やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。   作:春雨2

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番外編 プロデューサーの休日。

 

 

 

とある日のとある朝。

 

 

 

いつものように目覚まし時計に起きる時間を告げられ、いつものように眠い目を擦り起き上がる。

日に日に段々と、この音が不快になっていくのが自分でも分かる。冬とか特に。布団の魔力ったらよ。

 

これはあれだなー、録音式の目覚まし時計とかを買って、好きな曲でも流そうか。そうすりゃ少しは気分の良い朝を迎えられるかもしれん。

 

 

そんな風にぼんやりと考え事をしながら、顔を洗い、歯を磨き、着替えを済ませる。リビングからはかすかに朝食の良い匂いが漂ってきていた。

 

しかし学生の頃ですらあんなに朝はキツいと思っていたのに、仕事を始めたら更にキツく感じるようになったな。世の社畜ちゃんたちへ本当に労いの言葉を送りたい。そして俺も送られたい。

 

だがまぁ、自分の境遇に関して言えば、俺が好きでやってる事だしな。

自業自得、って言うとあれだな。何か悪い意味に聞こえる。因果応報……身から出た錆? どんどん遠ざかってんな。

 

 

 

八幡「ん?」

 

 

 

ふと、朝食にありつこうとリビングを横切った時、テレビ画面が目に入る。

 

映っているのは毎朝やっている星座占い。この手の朝の情報番組じゃ定番とも言える。俺も昔は毎朝かかさず見ては一喜一憂したもんだ。いつからか憂しかない現実に嫌になって見なくなったが。

 

 

 

『今日の第一位は、獅子座のあなた!』

 

 

 

お、なんだ。俺じゃないか。よっしゃラッキー! ……別に信じているわけではないが、一位だと言われれば何となく興味を引かれる。我ながら単純だ。

 

席に着き、いただきますと手を合わせてからみそ汁に手を伸ばす。

 

 

 

『まさかのあの人と会えるかも! 憧れの人へアタックするチャーンス☆』

 

 

 

なんかイラッとする言い方だな。まさかのあの人って、俺からしたらそのワードは会いたくない人にしか使わないぞ。

 

 

 

『そして、なんだか新しいスタートの予感! その瞬間を見逃さないで!』

 

 

 

やけにぼんやりしてんなオイ。……まぁ占いのマジレスするのもどうかと思うが。でもたまにそんなラッキーアイテムどうすんの? ってチョイスがあるよな。あれ誰決めてんだ。

 

 

 

『最後に、今日のラッキーカラーは~……』

 

 

 

八幡「…………」 もぐもぐ

 

 

 

『カラーは~~………』

 

 

 

長ぇな。

 

 

 

『……すばり! 蒼です!!』

 

 

 

八幡「……」 もぐ…

 

 

 

……青?

 

 

 

『青じゃなくて、蒼です!!』

 

 

 

何故か念を押すように告げ、占いコーナーは終了した。そんなに大事なことだったのか。

 

 

 

八幡「蒼……ねぇ」

 

 

 

なんだかもう、その単語じゃあいつの事しか思い浮かばない。ラッキーカラーって言うかイメージカラーだ。そう言う意味じゃ俺は今日に限らず常にラッキーカラーと行動を共にしてる事になる。ご利益感ねぇなオイ。

 

 

 

八幡「ごちそうさん」

 

 

 

朝食を平らげ、食後の茶をすする。

 

まぁ、占いなんて結局は気休めみたいなもんだ。良い運勢ならそれだけで人は安心し、悪ければご利益があるものを身につけ、大丈夫だとまた安心する。要は気持ちの問題。結局はそんなもん。

 

藤居あたりが聞いたら怒るかもしれんが、今の俺はさすがにそこまで純粋にはなれん。やるとしても精々Twitterの診断くらい。あれなんでついやっちゃうんだろうな。くやしいけどちょっと楽しい。

 

 

 

「あれ?」

 

 

 

と、そこでリビングの扉が開いたかと思うと、素っ頓狂な声が上がる。

 

目線を向ければ、そこにいたのは相変わらず兄のシャツを勝手に着ている我が妹小町。

小町は俺の姿を捉えたまま、不思議そうな面持ちで呟いた。

 

 

 

小町「お兄ちゃん、どしたの? その格好」

 

八幡「は?」

 

 

 

どう、と言われても……

 

視線を下げ、自分の姿を見やる。

白いYシャツに、鮮やかな色のネクタイ、黒いスラックス。片手にはジャケットを持っている。紛う事無きスーツ姿であった。

 

 

 

八幡「…………」

 

小町「明日はデレプロのお仕事お休みだから、学校行くーって昨日言ってなかったっけ?」

 

八幡「……あ」

 

 

 

慣れ、とは本当に恐ろしいものだと思う。意識がはっきりしていない朝なんかは特に。

 

とりあえずは静かに席を立ち、静かにその場を後にする。小町の視線は無視。

とにかく急いで制服に着替えてクラスチェンジ! やっべーそうだった! だ、大丈夫だ。幸いまだ時間には余裕がある。

 

でもそうかー、今日は学校かー、仕事無しかー良かった良かった。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

学校、かぁ……

 

なんか、それはそれでやっぱりめんどくせぇわ。

 

 

 

そんなどうしようもない事を考えながら、俺はまたのそのそと着替えをするのであった。……やっぱ占いなんて当てになんねぇな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家を出てチャリンコに乗り、学校へと向かう。

そんな前なら当たり前な通学が、今では何とも新鮮だ。

 

こうしてると、電車乗るより全然気持ちいいな。あの通勤ラッシュはマジでヤバい。痴漢保険とか入っといた方が良いかもとマジで考える。

 

そうして軽快に走っていると、ふと胸ポケットに入れていた携帯電話が震えだす。

なんだなんだとチャリを止めてチェックしてみると、おお、画面には我が担当アイドルの名前が表示されていた。

 

 

 

八幡「もしもし」

 

凛『もしもしプロデューサー? おはよう』

 

 

 

電話に出ると、聞こえてきたのは相変わらず奇麗に澄んだ声。担当アイドル渋谷凛だ。

 

 

 

八幡「おはようさん。ラッキーカラー」

 

凛「え? 今何か言った?」

 

八幡「何でもない。こっちの話だ。……んで? 何か用か?」

 

 

 

適当に話を濁し、用件を尋ねる。

 

 

 

凛『用っていうか、今日は随分遅いから電話かけてみたんだ。もしかして寝坊?」

 

 

 

ちょっとからかうかのような凛のその問いかけ。あら、これはもしや……

 

 

 

八幡「あー……もしかして、俺言ってなかったか?」

 

凛「え? 何を?」

 

 

 

言ってないようだった。

 

思い返してみれば、確かに最近は忙しくて中々休日が中々取れず、あまりそういった話をしていなかった。この休みも、凛の仕事と重なっていなかったから急遽ちひろさんがねじ込んでくれたものだしな。

 

とはいえ担当アイドルへ連絡していないのは完全に俺のミス。凛に説明をし、素直に謝る。

 

 

 

八幡「ーーと、いうわけで今日は休み貰ってたんだ。悪かったな、ちゃんと伝えてなくて」

 

凛『いいよ、謝らないで。昨日はお互い直帰だったし、別に私も今日はレッスンだけだったからさ』

 

八幡「そう言って貰えると助かる」

 

 

 

別に相手が目の前にいるというわけでもないのに、軽く頭を下げる。なんでこれついやっちゃうんだろうな。仕事の電話とか特に。

 

 

 

凛『じゃあ折角の休みなんだから、プロデューサーもたまにはゆっくり休んでね』

 

八幡「ああ。……と言っても、今日は学校行くんだがな」

 

 

 

本当であれば家でゴロゴロしようかとは思っていたのだが、最近はあまり顔を出していなかったし、ちょっとした野暮用もある。ってか、もう平塚先生に行くと言ってしまったのが大きい。なんであの時の俺はあんなこと言っちゃったかなぁ……そしてなんで当日の朝になるとあんな嫌になんのかなぁ……

 

 

 

凛『学校……』

 

 

 

と、そこで何故か凛の声のトーンが若干下がる。

 

 

 

凛『プロデューサー、大丈夫?』

 

八幡「大丈夫って、何がだ?」

 

 

 

もしかして、折角の休日なのに休まなくても大丈夫なのか? という心配だろうか。まさか担当アイドルにそこまで心配されるとはな。まぁ、これもプロデューサー冥利に尽きるという奴か……

 

 

 

凛『いや、学園ライブの事もあるし、回りから変態プロデューサーとか蔑まれないのかなって』

 

 

 

全然違う心配だった。ドロップキックした奴が言う台詞じゃないよね!

 

 

 

八幡「えらく真剣な声音で訊くと思ったらそんな事かよ……」

 

凛『あははは。……まぁ、プロデューサーからしたら今更かな』

 

八幡「おう」

 

凛『そこは否定してよ』

 

 

 

と、また凛は小さく笑う。

あまり本気で心配しているようではなさそうだ。

 

 

 

八幡「まぁ、奉仕部にも一応顔出しときたいしな。……一人、挨拶しとかないとうるさそうなのもいるし」

 

凛『誰の事だかすぐわかるね。……じゃあ、雪乃と結衣によろしく言っといて』

 

八幡「ああ」

 

凛『そういえば今日は奈……え? ああ、うん。今行く』

 

 

 

話してる途中で誰かに呼びかけられたのか、若干声が遠さかる。

 

 

 

凛『ごめんプロデューサー、そろそろ移動だから切るね』

 

八幡「大丈夫だ。レッスンしっかりな」

 

凛『うん。それじゃ』

 

 

 

そこで通話は切れる。

かけてきた方から電話を切る、というマナーもしっかりしていてプロデューサーは嬉しいです。

 

 

 

八幡「さて……」

 

 

 

時間を確認。予想はしていたが、ちょっとこれは怪しくなってきたぞ。

まぁでも、ほら、担当アイドルとの電話を無下にするのもね? 電話しながらチャリとか、危ないし。やっぱ電話したくらいじゃラッキーカラーとは認められないのかしら……

 

 

そんな言い訳もほどほどに、俺は全力でペダルを漕ぎ出した。坂道くぅーん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「……………………はぁー……」

 

 

 

つ、疲れた……

まさか、ここまで精神的にやられるとはな……俺もさすがに予想外だった。

 

机につっぷしていると、横から怪訝な声が聞こえてくる。

 

 

 

雪ノ下「そんなに干物みたいになって、どうかしたの比企谷くん。まさか本当に干されたわけじゃないでしょうね」

 

八幡「安心しろ。俺が言うのもなんだが、うちの担当アイドルは絶賛活躍中だ」

 

雪ノ下「ええ。もちろん知っているわ」

 

 

 

つっぷしたまま顔だけ向けてみると、雪ノ下雪乃は涼やかに笑みを浮かべていた。

 

ほう。冗談だとは思ったが、まさか知っていると返されるとはな。もしかして凛のことチェックしていらっしゃる?

 

 

 

由比ヶ浜「最近テレビでよく見るようになったよねー。録画忘れないようにするの大変だよ」

 

 

 

そう困った風には言うが、由比ヶ浜結衣の表情は笑顔だ。お母さんかお前は。……確かに気持ちはわかるけど。最近録画超大変。

 

 

 

八幡「……けどまさか、その余波を俺が食らうことになるとはな」

 

雪ノ下「余波?」

 

 

 

俺の発言に首を傾げる雪ノ下。由比ヶ浜は事情を知っているため複雑そうに苦笑している。

 

 

 

 

由比ヶ浜「確かに、今日は凄かったね。休み時間とかは特に」

 

八幡「別のクラスからわざわざ見に来るとはヒマなこった」

 

 

 

そこまで言った所で合点がいったのか、雪ノ下は納得したように頷く。

 

 

 

雪ノ下「成る程。……つまりは野次馬ね」

 

 

 

その言葉で、自然と眉をよせてしまう。

 

確かに変態発言と共に俺がプロデューサーである事は公表したが、まさか凛が有名になった事でここまで俺に興味が注がれるとは思ってみなかった。

 

クラスの奴らの視線や囁きなんてまだ良い。休み時間になれば更に多くの喧騒が廊下から聞こえてくる。調子に乗ってどうでもいい話をふっかけてくる奴も中にはいた。まぁガン無視したんだが。

 

 

 

八幡「もううるせぇこと。あんなに始業のチャイムが嬉しく感じた事はねぇよ」

 

 

 

寄ってたかって、何が楽しいんだか。しかも一目見たら勝手にあんなもんかと鼻で笑って去るんだからそういう奴が一番腹立つ。凛の前でやったら小指折るからな?

 

 

 

八幡「しかも、最後の休み時間とかあいつも来たからな……」

 

由比ヶ浜「ああ、なおちんね」

 

 

 

そう、奈緒だ奈緒。なんであいつ来るかなー。しかも特に用事も無くダベりに来ただけって……君アイドルの自覚ある? いや、なんか休み時間にダベるって普通の友達っぽくて、ほんのちょっと、ほーーんのちょっとだけ嬉しかったけど、アイドルよ君?

 

……あれ、もしかして占いの“まさかの出会い”ってこの事か? 憧れの人どころか割と普段会う人なんですが。やっぱラッキーじゃねぇ。

 

 

 

由比ヶ浜「でも凄かったねー。なおちんが来たら途端にざわつきが増えたもん」

 

八幡「そら増えるわな」

 

由比ヶ浜「それでいて普通にヒッキーに話しかけるんだもん」

 

八幡「……そら気も遣うわな」

 

 

 

あまりに気にしてなかったもんだから思わず小声で注意したけど、あいつは何の気無しに「ん? ああ、もう慣れたよ」って言うんだもんよ。そらお前はアイドルだからそうかもしれんけど、俺は慣れてねーんだっつーの!

 

 

 

雪ノ下「流石に同情に値するわね。半分くらいは」

 

八幡「残りの半分は何なんだよ」

 

雪ノ下「三割は変態発言による自業自得。二割は因果応報ね」

 

八幡「それ殆ど同じ意味なんですが」

 

 

 

あるいは、身から出た錆とも言う。

 

 

 

雪ノ下「でも良かったじゃない。いつもよりは短く済んで」

 

由比ヶ浜「そうだよ。今日来れてヒッキー運が良かったね」

 

 

 

そう言って、雪ノ下と由比ヶ浜はそれぞれ“弁当”へと手をかける。

 

そう。今は昼だ。だが決して昼休みではない。放課後だ。放課後ティータイムだ。いや違う違う言いたいのはそんな事じゃなくて……

 

つまり、今日は午前授業だったのである。いわゆる半ドン。

 

……今日び半ドンとか言わないか。平塚先生くらい?

 

 

 

八幡「……メシ食ったら、お前らはどうするんだ?」

 

 

 

自分のパンを齧りつつ、二人に尋ねる。

しかしまさか部室で三人で昼飯を食うことになるとはな。ある意味じゃとても珍しい。

 

 

 

由比ヶ浜「あたしはこの後優美子たちと予定あるから、食べたら行くよ」

 

雪ノ下「私も予定があるわ。だから部活は今日は休み。……それとも、あなただけでもやっていく?」

 

 

 

意地の悪いような笑みで尋ねてくる雪ノ下。俺がどう答えるか分かってて聞いてるだろお前。

 

 

 

八幡「遠慮しとく」

 

由比ヶ浜「うんうん。折角の休みなんだから、ヒッキーもたまにはゆっくりしなよ」

 

 

 

笑顔でそう言う由比ヶ浜。

 

ゆっくり、ねぇ。

 

 

 

八幡「…………」

 

由比ヶ浜「ヒッキー? どうかしたの?」

 

八幡「ん。いや、何でもない。食い終わったし、俺はそろそろ行くわ」

 

 

 

由比ヶ浜は早っ! と驚いていたが、特に気にせずゴミを片付ける。

 

 

 

八幡「んじゃあ、また」

 

由比ヶ浜「うん。たまには顔出してよー!」

 

雪ノ下「さようなら」

 

 

 

軽く手を挙げ、部室を後にする。

 

 

 

八幡「ふう……」

 

 

 

廊下は静けさに包まれており、何故だか少しだけもの寂しさを感じた。

 

ゆっくりしなよ、か。

 

 

 

八幡「……そう思って来たんだがな」

 

 

 

小さく呟いて、自分で自分の発言に気恥ずかしくなる。

何を言ってんだか、俺は。

 

 

これからどうしようかと考えながら、歩を進める。

 

とりあえず、運は良くねぇわ。やっぱ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちひろ「なるほど。それで寂しくなって、休みの日に事務所へ来たと」

 

八幡「誰も言ってません」

 

 

 

場所は打って変わってシンデレラプロダクションは休憩スペース。

向き合うようにソファに座るは、事務員千川ちひろさん。今は休憩中なのか珍しく寛いでいる。

 

 

 

八幡「俺はただ、休日だし家にいるのも勿体ないなーと思って都内に出て、近く寄ったし折角だからーって顔を出しただけですよ」

 

ちひろ「まず比企谷くんが家にいるのを勿体ないと思う時点でおかしいです」

 

 

 

そ、そんな事ないよ? 思うよ? ……いややっぱ思わねぇわ。何時間でも潰せる自信ある。

 

 

 

ちひろ「あと、どうせ明日また来るのにわざわざ寄る意味が分かりません」

 

八幡「そこまで言います?」

 

 

 

まぁその通りなんだけどさ。

 

 

 

八幡「……別に、ただの気まぐれですよ。他意はありません」

 

 

 

実際嘘はついていない。どうしようかと彷徨っていたら、自然と事務所へ足が向かっていたのだ。……あれ、これもしかして社畜化の予兆始まってない?

 

 

 

ちひろ「もう、そこは素直に寂しかったから遊び来たで良いんですよ♪」

 

八幡「死んでも言わねぇ」

 

 

 

大体、本当に寂しいなら家に帰るわ。だって家には小町がいるんだよ? これ以上の癒しがあるだろうか。いや無い! 妹最高! こっちの方が気持ち悪かった。

 

 

 

ちひろ「あと、それはそうと……」

 

 

 

ジーっと、ちひろさんの視線を一身に感じる。

しげしげと見やるちひろさんはまるで審査員のようだ。いやどっちかって言えば鑑定士?

 

 

 

八幡「どうしたんすか」

 

ちひろ「いえ。……制服姿の比企谷くんが、新鮮だなーと」

 

 

 

ちひろさんのその言葉に最初は何をと思ったが、言われてみれば確かにな。

よく考えてみれば、制服を着て事務所へ来たのは初めてかもしれない。

 

 

 

ちひろ「そうですよね、比企谷くんも学生なんですよね。変に大人びてるから時々忘れちゃいそうになりますね」

 

八幡「変には余計です」

 

ちひろ「無駄に大人びてるから」

 

八幡「悪化してます」

 

 

 

なんかこの人どんどん俺に遠慮無くなってない? いやこの人に限んないんだけどさ。最近事務所のカーストでもどんどん下へ向かっているように感じる……アイドル怖い……

 

 

 

「コーヒーはいかがですか?」

 

八幡「え? あ、どうも」

 

 

 

そこで割って入る甘ったるい声。急な申し出に、思わず背筋を伸ばす。これがプロデューサー経験によって培われた脊髄反射である。

 

コーヒーを淹れてくれたのは、何故かメイド服を着用しているポニーテールの女……の子。

 

ご存知我らがウサミン星のアイドル、安部菜々……さんである。

 

 

 

菜々「ちひろさんもどうぞ♪」

 

ちひろ「あ、すいません菜々さん! 私が淹れて貰ってしまって……」

 

菜々「良いんですよ! ちひろさんも休憩中くらいはゆっくりしてください」

 

 

 

なんとも和やかなやりとり。

……ちひろさんの呼び方はセーフなんだな。

 

 

 

菜々「砂糖とミルクはいりますか?」

 

八幡「すいません。頂きます」

 

 

 

軽く会釈して、少し多めに貰う。やっぱコーヒーは甘くないとね。うん。

しかし菜々さんは俺の言い方が気に入らなかったのか、眉をムッとつり上げ(かわいい)、抗議するかのように言ってくる。

 

 

 

菜々「もう、比企谷くんったら。同い年なんだから、敬語じゃなくたって良いんですよ?」

 

八幡「は、ははは」

 

 

 

やべぇ、こういう時って何て返したら正解なんだ……

 

しかし俺が困っていると、菜々さんの視線がやや下に向いている事に気付く。これはもしかしなくても…

 

 

 

菜々「わー! それ、総武高校の制服ですよね!」

 

八幡「え、ええ」

 

 

 

やはりというか、予想通り俺の格好を見ていた。

 

 

 

菜々「そっかぁ、比企谷くんは総武校の生徒でしたもんね。女子の制服は奈緒ちゃんがたまに着てくるけど、男子の制服は久しぶりに見たなぁ…」

 

 

 

まじまじと見てくる菜々さん。なんだか酷くこそばゆい。

……しかし、久しぶりとな。

 

 

 

八幡「あ、安部さん?」

 

菜々「可愛いデザインですよね~。懐かしいなぁ……」

 

八幡「安部さーん…」

 

菜々「……ハッ!?」

 

 

 

と、ようやく我に返る菜々さんじゅうななさい。ちょっと遅過ぎる気もする。いや婚期がとかじゃなく。

 

 

 

菜々「あ、あーいやー違うんですよ? 懐かしいっていうのは、その、昔よく知ってたとかそういうんじゃなくてですね、ま、前々から、知ってたという意味で、と、とととにかく違いますからね!?」

 

 

 

言うや否や、ぴゅーっとあっという間に去って行ってしまった。

なんとも心配になる。あれで隠せてると……いや、皆まで言うまい。あれも魅力の一つ。

 

 

 

ちひろ「世の中には、知らなくても良い事がありますからね……」

 

八幡「このタイミングでその台詞は悪意を感じますよ」

 

 

 

まぁ、言ってる事には概ね同意だが。

 

 

 

ちひろ「それじゃあ、私もそろそろ仕事に戻ります。比企谷くんはゆっくりしていってくださいね」

 

八幡「ええ」

 

ちひろ「あ。あと知っているとは思いますけど、凛ちゃんは遅くまでレッスンなので直帰するそうですよ」

 

八幡「…………」

 

 

 

知ってると思うなら何故わざわざ言うんですかね。

 

悪戯っぽい笑顔を残し、敏腕事務員はデスクへと戻っていった。

 

 

 

八幡「さて……」

 

 

 

それからというもの、特にする事も無いので事務所をぷらぷら。

だがこれがまた、色んな奴に声をかけられる。

 

 

 

サボってる杏とダベったり。

 

白坂から借りたDVDをもう勘弁して下さいと頼みながら返したり。

 

上田の着ぐるみの修復を手伝ったり。

 

前川にカマクラの写真を見せて自慢したり。

 

蘭子に黒魔術教えたり。

 

城ヶ崎姉妹に制服姿でプリクラ撮ろうとごねられたり。

 

……なんだか不意に視線を感じたり。

 

 

 

いつのまにやら色々とやっていた。

こうしてみると、仕事中とはまた違った面が見えてくるな。

 

……最後の視線はほんと謎だが。なんかバレンタインがどうのって呟いてたような気もする。

 

 

そしてそろそろけーるかなー、と考えていた時。

 

 

 

「八幡P!」

 

 

 

背後から、またもや声をかけられる。この呼び方は…

 

 

 

光「制服だなんて珍しいね。今日はお休みなのか?」

 

八幡「光か。まぁな」

 

 

 

相も変わらず、やけにキラキラした瞳を覗かせる黒髪の少女、南条光。

年端もいかないように見えるが、こう見えて中学二年生である。

 

 

 

光「あ、そうだ! 八幡P、昨日は見た? もちろん見たよね!」

 

八幡「昨日?」

 

 

 

はて。昨日は何かやっていただろうか。もしかして占い? んなわきゃないか。

 

 

 

光「え。もしかして見てないの?」

 

八幡「悪い。何を…だ……?」

 

 

 

と、そこで尋ねる途中でようやく思い至る。

 

そうだ、話を振ってきたのは何を隠そう光だぞ? となれば、確認する番組などその手のものに決まっている……!

 

 

 

八幡「あ…ああ……!」

 

光「そうか……見逃したか」

 

八幡「……し、しまったぁぁぁ!!」

 

光「キュウレンジャー……あとエグゼイドも…」

 

 

 

プリキュアもなぁ!!

 

 

 

八幡「い、いや待て。大丈夫だ。毎週録画設定にしてあるから、ちゃんと録画されてるはず! よっしゃラッキー!」

 

光「本当に見てないの? ……あれ、でもさ、エグゼイドとプリキュアはともかく、キュウレンジャーは新番組だからそのまま録画されないんじゃ……いやでも、どうなんだろう。テレビによるのかな」

 

八幡「」

 

光「……ダメなんだね」

 

 

 

“新しいスタートを見逃さないで”って、そういう事ぉ!? ってか昨日の朝の放送なんだから既にもう見逃してんじゃねぇか!!

 

 

 

八幡「畜生……俺の、一週間の楽しみが……」

 

光「八幡P……」

 

 

 

がっくりと膝をつく俺に、光はそっと手を差し伸べる。

 

 

 

光「アタシん家のテレビ、録画してあるからさ。今度一緒見ようよ。ね?」

 

八幡「光……」

 

光「アタシは人を笑顔にする為にアイドルになったんだ……だったら、プロデューサーを笑顔にしたっていい!」

 

八幡「さすがにその台詞のねじ込みは無理があると思う」

 

 

 

とりあえず、どうにか2話から視聴という事態は免れそうだった。

これも持つべきは臨時担当アイドルという奴か……

 

よっしゃラッキー!

 

 

 

光「やっぱり本当は見てるだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと歩みを進める。

 

もうすっかり夕暮れ時だ。遠くの空を見れば、微かに星空が見える。今日は天気が良かったからきっと奇麗だろうな。

 

 

 

八幡「……はぁ」

 

 

 

なんだか、どっと疲れた。

 

たまの休日だし、今日はゆっくりするはずだったんだがな。なんだかんだで下手したら仕事よりも活動したかもしれない。自業自得……で片付けるのはさすがにもう嫌だ。

 

だがまぁ、次でたぶん最後だ。

最後の最後に、もうひとイベント。

 

 

 

八幡「……どうしたんだ。急に呼び出して」

 

 

 

歩みを止め、少し先に立つ少女へと問いかける。

 

店の前で待っていた少女は、俺の担当アイドル。そして傍らには、その愛犬。

 

 

 

凛「ん。何となく、ね。迷惑だった?」

 

 

 

ハナコを抱え上げ、こちらへ笑顔を見せる凛。

 

 

 

八幡「……若干」

 

凛「もう。そこは少しくらい見栄を張ったら?」

 

 

 

呆れながらも、凛に別に怒る様子はない。

 

 

 

八幡「お前は知らんかもしれんが、これでも色々あったんだよ。ちょいと疲れた」

 

凛「ふーん。まぁ、これは歩きながら聞くよ」

 

八幡「歩くのは確定なんですね……」

 

 

 

そりゃまぁ、メールには『ハナコの散歩に付き合ってくれる?』とは書いてあったけども。

 

 

 

八幡「お前、レッスン終わりだろ。平気なのか?」

 

凛「うん、大丈夫。レッスンも思ったより早く終わったからさ。だから、久しぶりにハナコの散歩に行こうかと思って」

 

八幡「そりゃ、殊勝な心がけなことで」

 

 

 

歩きつつ、凛の隣に並ぶ。

 

 

 

凛「プロデューサーこそ、疲れてたなら断っても良かったのに」

 

八幡「生憎と帰る途中でな。家についてたら断ってた。良いタイミングだよほんと」

 

 

 

これはマジ。あともうちょっと遅かったら愛しの千葉へ帰ってたね。そしたらもう俺に成す術はない。家路一直線だ。

 

 

 

凛「そっか。じゃあ運が良かったんだね。……占いもバカにならないかも」

 

八幡「ん? 何か言ったか今」

 

凛「ううん。何でもないよ!」

 

八幡「あ、おい!」

 

 

 

ダッと、凛が駆け、ハナコもそれに続く。

 

俺は、それに遅れないようにと、追いつく為に走り出す。

 

 

 

凛「ほらほら、新しいライブも近いんだから、プロデューサーも気合い入れないと!」

 

八幡「俺が…走る……意味、が……っ……あんのかよ……!」

 

 

 

散歩だと聞いていたのに、これじゃあマラソンだ。明日筋肉痛になっていない事を祈るばかり。

 

本当、忙しない休日だったな。断言するが、絶対運は良くはない。こんだけ疲労困憊なんだから間違いない。

 

……けど、非情に不本意なことに、運が良いかと楽しいかどうかは別だしな。

 

 

 

凛「ほら早く、プロデューサー!」

 

八幡「分かってるよ! ったく……」

 

 

 

だからこの胸中に広がる気持ちは誰にも言わないし、言葉になんて絶対しない。

 

 

楽しかった、なんて。死んでも言ってやらねぇよ。

 

 

 

 

 

 

終わり

 

 


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