小鳥遊ひかりはわからない。
そりゃ、そういうことだってあるだろうと考えてはいた。いつか身を焦がす程の恋に巡り合うかもしれないと思っていたし、近くに町京子という、高橋先生に恋してる友達がいて、その様子を見ていたから早く来ないかなーなんて待ち遠しくなったりもした。
けれど、けれどこれは余りにも早すぎるんじゃないだろうか。
――はあああ! 夏前には小鳥遊に告白しようとか思ってたのに!
あの台詞が、声が、ふとした拍子に脳内で繰り返される。それが数日続いているのだった。
聞き間違えだったらこんなに悩まず済んだ。
ただの友達ならば気のせいで済ませられた。
けれど、小鳥遊ひかりにとって日下部春明はただの友達と言い切れる程、仲が浅くはない。
まだ三か月。されど三か月。学校のある日は毎日毎日なんともないことで話して、ちょっと前からは食材や雑貨の買い出しまで一緒にするようになって。
ただ相性が良いなんて感じていたあの頃から、最近ではこのまま関係が続いていけばもしかしたらもしかするかもしれないなんて気がしていた。短くてもこの学校を卒業するくらいには、と前置きは付くけれど。
「うううう! どんな顔して話せって言うのよ……」
枕に顔を埋めながらバタバタと足でベッドを叩く。ちょっとした挨拶や一言二言なら大丈夫。けれど今までみたいに、休み時間や学校が終わったあとに目的もなくずっと喋るというのは、無理だ。気を抜けば、あの言葉が浮かんできて、途端に思考が止まってしまう。
そんな状態を晒せば、何事かと訝しがられ、こちらに寄ってくるかもしれない。万が一そんな時に肩でも叩かれれば、醜態をさらす自信が小鳥遊ひかりにはあった。
「それに……」
仮定、もしもの話、そのまま告白されたとして自分はどうするのだろうか。例えば教室で、例えば帰り道で、例えば自分の家で、正面から真剣な顔で「好きだ」なんて言われた時に、どんな返事をするのか。考えても考えてもわからない。
少し恋愛と言うものを漠然と捉えすぎていたのかも……なんて思っていたところでふと、天啓が降りて来た。
「恋愛……? マッチーがいるじゃん!」
そうだ、わからないならば聞いてしまえばいい。恋愛ならマッチーが現在進行形でしているではないか。妹のひまりは……そんな話は聞いたことないし別にいいや。
とりあえず行動の指針が決まったことでベッドから跳ね起きる。時計を見れば既に夕方を過ぎた時間。
「おかーさんごはーん!」
腹が減ってはなんとやら。荒々しくドアを開け、一段飛ばしで駆け下りる。明日の昼休みの予定が決まった瞬間であった。
――
「え? 恋ってどうなのって?」
「そうそう! ちょっと気になっちゃって!」
そのまま翌日、いつもお昼に集まる渡り廊下でお弁当の蓋を開けながら、友人の町京子にひかりは切り出した。もう一人の友人である日下部雪は、今日はC組の二人とご飯を食べるらしく、ひかりにとって丁度良く二人で話せる状況となった。
町はご飯を運んだ箸をそのまま口に含んで、ひかりの真意を探るように視線を送る。その視線に含むところがあるのは、ひかりもわかっているがそれを口に出すのは認めた気がするので何も言わない。
そのまま数秒、箸を弁当に戻しおかずのミートボールを一口。それを飲みこんでからたっぷりと時間をかけて、町は微笑んだ。
「うーん、例えばちょっと空いた時間にその人のことを考えたりとか」
「ふんふん」
その時のことを思い出しているのであろう、目線が自分から空へ移った町の言葉に相槌を打つ。
「その人がいなくなったらって考えたら胸がこう、ぎゅーっとなったり」
「ふーん」
想像する、もし彼がいなくなったらと思うと――それは嫌だ。
「何気ない仕草の一つ一つが気になったりとか!」
「おー……」
腕とか見てると隙あらばまた頭を抱きしめてもらいたいなって思ったりするよーと町は言う。それはデュラハン視点だけれど、吸血鬼視点としては、ここ最近確かに別の意味で腕が気になる。あと首筋。
「あと話しててすっごく胸が温かくなったり、かなあ。楽しいのは当たり前なんだけど、それよりもこう、なんていうのかなぁ……上手く説明できなくてごめんね?」
「ううん! いいのいいの!」
申し訳なさそうに視線を向けてくる町に、慌てて両手を振る。今のだけでも、ひかりにはとても参考になった。なるほど流石は先駆者。ただただなるほど、と思わせることばかりだった。
今までのを総括するに、『そう』なのだろうか。なにせ、町の言う事すべてが当てはまってしまっているのだ。いやでもそう判断するにはまだ――
「けどそっかぁ……ひかりちゃんも、恋したんだねえ」
「うひゃ!?」
それはもうアッサリと、ご飯を食べる時に割り箸を割るほどの自然な声で町が爆弾を落とした。
ちょうどそのことを考えていたひかりからすれば堪ったものではない。肩を大げさに揺らし、弁当が落っこちそうになるのをなんとか両手で持ち直して軋みが聞こえてきそうな動作で視線を町の頭へ向ける。
「いきなりそんなことを聞いてくるから、そうかなって思ったんだけど」
「ち! 違うし!」
「そっかー、最近日下部君とぎくしゃくしてるなって思ってたけど、何かあったんだ?」
「人の話を聞いてよ!?」
まるで身体だけしかないかのように無視される。いや、頭はその身体の上にあるから聞こえているはずなのに、このデュラハンはわかっててそうやっているのだ。
挙句、相手も彼だと決めつけられ、ひかりはいよいよ声を荒げる。怒っているわけではなく、単純にどう反応すればいいか困るのだ。
「ひまりさんだって心配してるんだから、早く元に戻りなよ?」
「そんなの! ……む、むりだよ」
否定しようとして――諦めた。ひまりが心配してたと聞き、更にそれを伝えた町も気遣わしげな様子だったからだ。不安にさせちゃってごめんねと言いたいところではあるが、前みたいに戻れるなんてひかりは思っていないから、自然と弱弱しい声になる。
何せ、決定的な一言を聞いてしまったのだ。一言一句諳んじれるくらいに脳内で再生される程の強烈な言葉を、吸血鬼の
「どうして?」
「どうして、って……」
こんなの、言える訳がない。本人の名誉のためにとかそれ以前に、恥ずかしすぎて無理だ。
言葉に詰まったひかりに、町も無理に聞き出そうとは思っていないのかご飯を食べる手を止めない。
「……もしだよ? もし恋愛してるとしてだよ? 私
「それがどうしたの?」
「恋愛、不利にならないかな?」
「ひかりちゃんが
もちろん、有利にもならないけどね――自分の不安に対して真摯に語る町の姿は、ひかりから見てとても大人の姿をしていた。
「そもそも! 私がデートしたいって悩んでた時に『デュラハンだからどうしたの?』って言った挙句、無理矢理先生とデートさせたのひかりちゃんじゃん!」
「そ、それはそうだけど……」
あの頃は恋愛を知らなかった。ただ知識でそうなのだと思っていただけで、実際に自分が同じ状況に陥った時、なんと不安なことか。
自分が
でも、もし彼に何か言われたらと考えると怖い。そんなこと言う人じゃないと知っていても、答えがわかっていても、怖いものは怖い。だから自分から行動が移せない。
招かれなければ家に入れなかった吸血鬼みたいだな、なんて自分のことながら呆れてしまう。面と向かって、直接言われなければ不安は取り除けない。そういうところまで発揮しなくてもいいのに。
「日下部君が声かけた時に逃げないでね?」
「うっ!」
「ひかりちゃん……」
「さ、流石にマッチーに相談乗ってもらってるのにそんなことはしないって!」
相談してなかったらずっと整理が付かずに逃げてたかも、というのは否定しない。何を言い出すかわからないし、そうやって何も考えずに言ったことで傷つけてしまうかもしれなかったし。
でも今はちょっとでも自分の気持ちに整理が出来たし、こうやって力になってくれた町の手前、逃げ続けるのは町にも失礼だから、しない。
「でも予想外だったなー」
「え?」
「ひかりちゃんが異性を好きになったらぐいぐい行くかと思ってた」
「どうなのかなぁ……私にもそれはわからないや」
――だって、今は彼のこと以外を考えるのは出来そうにないもん。
町の意外そうな声に、ひかりは曖昧な言葉で返す。もっとも、言葉に出さないだけでそれは永遠にわからない方がいいなあと思っていた。
「……あれ?」
昼休みの残り時間も少ない。町に比べて食べる速度が色々あって遅かったひかりはそれらを一気に胃袋へと収め、箸を挟んでごちそうさまをしたあと何気なく視線を向けた場所、窓を隔てた先の廊下で件の彼と自分の双子の妹が楽しそうに話しているのを見つけた。
人がこんなにも彼のことで悩んでいるのに、その彼と来たらあろうことか、妹と楽しそうにしている――そんな光景を見たひかりはその心を瞬時に別の感情へと昇華させた。
「よおおおおおくわかった……! 一度じっくりと話し合う必要があるって……!」
ぎりぎりと歯を食いしばる。ベクトルが違えど、こんなにも怒りの感情が大きくなったのは久しぶりだった。
数日まともに会話しないだけで、他の女の子に鞍替えですかそうですか、しかも自分の妹とはどういうことだと。
その様子を見ていた町京子は、その時が来た場合に助けを求められても断固として首を突っ込まないことを決意する。
デュラハンの
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