やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。   作:春雨2

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番外編 高垣楓の湯煙事件簿。

 

 

 

人は誰しもが、自分の物語の主人公。

 

 

そんなフレーズを最初に聞いたのは、俺がいくつの頃だっただろうか。

あまり良くは覚えていないが、それでも当時の俺が否定的だった事は何となく覚えている。だってそうだろう?

 

 

友達もいない、遊びにも誘われない、女子と話すこともない。

 

 

そんな俺は、俺の物語の主人公だと言えるのだろうか? もし言えたとしても、それは何とつまらなく、退屈な物語だろう。そんな物語ならば、俺は主人公でなくとも構わない。

 

そう思って、酷く辟易したものだ。

 

 

だが、事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、最近の俺は少しばかり普通の人とは異なった人生を歩んでいる。

 

女の子の夢を叶えるお手伝い、とでも言えば素晴らしいお仕事に聞こえるが、実際は営業と企画とマネジメントが主なプロデュース業。

 

 

かつてぼっちだった俺は、いまやアイドルのプロデューサーへとなっていた。

 

……いや、友達少ないし今でもぼっちの時はぼっちなんだけどね。

 

 

いったいどんな運命の悪戯でこうなったのか。正直、本でも出したいと思ってるのが本音である。ぶっちゃけその辺の奴より面白いのを書く自身はある。

 

ぼっちからプロデューサーへ、そんなまるでジェットコースターのような人生を歩んでいる俺だが、こういった仕事をしているとまた面白いものが見えてくる。

 

 

それは、アイドル達の物語だ。

 

 

まさしくシンデレラストーリーと呼べるようなものもあれば、ちょっとほろ苦いビターなお話、お涙頂戴な青春グラフィティや、ほのぼのとした心温まるエピソードまで。

 

個性豊かなアイドル達がいる、このシンデレラプロダクションだからこそ味わえる様々な物語を目にして来た。それは臨時プロデュースしてきたアイドルたちや、その他の子たちからも。

 

そんな彼女らを見ていると、なるほど。確かに誰しもが自分の物語を生きていた。人生という自分自身の物語の主人公だと、確かに感じた。

 

そしてきっとプロデューサーである俺は、そんな彼女らを支えてやるのが役目なのだろう。

 

彼女たちがちゃんと歩んでいけるように。しっかりと夢を叶えられるように。

 

 

俺は、彼女たちの物語の狂言回しになれればいい。

 

 

きっと、それが俺の物語の主人公としての役割だから。

 

 

 

さて、ここで本題に入るが、これはある一人の女性が主人公の物語だ。

 

普段俺がプロデュースしている彼女ではなく、俺よりも年上の、大人な彼女の物語。

今回の俺は、あくまで語り部としての出演だ。だから、後は彼女に任せよう。

 

 

 

この小さな物語の主人公ーー高垣楓に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「ドラマの収録、ですか?」

 

 

 

思わず怪訝な表情になりながら、俺は目の前の事務員へと問いかける。

事務員ーー千川ちひろさんはコーヒーを一口啜った後、笑顔で首肯した。

 

 

 

ちひろ「ええ。長期滞在ロケの付き添い…それが今回の臨時プロデュースの内容です。ね、楓さん♪」

 

 

 

可愛らしく同意を求めるちひろさんの目線を辿ってみれば、そこには俺の隣へと座っている一人の女性。思わず魅入ってしまいそうなそのオッドアイの双眸が、俺へと向けられる。

 

 

 

楓「はい。よろしくお願いしますね」

 

 

 

ニコリと、微笑むという表現が妙に合う笑顔。

 

25歳児の称号を欲しいままにするデレプロ所属の現役アイドル、高垣楓さんである。

 

 

 

八幡「……うっす」

 

 

 

小さく返事をし、すぐに視線を外す。

 

いや、どうでもいいけど何で隣に座ってんですかね。そこ凛の特等席じゃなかったの? そもそもアイドルの席でもないんだけどさ。もっと言えば俺が座ってる席も俺のじゃなかったりする。

 

 

場所はご存知シンデレラプロダクション事務スペース。

 

もはや定位置と化したその居場所には、担当アイドルである渋谷凛はおらず、代わりに25歳児系アイドル楓さんが座っていた。別に担当が代わったとかそういう事じゃないからね。

 

チラリと視線を彷徨わせてみれば、視界の隅の方に凛の姿を捉えた。ついでにやけに黒い中二少女も。

 

 

 

凛「えーっと、このバッジのブランドっていうのはどれが良いとかあるの?」 ピコピコ

 

蘭子「ええ。それぞれに込められた魂の呼び声の赴くまま、世界の境界を越えーー!」

 

凛「?? 境、界……?」

 

蘭子「あ、え、えっとね……トレンドが変化したりするから、服とかと統一して装備して…」

 

 

 

なんかソファに座ってスマホを弄くりながら遊んでいた。お前ら仲良さそうね……

とりあえずそんな担当アイドルは放っておいて、お仕事の話に戻ることにする。社畜もすっかり板についてきた。

 

 

 

八幡「別に付き添うのは良いんすけど、これ、俺が行く必要あるんすか?」

 

 

 

口にするのは当然の疑問。

 

渡された資料を見るに、今回のドラマは全キャストデレプロアイドルによる特別サスペンスドラマ。他にもウチのアイドルが出る以上、事務所から何人かのスタッフが同行するのは明白だ。なら、今更俺が付き添う必要が特に感じられない。どちらかと言えばマネージャーとかの仕事だろ。……まぁマネージャー業も結構こなしてるから一概に関係無いとは言えんが。

 

 

 

ちひろ「確かに、最初は特に臨時プロデュースの必要性は無かったんですよね。ただ、ここでちょっと朗報がありまして…」

 

八幡「朗報?」

 

 

 

何故だろう、この人の朗報ほど信用ならないと思うのは。いやこれまでもオーディションとかテレビ出演とか良いニュースはあったんだけどね。何でだろうなー……人柄?

 

そんな俺の心配も他所に、ちひろさんは取り出した資料を嬉しそうに俺へと突きつけた。

 

 

 

ちひろ「じゃーん♪ なんと、凛ちゃんのゲスト出演が決定したんです!」

 

八幡「……は?」

 

 

 

思わず、間の抜けた声を出してしまう。

凛の、ドラマへのゲスト出演……?

 

 

 

ちひろ「いやー元々は別の子が出る手筈だったんですけどね? ちょっとスケジュールの都合で出れない事になっちゃいまして。そこで代役の白羽の矢が立ったのが…」

 

楓「凛ちゃんだった、という事です」

 

 

 

ちひろさんの台詞を繋ぐように、楓さんが覗き込むように俺へと言ってくる。

思わず、ぽかんとした顔のまま目が合ってしまった。

 

 

 

ちひろ「誰が良いかーって話になった時、楓さんが推してくれたんですよ? あ、これ台本です」

 

八幡「そ、そうなんですか」

 

 

 

資料と台本を受け取り、しげしげと見てみる。

 

『デレプロ企画特別ドラマ! 安斎都の湯煙事件簿♨』

 

と、表紙にデカデカと書いてあった。お前が主役かい。

 

 

 

ちひろ「温泉旅館でのサスペンスもの! 端役って言ったら聞こえは悪いですけど、ちゃんと台詞もありますし、良いお話を貰えて良かったですね♪」

 

 

 

嬉しそうに言ってくれるちひろさん。

確かに、ドラマ出演のオファーなんてそうそう貰えるものではない。それが自社企画の番組であったとしてもだ。凛はあまり演技派ってわけでもないから、こういった仕事を貰えるだけで貴重と言える。

 

 

 

八幡「……ちひろさん…と、あと楓さん。その、ありがとうございます」

 

 

 

小さく頭を下げ、きちんと礼をしておく。

これは素直に感謝しないとダメだな。まさかのドラマデビューとか、本当にありがたい。

 

 

 

ちひろ「良いんですよ、私は何もしてませんし。お礼なら楓さんに」

 

楓「私も大した事はしていませんよ。推しただけで……役を貰えたのは、凛ちゃんの実力です」

 

 

 

っく、さすがはデレプロきっての大人2人組だ……対応が大人過ぎる! いや一人は事務員なんだけどね。

 

そしてウチの担当アイドルはと言うと……

 

 

 

凛「このJPオブザモンキーっていうの、カッコイイね。なんかどこかのアイドルみたいだけど」 ピコピコ

 

蘭子「クックック、我はラパン・アンジェリークをオススメする」

 

 

 

まだ遊んでいた。いや、まさか本人も出るとは思ってないだろうから良いんだけどさ。

 

とりあえず、こっちに招集する事にする。

 

 

 

ほらほら早く。ゼタ遅ぇ!

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

とりあえず、呼んで来た担当アイドルに事の顛末を説明する。

 

 

 

凛「あ、ありがとうございます!」

 

 

 

事情を聞くや否や、慌てて頭を下げる凛。

まぁ滅多に無い仕事を貰えたようなもんだし、そりゃそうなるわな。ちなみに居合わせた蘭子はちょっとだけ羨ましそうな目で見ていた。

 

 

 

凛「ドラマの撮影なんて初めてだけど……大丈夫かな」

 

楓「そんなに重く考えなくてもいいんじゃないかしら。私も初めてだし、きっとなんとかなるわ」

 

 

 

不安げな凛に対し、とても涼やかな表情でそう言ってのける楓さん。

 

しかし台本を見るに、楓さんは中々重要な登場人物だと思うんだが……よくそんな飄々としていられるな。何と言うか、肝っ玉が据わっている。

 

 

 

楓「ふふふっ……温泉で嗜む熱燗、楽しみね」

 

八幡「…………」

 

 

 

単に能天気なだけなのかもしれない。

いや、これが大人の余裕なのか? どちらかといえば子供っぽい気もするが。

 

 

 

ちひろ「まぁそういうわけで、凛ちゃんがドラマ出演するのであれば当然比企谷くんも同行します。ならどうせだから一緒に共演者の楓さんも担当してもらおうと、そういう話になったんです」

 

楓「主な内容はマネージメントくらいですけど、お願いできますか?」

 

 

 

楓さんはまたも覗き込むような形で俺にお願いをしてくる。

いや、そんな目で見られたら断れませんやん…卑怯ですやん……まぁ、別に断る理由も無いのだが。むしろ引き受けないとバチが当たるだろう。

 

 

 

八幡「……凛の推薦の恩もありますし、慎んでお受けしますよ」

 

楓「っ! ……そうですか……ありがとう、比企谷くん」

 

 

 

ニコッと、今日一番の笑顔を見せてくれる楓さん。

やばい、やばいよ! 破壊力抜群! 俺の心にシャイニングソードブレイカー! 余談だが俺はマッハジャスティスが一番好きだ。ホントに余談だな。

 

そんな俺の与太話は放っておいて、収録が決まったのならば色々と準備をしないといけないな。

 

 

 

八幡「それじゃ、早速スケジュールの方を調整しますか」

 

ちひろ「そうですね。凛ちゃんも今じゃ人気アイドルの一人ですし、なるべく他のお仕事に支障が無いようにしませんと」

 

 

 

全くちひろさんの言う通り。

 

以前に比べ、とにかく今は仕事が増えた。ぶっちゃけこんなにもスケジュール調整が大変だとは思わなかったのが正直な所。

 

数ある仕事の中から優先的なものをピックアップして、被らないように調整し、凛の負担も考えつつレッスンの時間も組み込んでいく。

そして更にそこに会わせなきゃいけないのが俺のスケジュールだ。出来るだけ凛の仕事には同行し、レッスン等の空いた時間に中々取れない仕事先への営業、挨拶周り。会社に戻れば、事務整理に新しいスケジュールの調整もある。

 

他にも細かな作業を挙げたらキリがないが……まぁ、最近の俺と凛はこんな感じである。これでも一般Pという事もあって正プロデューサーよりは仕事が少ないらしいのだから本当に恐ろしい。つーか765プロとか二人体制でやってるらしいけど、化け物でもいるの? いやマジで。

 

 

 

八幡「とりあえず、凛はロケまでに台本のチェックしとけよ」

 

凛「ん、了解」

 

 

 

いささか緊張している様子ではあるが、頷きを返す凛。

そしてそこで、まさかのもう一人から声をかけられる。

 

 

 

楓「比企谷くん、私は?」

 

八幡「……はい?」

 

 

 

首を傾げ、さも当然にように訪ねてくる楓さん。

 

ん? 私は、って……今の会話の流れから考えると、私はロケまでに何をしておけばいいですかって、そう俺に訊いたのか?

 

 

 

八幡「えー……っと……」

 

楓「…………」

 

八幡「……か、楓さんも、台本のチェックをしていて貰えれば……はい、助かり……ます」

 

 

 

とりあえず凛と同じ事を言ってみた。というか他に特に思いつかなかった。

しかし楓さんはそれで充分だったのか「はい。頑張りますね」と、嬉しそうに言っていた。

 

……え。もしかして、これはあれなのか。ロケが終わるまでずっとこんな感じで、楓さんも凛みたくプロデュースしていかなきゃならんのか。いや、確かに楓さんもドラマ初出演って言ってたけどさ。

 

 

 

凛「これ、ロケまでに稽古とかあるのかな」

 

楓「どうかしら……今度、出演者で打ち合わせがあるとは言っていたけど」

 

 

 

ドラマについて話し込んでいる凛と楓さん。

 

そうだ、二人はドラマに関しては素人。そしてもちろん俺も。収録が難航するのは想像に難くない。そしてそのアフターケア、サポートは当然俺になる……二人分な。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

……なんか今更ながら、結構大変な仕事のような気がしてきた。

 

と、そこで不意に袖をクイクイと引かれる。

見れば、今まで空気を決め込んでいた蘭子がそこにいた。心なししょぼくれている。

 

 

 

蘭子「わ、我が下僕よ。狂乱の宴、堕天の導きを受けし我も召還せしめよ!」

 

 

 

僅かに頬を紅潮させ、辿々しく頼んでくる蘭子。

 

いや、そうは言われてもな……もうキャスティングは決まっちまってるっぽいし、急遽出演はさすがに難しいだろ。台本をパラパラと捲り、キャスト陣の欄を見ながら言ってやる。

 

 

 

八幡「あー……まぁ、出たい気持ちは分かるが、今回は諦めるんだな」

 

蘭子「なっ!? パンドラの箱を目の前にして、その欲望を押し殺せと言うのか!?」

 

八幡「別に今回じゃなくったって、チャンスはまた来るだろ……たぶん」

 

 

 

実際、蘭子はある意味じゃ演技派だからな。今回は旅館でやるサスペンス物だが、次やるドラマがファンタジーとかSFとか、そういうジャンルだったら抜擢される可能性は高い。

 

 

 

蘭子「うぅ……業火の如き煉獄の泉……我も行きたかった……」

 

八幡「いやそっちかよ」

 

 

 

項垂れる蘭子から、物哀しい本音が漏れていた。

あ、なに? 温泉が目当てだったん? あーそっかそっか。気の毒に思ってた俺の気持ちを返して!

 

 

やれやれと、思わず呆れながら溜め息を吐く。

まぁこいつも中学生だからな。そういうのに浮かれるのも無理はなーーいーー?

 

 

 

 

 

 

八幡「……っ!」

 

 

 

 

 

 

ふと、ある名前が目に留まった。

流し見する程度の気持ちだったキャスト陣の中。その中に、一人見知った名前。

 

 

 

八幡「…………」

 

蘭子「……? プロデューサー?」

 

 

 

あー……マジか。この人も出演すんのかよ。

 

正直、してやられた気分。

いや、向こうは多分狙ったわけではないんだろうけど、それでも俺がなるべく会わないよう気をつけていたのにな。まさか、こんな形で出くわす羽目になろうとは。

 

 

なんというか、ツイていない。

 

 

 

蘭子「どうした? 魔眼を持ちし眷属との邂逅か?」

 

八幡「いや。知り合いっつーか、な。……なんて言ったらいいんだろうな」

 

 

 

上手く表現出来ないが、知り合いで片付けていいかは微妙な所だ。というか、俺としては知り合いで済ませたい。

 

 

 

八幡「……なんとか鉢合わせないように、ってのはさすがに無理か」

 

 

 

本当に気が進まないが、諦めるしかなさそうだ。

これも仕事。私情を挟むのも野暮だしな。……なんかもう普通のリーマンじゃねぇか俺。

 

 

 

かくして、不安と嫌な予感をビンビンに感じさせつつも、凛と楓さんのドラマ出演が決まった。

どうせまた一波乱も二波乱もあるのだろうが……まぁ、これがプロデューサーという仕事なのだから仕方が無い。

 

 

場所は人里離れた、実際にある温泉旅館。繰り広げられるは本格サスペンス。

 

デレプロ企画によるデレプロアイドルのみのスペシャルドラマ。

 

凛は、楓さんは、果たして上手く収録できるのだろうか!

 

 

……正直、不安だ。

 

 

 

蘭子「暗黒物質を秘めし、純白の宝玉!」

 

八幡「わぁーったよ。ちゃんとお土産に温泉饅頭買っとくから」

 

凛「…………」

 

 

 

なんか凛が「ナニコイツライミワカンナイ」みたいな戦慄の表情で俺と蘭子を見ていた。

 

一体なんだと言うのか。あー俺も温泉楽しみだなー。

 

 

 

 

 

 

 

   * 登場人物紹介 *

 

 

 

    高垣楓  主人公

 

    渋谷凛  助手

 

    比企谷八幡  狂言回し

 

 

 

    ???

 

    ???

 

    ???

 

    ???

 

    ???

 

 

 

    安斎都  探偵

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凛のドラマ出演、そして楓さんの臨時プロデュースが決まった日から数日。

 

具体的なロケ日も決まり、俺たちデレプロ奉仕部ご一行(と言ってもちひろさんはお留守番)は早速収録現場である温泉旅館へと向かっていた。

 

なんでも人里離れた場所にある古き良き旅館らしく、山道を通る為バスでの移動が必要らしい。なので俺は現在進行形でガックンガックン揺れながら座席へと座っている。ちなみに一番後ろの端である。やっぱ何にしろ隅というのは落ち着くものだ。

 

……もっと言えば、隣に人がいない方が落ち着くのだが。

 

 

 

凛「やっぱり結構かかるものなんだね。この揺れだし、ちょっと酔いそう……」

 

 

 

ダウナー気味な様子で、時計を確認しながら隣でそう言う凛。

いや、つーかさ……

 

 

 

八幡「そんなら、前の席に座ったらどうだ。空いてんぞ」

 

 

 

見れば、前の方の席には誰も座っていない。

というかむしろ、このバスには俺たちしか乗っていなかった。その俺たちというのも…

 

 

 

凛「そ、それは…」

 

楓「そんな言い方はダメよ比企谷くん。あっち行けと言っているみたいでしょう?」

 

 

 

メッと嗜めるように言うのは、更に凛の隣に座る楓さん。

 

そう。俺、凛、楓さん。その3人しかこのバスには乗っていない。いくら小型とは言え余裕あり過ぎだ。戸部の頭並にスッカスカである。

 

 

 

凛「……ていうか、逆になんでプロデューサーはこんな後ろに座ってるの?」

 

 

 

俺の言い方が癪に触ったのか、ジトッとした目で見てくる凛。

いや、別にそんな大した理由も無いが……ってか理由いる? 席の位置とか何となくでいいだろ。

 

 

 

八幡「まぁ、あえて言うなら落ち着くからだな」

 

凛「隅っこが落ち着くって……」

 

八幡「なんだその微妙な顔は」

 

凛「なんか卑屈っぽい」

 

 

 

失礼! 今この子結構失礼なこと言ったよ! 全国の隅っこ好きに謝れ! 輝子とかね!

 

 

 

八幡「バカ言うな。オセロで考えてみろ、隅を取ったら勝負は俄然有利になる。つまり隅さえ取れば人生勝ったも同然だと言えるだろ」

 

凛「いや言えないよ」

 

 

 

ピシャッと断じる凛。

ですよねー。さすが凛、もう俺に対し遠慮というものが無い。

 

 

 

楓「隅を取って、すみません……なんて。ふふっ」

 

八幡「…………」

 

凛「…………」

 

 

 

そして楓さんには何も言えないようだった。

いや俺だって何も言えませんけどね。どう反応すんのが正解なんだあれ……

 

 

 

そしてなんやかんや話している内に、目的地の旅館へと到着する。

周りがうっそうとした森のため着くまで外観は見えなかったが……中々立派なもんだな。

 

バスから降りて最初に見たときは、思わず感嘆の息が漏れた。

 

雑木林に囲まれた建物は、木造建築に瓦の屋根といかにもな和風な装い。昼間だと言うのに木に遮られた周辺一体は、どこか仄暗い。

見た目は若干古びた様子ではあるが、それも趣きがあると思えば風情があるように見えてくるから不思議だ。

 

そしてさっきから聞こえてくるこの水の音は……滝か? もしかしたら、近場に渓流でもあるのかもしれない。

 

 

なんというか……THE・旅館という感じだ。サスペンスの舞台には持ってこいである。船越さんはどこかしら?

 

 

 

凛「へぇ……凄いね」

 

楓「確か撮影の間、私たちの貸し切りになるのよね? 費用は大丈夫なのかしら……」

 

 

 

感心したようにする二人。楓さんは心配する所が少しばかし庶民的だ。まぁ、最近ノリに乗ってるデレプロなら大丈夫だろう。たぶん。

 

 

 

八幡「節約の鬼であるちひろさんの事ですし、心配は要らないんじゃないっすかね。……そんじゃ、行きますか」

 

 

 

荷物を担ぎ、二人を連れて宿へ入っていく。

これ、知らない人から見たら俺が美女二人をはべらせてるように……うん、見えないね。ちょっと調子に乗りました。

 

 

 

館内へと入ると、少しだけひんやりとして空気に包まれる。

あーなんかこの独特の香りが実に旅館っぽい。なんだろう、おばあちゃん家の匂いをもう少し高級感漂わせましたみたいな。伝わるかこの表現。

 

しかし人気が無いな。勝手に上がるわけにもいかないし、呼びかけたりした方が良いのだろうか。

 

と、俺が迷っていると不意に足音が聞こえてくる。これはもしかしなくても……

 

 

 

「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました」

 

 

 

廊下の奥からやって来たのは、着物を着た妙齢の女性。

たぶん女将さんって奴なのだろう。こういう時最初に出てくる人は大概そうだって相場が決まってる(偏見)。

 

 

 

八幡「お世話になっております。シンデレラプロダクションの比企谷です」

 

 

 

一礼した後、淀みない動作で名刺を渡す。

 

 

 

八幡「撮影の為これから慌ただしくなるとは思いますが、よろしくお願いします」

 

女将「いえいえ。こちらこそよろしくお願いしますね」

 

八幡「はい。それでこっちが所属アイドルの高垣楓と渋谷凛です」

 

 

 

俺が視線で促すと、二人は少し前に出て礼をする。

 

 

 

楓「よろしくお願いします」

 

凛「よ、よろしくお願いします」

 

 

 

楓さんは慣れている風だったが、凛は少し緊張した様子。

それを受け、女将さんは小さく微笑む。

 

 

 

女将「私達も撮影が上手くいくよう、出来る限りご強力致します。古びた宿ではありますが、ゆっくりしていってくださいね」

 

八幡「はい。ありがとうございます」

 

 

 

その後受付まで案内され、部屋の鍵を貰い簡単な館内の説明を聞く。

てっきり和室しか無いと思っていたでの、洋室もあるのには驚いた。そして何より、まさかのゲームコーナー。この館内の雰囲気を見るに、実にレトロな予感をさせる。

 

やべぇな、ちょっと楽しみになっちまったぞ。なんかこういう所のゲームコーナーってめっちゃワクワクするよな。風呂入った後に誰もいない時間を見計らって行ってみよう。

 

っと、楽しみにするのはいいが、仕事もきちんとしなければ。確認しとかないといけない事は訊いておく。

 

 

 

八幡「あの、今日来たプロダクションの者の中じゃ、もしかして私たちが最後ですか?」

 

女将「そうですね。今日来られる予定の方たちはお客様で全員です。他の方たちは既に到着されてますよ」

 

八幡「……そうですか。ありがとうございます」

 

 

 

つーことは、あの人ももう来てるんだな。部屋で大人しくしていてくれればいいが……

その後いくつか質問し、礼を言ってその場を後にする。

 

そして受付から少し離れた所で待っていた二人の方へ向かうと、ふと凛と目が合う。目が合う瞬間である。

 

 

 

凛「プロデューサー、もうすっかり営業スタイルが板についちゃってるね」

 

 

 

何とも今更な事を、感心したように言う凛。

 

 

 

八幡「別に、こんくらい普通だろ。さすがに半年以上もやってりゃ慣れる」

 

 

 

まぁ、凛に言われて内心ちょっと焦った所もあるんだがな。確かに最近会社の空気に毒されてきてるような気もする。専業主夫を目指していた頃が懐かしい。いや、諦めてませんよ? まだなる気まんまんなんですよ?

 

と、俺が自らの夢を再確認していると、今度は楓さんと目が合う。

 

 

 

楓「比企谷くん、急に呼び捨てにするから少し驚いちゃった……ふふふ」

 

八幡「なっ……!?」

 

 

 

心なし頬を赤らめて言う楓さんに、思わず変な声が出る。

ま、まさかそこに突っ込んでくるとは。いや事実は事実だがさすがに予想外だった。

 

 

 

八幡「あ、あれはですね。プロデューサーである以上アイドルを紹介する時は必然的にそうなると言うか、フルネームで言っただけだし、別に呼び捨てたとかそう言うつもりでもなくてですね…」

 

楓「いいの……分かってるから、比企谷くん」

 

 

 

我ながら情けないくらい狼狽しながら言い訳していると、楓さんは皆まで言うなと、諭すように言ってくる。

 

そうか、分かってくれたか。

 

 

 

八幡「楓さん……」

 

楓「楓って呼んでくれても、私は気にしないから」

 

八幡「違う。そうじゃない」

 

 

 

いや呼べるわけないでしょ普通に考えて。そんな展開が来るとしたらもう俺がお婿さんにでも貰われない限りあり得ない。というかむしろ貰ってもくれても構わないんだが?

 

とまぁ冗談はその辺にして、とにもかくにも移動しよう。じゃないとさっきから刺さってくる凛のジト目にそろそろ痛みを感じ始めそうだからね!

 

 

とりあえずは各々の部屋を目指し、荷物を置きに行く事にする。

 

さっき女将さんに聞いた通りだと、一階に受付、大広間、大浴場と広めの和室があるそうだ。そんで二階と三階に和室と洋室の部屋があって、各階に一つずつ談話室があるとか。

 

談話室ってあれか? なんかちょっと薄暗くてソファとか自販機とか置いてある不思議空間だよな。中学の頃、修学旅行でリア充が夜そこで話してるの見てジュース買えなかった記憶がある。しかも全部の階で。外のコンビニまで行ったかんね俺。

 

そんな俺の与太話は置いといて、俺たちの部屋は三階にあるからさっさと行く事にする。ちなみに部屋は皆個室である。

 

 

廊下を歩き階段を探していると、開けた空間を見つける。たぶんここが大広間だな。

 

やや広い休憩所のような場所で、いくつかのソファやテーブル、調度品等が置いてある。端の方には小さなお土産屋もあり、奥の方はたぶん大浴場だな。大広間って言うよりエントランスホールみたいなもんだろう。

 

そしてそんな広間の中心辺り、二人程誰かが座っているのを素早く発見する。ってあれは……!

 

 

 

「ん? おー楓ちゃーん!」

 

 

 

こちらに気付いたのか、手をブンブンと振って声を上げる一人の女性。

 

うわぁ……もう少し後になるかと思ったらもう出くわしちまった。自分の運の悪さが嫌になる。つーかなんか酔ってません? もしかしてもう飲んでるのか。

 

呼びかけられた楓さんは当然向こうへと歩いていき、凛もそれに着いていく。そうなれば、俺だけ無視を決め込むのはさすがに出来ない。……仕方ねぇか。

 

 

 

楓「お疲れさまです。早苗さん」

 

早苗「お疲れさまっ。それより聞いた? ここお酒飲み放題なんですって! いやー良い所貸し切りにしてくれたわ♪」

 

 

 

完っ全にへべれけであった。いや、今日は撮影無いから別に良いんすけどね。

 

茶髪のおさげ、童顔で低身長なのにやたら自己主張の強いスタイル、そしてその壊滅的な私服センス(やけにバブリー)。豪快にグラスをあおるその姿は、俺を引かせるのには充分だった。

 

片桐早苗。

 

この人こそ、俺が出来れば会いたくなかった御人である。

 

ちなみに、元婦警。

 

 

 

早苗「後で部屋に持ち込んで、一緒に飲みましょ!」

 

楓「良いですね。是非ご一緒します」

 

 

 

酔っぱらいに対し、実に大人な対応……ではなく、本当に飲みたいと思ってんだろうな。それぐらいは分かるようになってきました。

 

 

 

早苗「それであなたが凛ちゃんね。会うのは初めてだけど、これからよろしく♪」

 

凛「よ、よろしくお願いします……?」

 

 

 

凛の反応が何となくあやふやだが、たぶん接し方を図りかねてるんだろうな。正直見た目は未成年と言っても違和感が無い。しかし片手にはビールジョッキ。更に楓さんをちゃん付け。そのおかげで結構な年上と判断できる。

 

そして、彼女の視線は遂に俺へと向けられる。やばい。怖い。

 

 

 

早苗「ん~?」

 

八幡「…………」

 

早苗「…………」

 

八幡「…………」

 

早苗「……キミ、前にどこかで会ったことある?」

 

 

 

覚えてなかったァーーーー!!

 

な、なんか俺が自意識過剰だったみたいで少々複雑な所もあるが、これは僥倖と言っていいだろう! そうかー覚えてなかったかー、良かった良かった。

 

 

 

八幡「き、気のせいじゃないですかね」

 

早苗「そっか気のせいかぁ」

 

八幡「ええ。気のせいですよ」

 

早苗「そっかー。あはははは」

 

 

 

HAHAHA、と快活に笑う彼女。

 

ーーが、笑顔だったのはそこまでだった。

 

素早くジョッキを楓さんに手渡したかと思うと、彼女は瞬時に俺の背後を取る。その酔っぱらいとは思えないスピードに、俺は完全に油断していたため反応できない。そして左足を絡めとるように俺の左足へと回し、右腕の下から自身の左腕を潜り込ませ、最後に首へと巻き付ける。こ、これはーー!

 

 

 

 

凛「こ、コブラツイスト!?」

 

楓「身長差を物ともしない流れるような技さばき……見事です」 グビッ

 

凛「飲んでる!?」

 

 

 

いやお二人さん解説してないで助け痛だだだだだだだだだだッ!!?

 

 

 

早苗「なーんて、忘れてるわけないでしょーが! 今そのまま流そうとしたわね!?」

 

八幡「す、すんません……! ってかもうギブギブギブギブ……!」 グググッ

 

 

 

やっぱ忘れてなかったー! 一瞬でも期待した俺が馬鹿だった……

つーかさっきからその、柔らかい部位が当たってるんですけど痛みのせいで全然嬉しくない!

 

俺が必死にタップしていると、ようやく拘束が解かれる。し、死ぬかと思った。割りとマジで。

 

 

 

早苗「ふぅ……まさか、キミがプロデューサーになってるとはね。とりあえず、あたしに何か言うべき事があるんじゃない?」

 

八幡「……ちょっと太りました?」

 

早苗「うるさい口は塞ぐよ、物理的に」

 

 

 

ニッコリと良い笑顔で握りこぶしを作るその姿に、思わず身を竦ませる。どうやらあまりふざけるのは良くないらしい。いや当たり前なんだけどさ。

 

 

 

八幡「……ハァ…………お久しぶりです。……早苗さん」

 

早苗「その盛大な溜め息と間がちょっと気になるけど……まぁいいわ。久しぶり、比企谷くん」

 

 

 

今度こそ、早苗さんは屈託の無い笑顔でそう言った。

 

ホント、嫌になるくらい懐かしい笑顔だ。

 

 

 

楓「お知り合い……なんですか?」

 

 

 

首を傾げ、そう訪ねてくる楓さん。ちなみに手に持ったジョッキは何故かビール満タン。いつの間におかわりしたんだ。

 

 

 

八幡「いや、知り合いっつーか……」

 

早苗「まぁまぁとりあえ座りましょ。色々込み入った話もあるわけだし♪

 

 

 

言い淀む俺に対し、早苗さんはまず座るように促す。手には新たなビールジョッキ。だからいつの間に持って来たんですかね。

 

 

 

「…お疲れさまです」

 

八幡「うおっ」 ビクッ

 

 

 

そしてそこで突然の声。びっくりした……

 

ソファに座ろうとしたら既に先客がいた。そういやもう一人いたんだったな。存在感が希薄だからなのか、完全に忘れていた。

 

 

 

凛「あ、文香ももう来てたんだ。お疲れ様」

 

文香「お疲れ様です。……早苗さんと…お話していました」

 

 

 

長い黒髪に隠れた目元、そのか細い声は小さい割に不思議と耳に残る。

 

鷺沢文香。

 

同じくデレプロに所属するアイドルの一人だ。

なんというか、薄幸の少女って感じでとてもグッときますね。

 

しかしその手にハードカバー本を持っているあたり、静かに読書しようといていた所を早苗さんに絡まれたのでは? と思わなくもない。頼まれたら断り辛そうだもんなこの人。

 

 

 

文香「…いつかの、事務所での撮影以来…ですね。比企谷さん」

 

八幡「そう、っすね……」

 

 

 

確か、あの時も安斎と一緒の撮影だったな。何か不思議な縁でもあるのだろうか。

……つーか、こう言っちゃうとあれだが、鷺沢さんってちょっと話し辛いんだよな。お互い積極的に喋ろうとしないからかどうにも会話が続かん。趣味的な意味ではとても話が合いそうなのに。まぁ、俺が話し易い奴の方が希少なんですけどね!

 

 

 

楓「文香ちゃんはお酒飲む?」

 

文香「いえ…まだ、未成年なので…」

 

楓「そう、残念ね……」

 

 

 

ショボーンと、心無しかしょぼくれる楓さん。確か鷺沢さん19歳だったもんな。

この人くらい俺も気にせず話しかけられたら良いんだがなぁ。……あ、だからぼっちなのか!(名推理)

 

 

 

早苗「えーっと、それで何の話だったかしら?」

 

楓「早苗さんと比企谷くんの馴れ初めですよ」

 

早苗「あーそうそう!」

 

 

 

その言い方は誤解を招くからやめて頂きたい。

が、そんな俺の気持ちは知らずに早苗さんは懐かしむように話し出す。

 

 

 

早苗「もう3年くらい前かしらねー。あの時はまだキミ中学生だったわよね?」

 

八幡「早苗さんが今の楓さんと同じ年齢の頃ですね」

 

早苗「歳の話をするたぁー良い度胸ね? ん?」

 

 

 

いやあなたが始めた話題でしょうが……って痛い痛い痛い。肩を掴む手が強い!

女性に年齢の話をしてはいけない。これ基本。

 

 

 

早苗「その時はあたし千葉の駐在さんやってたんだけど、平日の真っ昼間から出歩いてるちょっと変な学生を見つけたの。まぁこの子なんだけど」

 

八幡「俺は変な人に捕まったなと思いましたよ。補導だけに」

 

楓「ぶふっ……!」

 

 

 

俺の発言に、楓さんは吹き出したかと思うと口を抑えぷるぷると震え始める。え? 今のそんな面白かった? もしかしたらお酒が入って、笑いの沸点が下がってるのかもしれない。……元々こんな気もするけど。

 

 

早苗「それで話聞いてみたら案の定学校サボってたみたいでね。理由を聞いたら、その時なんて答えたと思う?」

 

文香「……なんと…言ったんですか?」

 

早苗「『ぼっちだから』って言ったのよ。あたし思わず爆笑しちゃった」

 

 

 

ゲラゲラと、当時を思い出すかのように笑う早苗さん。いやいやいや、何も笑えないんですが。

 

俺の非難めいた視線を感じたのか、早苗さんはごめんごめんと俺の肩を叩く。

 

 

 

早苗「いや、別に友達がいないのを笑ったんじゃないのよ? ただ、そういうのを取り繕わずにケロッと言っちゃうのが凄いなと思ったのよ。あの時は衝撃だったわ」

 

凛「なんか絵が想像つく……」

 

八幡「どういう意味だそりゃ」

 

 

 

けど、それを言うなら俺だってあの時は変な人に会ったと思ったぞ。

 

サボっていた俺を最初こそ注意したものの、話している内にどんどんフランクになっていって、律儀に俺の話を聞くし、頭ごなしに叱ったりしないし、なんなら何故か俺が早苗さんの身の上話を聞かされたりもして……こんなお巡りさんもいるんだなと、不思議に思ったもんだ。正直鬱陶しかったけど。

 

 

 

凛「でもちょっと意外だな」

 

八幡「何がだ」

 

凛「いや、プロデューサーって学校サボったりとか、そういう事はしないと思ってたからさ」

 

 

 

凛がそう言うと、早苗さんは「ほほう」と少し驚いた様子を見せる。

 

 

 

早苗「なるほどねー。さすがは担当アイドルとプロデューサーって感じだわ。確かに比企谷くんはあの時…」

 

八幡「いいっすよ、そんな面白くもない話は」

 

 

 

話し始めようとした早苗さんを止めにかかる。自分の過去の話をされた所で気恥ずかしいだけだしな。

 

 

 

八幡「それよか、俺は早苗さんがアイドルになっていた事の方が驚きですよ。入ったの最近ですよね?」

 

早苗「そうねぇ、三ヶ月くらい前だったかしら。なんか今のプロデューサーくんにスカウトされちゃってね。楽しそうだったし、こんな道も良いかなって」

 

 

 

そう言う早苗さんは、笑顔ではあったがどこか哀愁を感じさせた。

もしかして、警官だった頃に少し心残りがあるのだろうか。

 

 

 

早苗「この歳でアイドルってやっぱりキツいのかしら……いや、まだ大丈夫…よね」

 

 

 

どうやら違うようだった。

 

 

 

早苗「というか、比企谷くんあたしがデレプロに入ったの知ってたのね?」

 

八幡「……」 ぎくっ

 

早苗「知ってたんなら会いに来なさいよ! なに? あたしの事避けてたわけ?」

 

 

 

避けてました。そらもー避けてました。いや昔の知り合いとか出来れば会いたくないのが普通じゃないの? 俺がおかしいの?

 

しかし、新しい所属アイドルのリストの中に早苗さんの名前見つけた時は度肝を抜かれたもんだ。だって昔お世話になったお巡りさんがアイドルになってるんだよ? 驚くってレベルじゃない。出来るだけ会わないよう会わないよう気をつけていたが、まぁ、いつかはこうなるとも思っていた。

 

 

 

八幡「あん時はお世話になりました」

 

早苗「何その今更な挨拶。……まぁいいわ。こうして会えただけでも何かの縁でしょ♪」

 

 

 

俺の首へ腕を回し、上機嫌にビールをあおる早苗さん。

いや、だから色々と当たってるんですが……!

 

身を捩って、なんとか拘束を抜けようとする。

 

この人は昔からこうだな。こっちが嫌がる素振りをしても、全く気にせずに絡んでくる。

当時の俺はこの人のそんな所が本当に嫌いで……同時に、羨ましいと、少しだけ思っていた。

 

 

ちなみに初めて会ってから一年くらいで早苗さんは異動になり、千葉を去っていった。後に俺の中でこの一年間を『ぼっちと駐在さんの365日戦争』と名付けられる事になる。だってこの人、街で会う度に絡んでくるんだもんよ。

 

 

 

八幡「それで、他の人たちはもう部屋に行ったんですか?」

 

 

 

とりあえず、いつまでもこの話を引っ張りたくはないので話題をすり替える事にする。

 

 

 

文香「そう…ですね。先程までは一緒にいたのですが……恐らく」

 

 

 

思い出すかのように言う鷺沢さん。

夕食の時に一度集まるとは思うが、一応挨拶に行った方が良いだろうな。同じ所属事務所とは言え共演者になるわけだし。

 

と、そこでふと思い出す。

 

 

 

八幡「そう言えば、さっきちひろさんから他のプロデューサーの方たちが今日は来れない、って電話があったんですけど……あと、安斎も」

 

早苗「あ、そうそう。なんか仕事の都合でね」

 

文香「…私は、元々専属のプロデューサーはいませんし……」

 

 

 

やっぱそうなんか……

いや、受付で確認した時点で分かっちゃいたんですがね。一応確認せずにはいられなかった。だって確か今日来られるプロデューサーって俺だけじゃなかったか? 大丈夫なのかこの事務所……

 

 

 

楓「大丈夫よ比企谷くん。明日になればスタッフの方達と一緒に来るだろうし、今日は撮影も無いから」

 

八幡「まぁ、そう言ったらそうなんですが……」

 

 

 

確かに今日は撮影は無いし、だからこの大人二人組は楽しそうに昼間から酒を飲んでるわけで……俺の仕事なんて、精々点呼を取るのと明日の確認作業だけだ。 

 

しかし今回は初のドラマ収録。アイドル数人にプロデューサーは俺一人。緊張するのも仕方が無かろう。

 

 

 

早苗「お固く考え過ぎなのよキミは。ってか今日現場入りしたのってキャスト陣だけでしょ? 比企谷くんハーレムじゃない! やーん襲われるー♪」

 

八幡「…………」

 

早苗「……なんかごめん」

 

 

 

逆に謝られても困る。なんかこっちが申し訳なくなってくるし。

 

 

 

八幡「……とりあえず、一端荷物置きに行くか。挨拶もしておきてぇし」

 

凛「そうだね。ゆっくりするのはその後って事で」

 

 

 

こういう時、凛のまともさは大変ありがたい。

名残惜しそうにグラスを見つめる楓さんも連れ、広間を後にする。

 

 

 

早苗「終わったらちゃんと戻って来なさいよー!」

 

文香「…………」 ぺこ

 

 

 

去り際に嫌なお誘いを受けてしまったが、すっぽかしたら後が怖いんだろうな。

何より、動けずにいる鷺沢さんが不憫であった。

 

……つーか、楓さんを連れて夜中に押し掛けて来たりしないよな。なんかマジであり得そうで怖くなってきた。

 

 

近くに階段を見つけたので、荷物を担ぎ直して登りにかかる。ここ、エレベーターとか無いのかしら……

 

途中窓があったので覗いてみれば、まだ昼間だとのに薄暗い景色であった。恐らく、周りを森に囲まれている事を除いても。

 

 

 

凛「なんか、天気悪いね」

 

楓「確か予報では雨だったかしら。酷くならないと良いけれど」

 

 

 

二人の会話を耳にしつつ、何となく外の景色から視線を外せない。

 

 

何か、嫌な予感がするな。

 

それが訪れたことの無い地に足を踏み入れた緊張からなのか。それとも、未だ始まっていない新たな仕事への焦燥なのか。俺には分からない。

 

しかし、分かっている事もある。

 

 

 

俺の嫌な予感は、大体当たる。

 

 

 

何の根拠も無いが、ぼっち暦の長い俺だからこそ感じ取れるものもある。……なんかちょっと言い回しが蘭子に毒されてないか俺。

 

まぁ、何も無ければそれに越した事はない。

 

 

 

形容し辛い気持ちを振り払うかのように、俺は踵を返して歩き出した。

 

 

 

 

 

 

   * 登場人物紹介 *

 

 

 

    高垣楓  主人公

 

    渋谷凛  助手

 

    比企谷八幡  狂言回し

 

 

 

    片桐早苗  元警官

 

    鷺沢文香  文学部学生

 

    ???

 

    ???

 

    ???

 

 

 

    安斎都  探偵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「……は? 来られないかもしれない?」

 

 

 

思わず、素っ頓狂な声が出る。焦りの色が含まれているのが自分でも分かった。

携帯電話を掴む力が僅かに強くなり、相手の返答を固唾を飲んで待つ。

 

 

 

ちひろ『ええ。申し訳ないんですが、やはりこの天気では……』

 

 

 

電話越しに、幾分沈んだ声で話すちひろさん。

その言葉を聞いて、俺はチラリと窓の外へと視線を移す。

 

雨。いや、もっと正確に言い表すならば、豪雨とでも言えばいいか。

 

ザーザーと響くように鳴る雨音に、時折ガタガタと窓へと風が吹き付ける音も聞こえる。

 

まるで台風でも来ているのではないかと思うくらいの悪天候。こういったロケーションには定番とも言える、まさしく嵐である。いや、撮影まだ始まってないよ?

 

この旅館までの移動手段はバスしかない。

昼間乗ってきた時の道のりを思い出すと、確かにこの天気の中を来るのは厳しいだろうな。

 

 

 

八幡「……この嵐が止むまでは、難しいって事ですか」

 

ちひろ『一応、予報ではあと三日もすれば治まるようですね。そうすればすぐにでも向かう予定です』

 

 

 

三日……結構かかるな。

予報で雨と分かっていたとは言え、まさかここまで規模がデカイとは。ついていないのにも程がある。

 

 

 

八幡「けど大丈夫なんすか? 撮影のスケジュールとかに影響したりは…」

 

ちひろ『予備日を設けてありますから、その点は大丈夫かと。多少押す事にはなりますが、事態が事態ですし仕方ありませんね』

 

八幡「そう、ですか……」

 

 

俺も一応スケジュールには目を通してあるので、予備日がある事は知っていた。山の天気は変わり易いと言うし、多めに取っていた事も。しかしそれにしたって初っぱなから使うとは予想すまい。

 

 

 

ちひろ『その間そちらの事は比企谷くんに任せる事になります。申し訳ありませんが、よろしくお願いしますね』

 

八幡「……うっす」

 

 

あと三日、俺たちはこの嵐が過ぎ去るまでこのまま待機しなくてはならない。そして面子はアイドル数名と俺のみ。……コナンくんや金田一がいなくて良かったぜ。いたら確実に誰か死ぬ。

 

 

 

ちひろ『まぁ、特に気負う必要もありません。これを機に皆さんと親睦を深めてください♪』

 

 

 

簡単に言ってくれるぜ。むしろもう色々といらぬ世間話まで済ませてしまった所だ。この分じゃ夕食時が思いやられる。

 

……っていうか、もしかしてこれから三日間ずっと絡まれっぱなしの可能性もあるんじゃねぇの? 何それ嫌過ぎる。

 

俺が驚愕の事実に戦々恐々としていると、そこでちひろさんは思い出したかのように声を上げる。

 

 

 

ちひろ『あっ、そうそう。折角だから比企谷くんに持たせたアレも皆さんで頂いちゃってください。……分かりますかね?』

 

八幡「アレって、もしかしてあのやたら高そうな桐箱の事ですか」

 

 

 

持って来た荷物の中でも、なんか無駄に重いなとずっと思っていたから覚えていた。包みの隙間から桐箱が見えたので一応丁寧に扱ったが、まぁ、大きさと形状から中身は大体想像出来る。

 

 

 

ちひろ『そうですそうです! 元々は収録終わりの打ち上げ用にと思ったんですけど、今回お待たせさせてしまうお詫びに皆さんでどうぞ」

 

八幡「いいんすか? 打ち上げ用の方は…」

 

ちひろ『それはこっちが合流する時にまた用意しますから大丈夫です。あ、未成年の方にはあげちゃダメですよ!? もちろん比企谷くんも!』

 

 

 

一転、慌てたように注意してくるちひろさん。

つーかやっぱ中身はそっち系なのね……

 

 

 

八幡「分かってますよ。幸い喜びそうな大人の方たちが三人程いるんで、ありがたく貰っときます」

 

 

 

大分高級そうだったし、本当に喜びそうだ。羽目を外しすぎないかが少々心配ではあるが。

 

 

 

八幡「けど、別にそこまで気を遣う必要も無いと思いますけどね。天候の影響なんて誰のせいでもないわけですし」

 

ちひろ『そんな大した事じゃないですよ。まぁ敢えて言うなら……』

 

八幡「……言うなら?」

 

 

数秒の間を開けた後、電話越しの事務員さんは無駄にしたり声で言う。

 

 

 

ちひろ『私なりの愛ですよ』

 

八幡「そんな汚いもん、いらないです」

 

 

 

そんな会話を交わし、俺たちは少しだけ笑い合った。

ちひろさんも中々良い趣味をお持ちのようだ。それが原作派にしろアニメ派にしろ、な。

 

 

 

ちひろ『それではアイドルの皆さんの安全と健康管理の方、よろしくお願いしますね』

 

八幡「ええ。出来るだけ飲ませ過ぎないよう善処します」

 

 

 

電話を切り、自分で言った言葉にたぶん無理だろうなぁ…と苦笑が漏れる。

こんな事まで仕事に入ってるんだから、中々どうしてプロデューサーというものは大変だ。

 

……いや、絶対他のプロダクションならあり得ないよなやっぱ。冷静に考えておかしいでしょウチの事務所のあの酒豪連中。デレプロ多岐に渡り過ぎ問題。

 

 

 

八幡「さて、そろそろ夕食の時間か」

 

 

踵を返し、一階の会場へと向かう事にする。

俺が今いる場所は最上階である三階。の一番奥の談話室。俺の部屋は三階にあるが、何故わざわざ奥の談話室まで来て電話しているのか、それはズバリ電波がここじゃないと繋がらないからである。やっぱソフバってry……いや何でも無い。聞けば他の機種の人もそうらしいし、関係無いから。関係無い(震え声)。

 

廊下を歩きつつ、途中に例のゲームコーナーを通りかかる。そういや三階にあるんだったな。

 

正直後ろ髪を引かれる思いではあったが、プロデューサーである俺が夕食に遅れるわけにもいくまい。遊ぶのは後でだな。

 

あれ、でもここって何時までやってるんだ? 大抵終わり時間があって、それが過ぎたら暗くなって遊べなくなるよな。マジかよ。出来れば皆寝静まった時に一人で遊びたかったんだが……

 

 

念の為確認しておこうと、どこかに終了時間が書いてないか辺りを見渡してみる。

ふーん、ほーん、じゃんけんゲームあるやん。絶対勝てないんだよなこれ~。でもやる。違う違うそうじゃない終わり時間が知りたいんだよ俺は。何だココめっちゃワクワクする!

 

 

俺が誘惑の渦に呑み込まれそうになっていると、しかしそこで人影を視界の隅に捉える。あの金髪は……

 

 

 

「あーんもう取れない! これアーム弱過ぎないー?」

 

八幡「何してんだお前……」

 

 

 

小さなクレーンゲームに食い入るようにへばりつく少女。俺の呼びかけに一瞬ビクッと反応すると、こちらへ振り返る。

 

 

 

莉嘉「あ、八幡くん! やっほー☆」

 

八幡「やっほー。……じゃねぇ、もう夕飯だぞ」

 

莉嘉「えっ、ウソ。もうそんな時間?」

 

 

 

慌ててケータイをチェックする莉嘉。

ちなみに格好は既に浴衣になっており、長い金髪も結わずにストレートのままだ。うむ、悪くない。

 

 

 

八幡「もしかしてずっとここで遊んでたのか?」

 

莉嘉「んーん、最初はお姉ちゃんと電話したくて来たんだ。っていうかここ電波弱過ぎるよ八幡くん!」

 

八幡「俺に言うな……」

 

 

なんつーか、今時な文句を言ってくれるJCだな。そんなに電話がしたいなら一階のロビーに確か固定電話あったぞ? まぁどっちにしろ部屋から出ないといけない時点で一緒な気もするが。

 

 

 

八幡「電話はちゃんと出来たのか」

 

莉嘉「うんっ。……あ、そういえばお姉ちゃんから八幡くんに伝言があるんだ」

 

八幡「伝言?」

 

 

 

美嘉から俺に? なんだろう。温泉饅頭よろしくとかか? いやそれなら莉嘉に頼むか。

 

 

 

莉嘉「『莉嘉のこと、ちゃーんと面倒見て頂戴ね★』だって」

 

八幡「……さいですか」

 

 

 

なんつーか、相変わらすシスコン全快なこって。しかしそれを妹本人から言わせるってどうなの?

 

 

 

莉嘉「お姉ちゃんってば、アタシのこと子供扱いし過ぎだよねー! 一人でも大丈夫だもん!」

 

 

 

ぷりぷりと、頬を膨らませて抗議する莉嘉。この分じゃ、たぶん美嘉本人にも色々と文句を垂れてたんだろうな。

 

 

 

莉嘉「……まぁ、でも」

 

 

 

と、そこで莉嘉は一転顔を綻ばせて俺を見る。

 

 

 

莉嘉「お姉ちゃんもそう言ってたし、八幡くんが良いなら、アタシの面倒見てもいいよ?」

 

八幡「……なんじゃそりゃ」

 

 

 

ニパーっと、太陽のような笑顔。

言ってる事には全く可愛げが無いのに、笑顔はこんなにも可愛らしいんだから本当に困る。

 

これも美嘉の奴が甘やかしたからだろうな。……もっとも、俺も人の事は言えないが。

 

 

 

八幡「まぁ、今はプロデューサーは俺しかいないしな。……美嘉にも頼まれたし、面倒くらい見てやらん事もやぶさかではない」

 

莉嘉「えー? それってつまりどういうことー?」

 

八幡「莉嘉が可愛くて仕方ないから、面倒見てやるって事だよ」

 

 

 

俺がさもテキトーそうにそう言うと、莉嘉は吹き出すように笑い出す。

 

 

 

莉嘉「アハハ、何それ。なんかキモーい。……でも、ありがと♪」

 

 

 

嬉しそうに言って、また屈託の無い笑顔を作った。

ったく、軽々しくキモイとか言うなよな。どんどん美嘉に似て来てるような気がするぞ。なんだかんだで良い子な所とか、な。

 

 

 

八幡「そんじゃ、そろそろ行くぞ。夕飯に遅れる」

 

莉嘉「はーい。でももう少し遊んでいきたかったなー」

 

 

 

名残惜しそうに言う莉嘉。

こういう所はやっぱり子供っぽいな。いや、気持ちはすげぇ分かるんだけども。

 

 

 

八幡「メシ食ったらまた来ればいいだろ」

 

莉嘉「あ、じゃあ今度は八幡くんも一緒に遊ぼ! ホッケーやろうよホッケー!」

 

八幡「あ? いや、俺は…」

 

 

 

出来れば一人で来たかったんだが……あー、まぁ別にいいか。

はしゃいでる所を見られるのが嫌なくらいで、別段そこまで拘りがあるわけでもないしな。意地張って遊べないよりは全然マシか。

 

 

 

莉嘉「でもちょっと古くさいよねー。もっと新しいゲームがあったら良かったんだけど」

 

八幡「ばっかお前、その古くさいのが良いんだろうが。この空気感やべぇだろマジで」

 

莉嘉「うわっ、怒られた」

 

 

 

思わず反論してしまった俺に莉嘉が軽く引いていた。

いやいやいや、こればっかりは譲れないでしょ。このちょっと薄暗くて何故か床が絨毯な所とか最高じゃない? あ、分かんない? そうですか……

 

 

 

莉嘉「じゃあ遊び方が分からなかったのは八幡くんに頼むね☆ いる間に遊びきれるかな~」

 

八幡「……その点は心配いらないと思うがな」

 

莉嘉「え? なんで?」

 

 

 

俺の発言に、キョトンと可愛らしく首を傾げる莉嘉。

どうせ夕飯の時に話す事にはなるが、先に言っておいてもいいか。

 

 

 

八幡「この天候のせいで、スタッフさんや他の出演者が遅れるんだとよ。三日くらいは待機になる予定だ」

 

莉嘉「えー! そうなの!?」

 

 

 

あからさまに大仰な反応をする莉嘉。

まぁ、明日から仕事だと思っていたのに突然ヒマになるわけだもんな。驚きもするか。

 

 

 

八幡「多少スケジュールは押す事になるが、予備日もあるし、旅館も余裕を持って貸し切ってあるから大丈夫だろ」

 

莉嘉「そっか……」

 

 

 

少しばかり、元気を落とした様子の莉嘉。

なんだ、てっきり今の流れで沢山遊べると喜ぶと思ったんだがな。撮影が楽しみだったのか?

 

俺が訝しんでいると、そこで不意に莉嘉は神妙な顔つきになり、俺を見る。

 

 

 

莉嘉「ねぇ、八幡くん」

 

八幡「なんだ」

 

莉嘉「お願いがあるんだけど、いいかな」

 

 

 

お願い? おねがい、おねがいかぁ……

 

なんとも不穏なワードだ。プロデューサーになってからは特に。

莉嘉が珍しく真面目な顔で言っているのが拍車をかける。

 

けど、ついさっき面倒見るって言っちまったしなぁ。

 

 

 

八幡「……まぁ、内容によるよな」

 

 

 

俺が何とも歯切れの悪い返答を返すと、莉嘉は辺りを見渡した後、ちょいちょいと小さく手招きをする。耳を貸せというなぞらしい。

 

人に聞かれるとマズイ内容なのかとちょっと不安が増したが、大人しく耳を寄せる。

 

 

 

莉嘉「…………」 こしょこしょ

 

八幡「…………はぁ?」

 

 

 

その莉嘉からのお願いに、思わず変な声が出た。

 

いや、何を言い出すかと思えば……マジで?

 

 

 

莉嘉「お願い! 八幡くん!」

 

 

 

手を顔の前で合わせ、このとーり! と頼んでくる莉嘉。

いやしかし、そう言われてもなぁ……

 

 

 

莉嘉「…………」

 

八幡「…………」

 

莉嘉「…………」

 

八幡「……まぁ」

 

莉嘉「っ!」

 

八幡「……考えとく。一応な」

 

 

 

苦し紛れにそう言うと、莉嘉は満面の笑顔で「ありがとー!」と抱きついてくる。いや俺引き受けるとは言ってないかんね? 前向きに検討しつつ善処するだけかだんね?

 

しかしこいつ、俺の溢れんばかりのお兄ちゃん力を利用するとは侮れん奴だ。

 

莉嘉を引きはがし、もうさっさと夕食会場まで行く事にする。

 

 

 

莉嘉「あ、待ってよ八幡くん!」

 

八幡「待たん。……そういや、あのゲームコーナーって何時までやってるんだ?」

 

莉嘉「え? えーっと確か、10時までって書いてあったかな?」

 

 

 

思い出すように呟く莉嘉。

 

 

なるほど。10時ね。……いやキツくね?

 

どう考えたってあの方々の宴会がそんな早く終わるとも思えないし、俺が解放してもらえるとも思えない。これ、今日はもう莉嘉と遊ぶのは無理っぽいな……

 

とりあえずは、出来るだけ早く終わってくれるよう願おう。

 

莉嘉と共に廊下を歩き、会場へと早足で向かう。

 

 

 

若干な憂鬱な気分のまま、未だ見ぬ露天風呂へと思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

   * 登場人物紹介 *

 

 

 

    高垣楓  主人公

 

    渋谷凛  助手

 

    比企谷八幡  狂言回し

 

 

 

    片桐早苗  元警官

 

    鷺沢文香  文学部学生

 

    城ヶ崎莉嘉  現役女子中学生

 

    ???

 

    ???

 

 

 

    安斎都  探偵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食会場である一階の大きな和室。莉嘉を引き連れて部屋に到着すると、もう既に殆どの面子が揃っていた。

 

向かい会うように二列の食膳が並んでおり、入り口から向かって右側の列の手前、そこに浴衣姿の凛を捉える。ふむ。

 

俺は特に迷う事なく歩を進め、凛の隣に座ろうとしたのだが……

 

 

 

早苗「比企谷くーん?」

 

八幡「っ!」

 

 

 

呼びかけに、足が止まる。

見れば反単側の左列、その手前に座っていた早苗さんが俺を見ていた。不気味なくらいの笑顔で。

 

 

 

八幡「……なんすか?」

 

 

 

とりあえず、無視するのもアレなので聞いてみる。

 

 

 

早苗「いや、こっちこっち」

 

 

 

ちょいちょいと、手招くようにする早苗さん。

心なし既に顔が赤い。もう飲んでんのか? いやよく考えたらさっき大広間で飲んでたな。

 

尚も笑顔で手招きする早苗さんの真意を少し図りかねたが、そこではたと気付く。

 

あーなるほどな。そういう事か。

 

俺は納得すると、早苗さんの近くまで寄ってしゃがみ込む。

 

 

 

八幡「ここのゲームコーナー、10時までしかやってないらしいっすよ。遊びたいんなら早めに切り上げる事をお勧めします」

 

早苗「え。あ、うん」

 

八幡「では」

 

 

 

いい終えると、俺は立ち上がり反対側の列へと向かう。そして改めて凛の隣に座ろうとして……

 

 

 

早苗「って、んなことはどうでもいいのよっ!!」

 

八幡「っぐ!?」

 

 

 

背後からの見事なホールド。首がガッチリと締め上げられる。いやちょっ、またも柔らかい感触がががが! っていうか意識飛ぶぅ!

 

 

 

早苗「普通に考えて、こっちの席に座りなさいって意味だって分かるでしょ!?」

 

八幡「い、いや。そんな自ら地雷原へ飛び込むような真似を出来るわけが…ぐふ……」

 

早苗「あ! 今キミ分かってて逃げようとしたの認めたわね!?」

 

 

 

しまった失言だった。つーか何なのこの人めんどくさい……このめんどくささはどこぞのアラサー教師を思い出す。酒豪で腕っ節が強くて行き遅れそうとか、重なる部分多過ぎぃ!

 

そしてようやく解放されたかと思うと、そのまま襟首を掴まれ隣の席へと連行されてしまった。これもう逃げられないパターンやん……

 

向かい側を見ると、凛が哀れむように苦笑している。ダレカタスケテー。

 

 

 

早苗「何よ、そんな見つめ合っちゃって。そんなに凛ちゃんの隣が良かったわけ?」

 

 

 

俺の様子に、酷くつまらなさそうに言う早苗さん。子供かあんたは。

 

 

 

八幡「別にそういうんじゃないですけど……こういう場なら出来るだけ気の知れた奴の隣に座りたいんすよ。その方が気が楽ですし」

 

早苗「ふーん? でも私だって知り合いじゃない。他の子たちだって面識あるでしょうに」

 

八幡「だから出来るだけ、って話ですよ。もし叶うなら一人飯が一番良いです」

 

 

 

俺の発言に早苗さんが「うわぁ……」という表情をしているが、こればっかりは譲れん。いや別に飯食う時くらい一人でも良いじゃん? 普段でも一人のが良いけど。

 

 

 

「それじゃあ、もう一つのお隣は私が貰おうかしら」

 

 

 

そう言って、空いていた右隣に座る一人の女性。

いきなりの登場だったので俺は思わず面食らってしまった。いや抗議するヒマすら無かったぞ……

 

ひと際目を引くのがそのスタイル。着ている浴衣は凛や莉嘉と一緒だと言うのに、何とも凹凸が激しく目のやり場に困る(そういう意味では早苗さんも一緒だが)。

 

パッと見年齢は楓さんと同じくらいだが、どちらかと言えば早苗さんとの方が近い。茶髪のアップテールで、前髪は左側を編み込んでいる。

 

兵藤レナさん。

 

大人の色気漂う27歳。この人もデレプロ所属のアイドルである。

 

 

 

レナ「比企谷くんはまだ学生だったわよね? 一緒にお酒を飲めないのは残念ね」

 

楓「まったくです……」

 

 

 

どこからか25歳児の声が聞こえてくる。どうやら左隣の早苗さんの、更に隣に座っているようだ。

いやこっち側の席完全に飲んべぇサイドじゃないですか……

 

 

 

八幡「俺やっぱりあっちの席行きますよ。ほら、飲めないのに間にいても邪魔ですし。うん、それがいい」

 

早苗「逃がすとでも?」

 

八幡「いや逃げるとかそういうんじゃ痛い痛い痛い。痛いですよ早苗さんんんんんん! 分かりました! 分かりましたから!」

 

 

 

「分かればよろしい」と笑顔で関節技を外してくれる早苗さん。危ねぇ……もう少しで本来曲がっちゃいけない方向に腕が曲がる所だった。

 

つーかこれ完全にパワハラですよね? 絶対にそうですよね? 畜生覚えてやがれよ、今回は許してやる。おっぱいの感触に免じてな!

 

 

 

レナ「大丈夫よ。そんなに遅くならない内に解放してあげるから」

 

八幡「はぁ……正直あまり信用出来ないんですが」

 

 

 

 

諭すように言う兵藤さん。だが兵藤さんはともかく楓さんや早苗さんの人となりを知ってる俺からすれば、その言葉は何とも信じ難い。八幡知ってるよ、大人はそうやって僕らを騙すんだ。

 

しかし、そんな俺に兵藤さんは苦笑して言う。

 

 

 

レナ「本当よ。明日は撮影もあるし、さすがに未成年をそこまで付き合わせないわ」

 

 

 

うんうんと頷く楓さんに早苗さん。

そうか、そういやこの人たちはまだ撮影が延期になったの知らなかったんだな。丁度いいから説明して……

 

と、そこで向かい側の列が目に入る。

 

向かって左から鷺沢さん、凛、莉嘉。三人が仲良く談笑している。しかし、莉嘉の右隣。そこが一つ空いていた。

 

 

 

八幡「あの、あいつはまだ来てないんすか?」

 

レナ「え? ああ、そう言えばまだ来ていないわね」

 

早苗「たしか、準備が終わったらすぐに向かいますーって言ってたと思うけど」

 

 

 

思い出すように言う早苗さん。

そんならもう少しで来るか。全員が揃ってから説明した方が手間もかからないし、そっちのが楽ではあるな。

 

あんまり遅くなるようなら迎えに呼びに行く事も考えておこう。

 

 

 

早苗「ねぇ、それよりも比企谷くん」

 

八幡「はい?」

 

早苗「あたしはその包みがさっきから気になって仕方ないんだけど……」

 

 

 

ジーッと目線を向けるその先。

そこには俺が来る時に持ってきた例の包みが置いてある。さすが早苗さんめざとい。

 

 

 

八幡「ああ。これはちひろさんからの餞別です。詳しくは後で説明しますけど、お三方で頂いてください」

 

 

 

包みから桐箱を取り出し、早苗さんへと差し出す。

すると気になったのか、楓さんや兵藤さんも興味深そうに近づいて来た。いや近いな三人とも……

 

 

 

早苗「この大きさ、重さからして中身は……!」

 

 

 

ゆっくりと箱を開けて、中を確認する早苗さん。もちろん中身はお察しである。

 

 

 

早苗「だ、『大吟醸 剣聖武蔵』!?」

 

 

 

思わず驚愕の表情。アイドルがしちゃいけない顔してますよ。

 

 

 

レナ「文句のつけようのない高級酒ね。驚いたわ」

 

楓「本当に頂いて良いんですか……?」

 

八幡「いいっすよ。お礼ならちひろさんに言ってください」

 

 

 

本当に嬉しそうな様子の三人。

俺はあまり酒には詳しくないが、そんなに良い酒なんかね。

 

 

 

早苗「こりゃテンション上がるわね! 早いとこ始めましょ!」

 

楓「うふふ……どんな味がするのかしら」

 

八幡「もう少し待ってくださいよ。まだ全員揃ってないですし、料理もそろそろ運ばれてくるはずですから」

 

早苗「えー!」

 

 

 

俺が落ち着かせようとするも、ぶーぶーと抗議をする大人組。全然大人じゃねぇ。向かい側を見てみろ、まだあっちのが落ち着きがあるよ?

 

仕方ねぇな。めんどくさいがもう一人を呼んでくるか。

よっこらせと、渋々座布団から立ち上がる。

 

 

 

八幡「ちょっと俺、あいつを呼んでーー」

 

 

 

 

その時。

 

カッ、と。一瞬視界が真っ白になった。

 

 

 

 

 

莉嘉「きゃぁぁああああ!!」

 

凛「な、なに? 雷?」

 

 

 

耳がキーンとなる程の騒音に、外から見えた眩い光。恐らくはかなり近くへの落雷だろう。

音と光がほぼ一緒だった事から、すぐそこだったのが分かる。

 

しかしそれよりも……

 

 

 

早苗「ちょっ、ちょっと! 電気が消えたわよ!?」

 

文香「停電……でしょうか……?」

 

 

 

あちこちからアイドルたちの声が聞こえるが、何も見えない。

一面が真っ暗。正直俺もおっかなびっくりだった。

 

 

 

八幡「たぶん、さっきの雷でブレーカーが落ちたんだろうな」

 

 

 

ケータイのライトをつけて天井を照らす。こうする事で僅かだが光が反射して辺りがぼんやりと見えるようになる。

 

 

 

凛「でも、こういう施設なら予備電源? とかあるんじゃないの?」

 

 

 

同じように凛もケータイのライトで照らしてくれた。

こんな時でも落ち着いているとは流石だな。凛らしいっちゃ凛らしい。

 

 

 

八幡「あるかもしれんが、言っちゃ悪いが結構古い旅館だ。切り替わるのに時間がかかる事もある」

 

 

 

それに見た感じ非常灯も無さそうだし、あまり期待は出来ないな。

 

 

 

莉嘉「うう……怖いよぉ……」

 

文香「大丈夫です……もう少しすれば、旅館の人が…何とかしてくれますから……」

 

 

 

怯えるようにする莉嘉を宥める鷺沢さん。

そりゃこんな山の奥の旅館でこんな目にあえば怖くもなる。ぶっちゃけ俺だって一人だったら泣きわめいてた可能性高いぞマジで。

 

 

 

楓「比企谷くんの言う通り、ブレーカーが落ちただけなら良いんですけど……」

 

早苗「安心して! 武蔵はあたしが守ってるから!」

 

 

 

誰もそんな事は心配しちゃいねぇ。

 

 

 

凛「とりあえず、旅館の人が来るまでこうしてるしかないか……」

 

八幡「…………」

 

凛「? プロデューサー?」

 

 

 

俺が黙っていたのが気になったのか、心配そうに声をかけてくる凛。

 

 

 

凛「どうかしたの?」

 

八幡「いや、確かにこのまま待機してるのが一番だとは思うんだが……」

 

 

 

心配している事が一つ。

 

そしてそれを察したのか、兵藤さんが気付いたように声を上げる。

 

 

 

レナ「そ、そう言えば、あの子はーー」

 

 

 

と、言い終える前だった。

 

ドタドタドタと、何者かが駆けてくるような物音。

そこに余裕は無く、まるで獣のようにここへと近づいて来る。

 

その音に自然と皆は声を潜め、莉嘉だけが小さく悲鳴を上げた。

 

そして騒音がすぐ近くまで来た時。

 

戸は開け放たれた。

 

 

 

幸子「なななななななんで誰もボクの所まで来てくれないんですかぁーーー!!?」

 

 

 

闇の中で、つんざくような少女の叫びが一つ。

 

……心配無かったみたいだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

   * 登場人物紹介 *

 

 

 

    高垣楓  主人公

 

    渋谷凛  助手

 

    比企谷八幡  狂言回し

 

 

 

    片桐早苗  元警官

 

    鷺沢文香  文学部学生

 

    城ヶ崎莉嘉  現役女子中学生

 

    兵藤レナ  元ディーラー

 

    輿水幸子  自称・女優

 

 

 

    安斎都  探偵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人里離れた温泉旅館。そこへ突如襲う大嵐、更には雷で停電ときたもんだ。

脱出できる足は無く、三日後に訪れるであろう救助……ではなくスタッフさんたちを待つのみ。

 

こんな状況、普通ならまず無いであろう展開だが、これがサスペンスやミステリーの世界なら王道とも言えるから不思議である。ここまでくれば出来過ぎで少し怖い。

 

そしてそんな状況だからこそ、案外思考は冷静になってくる。緊張と共に心臓の鼓動が早くなっても、逆に頭の中は冷えてくる。これも数々の場数を踏んで来た賜物か。

 

そうだ、今いるメンバーの中では俺だけが唯一の男。それだけじゃなく、何よりも俺はプロデューサーだ。ならば、俺がしっかりしなくてはーー!

 

そんならしくもない責任感を以て、暗闇の中、俺は静かに言葉を発した。

 

 

 

八幡「……えー、とりあえず全員揃った事だし乾杯からですかね。早苗さんお願い出来ますか」

 

早苗「それはあたしが一番の年長者である事への皮肉って意味でいいわよね? 歯ぁ食いしばれ!」

 

凛「突っ込む所そこ!?」

 

 

 

拳骨は食らったが、乗ってくれて助かった。こんな所で滑ったら目も当てられないからね。全然冷静じゃないね俺!

 

しかし場を和ませるのは良いが、あまりそうふざけてもいられないようだ。

 

 

 

八幡「……充電しとくの忘れてたのは痛かったな」

 

凛「え? ……あっ」

 

 

 

凛の目線の先には俺のケータイ。さっきまでは天井を照らしていたが、今は何も灯っていない。ひっくり返してみれば、案の定電池切れのマークを表示していた。

 

凛の方はまだ充電があるようだったが、一つが消えただけで部屋の中が一段と暗くなる。正直輪郭がぼんやりと見えるだけだ。

 

最後のメンバーである輿水が自力でこちらに合流して5分程。電気の回復を待ったが、今の所その兆しは無い。旅館の人も来る気配が無いし、少し心配になってきたな。

 

と、そう思っているのは俺だけではないのか、来てからというものずっと挙動不審な一人の少女が尋ねてくる。

 

 

 

幸子「だ、だだだ大丈夫なんですよね? さっきから全然電気が回復する気配がしないんですけど、大丈夫なんですよね!?」

 

八幡「いや、俺に言われても……」

 

幸子「プロデューサーさんなんですから、なんとかしてくださいよぉ!」

 

 

 

嘆願する輿水。

好き勝手言ってくれやがってこの自称・女優め。そりゃこちらとしても何とかしてやりたいが、下手に動くのもな。というか正直どうしていいか分からないんですよ俺だって!

 

 

 

凛「幸子、落ち着いて」

 

幸子「うう……凛さん…」

 

 

 

若干ヒスりかかっている幸子を宥める凛。

さすがはクール代表、頼りになる。いやプロデューサーとして見習えって話なんだけども。

 

 

 

凛「こういう時こそ冷静にならないと。プロデューサーは魔法使いじゃないんだから」

 

楓「えっ、違うんですか……?」

 

八幡「え。なにその予想外の反応」

 

 

まるで俺が魔法使いじゃないのが不思議だと言わんばかりである。

しかし、ここぞという時にボケてくるなこの人。こんな時に余裕あり過ぎじゃありません?

 

 

 

八幡「あの、別に俺、魔法とか使えないですからね」

 

楓「そうなの、私てっきり…」

 

八幡「いやいやいや」

 

 

 

その具体的には言わないけどとりあえず意味深な感じにするのをやめてほしい。

 

 

 

文香「なんだか…ファンタジーな予感を感じさせる反応ですね……」

 

莉嘉「なになに、八幡くん魔法使いだったの? 杖とか使うの?」

 

 

 

そして何故か拡散される俺魔法使い説。

そして莉嘉。最近の魔法使いは杖とか使う方がむしろ希少だから。徒手空拳だったり銃火器使ったりするから。

 

 

 

早苗「まぁ、私たちをシンデレラにするという意味では、プロデューサーの比企谷くんはある意味魔法使いかもね」 ドヤァ

 

八幡「なんも上手いこと言えてないですよ」

 

幸子「なんでもいいから、早く電気つけてくださいよぉ!!」

 

 

 

さっきまでの緊張感はどこへやら。いつの間にか、いつものどこかに締まらない空気に。

まぁ、どんよりと暗いままよりは良いだろうけどな。

 

 

 

八幡「……ありがとうございます、楓さん」

 

 

 

小声で、それとなく礼を言う。

しかしそれに対する楓さんは飄々としたものだ。

 

 

 

楓「うふふ……さぁ、なんのことかしら」

 

 

 

可愛らしく微笑み、おどけてみせる。

全く、侮れん人だ。……ただ、この人の場合ホントに何も考えていない上での発言も考えられるからな。判断に困る。

 

 

と、そんな時小さな足音が聞こえてくる。

先程の輿水のようなドタドタしたものではなく、すり足のような静かなものだ。これは恐らく……

 

 

 

「失礼します。お客様方、大丈夫でしょうか?」

 

 

 

ふすまを開け、部屋へと入ってきたのは昼間の女将(と思しき人)。

懐中電灯を持ってきてくれたおかげで、部屋の中が少し明るくなった。女将さんの表情を見るに、心配と少しばかりの焦りの色が見える。

 

 

 

「来るのが遅くなり申し訳ありませんでした。怪我等はございませんか?」

 

八幡「ええ、大丈夫です。怪我人も特にいません」

 

 

 

と言ってから、俺は他のアイドルたちを見回す。

無言で頷いてるのを見るに、心配は無さそうだな。なんか輿水は未だに呼吸が荒いけど。

 

 

 

八幡「電気の回復はまだかかりそうなんですか?」

 

「時間がたてば予備電源に切り替わるはずなんですが……すいません、詳しい時間までは分かりかねます」

 

八幡「そうですか……」

 

 

 

まぁ、そりゃそうだろうな。一番困ってるのは旅館の人たちだろうし、文句も言えまい。

 

 

 

「これから非常用の懐中電灯と、あと念のため防寒着をいくつか持ってきますので、申し訳ありませんがもう少々お待ち頂けますか?」

 

八幡「…………」

 

「お客様……?」

 

八幡「ああ、いえ。……その海中電灯と防寒着が置いてある所って、ここから結構離れてるんですかね?」

 

 

 

俺が質問すると、女将さんは不思議そうに首をかしげる。何故そんな事を訊くのかと言わんばかりだ。

 

 

 

「は、はい。そうですね。館の奥にある倉庫へ行きますので」

 

八幡「……でしたら、俺も行きますよ。結構な大荷物でしょう」

 

凛「え?」

 

 

 

俺の発言に、今度は凛が戸惑った声を上げる。

 

 

 

「しかし、お客様にそのような……」

 

八幡「見た所あまり人手もいなさそうですし、手伝いますよ。その方が効率も良いでしょう」

 

 

 

古びた旅館で、しかも貸し切りだからなのか、比較的従業員は少なそうなのは傍目に見ても分かる。男手一つあればすぐ持ってこれるだろう。

 

女将さんは申し訳なさそうにしながらも、一応は頷いてくれた。

 

 

 

「……ありがとうございます。大変助かります」

 

八幡「いえ。こちらこそご迷惑をおかけして申し訳ないくらいです」

 

 

 

実際、こんな嵐で雷まで降って、それでもお客さんに奉仕しなきゃいけないとか大変な仕事だよな。少ない人数でやるなら殊更。

 

しかし、そんな俺の申し出にある意味で心配している者が数人。

 

 

 

凛「プロデューサー……大丈夫?」

 

八幡「平気だろ。ちょっと荷物持ちしてくるだけ…」

 

凛「自分から仕事を申し出るなんて、雷にでも打たれた?」

 

八幡「あ。なに、そっちの心配?」

 

 

いやそんな真面目に言うとか普通に酷くないですかね。

失礼だなー、俺だって有事の時くらいは気を遣いますよ? ホントダヨ?

 

 

 

早苗「あの比企谷くんがこんなに立派になって……一体何食べたのかしら?」

 

莉嘉「八幡くんも、こういう時は頼りになるんだね!」

 

 

 

言われたい放題です。本当にありがとうございました。

ちょっと皆さん辛辣過ぎません? これも日頃の行いの賜物という事か……

 

 

 

楓「あ、でしたら、私も一緒に行こうかしら」

 

八幡「は?」

 

 

 

と、そこで何故か楓さんも同行意志を唱える。

 

 

 

八幡「いや、別にいいっすよ。ここは男手一人で」

 

楓「でも防寒着も持ってくるなら、もう一人くらいいた方が良いでしょう? お供しますよ」

 

八幡「……万が一何かあったら…」

 

楓「その時は、比企谷くんが守ってくれるから大丈夫ですよ」

 

 

いや何を根拠にそんな事を? 全然大丈夫じゃないんですけど!

まさか楓さんまで来ると言い出すとは予想外だった。確かに往復するのも面倒だし、楽にはなるが……

 

 

 

凛「私も行く」

 

八幡「言うと思った」

 

 

 

どちらかと言えば、こっちの方が予想はついた。

暗くてよくは見えないが、凛の表情はたぶん譲らない気まんまんなんだろうな。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

正直、着いて来られると色んな意味で問題があるんだがな。

ただ、この二人が言って聞かなそうなのも分かっているし…

 

 

 

八幡「……まぁ、三人いれば懐中電灯と防寒着くらい一回で持ってこれるか」

 

 

 

あまりアイドルを危険に晒したくもないが、ただの停電だし、大丈夫か。

ここで問答しているのも面倒だ。そうと決まれば、さっさと向かおう。

 

 

 

八幡「んじゃそういうわけなんで、案内よろしくお願いします。……早苗さん、こっちは頼みましたよ」

 

早苗「任せなさい。アイドルの皆は責任持って元婦警のあたしが守るわ。…………あと、武蔵も」

 

八幡「良い台詞が台無しだよ」

 

 

 

いちいち締まらない人である。酔いか、酔いのせいなのか。

 

 

 

八幡「ほら、酒は箱に入れてしまっときますから」

 

早苗「あーんいけずぅー」

 

八幡「……兵藤さん、この酔っぱらい頼みます」

 

レナ「ええ、頼まれたわ」

 

 

 

苦笑しつつそう答える兵藤さん。最初っからこっちに頼めば良かったね。

 

 

 

幸子「うぅ……暗いの苦手ですから、早く戻ってきてくださいね」

 

文香「三人とも……気を付けてください…」

 

八幡「うっす……そうだ、莉嘉」

 

莉嘉「? なーに?」

 

 

 

俺が呼びかけると、キョトンとした表情を浮かべる莉嘉(暗いから想像だが)。

 

 

 

八幡「これ、俺のカバンだ。一応貴重品も入ってっから、無くさないよう預かっててくれ」

 

莉嘉「……うん。分かった! まっかせてよ☆」

 

 

 

自信満々に返事をする莉嘉。

 

よし。これで準備は整ったな。

 

 

女将さんと共に、俺たち三人は夕食会場を後にする。目指すは一階奥にある倉庫。さて、何事も無ければ良いが。

 

 

 

……あ、撮影延期の説明すんの忘れてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女将さんへと連れられ、懐中電灯と防寒着を取りにいく事になった一同。正確には俺と楓さんに凛という面子だが、正直やっぱり多い気もする。

 

というか、俺としては一人の方が何かと都合が良かったんだけどな。荷物を取りに行くだけとはいえ、あんましアイドルに危険を負ってほしくもない。それに……

 

 

と、そこで背後から突然肩をちょんちょんされた。少し驚きはしたが、別に幽霊とかではない……はず。恐らく。

今の俺たちの配置はライトを持った女将さんが先行し、その後を俺、更にその後ろに楓さんと凛が続くといった形。なので、自ずとアイドル二人のどちらかになるだろう。

振り返ってみれば、案の定顔を寄せてくる楓さんの姿があった。……あの、暗いとはいえそんなに近づかれると色々と困るんですが……なにこの良い匂い。

 

しかしそんな俺の思いを知ってか知らずか、楓さんは妙に楽しげな様子で話しかけてくる。

 

 

 

楓「ねぇ、比企谷くん」

 

八幡「なんすか」

 

 

 

何故か小声の楓さんに対し、俺も何となく同じ声量で返す。

 

 

 

楓「……こうしてると、何だか肝試しているみたいじゃない?」

 

 

 

うふふ、っと小さく笑いを零す楓さん。

 

あーまぁ確かにな。ライトは女将さんが持ってる一つだけだし、こうして縦に並んで進む様はそう見えなくもない。何より、この真っ暗な旅館内を少人数で歩くってのがな。正直さっきから怖くて仕方ないです。

 

 

 

八幡「確かにちょっとそんな気分にもなりますね。一人だったらキツかったかもしれません」

 

凛「へー。あのプロデューサーが一人は嫌だなんて、そんな台詞を言うなんてね」

 

八幡「はん、別に怖くなんてないぞ? ないけど、たぶん一人だったら常にわーわー声を上げて平常心を保とうとするってだけだ」

 

凛「それ怖がってるよね」

 

 

 

凛が突っ込み楓さんが笑うと、つられたように前方からも笑い声が漏れる。

 

 

 

「……暗いので、足下に気をつけてくださいね」

 

 

 

女将さんが取り繕うようにそう言ったが、何となく声音からその表情を察する。……なんか恥ずかしい所を見られたな。

 

 

そのまま廊下を歩いていくこと数分。特に急いではいなかったが、それ程かからずに目的の倉庫へと辿り着くことが出来た。女将さんが鍵を開け扉を開いてみれば、その中には様々な備品がしまってある。

 

しかし思ったよりも大きい部屋だ。毛布やシーツがある所を見るに、恐らくはリネン室も兼ねているのだろう。

 

 

 

「今探しますので、少々お待ちください」

 

 

 

そう言って、倉庫の奥の方へと進んでいく女将さん。

勝手に漁るわけにもいかないし、ここは大人しく待機だな。

 

 

 

八幡「……凛。あまり中に入り過ぎるなよ」

 

凛「? なんで?」

 

八幡「いや。こういう時に全員倉庫の中に入ると、大体扉が勝手に閉まるのがお約束だからな」

 

凛「さすがに無いと思うけど……」

 

 

 

と言いつつ、しっかり中へは入らない凛。まぁこう暗いし、さしもの凛も多少の恐怖感は感じているのだろう。それに比べて……

 

 

 

楓「早苗さんたち、もう先にお酒開けていたりしないかしら……」

 

 

 

不安そうな表情で言う25歳児楓さん。

 

能天気なもんだな……いや、ある意味じゃ恐怖を感じているとも言えるけど。正直こっちからしてみれば割りとどうでもいい。

 

 

 

「お待たせしました。コチラが懐中電灯と、防寒着になります」

 

 

 

女将さんが持ってきたのは懐中電灯が詰められた段ボールが一箱に、沢山の上着……これは、なんて言えば良いんだ。ダウンジャケット? 似たようなのを前にジャンパーって言ったら美嘉に引かれた事があるからな。気を付けねば。

 

 

 

八幡「んじゃ俺が段ボール持つから、上着は頼みます」

 

楓「良いんですか?」

 

八幡「まぁ、こういう時の為の男手ですし」

 

 

 

というかむしろ、ここで重い物持たなかったら情けないにも程がある。何しに来たか分からん。

 

そんな思いを汲み取ってくれたのか、楓さんと凛は上着を手分けして持ち、申し訳なさそうにしていた女将さんもそれに習った。

 

しかし、やっぱ人数分ともなるとさすがに多いな。……三人付いてきたのは正解だったかもしれん。

 

 

 

「それでは、鍵を閉めますので……」

 

八幡「ええ」

 

 

 

全員が倉庫から出て、女将さんが扉の鍵を閉める。

 

と、その時だった。

 

 

 

凛「あ」

 

楓「電気、つきましたね」

 

 

 

声をあげる凛と、キョロキョロと辺りを見回して言う楓さん。

 

先程まで暗く何も見えなかった廊下が、パッと昼光色の光で明るくなったのである。どうやら予備電源に切り替わったらしい。

 

ホッ、と。女将さんが安堵したのが分かった。旅館側の人間としてはやっぱ気が気じゃなかっただろうな。

 

 

 

八幡「良かったですね」

 

「ええ。ご心配をおかけしました」

 

楓「これで飲み会に戻れますね♪」

 

 

 

そっち?

 

 

 

八幡「そんじゃ戻るか」

 

凛「そうだね。……でも、これはどうするの?」

 

 

 

手に抱える防寒着を見て言う凛。

 

 

 

八幡「まぁこの後も何があるか分からんから、念のため持ってった方が良いかもな」

 

 

 

と、言ってから女将さんに視線を向ける。

よく考えれば、俺が決めていい事ではない。ホテルの備品だし。

 

 

 

「そうですね。お手数ではありますが、格部屋へお持ち帰りして頂く方が宜しいかと思います」

 

八幡「だ、そうだ」

 

楓「それじゃ、すぐに戻りましょうか」

 

 

 

凛も頷き、一同は荷物を抱えたまま夕食会場の和室へと戻る事にする。

今頃はあっちも安心している事だろう。

 

戻る途中、ふと楓さんが思いついたように話し始める。

 

 

 

楓「けれど、案外あっさり解決してしまったわね」

 

 

 

けれど、という言い回しが本当に雪ノ下そっくりだったのだが、それはひとまず置いておく。

 

 

 

八幡「と、言うと?」

 

楓「ほら。こういう時って電気が回復するまでの間に、何か事件が起きたりするじゃない?」

 

 

 

悪戯っぽい笑顔で言う楓さん。

何か事件とは、また物騒な事を言い始める。まぁ言いたい事は分かるけど。

 

 

 

楓「暗がりに生じて、か弱い少女を……ぐわぁっと!」

 

凛「ひゃっ……! ちょっ、楓さん!?」

 

 

 

凛のらしくも無い悲鳴に、思わずバッと振り返る。え、今なに。何されたの!?

 

 

 

凛「ど、どこ触ってるんですか」

 

楓「ごめんなさい。後ろ姿が無防備だったから、つい」

 

 

 

顔を赤くしてジト目で抗議する凛。対する楓さんはにこやかである。完全に親父キャラやないですか。……で? 一体どこを? 凛のどこをどう触ったんですかねぇ!? プロデューサー気になります!

 

どうやら明るくなった事で気が緩んでいるらしい。こうやって遊ぶ余裕も出て来た(一人に関しては元々な気もするが)。

 

しかし楓さんが言った、こういう時は何かしらの事件が起きるものだという台詞。

冗談めかして言ったであろうが、実は案外的を射ていたりする。

 

というのも……

 

 

 

凛「あれ?」

 

 

 

元の和室へと戻り、襖を開けた凛が声をあげる。

 

 

 

文香「……お帰りなさい」

 

凛「ただいま。……文香だけ?」

 

 

 

凛の後を追って中を除いてみれば、確かにそこには鷺沢さんしかいない。

 

 

 

凛「他のみんなは?」

 

文香「それが、電気がついた途端、部屋から飛び出していきまして……」

 

 

 

部屋から飛び出してった? 鷺沢さん以外?

なんでまた……と一同が思っていると、そこに上機嫌に鼻歌を歌いながら一人戻ってくる。

 

 

 

早苗「いや~危なかったわ。あ、比企谷くんたちお帰りなさい。電気戻って良かったわね!」

 

八幡「早苗さん。どこ行ってたんすか?」

 

早苗「もう、そんなの女性に訊く事じゃないわよ? トイレよトイレ。それよりも武蔵を……」

 

 

 

と、どうでもいいとばかりにそそくさとお酒の元へと行ってしまう。あの、一応さっきまで非情事態だったんですが……

 

まぁ、平気そうなら別に良い。他のメンバーも同じ理由かもしれないしな。それならば確かに早苗さんが言うように野暮な詮索だ。

 

 

 

八幡「懐中電灯と防寒着は各々で部屋に持ち帰るとして、とりあえずは部屋に置いておきますか」

 

「ありがとうございます。……こちらの和室のご利用時間は当初の予定通りに?」

 

八幡「いえ。さすがに申し訳ないんで、飯だけ食べてすぐに各自部屋へ戻ることにします」

 

 

なんか点検とか、問題が無いかチェックとかやりそうだしな。迷惑にならないよう早く寝てしまった方が良いだろう。

 

女将さんにそう言った所で、チラと楓さんを伺ってみる。

何か異を唱えるかとも思ったが、特段そんな様子は見えない。

 

 

 

楓「事態が事態ですし、仕方ありませんね……」

 

 

 

お、おお……ちょっと感動した。

いや、そりゃ楓さんだって大人だし、そうだよな。こんな時くらいは自重するよな。

 

 

 

楓「改めてお部屋で飲みましょう」

 

八幡「そう来るか」

 

 

 

期待を裏切らない人だった。

 

 

 

「それでは私は戻りますが、何かあればお声がけ下さい」

 

八幡「ええ。ありがとうございました」

 

 

 

一度深く礼をして、女将さんはその場を後にする。

 

しかしこんな不足の事態になってもお客さん第一に行動しなきゃならんとか、本当に大変そうな仕事だ。それこそミステリーなんか起きよう日には堪ったもんじゃないだろうな。……これまであったりしたんだろうか。

 

 

 

八幡「そんじゃ、さっさと飯食って…」

 

早苗「ぎいぃえぇぇーーーーーーーーーーーっ!!?」

 

八幡「……………」

 

 

 

早苗さんの、悲鳴。

 

だが何故だろう。とてつもなくギャグ臭がハンパないのは。全然危機感が襲わない。

 

 

 

八幡「今度はどうしたんすか早苗さん。そんなアイドルらしからぬ声出して。凛との歳の差が干支一回り以上って事実に恐怖でもしたんすか?」

 

早苗「え? 嘘だぁ……ひい、ふう、……で、だから……うん。あ、マジだ。…………って違うわよ! 殴るわよ!?」

 

 

 

しっかり殴られた。グーで。

 

 

 

早苗「そんな事より、これよこれ! 見てよ!」

 

 

 

ずい、と早苗さんが差し出してきたのは、俺が持ち寄った例の桐箱。開かれたその箱の中には、しかしお酒の瓶は入っていない。

 

そう、空であった。

 

 

 

早苗「無いのよ! 剣聖武蔵がっ!!」

 

 

 

部屋の中へと木霊する、早苗さんの叫び。

 

 

 

八幡「あ。そうすか」

 

早苗「反応薄っ!? そんだけ!?」

 

八幡「いやそう言われても……」

 

 

 

正直どうでもいい……という反応の俺と凛(鷺沢さんはよく分からん)。しかし、過敏に反応する人物が一人。言わなくても分かるな。

 

 

 

楓「……早苗さん。それは本当ですか?」

 

 

 

静かに、だがしっかりと、焦りの色を浮かべている。

下手をすれば、彼女がこんなに感情を露にしているのを見るのは初めてかもしれない。それで良いのか現役アイドル。

 

 

 

早苗「ホントよホント! ほら!」

 

楓「確かに空ですね……この中に入っていたんですか?」

 

早苗「ええ。確かに中……に…………?」

 

 

 

記憶を辿るように思い出していた早苗さんは、そこではたと気づく。そして、そのまま視線はゆっくりと俺へ。あ、これまずいやつだ。

 

 

 

早苗「……比企谷くん! 確か、最後に持ってたのあなただったわよね!?」

 

八幡「最後に箱にしまったのは俺ですけど…」

 

早苗「その時本当はどこか別の所に置いたんじゃないの!? どうなの!?」

 

八幡「あがががががががが」

 

 

 

強引に掴まれ、がっくんがっくんと肩を揺すられる。いやちょっと落ちついて痛い痛い痛い!

 

 

 

八幡「ちゃ、ちゃんと箱に入れましたよ。見てなかったんすか?」

 

早苗「あんな暗い中で見えるわけないでしょ!」

 

楓「まぁあぁ。とりあえず、部屋の中を探してみましょうか」

 

 

 

楓さんが早苗さんを宥め、仕方なく部屋の中でのお酒捜索が始まる。と言ってもただの広い和室だからな。探せる所など殆ど無い。5分とかからず終えてしまった。

 

 

 

早苗「やっぱり無いわねー」

 

凛「仲居さんが持ってったとか?」

 

文香「待っている間、他の方が入ってくる事は無かったので、それはないかと……」

 

 

 

鷺沢さんの証言通りならば、俺たちが部屋を出てからは誰もここへ立ち寄ってはいない。つまり誰かが持ち出す事は不可能という事だ。……いや、

 

 

 

八幡「……明かりついて出ていった人たちなら、一応持ち出す事は出来るな」

 

凛「!?」

 

早苗「っちょ、あなた、みんなを疑う気!?」

 

八幡「別にそこまでは言ってないですよ。あくまで可能性の話です」

 

 

 

と、そこで襖が再び開けられる。

皆が視線を向けてみれば、そこにはいなかったメンバー全員が戻って来ていた。

 

 

 

レナ「ど、どうしたの。みんなしてそんなに見て」

 

幸子「はぁー……一時はどうなる事かと思いましたよ……」

 

莉嘉「あれ? みんなまだご飯食べてなかったの?」

 

 

 

見た感じ、特に怪しい所は無い。

 

俺が早苗さんを見ると、彼女はとても真剣な表情で、本当に仕事の時にしてくれと言いたくなる程に真剣な表情で、呟いた。

 

 

 

早苗「これは、事情聴取の必要があるわね……!」

 

 

 

そこまでの事か。

 

 

その後戻ってきたメンバーに事のあらましを説明。お酒の行方を知らないか訊いてはみたが、残念ながら誰も知らないようだった。

 

 

 

レナ「なるほど……これは確かに事件ね」

 

早苗「そうでしょう!? 誰か、無意識に持ってったりしてない?」

 

 

 

一体どれだけお酒が好きなら無意識にそんな行動に出るのか。むしろあなたの方があり得そうじゃありません?

 

 

 

八幡「ってか、早苗さんも部屋からすぐに出てったんですよね。それこそ酒に目が眩んで持ち出したんじゃ…」

 

早苗「なんですってぇ!」

 

 

再び、がっくんがっくん揺らされる。今度は胸ぐらだ。段々余裕無くなってきてるぞこの人……!

 

 

 

早苗「さっきも言ったけど、あたしはトイレに行ってただけよ! そりゃ、アリバイは無いけど……とにかく元婦警のあたしがそんな事しないっての!」

 

 

 

力説する早苗さん。

正直、こんなしょうもない事でアリバイうんぬんとか言わんでほしい。なんか嫌だ。

 

 

 

レナ「私は部屋に携帯電話を取りに行ったけど、それも特に証明は出来ないわね」

 

莉嘉「アタシも、部屋に戻って電話してたよ? お姉ちゃんに報告しておこうと思って」

 

幸子「ぼ、ボクは、えぇっとー……そう、トイレ! トイレに行ってました!」

 

 

 

約一名焦り過ぎな気もするが、一応は全員が知らないと言っている。しかし、証明は出来ない。

 

 

 

八幡「…………」

 

早苗「あれ? でもあたし幸子ちゃんとトイレで会ってないわよ?」

 

幸子「うぇっ!? いや、あの、えっと……そう、ボクは一人じゃないと集中出来ないんですよ! だから部屋まで戻ったんです! ええ!」

 

 

 

そんな情報は別にいらん。っていうか君アイドルだよ? もうちょっと言い方ない?

 

 

 

凛「そもそも、明かりがついた後に持ってったらさすがにバレるんじゃない?」

 

八幡「どうなんですか?」

 

文香「……正直、皆あっという間に出て行ったので、何とも」

 

早苗「あー……確かに、そこまで気に留めてなかったわね」

 

 

 

じゃあ、どさくさに紛れて持ち出した可能性は否定できないわけだ。

まぁ俺以外は全員浴衣だし、瓶はデカイが隠そうと思えば隠せるか……なんかエロいな(小並感)。

 

 

 

八幡「……とりあえず、ちゃっちゃと飯にしちゃいましょう。片付けられないんで」

 

早苗「うう……折角良いお酒で晩酌出来ると思ったのに……」

 

八幡「ちなみに飯食ったらすぐ部屋に戻ってくださいね。二次会も無しで」

 

早苗「嘘でしょぉッ!?」

 

 

 

そんなこんなで、喚く早苗さんを宥めつつ、夕食をなんとか終える。

ちなみに撮影が遅れる事はこの時に伝えた。危ねぇ……普通に忘れる所だった。

 

 

 

レナ「嵐で来れない……いよいよサスペンスじみてきたわね」

 

文香「三日も何もしないでいて、大丈夫なのでしょうか……?」

 

八幡「予備日があるのでその点は心配いらないそうです」

 

早苗「うう…武蔵……」

 

 

 

まだ言ってんのかこのアラサーは。

 

 

 

凛「その間って、私たちは何してればいいのかな」

 

莉嘉「ヒマになっちゃいそうだよねー」

 

八幡「まぁ、台本とか読んで……ゆっくり休んどきゃいいんじゃないか」

 

 

 

正直俺も特に指示する事は無いし、する事も無い。休んでくれとしか言いようが無かった。

 

しかし、さっきから一つ気になる事が。

 

 

 

楓「…………」

 

 

 

飯食う前あたりから黙りこくってる楓さんである。

 

珍しく、その表情は思い詰めてると言える。……まぁ、何となく想像はつくけどな。

 

 

 

レナ「それじゃあ、そろそろお開きにしましょうか」

 

八幡「ええ。お酒を飲むのも良いっすけど、各自自己責任でお願いします」

 

早苗「くっ……子供のくせにまともな事言っちゃって……!」

 

 

 

大人のくせにまともじゃない人が多いんです。とは言えない。また鉄拳制裁くらっちゃう。

 

そして自分の部屋へ戻る間際、件の楓さんがそっと耳打ちしてきた。思わず、バッと後ずさる。

 

 

 

楓「――後で部屋に行きますね」

 

 

 

そう、彼女は言っていた。

 

これが何も無い場合の台詞なら何と心くすぐられた事だろうか。しかし、実際はそんな色気づいたものではない。

 

……一体何を言い出す事やら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“後で部屋へ言く”。

 

そう俺に告げた楓さんは夕食を終え別れた後、30分程で宣言通り俺の部屋を尋ねてきた。

 

 

……二人のお供を連れて。

 

 

 

楓「こんばんは」

 

八幡「どもっす。……で、どうしたんすか。凛と鷺沢さんまで連れて」

 

 

 

楓さんの後ろには、何とも複雑そうな表情をした凛と相変わらず感情を読み取り辛い鷺沢さんが控えている。何と言うか、巻き込まれました感がハンパない。俺含めて。

 

 

 

楓「まぁまぁ。とりあえず、中に入れさせれ貰ってもいいかしら?」

 

八幡「そりゃ、まぁ……どうぞ」

 

 

 

特に断る理由も無いので、入室を許可する。……いやーでもこれなんか長くなりそうだなぁ。だって手になんかビニール袋持ってるもん。あれ缶的なもの入ってるよシルエットで分かる!

 

しかし気付いた所で時既に遅し。仕方ないので、残りの二人も中へ招く。ツインルームの洋室を一人で使うという贅沢な状態のため座る所には困らない。

 

ちなみにアイドルたちもそれぞれ一人一部屋あてがわれている。莉嘉と輿水はまだ中学生だが、今回は役者として呼ばれているからな。間違ってもツインルームの四人使用なんてことにはならない。ベッド争奪戦も無い。

 

 

 

八幡「ほら」

 

凛「ありがと」

 

文香「……失礼します」

 

 

 

二人を椅子へ促し(楓さんは既にベッドに腰掛けていた)、全員が座ると、自然と部屋の中央を見る囲ったような位置になった。そして、何が始まるのかと楓さんへと視線を向ける。他の二人も同様だ。この分じゃ、二人にもまだ話してないんだろうな。

 

 

 

楓「それじゃあ早速だけど、ここへ来た理由を話すわね」

 

八幡「ええ」

 

 

 

俺が返事をすると、楓さんは持って来ていたビニール袋を少し持ち上げ、とても良い笑顔をつくる。

 

 

 

楓「まず一つは、比企谷くんたちと飲み明かしたいなぁ……と思って来たのと」

 

八幡「………………」

 

文香「(……比企谷さんが、頭を抱えています…)」

 

楓「あ。もちろん、比企谷くんたちの分のソフトドリンクも持ってきてるから、安心してね」

 

八幡「…………………………」

 

凛「(楓さん、たぶんそういう事じゃないと思うよ……)」

 

 

 

いや、うん。これは予想通り。予想通りだけど、出来れば外れてほしかったなーって。

 

 

 

八幡「……早苗さんと、あと兵藤さんは?」

 

楓「今は早苗さんの部屋で飲んでるんじゃないかしら。私は用事があると言って抜けてきたけれど」

 

 

 

そうか、そこだけは運が良かったな。あんだけ不貞腐れてたし、部屋に押し掛けてきて更に絡み酒とか目も当てられない。まぁまだ来ないとは限らないのだが。

 

 

 

楓「でも、とりあえずは本題の後ね。二つ目が重要なの」

 

八幡「……二つで全部ですか」

 

楓「全部です。……あ、でも三つあるかも…」

 

八幡「二つでお願いします」

 

 

 

絶対今この人思いつきで言っただろ。ほら、だって舌出したよ今! 

何とも良いように弄ばれてるものだ。この大人の余裕はどことなく陽乃さんを思い出す。全く違うタイプなのにな。不思議だ。

 

 

 

八幡「……それで、その二つ目ってのは?」

 

楓「ええ。みんな薄々気付いてるかもしれないけれど……」

 

凛「……もしかして」

 

楓「剣聖武蔵を、見付けましょう」

 

 

 

表情を一転、キリッとした顔つきで言う楓さん。だがあまり締まらないのは何故だろうか。

まぁ、これも予想通りだな。

 

 

 

楓「正確には、武蔵を隠し持っている人を暴く、と言った方が良いかしら」

 

八幡「……やっぱ、そうなりますよね」

 

凛「ちょっと待って」

 

 

 

そこで介入してくる凛。

どうやら楓さんの言い方に気になる点があった様子。

 

 

 

凛「その言い方だと、誰かが持ってるって確信してるように聞こえるけど」

 

楓「確信、ではないけれど、私はその可能性が高いと思っているわ」

 

 

 

顎に手を当て、考えるように言う楓さん。何とも絵になるな。探偵役でもいけそうだ。

 

 

 

八幡「確かに、あの状況じゃ自然に無くなるなんてまずあり得ないからな。第三者が介入する術も無いようなもんだし、あの部屋から出た誰かってのが有力だろ」

 

文香「…それで、このメンバーが集められたんですね……」

 

 

 

納得したように呟く鷺沢さん。

まぁ、この面子って時点で何となく想像はついたけどな。

 

 

 

楓「あの時私と比企谷くんと凛ちゃんは部屋を出ていて、文香ちゃんはずっと部屋にいました。なので協力を仰ぐならこのメンバーだと思ったの」

 

文香「ですが、皆さんが出て行った後……私にも一人の時間がありました。そこは良いのですか……?」

 

 

 

何故か自らアリバイが無い事を告げる鷺沢さん。それを言う時点で犯人では無さそうなもんだが、その発言に対する楓さんの返答はこれだ。

 

 

 

楓「ふむ……」

 

文香「…………」

 

楓「……その発想は無かったわね」

 

 

 

無かったのかよ。

 

思わずガクッとなる。どうやら探偵役は無理そうだな。ってか本当に探す気ある?

 

 

 

八幡「……まぁ、どっちにしろ、鷺沢さんには無理だと思いますよ」

 

凛「何か理由があるの?」

 

八幡「単純に、電気が付いてから全員が居なくなるなんて分からないからだよ。突発的に行動した可能性もあるにはあるがな」

 

 

 

全員が部屋を出て行って、今がチャンス! とお酒を隠す行動に出る等どんな状況だろうか。いや、それを言ったらお酒を持ってく奴の動機も良く分からんって話になるんだが。

 

 

 

八幡「それに、俺らがいつ戻って来るかも分からんのに行動するのはリスクが高い」

 

凛「なるほどね。確かにそんな短い時間で隠すのは難しいかも」

 

文香「一応、窓から放り投げるという手も……」

 

楓「文香ちゃん、そんな事をしてはダメよ。絶対にダメ」

 

 

 

とても迫真の表情でおっしゃる楓さん。だから、そう言う時点でまずやってないって。

 

 

 

八幡「その唯一可能そうな窓からって手も、この嵐を考えれば多分無理だろうしな」

 

凛「そっか。今窓なんて開けたら雨水が入った痕跡が残るはずだもんね……」

 

 

 

解説を踏まえつつ、納得するように頷く凛。助手としては最高の仕事である。

 

 

 

凛「私たち三人はいいの? 一緒にいたから、難しいとは思うけど」

 

楓「そうね……」

 

 

 

楓さんは少しだけ考え込む素振りをするが、すぐに顔を上げて告げる。

 

 

 

楓「そこまで考え出したら切りが無いし、私たちの中に犯人がいるとは考えないようにしましょうか」

 

八幡「……ノックスの十戒、とはまた違うか」

 

凛「? ノックス……って、何?」

 

 

 

俺の呟きに首を傾げる凛。

それに答えてくれたのは鷺沢さんだった。

 

 

 

文香「ロナルド・ノックスが提唱した、推理小説における十個のルールのようなものです……」

 

 

 

さすがは鷺沢さん。色々読むとは聞いていたが、どうやら推理小説にも精通しているらしい。

 

 

 

凛「十個のルール……」

 

文香「はい。その内の一つに、“登場人物が変装している場合を除いて、探偵役が犯人であってはならない”……というものがあります。それが今回で言う、私たちのこと……ですね、比企谷さん」

 

八幡「ええ」

 

 

 

まぁ、あくまで推理小説を作る上での基本指針みたいなもんだし、現実に当てはめるのは無理があるがな。しかし可能性を絞るという意味においては、身内の可能性を排除するのは悪い手ではない。それこそ考え出したら切りが無いからだ。

 

すると、そこで鷺沢さんが俺に視線を向けているのに気付く。

 

 

 

文香「十戒をご存知という事は…比企谷さんも、推理小説をお読みになるんですね……」

 

八幡「まぁ、割と」

 

文香「そう…ですか」

 

 

 

何とも口数の少ない会話。

 

だが、初めて面と向かって彼女の笑顔を見た。僅かに微笑むその表情は、普段とのギャップも相俟って色々やばい。いや可愛過ぎないかこの人。思わず、目を逸らす。そして逸らした先には、ややジトッとした目の凛。バッチリ見ラレテター。

 

取りあえず、意味も無く一度咳払い。

 

 

 

八幡「……えー、で、何の話でしたっけ」

 

楓「ひとまず私たちは抜いて、残った四人の中から考えましょう。という所です」

 

 

 

そうだった。となると、残りは兵藤さん、輿水、莉嘉、そして早苗さんか。……元婦警が一番動機としては怪しいってこれどうなの。

 

 

 

凛「……けど、疑うのってあまり良い気がしないね」

 

文香「確かに、そうですね。……同じ事務所の仲間…ですから」

 

 

 

ばつが悪そうに言う凛に、同調する鷺沢さん。

まぁ、言いたい事は分かる。たかだか酒が無くなっただけだが、それでも誰かが盗んだじゃないかと疑うのは良い気分じゃないだろう。

 

しかしそこで、発起人である楓さんは言う。

 

 

 

楓「そうね。……でも、以前私の先生が言っていたわ」

 

八幡「先生……?」

 

楓「“信じる事と思考の放棄は別物だ。だから、信じたい奴ほど疑わないといけない時がある”」

 

 

 

うえっ!?

 

思わず、変な声が出そうになった。いやいやいや、その台詞は……

 

 

 

楓「確かに大切な仲間を疑うのは良くないと思うけれど……信じたいから、やっていないと証明したいから調査する。そういうのもありなんじゃないかしら」

 

文香「やっていない事を…証明する為に……」

 

 

 

反芻する鷺沢さん。表情を見るに、目から鱗といった感じだ。

しかし、それに対して凛はどこか踏ん切りがつかないように見える。まだ、納得し切れていないという様子。

 

 

 

凛「それも分かるけど、でも……」

 

楓「でも?」

 

凛「……それでも私は、どうしたって信じたい人はいると思う。何の根拠も無く、それこそ、思考を放棄しても良いくらいに」

 

 

 

とてもとても真っ直ぐに、凛はそう言い切った。

 

今度は、俺が目から鱗が落ちるかと思ったよ。

……本当、こいつはハッキリ言ってくれるよな。そこが良いとこなんだが。

 

そして楓さんはと言うと、こちらも特に否定する事は無く…

 

 

 

楓「そうね。それも間違ってないわね」

 

凛「へ?」

 

楓「そう言える凛ちゃんの考えは、とても素敵だと思う」

 

 

 

まさかの切り返しに、逆に拍子抜けの凛。

楓さんも、恐らくはこれで本心なんだろうから敵わないよな。とらえ所の無い人だ。

 

 

 

楓「でも、今回はそこまで真剣に考えなくてもいいんじゃないかしら。私も、残り三日をどう過ごそうか考えて、時間もあるし、折角だから調査してみようかなって、そんな思いつきだったから」

 

凛「……それってつまり」

 

 

 

ヒマ潰し……とまではさすがに言わないが、まぁ、概ねそんな所だろう。

だが実際、そんな大した事じゃないからなぁ……正直事件とすら呼べない。物が物だけに大騒ぎしてる人はいたけど。

 

 

 

楓「だからそんなに重く考えないで、気楽にやってみましょう?」

 

凛「は、はぁ」

 

 

 

楓さんは楽しげだが、凛は困惑するばかり。

たぶんここで楽しめるかどうかで人柄が分かるな。本田とかはノリノリで加担しそうだし、島村は……あいつも以外と楽しみそうだな。

 

 

 

鷺沢「それでは…残りの三日で、お酒の行方を私たちで辿る……という事で良いでしょうか」

 

楓「そうね。見事探し出した暁には、皆で祝杯を上げましょう。武蔵で」

 

八幡「飲めるの楓さんだけですよ」

 

 

 

まぁ、どうせその時は兵藤さんと早苗さんも一緒だろうがな。仮に二人のどっちかが犯人でも一緒に飲むんだろう。想像つく。

 

 

 

凛「あの四人の内の誰か、か……」

 

八幡「……けど、確かに気になる事はある」

 

凛「気になる事?」

 

 

 

凛が疑問符を浮かべ、そして楓さんと、鷺沢さんも俺へと視線を向ける。

 

 

 

 

 

 

八幡「あの時早苗さん以外の三人は、嘘をついていた」

 

 

 

 

 

自分たちが何をしていたかを説明した、あの時。彼女たちは確かに嘘をついていた。

俺がハッキリそう告げると、凛たちが少なからず驚いたのが分かった。

 

 

 

凛「嘘をついてた……?」

 

八幡「ああ。輿水が出任せを言ってたのは気付いてただろうが、兵藤さんと莉嘉の証言も怪しかった」

 

 

 

輿水はあんだけ動揺してたからな。犯人かどうかは置いといて、何かしら隠してるのは間違いない。あれで全部演技だったらマジで女優だ。

 

 

 

八幡「まず兵藤さんだが、部屋に携帯電話を取りに行ったって言ってたよな。けど実際、元々持ってたんだよ。実際確認した」

 

凛「確認したって、どうやって?」

 

八幡「電気が消えた時、隣にいた兵藤さんが持ってた巾着に間違って手が触れたんだよ。あの形は携帯電話で間違いないはずだ」

 

 

 

恐らくは形状からしてスマートフォン。さすがにiPodなんて持って来るはずないし、そうすると何故わざわざ部屋に取りに行ったなどと嘘をついたのか。

 

 

 

楓「それじゃあ、莉嘉ちゃんは?」

 

八幡「莉嘉は部屋に電話しに行ったって言いましたけど、それもおかしい。この旅館は“三階の談話室まで行かないと電波が届かない”はずですからね」

 

 

 

これも俺は実際に確かめたし、何より莉嘉自身が言っていた事でもある。自分の部屋じゃ、電話をする事は不可能。

 

 

 

八幡「早苗さんがトイレに行ったって言ってたのは恐らく本当だろうな。幸子がいなかったのを知っていたし、本人も認めていた。まぁ、別の理由で行った、という可能性もあるが」

 

鷺沢「……洗面所に…流した、とか」

 

楓「ダメよ文香ちゃん。そんな事をしては絶対にダメ」

 

 

 

だから物の例えでしょーに。

 

 

 

八幡「とにかく、嘘をついてる以上、何かを隠してるのは事実でしょうね」

 

楓「そう。……では、やる事は一つね」

 

 

 

あ、今の言い方も雪ノ下っぽい。

 

 

 

楓「これから私たちは、剣聖武蔵の行方、及び犯人の捜索を開始します」

 

 

 

またもキリッとした表情の楓さん。だが何故だろう、全然シリアス感が無い。ってか絶対楽しんでますよね?

 

 

 

楓「凛ちゃん。あなたには、これから私の助手としてサポートしてもらうわね。ワトソン君」

 

凛「ワトソン君!?」

 

楓「……ミス・ワトソン」

 

凛「いやそこじゃなくて!」

 

 

 

だから助手でもクリスティーナでもないと……

 

 

 

楓「文香ちゃん。文香ちゃんはあまり足で捜査という感じはしないから……情報を聞いて思考する役目をお願い」

 

八幡「ミス・マープルみたいだな」

 

文香「いわゆる…安楽椅子探偵……というやつですね」

 

 

 

そこでまた、目が合う。いやその微笑は本当にやばいですって……

 

 

 

楓「そして、比企谷くん」

 

八幡「…………」

 

楓「比企谷くんは……特に、無いわね」

 

 

 

無いんかい。

 

なんかこう、ちょっと期待しちゃった自分が恥ずかしいよ!

 

 

 

八幡「……そんじゃ、事件が解決した時は語り部でもやりますよ」

 

凛「誰に語るの?」

 

八幡「そりゃもちろん、温泉饅頭待ってる蘭子あたりに」

 

 

 

美味しい土産に楽しげな土産話。羨ましそうにする姿を見るのが楽しみである。

まぁ、語るに値するかはこれから次第だがな。

 

 

 

楓「では早速……」

 

八幡「…………」

 

楓「今夜は飲みましょうか♪」

 

 

 

え。

 

袋から缶ビールを取り出し始める楓さん。

あれれー? この流れは早速捜査を開始するんじゃないの~?(コナンくん並感)

 

 

 

楓「まだ三日あるし、今日はもう遅いわ。本格的な捜査は明日からという事で」

 

凛「まぁ、確かにね」

 

文香「今夜も、長くなりそうです……」

 

八幡「これ明日になったら面倒くさくなってるパターンじゃないか?」

 

 

 

こうして、夜は更けていく。

明日から始まるは、行方をくらました高級酒・剣聖武蔵の捜索。探偵(役)が来るまでの三日がタイムリミットとは、何とも皮肉なものだ。

 

正直俺としては、捜査よりも毎晩行われるであろう宴会の方が厄介なのだが……

 

 

……まぁ、これもプロデューサーの役目…………じゃないよね、絶対。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カタカタと、耳障りな音に目が覚める。

 

薄らと目を開けてみれば、薄暗い部屋の天井が目に入った。音の出所を確認してみると、軋むように揺れているのはどうやら窓。相変わらず風は強く、雨がガラスへと打ち付けているのが見えた。

 

ベッドから身体を起こし、枕元に置いてある携帯電話を確認する。

 

 

 

八幡「6時……」

 

 

 

撮影二日目。朝の六時。

 

……いや、撮影してないからこの言い方は間違ってるな。現場入りして二日目だ。

 

 

ドラマ撮影の為に現場入りしたその夜、嵐のせいで撮影延期、停電騒ぎに消えた高級酒、そして捜索する事に決まってしまうという、何とも濃い初日を終え、一夜明けた翌日。

 

なんというか、あまりいい目覚めではないな……

 

 

 

八幡「……とりあえず、シャワー浴びるか」

 

 

 

確か昨日聞いた話じゃ、朝7時から9時までの間は朝食が用意されてるとか。場所は夕食の時と同じ一階の和室。食わなくても問題無いんだろうが、俺は食いたい。折角の上手い飯を食い逃すのも勿体ないしな。

 

着替えを用意して、部屋に備え付けの浴室へ向かう。

そういえば、結局昨日は大浴場へは行かなかった。なんか楓さん主催の飲み会がスタートしたらそのままタイミングを失ったのだ。あの人やっぱ酒強ぇな……俺は飲んでいないとはいえ結構付き合わされたぞ。

 

さらっとシャワーを浴びて、身支度を整える。今日こそは広い大浴場へ行こうと気持ちを昂らせ、何とか気持ちを自ら鼓舞する。そうでもないとやってられん。

 

今日から、剣聖武蔵の捜索開始だ。

 

 

最低限の貴重品と部屋の鍵を持ち、部屋を出る。向かう先はもちろん朝食会場。

 

しかし、特に時間指定は無かったが何時頃から捜査を始める気だろうか。やっぱ朝飯食った後か? というか、あの人はちゃんと起きてるのだろうか? 強いとはいえ翌日に持ち越すタイプの人もいるからな。楓さんがどうかは俺は知らないが、二日酔いで延期なんて笑い話にもならない。いやなるか。むしろ語る事が増える。

 

 

どうでもいい事をボーッと考えながら歩き、やがて一階の和室へと辿り着いた。

中を除いてみれば……おお、なんつーか分かり易いな。

 

昨日と全く同じ配置に座っているのは4人。入り口から向かって右側にある食膳の列、そこに鷺沢さん、莉嘉、凛、輿水の未成年組4人が揃って座っていた。ってかもう食べてた。

 

そして向かい側の大人組は……悲しいかな、誰も座っていない。兵藤さんくらいは期待したんだがな。

 

いや、うん。まだ朝食の時間は終わってないしね。きっとこれから来るよ。うん。

と、謎のフォローを心中で送っていると、一番手前に座っていた輿水が俺に気付く。

 

 

 

幸子「あ、比企谷さん。おはようございます」

 

 

 

朝っぱらでテンションが低いからか、特にボケる事のない(普段から本人はボケてるつもりはないだろうが)、ごく普通の挨拶。

しかし俺はちゃんと見ていた。

 

俺に気付いた後、輿水は口に手を当て、口に含んでいたものを咀嚼し、きちんと飲み込んでから声を発した。

 

なんというか、品があった。当たり前の事だと思うか? 違うね。そんな当たり前の事を出来る奴が案外少ないんだ。その辺の飲食店で見てみろ。女子中高生なんて平然と口に物入れながらくっちゃべってるぞ。

 

別にそれが下品だとまでは言わない。俺は別にマナーにうるさい方でもないし、ぶっちゃけ俺もやったりする。俺はそこまで女子に理想を抱いたりはしない。現実を注視してしまう所はあるが。

 

しかしだからこそ、行儀良く食べる輿水のそんな所が目についた。なんつーか、こいつはこういう素の所で時たま魅力をみせるよな。本人に自覚が無いのが残念極まりない。……いや、そこも含めて魅力なのか?

 

 

 

幸子「比企谷さん?」

 

八幡「……いや、なんでもない。おはようさん」

 

 

 

返事もせず突っ立ってた俺を不審に思ったのか、怪訝な表情になる輿水。

しかし、朝っぱらからたったあれだけのワンシーンを見てここまで考えるとは、俺もいよいよ気持ち悪いな。これも一種の職業病か?

 

 

 

幸子「フフーン、もしかして見蕩れてたんですか? 朝からこんなにカワイイボクを見れるなんて、比企谷さんは幸せ者ですね」

 

八幡「……まぁ、そうな」

 

幸子「ええ、そうでしょう!」

 

八幡「輿水」

 

幸子「はい?」

 

八幡「食べカスついてんぞ」

 

幸子「えぇッ!? 嘘!?」

 

八幡「ああ。嘘だ」

 

 

 

超・ドヤ顔☆ から一転、アイドルらしからぬ面白顔で焦りまくる輿水。

本当にからかい甲斐があんなコイツ。その内壷でも買わされないかプロデューサー心配だよ?

 

「もーう何ですかー!」とプンスコ怒る輿水を放っておいて、俺は誰もいない向かって右側の食膳の列へと向かう。一応昨日と同じ席に座っておくか。

 

残りの数人とも挨拶を交わし、俺も食べ始める。

 

 

 

八幡「…………美味いな」

 

 

 

ポツリと、思わず声に出た。

白いご飯にみそ汁、焼き魚に漬け物、おひたしに卵焼きと、絵に描いたような朝食メニュー。特段豪勢というわけでもないのに、とても美味しく感じられた。

 

……というか、最近朝飯が美味いんだよな。

ここの旅館が単純に料理が上手いというのもあるだろうが、働き始めてからというもの、妙に朝飯が美味しく感じる。前は抜いてもさほど気にしないくらいだったのに。

 

やはり、これも働く事によって生まれたストレスを食で発散してるのだろうか。なんか聞いた事あるからな、食事を摂ると幸せ成分みたいなもんが脳で出るんだっけ? かなりうろ覚えだが。

 

17からこんなに食に対してありがたみを感じるのもどうなんだと複雑な所だが、まぁ、無頓着よりは良いだろう。

 

 

 

凛「そういえばプロデューサー、昨日は大丈夫だった?」

 

八幡「ん? ああ……まぁ、な」

 

 

 

向かい側に座る凛からの質問、大丈夫だったかとは、もしかしなくてもあの後の飲み会の事だろう。

日付けが変わる前くらいには凛と鷺沢さんは部屋へ戻ったのだが、楓さんはその後もしばらくは残ったのだ。必然部屋の主である俺は付き合わされる。そうか、だから俺の部屋で飲んだんだな……確かにあれじゃ逃げられん。

 

程なくして楓さんも部屋へは戻ったのだが、かなりいい感じに酔っていた。っていうか部屋まで送ったかんね俺! 

 

 

 

八幡「あの分じゃ、今日は起きるの遅いんじゃないか」

 

凛「確かに来てないね……そっち側の人が主に」

 

 

 

大方早苗さんと兵藤さんも大分飲んだんだろう。武蔵が無くなってヤケ酒でもしたのかもしれない。酒無くなって酒飲むってもうすげぇな。

 

 

と、そこで鷺沢さんが「あ……」と小さく声を漏らしたのに気付く。

その視線を追ってみれば、その先はこの和室の入り口。そしてそこに立つのは……

 

 

 

楓「――待たせたわね」

 

 

 

ニヒルに微笑む、楓さんであった。顔色最悪だ。

 

 

 

凛「なんで無駄にそんなカッコいい登場を……」

 

楓「探偵は、遅れてやってくるもの、でしょう……?」

 

 

 

いやなんかハァハァいってますけど。完全に具合悪そうですけど。二日酔いですよね?

 

 

 

八幡「ほら、とりあえずこっち座ってください。そんな襖に寄りかかってたら倒しますよ」

 

楓「え、ええ……」

 

八幡「……………」

 

楓「………ふぅー…」

 

八幡「……………」

 

楓「……お水、貰えるかしら」

 

 

二日酔いですよね?

 

グロッキー状態でも微笑みを絶やさないその淑女の精神は立派だが、青白いし逆に怖い。ほら、未成年組も若干引いてるし。つーか本来は俺も未成年組なんですけどね!

 

 

話を聞くと、どうやら部屋へ戻った後に結局早苗さんたちに合流したらしい。あ、あれれー? 俺が送った意味……

 

 

 

八幡「よくもまぁ、そんだけ飲めますね」

 

楓「うふふ、好きですから。それに……」

 

 

 

そこで、少し声のトーンを小さくする楓さん。どうやら、向こう側の彼女たちに聞こえないようにという配慮らしい。

正確に言えば、莉嘉と輿水に、だろうが。

 

 

 

楓「どのみち、何か理由を付けて部屋へはお邪魔するつもりでしたから」

 

八幡「……なるほど」

 

 

 

それならば仕方がないな。……いや仕方なくない。飲む必要なんて無いし、やっぱそっちメインですよね!

 

それから体調が落ち着いたのか、少量ながら朝食を食べ始める楓さん。ちなみに兵藤さんはもう少しで来るらしい。早苗さんは多分ダメだと言っていた。あの人も相当強いはずなんだけどな……どんだけショックだったんだ。

 

 

 

莉嘉「ねーねー八幡くん」

 

八幡「ん、なんだ」

 

莉嘉「朝ごはん食べ終わったらさ、アタシたちは自由って事でいいの?」

 

 

 

莉嘉のその質問に、部屋にいる全員が俺の方を見る。視線痛い。

 

 

 

八幡「そうだな……まぁ、ハメを外し過ぎないようにな」

 

 

 

我ながら歯切れ悪くそう言うと、隣に座っていた楓さんがフッと笑みを零す。そういやそこ兵藤さんの席なんだが……まぁいいか。

 

俺が視線を向けると、楓さんは口に手を当て、可笑しそうに言う。

 

 

 

楓「比企谷くん、何だか担任の先生みたいね」

 

八幡「先生?」

 

 

 

また何とも、突拍子も無い事を言う。

しかし、楓さんのその発言は思いの外共感を得るものだったようで…

 

 

 

文香「確かに…そんな雰囲気を感じましたね……」

 

莉嘉「八幡くんが先生だったらすっごい楽しそう!」

 

凛「反面教師には向いてるかもね」

 

八幡「オイ」

 

 

 

クスクスと、面白可笑しく談笑してくれる彼女ら。

いやいや、普通に考えていないでしょこんな先公。

 

 

 

八幡「プロデュースするだけでも大変なのに、教師なんて絶対無理だ。輿水みたいな生徒」

 

幸子「なんでボクだけ名指しなんですか!」

 

 

 

しかし中学生、高校生、大学生に25歳児と、よくよく見てみればかなり多岐に渡る面子だよな。あと二人程いるってんだからヤバみを感じる。というかバブみを感じる。

 

 

 

八幡「とにかく、だ。基本的には自由行動だが、台本の読み合わせとか、他の仕事を抱えてる奴もいるだろうし、あー……そこは、各々に任せる」

 

凛「つまり、自由行動ね」

 

八幡「そういう事だ」

 

 

 

仕方がない。だってする事が無いんだもん!

窓の外では未だに暴風雨が吹き荒れている。予報を信じて、あと三日耐え忍ぶしかないな。……まぁ、俺たちはまた別だが。

 

隣の楓さんを見る。

 

考えていた事は一緒なのか、彼女も俺へと視線を向けていた。

その不適な笑みは、この先の珍道中を物語るようだった。

 

 

……まだちょっと顔色悪いな。

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

楓「それじゃ……せーのっ」

 

 

楓さんのかけ声で、バッと、4人が一斉に手を差し出した。

その手の平の上にあるのは、瓶ビールの王冠。

 

 

 

文香「アサヒ……です」

 

凛「私もアサヒ」

 

八幡「……キリンっすね」

 

楓「決まりね。私もキリンなので、このペアで行きましょう」

 

 

 

ニコッと笑う楓さん。

 

同じメーカーの王冠が二個ずつで、それをランダムに四人で引く。まぁつまり、ペア決めのくじ引きだ。他の何か無かったの? とか言ってはならない。

 

つーか楓さんとペアか……凛のが気が楽だったんだが、仕方ないか。

 

 

 

楓「……ごめんね、凛ちゃん」

 

凛「な、なんで私に謝るの……?」

 

 

 

そうそう。むしろ俺が楓さんに謝りたいくらいだ。俺なんかがペアですみませんね……ペア決めっていう単語がもう既に心の暗い部分を刺激する……

 

 

 

楓「それじゃあ、張り切って剣聖武蔵の捜索を始めましょうか♪」

 

凛・文香「「お、おー……」」

 

 

 

俺は言わない。

 

 

とりあえず最初の捜査として、旅館内をくまなく探すという基本から始める事にした。

 

誰かが持ち出さないと無くならないような状況ではあったが、それでも本当に何かの偶然という事はある。探し物をしていたら「なんでここに……?」みたいな所で見つかるなんて珍しい事じゃないからな。ホント何なんだろうねあの現象。

 

そしてその捜索に当たって、一応は二人編成の方が都合が良いという話になり、ペア決めをしたのが先程の事。こうすればお互いをお互いが見張る事も出来るしな。4人の中では疑わない方針にしたとはいえ、一応の処置だ。用心に越した事はない。

 

午前と午後でペアを変え、今日一日は捜索に費やす予定。どうせ時間はある。

 

……なんか、唐突にハルヒを思い出したぞ俺は。

 

 

 

凛「探してる時に他の人たちに会ったら、何て説明すればいいの?」

 

八幡「あー……そうだな…」

 

楓「……変に誤摩化すよりは、正直に言った方が良いかもしれないわね」

 

 

 

確かに、コソコソと調査されていたなんて知ったらあまり気持ちの良いものじゃないだろう。それならば言ってしまった方がまだマシかもしれない。

 

 

 

楓「時間があってヒマだったから、探検がてらお酒を探してました、くらいで良いと思うわ」

 

文香「あくまで……誰かが持ち出した線で捜査しているとは言わずに……ですね」

 

楓「ええ」

 

 

 

昼食は11時から13時の予定となっている。

 

とりあえずはそれまでを午前の部として、俺たちは捜査の為別れた。最初は一階だ。

 

 

 

楓「それじゃあ比企谷くん、頑張りましょうか」

 

八幡「ええ」

 

楓「お酒の為に」

 

八幡「……ええ」

 

 

 

いちいち言ってくれるな。逆にやる気が減る。

さっきまであんだけやられていたのに、もうこんな元気なんだもんな。こりゃ今日も飲むな……

 

俺たちは表玄関、エントランス側とは逆の、奥側の方の捜索となる。昨日毛布や懐中電灯を持ってきた倉庫もこっち側だな。

 

 

 

八幡「倉庫は……今は鍵がかかってますね。後で借りに行きますか?」

 

楓「そうね。……でも、全部見て回ってからの方が良いかもしれないわね。旅館の方に迷惑をかけてしまうし、先に見つかる事に期待しましょう」

 

 

 

俺は首肯し、倉庫はひとまず置いておく事にする。この辺はロッカーとか物置は多いが、勝手に漁ると悪そうだな。何とも探し辛い。

 

 

八幡「………」

 

楓「~~♪」

 

八幡「………楓さん」

 

楓「? どうかした? 比企谷くん」

 

 

 

キョトンと、楓さんは声をかけた俺の方へと顔を向けてくる。

 

 

 

八幡「さっきの、見つかる事に期待するって台詞ですけど」

 

楓「ええ」

 

八幡「……本当に、見つかると思ってますか」

 

 

 

俺は楓さんの方を見ずに、目は辺りを見回しながら、声だけを彼女に向ける。

楓さん「うーん…」と小さく唸ると、同じように探しながら会話を続けた。

 

 

 

楓「……正直、厳しいかな、とは思ってます」

 

八幡「まぁ、そうですよね…」

 

 

 

あんな状況で、偶然こんな所にお酒が転がり込むわけがない。

どっちかってーとオカルト系だ。安斎より白坂を呼んだ方が良いかもしれない。

 

 

 

楓「一応、凛ちゃんたちが旅館の方に持っていってないか確認をしてくれるそうだけど、それも可能性として低いわね」

 

八幡「この辺に落ちてるよりは高いとは思いますけどね」

 

楓「ふふ、それは確かに」

 

 

 

少しの間、沈黙がその場を満たす。

さっきまで聞こえていた楓さんの鼻歌も、今は聞こえない。

 

やがて、今度は楓さんから質問が飛んできた。

 

 

 

楓「比企谷くんは…」

 

八幡「はい?」

 

楓「比企谷くんは、誰かが持ち出したと思う?」

 

 

 

チラッと、楓さんに視線を向ける。

彼女はこちらを見ていない。何故か少しだけ安堵して、俺は一つ間をあけて答えた。

 

 

 

八幡「どうですかね。正直、よく分かりません」

 

楓「そう」

 

八幡「……ただ」

 

 

そこで、ようやく楓さんと目が合う。

 

 

八幡「俺としては、動機が気になりますかね」

 

楓「動機?」

 

八幡「ええ。だって、莉嘉や輿水からしたら興味なんてきっと無いでしょう?」

 

 

 

あの二人は中学生。もちろんお酒なんて飲めないし、飲みたいとすら思ってないだろう。ってかカクテルとかならまだしも、日本酒に興味を持つ女子中学生なんて嫌だ。

 

 

 

八幡「早苗さんと兵藤さんだって、お酒好きとはいえ独り占めしようなんて思う人たちじゃない。疑うだけの動機が無いんです」

 

楓「なるほど……」

 

八幡「…………」

 

楓「…………」

 

八幡「……いやでも、早苗さんならもしかしたら…」

 

楓「そこは信じてあげて比企谷くん」

 

 

 

まぁ、一応あの人元婦警だからな。普段の行いのせいで忘れそうになるけど。

……けど、それを抜きにしたってあの人はそんな事は絶対しないだろうな。

 

 

 

八幡「何にせよ、もし持ち去った奴がいたとして、それが悪意によるものだとは思い辛いですね」

 

楓「不可抗力によるもの、という可能性ね」

 

 

 

本人に意志は無くとも、“持ち去らなくてはならない”理由が出来た。そう考えれば、いくつか考えは思い浮かんでくる。

 

 

 

楓「……少し、何となくだけど、見えてきたような気がするわ」

 

 

 

いつになくシリアスな表情を作る楓さん。

その横顔が無性に様になっていて、俺は思わず笑ってしまった。

 

 

 

八幡「本当に、どこぞの探偵みたいですよ」

 

 

 

俺の戯言に、楓さんは目を丸くした後、薄らと微笑む。

 

 

 

楓「あら。今の私は探偵ですよ、語り部さん」

 

八幡「また、素敵な言い回しで…」

 

楓「私たちは高垣探偵団」

 

八幡「急に児童書感が……」

 

 

 

その後もしらみ潰しに探しはしたものの、剣聖武蔵は見つからなかった。

凛と鷺沢さんに期待はするが、望みは薄い。

 

午後の部に何とか期待しよう。

 

 

……しかし、なんでだろうな。

 

事件も、やってる捜査も子供じみたものなのに。

不思議と、ちょっとだけ楽しいのだから、本当に困る。

 

 

……池袋に探偵バッジでも作ってくれるよう頼もうかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は変わって一階昼食会場。

 

朝とは違い、今は全員がその場に揃っている。

そしてその唯一いなかった一人だが……見るからに思いっきり具合が悪そうだ。

 

 

 

早苗「う~……頭痛いわ……」

 

 

 

頭を抑えつつ、それでもしっかりと昼食は摂る早苗さん。どうやらちゃんと腹はすくタイプらしい。いるよな、たまに体調悪くてもしっかり食べられる人。

 

 

 

早苗「なんとか夜になるまでに回復しないと」

 

八幡「今日も飲む気っすか……」

 

 

 

思わず呟いてしまった。なに、一日に必要な摂取量とかあるの?

どうせ飲むんだろうとは思っていたが、ここまでハッキリ言われると呆れを通り越してしまう。

 

しかし早苗さんは当たり前だと言わんばかりに胸を張る。おしげもなく自己主張するその部位は何とも目のやり場に困る。

 

 

 

早苗「そりゃそーよ。折角三日もお暇を頂いたんだもの、しっかり楽しまなきゃ」

 

八幡「別にいいっすけどね……仕事に支障が無ければ」

 

 

 

とはいえ早苗さんも大人だ。28だ。アダルティーなのだ。その辺は弁えているだろう。そう信じたい……そう信じることにした。

 

 

 

レナ「そういえば、比企谷くんさっきは何してたの?」

 

 

 

隣に座る兵藤さんからの質問。

さっき……楓さんと共に探していた時の事だろうか。一応しらばっくれとこう。

 

 

 

八幡「さっき、と言うと?」

 

レナ「ほら、一階でキョロキョロ歩き回っていたじゃない。探し物してるみたいに」

 

 

 

やっぱ見られてたか。まぁそりゃ、隠しとくにも限界があるよな。

ここは平静に、特に取り繕わずに説明して…

 

 

 

レナ「そういえば、楓さんも一緒だったわね。逢引でもしてたの?」

 

八幡「ブフォッ」

 

 

 

思わずみそ汁を盛大に吹き出した。

いやいやいや、突然何言い始めるんだこの人は……!

 

 

 

莉嘉「ねーねー、アイビキ? って、何?」

 

文香「男女が密かに会う……今で言う、デートと言った所でしょうか…」

 

 

 

莉嘉の質問に、とてもとても丁寧に説明してくれる鷺沢さん。でも今は余計な事は言わないでほしかったかなー。ってかあなた逢引なんかじゃないって知ってますよね?

 

 

 

凛「…………」

 

幸子「ひっ!?」

 

 

 

そして何故だろう。今は凛の方を見れない。なんか幸子の悲鳴みたいな声が少し聞こえたけど絶対見てはいけない。ってかあなたも真相知ってますよね!?

 

 

 

 

莉嘉「デート!? 八幡くんデートしてたの? ズルーい! 莉嘉もしたーい!」

 

八幡「違う、違うんだ……」

 

 

 

なんかあまりに気が動転してか、浮気現場を見られた時の言い訳みたいな声を出してしまった。だって本当に違うんですよ!

 

 

 

早苗「ちょっ、ダメよ楓ちゃん! 未成年に手を出すのは犯罪よ?」

 

レナ「注意するのはそっちになのね……」

 

 

 

やはり元婦警としては見過ごせないんだろうか。でもプロデューサーとアイドルって点でもいけませんからね?

 

 

 

八幡「いい加減にしてくださいよ、そんなわけないじゃないっすか」

 

楓「そうですよ。そんな不純なことはしません」

 

八幡「楓さん…」

 

楓「私たちは清く正しい交際をしていますから」

 

八幡「楓さん?」

 

 

 

だから悪ノリするなっつーの。

 

 

 

八幡「……俺たちはただ、ヒマだったんで探索がてら散歩してたんですよ。お酒も見つかるかもしれませんし」

 

レナ「なるほどね」

 

 

 

特に怪しむ事も無く納得する兵藤さん。まぁ、別に怪しむような発言じゃないしな。変に食い下がってこないのは助かる。

 

だが、もう一人のアラサーアイドルは気になったようで…

 

 

 

早苗「お酒…………そうね、その通りだわ……」

 

八幡「……………」

 

 

 

何だか嫌な予感しかしない。ぼそぼそと呟く早苗さんってこれもう怖い以外の何物でもない。

 

 

 

早苗「……決めたわ。あたしも捜索活動に参加する!」

 

 

 

やがて宣言したのは、ある意味では予想通りのもの。

 

 

 

八幡「まぁ、それは良いんすけど……午後から一緒に探します?」

 

早苗「いいえ、あたしはあたしで調査させて貰うわ。折角なんだし、人数が多いのを有効活用しないとね」

 

 

 

心無しかイキイキとして言う早苗さん。

やっぱ元婦警だけあって、こういう調査事には積極的になるのだろうか。それともお酒を見つけたいのか。……後者かな。

 

 

 

楓「残念ですね。高垣探偵団に仲間が増えると思ったんですが……」

 

レナ「(た、高垣探偵団……?)」

 

文香「(児童書感がありますね……)」

 

 

 

そのネタまだ引っ張るんですね。

しかし早苗さんはと言うと、楓さんの発言に何故か「ハンッ」と顔をしかめる。

 

 

 

早苗「探偵? そんな胡散臭いものには頼らないわ!」

 

楓「しかし…」

 

早苗「刑事に口出ししないで! 事件はあたしが解決してみせるわ!」

 

八幡「ドラマの見過ぎですよ」

 

 

 

ぺろっと舌を出して笑う早苗さん。そもそもあなた刑事じゃないしね?

 

 

 

レナ「申し訳ないけど、私は遠慮させて貰うわね。別の仕事の準備もあるし、部屋にいるわ」

 

幸子「あ、それでしたらボクも。他のお芝居の予習をしておきたいので」

 

 

 

兵藤さんと輿水は部屋で待機、か。確かに、限られた時間を仕事の為に使うのも大切だ。というかお酒を探すよりは絶対に健全である。プロデューサーとして付く側を間違えたか…

 

 

 

八幡「莉嘉はどうする?」

 

莉嘉「え? あーアタシは……」

 

 

 

少しだけ眉をひそめ、悩んだ様子を見せる莉嘉。だがそれも短い間だけ。

 

 

 

莉嘉「うん。アタシも部屋にいるよ。台本読んでおきたいし」

 

八幡「……そうか。分かった」

 

 

 

別に無理に誘う必要は無い。

となると、結局は午前と同じメンバーでの捜索だな。

 

 

 

早苗「よーし、それじゃさっさと食べて捜査開始するわよー!」

 

 

 

言うや否や、ご飯をかっこむ早苗さん。その姿はさっきまで頭痛を訴えていた人物と同じだとは思えない。

ちょっと元気出るの早過ぎやしませんかね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楓「せ~のっ」

 

 

 

またもや楓さんのかけ声と共に、バッと四人が一斉に手を差し出す。その手にあるのはもちろん王冠。

 

 

 

文香「キリン…です……」

 

凛「アサヒだね」

 

八幡「……キリン」

 

楓「私はアサヒね。というわけで、午後はこのペアで行きましょう」

 

 

 

なんというか、なんかこうなるような気はしてた。鷺沢さんとペアか……

 

 

 

文香「……申し訳ありません、凛さん」

 

凛「だ、だから、どうして私に謝るの……?」

 

 

 

そうそう。むしろ謝りたいのはry

 

 

 

楓「そういえば、旅館の方に話は聞いてみた?」

 

凛「あ、うん。……だけど、やっぱり知らないみたいだったよ。持ち出す余裕も理由も無いってさ」

 

 

 

まぁ、そりゃそうだろうな。

あんな停電騒ぎの中で片付けなんてするわけがないし、そもそも酒以外に持ち出された様子も無かった。故意でもない限り、剣聖武蔵だけ持っていくなんて事はさすがにあり得ない。

 

 

 

文香「一応、見て回れる所は全てチェックしましたが……収穫と言えるものはありませんでした」

 

楓「そう。……とりあえず、午後の部を始めましょうか。終わったら夕食の後、また比企谷くんの部屋で打ち合わせをしましょう」

 

八幡「今何かサラッととんでもないこと言いませんでした?」

 

 

 

聞こえていないのか、楓さんは俺の問いを完全スルー。いや聞こえてないわけねーだろ!

マジか……また今日も飲み会が繰り広げられるのか……いよいよ他の大人組も参加してきそうで怖い。

 

 

 

楓「それじゃ、午後も張り切っていきましょう♪」

 

凛・文香「「お、お~……」

 

 

 

やっぱり俺は言わない。

 

 

午後の捜査の分け方としては、俺と鷺沢さんペアが二階の調査。凛と楓さんペアが三階の調査といった感じ。午前と同じく二人一組でのお互い監視しつつの捜索だ。

 

……まぁ、早苗さんが単独で調査してる時点であまり必要も無い気もするがな。

 

 

 

文香「では、捜索を始めましょうか……」

 

八幡「ええ」

 

 

 

廊下を進み、201と書かれた扉の前に立つ。

 

撮影の為に旅館を貸し切るにあたって、基本的に全ての部屋の鍵は空いている。午前の時点で凛と鷺沢さんが事情を話して許可を貰っていたので、各部屋の捜索も問題は無い。あるとすればそれはかなり面倒くさいという事ぐらいである。しゃーなしだな。

 

 

扉を開け、部屋の中へ入る。

クローゼットを開け、風呂場も確認し、冷蔵庫、引き出し、ベッドの下までくまなく探した。

 

 

 

八幡「……無さそうですね」

 

文香「はい……」

 

八幡「次の部屋へ行きますか」

 

 

 

201の部屋を出て、今度は202の部屋へ。

同じように、そこも捜索。

 

 

 

文香「……ありませんね」

 

八幡「……次へ行きましょうか」

 

文香「ええ……」

 

 

 

202の部屋も出る。そして203へ。

繰り返し、ただただ黙々と探すのみ。

 

 

 

八幡「…………」

 

文香「…………」

 

 

 

しかし、アレだな。気まずい。全く会話が無い。

 

別に無理に話す必要は無いんだろうが、それにしたって会話が無い。お互い積極的に話かけるタイプでも無いので、まーー静かな事。段々俺の事嫌いなんじゃないかと不安になってきた。

 

だが、それでも俺は別に頑張って話そうとはしない。気まずいのは落ち着かないが、それでも沈黙が嫌いなわけではないからな。

 

 

 

八幡「次の部屋へ行きますか」

 

文香「はい」

 

 

 

そんなこんなで、無駄に手間取る事も無く実にスピーディに俺たちは捜索を終わらせた。まさかこんなに早く終わるとは思ってなかったので手持ち無沙汰になるくらいだ。ってか時間が余った。

 

 

 

八幡「……凛たちはもう少しかかるそうなんで、待っててほしいとの事です」

 

 

 

凛からの返信メールを見つつ、鷺沢さんにそう伝える。

場所は二階の最奥にある談話室。アンティーク調のソファに、三つ程自販機が並んでいる。もちろんここも含めてチェックしたが、やはりというか二階にも武蔵は無かった。

 

 

 

文香「では、ここで少しの間……一休み致しましょうか」

 

八幡「そうですね」

 

 

 

同意はしたものの、鷺沢さんが座ろうとしないので何となく座り辛い。これはアレだな、俺が先に座らないとこの人も座らない感じのアレだな。たまにいる。こういう凄く気を遣ってくれる人。

 

お先にどうぞと譲ろうかとも思ったが、どうせお互い譲り合う未来が見えるので先に座らせて貰う。程なくして、鷺沢さんも一人分くらい空けて隣に座った。良かった。真っ正面にでも座られたら色々困る所だ。

 

 

 

文香「……あの」

 

八幡「はい?」

 

文香「つかぬ事を、お聞きしますが……比企谷さんは、本をよくお読みになられるのでしょうか……?」

 

 

 

遠慮がちな、ある意味予想外な鷺沢さんからの質問。本をよく読むかとな。

 

 

 

八幡「……そう、ですね。よく読むかは分かりませんが、人並みには」

 

文香「そうですか……昨日、推理小説にお詳しいようだったので、もしかしたらと……思ったんです」

 

 

 

あぁ、そう言えばそんな話もしたな。

鷺沢さんも本を読むのが好きなようだし、やっぱ共通の趣味を持ってそうだと気になるのだろうか。

 

 

 

八幡「そこまで多くはないっすけど、有名所は読んだ事ありますよ。ホームズとか」

 

文香「推理ものが……お好きなんですか?」

 

八幡「いえ、色々です。特にこれっていうジャンルは無いですね」

 

 

 

更に言えば別に小説じゃなくっても読む。ラノベも漫画も。ポアロとかコロンボはドラマのが正直よく見てたな。

 

 

 

八幡「鷺沢さんはあるんですか?」

 

文香「え……?」

 

八幡「好きなジャンルとかです」

 

 

 

俺が質問すると鷺沢さんは少しの間沈黙し、やがて困ったように微笑を浮かべる。

 

 

 

文香「……私も、特に決まったジャンルはありませんね。……しいて言うなら、ファンタジーが一番よく読むでしょうか」

 

八幡「ファンタジー……」

 

 

それは少しだけ以外な答えだった。

こだわり無く色々読むというのは想像出来たが、何と言うかもう少し難しいものを読んでいるイメージがあったから。

 

 

 

文香「おかしい……でしょうか……?」

 

 

 

ちょっど不安げに聞いてくる鷺沢さん。どうやら俺が特に反応しなかったのが気になったらしい。

 

 

 

八幡「ああいえ、そんな事はないです。俺も好きですよ」

 

 

 

これは本音。

なんだかんだ言って、幼い頃から一番読んでるのは確かにファンタジーものな気がする。

小学校の頃は図書室で夢中になって読んだもんだ。ハリー・ポッターとか、ダレン・シャンとか、デルトラ・クエストとか、決まってあったもんな。あと、俺的には宮沢賢治は外せない。

 

 

 

八幡「分かり易く面白いですからね。冒険活劇からのハッピーエンド。よく読んでました」

 

 

 

と、そこまで言って、鷺沢さんが意外そうにしてるのに気付く。え、俺なんか変な事言った?

 

 

 

八幡「どうかしましたか?」

 

文香「あ……いえ、すみません。……こう言っては何ですが、その……少々、意外だったもので」

 

 

 

意外、とな。

 

 

 

文香「凛さんや、ちひろさんから比企谷さんの事を聞いていたので……てっきり、そういったお話は好まないのかと……」

 

八幡「そりゃまた、何を聞いたのか気になるお話で……」

 

 

 

いや、あいつら一体全体どういう紹介したの? 俺だってハッピーエンド好きよ?

 

 

 

文香「申し訳ありません……先入観で、人の事を見てしまうなんて……」

 

八幡「あ、いや、いいですよ別に謝らなくて」

 

 

 

正直そのイメージも間違っちゃいない気もするしな。あんだけ青春とかケッ、みたいなこと言ってりゃ、そらそんな印象も持つ。

 

しかし、ふむ……

 

 

 

八幡「……でも、確かにそうですね」

 

文香「え……?」

 

八幡「あまり深く考えた事は無かったですけど、創作に限って言えば、確かに俺はそういう奇麗事並べた物語の方が好きかもしれません」

 

 

 

現実では信じられないような関係も、苛立ちしか覚えないキャラクターも、創作の中でなら別だ。

 

 

根っからのお人好しの主人公。可愛い上に優しいヒロイン。決して裏切らない仲間。友情、努力、勝利。そしてお涙頂戴のハッピーエンド。

 

創作の中でありふれたそれは、しかし現実で見れば何と嘘くさい事か。

きっと俺は信じれない。そんなものが目の前に現れたところで、似通ったものが存在した所で、俺はそれを受け入れられる気がしない。

 

だって、俺がいるのは現実だから。

現実だから、そんなものは無いと、嫌になるくらい俺は知っている。

 

 

……けど、創作の中では別だ。

 

例えそれが誰かの空想から作られたものでも、誰かの願望から生まれた偽物だったとしても、だからこそ、そこに嘘は決して無い。

 

創作の中に生きる彼らは、そこで言ったものが本心で、そこに映っているものが、全てだから。

 

 

だからきっと、そんな彼らを見て、俺たちは思いを馳せるんだ。

 

 

 

八幡「創作だからこそ、その中にあるものは本物……なんて言ったら大袈裟ですけど、俺はそう思ってます。現実逃避って言われたら何も言い返せませんけどね」

 

文香「……そんな事は、言いませんよ。とても、素敵だと思います」

 

 

 

微笑む鷺沢さんに、何だか無性に恥ずかしくなってくる。何で俺はこんなこと言ってんだ? もしかして共通の趣味を持っているのにテンション上がってたのは俺だったか……

 

 

 

文香「私も、たまに物語の中に入り込むような、そんな不思議な気持ちになる事があります……」

 

八幡「………」

 

文香「だから、それを逃避だなんて……そんな風に言うつもりはありませんよ」

 

 

 

また、そうして笑う。

揺れる前髪から除く蒼い瞳は、まるで吸い込まれるかのような魅力があった。

 

 

 

八幡「……あっと…」

 

 

 

「プロデューサーっ!」

 

 

 

俺が何か言おうとした所で、遠くの方から呼び声が聞こえてきた。

見れば、逆側の廊下の奥で凛が手を振っている。

 

 

 

文香「どうやら、楓さんたちも終わったようですね……」

 

八幡「ですね。俺たちも行きましょう」

 

 

 

ソファから立ち上がり、歩き出そうとする。

が、そこで今度は、鷺沢さんから呼びかける声。

 

 

 

文香「比企谷さん」

 

八幡「っと……はい?」

 

文香「また……機会があれば、本についてお話しませんか?」

 

 

 

今度は遠慮がちではない、とてもとても、魅力的なお誘い。

いや、ズルいだろ、そんなの。

 

 

 

八幡「……そうですね。機会があれば」

 

 

 

相変わらず、歯切れの悪い返答。

だが鷺沢さんは嬉しそうにまた微笑むと、「はい」と小さく返事をして先に歩いていってしまった。

 

……大人しそうにしても、やっぱアイドルなんだな。

破壊力抜群だぜ。

 

一応、頬の辺りを少し抓り、夢ではない事を確認する。

やっぱ夢でも創作の中でもなく、現実なんだよな。

 

 

これもある種のファンタジーだな等と下らない事を考えながら、俺も彼女を追って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前午後と探索を続け、時刻は既に夕方7時過ぎ。

あれから部屋を全て探索し、通路も含めてあらゆる場所を探し尽くした。だが……

 

 

 

楓「……やはり無いですね、どこにも」

 

 

 

一つ溜め息を吐き、少しだけ残念そうな表情でご飯を食べる楓さん。

あまり落胆した様子じゃないのは、恐らく見つかるとは思っていなかったからだろう。楓さんに限らず、凛や鷺沢さんも。

 

ちなみに夕食会場には既に全員が揃っている。さすがに昼から酒というのは自重したのか、大人組には酔っぱらった様子はまだ無い。いや、もう日本酒あけてるから時間の問題なんだけども。

 

 

 

早苗「ったく、これだから探偵は頼りにならないわね。やれやれだわ」

 

八幡「それじゃ、刑事さんは何か手がかりでも掴んだんすか」

 

早苗「いえ全くこれっぽっちも」

 

 

 

ですよねー! むしろ清々しいくらいの開き直りであった。

 

 

 

凛「これから、どうしようか」

 

文香「そう、ですね……ここまで手がかりも無いと、さすがに…」

 

 

 

うーんと、一同がメシを突きながらも頭を悩ませる。

 

だが悲しいかな、その温度差が違うのが微妙に分かる。向こうの未成年側はそんなでもないけど、こっちとかトーンがガチである。マジで重要案件なんですね……

 

 

 

早苗「まぁ仕方ないわ。一応リミット的にはまだ二日ある事だし、今夜はとりあえず……」

 

八幡「……とりあえず?」

 

早苗「飲むわよっ!!!」

 

 

 

ですよねぇー!! 分かってた、八幡分かってた……

 

その後2時間程だろうか。やんややんやと騒ぎつつ(主に大人組が)、姦しい戯れも程々に、前乗り二日目の夕食は終了した。……なんでああいう宴会場ってカラオケ常備してあるんですかね。いや、多くは語らないけども。

 

宴会場から出た時点で、未成年組は各々が部屋へ。案の定俺は大人組の二次会へと誘われたが、何とかかんとか頼み倒して遠慮した。単純に嫌だったという理由もあるが、うちの探偵さんの言う作戦会議があるからな。ここで連行されるわけにもいかない。単純に嫌だっていう理由がデカいが。

 

しかし楓さんは付いて行っていたようだったが、大丈夫なのか? まさか言った本人が忘れていたりはしないだろうな……

 

多少不安になりながらも自室で待機していると、先に凛と鷺沢さんが尋ねてきた。この2人も何と言うか律儀だな。

 

 

 

凛「楓さんはまだ来てないんだ」

 

八幡「ああ。忘れて飲んだくれてなきゃいいが」

 

凛「さすがにそれは……」

 

 

 

無い。とは言い切らない辺り凛にも不安が見て取れる。ってか表情に出てる。

 

 

 

文香「二次会に少しだけ顔を出して…その後に来るつもり、なのでしょうか……?」

 

八幡「まぁ、もう少し待って……ん」

 

 

 

と、そこで携帯が振動している事に気付く。恐らくメール。楓さんか?

 

 

 

八幡「………………………………」

 

凛「ど、どうしたの?」

 

 

 

携帯を見て動かなくなってしまった俺に、凛は心配するかのように尋ねてくる。俺は無言で携帯の画面を2人へと向けてやった。

 

 

 

凛「……『申し訳ありませんが、早苗刑事に逮捕されてしまったので、あと30分程待っていて貰えますか?』……ね」

 

文香「……文章に反して、随分と楽しそうに乾杯する写真が添付されていますね…」

 

 

 

ミイラ取りがミイラに……じゃねぇな。確実に確信犯だろこれ!

 

 

 

八幡「本当に30分で来るのかも怪しいな……」

 

凛「さすがに、それは……」

 

 

 

無い。とはやっぱり言えないようだった。

楓さんの信頼度ェ……

 

 

 

八幡「……」

 

凛「……」

 

文香「……」

 

 

 

そして、沈黙。

 

え、何、このまま30分待機?

 

 

 

八幡「……とりあえず、トランプでもやるか?」

 

凛「なんで持ってるの……」

 

 

 

ツッコミつつ、特に反対意見は出さない凛。まぁ、ヒマだしね……

 

あと別に、これは俺が用意したわけではないぞ。泊まりで撮影だっつーから、小町が勝手に押し付けてきただけで。べ、別にお前らとトランプがしたかったんじゃないんだからねっ!

 

とまぁその後三人で何故かトランプに興じるという意味不明な時間を過ごし、楓さんがやって来たのはババ抜き3回七並べ2回を終えもう飽きつつある時であった。一時間近くかかったぞオイ……

 

 

 

楓「ごめんなさい、最初は怪しまれない為に顔だけ出すつもりだったんだけど……ね?」

 

 

 

いや、ね? じゃない。そんなに可愛くウインクしてもダメ。ってか大丈夫? もう大分お酔いになられてますよね??

 

 

 

八幡「そんなんで作戦会議できます?」

 

楓「大丈夫。それよりも、比企谷くんこそ大丈夫? いつもより顔が白いけれど。まるで女の子みたい」

 

八幡「そっちは鷺沢さんです」

 

 

 

まるでっていうか女の子である。完全に出来上がってるじゃねぇか!

 

水を飲ませ、落ち着かせ、何とか人物の判別が出来るようになった所で、ようやく本題へと入る。ただ面子のテンションが大分どうでもよくなってきているのは秘密だ。

 

 

 

楓「……ふぅ。それで、今後の方針なんですけれど、私に一つ考えがあるの」

 

八幡「考え?」

 

 

 

今更そんなキリッとした表情になっても遅いですよとか、余計な雑念は頭から追い払い、探偵さんの言葉を待つ。

 

 

 

楓「とりあえず整理しましょうか。昨日今日と、武蔵の詮索をずっと続けていたわけですけど、結局見つからないまま……つまり、可能性としては大きくわけて二つ考えられます」

 

 

 

ピースを作るように、二本の指を立てる楓さん。

 

 

 

文香「二つ……ですか?」

 

楓「ええ。誰かが武蔵を持ち出したと仮定した上で、の二つですけど」

 

 

 

今日は二人一組による各部屋の捜索(+早苗さんの個人捜査)。そして昨日の事件発覚後にも、各自の自室を念のため軽く調査した。勿論、そこにも剣聖武蔵の姿は無かった。

 

旅館の方にも確認し、考えられる所は全て探した。その上で、楓さんが上げる二つの可能性……

 

 

 

楓「まず一つは、あまり考えたくない事ですが……」

 

八幡「……」

 

楓「……あまり、考えたくはない事なんですが…………」

 

八幡「分かりましたから進めてください」

 

 

 

あくまで仮定の話だってのに、自分の考えにそんなに落ち込まないで頂きたい。

 

 

 

楓「……既に無い、つまり飲んでしまったか、処分してしまったという可能性、ですね」

 

 

 

どんより、本当に、そんな事実を認めたくないという風に言う楓さん。

 

 

 

楓「ただあの暗闇の間だけで全て飲み干すというのは難しいと思うので、何かに移し替えたか……」

 

文香「水道に、流したとか……」

 

楓「……」

 

凛「ま、まぁ確かに、それなら中身の処分は楽かもね」

 

 

 

また楓さんの表情が哀しげになってきたので、凛が取り繕うように話を進める。

 

 

 

楓「……瓶の方も、ラベルさえ剥がしてしまえば恐らく分からないと思うわ。一階の厨房の近くの廊下に空瓶置き場があったから、あそこに置かれたら気付かないでしょうね」

 

文香「なるほど……確かに大広間からもそう遠くありませんね…」

 

 

 

ふむふむと、思案するように頷く鷺沢さん。まさにその姿はさながら安楽椅子探偵のようにも見える。

 

 

 

八幡「ただそうなってくると……」

 

楓「ええ。やっぱり、動機が分からないのよね」

 

 

 

そう、動機。これが一番の謎だと言ってもいいだろう。

移し替えたならまだしも、処分したとすれば本当に意味が分からない。もはやただの嫌がらせだ。普通に考えれば、そんな事をしたがる奴がいるとは思えないだろう。

 

 

 

楓「一応、動機についての予想は無いことは無いんですが……」

 

凛「そうなの?」

 

楓「…………」

 

 

 

視線を下げ、考え込むようにする楓さん。だが、すぐに顔を上げ笑みを浮かべる。

 

 

 

楓「まぁ、とりあえずそれは置いておいて、もう一つの可能性の話をしましょうか」

 

文香「……」 こくっ

 

 

 

神妙な顔つきで頷く鷺沢さん。

 

なんだかいつも以上に食い気味に話を聞いてるな。もしかして思った以上に推理している楓さんにミステリーを嗜む者として何か揺り動かされたのだろうか。その瞳には、心なし期待が見て取れる。

 

 

 

楓「もう一つは……隠し持っている、という可能性です」

 

凛「隠し持っている……?」

 

 

 

楓さんのそのシンプルな言葉に、少し拍子抜けしたように反芻する凛。

 

 

 

凛「それは、そうかもしれないけど……でも、殆どの場所は探したよね?」

 

 

 

凛の言い分は最も。さっきも言った通り、昨日、今日と、俺たちは探せる場所は粗方探し尽くした。

 

 

 

楓「ええ。でも、まだ探してない所もあるわよね? 例えば……」

 

 

 

そこで、ジッと楓さんの視線がある一点へと注がれる。

皆がそこへ同じく視線を向けてみれば、あるのは一つの旅行鞄。

 

つまりは、俺の荷物。

 

 

 

楓「……それぞれ個人の荷物までは、調査はしていないでしょう?」

 

 

 

不適に笑う楓さん。

 

そう、その通りだ。確かに俺たちは各部屋の捜索はしたが、さすがに鞄などの荷物の中までは見ていない。というより、あえてしなかったと言った方が正しいか。

 

 

 

楓「そこまではしたくない、という気持ちが全員にありましたからね。私もそこまでするべきではないと思っています」

 

 

 

もしも荷物の調査を、なんて言い出せば、それは疑っている事に他ならない。そこまでする必要な無いと、暗に全員が思っていた。無闇に人間関係を乱すのは得策ではない。……まぁ、その発想自体無い奴らも数名いそうではあるが。

 

 

 

楓「だから、これは最初に言ったようにただの可能性。実際に私物のチェックをしようなんて言いませんよ」

 

凛「楓さん……」

 

楓「しようがないですからね……ふふ」

 

凛「…………」

 

 

 

頼むからセルフで上げて落とすスタイルをやめて頂きたい。

 

 

 

文香「それでは、先程言っていた方針というのは……?」

 

楓「ええ」

 

 

 

楓さんの推理によってまとめた情報。可能性は二つ。

誰かが既に処分してしまったか、隠し持っているか。

 

だが、捜査としては私物のチェックをしない以上、これ以上手を付けようがない。

 

そこで楓さんが提案したのが……

 

 

 

楓「直接勝負と行きましょう」

 

凛「…………え?」

 

 

 

素っ頓狂な声、というのが正しいだろう。凛だけではない、鷺沢さんも、さすがに予想外だったの目を丸くしている。

 

 

 

凛「直接、っていうのは……」

 

楓「アリバイ確認をした時に嘘をついていた方たちへ、何故嘘を付いたのか訊くんです。分かりやすいでしょう?」

 

凛「分かりやすいっていうか……」

 

 

 

むしろドストレート過ぎるくらいである。それ私物のチェックさせてくださいってのと殆ど変わらないどころか、むしろ酷くなってる気がするんですが……

 

 

 

楓「そうかしら?」

 

 

 

だが、楓さんはどこ吹く風。

 

 

 

楓「私なら、遠回しに疑われるより、面と向かって話を訊かれた方が嬉しいです」

 

 

 

笑顔でそんな事を言うんだから、ああ、何でか知らんが、とても探偵っぽいと思ってしまった。安楽椅子とは程遠い調査だけどな……

 

 

 

文香「それでは、やるんですね……」

 

楓「ええ。この事件、明日で決着をつけましょう」

 

凛「あ、明日中に終わらせるの?」

 

楓「だって、最後の一日は気持ちよくお休みしたいじゃない?」

 

 

 

 

まぁ、それについては同意。

なんだかんだ、探偵ごっこも面白いと言えば面白いが、やっぱ折角の温泉旅館だ。ゆっくりしたいという気持ちもある。むしろそっちのが俺はデカい。それしか無いまである。

 

 

 

 

楓「それじゃあ、明日へ備えて……」

 

八幡「…………」

 

楓「今日はもう寝ましょう♪」

 

八幡「はいはい、分かってまs…………え?」

 

 

 

ん? あれ、今、なんてった?

 

 

 

八幡「今日は飲まないんすか……?」

 

 

 

恐る恐るの確認。まさか、楓さんがそんな事を言うなんて……!

 

 

 

楓「たまには身体を労うのも大事かと思ったんですが……あら、もしかして、比企谷くんは飲みたかったのかしら?」

 

八幡「ま、まさか。どうせ俺はソフトドリンクですし、むしろ良かっ…」

 

楓「そう、飲みたかったのね。じゃあしょうがないですね♪」

 

八幡「は?」

 

 

 

と、どこからともなくビニール袋を取り出す楓さん。中には飲み物たっくさん!?

 

 

 

楓「そうですかー比企谷くんが飲みたいのならしょうがないですねー♪」 ぷしゅっ

 

八幡「いや言ってない一言も言ってないってか何もう開けてんですかあなたはってあーーもうやっぱこうなるのか!」

 

凛「……もう諦めなよ」

 

文香「……今夜も、長くなりそうです」

 

 

 

こうして、二日目の夜も更けてゆく。

 

なんでだろうね。全然全く一滴たりとも飲んでないのに、お酒が嫌いになりそうだ。

 

 

 

なんだか、無償に暖かいMAXコーヒが恋しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付は変わり、三日目の朝。

相変わらず天気は悪い。こういう時ばかりは天気予報の正確さが嫌になるな。

 

なんだかんだで撮影開始まで今日を合わせあと二日となった。高垣探偵団の団長こと迷探偵(誤字に非ず)楓さんは、今日で決着をつけると言う。果たして、そう上手くいくのだろうか。

 

 

 

楓「さて、それじゃあまずはレナさんから行きましょうか」

 

 

 

朝飯を終え、二階の談話室にて密談を交わす探偵団の面々。

なんでも、楓さんは既に容疑者……って言うとアレだが、兵藤さん、幸子、莉嘉たち三人へと声をかけていたそうだ。いつの間に……

 

 

 

凛「全員まとめて、ではないんだね」

 

楓「もちろん。全員集まるのは、犯人が発覚した時と決まってますからね」

 

文香「……」 こくっこくっ

 

 

 

また鷺沢さんが大きく頷いている。まぁ、推理ものとしちゃ鉄板だもんな。

それにしても鷺沢さんはどこかイキイキとしているように見える。心なし、気持ち、というレベルだが。

 

もしかしたら、この人が一番この捜査を楽しんでるんじゃないだろうか……

 

 

 

八幡「それじゃ、これからレナさんの部屋へ行くんすか」

 

楓「いいえ、他の場所で落ち合う事になっているわ」

 

 

 

他の場所?

誰か別の部屋へ呼び出したのか、まさか俺の部屋じゃないだろうな……と、少し不安に駆られていると、楓さんは天井、というより、上を指出し意味深に笑う。

 

 

 

楓「行けば分かりますよ♪」

 

 

 

……ちょいと不安が増したが、まぁ、それもいつもの事か。

 

先を行く楓さんの後へ付いて行き、凛と鷺沢もそれに習う。

一同は階段を上り三階へ。マジで俺の部屋かとビクビクしたが、そこは普通にスルー。そのまま楓さんは更に奥へと歩みを進めて行く。

 

まさか、三階の談話室ってオチか? それとも、この先にあるとすれば……

 

と、俺の思考が予測をつけた辺りで、丁度楓さんが歩みを止める。そこはアイドルたちの誰かの部屋の前でもなければ、談話室でもない。

 

 

 

レナ「あら。来たみたいね」

 

 

 

兵藤さんが待っていたのは、ある意味では俺が一番楽しみにしていた場所。

 

つまりは、ゲームコーナーだった。

 

 

 

八幡「なんでまた、こんな所で……」

 

 

 

俺が訝しげな視線を向けると、しかし楓さん本人も首をかしげ、はて? という表情を造る。

 

 

 

楓「さぁ? この場所を指定したのはレナさんですから、私にも分からないわね」

 

八幡「兵藤さんがここを?」

 

 

 

それが本当なら、いよいよマジで分からんな。なんでゲームコーナー??

 

選んだのが楓さんなら、まだ何となくとか、お遊び気分でとか、とりあえずよく分からん感性で納得できそうなものだが(普通に失礼)。

 

こちらの疑問が伝わったのか、苦笑する兵藤さん。

 

 

 

レナ「ああ、この場所に呼んだのはちょっと理由があってね」

 

八幡「理由」

 

レナ「ええ。……率直に言って、あなた達は私を疑っているんでしょう?」

 

楓「!」

 

 

 

その言葉で、高垣探偵団に動揺が走る。いや、まぁ面子で呼び出してる時点でそりゃ予測もつくだろうけども……

 

 

 

楓「疑っている、という程ではないんです。ただ……」

 

レナ「ただ?」

 

八幡「アリバイを確認した時、携帯を取りに行くとおっしゃいましたよね。本当は持っていたのに」

 

 

 

遠回しに言うような事でもないので、はっきりと告げる。

しかし、兵藤さんの表情に特に変化は見られない。まるでやましい事は無いと、そう言わんばかりの余裕だ。

 

 

 

八幡「暗闇の中で間違って兵藤さんの巾着に触れてしまいまして。恐らくあれは携帯電話でしょう?」

 

レナ「…………」

 

八幡「なんで嘘をついたんです?」

 

 

 

俺の核心を突くかのような質問に、兵藤さんはフッと小さく笑みを零し「なるほどね……」と呟いた。

 

 

 

レナ「……確かに、あの時は嘘をついた。それは認めるわ」

 

凛「!」

 

文香「それでは……」

 

レナ「でも、それとこれとは話は別よ? 武蔵を持ち出したのは私じゃない。その主張は変わらないわ」

 

 

 

肩をすくめるようにし、あくまで自分ではないと言う兵藤さん。

まぁ、確かに嘘をついた事でそれが持ち出した証拠には繋がらないわな。

 

 

 

楓「では、何故あんな嘘を?」

 

レナ「言う必要がある? 黙秘権を主張するわ」

 

楓「……理由を教えて貰えないのであれば、はいそうですかとは引き下がれないわね」

 

 

 

ジッと、それからお互いを見つめながら黙ってしまう二人。

なんというか、まるでドラマのワンシーンのようだ。さすがは現役アイドル、絵になる。……実際はただの酒を取っただ取らないだの残念なやり取りなのだが。

 

そしてどれくらいの間があっただろう。先に口を開いたのは兵藤さんだった。

 

 

 

レナ「……そうね、それじゃあ、一つ勝負をしましょうか」

 

 

 

その表情は、まさに不適な笑みと言ったところ。挑発的とも言える。

 

 

 

楓「勝負?」

 

レナ「ええ。こうなるんじゃないかと思って、この場所へ呼んだの」

 

 

 

そう言って、兵藤さんはゲームコーナーの奥へと進んで行ってしまう。

慌てて後を追う俺たちだったが、その先にあったのは……なるほど、そういうことか。

 

 

 

レナ「もしも私に勝つことができたら、潔く理由を説明するわ」

 

 

 

キラキラと光輝く筐体に、ジャラジャラと音を鳴らす無数のメダル。

回転するルーレット、弾かれる銀色の玉……

 

所謂メダルコーナー。そうだった。兵藤レナさん、この人は”元ディーラー”。

 

であれば、この場所にいるのはむしろ自然だとも言える。

 

 

 

レナ「簡単なゲームコーナーではあるけど、それでも、勝負をつけるには充分ね」

 

 

 

そう言って銀色に輝くメダルを弾き玩ぶ姿は、なんとも様になる。

 

……しかし、まさかの展開。よもや勝負をする流れになるとは思わなんだ。

何と言うか、コナン君で言う所のシリアス回じゃなくて少年探偵団の回だった、みたいな。……いやこの例えも大分謎だな。

 

 

 

楓「ふむ……なるほど」

 

 

 

そして隣を見れば、腕を組み思案する楓さん。一応忠告しておくか。

 

 

 

八幡「楓さん。相手はあの兵藤さんです。そこの所をよく考えてくださいよ」

 

楓「受けて立ちます」

 

八幡「楓さん今の俺の話聞いてましたか何で即答なんですか話聞いてませんでしたかよく考えてくださいって言いましたよね俺」

 

 

 

いやどうせ受けるとは思ったけどさぁ! もうちょっと聞く耳持とう!?

 

 

 

楓「大丈夫ですよ。きっと何とかなります」

 

 

 

何故か余裕たっぷりにウインクまでしてみせる楓さん。

相変わらず楽観的というか飄々としているというか、一体その自身はどこからやってくるのやら。

 

 

 

八幡「けど、何も相手の得意分野で勝負を受けなくても……」

 

レナ「安心して。そこはちゃんとハンデをつけるから」

 

 

 

ハンデとな……それを聞いて少し安心する。

賭け事に関しちゃ、恐らく高垣探偵団に勝てそうな団員はいない。中でも一番団長が頼りなさそうってどうなのこれ。声だけは賭け事にめっちゃ強そうだけども。

 

 

 

レナ「それじゃあ、とりあえずルール説明を始めるわね」

 

 

 

そう言うと兵藤さんは、あらかじめ用意していたのかメダルの入ったカップをどこからともなく取り出し、近くの格ゲーの筐体へと並べ始める。

 

置かれたカップは五つ。

 

 

 

レナ「ルールは単純。一人百枚ずつメダルを持ち寄って、それを最終的にどれだけ増やせるかで勝負。一番多かった者が優勝よ。制限時間は……一時間もあればいいかしら」

 

楓「……? 一人百枚ずつ、ですか?」

 

レナ「ええ。だから、厳密には一対四という事になるわね」

 

八幡「!」

 

 

 

それは、また何とも分かりやすいハンデだな。

要はこちらの四人の内の誰かが一人でも兵藤さんのメダル数を上回ればいいわけだ。ハンデとしてはかなり大きい。

 

……けど、何故だろう。それでも不思議と勝てる気がしない。こっちのメンバーの実力が未知数すぎるのも理由ではあるが。

 

 

 

レナ「どう? 何か異論はあるかしら」

 

 

 

念のため振り返り、凛と鷺沢さんを見るが、二人も特に異論は無いようで無言で頷く。俺も特には無いが……どのみち最終決定権はこの人にある。

 

 

 

八幡「どうですか。高垣探偵」

 

楓「大丈夫です。それでいきましょう。…………今の呼び方でもう一回呼んでもらえるかしら?」

 

 

 

呼ばねーっつの。

 

かくして火蓋は切って落とされた。GAME START!!

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

八幡「凛。メダルくれ」

 

凛「早っ!?」

 

 

 

ゲーム開始から15分経過。俺は既に無一文であった。世知辛い世の中だぜ……

 

 

 

凛「一体何したらそんなにすぐに無くなるの……」

 

八幡「ポーカー。最初は調子良かったんだがな。気付いたらカップが空だった」

 

凛「……最初は『はなから使わない方が勝てる可能性あんじゃねーか?』とか言ってたのに」

 

 

 

おっかしーよなー、グラブルだったら結構稼げるのによ。やっぱダブルアップが無かったのが痛かったか。

 

しかしこうしていると、いつだったか奉仕部+その他と行ったゲームセンターを思い出す。あの時も小町にせびてたなぁ……あれ、もしかして俺ギャンブル駄目系男子?

 

 

 

凛「私は良いけど、でもルール的にどうなの?」

 

 

 

と、チラリと兵藤さんを見やる凛。

確かにそう言われてみると微妙なとこか。こっちは四人だし、始まった時点で一人に全部あげてしまえば四百枚になる。そう考えるとかなりズルい。

 

しかしレナさんもここまで早く脱落するとは思ってなかったのか、苦笑しつつ救済処置を与えてくれた。

 

 

 

レナ「それじゃあ、十枚だけなら分けていい事にするわ。一人一回までね」

 

八幡「なんかすいません……」

 

 

 

何とも情けない挑戦者であった。

しかし十枚であと何ができるだろう……

 

 

 

凛「はい、十枚」

 

八幡「おう。サンキュ」

 

 

 

アイドルに養われるプロデューサーの図がそこにあった。悪い気はせん。むしろ理想だ。

この現場を小町に見られたら、兄を甘やかさないでください、とかまた言われんだろうな。ま、今日はいないもんねー!

 

ちなみに凛はと言うと、定番のメダル落としをずっとやっているようだ。タイミングを見計らってメダルを落とし、押し出すやつ。見た所、少し増えているようなのでまずまずと言ったところか。我ながらすかんぴんのくせに謎の上から目線。

 

 

 

凛「あんまりゲームセンターとか来たこと無いし、初めてやったんだけど……結構難しいものだね」

 

 

 

と、そうは言いつつ下手ではない。もう少しでジャックポットのチャンスだ。こういう妙に要領が良い所は凛らしいな……性格はどちらかと言えば不器用な方なのに。

 

 

 

八幡「そういや、楓さんは何してるんだ」

 

凛「さっき、あっちのパチンコ台の方で見かけたけど……」

 

八幡「その台詞だけだとかなり嫌なパワーワードだな」

 

 

 

でも楓さんだったらパチ屋にいてもそんなに驚かない気もする……いやでもやっぱり嫌だわ。

 

 

 

凛「あ、戻ってきたよ」

 

 

 

凛の視線の先を見ると、こちらへ歩いてくる楓さんがいた。持ってるカップの中身は見えないが、その表情は妙に上機嫌に見える。

 

もしや、これは良い結果が……?

 

 

 

楓「……私の戦いは、ここまでのようです」

 

凛「こっちも早い!?」

 

 

 

やっぱりだった……こんなに分かりやすい展開があっただろうか。いや、全く全然人のことは言えないんだけどな。

 

 

 

楓「おかしいわね。最初は調子が良かったんだけれど、いつの間にか空になっていたの」

 

凛「……どこかで聞いたような台詞だね」

 

 

 

凛の視線が痛い。と、とりあえず口笛を吹いて誤摩化しとこう。

 

そして例によって凛から楓さんへ十枚譲渡。今度は助手のお世話になる探偵の姿がそこにはあった。

 

 

 

楓「ありがとう、ミス・ワトソン」

 

凛「それまだ続いてたんだ……」

 

 

 

と言いつつ嫌そうではないんだから素直じゃない奴である。

というか、凛はどこか楓さんを尊敬してる節があるからな。その奔放さに呆れてはいても、同時に憧れのようなものも持っているのだろう。

 

それも、分からない話ではない。

 

 

 

楓「えい」

 

凛「か、楓さん! そこじゃなくて、もっとメダルが密集した所を狙って…」

 

 

 

……たぶん。

 

その後は俺も楓さんも凛の隣で同じメダル落としをプレイすること30分。10枚でどうにか粘りに粘ったが、制限時間を残し再び0枚になってしまった。ちなみに楓さんはもっと早い段階で見るだけになっていた。

 

そして、期待の凛もあまり振るわない様子。

 

 

 

凛「うーん……中々増えないね」

 

八幡「まぁ、この手のゲームは元々辛い調整になってるしな」

 

 

 

基本的に時間を潰して遊ぶゲームみたいなもんだから、たまに当たってメダルが増えても、結局ジリジリと少しずつ減って行く。その繰り返しだ。

 

 

 

楓「なんともいじらしいわね……こう、台を少し揺らしたら落ちないかしら」

 

八幡「思いっきりイカサマですからやめてください……」

 

 

 

賭け狂うどころか普通に迷惑行為です。

 

そしてその後も凛は奮闘するも、特に大当たりがあるわけでもなくゲーム終了。

ここからは集計タイムだ。

 

 

 

凛「えっと、六十四枚……かな」

 

 

 

凛の最終結果、六十四枚。何ともリアルな数字だ。

むしろ、初めてやったにしては上出来な記録と言える。

 

 

 

八幡「俺は0です」

 

楓「私もです♪」

 

 

 

凛が数えてる間は何とも言えない緊張感があったのに、俺たちは一言で結果報告が終わってしまった。なんとも虚しいものである。そしてなんで楓さんは無駄にそんなに自身たっぷりなんだ。

 

 

 

レナ「それじゃあ、次は私ね」 ドンッ! ←カップを置く音

 

八幡「終了。解散」

 

凛「諦め早っ!?」

 

 

 

いや無理でしょ。何よ今の音。何枚あったらそんなワンピースの効果音みたいな音出るの?

 

 

 

楓「ダメよ比企谷くん。最後まで希望を持たないと」

 

八幡「あんな漫画盛りのご飯みたいにカップからメダルが見えててもですか」

 

 

 

やべぇよ、元ディーラーなめてたよ……まさかこんなお遊びみたいなゲームまで上手いとは。さっき見た感じだとスロットやってたし、やっぱその手のが得意なんか。

 

負けは見えつつあるが、一応兵藤さんがメダルを数えるのを待つ。枚数は多いが、手際はかなり良いので思いの外早く終わった。

 

 

 

レナ「六百八十二枚ね」

 

八幡「…………」

 

 

 

完敗。そらもー清々しい程の完敗であった。

 

 

 

八幡「……楓さん。負けちゃいましたけど」

 

楓「ええ。……良い勝負でしたね」

 

八幡「俺が言うのも何ですけど貴女が一番勝負できてなかったです」

 

 

 

っていうか、そういうこっちゃない。

 

 

 

レナ「あら。でももう一人挑戦者がいるんじゃなくて?」

 

 

 

と、そこで兵藤さんの台詞で思い出す。

そうだった。あまりの影の薄さで忘れていたが、高垣探偵団にはもう一人、安楽椅子探偵がいたではないか。

 

 

 

文香「お待たせ、致しました」

 

八幡「鷺沢さん……?」

 

 

 

ヒーローは遅れてやってくるものとばかりに、妙に格好良く登場する鷺沢さん。正直制限時間ちょっと超えてたんじゃないかとかちょっと思う所はあるがそこは置いておくことにする。

 

それよりも気になるのは、その両手に抱えたメダルいっぱいのカップだ。

 

 

 

凛「す、凄いメダルの数」

 

文香「先程数えましたら……千と五十九枚、ありました」

 

凛「千!?」

 

 

 

まさかのダークホース。鷺沢さんにこんな特技があったとは……!

 

 

 

八幡「ちなみに、何のゲームやったんすか」

 

文香「入り口の方にあった、ジャンケンマンというゲームを……」

 

 

 

まさかのジャンケンゲームだったーー!

 

いや、確かにあれもダブルアップがあるから上手くいけば稼げるけども……それにしたって豪運

である。撮影出発前に鷹富士さんか依田と握手でもしてきました?

 

 

 

レナ「……やるわね。私の完敗だわ」

 

 

 

苦笑する兵藤さん。この展開はさすがに予想外だっただろうな……

 

 

 

レナ「結構本気でやったんだけどね……でも、負けは負け。約束通り話すわ」

 

楓「!」

 

レナ「何故、携帯電話を取りに行ったなんて嘘をついたか……」

 

 

 

兵藤さんのその言葉で、場に緊張が走る。

 

そうだ。なんかゲームに夢中になってたおかげで忘れそうだったが、元々これはそういう理由で始めた勝負だった。別にただ遊んでいたわけではない。わけではないんだ。

 

 

 

レナ「本当はあの時、急いで部屋に戻らないといけない用事があったのよ」

 

楓「用事、と言いますと?」

 

レナ「…………」

 

八幡「……?」

 

 

 

兵藤さんは何故かチラッと俺の方を見ると、とても言いにくそうに言い淀む。

その表情は何と言うか、恥ずかしそう……?

 

 

 

レナ「楓さん。ちょっと……」

 

楓「?」

 

 

 

ちょいちょいと手招きし、楓さんを近くに呼ぶ。

他の者へ聴こえないようにと、耳元で口を隠しながら囁くそれは、いわゆる耳打ち。

 

 

 

レナ「……………」

 

楓「はい?」

 

レナ「だ、だから………………ったのよ……」

 

楓「……ああ!」

 

 

 

ぽん、と手を打ち、納得したかのように笑顔を浮かべる楓さん。

 

 

 

楓「なるほど。ブラj…」

 

レナ「ちょーーっとぉ!!? 耳打ちした意味ないでしょ!!」

 

 

 

何かを言いかけた楓さんの口を、瞬時に塞ぎにかかる兵藤さん。その顔は真っ赤っかで、非情に何と言うか、普段の大人な雰囲気とのギャップがあって素晴らしいですね。

 

 

 

レナ「だから、すぐにでも部屋に戻りたくて……」

 

凛「それは……確かに飛び出て行っても仕方ないかも」

 

文香「他の方にも、言い辛いというのも、わかります……」

 

レナ「そうでしょう?」

 

 

 

と、今度は何故か女子勢そろってこしょこしょと何やら話し始める。俺、完全に蚊帳の外。

そして密会が終わったのか、兵藤さんは一度咳払いをすると俺の方へ向き直る。その顔はまだ少し赤い。

 

 

 

レナ「……というわけで女の子たちへは理由を説明したけど、納得して貰えるかしら」

 

八幡「あー……まぁ、男の俺には言いにくい話だってことは理解しました」

 

 

 

うんうんと頷く高垣探偵団女子s。

であれば、俺が問い質すのも野暮というものだろう。正直めちゃくちゃ聞きたいが。

 

 

 

レナ「なんなら、私物のチェックをしても構わないわよ?」

 

八幡「いえ。楓さんたちも納得してるようですし、元々そこまでするつもりは無かったんで大丈夫です。……って言って良いですよね団長」

 

 

 

楓「ええ。捜査へのご協力、ありがとうございました」

 

 

 

まぁ捜査っつっても、ほぼ遊んでたようなもんだが。

 

 

 

レナ「この後は、他のメンバーの所へ行くの?」

 

楓「そうですね。時間は決めてあるので、次の方はお昼の後です」

 

レナ「ふーん……」

 

 

 

と、そこで何故か笑みを浮かべる兵藤さん。

一瞬捜査に同行したいとでも言うのかと思ったが、どうやら違うようだ。

 

 

 

レナ「……お昼の時間まで、まだ一時間以上はあるわね」

 

 

 

携帯電話で時間を確認しつつ、不適に笑う兵藤さん。その眼光は妙に鋭い。おっと、これはもしや……?

 

 

 

レナ「どう? 捜査とは何の関係も無いけど、もう一勝負いかないかしら?」

 

楓「受けて経ちます」

 

八幡「いやだからなんで即答?」

 

 

 

なんなの? 勝負を仕掛けられたら必ず受けなきゃいけない性分なの? ポケモントレーナーなの?

……たぶん、何となく楽しそうだからって理由だけなんだろうな、この人は……

 

 

 

レナ「それじゃああっちの方にビリヤードがあるから、今度はそれで勝負しましょうか。……今度は負けないわよ」

 

 

 

ニヤリと、とても楽しそうに笑顔を浮かべる兵藤さん。

この人もこの人で、かなりの負けず嫌いのようだった。そりゃ、ギャンブルも強いわけだわな。

 

 

 

文香「ビリヤードも初めての経験なのですが、大丈夫でしょうか……」

 

凛「私も。プロデューサーはやったことある?」

 

八幡「……まぁ、ナインボールくらいなら」

 

 

 

その後は5人でただただ普通にビリヤードをやって遊んだが、まー兵藤さんは強かった。本当、相当悔しかったんだろうね……

 

さて。昼飯を済ませたら、再び捜査開始だ。

 

 

お次のターゲットは、あの自称・シロである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸子「う、ううううう嘘なんてついてません! ボクは無実ですよ!!!」

 

 

 

部屋中に響く輿水の叫び。

ここまで分かりやすく狼狽されると、いっそ清々しいな。自称・女優を語るならもうちょい取り繕ってくれ……

 

昼飯を終え、輿水の部屋へ来て既に10分程。だが、兵藤さんの時と同様に事情聴取を行った所この有様。

 

 

 

楓「幸子ちゃん? 別に私たちは、貴女を疑っているわけじゃないの。ただ何で部屋へ行ったか、本当の理由を聞きたくて……」

 

幸子「だ、だから、お手洗いに行っただけだって言ったじゃないですか! 嘘なんかじゃありませんよぉ!」

 

 

 

と、ずっとこの調子である。

 

……まぁ、確かに嘘ついてるって証拠は無いんだよな。あからさまに怪しいだけで。

 

 

 

楓「比企谷くん。ちょっと…」

 

八幡「はい?」

 

 

 

すると楓さん、俺の耳元に顔を近づけ、耳打ちをしてくる。いや、だからそういう行動をさ、あんまり気軽に青少年に対してやらないでくれますかね……!

 

微妙に身体を傾け、少しでも距離を取る。断じてヘタレではない。

 

 

 

楓「どうにか、聞き出す方法は無いかしら?」

 

八幡「いや、それを俺に訊くんすか」

 

楓「だって、幸子ちゃんなら比企谷くんの方が対応が上手いと思って」

 

 

 

一体どういう意味だそれは。おちょくるのは好きだが、果たしてそれは対応が上手いのに繋がるのか……?

 

 

 

楓「ね? お願い」

 

八幡「……まぁ、やれるだけやってみます」

 

楓「その間に、私はちょっと……」

 

 

 

と言って、楓さんはスッと引き下がる。

なんか面倒毎を押し付けられた感があるが、これもプロデューサー……じゃなくて、高垣探偵団の仕事か。

 

 

 

幸子「なんですか? さっきからコソコソと……」

 

八幡「あー……輿水よ。お前はわざわざ部屋までトイレまで行ったと話したな?」

 

幸子「え、ええ。それが?」

 

 

 

相変わらずいちいち返答がしどろもどろである。ってかこれ大丈夫か? 俺セクハラで訴えられたりしない?

 

 

 

八幡「だとすると、少し妙なんだよな」

 

幸子「みょ、妙とは?」

 

八幡「兵藤さんが言ってたんだよ。兵藤さんと莉嘉はお前と同じように部屋へ戻ったらしいが、行く時も戻る時もお前とは会わなかったってな」

 

幸子「ぶぇっ!?」

 

 

 

理由が違ったにしろ兵藤さんが部屋へ戻ったのは本当だった。そしてその兵藤さん曰く、部屋へ向かう時は莉嘉と一緒だったが、輿水はいなかったらしい。

 

 

 

八幡「お前らの部屋は同じ階にあるのに、なんで道中一緒じゃなかったんだ?」

 

幸子「そそそそそそ、それは……!」

 

 

 

明後日の方向を見ながら更に狼狽しまくる輿水。その目は泳ぎに泳いでいた。自分で問い詰めといてなんだがもう少し頑張れ自称・女優。

 

 

 

幸子「……く、暗闇で気付かなかったんじゃ!」

 

八幡「その時はもう既に明かりついてたよな」

 

幸子「…………べ、別のルートを通って……!」

 

八幡「この旅館は上の階に行く階段は一つしかないだろ」

 

幸子「………………ちょ、ちょっとトイレに寄って…て……」

 

八幡「そもそもトイレの為に部屋へ行ったんじゃないのか」

 

 

 

発言の旅に縮こまっていく輿水。ここまで語るに落ちまくる奴も珍しい……

ここまでくると、もはや嘘をついてるって言っているようなものだ。

 

 

 

幸子「う、ううう……ボクじゃない、ボクじゃないんです!」

 

八幡「いや、そう言われてもな……」

 

 

 

せめて宴会場から抜け出した本当の理由を説明してくれれば助かるんだが、それも言いたくないようだし、困ったもんだ。

そんなに苦渋の表情をされると、なんだかこっちが悪い事をしてるような気分になってくる。

 

 

 

凛「……プロデューサー、その辺にしといてあげたら?」

 

文香「少し、不憫に思えてきました……」

 

 

 

見かねたのか、小さな声で告げてくる凛と鷺沢さん。まさかの高垣探偵団からの助け舟であった。まぁ、気持ちは分からんでもない。さっきまでうろちょろしていた楓さんも若干申し訳なさそうだ。

 

 

 

幸子「う、うう……」

 

楓「……ごめんなさい、幸子ちゃん」

 

幸子「楓さん……?」

 

楓「確かに私たちはあなたの証言を疑ってはいるけれど、それでも、貴女の事を犯人だとは思っていないわ。そこだけは信じて」

 

 

 

輿水へ歩み寄り、まるで子供を諭すかのように優しい声音で話しかける楓さん。

……まぁ、14歳と25歳だし実際大人と子供なんだが。

 

 

 

楓「責め立てるつもりもないの。だから安心して頂戴」

 

幸子「楓さん……」

 

 

 

その言葉に、少しだけ気持ちが揺らいだような表情になる輿水。

しかしすぐに思い直したのか、キュッと口を結び、眉を寄せ、珍しく決意するかのような強ばった顔になる。

 

 

 

幸子「……すいません。嘘をついたことは認めます。……でもやっぱり、本当のことは言えないんです」

 

八幡「…………」

 

 

 

そこまでか。

一体どんな理由があれば、ここまで口をつぐむというのか。

 

 

 

楓「……そう。どうしても、教えてくれないわけね」

 

幸子「はい。こればっかりは」

 

楓「分かりました。…………それじゃあ、勝負をしましょう♪」

 

幸子「はい。…………はい?」

 

 

 

一転、ポカーンと間抜けな表情になる輿水。正直その反応は正しい。

 

 

 

幸子「へ? え、勝負って……勝負というのはつまり、どういうことですか……?」

 

 

 

輿水幸子は混乱している。頭上にはてなマークが見えるようである。

それに対し、楓さんはとても楽しそうだ。さっきまでの優しい笑顔は何処へ……

 

 

 

楓「さきほど兵藤さんともやってきたんです。私たち高垣探偵団が勝てば、ちゃんと事情を説明して貰う。幸子ちゃんが勝てば、私たちはもう何も訊かない。そういうことです」

 

幸子「はぁ…………いやどういうことですか!?」

 

 

 

一瞬納得しかけたように見えたがすぐに我に返る。

まぁ、普通に考えてよく分からん展開だよな……俺もよく分からん。さっきは勝負事好きな兵藤さんが相手だったし。そもそも言い出したのはあっちだし。

 

 

 

楓「まぁ良いじゃないですか。要は、幸子ちゃんが勝てば良いんです」

 

幸子「え、ええー……」

 

八幡「諦めろ輿水。じゃないと話が進まない」

 

 

 

普通に考えれば輿水がこの勝負を受ける義理は一切無いのだが、そこはそれ、さすがは輿水。盛大な溜め息と共に流れを受け入れたのか、陰鬱な表情で問うてくる。

 

 

 

幸子「……それじゃあちなみに訊きますけど、勝負というのは何をするんですか?」

 

楓「そうね……例えば」

 

幸子「例えば?」

 

楓「甘いもので早食い、とか?」

 

幸子「そういうのはかな子さん辺りとやってくださいよ!」

 

 

 

完全に今考えたなこの人。白くまでも買ってくる?

 

 

 

楓「そういえば、肝心の勝負内容を考えてなかったわね……」

 

八幡「さっきは向こうが用意しましたしね」

 

 

 

その結果メダルゲームという相手の得意そうな種目で勝負する事になったのだが……まぁ、勝ったから結果オーライだな。

 

と、そこで輿水がピーンと何か思いついたようにし、次第にその表情は笑みへと変わっていく。これはまた碌でもないことを考えてるな。

 

 

 

幸子「分かりました。勝負は受けます」

 

楓「!」

 

幸子「ただし、勝負内容はボクが考えるというのが条件ですが」

 

 

 

ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべながら言い放つ輿水。やはりそうくるか。

 

 

 

楓「……その勝負内容というのは?」

 

幸子「ふふーん、よくぞ訊いてくれました。ズバリ……」

 

 

 

そこで輿水は言葉を切る。大仰に勿体ぶったかと思うと、右手を大きく頭上に掲げ、その後俺たちへと人差し指をさし、犯人はお前だ! と言わんばかりに突き出す。むしろそれはお前がやられそうなポーズなのだが。

 

そして輿水は、妙に自信満々に言い放った。

 

 

 

幸子「……題して! 『本当にカワイイのは誰か選手権』ですっ!」

 

八幡「……………」

 

凛「(プロデューサーが『割と真剣にこいつバカなんじゃないか?』みたいな目で見てる……)」

 

 

 

こいつバカなんじゃないか?

 

 

 

幸子「ルールは簡単です。貴女たち……えー……少年? 探偵団?」

 

楓「高垣探偵団です」

 

幸子「失礼。高垣探偵団が一人一人何か『カワイイ行動』をして、それをボクにカワイイと認めさせることが出来れば、貴女たちの勝ちとしましょう!」

 

八幡「お前のさじ加減ひとつじゃねぇか」

 

楓「受けて立ちます」

 

八幡「楓さーーーん!?」

 

 

 

もはや様式美と言っていいかもしれない。

 

 

 

八幡「輿水が絡むとどうしてもバラエティ色が強くなるな……」

 

幸子「どういう意味ですか!」

 

 

 

ぷんすこと怒っているが言ったままの意味である。っていうか君、絶対自覚あるよね?

 

 

 

幸子「ボクたちはアイドルなんですから、むしろこれ程おあつらえ向きな勝負も無いと思いますけどねぇ」

 

八幡「……そんなら、もちろんお前もやるんだよな」

 

幸子「へ?」

 

 

 

ここで主導権を握られるのは癪にs……じゃなくて、得策ではないので、俺も言わせてもらう。

 

 

 

八幡「アイドルとして誰が一番カワイイ行動を取れるか、俺が見極めるとしよう」

 

楓「なるほど。プロデューサーである比企谷くんは、確かに審査員には最適ね」

 

幸子「ちょ、ちょっと! ボクはやるなんて一言も……」

 

八幡「まさか、できないのか?」

 

幸子「!?」

 

 

 

大きく大きく、わざとらしーく溜め息を吐き、心底がっかりしたような目で輿水を見る。目つきは元々死んだようなもんだが。

 

 

 

八幡「そうか、いつもあんだけ自分をカワイイと言っておきながら、勝つ自信は無いんだな」

 

幸子「なっ、べ、別に、そういうわけじゃ……!」

 

八幡「なら、やるんだな? そのカワイイ選手権とやらを」

 

幸子「……や、やってやりますとも! フフーン! ボクが一番カワイイということを、証明してあげましょう!」

 

 

 

チョロい。もの凄いチョロさである。プロデューサーちょっと心配よ?

そもそも、いつの間にか勝負の判定権が俺にあるんだがそれは良いのだろうか……

 

 

 

凛「……っていうか、これ私たちもやるの?」

 

文香「…………」

 

 

 

約2名ほどとばっちりを食らい死んだような表情を浮かべているが、まぁ、こういう流れだ。諦めてくれ。

 

 

 

楓「ふふ……やるからには、全力でいきましょう」

 

 

 

そして何であんたはそんなにやる気まんまんなんだ。

 

とにもかくにも、勝負開始!

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

女将「えー、今回司会を努めさせて頂きます。当旅館の女将でございます。そして審査員兼解説の……」

 

八幡「比企谷です。よろしくお願いします」

 

 

 

ちょうど掃除で近くに来ていた女将さんに協力を仰ぎ、全然全くもって必要は無いとは思うが、こういう形で勝負が行われる事になった。場所は談話室。

 

前乗りの際、念のためデジカムを持ってきていたので、折角だから回すことにした。輿水曰く雰囲気は大事とのこと。凛は最後まで抗議を申し立てていたがスルーされた。哀れなり。

 

 

 

女将「今回公平を期すため、順番はくじ引きにで事前に決めております。持ち時間は5分ですが、短い分には特に問題はありません。あくまで『カワイイ』といかに思わせられるか、自由に表現して頂ければと思います」

 

八幡「……慣れてますね」

 

女将「宴会では司会は付き物ですので」

 

 

 

にっこりとした笑顔で応える女将さん。面倒事に巻き込んで申し訳ないと思っていたが、もしかしなくても結構楽しんでらっしゃいます?

 

 

 

女将「それでは早速参りましょう。エントリーナンバー1番。”お酒は飲んでも飲まれるな。それでもやっぱり飲まれちゃう”高垣楓さんです。どうぞ!」

 

八幡「なんですか今の」

 

 

 

恋する女は奇麗さ~♪ とどこからか曲が流れ、ソファに座っている我々の向かいに楓さんが現れる。ちなみに横で待機していただけで普通に全員同じ部屋にいる。カメラに映らなきゃいいんだよ映らなきゃ!

 

 

 

楓「えっと、それじゃ始めたいと思うのだけれど……」

 

 

 

ちらっと、何故か俺の方を見る楓さん。

 

 

 

楓「比企谷くん。ちょっとこっちへ来て貰ってもいいかしら?」

 

八幡「はい?」

 

楓「今からするのは、相手がいないと出来ないことだから…」

 

八幡「…………」

 

 

 

不安だ。めっちゃ不安。一体何をするつもりなんだこの人は……俺解説なんだけどなぁ……

まぁ、ここで渋っても仕方が無いので協力はするが。

 

横で待機している輿水に念のため視線で許可を求めると、グッと何故かサムズアップ。返答としては非情に分かりやすいが可愛さで言えばマイナスだぞそれ。

 

ソファから立ち上がり、楓さんの近くへ歩み寄る。

 

 

 

楓「それじゃあ、こちらの方へ」

 

 

 

ふわっと、一瞬とても良い香りがした。

 

楓さんは近くに来た俺の肩を引き寄せるように手を添え、壁の方へと誘う。いや、自然なエスコート過ぎて焦るっていうか壁……!?

 

気付いた時に既に遅かった。そのまま導かれるように俺は背を壁に預け、そしてすぐに顔の横を、楓さんの細くも流麗な手が過る。これ……は…………!?

 

 

 

ドンっ

 

 

 

幸子「か、かかか、壁ドンですってぇ!!?」

 

凛「ていうか顔近くない!?」

 

女将「お静かにお願いします」

 

 

 

そう、これぞまさに壁ドン。女子の憧れ。ただしイケメンに限る。その筋で有名な、あの壁ドンである。八幡は動揺している。……ってかいやマジで顔近ぇな!

 

 

 

八幡「か、楓さん。ちょっと、顔が近いというか…」

 

楓「それはそうです。……近づけているんですから(イケボ)」

 

 

 

ひぃぃいいいいい!!!

 

な、なんだこれは! 妖艶な笑み、息遣いが分かりそうな程の距離、そして再び漂ってくる形容し難い良い香り……ど、ドキドキが止まらないよぉ! もしかして恋ですか? 八幡は動揺しt…

 

 

 

凛「す、ストーっプ! 終わり! もう5分経ったでしょ? 経ったよね!?」

 

女将「いえ、まだ2…」

 

凛「経った! 経ったって!」

 

 

 

珍しく張り上げるような凛の声で我に帰り、遮られてない方から慌てて抜け出す。た、助かった。あれ以上あの空間にいたら、危なく青春ラブコメが始まる所だった……始まっても一方通行で即終了するだろうけど。

 

 

 

女将「さて、実際にやられてみてどうでしたか? 解説の比企谷さん」

 

八幡「え? え、ええ、そうですね……」

 

 

 

よれよれの疲労困憊になりながら、なんとか解説席に戻る。ダメージでか過ぎ……

 

 

 

八幡「……とりあえず楓さんに訊きたいんですが、一体どういう意図であの行動を?」

 

楓「えーっと、以前何かで見たんですが、男性はギャップ萌え、というものに弱いと聞きまして」

 

 

 

思い出すように説明を始める楓さん。ギャップ萌え……まぁ間違ってはいないが、誰か入れ知恵でもしたんじゃないかと勘繰ってしまうな。

 

 

 

楓「お恥ずかしい話ですが、私は普段あまり真面目とかクールな印象を持たれる事が少なく、どうしようもない人扱いされることが多いようで……何かカッコいい事をすれば、ギャップ萌え? になるかと思ったんです」

 

八幡「……それはただ単にカッコいいと思われるだけなのでは」

 

 

 

そして恥ずかしいと言う割にはなんだか嬉しそうなんだが、まぁそこは置いておく事にする。

 

 

 

八幡「正直主旨とはちょっと違いますが……かなりのアピール力だったことは認めます」

 

 

 

というか結構な破壊力である。正直まだ心臓が痛いし、もうやめて頂きたい。これで面白がって色んな人にやり始めたら被害者が続出するのが目に見えて想像できる。罪な女だ。

 

 

 

楓「でも私が普通に可愛らしいことをするよりは、与える印象は強かったんじゃないかしら」

 

八幡「まぁ、確かに楓さんが可愛いことしてても『ふざけてるのかな?』とはなりますね」

 

楓「中々辛辣なことをおっしゃいますね」

 

 

 

そう思うならカッコいい行動がギャップにならないよう、普段からきちんとして頂きたいものである。

 

次だ次!

 

 

 

女将「高垣楓さん、ありがとうございました。……それでは次はエントリーナンバー2番。”叔父の書店でお手伝いをしていたらいつの間にかアイドルになっていた件”鷺沢文香さんです。どうぞ!」

 

八幡「だから何なんですそれ」

 

 

 

恋する女は奇麗さ~♪ とまたもどこからか曲が流れ、今度は鷺沢さんが現れる。この人がある意味一番想像できないな。一体何をやってくれるのやら。

 

 

 

文香「よろしく…お願い致します……」

 

 

 

ぺこりと、ご丁寧にも深くお辞儀をする。その時ふわっと前髪が一瞬舞い、少し緊張した様子の可愛らしい顔が垣間見えた。この時点で既に可愛い。

 

 

 

文香「えっと、比企谷さん」

 

八幡「はい?」

 

文香「私も、協力してほしい事があるのですが……よろしいでしょうか……?」

 

八幡「…………」

 

 

 

またか。またこのパターンなのか……

まぁ、楓さんを手伝った以上断ることも出来ないんだが。一応また輿水に視線で尋ねると、今度は両手で頭上に大きく丸を作。真顔で。だから、お前はもう少し可愛くできないんか。

 

しぶしぶ再びソファから立ち上がり、鷺沢さんの元へと向かう。さすがに楓さん程のインパクトは無いと思うが、この人の場合何をするか未知数過ぎてな……やはり怖い。

 

 

 

八幡「それで、俺はどうすれば?」

 

文香「少々、お待ちください……」

 

 

 

すると鷺沢さん、解説席とは別のソファにおもむろに腰掛ける。

 

 

 

文香「……はい、こちらにどうぞ」

 

八幡「は?」

 

 

 

ぽんぽん、と。まるで誘うように自らの膝を優しく叩く鷺沢さん。

 

 

 

八幡「えっと……」

 

 

 

え。いや、どうぞってのは、その……いやいや、まさかそんな、そんなはずは……

 

ない。とは思うが、恐る恐る、俺は確認する。

 

 

 

八幡「…………あの、どうぞ、っていうのは……?」

 

文香「はい。……所謂、膝まくら、というものをしようかと」

 

 

 

やっぱりだったーー!!!

 

 

 

幸子「ひ、ひひひ、膝枕ですとぉ!!?」

 

凛「そ、そういうのもありなの!?」

 

女将「お静かにお願いします」

 

 

 

いやいやいや、いかんでしょ、これは。マジで。本当に。

 

 

 

文香「本当は、耳かきがあればそちらもしようかと思ったのですが……生憎と、持ち合わせていなかったもので……」

 

八幡「なっ……」

 

 

 

膝まくらに、耳かきまでしようとしてたのかこの人は!?

楓さんのギャップ萌えとは逆の、盛りに盛った方向性での破壊力だ。鬼に金棒。鷺沢文香に膝まくらに耳かき……恐ろしい程のバフ盛り合わせである。孔明さんもビックリやで。

 

 

 

文香「それでは改めて……こちらに、頭をどうぞ」

 

 

 

またも、ぽんぽんと自らの膝へ誘う鷺沢さん。

え、っていうか何、自らあそこに頭を置きに行けっていうの!? いやいやいや普通に考えて厳しいでしょう! 色んな意味で!

 

だが、ふと考える。冷静になってよくよく考えてみれば、これは人生に一度あるか無いかのチャンスではないだろうか? あの、あの鷺沢文香に、合法的に膝まくらをして貰えるんだぞ? 違法な膝まくらってなんだよ。いや今はそんなんことはいい。そりゃ周囲に見られまくってる上に自分から頭を差し出しに行くというこの上ない羞恥はあるが、それを補ってあまりある幸福が、そこに待っているんだぞ? 鷺さんが、ほんのり頬を赤らめながら、膝まくらを良しとしてしているんだぞ? これは、これはこれは、行かなければ男が廃るってもんじゃあないのか!?(ここまでの思考約0.5秒)

 

気付けば、足はゆっくりと動き出そうとしていた。

 

 

ゆっくりと、その柔らかそうな膝へ向かい、進もうとーー

 

 

 

 

 

 

凛「……………………」

 

 

 

 

 

 

ーー進もうと、した所で、凛と目が合った。

 

ガン見だった。

 

 

 

文香「比企谷さん……?」

 

八幡「あ、いえ。…………遠慮しておきます」

 

 

 

頭は一瞬で冷えきり、つとめて冷静に、丁重にお断りさせてもらった。

 

超怖かった……

 

 

 

女将「えー、では席に戻って頂いたところで、いかがでしたか比企谷さん」

 

八幡「そうですね。色んな意味でドキドキが止まりませんでした」

 

女将「高垣楓さんに続き、相当なアピール力であったと」

 

八幡「ええ。男のロマンを突くという点においては中々の作戦だったと思います。可愛い行動かどうかは微妙な所ですが」

 

 

 

壁ドンもそうだが可愛さアピールとはちょっと違う。ってかかなり違う。やってる人たちが可愛いのは認めるが、たぶんそこじゃない。求めているのはカワイイ行動だ。企画発案者の幸子が「何か思ってたのと違う……」と呟いている辺り、俺の認識は間違ってないんだろうな。俺を驚かせる企画か何かと勘違いしてない?

 

 

 

楓「やるわね文香ちゃん……」

 

 

 

というか、トップバッターがこの人だった時点で色々ダメだったのかもしれない。

 

次だ次!

 

 

 

女将「鷺沢文香さんありがとうございました。では続きまして、エントリーナンバー3番。”最近胃薬を飲むようになりました”渋谷凛さんです。どうぞ!」

 

八幡「責任を感じる」

 

 

 

恋する女は奇麗さ~♪ ともはやお決まりの曲の後、我らが担当アイドル渋谷凛が躍り出る。……いやごめん盛った。かなり嫌々出て来た。

 

 

 

凛「えーっと……」

 

 

 

前に出たはいいが、視線を彷徨わせかなり躊躇った様子の凛。どうにも踏ん切りがつかないようだ。

 

しかしまた協力してほしいと言われたらどうしようかと思ったが、この様子じゃそれはなさそうだな。一体何をするつもりなのか。

 

……正直、担当プロデューサーとして凛の思う”カワイイ”がなんなのかは興味がある。

 

 

 

凛「……よし。いくよ」

 

 

 

どうやら決心がついた様子。ともすれば睨むかのようなその決意の眼光は、これからカワイイことをしようとしているアイドルとはとても思えない。ちゃんとカワイイの意味を理解しているのかかなり心配になるな。

 

さて、我が担当アイドルは一体何をーー

 

 

 

凛「渋谷凛。諸星きらりのモノマネをやります」

 

八幡「は」

 

凛「すぅーー……うっk

 

 

 

 

 

 

 ※ しばらくお待ちください。 ※

 

 

 

 

 

 

カメラの映像はそこで途絶えている。

 

きっと、思わず担当プロデューサーがカメラに残すことを躊躇うほど、劇的な何かがあったのだろう。もっと言うとシン劇的な何かが。

 

撮影が再開した時、そこには羞恥に打ち震える担当アイドルの姿があった。

 

 

 

凛「~~~~っ!」

 

八幡「もういい……よくやった……お前はよくやった……!」

 

 

 

凛の決死のカワイイ行動……俺はよっぽどタオルを投げようかと思ったが、それでも担当アイドルのステージを邪魔してはいけないと、最後まで見届けた。凛は最後までやり切った。ラジオからまた腕を上げたな……

 

 

 

女将「どうでしょう、解説の比企谷さん」

 

八幡「凛が優勝で良いんじゃないでしょうか」

 

幸子「ボクまだやってませんよ!?」

 

女将「お静かにお願いします」

 

 

 

さすが輿水。隙がない。お前もうそっちの道で行ったら?

 

 

 

八幡「まぁ冗談はその辺にして。可愛さをアピールにするにあたって諸星をチョイスするというのは中々良かったんじゃないですかね。……若干一発芸感は否めませんが」

 

女将「確かにあれだけ可愛いことに余念の無いアイドルもいませんからね」

 

 

 

女将さん諸星のこと知ってるんだという素朴な疑問は置いといて、輿水もそこは同意なのかうんうんと頷いていた。輿水の思う可愛いアイドルっていうのもちょっと興味あるな。

 

 

 

八幡「あとこれはあくまでファン目線での話ですが、恥ずかしさに悶えながらも可愛くあろうとする姿はアイドルとしてかなり可愛く映ったのではないでしょうか。……あくまでファン目線での話ですが」

 

女将「とても主観の入ったご意見ありがとうございます」

 

八幡「やっぱり凛が優勝で良いんじゃないですかね」

 

輿水「だからボクまだやってませんよ!?」

 

女将「お静かにお願いします」

 

 

 

なんか凛が「私もプロデューサーに手伝ってもうようなのにすれば良かった……」とか呟いているが、こっちの体力が保たないのでノーサンキューです。

 

 

 

女将「少々解説から担当贔屓のあるような発言も見られましたが、渋谷凛さんありがとうございました。……それでは、次で最後になります」

 

 

 

いよいよ、ラストのあいつが登場か。何の因果か、トリを飾ることになろうとは。

 

 

 

女将「エントリーナンバー4番。”自称・カワイイ”輿水幸子さんです。どうぞ!」

 

八幡「初期の肩書きを踏襲していくスタイルは嫌いじゃないです」

 

 

 

恋する女は奇麗さ~♪ とこれで最後になる曲が流れ、輿水幸子はそこに現れた。認めるのは癪だが、妙にオーラを出すじゃねぇか。

 

 

 

幸子「フフーン。さぁ、世界で一番カワイイボクの、最高にカワイイところをとくとご覧あれ!」

 

 

 

言い放ち、自身たっぷりの笑顔。

 

さぁ、自称世界一カワイイアイドル輿水幸子はどう出る……?

 

 

 

幸子「…………」

 

八幡「…………」

 

幸子「…………」

 

八幡「…………?」

 

幸子「…………」

 

八幡「……おい、どうした?」

 

 

 

宣言し、笑顔をつくったっきり微動だにしない輿水。特に話すこともしない。その余裕の表情から、緊張して何も出来ずにいるというわけでもなさそうだ。

 

 

 

八幡「何かしないのか?」

 

幸子「ええ。何もしませんよ」

 

八幡「は?」

 

 

 

意味が分からず変な声が出る。何もしない??

 

 

 

幸子「だって、こんなにカワイイボクですから、こうして笑顔で立っているだけで、最高にカワイイでしょう?」

 

八幡「…………」

 

 

 

………………。

 

 

 

幸子「フフーン、どうしました比企谷さん? ボクのあまりの可愛さに、声も出せn…」

 

八幡「優勝、渋谷凛」

 

女将「以上、『本当にカワイイのは誰か選手権』でした」

 

幸子「あれぇ!!?」

 

 

 

こうして何ともあっけなく勝負は幕を閉じた。

 

ちなみに、準優勝は鷺沢さん。

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

八幡「さて、女将さんにもお帰り頂いたし、真実を聞かせて貰おうか」

 

 

 

とんだ茶番に付き合わせてしまって、ちょっとご迷惑だったかな。……普通に考えて迷惑か。でも楽しそうにはしていたし、合意の上だしな。後でちひろさんに頼んで菓子折りでも送らせて貰おう。

 

しかし、企画発案者で最下位になった当の輿水は拗ねてるご様子。

 

 

 

幸子「ボクとしては、勝負の判定に不満があるんですが……」

 

八幡「まだ文句垂れてんのか。もう一回戦いっとくか?」

 

凛「絶対嫌っ!」

 

 

 

違う方向からの瞬時の即答だった。優勝者が一番嫌がってるってこれどうなの。まぁ、そうは言っても俺だってやりたくないが。

 

 

 

幸子「……分かりました。ちゃんと話しますよ」

 

 

 

渋々ではあるが、ようやく折れてくれた輿水。こいつも約束は守る辺り、根は真面目だよな。

 

 

 

幸子「あの時、トイレに行ったのは本当なんですよ。ただちょっと事情があって……」

 

楓「? トイレというのは、お部屋のトイレですか?」

 

幸子「いえ、一階にあるレストルームです。そこで、その……」

 

 

 

またごにょり始める幸子。なんだ、一体何がそんなに言いにくいというのか。

 

 

 

楓「一階のレストルームということは、確か早苗さんも行ったとおっしゃってましたね」

 

凛「でも、幸子とは会わなかったって……」

 

幸子「いやその、本当は会ったというか、見たと言いますか…」

 

凛「見た?」

 

 

 

見た……って言うのは、その、つまり……

 

 

 

八幡「……まさか」

 

文香「霊的な何か……ですか?」

 

幸子「違いますよ!! そういうのは小梅さんにおまじないをお願いしてるんで大丈夫です!」

 

 

 

なんだ良かった。もし本当にそういうアレを見たとか言い始めたら夜出歩けなくなる所だったぜ。場合によっては帰らせてもらう。帰れないんだけど。

 

ってか、白坂のおまじないってそれ大丈夫? 逆に寄り憑かれる系のやつじゃない?

 

 

 

幸子「見たというのは、早苗さんを見たという意味です!」

 

八幡「……あー」

 

 

 

会ったのではなく、見た。そして、あまり言いたくはない事実。

その輿水の言い回しで、何となくは察した。

 

 

 

八幡「それは要するに、あまり人に言えないような現場を目撃した、ってことか。……早苗さんの」

 

幸子「……そういうことに、なりますね」

 

 

 

目を逸らし、ばつが悪そうに言う幸子。なるほどな。

 

ああも理由を説明したがらないから、一体どんな醜態を晒したのかと思えば……他の誰かの秘密を守ろうとしていただけだったとは。

 

 

 

幸子「……? なんで笑ってるんですか?」

 

八幡「いや、なんでもねぇよ」

 

 

 

うちの事務所って、こういう奴しかいないのかね。

 

 

 

楓「ふむ……その現場というのは、一体?」

 

幸子「あれ!? それ普通に訊いちゃうんですか!?」

 

楓「探偵ですから」

 

 

 

にっこりと、非常に良い笑顔で言う楓さん。非情にと言った方が正しいか。

まぁ、野暮な詮索であることは既に重々承知。でも気になるからね! 仕方ないね。

 

 

 

幸子「ええと……さすがにこれ以上は、アイドルの矜持に関わると言いますか…」

 

「いいのよ幸子ちゃん。もう、喋ってしまっても」

 

 

 

と、どこからか突然謎の声。

楓さんが「何奴!」とか言って振り向いているが、声ですごい分かるしもう既に何だか残念な感じが漂っている。

 

 

 

早苗「あたしよ」

 

幸子「さ、早苗さん!」

 

早苗「ごめんなさい幸子ちゃん。辛い思いをさせたわね……」

 

 

 

ひしっと、何やらお涙頂戴な抱擁をしているが、こっちはさっさと進めて頂きたいんじゃが。

 

 

 

八幡「そういうのいいんで、早く話してもらえます?」

 

早苗「もう! 雰囲気が無いわね!」

 

 

 

ならもうちょっと演技を頑張ってくれ。撮影が今からちょっと不安になってきたよ?

 

 

 

早苗「言っておくけど、武蔵とは無関係よ? あたしがちょっと、その、粗相をしちゃって、それにたまたま幸子ちゃんが居合わせただけの話だから」

 

八幡「…………」

 

 

 

あれ? これ、俺聞いて大丈夫なやつ?

 

思わず俺が変な汗をかき始めると、それに気付いたのか早苗さんは慌てて訂正をする。

 

 

 

早苗「あっ、粗相っていうのは別に、間に合わなかったとかそういう意味じゃないわよ!? 言葉の綾だってば!」

 

 

その台詞でホッとする。なんだ、そうか。別にこっちはそんなつもりもないのに、セクハラでもしたかのような錯覚になって焦ったぜ。

 

 

 

早苗「アイドルとしてそんな醜態は晒さないわよ~アッハッハ」

 

八幡「ですよね。安心しました」

 

早苗「ええ。ちょっとゲロっちゃっただけだから」

 

八幡「おいッ!!!」

 

 

 

いや言ったね! 今アイドルとして充分な醜態をハッキリと!!

 

 

 

早苗「停電の間も暇だからって飲んだのがいけなかったのかしらね~思いっきりやっちゃったわ」

 

八幡「いいです。そんな説明はいいです……」

 

 

 

問い詰めたのは確かにこちらだが、それでも中々に聞きたくない話だった。そりゃアイドルとして隠したくもなるわ……

 

 

 

楓「なんだ、そんなことですか。私たちなら別に珍しい話じゃないのでは?」

 

早苗「うーん、普通に吐いただけならそうなんだけどねー」

 

八幡「そういう会話をしれっとしないでくれます?」

 

 

 

あの、貴女たちアイドルなんですよ? 分かってます?

しかし俺のツッコミも早苗さんは完全スルー。

 

 

 

早苗「……言っちゃってもいいわよね? 幸子ちゃん」

 

幸子「うぐっ……」

 

 

 

あからさまに顔をしかめる輿水。なに、まだ何かあんの?

というか、この口ぶりだと早苗さんじゃなくて、輿水絡みで……?

 

 

 

早苗「ーー彼女、もらっちゃったのよ」

 

 

 

アイドル 輿水幸子!  も ら う !

 

 

 

八幡「あー……」

 

輿水「だから言いたくなかったんですよー!!」

 

 

 

俺を含め一同、なんとも言えない顔になる。

なるほどな……早苗さんだけじゃなく、しっかり自分の醜態も含まれてたわけだ。

 

なんちゅーか、ちょっと申し訳なくなってきた。

 

 

 

早苗「トイレでゲーゲーいってる所に彼女が来てね。最初は背中をさすってくれてたんだけど、いつの間にかいなくなってどうしたのかなーと思ったら、隣で見事に、ね……」

 

輿水「フギャー! やめてくださいよ! そんなに事細かに説明しなくていいですから!」

 

 

 

もはや半泣きの輿水。これは確かにアイドルとして隠したいわな。……早苗さんはともかく。

 

 

 

幸子「……アリバイを確認された時、急にトイレで会ってないなんて嘘を振られるから、誤摩化すのが大変でしたよ」

 

早苗「いやーごめんなさいね。でもそういう意味じゃ、あたしと幸子ちゃんは共犯者だったってわけ。ああ、あと着替えの浴衣を貸してくれた仲居さんも」

 

八幡「そんな言い方だけカッコよくされても」

 

 

 

沈んだ様子の輿水に対して、快活に笑ってのける早苗さん。この人の場合本当に隠すようなことじゃなかったんだろうな。大方輿水に隠してほしいと言われ付き合ったのだろう。

 

 

 

幸子「うう……ボク、アイドルなのに…」

 

楓「大丈夫よ幸子ちゃん。あなたが思ってるよりも、うちの事務所のアイドルは吐いてるわ」

 

幸子「なんですかその嫌なフォロー……」

 

 

 

プロデューサーとしても本当にやめてほしい。頼むからそういうこと他所で言うなよマジで!

 

 

 

楓「でも、嫌な思いをさせてしまったのは事実ね。謝るわ」

 

幸子「……もういいですよ。ボクも、話したら少しスッキリしましたから」

 

早苗「文字通り、吐いたら楽になったってやつね!」

 

楓「ぶふっ」

 

幸子「もーうっ! 本当に悪いと思ってるんですかー!?」

 

 

 

そうして、部屋の中には笑い声が木霊する。

 

何とも微妙な真実ではあったが……とにもかくにも、こうして輿水(ついでに早苗さん)の身の潔白は証明された。……ある意味じゃ潔白とは言えないかもしれないが、とにかく武蔵を持ち出した犯人ではなかったことはハッキリしたと言っていい。

 

なんだか明かさなくていい謎を解き明かしてしまった感はあるが、まぁ、仕方ないな。

 

 

 

楓「ーーさて、それじゃあ次で最後ということになるわね」

 

 

 

早苗さんと輿水と別れた後、再び談話室にて打ち合わせが行われる。

 

最後の容疑者は、城ヶ崎莉嘉。

本人は電波が繋がらないにも関わらず、部屋へ電話をしに行ったと証言していた。

 

 

 

凛「でも正直、莉嘉もお酒を持ち出すとは考えられないんだけど」

 

文香「確かに、そうですね……」

 

 

 

既に何度も言われていることだが、莉嘉はまだ中学生。酒を欲しがることまず無いだろうし、他の理由も考えにくい。

 

 

 

凛「そう言えば、楓さんは動機について考えが無いわけじゃないって言ってたけど、それはどうなの?」

 

楓「ああ、それですか」

 

 

 

ふむ、と。腕を組み、考え込むようにする楓さん。

 

 

 

楓「……あるにはあるんですが、とりあえずは莉嘉ちゃんの部屋へ行きましょうか」

 

凛「という事はつまり、また勝負するんだね……」

 

楓「ええ。場合によっては♪」

 

 

 

はぐらかすかのように微笑み、一人先に歩いて行ってしまう楓さん。

こういう勿体ぶる所は探偵っぽく振る舞ってるのか、はたまた素でやっているのか。

 

後をついて行き、程なくして莉嘉の部屋へと辿り着く。

 

 

 

八幡「………っ! 楓さん」

 

楓「? どうしたの比企谷くん」

 

八幡「これ」

 

 

 

俺は楓さんへ一つの欠片を手渡す。

 

 

 

八幡「扉の前に落ちてました」

 

楓「これは……」

 

 

 

眉を寄せ、”それ”をジッと見つめる楓さん。

 

 

 

凛「なに? 何かあったの?」

 

文香「見た所、ガラスの欠片のように見えますが」

 

 

 

そう、ガラスの欠片だ。

 

更に言えば、恐らくこれはーー破片。

 

 

 

楓「……どうやら、莉嘉ちゃんとは勝負をする必要な無さそうね」

 

凛「それってつまり……」

 

楓「ええ。私の推測……探偵らしく言うなら、私の推理が正しかったみたい」

 

 

 

楓さんは不適に、そして少し楽しそうに、微笑んでみせる。

 

 

 

楓「それじゃあ、事件の幕を降ろしましょうか」

 

 

 

言い放ち、扉をノック。

次第に近づいてくる足音。

 

固唾を飲む一同を前に、その扉は開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋には、5人の人間がいる。

 

 

探偵、高垣楓を筆頭とした高垣探偵団4人。

そして、城ヶ崎莉嘉。

 

莉嘉のその表情は、部屋の中へ通されてから以前変わらない。

いつもの莉嘉だ。

 

 

 

莉嘉「それで、お話ってどうかしたの?」

 

楓「莉嘉ちゃん……」

 

 

 

が、楓さんの顔は真剣そのもの。

 

かつてこれ程までに真面目な時があっただろうか。そう思わせる程の雰囲気を醸し出している。……やはり、お酒が絡んでいるからだろうか。そんな思いはそっと内に秘めておいた

 

そして少しの間の後、その言葉は紡がれた。

 

 

 

楓「……単刀直入に言いますね」

 

莉嘉「うん?」

 

楓「あなたが、剣聖武蔵を持ち出したのよね」

 

 

 

楓さんのその言葉に、しんと部屋が静まり返る。

 

だがそれも一瞬のことで、すぐに莉嘉は取り繕うかのように笑って話し出した。

 

 

 

莉嘉「な、なに言ってるの? アタシじゃないよー」

 

楓「それじゃあ、どうして部屋へ電話をしに行った、と嘘をついたの?」

 

莉嘉「嘘?」

 

楓「ええ。この階はどの部屋も電波が届かないから、談話室か一階へ行かなければ電話は出来ないはずでしょう?」

 

 

 

自分の携帯電話を取り出し、画面を見せるように掲げる楓さん。確かに、画面上部の方には圏外の文字が表示されている。

これは俺たち全員の携帯もそう。確認したので、間違いは無い。

 

 

 

莉嘉「そりゃあの時はそう言ったけど、部屋へ戻った後に電話できないのを思い出して、談話室まで行っただけだってば。説明が面倒だったからそう言ったの」

 

楓「それじゃあ、実際は談話室で電話をしたの?」

 

莉嘉「うん。だからそう言ってるじゃん」

 

 

 

あっけらかんとそう言う莉嘉。まぁ、そりゃそうくるわな。

別に莉嘉が言っている事におかしな店は無い。あの時はああ説明しただけで、実際は別の所で電話してましたーと言われればそれまでだ。何の疑いようもない。

 

 

 

楓「ふむ。そう言われると、こちらも納得するしかありませんね。特に証拠もありませんし」

 

凛「えっ」

 

 

 

楓さんの発言に、素っ頓狂な声が上がった。

上げたのは、誰でもない隣に座る助手。

 

 

 

凛「証拠……無いの?」

 

文香「……………」

 

 

 

しかし凛もそうだが、どちらかと言うと隣の鷺沢さんの方が「ガーン……」とややショックを受けているご様子。もしかして劇的な謎解きを期待していたりしたんだろうか……

 

 

 

莉嘉「えー証拠も無いのに疑ってたのー?」

 

楓「ふふ、ごめんなさい。でも証拠は無くても、莉嘉ちゃんが持ち出したんじゃないかと思った理由はあるの」

 

莉嘉「理由?」

 

楓「ええ。順に説明してもいいかしら?」

 

 

 

楓さんの犯人を追いつめる気のまるで無さそうなゆったりとしたトーンに、莉嘉も少々ぽかんとした様子だったが、すぐに顔を引き締め迎え撃つかのように笑う。

 

 

 

莉嘉「うん。いいよ! 聞かせて」

 

 

 

この探偵と容疑者、実に楽しそうである。

楓さんが小声で「これもある意味じゃ勝負ね」とこっちを見て笑ったが、確かにそうかもな。探偵と容疑者の直接対決。

 

さて、我らが探偵はどう出るか。

 

 

 

楓「まずみんな分かっているとは思うけれど、あの時夕食会場からお酒を持ち出すことが出来たのは、電気が回復してすぐに部屋を出た3人しか恐らくいない……そうよねミス・ワトソン?」

 

凛「えっ、あ、ああ。うん、そうだと思う」

 

 

 

突然の呼びかけに驚く凛。莉嘉は「ワトソン?」と何のこっちゃと首をかしげているが、今は面倒だから触れないでくれ。

 

 

 

凛「プロデューサーと楓さんと私が懐中電灯を取りに行って、その間部屋から誰も出てないらしいから、その間に持ち出すのは無理だと思う。私たちもお互いが何も持ってなかったのは分かってるし」

 

楓「そうね。部屋へ残った文香ちゃんも、あの誰がいつ戻ってくるか分からない状況でお酒を隠すのはまず不可能でしょう」

 

 

 

くまなく探した結果夕食会場のどこにもお酒は無く、そして外へ出そうと窓を開ければ嵐のせいで必ず痕跡が残る。なので、お酒は部屋を出て行った誰かが持っていった……そう考えるのが普通だろう。

 

 

 

楓「つまり考えられるのは早苗さん、レナさん、幸子ちゃん、そして、莉嘉ちゃん……ここまではいいかしら?」

 

 

 

楓さんの確認に、莉嘉も探偵団も、全員が頷く。

 

 

 

楓「それじゃあここからが重要なのだけど……実はさっきまで、莉嘉ちゃん意外の人たちに確認しに行ってたのよ」

 

莉嘉「確認?」

 

楓「ええ。なんでアリバイを聞いた時に、嘘をついたのか、とね」

 

 

 

その発言に、さしもの莉嘉も目をパチくりさせ驚いた様子。そりゃ、こんな強引な捜査もそう無いわな。

 

 

 

莉嘉「っていうか、みんな嘘ついてたんだ」

 

楓「けれど聞いてみたら、どれも剣聖武蔵とは関係のない理由からだったわ。……あまり声を大にして言えないものだけど」

 

莉嘉「えっ。何それ」

 

 

 

そこで楓さんはチラと俺を見る。言っていいものかというなぞらしい。いや、それを俺に委ねますか。

 

 

 

八幡「……まぁ、後で本人たちに訊いてくれ」

 

 

 

莉嘉はぶーぶー言っていたが、こう言うほかあるまい。兵藤さんの件は俺も知らないが、早苗さん……というより輿水案件はさすがに説明するのが憚られる。

 

しかしそこで莉嘉はやや不満気な顔をつくる。

 

 

 

莉嘉「えー。っていうか、もしかして最終的にアタシが残ったから疑ってるの? 理由ってそれだけ?」

 

楓「まぁ、正直に言えばそれもあるにはあるけれど……でもそれだけじゃないわ。なにも金田一的推理だけで判断したわけじゃないの」

 

八幡「あまりそういう敵を作りそうな発言はやめて頂けますか」

 

 

 

ただちょっと鷺沢さんにはウケたらしい。笑ってる。というか、俺と鷺沢さんにしか意味が伝わっていなかった。

 

 

 

楓「ずっと考えていたんです。今回の事件で、一番の謎を」

 

莉嘉「一番の謎?」

 

楓「そう。……それは、”動機”です」

 

 

 

動機。

 

何故、酒を持ち出すなんてことをしたのか。何故、隠すようなことをしているのか。

それは事件が起きてずっと全員が不思議に思っていたことだ。

 

 

 

楓「4人の内2人は未成年でお酒に興味は無さそうですし、残りの2人だってわざわざ独り占めしようなんて考える方たちじゃない……なら、一体何故持ち出したのか」

 

莉嘉「…………」

 

楓「最初はイタズラで隠しているのかとも思ったんです。ですがそれにしては長く引っぱり過ぎだし、これだけ探しているのに見つからないのもおかしい……」

 

 

 

そこで、何故か楓さんは俺の方をチラッと見る。

 

 

 

楓「でも、前に比企谷くんと話していて気付いたんです」

 

八幡「俺と?」

 

楓「ええ。”不可抗力による行動”……つまり、何か”隠さなければいけない理由”があったんじゃないかって」

 

 

 

楓さん言っているのは、ペアを作って捜索した時のことだろう。

 

悪意によった行動ではなく、そうせざるをえない状況。その可能性。

 

 

 

楓「それを考えれば、お酒が探しても見つからない理由も見えてきますよね」

 

凛「……文香、分かる?」

 

文香「……いえ、残念ながら…」

 

 

 

ヒソヒソ会話を交わす助手と安楽椅子探偵。ここまで言えば気付きそうなもんだがな。

 

 

 

楓「比企谷くんは、もう察しがついているんじゃないかしら」

 

 

 

にこっと、期待の眼差しを向けてくる楓さん。

いやー俺ただの語り部なんだけどなー……

 

 

 

八幡「……見つからないんじゃなくて、もう”無い”ってことですか」

 

 

 

俺の言葉で、二人も合点がいったのかハッとなる。

 

 

 

楓「そう。つまり剣聖武蔵をーー”割ってしまった”。これが真実じゃないかしら」

 

莉嘉「…………」

 

 

 

いつの間にか、莉嘉は言葉をつぐんでいる。

ジッと、楓さんをただ見つめたままだ。

 

 

 

楓「夕食会場から持ち出した後……最初はさっき言った通りイタズラだったのかしら? そこは分からないけれど、ただその途中で何らかのトラブルにより、割ってしまった」

 

莉嘉「…………」

 

楓「処理は自分でやったか仲居さんに頼んだか……恐らく後者かしらね。早苗さんたちの件もあるし、黙っていて貰えるよう頼むのも不可能じゃないでしょう」

 

莉嘉「…………」

 

楓「これならいくら探してもお酒が見つからない理由になりますし、特におかしい所は…」

 

莉嘉「……でも、やっぱり証拠は無いよね」

 

 

 

やっと、莉嘉は口を開いた。

その目は、未だ退く様子はない。

 

 

 

莉嘉「その推理なら、別にアタシじゃなくても通用するよね? 他のみんなが説明したことも嘘だったかもしんないじゃん」

 

楓「……ええ。確かにその通り」

 

莉嘉「だったら……!」

 

楓「けどそれでも、莉嘉ちゃんじゃないかと思う理由があったんです」

 

 

 

楓さんは、ゆっくりとその手を莉嘉へと差し出す。

その手の平の上には、ガラスの欠片があった。

 

黒く、まるで何かの瓶の欠片のような。

 

 

 

莉嘉「っ!」

 

楓「これが、莉嘉ちゃんの扉の前に落ちていたそうです」

 

 

 

先程俺が楓さんに渡した、たった一つの欠片。

だが、それが名案を分けた。

 

 

 

凛「もしかして、それが割れた酒瓶の欠片ってことなの?」

 

楓「ええ。おそらく」

 

 

 

楓さんが勝負の場所をわざわざ相手の部屋を指定したのは、たぶんこれが本来の目的。

別に欠片に限った話ではなく、何か部屋に痕跡が無いか、それを確かめるべく各部屋へ来たのだろう。

 

 

 

文香「さきほど幸子さんの部屋で何やら探していたのは、そういう理由だったんですね……」

 

 

 

確かにウロチョロしていた。もう少し上手く探せよと思ったのが正直なところ。

 

ちなみに兵藤さんの時は相手に場所を指定されてしまったが、そこはそれ。あらかじめ予期していたのか既に楓さんは早苗さんと兵藤さんどちらの部屋にも行っていた。宅飲みをするという名目で。……まぁ、半分以上はそっちのが目的だろうけどな。

 

 

 

莉嘉「…………」

 

楓「もちろん、これが武蔵のものであるという確証もありません。もしかしたら本当に何の関係も無い破片かもしれませんし、扉の前にあったからと言って、莉嘉ちゃんが酒瓶を割ったとも限りません」

 

莉嘉「…………」

 

楓「これはただの私の推理……いえ、推測です。証拠も何もありませんから、もし違ったなら、謝ります」

 

莉嘉「…………」

 

楓「だから、聞かせて莉嘉ちゃん。……あなたがやったの?」

 

 

 

優しく、諭すように、探偵は尋ねた。

 

問い詰めるのではなく、解き明かすのでもなく、ただ単純に、彼女は尋ねたのだ。

 

 

 

莉嘉「…………その、前に…」

 

楓「はい?」

 

 

莉嘉の表情は、俯いているせで伺い知れない。

聞こえてくるのはか細い声だけだ。

 

 

 

莉嘉「…………一個だけ…訊いていい……?」

 

楓「ええ。どうぞ」

 

莉嘉「……………………アタシがやったって言ったら……怒る……?」

 

 

 

その最早降伏したも同然のような質問に、楓さんは目を丸くする。

 

丸くして、そして、本当に優しげないつもの笑みで、こう応えた。

 

 

 

楓「まさか。そんなはずありませんよ」

 

 

 

その言葉で、どうやらもう決着はついたようだ。

 

 

 

莉嘉「……うっ…………ごめんなさぁ~~~いぃぃっ!!!!!」

 

楓「あらあら」

 

 

 

ひしぃ、っと。楓さんに抱擁……というより、しがみつく莉嘉。なんだか既視感のある光景だ。

 

もっとも、さっきより目の保養にはなるがな。……すげぇな、こいつ。

 

 

 

莉嘉「本当は、ちょっと隠すだけの、ドッキリとか、そういう出来心だったの! でも、まさか転んで割っちゃうなんて……」

 

楓「いいのよ。莉嘉ちゃんに怪我な無くて良かったわ」

 

 

 

頭を撫で、まるでお母s……お姉さんのように慰める楓さん。さっきまで探偵と容疑者だったのに、今はそんな雰囲気はどこへやら。美嘉が見たら羨ましがりそうだ。

 

 

 

文香「これで、事件は解決……ですね」

 

 

 

まるで良いものを見届けたかのように、満足げに微笑む鷺沢さん。やっぱりこの人が一番楽しんでんな。

 

 

 

凛「でも良かったね」

 

八幡「ん?」

 

凛「誰も、悪い人はいなかったんだからさ」

 

 

 

凛のその何気なく言った台詞に、今度は俺が目を丸くしてしまった。

そして、その後思わず吹き出す。

 

 

 

凛「な、なんで笑うの?」

 

八幡「いーや、なんでもねぇよ」

 

 

 

悪い人はいなかった、ね。確かにそうだ。

いたのは、ただ隠し事をしていた子供が一人。酒を盗ろうなんて奴は、いなかった。

 

こいつは、本当に最後まで誰も疑わなかったな。変な奴。

 

 

 

凛「……なんか、すっごい失礼なこと考えてない?」

 

 

 

さて、なんのことやら。

 

 

 

こうして、事件は幕を閉じた。

 

蓋を開けてみれば、真実は単純。誰も盗みをしようなんて奴のいない、ただのちょっとした一騒動。

 

その後莉嘉と高垣探偵団で、他のみんなに謝りに行ったが、当然ながら怒る奴なんているわけもなく。

お酒を楽しみにしていた早苗さんも兵藤さんも、ただ、笑って許すのだった。

 

 

やっぱこの面子じゃ、事件なんて早々起きないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かに、思われた。

 

 

だが事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、今現在俺は、事件に巻き込まれている。それも、超かなり弩級の。

 

身体が熱く、上手く思考がまとまらない。いや、身体が熱いのは別に異常でもなんでもなく……

 

そう。今俺は、温泉に入っている。入っているんだ!

更に言えば、露天風呂。

 

嵐も大分弱まってきているおかげで、夕方くらいには何とか屋根付きの露天風呂へは入れるようになった。なったから、折角だし夕飯前に入っちまおうと意気込んでルンルン気分でやってきたのが、それが間違いだった。

 

 

と、言うのも。

 

 

 

 

 

 

楓「ふ~」

 

 

八幡「…………」

 

 

楓「良い湯加減ね、比企谷くん」

 

 

 

 

 

この人のおかげである。なにこのベタな展開ぃーー!!

 

 

遡ることは数分前。俺が鼻歌を歌いながら湯に浸かっていた時のことだ。

 

なにやら脱衣場の方から物音が聞こえ、掃除のおばちゃんとかかなーなんて呑気に考えていたら、現れてたのは想像の斜め遥か上空。タオル一枚で登場した高垣楓さんその人である。い、一応言っておくが、何も見ちゃいないからな! 残念ながら!

 

瞬時に俺は背中を向け、何故か俺が悲鳴をちょっとあげるという謎のシチュエーションだったのだが、さすがは楓さん。折角だからと湯に浸かり始めてしまった。その胆力なんなの……

 

 

 

楓「最初は男湯の暖簾がかかっていたんですけど、間違えたのか仲居さんが入れ替えてたんです。まさか、既に比企谷くんが入っているなんてね」

 

八幡「そ、それは不運でしたねー(棒)」

 

 

 

笑って流す楓さんだが、俺にはそんな余裕は毛頭ない。ちょっと、お願いですからあまり近くに来ないでくれます!?

 

あまりの展開に頭がおかしくなりそうだ。これが世に言うラッキースケベなの? トラブって何パーセントなの?

っていうか、これどうやって出たら良いんだ。できれば先に出てってほしい。見ないから。……見ないって。

 

そしてまたやってくる沈黙。だがたまに鼻歌が聴こえてくるし、やっぱこの人余裕だ……

 

もしかして俺は男として見られてないんじゃないかと不安になり始めた頃、不意に楓さんが話し始めた。

 

 

 

楓「……比企谷くん」

 

八幡「は、はい?」

 

楓「比企谷くんは、どのタイミングで莉嘉ちゃんだって気付いたのかしら」

 

八幡「へ?」

 

 

 

突然の問いに、一瞬何のことかと混乱する。

 

 

 

八幡「あ、ああ。捜査の話ですか。……それはやっぱり、欠片を見つけた時ですかね」

 

楓「莉嘉ちゃんと話をしに行った、その直前?」

 

八幡「そうなりますね」

 

 

 

背中を向けているため、楓さんの表情は分からない。

そして楓さんも、何故かそれ以降口を開かない。

 

……つーか、俺そろそろ限界なんだが。なんとか楓さんの方を見ないようにして、タオルで前を隠しつつ行けば……

 

 

 

八幡「すんません、俺は先に……」

 

楓「比企谷くん」

 

 

 

遮るような楓さんのその呼びかけ。

 

その次に投げかけられる言葉に、俺は、射抜かれるように足を止めることになった。

 

 

 

 

 

 

楓「本当は、武蔵は割れていないんでしょう?」

 

 

八幡「ーーーっ」

 

 

 

 

 

 

一瞬、頭の中が真っ白になる。

 

 

思わず、目を見開くのが自分でも分かった。

動かそうとしていた足は止まり、さっきまで熱を帯びていた思考が、すっと冷めていくのを感じる。

 

……マジか。

 

 

 

八幡「…………それを俺に訊くってことは、もう気付いてるんですか」

 

楓「そうね。どちらかと言えば、思いつきに近いですけれど」

 

 

 

ふふ、っと。楽しそうに笑っているのが分かった。……敵わねぇな。

去ろうとしていた足を戻し、座り直す。

 

依然背中は向けたままだが、話す分には困らない。

 

 

 

八幡「……いつから、俺が一枚噛んでるって気付いたんですか?」

 

楓「そうね。思い至ったのはそれこそ莉嘉ちゃんと会う直前だったけど、実は違和感はかなり前から感じてたんです」

 

 

 

違和感、とな。それもかなり前からときたか。

 

 

 

八幡「後学のために聞いても?」

 

楓「ええ。もちろん」

 

 

 

顔は見えないが、どこか楽しげな雰囲気を声音から感じ取る。

 

 

 

楓「……簡単に言えば、やけに捜査に協力的だなって、そう思ったんです」

 

 

 

思わず、がっくりと肩を落とす自分がいた。

……協力的な所に違和感を持たれるって、俺の人間性どうなのそれ。

 

 

 

楓「まぁ、これは正確には凛ちゃんが言っていたんですけど」

 

八幡「え」

 

楓「ペアを組んで捜査した時があったでしょう? その時に『今回のプロデューサー、珍しく文句も言わずに手伝ってるよね』って、そう言ってたんです」

 

 

 

まさかの担当アイドルからの疑惑。

あいつ、よく見てるなぁ……これはプロデューサーとして喜ぶところなのだろうか。

 

 

 

楓「まぁそうは言っても、結局は違和感止まりだったんですけどね。それよりも、不思議に思っていたことがあって」

 

八幡「それは?」

 

楓「莉嘉ちゃんが、どうやって瓶を持ち出したかです」

 

 

 

その言葉で、俺は本当にこの人に感心してしまった。

本当、よく観察してるな。

 

 

 

楓「前に話した時は、急な事態だったから着物に隠すなりして出てけば分からない、という話でしたけど……普通に考えれば、それでもやっぱり難しいですよね。莉嘉ちゃんは小柄ですから、着物に隠すのだって限度があります」

 

 

 

まぁ、確かに難しいだろうな。抱くようにして隠して出ればバレない可能性はあるかもしれないが、それでも賭けと言わざるを得ない。

 

 

 

楓「ただあの時部屋から出て行った人たちの中で、莉嘉ちゃんだけは、特に違和感なく酒瓶を持ち出せる方法があるんですよね」

 

八幡「……それは?」

 

 

 

俺の問いに、少しだけ笑いを零す楓さん。何となく、分かっているくせにというニュアンスを感じた。

 

 

 

楓「鞄ですよ。あの時、莉嘉ちゃんに鞄を預けた人がいましたよね」

 

八幡「…………」

 

楓「それも、その預けた人は直前まで武蔵を持っていた」

 

八幡「……いったい誰のことやら」

 

 

 

俺の言葉に、また笑う楓さん。

 

 

 

楓「もし比企谷くんが莉嘉ちゃんに手を貸してるなら、って考えたら、なんとなく辻褄が合ってしまったんですよね」

 

 

何となく、とは簡単に言ってくれる。

一応、これでもバレないよう気を付けたんだがな。

 

 

 

楓「あとは、そうですね……電気が復旧した時、莉嘉ちゃん以外にも夕食会場から何人か出て行ったから良かったですけど、もし出て行くのが莉嘉ちゃんだけだったらどうしたんだろう? とも考えました」

 

八幡「正直、あれは俺も予想外でした」

 

楓「ふふ……たぶん、本当はあの時懐中電灯を取りに行った私たち三人を容疑者に据えるつもりだったんでしょう?」

 

 

 

俺が懐中電灯を取りに行くと言えば、何人か、少なくとも凛は付いて来ると予想していた。そして、そこに加え莉嘉。それだけでも3人は容疑者ができる。

 

 

 

楓「あの時も、比企谷くんは積極的に手伝いに行ってましたね」

 

八幡「本当、俺の信用度の低さなんとかしたいです」

 

 

 

そういや、その時も凛は俺の行動に違和感もってたな。さすがは担当アイドルだ。

 

 

 

八幡「っていうか、容疑者を据えるとか、まるで俺が事件を起こしたがってる風に言いますね」

 

楓「あら。だって、実際その通りなんじゃないかしら。”事件を起こす”こと。お酒云々じゃなく、そっちに注力していたように感じるけれど」

 

八幡「うぐ……」

 

 

 

全くもって、その通り。

いやはや、何もかもお見通しで何か怖くなってきた。これが名探偵に追いつめられる犯人の心境か……

 

 

 

楓「ここからは想像だけど……恐らく、比企谷くんと莉嘉ちゃんは元々何か余興ないし、イタズラとかドッキリを仕掛けるつもりだった。そこへ、あの停電が起きた」

 

八幡「あの停電は、本当に偶然の産物でしたよ」

 

 

 

全ては、夕食会場へ向かう前。莉嘉にされた”お願い”が事の発端。

 

 

 

『折角時間があるんだから、何か面白いことをしたい!』

 

 

 

そんな莉嘉のお茶目な頼み。それを叶えるため、あの停電の際に俺は咄嗟に行動に出た。

本当なら、夕食を食べた後に莉嘉と二人で余興を考える予定だったのだがな。丁度良くトラブルが起きてくれた。

 

 

 

楓「お酒を隠すドッキリを思いつき、鞄に武蔵を隠し、それを莉嘉ちゃんに渡した。この時、メモか何かで莉嘉ちゃんに指示を出したのかしら?」

 

八幡「イエス。暗闇の中で字を書くのは苦労しましたけど、そのおかげで気付かれることなく伝えることが出来ましたよ」

 

 

 

その後は予定通り容疑者が何人か浮上。そこから捜査は始まり、探偵ごっこが行われる。……まさか、自分が探偵側に付くとは思っていなかったがな。

 

 

 

八幡「そんで、極めつけがあの欠片ですか」

 

楓「ええ。だって、前日にあんなに捜索したのに、丁度良くあのタイミングで見つかるんだもの」

 

八幡「しかも、見つけて渡したのが俺でしたしね……」

 

 

 

今思えば、確かに怪しさ満点である。いや唐突過ぎるかなとも思ったが、捜査を進めるにはああするしかなかったんだって!

 

ちなみに、あの欠片は女将さんに頼んで貰っておいた瓶の破片である。

 

 

 

楓「そして莉嘉ちゃんと協力していたはずの比企谷くんが、何故捜査を助長するような真似をするのか……そう考えたら、自ずと答えは見えてきました」

 

八幡「ふむ……」

 

楓「”莉嘉ちゃんが武蔵を割ってしまった”……その結果へ導こうとしていたという事は、本当は逆。つまり、武蔵は割れてない。そう思ったんです」

 

 

 

つまりは、二重のドッキリ。

あえて分かりやすい真実へ導き、その後に更にネタ晴らし。……上手くいったと思ってたんだがな。

 

ここまでバレちゃあ、いっそ清々しい。

 

 

 

楓「……まぁ、それでもやはり推測だったんですけどね。何も証拠はありませんし、間違っていたら謝れば良いと思って、思わず訊いてみちゃいました」

 

八幡「じゃあ、莉嘉との勝負の時も確信は無かったわけですね」

 

楓「半信半疑、くらいですかね。何より、莉嘉ちゃんが演技しているように見えなくて」

 

八幡「正直そこは俺も驚きました」

 

 

 

莉嘉のあの演技力。真実を知ってる俺からすれば本当に感心してしまった。

 

ありゃ、将来はマジで女優の道もあるかもな。

 

 

 

八幡「……けど、俺と莉嘉が本当に瓶を割ったことを隠そうとしてるだけだった、とは思わなかったんですか」

 

 

 

何となく、気になっただけの俺の問い。

 

結果的には楓さんの推理が正しかったわけだが、それでも俺の言った可能性も低くはないと感じたはずだ。

いくら俺の行動が捜査を手伝ってるように見えても、それでも楓さんの言ったように違和感止まり。単純に考えれば、莉嘉が割ってしまったから俺も協力して隠蔽した、そう考えた方が自然だろう。

 

 

しかし、楓さんはその問いに、何ともあっけらかんと応える。

 

 

 

楓「思いません。……だって、莉嘉ちゃんも比企谷くんも良い子ですから」

 

 

 

それこそ、思考を放棄するかのように。

 

 

 

 

楓「ドッキリとかイタズラで隠すならまだしも、割ってしまったことを黙ってるとは思えなかったんです。それに……」

 

八幡「…………」

 

楓「比企谷くんなら隠すのを手伝うよりも、一緒に謝るのを手伝いそうですし」

 

八幡「……どうですかね」

 

 

 

楓さんのその評価が褒めているのかは分からないが、俺がそんな殊勝な行動をとるだろうか。俺、結構普通に悪いことは隠すぞ。

 

……信じたい奴ほど疑わないといけない時がある、なんて言っておきながら、これだもんな。

 

まぁ、あの台詞も元々は前に俺が楓さんに言ったものなんだが。今にして思えば何をドヤ顔で俺はそんなこっ恥ずかしいことを言ってたんだ……

 

 

 

楓「それに聞きましたよ?」

 

八幡「?」

 

楓「中学生の時、迷子のワンちゃんの為に学校をサボってでも探してたこと♪」

 

八幡「なっ!?」

 

 

 

思わず、驚愕で振り返りそうになる。いやそれだけはダメだ危ない危ない……ってかそうじゃなくて!

 

 

 

八幡「……もしかしなくても、早苗さんですか?」

 

楓「ええ。部屋で飲んだ時に、色々と」

 

 

やっぱりかー!

ってか、色々ってなに? 一体何から何まで話したんだあの人!?

 

 

 

楓「『あんだけ捻くれて斜に構えて性根が曲がりまくってるくせに、変なとこはビックリする程まっすぐなのよね』って、早苗さんが」

 

八幡「……それ、果たして褒めてるんですかね」

 

 

 

プラマイゼロどころか、マイナス要素の方が遥かに多そうだ。

……本当、昔から余計なことしか言わねぇな、あの人。

 

 

当時、たまたま飼い犬が迷子になって泣いている小学生の女の子に出くわした。

可哀想だねと言って慰める大人がいた。保健所に連絡を入れる大人もいた。

 

けど、自分で探そうとする大人はいなかった。

 

俺はその時登校途中だったが、何だか急に学校をサボりたくなり、家に帰るわけにもいかないので、何となく一緒に探した。ただそれだけ。

 

 

その時だ。あの、おせっかいで面倒な絡みをする婦警さんに会ったのは。

 

 

 

 

 

 

『なに、犬を探してる? だからって学校をサボっていいわけないでしょ!』

 

 

『仕方ないわね、もう。ほら、あたしはそっちの方見てくるから』

 

 

『え、なに? 一人で探すからいい? ……そういう時は、大人に甘えなさいっつーの!』

 

 

 

 

 

 

誰も頼んでもいないのに、自分がしたいからって余計なお節介を焼く。

 

本当に、変わらない。

 

 

 

八幡「……やっぱ、気付いた時にちゃんと挨拶しとくべきだったかな」

 

楓「比企谷くん?」

 

八幡「なんでもないっす」

 

 

 

こんな恥ずかしくて誰にも言えないような独白、そして思い出なんて、語る必要も無いだろう。秘めてる内が華だ。……まぁ、この人はもう既に色々聞いちゃってるらしいが。

 

もう言い触らしたりしないよう、口止めしとかないとな。

その為なら、少しくらいお酒の席に付き合うのも我慢しよう。真に遺憾ながら、な。

 

そして、口止めをしておくのは何も早苗さんだけではない。

 

 

 

八幡「楓さん。お願いですから、その過去の話とか言い触らさないでくださいね?」

 

楓「……え?」

 

八幡「いや、え? じゃなく」

 

 

 

なんなのその意外や意外みたいな反応。まさか、もう話しちゃってるわけじゃないよね!? そうだよね!?

 

 

 

楓「うーん、どうしましょう」

 

八幡「いやどうしましょうじゃなくて…」

 

楓「……あ、そうだ。それなら、これはどうかしら?」

 

八幡「はい?」

 

 

 

その時、浸かっているお湯が動く気配を感じる。

 

気付いた時には、すぐ背後に楓さんが寄り添っていた。

 

 

 

 

 

 

楓「私のプロデューサーになってくれたら……考えますよ」

 

 

八幡「はっ!?」

 

 

 

 

 

 

吐息がかかるんじゃないかという耳元のその呟きに、思わず飛び跳ねるようにして避ける。

いやいやいやいやいや、なななななな何してんの!!???

 

しかし俺の焦りをあざ笑うかのように、楓さんは「なーんて♪」と言って立ち去ってしまった。つーか、ちょっ、少しは隠せぇ!!

 

 

瞬時に視線を逸らした為、俺は何も見ていない。ここ大事。俺は、何も、見ていない。

 

 

そして露天風呂に残されたのは、やたらと体中が熱くなった俺一人。

 

 

 

八幡「……………はぁ~~~っ…」

 

 

 

本当、勘弁してほしい。

 

……やっぱあの人、苦手だわ。

 

 

 

その後、この露天風呂が今女湯になってる事を思い出し、慌てて上がって着替えたのだが、丁度脱衣所を出た所で凛たちと出くわし、白い目で見られたのは言うまでもない。というか、かなりの怖い目にあった。

 

素っ裸じゃなかったとポジティブに思うことにしよう。じゃないとやってられん。

 

 

しっかりしてくれよ、青春ラブコメの神様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日続いた嵐が過ぎ去った後、撮影は無事開始された。

まぁ、予定を押している時点で無事とは言えないかもしれないがな。その後は特にトラブルも無かったし良いだろう。

 

順調に滞りなく進んで行き、およそ2週間程で撮影は終了した。

 

凛も、良い経験になっただろうな。

……演技力については、これからステップアップしていけばいいと言っておこう。

 

 

 

ちなみに剣聖武蔵のネタばらしだったが、あの対決の日の夜、夕食時に行われた。

どうせなら撮影の始まる前の日よりも、更に前日の方が心おきなく飲めるだろうとの配慮だったが……まぁえらい騒ぎだったな。

 

つーか、俺と莉嘉でドッキリでしたーごめんなさーいとバラしたのに、俺だけ即ヘッドロックはどうなのだろうか。ちょっと八幡意義を唱えたい。ちなみに言わなくても分かると思うがロックしてきたのは早苗さんだ。何回目だよ!

 

だが、それでも楽しそうだったな。

最後の宴会もそうだが、それまでやった探偵ごっこも。本人たちがそう言ってたのだから間違いない。莉嘉も満足そうだった。

 

……まぁ、一番楽しんでたのはやっぱ鷺沢さんだったと思うがな。気付かなかったことに対してめっちゃ悔しそうにしてたし。

 

 

あとこれは本当についでに言うが、楓さんの今回の役は”犯人”であった。

何とも、皮肉なオチである。

 

 

 

 

八幡「…………こんなもんか」

 

 

 

ぐっと伸びをし、一息入れる。

 

 

場所はいつものシンデレラプロダクション、その事務スペース。お決まりのデスクだ。

本来であれば今回の撮影の報告書を作っていたのだが、ちょっと飽きてきたので今は息抜きがてら別の作業をしている。

 

 

八幡「どれどれ」

 

 

 

書類を手に取り、目の前の文字の羅列に目を通す。

 

……読み辛いな。

 

 

 

光「ん? 何してるんだ八幡P」

 

八幡「お、光いい所に」

 

 

 

たまたま事務所にいたのか、俺を見つけて光るが近くに寄ってくる。

というより、机の上にある”こいつ”が気になったのだろう。

 

 

 

八幡「お前なら、これが何か分かるよな」

 

光「こ、これって!」

 

蘭子「む、ひっふぁいふぉうひたのふぁ?」 もぐもぐ

 

 

 

今度は温泉饅頭を食べている蘭子も寄ってくる。こいつもこういうの好きそうだなー

 

 

 

八幡「こいつは、所謂”タイプライター”ってやつだな」

 

光「翔太郎が使ってたやつだ!」

 

 

 

目をキラキラと輝かせる光。

まぁ、実際はあんなに古いタイプじゃないけどな。一応欧文用ではある。

 

 

 

蘭子「むぐっ……タイプライター?」

 

八幡「このキーボードみたいなのを叩いて、紙に字を打ち込むんだよ。そうすれば……ほら」

 

 

 

実際にその場で打ち、せり出てきた紙をちぎり渡してやった。

ちなみに、紙には『Ranko Kanzaki』と印字されている。

 

 

 

蘭子「何これカッコいい!」

 

八幡「……まぁ、やっぱ好きだよな」

 

 

 

実際俺も打つのがなんか楽しくなっちゃって、ちょっとカッコつけちゃったりしている。翔太郎の気持ちが分かるな……

 

 

 

光「でもやっぱり英文じゃなくてローマ字打ちなんだな」

 

八幡「ほっとけ」

 

 

 

そこも、翔太郎リスペクトさ……

 

 

 

光「でも、これどうしたの?」

 

八幡「この間の撮影の小道具に使ったんだよ。なんでも事務所の倉庫に元々あったやつらしい」

 

 

 

それを片付ける前に、こうして拝借しているわけだ。大丈夫、ちゃんとひちろさんに許可は取っている。

しかしタイプライターを置いているとは、ますます謎の会社だな。……社長の趣味か?

 

 

 

蘭子「何かいっぱい打ってるみたいだけど、何を印字してたんですか?」

 

 

 

興味津々とばかりに視線を注ぐ蘭子。興奮してさっきから熊本弁が抜けているんだが、分かりやすいからほっとく。

 

 

 

八幡「撮影とは別に、報告書を作ってたんだよ。……撮影前の、とある一つの事件のな」

 

光・蘭子「「じ、事件!?」」

 

 

 

何とも良い反応をしてくれる中二コンビだ。ちょっと勿体ぶって言った甲斐がある。

まぁ、実際は事件と呼んでいいかかなり微妙な出来事だったんだが、そこはどうせだから盛っておく。

 

 

 

八幡「ほら、ちょっと読んでみるか」

 

 

 

最初の冒頭部分の一枚を渡す。

受け取ったのは、目をキラキラさせている蘭子。

 

 

 

蘭子「うむ!」 わくわく

 

八幡「…………」

 

蘭子「ふむ……」

 

八幡「…………」

 

蘭子「…………」

 

八幡「…………」

 

蘭子「……読み辛い」

 

八幡「言うと思った」

 

 

 

ローマ字書きって結構見にくいよね。

黙ってパソコンで打てよという話だが、それもハードボイルドなのさ。

 

 

 

光「ねぇねぇ、アタシにもちょっと打たせてよ!」

 

蘭子「あっ! わ、私も!」

 

八幡「分かった分かった、ちょっと待ってろ。今最後の所だから…」

 

 

 

わーわーと寄ってくる中坊を制し、ちゃっちゃと終わらせにかかる。

 

さて、この小さな物語の最後をどう締めようか。

 

 

 

八幡「……ま、こんな所が妥当だろう」

 

 

 

今回の主人公は、あくまであの探偵さん。

 

俺は狂言回しであり、語り部であり、そしてその実共犯者。

ノックスの十戒なんて守る気のない、酷い配役。

 

 

でも、たまには良いだろう?

こんな、”誰も悪い人のいない”、そんな事件があったって。

 

だから、最後はこう締めるのが相応しい。

 

 

 

Yahari ore no aidoru purodhu-su ha machigatteiru.

 

 

 

 

 

 

Fin

 

 

 


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