アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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序章:星への翼、戦場に

    Ⅰ

 

 一日の始まりに、乗機を常時出撃可能な状態に整えておくことが艦載機パイロットの義務だった。この艦ではまだ客員の立場にあるアイビスも例外ではない。

 

 スロットルをアイドリング状態にしたまま、アイビスは右手の操縦桿を前に倒した。回路が正常なら、背部スラスターのノズルが下向きに変形しているはずである。外に居る整備士が「OK」の手信号を送って来た。同じ調子で後ろ、左右の方向も確かめる。そして基本位置に戻す。航空システムは万全のようだった。

 

 つぎに低速時の挙動を確かめなくてはならなかった。いま彼女が乗るアステリオンを含めたDC開発のアーマード・モジュールは、そのほとんどが空中戦を想定しているため、その操縦方法は戦闘機にも近い。しかしそれでは地上戦や近接兵器を用いた接近戦などに対応できないため、戦闘中では状況に応じて操縦モードを変更する必要がある。

 

 アイビスはそのスイッチを押した。カチッカチッと硬質な音がことさら耳にうるさく聞こえて、プログラムが陸戦仕様に切り替わる。

 

 アイビスが右手のレバーを動かすと、先ほどと全く同じ操作なのに機体の方は全く異なる動作を取る。拙速から巧遅へ。心無しか機体全体が鈍重になり、操縦桿も重みを増したような気さえする。アイビスはそのままチェックを続けていくも、その表情の薄皮一枚下にはどこか不満の色が忍んでいた。

 

 動作確認を一通り終えてハッチを開けると、狭いコクピットとはうってかわって百平方メートル以上はありそうな広大な空間がアイビスを出迎えた。

 

 朝の格納庫は常に動き続ける。この艦に搭乗するパイロットたちは皆アイビスと同じく機体の調整にいそしみ、五十名を越える機械整備士たちがそれをサポートしていた。飛び交う指示、モーターの駆動音、排出される熱と風、金属と金属がこすれ合い、ぶつかり合う。人と機械のあらゆる営みがない交ぜになった残響が、広々としたフロアを重く満たしていた。

 

 そんな格納庫の壁に、神像のように立ち並ぶ巨人たちの姿がある。ハガネ・ヒリュウ改が擁する人型機動兵器は三十体以上にもなり、個々にばらつきはあるものの、その全長はおしなべて15メートルを越える。人類の英知が凝縮されたその巨人たちを、アイビスは胸の内を小さく震わせながら見渡した。

 

 しかしそんなアイビスの視界の端で、貨物を乗せた資材用トラクターが野ネズミのように格納庫を横切った。トラクターに詰まれているのは、巨大な杭だった。恐竜の心臓すら打ち抜いてしまいそうなそれは、あまりに剣呑な輝きをひそめながら、格納庫の一角にそびえ立つ真紅の巨人の下まで運ばれていった。さらにそのすぐ横では、こちらは雪のように真っ白な巨人が立っており、槍を思わせる長大なライフルの弾倉に、ドラム缶ほどの大きさをした弾薬が詰め込まれている。その凶悪な弾頭は、人間相手なら一ダースほどまとめて粉砕できるにちがいなかった。

 

「そうだ、ここ軍艦なんだ」

 

 今更のようにアイビスは思い出した。胸の震えも去っていた。

 

 アイビスが地面に下りると、ツナギ姿の少年がアステリオンの足首のところに取り付いて、点検作業を行っていた。リョウト・ヒカワという名の少年で、パイロットと整備士を兼任する希有な人材である。アイビスが現在なんとか顔と名を一致させることのできる一人でもある。

 

 アイビスが近づくと、リョウトは作業の手を止めて、柔らかい笑みを浮かべながら手を振った。アイビスもちらりと後を振り返ってから、小さく手を振り替えした。自分に対してかどうかを確かめたのだ。

 

「お疲れさまです、アイビスさん。チェック無事完了しました。初めて見る機体ですけど、整備長からも太鼓判ですよ」

 

「ありがとうございます。パイロットの他に整備もやるなんて、すごいですね」

 

「いえ、もともと機械いじりが好きでこっちが第一志望だったんです。パイロットもメカニックも、今はどっちも人手が足りないから、こうなってて」

 

 リョウトは頬を掻いた。すくなくともアイビスから見ても、この大人しそうな少年にはパイロットスーツより作業服の方が似合っているように思えた。

 

「そういえばアイビスさん、もう正式に編入されたんですか? モニレポでは何も言われなかったけど」

 

「いえ、もともとあたしたちテスラ研所属で、補充兵として来たわけじゃないんです」

 

「そうだったんですか? 残念だな。新しいパイロットが入ってくれたって皆から聞いてたものだから、てっきり……」

 

「失礼よ、リョウト君」

 

 横手から突然伸びた、たおやかな指先に耳を引っ張られ、リョウトは素っ頓狂な悲鳴を挙げた。いつのまにか音も立てずに忍び寄っていた中国系の女性の仕業だったが、驚くほど慣れた手つきだ。

 

「アイビス・ダグラス……さんでしたよね?」

 

 呆気にとられるアイビスに、リオ・メイロンはにこりと笑いかけた。管楽器で奏でられたような声だった。

 

「ツグミさんから、チェックを済ませたら休憩するようにって言伝を預かってます」

 

「チーフが?」

 

 アイビスは咄嗟にツグミの姿を探した。

 

「彼女なら仕事を終えて、見学に行きましたよ」

 

「見学、ですか?」

 

「そ、他の機体の。まっさきに向こうの方に行ったけれど」

 

 リオが視線で示した先には、一体の純白色をした機動兵器が静かに屹立している。アイビスにも見覚えのある機体だった。

 

 

 

 それは全長三十メートルにも届く銀巨人だった。機動兵器としも一際大きい。人体を模した力強い五体、白とも銀の中間色をした鋭く重々しい鎧装甲。背後からは三層一対の翼が伸び、そのつま先は鳥のような三本爪が生えていて、しっかと床を捕まえている。人と鳥が合わさったような独特のフォルムだった。

 

 アステリオンを始めとして格納庫内の全ての機体は、現在パイロットや整備士たちの手でメンテナンスを受けている最中のはずだが、どういうわけかこの機体の周辺にはまるで人影が見当たらない。辺りに満ちているはずの騒音のすべてが遠くなり、ぽっかりと空いた真空地帯の中心で、サイバスターと呼ばれるその機動兵器は、白銀の装甲をより一層に冷え渡らせていた。 

 

 サイバスターの足下で、ツグミ・タカクラはすぐに見つかった。彼女の、首の後ろで括られた先から波打つように広がる栗色の髪は、格納庫のような野暮ったい場所ではよく目立った。肩のところで雑に切りそろえただけの自分の赤毛に、アイビスはなんとはなしに指を絡ませる。

 

 ツグミは握った手を顎先にあてながら、なにやら考え込んでいるようだった。彼女がそうしていると、五体の輪郭が凛と際立だって見えた。

 

「およそ現代までの機動兵器体系を端から端まで無視した外観ね。ヴァルシオンと何となく近いけど、でも……」

 

「タカクラチーフ?」

 

「噂には聞いていたけど、あのMAPW。ビアン博士がただ一人再現に成功したと言うけど、データは抹消されてるし、そもそも本当に同一のものかも……」

 

「チーフ」

 

「ううん、それよりも問題は、こんな航空力学を無視した構造で、あれだけの速度と航続可能時間を両立させるエンジンよ。もしそれがプロジェクトに使えれば……」

 

「チーフ!」

 

「あらアイビス。いつからいたの?」

 

「いま来たところです。アステリオンの点検、終了しました。いつでも発進可能な状態です」

 

「そう、ご苦労様、休んでて良いわよ。そういえば、ねえ、あなたマサキ君を見なかった?」

 

「マサキ? マサキ・アンドーのことですか? いえ、見てませんけど」

 

「そう。ちょっとお話ししたかったんだけど」

 

 ツグミはそう言うが、どこか挑戦的な光がその眼差しに奥にちらつくのを見れば、「ちょっと」で済むかは些か怪しい。

 

「この時間は皆、格納庫に集まるって聞いたのだけれど」

 

「サイバスターの中では?」

 

「いないみたい」

 

「探しに行きましょうか」

 

「いいわ。言ったでしょ。先に戻って休みなさいな……いえ、そうだわ。ランチを食べましょう。私もちょうどお腹が減ってきたし、アイビスもそうでしょ?」

 

「あ、あたしですか?」

 

 アイビスが返事をする前にツグミはさっさと食堂へと歩き始め、アイビスは慌ててその後を付いていった。

 

 

    Ⅱ

 

 

 食堂に入ると、すでに何人かがカウンターに並んでいた。

 

「おや、SRXチームの皆さん。今日は早いですね」

 

「まぁな。ひょっとして一番乗りかい?」

 

「いえ二番手ですね。ついさっきいつもの彼がさっさと一人で平らげて帰りましたよ」

 

「あれは数に入れなくていい。まったく困ったものだ」

 

 そんな言葉を交わしながら、隊長らしき女性が司廚員の娘から昼食の乗ったプレートを受け取ったので、見様見真似でアイビスたちも同じようにした。

 

「すごい量。食べきれるかしら」

 

 山盛りの肉を前にに、ツグミが呟いた。

 

「とにかく食べられるだけ食べておいた方がいいですよ。いつ最後の食事になるか分かりませんからね」

 

 司廚員の娘はにこやかに言った。アイビスもツグミも、愛想笑いを浮かべるのに一拍の間を要した。

 

 二人がテーブルに対面同士で座ると、アイビスの視線は何かに追われているように、あちらこちらを彷徨い始めた。その内にふとツグミの視線と合わさると、すとんとテーブルに落ちる。

 

 気まずい。そう思うしかないアイビスだった。

 

 二人が一緒に昼食をとるのはこれが初めてとなる。プロジェクトTDにおけるパイロット候補生とシステム・エンジニアとして、アイビスとツグミはこれまで決して仲睦まじかったとは言えない。と、言うよりもアイビスの方ははっきりとツグミを苦手に思っていた。

 

 プロジェクトにおけるアイビスのスケジュールは、大半が試験飛行に費やされていたが、その後には必ず関係部署を交えたデブリーフィングが行われた。

 

 そこで各方面……たとえばシステム開発班チーフであるツグミなどからアイビスのフライトについて評価を下されるのだが、その度に胃の辺りがちくちくと痛んだのをアイビスは覚えている。

 

「総じてプロジェクトの要求水準を下回る」

 

 結果の分析と考察の末、ツグミの報告は常にそう締めくくられていた。そういう時も、アイビスはツグミとろくに目があった覚えがない。

 

「アステリオンの調子はどうかしら?」

 

 ツグミがそう尋ねたのは、アイビスがその答えにあたるものを先に話題に挙げようとした矢先のことだった。なにせ他に話題が見つからない。

 

「あ、はい。修理箇所も問題ありませんでした。あとは実際に飛んでみないと」

 

「そう。ひとまず問題無しね」

 

 ツグミの声にはほんのりと苦みが込められていた。その正体を察することは、アイビスにとって鏡を見れば済むことである。

 

「大丈夫です、チーフ。アステリオンなら、敵の弾もそうそう当たりません。プロジェクトのためにも、テスラ研まで無事に持ち帰ってみせます」

 

 アイビスの気配りは実のところほんの少しずれていたが、ツグミはそれを訂正しなかった。

 

「ええ、それもそうね」

 

 ツグミは笑ってみせ、その表情にアイビスはまた目を白黒させた。ツグミの笑うところを、アイビスは初めて見た。

 

 

 それからしばらく無言が続いた。皿と食器が触れ合う無機質な音だけが響く。

 

 アイビスとツグミはいま、覚悟を迫られていた。彼女らが現在搭乗しているのは紛れも無い軍艦であるが、リョウトたちと違い、二人は兵士ではない。

 

 テスラ=ライヒ研究機関にて立ち上がった、アーマード・モジュールによる宇宙開発プロジェクト、通称プロジェクトTD。ツグミはそのシステム・エンジニアであり、アイビスは実際にAMに乗り込む宇宙飛行士候補生だった。テスラ研自体、ときおり癒着と騒がれるほど軍とは強い繋がりを持つが、それでも二人はあくまで民間組織の一員なのである。

 

 そしてアステリオンはプロジェクトTDの一環として製作された試作機であり、戦争に参加するどころか火器を搭載すること自体、本来求められていない。そのアステリオンが、こうして軍艦の中で整備を受けていることは、アイビスとツグミが共通して抱えるジレンマだった。

 

 二人が作戦行動中の軍艦に搭乗している理由は、プロジェクトが進められていたテスラ研所属の基地が、異星人たちによって占拠されたことによる。脱出に成功したのはアイビスとツグミ、そしてアステリオンのみであり、そんな彼女らを保護したのがハガネ隊なのだが、そうそう長く客員の立場でいられるとはアイビスもツグミも思ってはいなかった。こうしてアステリオンを整備するための人材と資材が提供されること自体、既に通告となっている。今はそういう時代であり、此処はそういう場所だった。

 

 戦わなくてはならない、と二人は理解していた。

 

 しかし戦いたい、とは二人とも思っていなかった。

 

「アイビス・ダグラス! いたらここまで来い!」

 

 怒声と言ってよいほどの声が食堂中に響き渡った。

 

 辺りが一瞬静まり返るほど威勢のいい声だったが、声質自体は明らかに女のものだ。アイビスが声の先を確かめると、豹を思わせるしなやかな体つきの女性が食堂の出入り口前に仁王立ちしていた。

 

「アイビス、いないのか! しょうがねぇ、ラッセル。お前ひとっ走り探しに行ってこい」

 

「はい中尉」

 

 彼女に随伴していた、こちらは絵本の中の熊のように大きく朴訥とした男性が、勢い良く走り出そうとする。

 

「あ、あの」

 

「一分以内に連れてこい」

 

「はい中尉」

 

「あの!」

 

 目の前まで駆け寄ってようやく、二人はアイビスの存在に気付いた。

 

「あ、あたしがアイビス・ダグラスです」

 

「ん? そうか。あたしはカチーナ・タラスク。階級は中尉。早速で悪いが、あんたに試験を受けてもらう」

 

「試験、ですか?」

 

 いやな言葉だった。

 

「そうだ。あんたらの身の上は艦長たちから聞いている。だがここは軍艦で、いまは戦争中で、人手と戦力はいくらあっても足らない。そんであんたは兵士じゃないとはいえパイロット。持って来た機体にゃ立派に武器までついている。そういうわけで、あんたらにとっては不本意だろうが有事の際には出撃を要請、というより命令することもあるかもしれないわけだ。今後な」

 

 言いながら、カチーナが時おり視線を横にずらしていることにアイビスは気付いた。ツグミがいる方向だ。彼女が今どんな顔をしているのか、アイビスには想像するに余りあった。

 

「ま、そういうわけで、その有事の際までにあたしらはお前の腕前を把握しておく必要がある。そのために試験を受けてもらう。その結果によって、あんたのこの艦での扱いは当然変わるだろうが、手抜きを見逃すつもりはないぜ?」

 

 カチーナの左右で色の違うオッドアイに力が籠った。抜き身の刀のような眼光に心が泡立つのを感じながらも、アイビスは背筋を伸ばした。

 

「了解しました。全力を尽くします」

 

 もとよりアイビスはそのつもりだった。パイロットとシステム・エンジニアの違いか、彼女はツグミほど現状に対して消極的ではない。アイビスたちの夢が、戦争終結なくして実現しないのは明らかであり、そして自分の手には確かにその一助となる武器と技術が握られていることもアイビスは理解していた。

 

「よく言った。ところでお前、飯は?」

 

「食べ終わっています」

 

「おっし。それじゃぁ軽くシミュレーターで、この艦の何人かと手合わせしてもらおうと思うんだが……」

 

 カチーナ中尉が辺りを見渡し始めると、アイビスの胸の内で不安の影がいとも容易く羽を広げた。この艦に搭乗しているパイロットは、ほとんどがDC戦争からL5戦役までを最前線で駆け抜けたエース級の集まりである。アイビスが直に知る中で、もっと優れた才覚を持ったパイロットは、プロジェクトTDのパイロット候補生の中でもナンバー・ワンと呼ばれていたスレイ・プレスティであるが、そんな彼女と同等の実力を持ったパイロットたちがひしめき合うのが、このハガネ隊と呼ばれる部隊なのである。 

 

「あたしとラッセルで地上戦、レオナで空中戦を量って、あとはイルムと対特機戦ってところかな。今日のところは、この四人とやってもらう」

 

 そう告げられて、アイビスの胸にかすかな安堵の微風がそよいだ。いま名前の挙がった四人を侮ったわけではない。なのにほっとするのは、彼女自身が気づかぬ内に最も恐れていた名前がそこに含まれていなかったからだろう。

 

 カチーナがまた大声を挙げて、今言ったメンバーを呼び寄せる。その間を縫ってアイビスがツグミの方を恐る恐る振り向くと、ツグミの表情は懸念より随分とかけ離れた形をしていた。

 

 八の字の眉に、垂れ下がった目尻。

 

 ツグミは「心配そうな顔」をしていた。アイビスがハガネ隊と腕前を競うことになって不安を覚えるのは、これまでの彼女を知る者なら当然だった。しかし、それでもアイビスはどこか腑に落ちないものを感じた。あれではまるで、「あの」タカクラチーフが、自分を……

 

「うっし、それじゃシミュレーターの方まで来てくれ」

 

 カチーナの声が、アイビスを思考の沼から引き上げた。いつの間にか、さきほどカチーナが読み上げたメンバーが周囲に集っている。

 

「シミュレーター・ルームは格納庫の隣にあります。案内しますよ」

 

 と、ラッセル。

 

「お手並み拝見するわ」

 

 と、レオナ・ガーシュタイン。鮮やかな金髪をしたドイツ人で、この中では彼女とだけアイビスは事前に顔を合わせている。

 

「初めまして、ミス・アイビス。イルムガルト・カザハラだ。よろしく頼む」

 

 と、イルム。長身長髪のいかにもな伊達男で、片目を瞑る仕草がよく似合っている。ちょうど若手とベテランの中間に位置する年齢だった。

 

 そしてカチーナを加えた四名。それぞれに相応に自信と自負の光を瞳の中に秘め、新兵のアイビスを興味深げに観察していた。臆するもんか、と、アイビスは真正面から彼らの視線を受け止めた。

 

 

 四人の後ろにくっ付いて、シミュレーター・ルームとプレートに書かれた部屋に入る直前、アイビスは不意に自分の手の平を眺めた。ふと思い起こされた感触が、そこにあった。それを手の中に封じ込めるように、アイビスはぎゅっとにぎりこぶしをつくった。

 

 最後に思い切りを付けるため深々と深呼吸をした。緊張を悟られないようひっそりとそれを行ったアイビスだが、廊下の角からひょっこり現れた一人の少年が、アイビスの死角からそれを目撃した。

 

 ジーパンとシャツに身を包みジャケットを羽織った、いたって平凡な出で立ちの少年であったが、場所を考えれば逆に奇怪だった。ましてやペット連れで軍艦に乗り込む者など、どこの軍隊にいるだろう。

 

 そんな奇妙な少年の存在に気付くことなく、アイビスは意を決してシュミレーター・ルームへと足を踏み入れた。少年はそんな彼女の後ろ姿と部屋の標札を見比べ、ほんのわずかに瞳を瞬かせたが、声をかけることもなくそのまま通り過ぎていった。

 

 彼の両肩の上にぶら下がる二匹の猫の内の一匹が、声もなく欠伸をした。 

 

 

    Ⅲ

 

 

 艦内標準時で午後六時を過ぎた頃。艦内食堂に備わっている十数脚の長方形型のテーブルの一つを占拠する五人の集団があった。それぞれの前には純粋な腹ごなし、必要な栄養源摂取、あるいはさるやんごとなき事情による可及的カロリー非摂取など、思い思いの気分によって揃えられた献立が並んでいる。

 

「それで四人掛かりで例の転校生を味見したってわけね。お味はどうだったかしら?」

 

「少尉、言い方がいやらしいですよ」

 

 ブルックリン・ラックフィールドが指摘するまでもなく、エクセレン・ブロウニングのいかにも如何わしいイメージを連想させる物言いに、みな辟易とした表情を浮かべた。しかしイルムガルト・カザハラだけは、素知らぬ顔で腕を組んでいる。

 

「今の時点じゃ実戦には出せない、というのが俺の見解だ」

 

「おなじく」

 

 カチーナが炭酸飲料を口に含みながら、イルムに同調する。

 

「データは事前に貰っていたし、とりあえず彼女には持ち込みの機体を使ってもらったんだが、地上戦では遠近攻守ともどもあまり冴えてなかった。レオナとの空中戦は結構光ってる部分もあった。俺との時は、まぁ特機型とやるのは初めてだっただろうし、それまでの連戦の疲労もあるし評価しづらいが、ぼちぼちってとこだ」

 

「結局勝敗は?」

 

 並び立てるイルムに、ブルックリン、通称ブリットが尋ねる。質実剛健を絵に描いたような少年で、部隊内でもラトゥーニ・スゥポータを除けば最も若い部類に入る。

 

「こっちの全勝。まぁ負けたとあれば、それはそれで問題だけどな」

 

 ともあれ結果だけ見れば実戦で使うには未だ不十分、とイルムは論を結んだ。

 

「素質はあるんだろうけど、な」

 

 そう付け加えるようにこぼしたのはカチーナだ。

 

「あら、どんな?」

 

「あいつの腕前について事前に同僚の、ツグミ・タカクラっていうんだが、そいつから資料を貰ってたんだ。テスラ研にいた時点での評価レポートと、あいつらが乗って来た輸送機が観測していた異星人との戦闘記録。あとあいつが持ち込んで来たアステリオンって機体のレコーダー。全部ひっくるめた中で、一個だけ気になる部分があってな。敵隊長機との交戦記録だ。トゲトゲした高機動型の奴」

 

「それが凄かったんですか?」

 

 カチーナは口ごもった。プライドの高い彼女がそうするのだから、意味のある沈黙ではない。

 

「お前さんは一途なゲシュペ乗りだからな」

 

 イルムのからかいにカチーナはそっぽを向いてハンバーガーに齧りつく。彼女がその戦闘機動を事前にシミュレーターで疑似体験していたことを知っているのは、イルムとこの場にはいないラッセルだけだ。直後に彼女が見せたささやかな醜態については、カチーナに睨まれるまでもなくイルムは胸にしまっておくつもりでいる。

 

「少なくとも運や偶然、あるいは機体の性能だけで出せる機動じゃあなかった」

 

「でも、模擬戦はぱっとしなかったんですよね。機体の特性と、あと本人もリュウセイやアラドと似たタイプってことでしょうか」

 

「練習じゃいまいちなくせに、土壇場では気持ちいいくらいに決めちゃうヒーロー体質のことね。うちのダーリンとも気が合いそう。気をつけなくちゃ」

 

 エクセレンが茶々を入れるが、イルムは首を振った。

 

「その心配はないな。むしろその方が話は簡単で良かった。前例に困らないからな。ところが、こいつは勘だが、今挙ったような奴らと、かのミス・アイビスは根本的に性格が違う」

 

 イルムは複雑そうに眉を顰めた。

 

「俺の経験からしてあの手のタイプは大抵自己嫌悪とか悪循環って言葉と仲睦まじかったりするんだよ。一度へこんだら、際限なくドツボに嵌っていくのさ。模擬戦でも初戦から順に、負ける度に分かりやすく調子を落としていった。本番ではなんとかするだろうなんて、呑気に構えられるもんじゃない」

 

「同感。あたし、ラッセル、レオナと三縦喰らった時もさんざんでさ。とどめにイルムに思いっきり殴り飛ばされたあとっつったら、思わず慰めちまった」

 

「それもどことなく優しげな声でな」

 

 イルムがそう付け足すと、器用に焼き魚を解体していたブリットが箸を取り落とした。

 

「ラッセルやタスクとおんなじよ〜な反応ありがとよ。あとで同じように礼させてもらうぜ」

 

「ま、まさか今二人の姿が見えないのは……」

「ちなみにレオナは二人の監視役だ。ラッセルはともかく、タスクのやつもノコノコ野次馬しにくるから、ああなる」

 

 イルムの言葉に、我が身の行く末を察したブリットは、観念したように肩を落とした。

 

「それにしてもイルム中尉。勘って言ってましたけど、えらい自信ありげですね」

 

 やや恨みのこもった視線でブリットが言うと、

 

「一昔前のリンがそうだった」

 

 と、イルムは誰もにとって意外極まりない言葉をさらりと零して、湯気の消えたコーヒーを啜った。

 

「とはいえアラドのときにも言えたことだが、今は猫の手でも借りたい時期だ。少しでも戦力になればってことで、近いうち駆り出されるだろうがな」

 

 若輩とベテランのちょうど境にいる彼は、読めない表情でフォークにパスタを絡めた。

 

 

    Ⅳ

 

 

 重く、淀んだ空気が部屋に充満し、ツグミを息苦しさで身動き取れなくしていた。ツグミが力なく見つめる先には、誰一人として寄せ付けようとしないアイビスの後ろ姿があった。

 

 試験を終えて部屋に戻って来てからというもの、「戻りました」とツグミに一声かけただけで、アイビスはずっと同じ体勢を崩さない。備え付けのデスクに座り、目を瞑りながら、親指と小指だけを広げた手の平をあっちこっちに彷徨わせ、時おり思い出したようにノートになにかを書き込んでいく、その繰り返し。その奇妙な手の形は、パイロットなどが戦闘機を表すためによく使うものだ。模擬戦の復習をしているのだろう、とカチーナ中尉から結果を知らされていたツグミには分かった。

 

 アイビスの努力家としての一面をツグミは決して知らなかったわけではない。プロジェクトにおいて、ある日の試験飛行でツグミがアイビスの至らぬ点を十点指摘すると、アイビスは次回かその次のフライトまでに必ずそのうちの三つか四つは改善してきた。ただそうなれば、また新たな課題が二つ三つ生じるので、結果、アイビスの成長はツグミの目には非常に遅々としたものに映った。ましてやアイビスの隣には、初めから何事も完璧にこなしてしまう、才気あふれるナンバー・ワン、スレイ・プレスティの姿が常にあったのだから。

 

 アイビスの手の平は、さきほどから何度も何度も同じ軌跡を描いていた。「マニューバー・RaMVs」。プロフェクトTD所属のパイロット候補生たちに設けられた、数々の壁、到達点の一つ。外宇宙探査用のアーマード・モジュールを操るためにも、候補生たちはの旧暦より連綿と伝わるアストロノーツとしてのスキル以外に、まだまだ発展の過渡期にある人型機動兵器の操縦技術にも長じる必要があった。そのため、L5戦役集結までの間に確立されてきた機動戦術の習得も、候補生たちの訓練内容に取り入れられたのである。

 

 当然どれだけ優れた戦闘機動であっても、候補生たちに本来求められるべき技術では決してなかった。しかし高難度のマニューバーを会得すれば、比例して飛行技術全般も向上することがわかり、そのまま正式な訓練項目として採用されたのだ。

 

 スレイがプロジェクト・メンバーの歓声と期待を一身に浴びながら、着々と最高難度であるSクラス・マニューバーの完成度を上げていく中、アイビスは長いことAクラス・マニューバーである「RaMVs」の習得に頓挫していた。なにをしてもスレイに敵わず、それでも確実に進歩はしているのに、常に結果だけを比較されてきたアイビスは、恐らくテスラ研でも同じようにこうして一人、無心にトレーニングを繰り返しながら幾つもの夜を過ごしていたのだろう。

 

 結果を届けに来たときのカチーナの言葉が思い返される。

 

「いきなりえらいスピードで突撃したと思ったら、旋回しきれずに墜落してったぜ。レオナの奴は自棄を起こしたと思ってるみてえだけど、あたしはあのレコーダーの記録見てたしな……」

 

 あのタイミングで成功してたら勝ってたかもな、と、カチーナはどこか不満げにぼやいていた。

 

 アイビスの努力は過去にたった一度、報われたことがある。かのテスラ研脱出の際の、敵隊長機との交戦の真っ先中、土壇場の、死中に掴んだようやくの一しずく。そのとき、やっとのことで手の届いた大切なものを、彼女はまた見失ってしまったのだ。

 

 ツグミの内部に育つ、アイビスに対してのある感情の萌芽がむくむくと際限なく背を伸ばしていく。しかし開化寸前のところまで来ていながら、まるで糊付けされたように花弁がぴくりともしないのは、これまでの二人の関係においては、あまりに差し出がましいものだったからだ。

 

 アイビスの背中はぴんと糸を張ったように伸びている。その影から鼻をすする音の一つでも聞こえれば、ツグミは考えるより先に身体を動かすことができた。しかしどれだけ耳をすませても、アイビスはただ黙々と努力を積み重ねているだけだった。

 

 結局ツグミに出来たことは、部屋を出る時に足音を殺していくことだけだった。アステリオンのところへ行けば気も紛れるかもしれないと、ツグミはのろのろと歩きだした。

 

 すると途中で見知った顔に出会った。

 

「マサキ、くん?」

 

「ん?」

 

 ジーパンにジャケットといった平素な服装、それだけに人目を引く格好をした少年だった。昼間にツグミが探していた当人でもある。

 

 マサキ・アンドー。非公式ながらDC戦争、およびL5戦役で最大の撃墜数を記録したとされる、軍や他のどの組織にも属さない真実全くの民間人。そしてあの銀巨人、サイバスターの持ち主。

 

「あんた、確かあのアイビスって奴の連れだったな?」

 

「なによ、年下のくせにその口の聞き方。それと、馴れ馴れしくうちのアイビスを呼び捨てにしないで」

 

 という心の声をツグミは努めて押し隠した。

 

「そうですけど」

 

「そういやあいつ、昼間シミュレーターでカチーナたちとなんかやってたみたいだな。さんざん揉まれたろ。お疲れさんって言っておいてくれよ」

 

 ツグミの目尻が常日頃見られないくらいに硬直した。そんな彼女の様子に欠片たりとも気づく様子は無く、マサキは「おやすみ」とだけ残してツグミの横を通り過ぎていった。彼の行く先は行き止まりであると知るツグミだが到底口出しする気になれず、そのまま彼とは逆方向に、やや強めの足音を響かせていった。

 

 

 

 いつの間にか部屋に一人きりになっていることにアイビスは気付いた。時計を確かめたら、もうすでに夜も遅い。

 

 遅めの入浴にでも出かけたのかもしれない。ずっと机に齧りついていたので、邪険にしていたと思われてなければ良いのだが。

 

 アイビスは天井を眺めた。背もたれがギシギシと軋みをあげる。さながら前進翼戦闘機のようなアイビスの手の平が、アイビスの眼前を垂直に昇っていく。その絵に重なる想像の中の光景があった。空高く、太陽を目がけて上昇していくアステリオン。アイビスのなかで、アステリオンは常に美しくなくてはならなかった。

 

 だというのに、

 

「酷かったな」

 

 シミュレーター試験のあと、試合の推移を映像で確認したときのアステリオンは、アイビスの理想とはかけ離れた軌道を描いていた。ツグミを初めとする多くの英知が結集したプロフェクトTDの一成果の、なんとも無様な姿を自分がさらし者にしたのだ。

 

 カチーナは難しい顔で、イルムは頬を掻きながら、レオナはほんの少し冷めた目で、タスクは気楽に笑いながら、それぞれの流儀で、アイビスを慰めたり、励ましたり、あるいは冷静に評価を下した。

 

 言うまでもなく、どれもアイビスが目指した反応では到底ない。とはいえことさら喝采を欲するたちでもなく、彼女が望んでいたのは、強いて言うならば手の平の、一瞬の感触だった。

 

 数日前、異星人に襲撃されたテスラ研から脱出を果たしたアイビスたちは、ハガネ隊と合流するまでの道のりで今度はアギーハと名乗る異星人の幹部から襲撃を受けた。こちらの戦力は機動兵器にしてわずか三機、敵は十機以上、さらにツグミたちが乗る非武装の輸送機を防衛せねばならず、戦況は最悪の一言に尽きた。

 

 ただでさえ実戦に不慣れだというのに、そのような熾烈な状況を、初めて乗り込んだ機体でこなしたのである。なんとか無事に戦闘が終わり、アステリオンを輸送機に着艦させたとき、アイビスの体からは体力という体力が霧となって散っていくようだった。

 

 よろめきながらアイビスがタラップの階段を降りていくと、そこに一人の少年が佇んでいた。アイビスたちの下に援軍として駆けつけて来た人物だった。息も絶え絶えなアイビスと対照的に、彼はいたって涼しい顔でアイビスの方を見上げていた。

 

「いい腕だな。あんた」

 

 少年は何でもないようにそう言った。アイビスは思わず後ろを振り向き、そこに誰もいないことを確認した。間違いなく自分に対してのものと分かった時、その言葉はアイビスの疲れきった五臓六腑に染み渡り、熱すら発っした。

 

 惚けるアイビスの前に手の平が差し出された。何を求めての仕草かはすぐに分かったが、アイビスはそれこそ見るも哀れなほど戸惑った。なにもかもが、彼女にとっては初めてのことだったからだ。

 

 おそるおそると割れ物を扱うように、アイビスは彼の手の前に自分の手の平をささげた。

 

 少年はその手の平を軽く叩いた。

 

 そして、「お疲れさん」と言った。

 

 

 

 スレイのように罵倒するのでもない。以前のツグミのように冷淡に見るのでも、フィリオのように励まし慰めるのでもない。戦友として、ただ対等に接するあの一瞬の感触を、ほんの数日まえのことなのに、随分と遠くの出来事にアイビスは感じた。

 

「強くならなきゃ」

 

 アイビスは一人念じた。

「もっと、もっと、頑張らなきゃ」

 

 アイビスの夜はそうして更けていく。

 

 

 


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