、この艦の人たちの事、貴方の事。それらと出会って、あの子が何を得たのか。絶対に忘れない」

 

 すこしの沈黙を挟んでから、マサキは視線をそらし、やけっぱちのように言い捨てた。

 

「なにも得てなんかいねえ。あったとしても、全部無くなっちまった」

 

 このとき、ツグミは四日ぶりにマサキの声を聞いた。それは他の多くの者にとっても同様だった。

 

「違うわ。無くなってなんかいない。ただ壊れただけ。どんなに細かく砕け散ってしまったとしても、破片は必ず残ってる。それをどうするかはアイビス次第。そして私はあの子を信じてる」

 

 相も変わらず鉄で出来たようなツグミの眼差しに、マサキはふと何かを思い出しそうになった。かりかりと古い記憶を引っ掻くものがあった。しかしそれを思い出す前に、彼女の手の平はわずかな未練を垣間見せながらも、ゆっくりとマサキから離れていった。

 

「明日会えるかどうか分からないから、一応言っておくわ。本当にありがとう。そして、さようなら」

 

 そういってツグミは微笑んだ。マサキにすら社交辞令や愛想笑いには見えない笑顔だった。

 

「また会いましょう。絶対に。あの子と一緒に三人……いいえ、四人で」

 

「四人?」

 

「完成したシリーズ77は三人乗りなの。Ω……と私たちは呼んでる。いつか貴方と並んで飛び立てる日が来ればいいと思う」

 

「……」

 

「言っときますけど、その時が来ても交際は認めませんから」

 

 最後にわけのわからないことを言って、ツグミはハガネ隊を去って行った。アイビスのもとに行くのだろう。その背と、その背が向かう先をマサキは見送り続けた。イルムが声をかけるまで、そうしていた。

 

 

 

 ツグミが部屋に着いたとき、先に来ているはずの連れの姿は見当たらなかった。予想できたことなので、さして慌てもしない。四日間ずっと医務室に閉じ篭り、常に重苦しい苦悩の中に身を置いていたはずなのだ。すこしでも清新な、涼やかな外気を欲するのは当然であり、むしろ安心すべきところだった。

 

 荷物を置いたのちツグミもすぐにアイビスを探しに出かけた。見つけるのにはさほどの時間はかからなかった。ハガネとはなるべく逆方向の、人気のなさそうな場所を探して行けば自ずとそこに行き当たった。

 

 ラングレー基地第七棟の裏手には、職員が余暇を楽しむための広大な芝生がある。その一角には樹木も植えられており、ちょっとした林になっている。その木陰の一つで、仰向けに寝そべる人影があった。呑気な格好だが昼寝を満喫しているようには見えない。事実アイビス本人としては、人の形をした路上廃棄物を象っているに過ぎなかった。

 

「ここにいたのね」

 

「……」

 

「寒くない?」

 

 アイビスはいつもの出で立ちではなかった。四日前のことを契機にプロジェクトの制服は脱ぎ捨てており、このごろは私服を着用し続けていた。季節を思えばかなり薄手の格好だが、厚着を嫌う性質であるらしい。羽織っているジャンパーも、前は開けっ放しになっている。

 

 ラフなデザインの、銀色のジャンパーはアイビスのお気に入りだった。全くの偶然であるがマサキが普段から着ているものとも似通っており、思えばそれは乗っている機体についても同じで、それをどことなくくすぐったく思った日々もあった。

 

「全員じゃないけど、みんな見送りに来てくれたわよ」

 

「……」

 

「マサキくんもいたわ」

 

「……」

 

「何も言わなくてよかったの?」

 

 いいよ。

 

 内心で、素っ気なくアイビスは言い切った。

 

 本心であった。

 

「きっとまた会えるわ」

 

「……」

 

「会えるわよ。約束してきたから」

 

 努めてツグミの言葉を聞き流しながら、アイビスは再び空に心を泳がせた。風が柔らかくそよいでいる。青草にほほをくすぐられながら、透き通った空とふんわりと浮かぶちぎれ雲を茫洋と眺めた。あの向こうに行きたいと、狂おしいほどそう願ってやまなかった日々もあったのだ。

 

「明日ハガネは出発するそうよ」

 

「……」

 

「私はコロラドへ、アイビスはハワイに行くのよ」

 

 そうだ、ハワイだった。

 

 教わっていたはずだが、アイビスはもう忘れてしまっていた。どのみち今の彼女には家族もなければ故郷もなかったので、どこであろうと構わなかった。もっと言えば病院にさえ行かなくても構わなかったが、今は流れに身を任せることにしていた。復帰への意欲はもはやない。しかし、それでも本当にそれだけをよすがに今まで生きて来たのだ。切れ端だけでも取っておくことにしたのはアイビスなりの精一杯の前向きさであり、また逆でもあった。

 

「入院しながらでも、できる訓練はあるわ。ノルマを送るから、きちんとこなすのよ」

 

「……」

 

「ちゃんと進捗は確かめますから。もちろんこっちのデータも送るし、それに」

 

「代わりのパイロット、早く見つかるといいね」

 

 ツグミの舌がぴたりと止まった。アイビスが五月蝿げに言い放ったたった一言は、これまでにない明敏さで見事にツグミの急所を射抜いていた。フィリオとの通信内容を、ツグミは思い出した。二人の未練はどうあれ、代わりのパイロットの選定が話にのぼらないはずは無かった。

 

「一人にして」

 

「アイビス……」

 

「どっかに行ってったら……!」

 

 押し殺した怒声に、ツグミは逡巡を見せながらもその場に留まった。アイビスの不穏な様子以上に、アイビスを一人にしておくことをこそツグミは恐れた。

 

「私、信じているわ」

 

 まるで電流が走ったかのように、アイビスの肩が揺れた。いけない、と思ってももう言葉は返ってこない。ツグミは動揺をごまかすように捲し立てた。

 

「信じているわ。貴方はきっと治る。きっと全部を取り戻す。そうして三人で、宇宙へ飛び立つ日がきっと来る。私は……」

 

 乾いた音が響いて、ツグミの懇願じみた夢物語は、その物語の主人公の手によって断ち切られた。頬をはられたことは無論であるが、なによりアイビスの鬼気迫る表情の方がツグミにとっては衝撃的であった。まったき憎しみに染まったそれを前にして、ツグミにこれ以上言い募れる事など一つもありはしなかった。

 

 ごめんなさい。唇を振るわせながらそうとだけいい、今度こそツグミは走り去った。己の無神経さと破廉恥さが慚愧の念となって、ツグミの胸を食い荒らした。それはしかし、決してツグミだけのことではなかった。

 

 一人になり、アイビスはふたたび芝生に倒れ伏した。うつぶせになり、何かを押さえ込むように体を縮こませた。

 

 アイビスは自分が恐ろしかった。マサキや皆と何も言葉を交わさず分かれた事、それをよしとしたこと、そしていまツグミを叩いた事。衝動的ではあるもののどれもが歴としたアイビスの本心であり、本音であり、そんな自分がなにより恐ろしかった。

 

 いまだかつてない、裸体を見られる以上の羞恥心が胸を焦がしていた。合わせる顔が無い、穴があれば入りたい。それらの言葉の真なる重みをアイビスは思い知っていた。アイビスは顔を手の平で覆った。顔を隠す以上に、自らの顔面を掻きむしりたい衝動に駆られての事だ。

 

 こんな人間しか残らなかった。自分から夢を奪えばこんな人間しか残らなかった。一日ごとに自信を膨らませ、達成感に溺れるようであったこれまでの日々をアイビスは心から恥じた。一皮むけば、この通りだ。目を覆いたくなるほど、虚飾に満ちた醜悪な性根の生き物がここにいた。自分は何か、人として致命的なものを欠いたまま、ここまで来てしまったのではないか。普通の人なら幼いころに当然会得しておくべき何かを、父母や教師から授かっておくべき大事な何かを、放り出したままここまで来てしまったのではないか。そんな思いに取り憑かれ、振り払うことができなかった。

 

(これから、どうすればいいの?)

 

 劣等感と自己嫌悪が極まったとき、そこに広がるのは草一本生えない無辺の荒野であった。人影は愚か、太陽も星も見当たらない。行くべき方向も分からない。

 

(あたしはどうすればいいの?)

 

 荒野のただ中で、アイビスはいっそのこと消えてしまいたい思いに駆られた。今すぐ風となって空となって、混じり合ってしまいたい。ツグミに対して、フィリオに対して、彼女の人生と関わりを持った全ての人々に対して、そしてあの少年に対して、アイビスはそう願ってやまなかった。全てが、恥ずかしかった。

 

 いくらか時が経ち、横向きになったアイビスの目から、いつしか涙が流れ落ちていた。奇妙に静かな落涙だった。嗚咽も、鼻をすする音も聞こえず、口元も微動だにしない。音も無く濡れゆく頬の上で、赤い瞳がただ湖面に映る月のように揺れている。嘆かず、喚かず、ただ放心するようにアイビスは泣いていた。

 

 岩に染み入るような、静かな涙だった。

 

 

   Ⅲ

 

 

 シリーズ77 αプロト

 

 アーマード・モジュール アステリオン

 

 アイビスもツグミを艦を去り、いまハガネの中にはこの機体だけが残されている。無論、このままにされるわけではない。いま基地の方は、補充隊が運び込んで来た機動兵器の調整などにかかり切りとなっており、スペースの問題もあって今夜一晩はハガネの中にしまわれることになったのだ。余談ではあるが、屋外で合体工程のチェックをしたがったSRXチームたちも、同じ理由で夜以降に後回しにされてしまっており、リュウセイが盛んに不平を漏らしていた。今頃は夜風も寒い中で深夜残業に励んでいるところだろう。

 

 そしてアステリオンは明朝にラングレー基地に降ろされ、ツグミと共にコロラド行きの輸送機を待ち受ける流れとなっている。

 

 この機体のことを、マサキはわりあい気に入っていた。

 

 サイバスターを人と鳥が合わさったような姿と表現するのなら、アステリオンは人と航空機が合わさったようなニュアンスを秘めていた。一方は人の理を越えた神秘を力の源とし、一方はどこまでも人の手に寄る英知と創意工夫の精神によって磨き上げられた代物である。機体随所に見られる角張った工学的な質感も、地底世界においては珍しいものだった。

 

 マサキはカンカンと硬く空虚な音を響かせながらタラップを登っていた。すでに夜も更け始めており、格納庫にいるのは彼一人だった。アステリオンの胸元に辿り着き、ハッチ横のパネルを慣れたように操作する。コクピットが解放され、単座式のシートが姿を表した。

 

 解き放たれた誰かの残り香に戸惑いつつ、マサキは内装をざっと見渡した。幾多のレバーや計器類が、暗闇の中で静止している。速度計に高度計、方位計に出力計、そして兵装管理パネル。何十ものスイッチや計器が持つそれぞれの役割を、今のマサキはおおよそではあるが把握していた。毎朝、整備に付き合っていた成果であった。アイビスがどこか緊張しながら機体の調子を確かめているのをこうして見下ろすことも、一度や二度ではなかったのだ。

 

 そんなアイビスの残像を、暗闇の中から探しだそうとしている自分に気付き、マサキはたまらぬように頭を振った。らしくない。あまりにらしくないことだった。

 

(何やってんだ、俺は……)

 

 アイビス同様、マサキもまた煩悶の霧中にいた。否、雨というべきか。この四日間、そしていまもマサキはあの日の雨の中に居た。そして、憎悪に染まったアイビスの眼と対峙し続けている。

 

 自分の体重に疲労を覚え、マサキは直接タラップの床に腰を下ろした。期せず崩れ落ちるようになり、どすんと尻の下から重々しい音が響く。

 

(ちきしょう)

 

 苛立ちだけが募っていた。この四日間、マサキは彼女の眼差しを前に一歩たりとも動けずにいた。前に踏み出すことは躊躇われ、かといって逃げ出すこともまた屈辱だった。

 

(ちきしょう……)

 

 そんな中、彼の影から一匹の黒猫がそっと顔を出して、主の様子を見上げた。落ち込むマサキに声をかけようとしたのだ。しかし影から半身を乗り出したところで階下の人影に気付き、クロはほんのすこし目を瞬かせて、そのまま影の中に引っ込んでいった。

 

 

 

 本来、エクセレンはもっとはやくにマサキを訪ねなくてはならなかった。イルムからの依頼もあり、小隊解散手続きの方法をマサキに教える役割を抱えていたのだが、長らくそのままにしてしまっていた。そのマサキがツグミの見送りのため久しぶりに姿を見せたと聞き、これを好機と踏んで、こうして格納庫までやってきたのである。

 

 エクセレンはゆっくりとタラップを登っていった。このときマサキも彼女の存在に気付いたが、うつむいたまま目もあわせようともしない。もしここにツグミがいれば、余人を寄せ付けまいとするその姿に、入隊当初のアイビスの背中を思い出したかもしれない。

 

 あのときのアイビスに、あのときのツグミが抱いたのと同種の感情が、このときのエクセレンにも芽生えていた。このときすでに、エクセレンは本来の用事のことなど頭の中から放り捨てていた。

 

「辛そうね、マサキ」

 

 彼女においてのみ耳慣れない呼ばれ方をされ、マサキはようやく顔を上げた。間近まで近づいてきたエクセレンは、今度は彼女の方から眼をそらし、手すりにもたれかかって天井を見上げた。

 

「聞いたわよ。ずいぶん派手に喧嘩したんですって?」

 

「知らねえ、忘れた」

 

 エクセレンは苦笑いを浮かべて、頬を掻いた。ものの見事に出鼻をくじかれていた。

 

「それを聞いて尚更思ったんだけど、貴方達を組ませたのは本当に名采配だったのね。キョウスケもやるもんだって思ったわ」

 

 意趣返しのつもりか、皮肉にしかならないことをエクセレンはことさらしみじみと言って退けた。

 

「だって、貴方がそうまでしたんだもの。一匹狼で、集団行動が苦手で、政治も軍規もぜんぶ素っ飛ばして好き勝手やっていた貴方が。ずっと一人だった貴方が、そうまでして誰かのために気持ちを燃やしたんだもの。私やキョウスケが同じ目に合っても、貴方はそうはならない。彼女だけが特別だった……」

 

 かねてから、思っていたことがエクセレンにはあった。彼女が思うに、マサキが前大戦の頃からどこの小隊にも組み込まれずにいたのは、機体性能の特殊性だけが理由ではなかった。乗り手は経歴不明、乗機は原理不明。さらにその背後には、強大かつ異質な文明の存在が垣間見える。深く根付かせるにはあまりに制御不能で、危険な存在だったのだ。

 

 結果、彼は常に一人だった。当人はいたって快活な好人物であり、友人も多くいた。それでもそれとはまた別のところで、異世界よりやってきて、異端な機体を操り、軍とはまるで異なる論理で動くこの少年は、やはりハガネの中ではただ一人だったのだ。

 

 アイビス・ダグラスという、まだまだ飛びたてのひよっこは、そんな彼の下にやってきたのである。

 

「彼女も軍人じゃなかったからかしら。私たちがどうしても根っこのところでは無視できなかったもの……理解不能な機体、理解不能な兵器、理解不能な世界、そういうのを全部無視して、彼女はマサキ・アンドーという一人の男の子だけを見た。貴方の人格と力だけを見て、憧れて、追い付こうとしてた。貴方自身、それが嬉しかったんでしょう?」

 

 返答は無いが、エクセレンは必要としていなかった。フリューゲルス小隊が結成され、変わったのはアイビスだけではない。むしろエクセレンはマサキの変わりようにこそ驚いたくちだった。いや、変わったというより、むしろ取り戻したのだろう。寄る辺の無い地上では発揮されることのなかった、彼自身の本来の姿を。

 

「とっても良い出会いをしたのよ。貴方たちは」

 

 エクセレンは心からそう思うのだ。

 

「どうしてあのとき、貴方はあんなにも彼女をなじったのか。それは、逆だったからでしょ。可愛さ余って憎さなんとかって言うわ。あのとき貴方が拳を振り上げるほど怒ったのは、そうしなきゃいられないほど、全く正反対の心がそれまでずっと貴方の中にあったからでしょう? それを裏切られたと感じたから、貴方は怒ったんでしょう?」

 

「……」

「彼女だって同じだったはずよ。どうしてあの子が、我を失ってまで貴方を拒絶したのか。やっぱり逆だったからよ。あの子は、心の底から貴方の期待に応えたかったのよ。でもそれができないで、自分を失格だと思い込んでしまった。……私ね、こういうのをそのままにしておくのは良くないことだと思うの」

 

 天井を見つめたままだったエクセレンの視線が、このときようやくマサキへと向かった。その空のように蒼い目は、これまでに見た事の無い瞬き方をしていた。

 

「過去っていうのはね、変えられないものなの。後悔というは取り返せないものなの。といっても、私だって別に言うほど大層な未練があるわけじゃないけど」

 

 むしろそういった点とは縁遠い方だろうという自覚もあった。それでもエクセレンとて当たり前の人間で、一切の後悔と無縁であったはずもない。今こうしてここに立つまで、二十年以上の人生があったのだ。その過程で多くのものを得てきたが、取りこぼしてしまったものも数えきれないくらいある。

 

「中にはね、今でも省みてしまうものもあるの。言っておくけど、いま私は幸せよ? 友人がいて恋人もいる。やりがいのある仕事もある。でもそれでも、ふと振り返ってしまうものがあるの。もうどうしようもないし、いまどこにあるかも分からないし、無いからといって別に困ってもいないけれど、でももし、あのとき行動を起こしていれば……そんな風に思っちゃうものが幾つかあるの」

 

 人ならば誰もが持つ当たり前のことを、エクセレンもまた抱えていた。そしてそういう人間が悩み苦しむ年下の少年と出会ったとき、伝えたいと思う事は決まっていた。

 

「だから、後悔のないように。とにかく、後悔の無いように」

 

 彼女なりの万感の思いを込めても、言葉にするとそれはあまりに他愛の無い、手垢まみれなフレーズだった。

 

 それをエクセレンは二度繰り返した。どれほど使い古されていても、そう言うしか無いものがあった。

 

「月並みだけど、私が言いたいのはそういうこと。こういうのって、過ぎ去ったら本当にそれきりなのよ。もしかしたら貴方たち、これきり二度と会えないかもしれないの。だからせめて後悔の無いように……やだ、ほんとに月並みね。私ってば」

 

 照れくさそうにエクセレンは笑い、そのときやっと良く知るいつもの彼女が戻って来たようで、マサキは小さく息をついた。良くわからない、気恥ずかしさのようなものが肺に溜まっていた。

 

「確かに月並みだな。それに年寄りくせえ」

 

「んま、私まだ二十代よ。それよりどう? 少しは道標になったかしら」

 

 マサキは頭をかいた。霧は未だ深い。後悔の無いように。それだけで道を見いだすには、漠然としすぎる言葉だった。

 

 ただ、一つの指針にはなったように思う。そうでなくとも、ここは礼の一つでも言っておかねばという奇妙な義務感がマサキに芽生えていた。

 

「せっかくの年の功だ。なんとか、無駄にしねえようにするよ」

 

「そう」 

 

 本心が向く方向より420度ほどねじ曲がった言葉に、エクセレンは一つ微笑んだ。少年の、そういう少年らしいところがエクセレンは嫌いではなかった。

 

「さて、私はもう行くわ。なにをするにしてもあまり無茶はしないように……というのは今回は無しにしておこうかしら。やりたいようにやればいいと思う。心の赴くままにね」

 

「俺は……いつもそうしてるさ。これからだってそうだ」

 

「そう。そうよね」

 

 どこか羨ましそうに、エクセレンは眼を細めた。それは本当に、マサキが内心ぎょっとするほど穏やかな表情で、マサキは目の前にいるが誰なのか一瞬分からなくなった。

 

 しかしそれは真実一瞬のことで、すぐにエクセレンはいつもの調子を取り戻し、「じゃまた明日ねぇん、マーサ」などと戯けるように言い残して去って行った。一人残されたマサキは、彼女の背中を見送りながら、改めて己の宿命らしきものを考えていた。

 

 やはり年上の女は苦手だ。

 

 地上でも地底でも。

 

(そういえば、あいつも年上だった)

 

 となればやはり、と言う他ない。そう思えば今という状況にも多少なりとも必然性が見える。

 

 一つ、踏ん切りをつけるようにマサキは大きく深くため息をつき、そして立ち上がった。十数段のタラップをのそのそと降りて行く。

 

「考え事は終わりかニャ?」

 

「どうするの?」

 

「出かける」

 

 影から湧いた問いに簡潔に答えてみせると、くすくすとした忍び笑いが聞こえて来た。

 

 文句を言う気もおきず、そのまま少年は歩き出した。格納庫の出入り口と、その遥か先にいるであろう少女の姿を目指して。辿り着いた先で何が起こるかは分からない。火に油を注ぐだけに終わる可能性も大いにある。

 

 ――それでも、後悔のないように。

 

 結果、どうなるかどうかは神のみぞ知る。それでも叶うなら最後に、もう一度彼女の笑顔を見たいとマサキは思った。

 

 

 

 しかしながら、そんなマサキのささやかな願いが叶えられるには、さらなる紆余曲折を経なくてはならなかった。マサキの足取りは遅々としながらも、そのじつ力強く、何者も止められないであろうほどだった。しかし、そんな彼でも足を止めざるを得ないほどの事態が、こののちほんの十数秒後に起こった。突如、大震災もかくやというほどの地響きがハガネを襲ったのである。

 

 

   Ⅳ

 

 

 本日にラングレーに降り立った軍人の中に、アルブレヒト・アグリコーラ中尉という人物がいた。今宵、アグリコーラ中尉はその惨劇の幕開けを最初に察知した人物となった。

 

 このとき、彼は基地施設の外に出ていた。それまでは基地のバーで、仲間たちと記念すべき新天地での第一夜を祝っており、些か酔いすぎた頭を冷やそうと思ったのだ。冬の夜は肌寒くはあるが、それだけに空気は澄み、満天の星空が頭上を覆い尽くしている。絶好の天体観測日和であり、酔い覚ましに眺めるには些か勿体ないとすら思うほどだった。

 

 そしてその内に中尉は、夜空に瞬く一つの「星」を見つけたのである。単なる言い回しでなく、その星は本当に点滅するように瞬いていた。航空機や機動兵器の放つシグナルとも違う、奇妙な瞬きだった。なんだろうと見つめているうちに、アグリコーラ中尉はその星の周辺に散らばる他の星々が、まるで陽炎のように揺らめいていることに気づいた。当然、星空に陽炎など立つはずも無い。酔いにめまいでもない。その星周辺の空間そのものが、まるで風にはためくように真実揺らめいているのだ。非現実的なその光景に、アグリコーラ中尉はしかしただ一つだけ心当たりがあった。

 

(空間転移)

 

 その言葉をようやく思いついたとき、瞬く星は、一筋の流星と化して一直線にラングレーへと落下して来た。全てを察した彼は、息をのんで駆け出した。基地のレーダー圏より遥か高空にて、空間転移を果たしてきた機体がある。無論のこと味方であるはずも無かった。空間転移の実用化は、異星軍側でしか成されていない。

 

「だれかぁ! 敵襲です! だれかぁ!」

 

 同じく外にいた基地の職員らが何事かと目を向けたとき、それは起こった。

 

 地震だった。否、地震と言えるのだろうか。言葉としては合っていても、字面的にはやや語弊があった。震えるなどというものではない。アグリコーラ中尉らの体、そこいらに駐車されている車、ジープ、重機、のみならず基地そのものが一瞬大きく浮き上がるほど、そのとき大地は、さながらしゃっくりを起こした横隔膜のごとく上下に大きく跳ね上がったのだ。

 

(……! ……! ……!)

 

 この世のものとは思えない感覚に息をのむ間もなく、ラングレー基地のほぼ中心部、ちょうど滑走路の辺りから大量の土煙が噴き出すように立ち昇った。次々とそこかしこで同様の現象が発生し、一瞬にしてラングレー基地一帯は、それ自体が火山の噴火口と化したかのような噴煙に包まれていった。

 

(ラングレーが)

 

 アグリコーラは全身を総毛立たせながらも、いまこの地に何が起こっているのかを察した。あらゆる論理を一足飛びに越えて、ただ結論だけがどこからともなく彼の脳裏に降り立った。あるいは死を目前にして始めて開花した神通力であったのかもしれない。

 

(落ちる……!)

 

 ほんの3秒後に、彼の予感は全く正しかったことが証明された。地殻陥没。ラングレー基地が有するおよそ400ヘクタールにも昇る敷地面積、その一切合切まるごとが、一斉に、真実底が抜けたかのように「落下」を始めたのである。

 

 

 

 ラングレー基地周辺にて開戦する前に、メキボスがアギーハを含む他の幹部に説明した作戦は次のようなものだった。

 

 1、敵軍の基地到達前までに、ラングレー基地の地下七キロメートル地点に、メガトン級のMAPW弾頭三発を広範囲に設置する。爆破座標の算出は事前に完了しているが、精密な工事を行う時間はないため確実性は下がるものの設置手段には空間転移を用いるものとする。

 

 2、設置するMAPWは外部コントロールによって作動するよう仕掛けをしておく。

 

 3、敵軍に対し、自軍は工作を見破られない程度に応戦しつつ、折りをみて撤退。転移装置ごと空間転移を行いホワイトスターまで帰還。ラングレー基地を放棄する。

 

 4、ホワイトスターにて戦力補充が完了し次第、幹部の一人が先行してラングレー上空に転移。その後射程圏内まで突入し、コントロールスイッチを作動させる。なお確実な効果を期するため決行は夜間、なおかつ必ずハガネとヒリュウ改が基地に直接停泊している際に行う。また万が一失敗した場合、幹部は速やかに帰還するものとする。

 

 5、爆破の衝撃により地殻陥没を起こし、基地全体が機能不全に陥ったことを確認した後、幹部機は行動開始。また必要に応じて本隊も転移を開始し、ラングレーを再襲撃する。基地奪取はもはや不可能であるが、ハガネおよびヒリュウ改だけは確実に撃沈ないし無力化させるもとする……。

 

 ひとまずおおよそは成功しつつあるようで、アギーハは満足げに唇を釣り上げた。ラングレー上空に一人先行し、地下爆弾を作動させたのは言うまでもなく彼女と愛機シルベルヴィントであるある。アグリコーラ中尉が地上にて目撃した流星の正体もまた同じであった。

 

 アギーハが高度およそ1000メートル地点から見下ろす先には、まさしく天変地異としか言いようのない異様な惨状が引き起こされていた。まるで核爆弾の投下を受けたかのように基地全体から大量の土砂と砂煙が巻き起こり、それは巨大な柱となって天を突こうとしていた。高度1000からアギーハはなおも上昇中であったが、それにすら追い縋ろうとするかのような勢いだった。

 

 煙に巻かれて目視は不可能だが、いまごろ大地は次々と沈みゆき、一つの巨大な落とし穴へと変じている真っ最中だろう。その直径は、計算上2キロメートルに届く予定だった。基地一つを飲み込むには十分すぎる。

 

 停泊していたハガネ隊、そして今朝方やってきた新たな基地駐屯部隊を一撃のもと一網打尽にしうる作戦だった。急ごしらえのため乱暴で粗も多いが、インパクトだけは計り知れない。この砂煙が晴れたとき、そこに残るのは彼らの死骸か、あるいは残骸か。この分では、本隊の転移すら必要ないものと思えた。

 

 今宵、いったいどれほどの命が土中に埋もれるのか。それを思い、アギーハはただ冷ややかに笑った。そうせざるを得ないほど下界の様子は、見せ物としてこの上なく壮大かつ壮快だった。

 

 

 

 足場を踏み外した人間が転ぶしか無いように、地下基盤を崩された建造物も同様に崩れ落ちるしかない。むしろ、そういった事態について建物というのは人間以上に無力だった。

 

 足場が崩れ、底が抜けた。あらゆるものが突如として高度を与えられ、ニュートンが示した方程式に捕われていく。

 

 人は上下逆さまになり、車はエンジンのあるボンネットを下にし、建物は壁と天井を入れ替えながら落ちて行った。穴の深さは数百メートルといったところか。もっとも早くに底に到達し、そして命を散らせたのはアグリコーラ中尉ら外にいた者達だった。いち早く落下し終えた彼らは、大部分がそのまま体中の骨を折って即死した。それを免れた運の良い者は、降り注ぐ土砂とコンクリートの破片によって圧死した。それすら逃れたところで、残る道は生き埋めによる窒息死である。酔い覚まし、帰宅途中、深夜残業、なにかしらの理由でそのとき生身で屋外に居た者達は、ことごとくが死の運命から逃れることはできなかった。

 

 無論、屋内の人間とてただでは済まない。落下する基地施設のうち、もっとも早くに穴の底に接地したのは第十二棟であった。資材調達や、設備保全部門など各種間接部署が集中する棟である。もっとも接地面に近かった保全部オフィスは建物の自重と加速度を一身に受け、中にいた職員諸共、有無を言わさず粉砕された。

 

 そこより上層にある調達部は瞬時の壊滅こそ免れたものの、結局の被害に大差は無かった。衝突の衝撃で強かに体を打ち付けられ、およそ三割の人員が命を失い、残った者には、数々の二次災害が続々と襲いかかることとなった。天井と壁が立場を入れ替えたことにより、オフィスには付き物である各種事務用品が、引力に唆されるまま次々と重量・硬度という名の牙を剥いたのだ。身の丈ほどもある書類棚がギロチンのごとく落下して、何人かの頭部に直撃した。重さ百キロにも届く複合機が鉄塊さながらに音を立てて廊下を急降下し、給湯室のガス管が火を噴きもした。人を殺害しうる凶器は、こんなにも身近に溢れていた。そのことを思い知りながら、多くの職員達が身動き取れぬまま文明の利器たちの反乱劇をその身に受けていった。

 

 やがて外の土砂や瓦礫が窓を壁を突き破り大洪水のごとく内部を侵略し始めた。こうなれば屋外も屋内も大差ない。大量の土はここでも多くの命を飲み込んで行った。

 

 

   Ⅴ

 

 

 大地と重力の猛威は、すでにハガネ隊にも手を伸ばしていた。ハガネとヒリュウ改は施設外部に停泊してたため、建造物の倒壊に巻き込まれることはなかったが、もはやことはそういう問題ではない。敷地内一帯の大地という大地が陥没しているのだ。両艦が停泊している地帯もまた例外ではなかった。

 

 艦内にて、阿鼻叫喚が巻き起こっていた。天地がひっくり返ったかのようであった。実際それは過言ではなく、いまハガネとヒリュウ改は崩れた大地に巻き込まれて見事に横倒しになり、なおかつそのまま土砂の滝壺へと落ちていっているのだ。しかしだれもがそういった事態を正確に把握することができず、ただ突然に発生した90度近い重力変化とフリーフォールの感覚に、わけもわからないまま狂乱していた。

 

 艦の制御を担うブリッジ・クルーは一人とて席に座っていることすらできなかった。テツヤ・オノデラ副長はすでに失神している。あやうく壁に激突するところだったダイテツ艦長を庇った為である。そのダイテツ艦長もまた命令を出すどころか、立ち上がることすらできない状態だった。

 

 その他の箇所もまた、見るも凄惨な有様となっていた。食堂では料理も食器も雪崩を起こし、訓練室では器具類が氾濫を起こし、電灯やその他電子機器は次々と火花を発していった。乗組員もまた自室や通路で、大地を引っくり返されたかのような恐怖のまっただ中にいた。ハガネ隊においては珍しいものの、敬虔な信仰心を持つ何人かの乗組員はもしや神の怒りかと震えおののいた。

 

 そんなハガネ隊の中で、もっとも重大な生命の危機に瀕したのは、そのときただ一人格納庫にいたマサキだっただろう。ハガネに格納されている機体や、弾薬などを詰め込んだコンテナは戦闘の際の振動にも耐えられるよう厳重に固定されているが、さすがに戦艦が丸ごと横倒しになるような事態までは想定されていない。戦闘時においてそんな体勢がありうるとすれば、それは沈没直前をおいて他に無いためだ。

 

 艦全体が傾いた途端に、何機分かの固定器具が悶えるように軋みをあげるのを耳にし、マサキは顔中から血の気が引くのを自覚した。壁に背を付けて浮遊感を堪えながら、なんとか天井を見上げる。否、天井ではない。それはさっきまで壁であったものだ。さらに言えばマサキが背を付いているのも、少し前まで床であったものだ。その証拠にマサキが見上げる先では、機動兵器の中でも取り分け重厚長大な体躯を誇るダイゼンガーが、まるで忍者のように天井にへばりついているではないか。厳めしくも雄々しいその双眸がマサキを垂直に見下ろしていて、マサキは蛇に睨まれた蛙のような気持ちになった。

 

 やがてハガネもまた穴の底に辿り着き、尋常でない衝撃が艦を襲った。落下距離は数百メートル。多少なりとも傾斜はあったため速度は抑えられたが自重が自重である。電磁徹甲弾の直撃を百発受けようと到底生じ得ないであろう衝撃に、マサキはおろか床に寝そべる機体群すらもが一瞬浮き上がった。

 

「……!」

 

 上下に乱高下するベクトルに姿勢を保ちきれず、マサキはめんこ札のように床に叩き付けられた。そのさなかにも、ばきんと一つ、何かがへし折れる音が天井側で響くのをマサキは聞き逃さなかった。衝突の振動によって固定具の一部が外れ、侍巨人はいまや右半身を自由の身とさせていた。巨大な右腕が、さながら掴み捕らえようとでもするかのように、マサキの方へだらりとぶら下がった。この上なく物騒かつ醜悪なシャンデリアに、マサキの全身が総毛立った。

 

「まじかよ、おい……」

 

 マサキはこの件が落ち着いたら、必ずあの仏頂面のおっさんを半殺しにすると心に決めた。八つ当たりだろうとなんだろうと、必ずおとしまえを付けさせてやる。

 

 まさにその一瞬後、左側の固定具も砕け、完全に拘束から解放されたダイゼンガーが、壁から生えるコンテナをなぎ倒しながら猛烈な勢いで床に落下して来たのである。

 

「ふざけろ、ちきしょぉぉーーっ!」

 

 マサキは叫びは、天を覆わんばかりの大質量にいとも容易く押しつぶされていった。鼓膜を突き破るような轟音と振動。それを契機に、天井を張り付いていた他の巨人たちも雨霰のように次々と落下していく。地獄絵図がそこにあった。

 

 

 

 一方アイビスもまた、船外にてほぼ同様の窮地に立たされていた。危険の度合いで言うのならさすがに格納庫にいたマサキよりは幾分ましであろうが、彼女の場合は彼女自身の内的な面が一層問題だった。自分のいる場所が突然地殻陥没を起こしたら、誰もが怯えすくまずにはいられまい。それでもなお、崩落が始まった瞬間のアイビスの狼狽えようは異常と言う他無かった。

 

「あああーーーっ!」

 

 けたたましい悲鳴が響いていた。到底人間が発声したとは思えない、まるで黒板を釘で引っ掻くような叫び声だった。

 

 アイビスはまだ外にいた。ラングレー基地第七棟の裏手である。夜風が肌に厳しくとも、ツグミの待つ客室に戻る気にならず、ずっとそのままでいたのだ。「敵襲」と叫ぶ誰かの声を聞いたかと思えば、突然発生した地震によって体ごと浮き上がり、次の瞬間には背もたれにしていた樹の幹に叩き付けられていた。息が詰まった。その後、事態を飲み込もうと辺りを見回したとき、アイビスの精神は狂躁状態へと真っ逆さまに落ちて行った。

 

 落ちている。大地が落下している。

 

 言うまでもなく、それはアイビスにとって最も忌まわしい過去の記憶であり、尚かつ今現在、この世で最も恐れることそのものであった。高空を意識した途端に体が震えだし、ついには幻覚を見だすほどの症状に犯されているというのに、よりにもよってそれが、不動であるはずの大地の上で起こっているのだ。そのあるまじき悪夢が、いまにも自分の足下へと届こうとしている。

 

「やめてぇ!」

 

 アイビスは、一瞬にして正気と理性と冷静さをいっぺんに放棄した。それこそ、かなぐり捨てるような勢いだった。

 

「誰か止めてぇ!」

 

 幸いアイビスの居る場所は基地の外縁部とも言える場所で、地盤崩落まではいくらかの猶予があるようだった。しかしそれも時間の問題である。彼女のみならず、彼女を支えている地面そのものが崩落するまで、あと数秒とない。

 

 地面に伏せるアイビスのすぐ側に、地割れが走り、砂煙が噴き出した。しかしそんなことにも一切気付かぬ様子で、アイビスは頭を庇おうとも、身を縮こませようともせず、ただ木にしがみついてわめき続けた。

 

「助けて、落ちる。誰かぁ!」

 

 落ちる。また落ちる。

 

 死ぬ。死んでしまう。

 

 ラングレー奪回戦の最中に得た神の啓示が、再び彼女の脳天を貫いていた。以前に一度それを覆してくれた救い手の名を当然彼女は覚えているが、しかしその名を呼ぶ事だけはできなかった。それはアイビスに残された、本当に最後の最後の意地だった。

 

(ごめん)

 

 ごく自然に、アイビスの胸にその言葉が浮かんで来た。誰に対してのものか、何に対してのものか、彼女自身も混乱してよく分からない。ただ涼やかな風の感触と、柔らかな亜麻色の髪の流れが、ほんの一瞬だけ彼女の脳裏をよぎっていた。

 

(ごめん)

 

 またそう思った。一度思い浮かべたら、いったい今まで何処に隠れていたのか、油田を掘り当てたかのように次々と想いが溢れ出した。

 

「ごめん。ごめん。ごめんごめんごめん。ごめんなさい……!」

 

 まるで物置に閉じ込められた幼子のようにアイビスはただそれだけを思い、思いは濁流のように彼女の全身を駆け巡り、凝固した血栓を洗い流した。

 

 大地が、次々とひび割れて行く。身を寄せていた樹木が、いや、世界全体がぐらりと傾くような感触がした。

 

 すべてを諦めて、アイビスは目を閉じた。強く強く閉じきった。これより自分がどうなるか分からない。もう何も見たくない。もう二度と目を開かない。そんな愚にもつかない決意を込めて。

 

 長い長い夜の始まりだった。

 

 

 

 

 


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