その日の三葉をたった一言で言い表すとするならば、それは――主婦、であった。
動きやすいシャツの上からエプロンを着て、瀧を見送ってから三葉がしたのは、まずはシーツを洗うこと。
その前日の出来事から血で汚れたシーツを綺麗に洗い、更にそこから家中の掃除。更に少しだけ溜まっていた洗濯物を洗い、更にそれを外に干す。
……その際に掛かっている時間は、本当にわずかだ。
その辺りは長年の家事経験から来るものがあるが、それにしてもテキパキしていた。
お昼になる頃には家のことを全て終え、瀧が帰ってくるまで暇になっているのが現状の三葉なのである。
「ふぁ……。瀧くん、早く帰ってこないかなー」
あくびを漏らしながら、瀧の帰りを心待ちにする三葉。
……先日の出来事があるからか、三葉は今すぐにでも瀧に甘えたい気分満載なのである。もちろん三葉なりにも年上として彼を引っ張りたいという願望はあるものの、瀧はなんというのだろう――年下なのに、年下のように思えない。
三葉の中にそのような認識があるのだ。
思えば三葉と瀧が最初に出会ってからほどなくして、瀧は三葉を年上と知った。にもかかわらず、瀧はごく自然と彼女のことを「三葉」と呼んだ。
『――三葉、か。いい名前だな……って、すいません! 初対面なのに、年上の人に』
『……別に、いいよ? なんか、君に――瀧くんにそう呼ばれるのは、すごくしっくりくるから』
『……じゃあ、三葉で』
『う、うん』
『『…………あ、時間が』』
――瀧と三葉の最初の頃の会話は、そのようなものであったのだった。
最初は本当に二言三言を掛け合っただけで、そこから時間の問題ですぐに別れた。
とりあえず連絡先を交換し、互いの顔を忘れないために適当な顔写真を送り合って――それも三葉は、とても昔のことのように感じた。
「……もう三ヶ月なんだよね。瀧くんと恋人になって――っていうか付き合って三ヶ月でしちゃうって早いのかな?」
何分、彼女の周りにはあまりそのような経験の豊富な人物はいないため、参考になる人物は皆無である。
頼みの綱の奥寺ミキも経験自体は実は少ないから、比較対象というものはない。
……ただ、はっきりなことを言ってしまえば、そこにあまり関心があるわけではないのだが。
――自分たちが早いか遅いかなんて、正直にいえばどうでもいい。三葉にとって重要なのは、瀧についてだけだ。
もし瀧がもっと早く三葉とこのような関係を望んでいたのならば、逆にまだ早いと思っていたのならば。その不安の方が大きい。
……同じことを瀧も考えているということを、三葉はきっと思いつかないのだろうが。
「……ダメダメ。あれやよ、はまっちゃいそうで怖い――っていうか初体験二日目でまたしたいとか乱れすぎやよぉ」
――実際のところは頭の中はピンクなお花畑であるのだが。
三葉は気分転換というようにすっと立ち上がり、伸びをする。
……するとそのとき、彼女のスマートフォンが鳴り響いた。
「……はい、もしもし」
『あ、お姉ちゃん? もしもし、四葉やよ。今時間良い?』
その相手は彼女の妹の四葉であり、四葉はいつも通りの軽快な声で三葉に話しかけた。
「ええけど……どうしたん?」
『今日ってお姉ちゃん、晩御飯どうするん? なんかね、お婆ちゃんが今日は糸守の他のお友達とこぞって遊びに行くらしいから、四葉、今家に一人なんよー』
「誰かと食べに行けばいいんじゃない?」
『……おねえちゃん、つめたーい。瀧くんなら優しいから、じゃあ家に来るか? ってくらいは言うと思うのになー』
「……まぁ、
三葉は「私の」の部分を妙に強調しながらそう言うと、四葉は少し引き笑いを漏らした。
あまり誇示欲のない三葉がそうするのは非常に珍しいのだろう。
『ともかく! 妹としてはお姉ちゃんとお兄ちゃんと一緒に楽しく晩御飯を食べたいの! ねー、ダメぇ?』
「ん~……」
三葉は少し考える。
正直なことを言えば、瀧と二人でいるのが理想である――が、今日の精神状態で二人きりになれば、また今日もしてしまうと三葉は思った。
瀧は確かに、鋼の理性を持ってはいる。だが三葉は、その理性を容易に壊す方法を知ってしまったわけで。
……簡単にいえばまだ余韻を楽しんでいたいのだ。
しかし四葉が絡むと毎回何かが起こるため、三葉はかなり渋る。
「ってか何か自然とお兄ちゃんって呼んでるよね、四葉」
『え? ……まぁ、瀧くんって色々頼りになるし、理想のお兄ちゃん像?ってやつ。私たちの家系って中々頼りになる男の人がいないからさ』
「あ、それは同感やよ。お父さんは……うん」
仲違いの時期が長いため、未だに実父とそりが合わない三葉。四葉の言葉を聞いてただただ納得してしまった――それと同時に心配もあった。
それは四葉が瀧に懐きすぎているという点だ。
別に仲がいいのはかまわない。むしろもっと仲良くしてほしい――ただ、心配なのは四葉のこと。
三葉の目から見て、あそこまで男性に興味を持つ四葉を見るのは初めてだった。
根本な部分で自分と似ている妹だからか、四葉は初恋すらしたことがない。
……その初恋がもし、瀧ならば。これほど残酷なことはないと思った。
今はまだいい。四葉の中で瀧は姉の恋人で、兄のような存在で、ある意味では最も頼りになる異性であるから。だが何かが一転すれば、それは恋心に変わる要因ばかりだ。
――姉として、妹には幸せになってほしい。その願いはどうしても叶えたいのだ。
だからこそ、三葉は四葉と瀧を一緒にいさせても良いのかと考える。
そこには、自分の感情はあまり入っていなかった。
「――四葉は、どうしても来たい?」
『うん。最近一番楽しいって思えるのってお姉ちゃんと瀧くんと一緒にいるときなんやよ。だから、ね? お願い!』
「……あぁ、もうわかったからええよ。仕方ないなぁー、あんたは」
三葉は肩から力を抜いて、嘆息する。
しかし微笑を漏らしていると、電話越しからも分かる程の四葉の喜びの声が聞こえた。
『お姉ちゃんやっぱり大好きー! じゃあすぐに――』
「あ、でも今は瀧くんいないから。それとちゃんと瀧くんにも許可を取ること! それはちゃんと守りなさい」
しかししっかりと咎めるところは咎めるあたり、三葉は立派な姉なのであった。
――そんなとき、唐突にインターホンが鳴り響いた。
「あれ、なんやろ――ごめんね、四葉。誰かが来たみたいだから、電話切るね」
『うん! じゃあまた後でね!!』
三葉は電話を切り、そのまま玄関に向かった。
……何か荷物だろうか、と思う三葉だが、自分がこの家の住人ではないため、少し扉を開けることを躊躇う。
――すると、玄関口から何か一人言が聞こえた。
「……瀧は留守か。休日ならあいつのことだから、家でゴロゴロしてると思ったんだがな」
――鍵穴に鍵が刺さる金属音がする。
三葉がドアノブに手をかける前に鍵は開き、そしてそのまま扉は開かれた。
「瀧ー、いるなら返事し……ろ」
「あ、あの……」
……玄関口で無言になる三葉と、瀧の名前を叫んだ眼鏡を掛けた中年の男性。
その男性は三葉の姿を見るなり目を丸くして、キョロキョロと辺りを見回す。
三葉はなんとも言えず片手で反対の腕を抑えながら、居心地の悪い顔をしていた。
――その男性は眼鏡をクイッとあげて、一度玄関から出て家の表札を確認する。
そこにはもちろん「立花」と書かれており、それを確認すると再度玄関から家の中に入った。
そして満を持して――
「――どなたですか?」
「で、ですよねー」
ごく当たり前の疑問を三葉に語りかけたのであった。
○●○●
「これ、粗茶です」
「あぁ、これはどうも」
三葉は瀧の関係者であろう男性をリビングに招いて、グラスにお茶を淹れて男性の前にそっと置いた。
……男性は特に乱すことなくお茶を飲み、三葉が対面に座るのを確認してグラスを机の上に置き、その上で尋ねた。
「それで、そろそろ聞かせてもらってもいいかな? まさか客人を招く泥棒がいるわけでもないし、その格好を見る限り……瀧の友人、ないし親しい人物で良いか?」
「は、はい。瀧くんとはとても仲良くさせていただいています――ところで、あなたは?」
「あぁ、申し遅れたね――私は瀧の父さ」
「お、お父さん!?」
三葉は瀧の父の言葉を聞いて、目を見開いて驚く。
……それと同時に納得もした。確かに父親でなければ部屋の合鍵は持っていないだろうと。
それにどことなく彼と瀧は似ているからこそ、彼の言うことが正しいと三葉は認識した。
「はは、まぁ君も突然のことで驚くよな」
「え、ええ。……でもその、立花さんはそんなに驚いていないんですね」
「まぁ、見ず知らずの人間が家にいたときこそ驚いたが、今ではな。驚いても仕方ないだろ?」
……雰囲気こそ違えど、本当に瀧にそっくりだと三葉は思った。いや、この場合は瀧が父親に似ているといえばいいだろうか。
思えば瀧はここぞという時は意外と冷静だと三葉は思った。それは先日の同僚騒ぎもそうであるのだが。
「――それで、はっきりさせよう。君は瀧の恋人か?」
……すると、立花は目をすっと細めてそう問いただした。
その目は真剣そのもので、三葉はつい背筋をピシッとさせた。
「――はい。私は立花瀧くんとお付き合いさせて頂いている、宮水三葉と申します!」
「……そうか。あいつにも、やっと恋人ができたんだな」
――三葉の気持ちのいいほどの断言と自己紹介を受けて、立花は眼鏡をスッとはずして微笑を浮かべた。
……その顔は親の顔だ。心の底から子供の幸せを知り、喜んでいる顔だ。
三葉はその顔が自分の祖母と同じように映り、たったそれだけで立花が瀧を大切にしているということが理解できた。
「三葉ちゃん、で良いかな? 最近のあいつはどうだ? あの野郎は電話の一本も俺のところによこさないからな。たまに顔を見に来るんだが――あいつは幸せか?」
「……はい。瀧くんはいつも笑顔で、私を支えてくれています。その笑顔の一端に私が少しでも入っていればいいんですけどね?」
「……そうか」
三葉が少し照れ気味にそう言うと、立花は一言だけそう言葉を漏らして再度眼鏡を掛けた。
「知らない間に随分と可愛い彼女を作ったものだな、瀧も――後で色々と問い詰めようか」
「か、可愛いって……お父さん、上手ですね」
「――お父さん、か」
三葉が小さくお父さんと言うと、立花は少し懐かしそうな表情になった。
「そういえば瀧も小さい頃はお父さん、お父さんって甘えてきたものだなぁって思ってな。うちは長いこと男二人だったからか、思春期迎える頃にはオヤジだのおっさんだの――思い出しただけで腹が立ってきた」
「あ、あはは……でも瀧くんが良い男性に育ったのは、お父さんが瀧くんをしっかりと良い子に育てたからですよ」
「……そんなこともないさ。俺は基本、放任主義だからな」
すると立花はグラスを片手で掴んで、そう昔を思い出すように呟いた。
「なんていうんだろうな。俺は、いざというときのあいつを止められる存在でいたかったんだ。あいつの人生だからあいつの自由にすれば良い。でも間違ったことだけは止める――そんな父親が俺だ。まぁあいつは割と良い子で育ったから、たまに喧嘩して呼び出されるくらいしか問題はなかったんだけどな」
「瀧くん、意外と血気盛んだったらしいですね」
「ああ――ただ、いつかだったな。あいつが高校生のとき、俺を久しぶりにお父さんって呼んでくれたんだ。そのときはあいつと色々なことを話して、色々なことを知ったよ。日記をつけているとか、カフェ巡りをしているとか、意外と女子力が高いとか、気になる先輩がいるとか……そのとき、俺の息子はしっかりと育っているんだって思ったな。ちょっとは可愛いところあるじゃねぇかってな」
三葉は立花の発言の一部を聞いて少しばかり反応しつつ、思う――本当に、優しい表情であると。
立花は本当に子供のことが大切で、その話の端々からそれが感じ取れた。彼は自分のことを放任主義と言ったが、三葉はそうとは思わなかった。
むしろ三葉にはこう思えたのだ。
「――信じていたんですね、瀧くんのこと」
――三葉はそう思えて仕方がなかった。
立花は瀧のことを、息子のことを信じているからこそ、瀧の自主性を尊重した。
そして瀧のことを信じられる過程を――そこまで育てたのは他の誰でもない立花なのだ。
三葉はそのような思いを全て詰め込んだ言葉を立花にぶつけると、彼は三葉にニコリと笑った。
「――ありがとうな、三葉ちゃん」
「……はいっ」
……やっぱり親子だと思った。
三葉は彼の笑顔を見たとき、自分の最愛の人を思い出した。
――やはりこの人は瀧くんの父なのだと、改めて思った。じゃなければ三葉が瀧以外の男性を魅力ある人物と思うはずがない。
……三葉は全く以って無意識だろう。彼女の立花への接し方が、自分が心から気に入られる所以となっていることを。
――瀧は以前言っていた。三葉ならば、絶対に気に入られると。
……そもそも瀧が好きになるような女性を、親である立花が気に入らないはずがないのだ。
「……ところで、だ。さっき俺が言ったことに反応したよな?」
「……え」
「とぼけてもダメだぞ?そりゃあ気になるよな、彼氏が昔、自分じゃない女を気になっていたなんて」
三葉は図星を突かれてつい目を丸めて驚いてしまう。
立花は少し悪戯な笑みを浮かべながら三葉の反応を見て楽しんでいた。
……三葉が反応したこととは、瀧が昔気になっていた女性についてのことである。それについてはミキからも聞いていない情報だからこそ、気になるのだ。
――ミキが三葉に伝えていないのは、単純にその相手が自分自身であるのだが。
「そ、それは気にならないって言えば嘘になりますけど……」
「はは、素直で良いな。まぁ俺もそんなに知っているわけじゃないから知らないんだけどなー」
「あ、からかいました!?やっぱりお父さん、瀧くんの親です!」
三葉が怒ったふりをしながらそう言うと、立花はすまんすまんと冗談のように謝る。
……しかしすぐに穏やかな笑みを浮かべながら、こう言った。
「まぁ安心していい。あいつは俺に恋愛観も似ているから」
「……恋愛観、ですか?」
「そうだ。……瀧から聞いていないだろうな。――俺の妻のこと。つまりあいつの母親のことさ」
……思えばそうだ、と三葉は思った。確かに三葉は瀧から母親のことを聞いたことがなかった。
もちろん瀧はそれを黙っていたわけではなく――知らないことは言えなかったからである。
「……妻はな、あいつを生んで数年経って亡くなったんだよ。まだあいつ物心がつく前だから、覚えていないんだろうけどな」
立花は少し寂しそうな表情をしながら、部屋にある一冊のアルバムを引き出し、そこの写真の一枚を三葉に手渡した。
三葉はそれを見ると、そこにはまだ3歳にも満たない瀧と立花、そして三葉の知らない綺麗な女性が瀧を抱っこして映っていた。
「……身体が弱かったんだ。瀧のことも本当は産むことも出来ないような身体なのに、どうしても生むと聞かなくてな――ただ瀧を愛していた。そんなあいつのことを、俺はどうしようもなく愛していたんだ」
それは瀧ですら知らないことだった。
「俺が再婚しないのは、もう二度と誰かに惚れることがないから。一度本気で惚れたらそいつ以外は眼中にない――瀧も同じだからな」
「……はい。それはもう、わかってますよ」
――三葉は立花の言葉に笑顔を浮かべてそう返した。
「瀧くんがあんなに素敵な男性に育ったのは、きっと瀧くんに比べようのない愛をずっと抱き続けた両親が居たから――やから、私も二人に負けないくらい瀧くんを愛します」
「…………本当に、気持ちいいくらい素直なんだな――不肖の息子だが、よろしく頼むな」
「――はい!」
――これが瀧の父と三葉の突然の出会いだった。
○●◯●
お鍋を突きながら事の次第を聞いていた瀧と四葉は、今日初めて会ったにも関わらず既に仲の良い二人を見て、呆然とするしかなかった。
何よりも瀧は、三葉が完全に外堀を埋めたことにただただ驚いている。
――なんともいえない気分のまま、瀧は前の席の四葉と目を合わせた。
自然体の三葉とは違って瀧の父との初対面で緊張している赴きであり、困っている目で瀧を見つめている。
そんな四葉を見て内心同情する瀧であるが、それとは他所に三葉は愛想を振りまくように立花のお膳に鍋の具材を綺麗に盛って渡していた。
「はい、お父さん!どうぞ!」
「おう、すまないな、三葉ちゃん――瀧、知らない間に良い彼女が出来て、父さん嬉しいぞ」
「やだなー、お父さんったらー」
「「…………」」
そんな仲睦まじい二人を見て、瀧と四葉は席を立ってコソコソと耳打ちをし合う。
「……お前の姉ちゃんすげぇな。おっさんキラーじゃん」
「わ、私も初めて見るよ。とりあえず実のお父さんより懐いているあの姿見たら、お父さんたぶん鬱になるよ」
「あぁ、違いない。ってか展開が急すぎてついていけてないのは俺だけか?」
「安心してお兄ちゃん、四葉も全くついていけてないから」
「そ、そうだよな?」
「うん」
またしても瀧と四葉の仲が良くなるに、二人はうんうんと頷き合う。
それを見た三葉はといえば――
「瀧くん、四葉ー? そんなところで二人こそこそどうしたんー?」
「瀧ぃ、若いからって女子高生に手を出しちゃいかんぞ? 浮気か?」
ニッコリと笑う三葉と、それを煽ってくる立花。
既に謎の連携を見せている二人に、瀧と四葉はただただ溜息を吐くだけであった。
――そんな謎の緊張感のある食事を終えて、瀧は現在、玄関口にいた。
リビングには食器を洗っている三葉と四葉がおり、この場にいるのは立花親子のみ。
何故玄関なのかと問われれば、立花がもう帰らなければならないからだ。
「んで親父よ。なんでこんなことになったんだ?」
「なんでと言われてもな。俺はたまたま近くを寄ったからお前の顔を見にきたら、家に知らない女がいたんだ。それで三葉ちゃんと話す中で仲良くなった。はい、以上」
「その過程を詳しく知りたいんだけど!?」
「お? 俺に嫉妬か? おっさんに嫉妬とは、お前もちっぽけな男だなぁ~」
――額に青筋が浮かび上がる錯覚に囚われる瀧。
引き笑いをしながらそっと拳が震えるのだが、立花は相変わらず豪胆に笑っていた。
「……なんてな。っていうかお前がそんなことねぇってことを一番理解してるか」
「――当たり前だろ? 俺が知りたいのは、親父が俺のどこまでを話したかってことだよ」
「……まぁ大体?」
「――親父ぃぃぃ!!」
掴み掛かろうとする瀧をさっと避ける立花。
やはり親子といえど、あしらい方は父親の方が上なのであった。
「――まぁ、なんだ。あの子を絶対に離すなよ? 俺、三葉ちゃん以外は認めないからな」
「……おう。っていうか気に入りすぎだから」
「――あの子を見てたら、
――立花の言うことが何を指すかはわからない。
ただその表情は穏やかで、それだけを言ってドアノブに手を掛けて扉を開いた。
「また来る。そのときも三葉ちゃん、呼んでおけよ?」
「じゃあ事前に連絡しろ。それと肉屋のおっちゃんが偶には連絡しろって言ってたぞ」
「……いきなり来るから面白いんだろ」
立花はニヤッと笑いながらそう言うと、瀧は頭を抑えて溜息を吐いた。
……しかし久しぶりに父親の顔を見れたことは素直に嬉しかったから、そっと手を振った。
「また連絡するよ――お父さん」
「……おう」
まるでしてやられたといった顔をする立花。
そして思った――自分は自分で思っている以上に、愛していた妻と同じくらいこの馬鹿息子のことを愛しているんだと。
……しかし瀧の父親として、してやられて終わるわけにはいかない。
そう思い、立花は別れ際に――
「んじゃな――それと卒業おめでとう。初夜はどうだった?」
「んなっっっっ!? ち、ちょっと待て親父!! それ誰に聞いた!? おい、扉閉めんな!! いいから弁明しろぉぉ!!!」
――そんな爆弾を言い捨てて、そのまま帰っていってしまったのであった。
瀧の叫びを聞いて、リビングからひょっこり顔を除かせる宮水姉妹は目をクリッと見開いて彼を見ていた。
……家を後にする立花は、瀧たちの部屋をじっと見て、優しげな笑みを浮かべる。
眼鏡をクイッと位置を直して、すっと呟いた。
「――俺たちの息子は、幸せになったよ。だからお前は、
――虚空を見つめるように立花はそう言うと、そのまま自分の家に帰っていく。
……それが何を意味しているかは、定かではないが。だがその虚空に、何か暖かいものがあるのかもしれない――。
○●○●
……夜、瀧の部屋でくつろぐ宮水姉妹の姿があった。
既に時間は午後10時を回っており、瀧はいつまで経っても帰る気配のない二人に首を傾げる。
三葉はともかく、何故四葉が帰らないのだろうと。そう思っていた。
「四葉、お前時間――」
「お姉ちゃん、そういえば最近買った服かわいいね。今度貸してよ」
「え? べ、別にええけど……四葉、そろそろ」
「――瀧くんもこっちに来て一緒に話そ!」
瀧と三葉が時間のことを言おうとすると、それを遮るように言動する四葉。
四葉は瀧の腕を引っ張り、自分と三葉の間に強制的に座らせた。
ベッドの上で美人姉妹に近距離で挟まれる瀧。男冥利に尽きる羨ましい状況であるのだが、そのような状況になればなるほど、三葉の審査が入るのだ。
……しかしながら、なるほどと瀧は思った。
「四葉よ。お前な……」
「……だめ?」
瀧は何かに気づいたように頭を抱えると、四葉はわかりやすく上目遣いで瀧を見つめ、両手の平を合わせた。
瀧は四葉の荷物のリュックサックを見る。明らかにただ遊びに来るほどの大きさではない。
今日は土曜日であり、明日は休日――四葉の狙いは火を見るより明らかだ。
「……ったく、お前はな――三葉。こいつ、今日ここに泊まっていく気満々だぞ」
「え? ……四葉?」
「っ……。だ、だって……私も、もっとお姉ちゃんと瀧くんと遊びたいし……。それはね? 二人からしたら邪魔だって思うし、その……そ、そういうことするなら、しばらく部屋には入らないし……」
「「四葉?」」
二人の威圧的な声が重なり、四葉は萎縮するように身体を縮こませる。
……そんな小動物のような彼女を見て、瀧は溜息を吐きながら彼女の頭にポンと手を置いた。
「お前はませてるっていうか、耳年増っていうかさ――泊まりたいなら最初から素直に言えよ、馬鹿妹が」
「別に頭ごなしに駄目って言うわけじゃないんやからね? 本当に、あんたって変なとこ不器用やよ」
……まるで姉と兄が妹を可愛がるように、四葉の頭を優しくなでる。
――幼少期に頃に母を亡くして、父親も別居。女三人の末っ子であった四葉は小さい頃からしっかりとした子だった。
家事も積極的に手伝って巫女としての役割も進んで引き受けていた。だがそこに、誰かに甘えるということは少なかった。
……その反動からか、ここ最近の四葉は遅い甘え期のようなものに掛かっていた。彼女からしたらそれは心地いいもので、それは姉である三葉と既に兄のような存在である瀧の二人から与えられるもの。
――瀧と三葉は互いに苦笑いを浮かべながら、仕方ないと思っていた。
「――ありがとう、お姉ちゃん、お兄ちゃん!」
「だから瀧くんに対するアクセントが違う!」
「……まぁ別に、いいんじゃね?」
――あながち、お兄ちゃんという言葉に対して満更でもない瀧であった。
それから三人でボードゲームをしたり、カードゲームをしたり、はたまた最近の出来事の話をしたり……。
その際に瀧と三葉は互いに奥寺ミキと勅使河原克彦に出会っていたということを知ったりした。
そのように時間を過ごし、三人ともお風呂を済ませ、いざ就寝と思い瀧はリビングに布団を敷いたのだが――
「四葉、あんたなぁ……」
「え~、いいでしょー?」
「……おいおい、お前マジか」
――現在、瀧と三葉の間に入り込むように、ベッドの上で川の字になる三人。
ほぼほぼ四葉の強行である。
しかし問題は、瀧の部屋のベッドは二人ならばゆったりできるサイズのベッドだ。
それを三人で眠るとなると、自然と距離がほぼ無くなるのだ。
「一回こういうの憧れてたんだよねー」
「よ、四葉? 瀧くんは理性の塊だけど、それでも男の子なんやよ? 流石にこれは……」
「何々? もしかしておねえちゃん、瀧くんが四葉の若さに負けて襲っちゃうとか思ってるのー? 自分に自信ないんだー♪」
「――ほぉ?」
四葉の煽りに簡単に引っかかる三葉。
ピキッとはっきり音が聞こえるほど三葉の表情は強張った。
「彼氏もおらんお子様が、言うもんやね」
「25歳になるまで彼氏もおらんかった生娘が、何を偉そうに」
「――私は! 作れないんじゃなくて作んなかったの!」
「そんなの私も一緒やもん! 四葉、学校で超モテてるもん!」
「じゃあすぐ作ったらええんやよ!」
瀧の左側で寝転びながら姉妹喧嘩をする二人。瀧はそれに関わりたくないため、そっと二人に背中を向けてすぐに寝ようとした。
「そ、それは……」
……三葉の言葉に、四葉は言葉を失う。
そして――瀧のパジャマを、キュッと引っ張った。
「……好きになれる人が、いないんだから仕方ないもんっ」
「……四葉」
――今朝の危惧が、三葉の脳裏を掠めた。
四葉が瀧のことを懐きすぎているのは、彼のことを素敵な男性と見ているからではないか。だからこうも絡んでくるのではないか。
……三葉はすっと、四葉を抱きしめた。
「……お姉ちゃん?」
「……どう? お姉ちゃんに抱きしめられたら、どう思う?」
「……安心する。あったかくて、柔らかくて……」
四葉は思ったことをそのまま口にすると、そっと抱きしめるのをやめた。
途端に四葉は「あっ……」と名残惜しい声を漏らし、三葉の顔を暗闇の中から覗く。
「……ねぇ瀧くん――四葉のこと、抱きしめてあげてくれない?」
「……は?」
――三葉の突然のお願いに、それまで無関心を決め込んでいた瀧が振り返ってそう反応する。
流石の四葉もそれには驚いて、瀧と三葉の顔を交互に見た。
「お、お姉ちゃん!? な、何言っとるん!?」
「いいから――お願い瀧くん。いつも私にしてるみたいに、お願い」
「……三葉がそれで良いのなら」
……瀧は三葉の思惑を感じ取ったのか、そっと四葉の身体を寄せて――優しく、包み込むように抱きしめた。
「た、瀧くん……」
正面から抱きしめられる四葉は瀧の胸に顔を埋め、そのままなされるままに抱きしめられる。
――にも関わらず、彼女が感じたのは胸を張り裂けそうになるほどのドキドキよりも、違うものであった。
「……ねぇ四葉。瀧くんに抱きしめられてさ、どう?」
「そ、それは……」
……男の子の癖に、少し良い匂い。石鹸に香りと、爽やかなシャンプーの匂いが四葉の鼻腔をくすぐる。
その身体は三葉よりも暖かく、抱かれる腕は意外とガッシリしていて男の子で、胸板も大きい。
……それでも、四葉は思った。
それは――
「――暖かい、よ。すごく、安心する……男の子に抱きしめられたのは初めてなのに、ドキドキするよりも、安心さが先だなんて……」
――三葉に抱きしめられたときと、同じ感覚だった。感触の違いはあれど、四葉は確かに瀧と姉に同じ感情と安堵を覚えた。
いつまでも抱きしめてもらいたい……そんな感情。
それが恋愛感情なのかといわれれば、今の四葉ならば断言できる。
――これは恋愛感情のようで違う、親愛的な感情であると。
ただ一緒にいると安心できて、抱きしめられるだけで眠たくなってしまうほど自分を任せたくなる。そんな家族のような感情。
そう……家族になりたいのだ。四葉は瀧と、そして三葉とその関係を望んでいる。
そう自覚したとき、四葉は気づいた。
「……そっか――ありがと、お姉ちゃん」
「……いいんやよ。だって、お姉ちゃんなんだから」
それを気づかせてくれたこと、自分のことを気遣い続けてくれたこと、恋人を貸してくれたこと――その全てに四葉は「ありがとう」と言葉を漏らす。
そんな四葉の頭を撫でる三葉。
……瀧はそんな二人を見て、思った。
「(似たものどうし、だよな――みんな)」
――四葉は姉に撫でられ、瀧に抱きしめられて、次第にまどろみに包まれる。
それは深い眠りになり、そして気づいたときには安らかな吐息を漏らして、眠りについていた。
瀧はそっと四葉を抱きしめるのをやめて、肩肘をつけながら寝ると、ふいに三葉と目が合った。
「……四葉ね、きっと揺れてたの。初めての感情に」
「……そっか。だから」
「うん。自分の中ではっきりしてほしかった。だから荒療治だけど、こうしたんだけど――でも不思議と瀧くんと四葉がくっつていても、あんまり嫉妬はしなかったんやよ?」
「……三葉。ちょっと顔、寄せて?」
「え、良いけど……」
三葉はベッドの上で上体を起こし、四葉をはさんで顔を瀧の方に寄せる――すると瀧は同じように上体を起こして、三葉の頬に手を添えてキスをした。
「ん……」
……三葉はそれを驚かずに受け入れ、むしろ深く瀧の唇を求める――昨晩のように。
――流れるのは淫らな水滴の音。舌と舌が絡まる音。ベッドが少し軋む音。
そして――四葉の穏やかな吐息。
「……駄目、今日はお預け」
……三葉を求める瀧を、彼女はそっと身体を離してそう言った。
離れる唇からは糸を引くように唾液が繋がっており、三葉の頬はもちろん真っ赤だ。
――それでも三葉は落ち着いた声音で瀧を止める。
「……だよな。ごめん……昨日のこと思い出したら、急に三葉がほしくなって」
「……いやじゃないんだよ? でも――今日くらいは四葉の傍にずっといてあげたいなって思って」
……そんな家族に優しい三葉だからこそ、瀧は彼女に惚れた。
――瀧と三葉は互いに気持ちを入れ替えて、そっと四葉の両手を互いに握る。
「……今だけやよ、四葉。お姉ちゃんがこんなに甘いんは」
「じゃあ三葉が厳しくするんなら、俺はげろ甘くなろうかな?」
瀧がそんな軽口を叩くと、三葉はニッコリと笑った。
「別にええけど、その分オハナシするからね?」
「……ほどほどに、甘くします」
「――よろしい♪」
――そんな会話をしつつ、瀧と三葉も次第に眠りにつく。
しかしその握る手は決して離さず、三人は仲良く川の字で眠った。
――そんな中、ふと小さな寝言が部屋に響いた。
「――だいすき……」
……そう呟く彼女の寝顔は、本当に幸せそうなものであった。
さて、前回の欲望が抑えられず、色々と詰め込んだ今回のテーマはずばり「家族」です!
今回は自分でも割りと自信作かもしれないです!←作者が明言するのは珍しい
まあ自分で納得していても周りがそうじゃないかもしれないので、そこらへんは教えていただけるとありがたいです!
……ってことでの16話ですが、実は再会編突入してからまだ劇中では2日しか経過していないという(笑)
続き物としては一旦切れて、次回はまた新しい再会のお話になります!
あえて今回は何も言わず、次回をお楽しみにしていただきましょう!
あ、それと色々と考えた結果、四葉をメインに考えた外伝を書こうかなと思います。
この小説内に今後「外伝編」という章を作って、本編と共に更新していこうかなと。
ただ注意なのですが、完全なるイフストーリーとなる上に、本編とは違いシリアス色が強めの話になります。
どんな内容をするかは完全にはいいませんが、バタフライエフェクトを使った「あのときの行動で、何が変わるか」というコンセプトの小説です。
もし本編のような完全な甘々なストーリーだけを見たいという方が多いようなら、作品を分けたりするなどの処置はするので、そこらへんで意見があるなら感想ついでに一言つけていただければ嬉しいです!
それでは長くなりましたが、また次回の更新をお待ちください!