やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。   作:春雨2

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ここからは後日談と番外編(本編中の出来事)のお話になります。細けぇ事は気にしない方向で……


後日談/番外編
後日談 比企谷八幡のその後。


 

緩やかな風が、頬をなでる。

 

 

教室内にいるというのに、どうした事か。不思議に思って視線を漂わせてみれば、近くの窓が開けて

いた。

大方、近くで談笑している男子が開けたのだろう。別段寒いわけでもないので、それは構わない。

 

しかしこうして風を受けていると、自然と思い出してしまう。

 

 

 

一人の少女とした、一つの約束を。

 

 

 

自身の想いを告げ、振られて、そして約束をした。

 

あの時も、気持ちのいい風が吹いていたのを覚えている。

 

 

光陰矢の如しとはよく言ったもので、あの時から既に一ヶ月近くが経過していた。

あの慌ただしくも充実していた日々が、今ではとても懐かしい。

 

まぁもっとも、今でも色々と相談事は受けるけどな。

ケータイひとつで簡単にやり取り出来るのだから、便利な時代である。

 

 

俺がこうして学校生活へと戻ってきてから、当初は少なからず騒がれたものだ。

なにせライブで醜態を晒したあのプロデューサーが、問題を起こして辞めて帰ってきたのだ。

そりゃ、ある事ない事言われるのは仕方の無いこと。

 

最初の頃は結構大変だったな。

下駄箱にゴミ入れられるわ、教室の黒板に悪口書かれるわ、陰口囁かれるわ。

 

……最後のは前からだった気もするが。

 

だが、俺としてはそんな事はどうでもいいのだ。

そんな問題は些細な事でしかない。

 

 

何故か。それは、今の俺の状況を見ればすぐに分かる。

 

 

ホームルーム前の、やや騒がしい教室内。

 

先生が来るまでの間、僅かな自由な時間を満喫しようと談笑する生徒たち。

 

そしてその中で、一人ipodで音楽を聴く俺。

 

 

 

いつも通りの光景だ。

 

そう、いつも通りなのである。

 

 

 

最初こそ頻繁だった嫌がらせも、今ではナリを潜め、最近ではほとんど無い。

俺へ対する嘲笑や陰口は相変わらずだが、前に比べれば可愛いものだ。

 

結局は、俺の存在などその程度のもの。今では、元のぼっち生活へと元通り。

 

 

所詮は体のいい話題対象でしかない。時期を過ぎれば、それは流行遅れの時の人となるのみ。

一時期だけ流行るゆるキャラみたいなもんだ。なので是非とも船橋市のあいつには頑張ってほしいなっしー。非公式だけど。

 

 

そんなわけで、今の俺は相も変わらずぼっち。

 

 

いや、友達はいるので正確にはぼっちじゃないが、その友達もごく少数。

そいつらがその場にいなけりゃ、俺はまたぼっちにまい戻る。僕は本当に友達が少ない。いやマジで。

 

しかしそれも慣れたもの。元々一人で過ごしてきたのだ。友達という存在がいてくれるというだけで、俺にとっては充分過ぎる程に恵まれている。

 

だから、俺は今も早く来ないかなと教室の入り口へと視線を向ける。

まだ朝練やってんのかな。もう俺も一緒にやっちゃおうかな。

 

 

などと、俺が天使の事を考えていた時だった。

 

 

入り口へと向けていた視線は、一人の人物を捉える。

それは天使とは程遠く、俺は思わず顔をしかめる事になった。

 

そいつは教室に入るなりキョロキョロと辺りを見回し、俺の姿を見つけるや、嬉々として近づいてくる。

 

先程俺は元の生活に元通りと言ったが、しかしそれでも、変わった事がいくつかある。

それは友達が出来た事や、俺への陰口のレパートリーが増えた意外にも。

 

その一つが、こいつである。

 

 

 

戸部「ヒキタニくんちぃーっす! な、な、昨日のMステ見た? マジニュージェネぱないわー」

 

八幡「……」

 

戸部「あれ、もしかして見逃した感じ? っかー、マジで?」

 

八幡「……いや、見た」

 

 

 

何故こいつはこうも馴れ馴れしいのか。

もしかしてあれなの? 実はコイツも俺の友達だったりするの?

 

…………いや、ないな。

 

つーか、名前間違ってるし。

 

 

 

騒がしい教室での、何気ない風景。

だがそれは、俺にとってはいつもと違う光景で。

 

そしてそれが、俺の“いつもと同じ”になりつつある。

 

 

 

これは、

 

 

 

 

 

 

俺がプロデューサーを辞めて、一ヶ月程たったある日の出来事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戸部がよく絡んでくるようになったのは、俺が学校へと戻ってから少ししての事だった。

 

だがそれは俺に対する嫌がらせのようなものではなく、今のような気さくなもの。

それも、もっぱらアイドル関係の事ばかり。

 

何故このような事態に陥ったのか。

 

件の記事については、クラスどころか学校中に知れ渡っている。

俺の前科もあるし、信じる奴はやはり多い。

 

戸部も例に漏れずその中の一人だと思っていたし、そもそも奴は俺に対しそう評価は良くなかった筈だ。

文化祭の出来事の後、色々と面白可笑しく言われていたのを覚えている。

 

 

しかし意外なことに、戸部はあの記事のことを信じてはいなかった。

戸部だけではない。学校の一部の連中。というよりはウチのクラス。その大半が、信じてはいないようだった。

 

それは何故か。

 

 

原因は、以前戸部に聞いてみた時はっきりした。

 

 

 

戸部「え? 隼人くんが違うって言ってたし、そうなんしょ?」

 

 

 

戸部、なんと単純な奴か。

いや分かってたけどね……

 

 

どうも俺の信用が得られているのは、葉山のおかげらしい。

あいつが違うと言えば、それを信じる奴は多いのだろう。

 

そしてそう言ってくれるのは、なにも葉山だけではない。

 

なんでも、由比ヶ浜も積極的にあの記事は嘘だと周りに言ってきかせているらしい。   

さすがに雪ノ下はそこまではしないらしいが、それでも、聞かれた際にはちゃんと説明しているとの事。

 

「聞かれたのだから、真実を伝えるのが当然でしょう」とは、雪ノ下談である。

 

 

そんなわけで、どうにかこうにか色々あって、俺が戸部に話しかけられるという珍妙な事態になったわけである。

まぁこいつの場合『アイドルの裏事情を知ってる奴』くらいにしか思っていないだろうがな。

元々話しかけられる事は何度かあったし。

 

つーか、こいつもアイドルとか好きなんだな。意外……でもないか。

 

 

 

戸部「やっぱ俺はちゃんみお推しだわー。あれで年下とかやばくね? 同じ千葉出身として親近感かんじまくりでしょ」

 

 

 

襟足をばっさばっさとかきながら言う戸部。

確かにそこに関しては同意出来るが、別にお前の好みなど興味はない。更に言うとお前に興味がない。

 

しかしそんな俺の視線を察せなかったのか、戸部は急に神妙な顔つきになり、尚聞いてくる。まるでこれが本題だと言わんばかりに。

 

 

 

戸部「……で、ヒキタニくん。実際どうなん?」

 

八幡「どうって、何がだ」

 

戸部「いやだからさー、ほら。本当は結構暗い子、みたいな? 実は性格悪いとか、そうゆう所あったりする感じ?」

 

 

 

と言いつつ、俺の前の席へと座る。

 

いや座んのかよ。やめろよ、なんか普通の友達っぽいだろそれ。

 

 

しかし戸部の言わんとする事は理解出来た。

要は未央が実は猫被ってるんじゃないかと、そう聞きたいのだろう。

 

まぁ、その気持ちは分からなくもない。

確かにファンとしては気になるところだ。

 

 

なので、優しい優しい俺は親切に教えてやる事にした。

 

 

 

八幡「本田か。あいつ実は引き込もりらしいぞ」

 

戸部「マジで!?」

 

八幡「ああ。働いたら負けっていつも言ってたしな」

 

戸部「っべー。マジか………………ってそれ杏ちゃんじゃね!?」

 

 

 

っべーバレたか。いやそりゃバレるか。

 

しかしあれだ、本当に良い反応するなこいつ。

内輪だけで芸人なれるっしょとか言われて勘違いするタイプ。

 

 

 

戸部「ヒキタニくんマジ冗談キツいわー」

 

八幡「悪かった。安心しろ、テレビで見る通りが素の奴だよ」

 

 

 

これは本当にそう。

あいつらは、テレビで見たまんまの真っ直ぐなアイドルだ。

 

実際に見た俺が言うんだから間違いない。

まぁ、俺が言うからこそ信じない奴らもいるだろうがな。

 

 

 

戸部「マジかー。いや良いこと聞いたわ。サンキューヒキタニくん」

 

 

 

椅子から立ち上がり、またなーと言って去っていく戸部。

葉山グループの所にでも行ったのだろう。

 

しかしあんだけ気軽に話しかけられると、思わず普通に良い奴だと思っちまうな。ウザいけど。

良くも悪くも、場のノリと空気で生きているだけはある。

 

 

そして戸部がいなくなった後、入れ替わるように平塚先生が教室へと入ってくる。

 

見れば、戸塚はいつの間にか席へとついていた。

 

 

マジかよ。戸塚と話せなかったじゃねぇか。やっぱ戸部嫌いだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休み。

 

 

終業のチャイムが鳴ると同時に、またも教室内は騒がしくなる。

授業を受ける生徒にとっては、早く来てほしいと一番待ち望んでいる時間帯。

 

今日も一日頑張るぞい! とホームルームを終えてから、あっという間に午前の授業が終わってしまった。

仕事に追われていた俺からすれば、なんとも楽な日々である。

 

 

教室内は弁当を準備する者、友人と談笑する者、中には部活の練習を始める者だっている。

 

そんな中、俺がする事はただ一つ。

 

 

いつものベストプレイスへと向かい、一人飯。これに限る。

 

別に街で一番星が良く見える場所とか、侍の首塚とかは無い。

 

 

 

教室を出て、廊下を歩く。

その途中でも僅かに視線を感じるが、もう慣れたものだ。

 

学校に戻ってきてしばらくは、こんなもんじゃなかったしな。

 

 

そうして歩いていると、曲がり角にさしかかる。

 

しかしよく確認しなかったのが悪かった。丁度向こう側からも人が来ているのに気づかず、肩がぶつかってしまう。

 

そこまで大きな衝撃ではなかったが、俺は思わず持っていたパンを落としてしまった。

 

 

 

「あっ、すいません!」

 

 

 

そう言って、慌ててパンを拾ってくれる相手。

その生徒は、恐らくは一年生であろう女子生徒であった。

 

 

亜麻色なセミロングのふわっとした髪に、ちょっとだけ気崩した制服。

 

パンを手渡しながら自然と上目遣いになる大きめの瞳は、何とも可愛らしい。

 

一言で、美少女と言って差し支えなかった。

 

 

 

「すいません、わたしがよく見てなかったからー」

 

八幡「いや、俺も悪かった」

 

 

 

パンを受け取り、こちらも謝罪する。

 

……しかしあれだな。こいつ、なんか危険な香りがする。

 

 

はにかんだ笑顔。

 

胸元できゅっと握る手。

 

その挙動の一つが一つが、まるで計算されているよう。

まるで、あざとさが服を着て歩いてる、みたいな。

 

……さすがに考え過ぎか。

 

 

それにどっかで見た事あるような気ぃすんなーと、俺がそんな事を考えていると、その女子は何故か俺の顔をジッと見つめ始める。

 

その視線は別に熱の籠ったものとかではなく、どちらかと言えば怪訝なものだ。

え、俺の顔に何かついてる?

 

とりあえず歯に青海苔とか付いてるんじゃないかと不安になり、さっさとその場を後にする事にした。

 

 

 

八幡「それじゃ」

 

 

 

言葉短に言い去り、横を通り過ぎる。

 

が、そのまま退散する事は叶わなかった。

原因は、俺の袖を掴むその手。

 

 

……やっぱ、いちいちあざとい。

 

 

 

八幡「……なにか?」

 

 

 

俺が振り向き訪ねると、その女子は相も変わらず訝しげな顔で問うてきた。

 

 

 

「あの……もしかして、比企谷先輩、ですか……?」

 

 

 

確かめるようなその台詞。

 

確かに俺は比企谷八幡だが、何故こいつは俺の名前を知っている。俺に面識は……たしか、無い、はず。たぶん。

 

しかしそこで気づく。俺を知っているとしたら、それはあの件のせいに他ならない。

 

 

 

八幡「……そうだが、それがどうした?」

 

「やっぱり! わたし、一色いろはっていいますー」

 

 

 

いや、別に名前とかは訊いていないんだが。

 

しかし、その一色とやらはどこ吹く風。

 

 

 

一色「はー確かに結衣先輩たちに聞いた通り、目が腐ってますね~」

 

 

 

酷い言い草である。いや俺、お前と初対面よ? なんなのこの子……

 

しかしそこはひとまず置いておく。一色の言葉には気になる所があった。

 

 

 

八幡「お前、由比ヶ浜の知り合いなのか?」

 

一色「そうですねー。知り合いというか、生徒会選挙の時に色々とお世話になりまして」

 

 

 

生徒会選挙?

そういや、俺がプロデューサーやってる時にやってたらしいな。しかしそれと一体何の関係があるのだろう。

 

俺が疑問符を浮かべていると、そこで一色は頬を膨らませて不機嫌そうにする。だからあざといって。

 

 

 

一色「ていうか先輩、わたしのこと知らないんですか? 一応生徒会長ですよ?」

 

八幡「……そういや、なんか見た事ある気もすんな」

 

 

 

なるほどな。だから既視感があったのか。なんとなく朝礼か何かで挨拶してたのを思い出す。

けど遠目だったし、よく見てなかったから覚えていなくても仕方ないだろう。

 

 

 

一色「生徒会選挙の時に奉仕部のお二人と……あと、奈緒先輩に手伝ってもらいまして。その時に比企谷先輩の事を聞いたんです」

 

 

 

変わらずゆるーい口調で言う一色の説明で、一応は納得する。

 

なるほどな。確かに以前雪ノ下と会った時、面倒な依頼を受けていると聞いた事があった。それを何故か奈緒が手伝っているという事も。それが一色の言う生徒会選挙の事だったわけだ。

 

つーか、奈緒の奴はアイドル活動もあるのによく学校に顔出してたもんだな。俺にはそんな気力は無かったぞ。

 

 

詳しい経緯は知らないが、雪ノ下たちは雪ノ下たちで奮闘していたようだ。

 

 

 

八幡「まぁ、大体の事情は分かった。……で? 俺に何か用か?」

 

 

 

奉仕部と関係がある事も、俺のことをあいつらから聞いていたのも分かった。

が、俺を呼び止めた理由が分からない。

 

 

 

一色「先輩って、プロデューサーは辞めちゃったんですよね?」

 

八幡「ああ」

 

一色「はーそうなんですかー……ふーん……」

 

 

 

いやだから、一体全体何が言いたいのん? いまいち要領を得んな。

 

俺の怪訝な表情を察したのか、一色はにこやかに笑いつつ、恥ずかしそうにして言う。

 

 

 

一色「いや辞めちゃったなら仕方ないんですけどー。……もしまた戻る予定とかあるならー、アイドルのスカウトとかやってるのかなー、とか思ったり?」

 

八幡「…………」

 

 

 

……え?

 

それってつまり……そういう意味だよな?

まぁ、確かに可愛いのは認めるが……

 

 

 

八幡「……お前、アイドルになりたいのか?」

 

一色「えっ!? もしかして本当にプロデューサーに戻るんですか!?」

 

 

 

俺の問いに、目を丸くして驚く一色。

 

 

 

八幡「いや、もう完全に辞めたからそれは無いな」

 

一色「なーんだ」

 

 

 

あからさまにテンションを落として溜め息を吐く一色。

 

いや分かり易過ぎでしょあなた……

 

 

 

八幡「……まぁ、素質が無い事もないがな」

 

一色「え?」

 

 

 

呆けている一色を他所に、俺は観察する。

 

 

 

八幡「容姿は良いし、制服の気崩し具合を見てもセンスは悪くない。挙動や仕草も、どうすれば男ウケが良いかを心得ているのが分かる」

 

 

 

言動から世渡り上手なのも伺えるし、ある意味では雪ノ下や由比ヶ浜よりもアイドルには向いているかもしれない。

 

ただ問題があるとすれば……

 

 

 

一色「え? なんですかそれ口説いてるんですかごめんさい気持ち悪いしわたし葉山先輩好きですし色々と無理です」

 

八幡「いや違うから……」

 

 

 

この性格だな。

つーか、お前葉山に気があるのかよ……

 

さっきまでの人当たりの良さはどこへやら。

思わずぞくぞくしそうな冷たい目線である。俺にそんな趣味は無い。

 

 

まぁ、そのゆるふわ清楚系ビッチな所もアイドル向きっちゃアイドル向きだ。

少なくとも、うちの事務所にはいなかったタイプと言える。

 

……いやなんだよ、うちの事務所って。

 

 

俺はもう、プロデューサーじゃないっての。

 

思わず、苦笑が漏れた。

 

 

 

一色「? どうしたんですか先輩。急に笑って気持ち悪いですよ?」

 

八幡「ホントお前遠慮ねぇな。……もう用は済んだろ? じゃあな」

 

一色「あっ、ちょっと待ってくださいよー!」

 

 

 

俺はその場を後にして、歩き出す。

そして何故か、一色もついてくる。

 

 

こんな奴がこの学校の生徒会長とはな。

 

放課後になったら、奉仕部でどんな依頼だったか聞いてみるのも良いかもしれん。

少しだけ楽しみにしながら、歩を進める。

 

 

 

変に絡んでくる一色をあしらいつつ、俺はいつもの場所へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は既に6限目。

 

 

あの後、おかしな後輩をなんとか振り切った俺は昼飯にありつき(その際天使を眺めながらだったのは言うまでもない)、またいつも通りに昼休みを過ごした。

 

最も、途中戸塚と雑談をしたり、教室への道中材木座と嬉しくないエンカウントをしたり、教室に戻ってから由比ヶ浜に「たまには一緒にお昼食べようよ!」と怒られたり、今にして思えば、以前の俺ではありえない日々が“当たり前”になっているように思う。

 

 

果たしてこれが俺にとって良い傾向なのか、そうでないのか。俺には分からない。

お人好しのウチの顧問から言わせれば、もちろん前者だとハッキリ言うだろう。

 

だが、俺はまだそこまで言い切る事は出来ない。

 

 

……まぁそれでも、悪い事ではないと、言う事は出来る。

 

 

きっと、あいつも同じ事を言うんだろうな。

 

 

 

そんな風に考えを巡らせていると、終業のチャイムが鳴る。

昼休みの時と同じように、またはそれ以上に、生徒達の騒がしさが広がっていく。

 

俺もさっさと部室に向かおうかと思ったが、そういえば今週は掃除当番だったのを思い出す。

 

めんどくさい事この上ないが、サボる訳にもいかない。

普段いない者として扱ってるくせに、こういう時だけいないと目くじら立てるんだから。ちゃんと残ってる俺マジ健気。

 

途中由比ヶ浜に先に行くよう促し、部活へ行く戸塚を見送り、そのまま教室から人がいなくなるのを待つ。

 

 

しかしこうして見ていると、なんで皆すぐに帰らんのかね。

さっさと帰路につくなり、部活に行きゃいいのによ。放課後のお喋りってそんなに楽しいのかねぇ。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

いや、きっと楽しいんだろうな。

俺にも、俺でさえも経験がある。

 

 

 

仕事を終えてもすぐに帰ろうとせず、

 

ソファーでマッカン啜りながらダベったり、

 

同じゲームを持ち寄ってひと狩り行ったり、

 

帰路の途中にそのまま夕食を一緒したり。

 

 

 

今にして思えば、あれがそうなんだろう。

どこか奉仕部での日常にも似た、何気なくも尊い日々。

 

それを知ってしまった今の俺には、彼らの行動を否定する事は出来なかった。

 

だから、俺はこうして黙って待っていよう。

 

 

 

彼らの気が済むまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「…………ん?」

 

 

 

ふと気がつくと、教室には俺以外誰もいなくなっていた。

いつの間にか皆帰ったのだろう。

 

 

 

“俺以外の掃除当番の奴ら”まで。

 

 

 

……まぁ、こんなもんですよねー。

 

しかしそこはそれ。

今更凹むような出来事ではない。

 

 

正直、こんな仕打ちは慣れっこである。

これまでにも当然何度か経験はしているし、一人での掃除の方が実は気が楽だ。役割分担もいらないからな。だって全部俺がやるからね!

 

それに加えて俺の社畜スキルはP時代の一年を経て更に磨きがかかっている。やべぇ、こりゃ専業主夫どころか、家政夫さんレベル待った無しだぜ! それ働いちゃってるよ!

 

と、くだらない事を考えながら一人掃除に勤しんだ。

 

 

机を端まで寄せ、箒がけ。

そしてまた机を逆側に寄せ、同じように箒がけ。

 

黒板に残った汚れを丁寧に消し、黒板消しを、あの……なんて言うか分からないが、ブォーン言う機械で奇麗にする。

 

 

 

八幡「……っし」

 

 

 

机も奇麗に配置し終わったし、残るはゴミ捨てだけだな。

雑巾がけや窓拭きなんてのは、長期の休み前くらいにしかやらない。学校なんて大体そんなもんだ。

 

 

しかし、途中廊下からちらほらと視線を感じたが、見事に総スルーだったな。

 

まぁ、そりゃ俺だって逆の立場ならシカトする。なのでこれも当然の事。

 

ゴミ箱を抱え、教室を後にする。

目指すは外の、校舎裏にある焼却炉だ。

 

 

ちなみによく校舎裏は告白の舞台になったりするが、俺にとっては違う。

今回のような単なるゴミ捨て目的。もしくは、いつもと違う一人飯の場所でたまに行くくらいだな。

 

もし俺が校舎裏に呼び出されるなんて事があったら、着いた途端「ちょっとジャンプしてみろ」とか言われるに決まってる。いや、さすがに今時それは無いか。言うとしたら平塚先生。

 

 

 

八幡「……つーか、地味に焼却炉遠いな」

 

 

 

そんなに重くないとは言え、ゴミ箱をずっと抱えながら歩くというのも存外疲れる。

 

出来るだけ近道をしようと中庭を突っ切ってる途中、俺は腕の疲労に耐えかねて一度休憩を取る。まだ半分か……

 

 

腰を手を付き、思わず空を仰ぎ見る。

 

あー嫌になるくらい良い天気だなー

 

 

 

と、俺がそうしている時だった。

 

 

 

 

 

 

「そんな事してても、校舎なんて降ってこないぞ?」

 

 

 

 

 

 

不意にかけられる声。

 

軽口を叩くようなその言いぶりは、とても聞き慣れたもの。

振り返ってみれば、そこには予想通りの人物が立っていた。

 

 

 

奈緒「ましてや、魔女なんかが現れたりも、な」

 

 

 

総武高校の制服に身を包んだ、神谷奈緒がそこにいた。

 

……今日は、学校に来てたんだな。

 

 

 

八幡「……そりゃ残念」

 

 

 

肩をすくめるように嘆息する俺。

 

本当に残念だ。俺の主夫力ならぬヒロイン力があれば、ぼっちクラフトワークスも夢じゃないと思ったんだがな。

 

 

 

奈緒「それ、焼却炉に?」

 

八幡「ん? ああ、まぁ」

 

 

 

俺の横に鎮座しているゴミ箱に視線を向け、訪ねてくる奈緒。

特に誤摩化す必要も無いので、相づちを打つ。

 

すると奈緒はこちらに歩み寄ってきたかと思うと、おもむろにゴミ箱の片側に手をかけた。

そのまま、俺の方をジッと見る。

 

 

 

奈緒「……ほら」

 

八幡「は?」

 

奈緒「だから、手伝ってやるよ。さっさとそっち持て」

 

 

 

そのむっとした言い草で、ようやく理解した俺は慌ててもう片方を持つ。

そしてゆっくりとした足取りで、俺たちは歩き出した。

 

……やっぱ、二人だと軽いな。

 

 

 

八幡「もしかして、どっかで見てたのか」

 

奈緒「……さっき、廊下をえっちらほっちら歩いてるのを見かけたんだよ。それより他の掃除当番の奴らは?」

 

八幡「さぁな。部活か自宅じゃねぇの」

 

 

 

奈緒の問いに、俺は何の気無しに答えた。

 

が、その瞬間俺の持つ側の比重が重くなる。何かと思い奈緒の顔を見てみれば、見て分かるような不機嫌面。

あ、あれ。もしかして奈緒さん怒ってらっしゃる……?

 

 

奈緒「っんだそれ、今時中学生かっつーの……!」

 

八幡「お、おい。な…」

 

奈緒「お前もお前だ比企谷!」

 

八幡「は、はいっ」

 

 

 

びっくりしたー……思わず敬語になっちゃった。

まさか、俺にまで矛先向けられるとは思わなんだ。

 

 

 

奈緒「なんでそんな当然の事みたいに言うんだよ。怒っていいことだろ!?」

 

八幡「ってもな。別に今に始まった事じゃ……あ」

 

 

 

しまった。また口を滑らした。

奈緒はと言うと、俺の失言を聞いて「い、一度や二度じゃねーのかよ…」と頬を引きつらせている。

 

 

……まったく。

 

なんで、お前がそんなに怒るのかね。

 

 

 

奈緒「……何笑ってんだよ」

 

八幡「いや、別に」

 

奈緒「ったく。そんな調子だから今回みたいな奴らがつけあがるんだよ」

 

八幡「別に構わねぇよ」

 

 

 

愚痴るように言う奈緒に、俺はそう言う。

その発言に「またサボられんぞバカ」と奈緒は言葉を零しながら、俺を見る。

 

それでも俺は、今のままで充分だ。

 

 

 

八幡「少なくとも、ゴミ箱の片側を持ってくれる奴はいるからな」

 

 

 

たぶん、それはこの素直になれない彼女の他にも、少なからずいる。

もちろん逆の立場なら、俺だってきっと持ってやる。

 

なら、俺はそれで充分だ。

 

 

 

奈緒「……バーカ」

 

 

 

ぷいっと顔を逸らす奈緒。

その表情は伺いしれない。呆れているのか。照れているのか。

 

もしくはーー

 

 

 

八幡「…………まだ、怒ってんのか」

 

 

 

そう言って思い出すのは、一ヶ月程前の出来事。

あの日俺は、自分自身に決着をつけた。が、それでもそれに納得しない者達もいた。

 

コイツも、例に漏れずその一人。

 

 

 

奈緒「……あたりめーだろ。一生許さねぇ」

 

 

 

顔を背けたまま、呟く。

 

 

 

「お前のことも……自分のことも」

 

 

 

そう小さく続けた言葉も、俺の耳には届いていた。

 

 

 

八幡「……ハァ」

 

 

 

俺が言うのもなんだが、面倒くさい奴だ。

 

どんだけ義理堅いっつーんだよ、マジで。

 

 

あの日の事を、未だに負い目に感じている。

それは奈緒に限らず、あの日いた奴ら全員が。

 

あれは、誰のせいでもないってのに。

 

 

ホント、痛くなる程に、優しい奴だ。

 

 

 

八幡「なぁ、奈緒よ」

 

奈緒「ん」

 

 

 

呼びかけに応じるも、顔は背けたまんま。

どっちかと言うと拗ねているようにも見える。

 

 

 

八幡「俺は、もう自分を許した」

 

 

 

俺にこんな事を言う資格は無いのかもしれない。

けどそれでも、少しでも彼女の肩の荷を降ろしてやりたかったから。

 

 

 

八幡「だから、お前も許してやってくんねーか。お前のことをよ」

 

 

 

積もった悲しみを、減らせるようにと。

 

俺は、言葉を投げかける。

 

 

 

奈緒「…………」

 

 

 

奈緒は背けていた顔を戻し、チラッと一瞬俺の顔を見て、目を伏せ、そして落ち着き無く視線を彷徨わせる。

なんつーか、奈緒らしさをまた見た気がした。

 

 

 

奈緒「…………分かったよ」

 

 

 

諦めたような、呆れたような顔の奈緒。

 

 

 

奈緒「あー……アタシも、自分の事を許してみようと…思う」

 

 

 

そして、いつもの勝ち気な笑顔で、彼女は俺に言った。

 

 

 

奈緒「けど、やっぱお前は許してやんねぇ。お前がプロデューサーじゃないなんて、アタシは認めねぇよ」

 

 

 

言葉とは裏腹にその表情は溌剌としていて、どこか元気を貰えるような笑顔だった。

 

 

 

八幡「……そうかよ」

 

 

 

思わず、俺も笑みを零すくらいには。

 

 

 

気づけば、もう目的地も近い。

ずっと教室から歩いてきたのに、最初よりも足取りが軽い。

 

どうやら、半分になったのは重さだけではないらしい。

 

 

 

奈緒「つーか、もう次は手伝わねぇからな。ゴミ捨てくらい自分で何とかしろよ」

 

八幡「安心しろ。実は焼却炉なんか使わなくても事足りんだ。手で覆えるくらいなら木に変えられるからな」

 

奈緒「お前能力者だったの!? ……ってあれ中学生限定だろ!」

 

八幡「神器は五ツ星まで使える」

 

奈緒「しかも天界人!?」

 

 

 

他愛もない会話をしつつ、友達と歩く。

 

なんだかんだ、俺も“放課後を過ごす生徒”の一人になっちまったな。

 

 

……まぁ、なんだ。

 

 

 

やっぱりこういうのも、案外悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後、焼却炉にて無事にゴミを処理し終えた俺たちは教室に戻り、その場で別れた。

 

 

掃除を終えたので俺は奉仕部の部室に、奈緒はシンデレラプロダクションへ。

学校へ来ていたのでてっきり休みだったのかと思ったが、この後しっかり仕事が入っているらしい。

 

どうやら、アイドル業の方は上手くやっているようだ。

 

 

……ただ、その割には少し元気が無かったようにも思える。

 

きっとその原因は、先程話した一ヶ月前の件だけではなく“あれ”が多分に効いているのだろう。

その証拠に、今日の会話中仕事関係の話は一つも出なかった。

 

落ち込んでいるのか、不甲斐なさを感じているのか、はたまた両方か。

 

 

正直に言ってしまえば、俺も一緒の気持ちだ。

本気で悔しいと思っているし、心の内のモヤモヤが晴れない。

 

彼女たちと同じように、俺も言葉に出来ない気持ちを抱えている。

 

 

……だが、そんな事は言えはしまい。

 

 

俺なんかよりもずっと、当人たちの方が悔しいに決まっているのだ。

 

悔しくて、辛くて、いてもたってもいられない。そう思っているはずだ。

 

 

 

彼女たちの方が、ずっと。

 

 

 

 

 

 

由比ヶ浜「ヒッキー……なんかちょっと元気無い?」

 

八幡「は?」

 

 

 

思わず、間抜けな声を出す。

考え事をしていたのもそうだが、予想していなかったその言葉に意表を突かれたのだろう。

 

見れば、由比ヶ浜は心配したような不安げな表情で俺を見つめている。

 

 

 

八幡「元気無いって……そう見えるか?」

 

由比ヶ浜「うん……気のせいかなーとは思ったんだけど、やっぱり、少しだけ……」

 

 

 

マジか。俺的には普段通り振る舞ってたと思ったんだがな。

 

 

 

雪ノ下「確かに、今日はいつにも増して気だるげな空気を纏っているような気もするわね。何かあったの?」

 

 

 

そこに雪ノ下も本から顔を上げ、会話に参加してくる。

いつにも増しては余計だ。どうせ纏うなら妖怪とか鬼纏いたい。

 

 

 

八幡「いや、何かと言われてもな…」

 

由比ヶ浜「あっ、もしかして昨日やってた結果発表?」

 

八幡「……」

 

 

 

……やっぱ、由比ヶ浜は見てるよなぁ。

 

図星。これ以上無いくらいの図星である。

 

 

正直あやふやに出来るならこのまま気のせいを通したかったが、バレてしまっては仕方がない。

まぁ、時間の問題でもあったからな。あんだけ大々的に取り上げれば、いつかは話題に上がるだろうとは思っていた。

 

今朝は省略したが、戸部もうるさかったし。

 

 

 

雪ノ下「なるほどね。昨日やっていた特別番組の結果発表、その結果がショックだったと、そう言うわけね」

 

 

 

納得したように呟く雪ノ下。

まさか雪ノ下も知っているとは少々驚きだったが、それだけ大きな話題だという事だろう。

 

 

昨日放送されたとある特別番組。

 

それは、足掛け一年やってきたあの企画の結果発表だ。

 

 

 

シンデレラプロダクション企画 『プロデュース大作戦』

 

 

 

それこそが俺がプロデューサーへとなれたきっかけであり、目的だった企画。

この企画の為に俺は凛をプロデュースし、そして様々なアイドルを臨時プロデュースしてきた。

 

結果的には、俺は最後までやり抜く事が出来なかったがな。

 

 

結局プロデューサーを辞めるという行為でしか、あいつの背中を押してやれなかった。

プロデューサーとしてそこに後悔は無い。

 

……だが、やはりあの投票結果は少し堪えるものがあった。

 

 

 

由比ヶ浜「……残念、だったね」

 

八幡「…………」

 

 

 

とても言いにくそうに、悲痛な面持ちで呟く由比ヶ浜。

 

 

 

そうだ。

 

 

 

結果的に言えばーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凛は、シンデレラガールにはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果は19位。

 

 

あのスキャンダルの騒動が起きる前であれば、考えられない数字だ。

 

元プロデューサーという贔屓目を抜きにしても、間違いなく凛は1位を狙える程の人気を得ていたと思う。

 

 

それが、トップ10にも入れないという結果。

やはりあの騒動が大分効いたのだろう。

 

 

……過ぎた事とは言え、どうしたって気分は沈む。

 

分かっていた事とはいえ、割り切れない思いはある。

 

 

正直、俺は落ち込んでいた。

 

 

当たり前だ。

凛をシンデレラガールにする為に、俺はプロデューサーとなったのだから。

 

それに臨時プロデュースした他のアイドルたちの事だってある。順位に納得出来ないのは、なにも凛の事だけではない。

 

 

 

どうしたって、悔しいものは悔しいのだ。

 

 

 

俺が沈黙していると、他の二人も気まずくなったのか何も言わなくなる。

 

静寂が、部室の中を満たしていた。

 

 

 

ーーが、存外それも長くは続かなかった。

 

 

 

 

 

 

雪ノ下「……確かに結果は残念だったわね」

 

 

 

静かな部屋の中、雪ノ下が言葉を発する。

見れば、彼女は俺の事をじっと見つめていた。

 

 

 

雪ノ下「けれど、それでも私は素直に凄いと思うわ」

 

八幡「……?」

 

雪ノ下「だって逆に言えば彼女は、あれだけの事があっても“19位”まで昇りつめる事が出来たのだもの」

 

 

 

そう言った雪ノ下の瞳は淀みなく、お世辞だとか、励ましだなんて気持ちは感じられない。

否。そんな言葉を、雪ノ下雪乃が言うわけがない。それは俺も良く知っている事だろ。

 

 

彼女は、本心から言っていた。

 

 

 

雪ノ下「私なんかよりも、あなたの方が分かっているでしょう。あのプロダクションで、“19位”という順位を勝ち取るのがいかに難しい事かをね」

 

由比ヶ浜「そうだよヒッキー! デレプロって言ったら、百……えっと…………ひゃくー……?」

 

雪ノ下「183名よ」

 

由比ヶ浜「そ、そう! 183人もアイドルがいるんだよ!? その中で19位だなんて凄いよ!」

 

 

 

雪ノ下に続き、由比ヶ浜までもが声を上げる。

恥じる事は無いと、その目が訴えかけてくる。

 

 

 

雪ノ下「もちろん、他の子たちもね。皆あなたが同情する程弱い子たちではないわ。そうでしょう?」

 

八幡「……雪ノ下」

 

 

 

きっと、今の俺はさぞ阿呆面に違いない。

 

雪ノ下も由比ヶ浜も、きっと俺を元気づける為に言っているわけではないのだ。

いや、そういった気持ちもあるのかもしれない。けど、本当に言いたい事はそうじゃない。

 

 

ただ19位という凛の結果を“悪い結果”だと、そう思ってほしくないんだ。

 

 

それは誇って良い結果だと、そう言いたいんだ。

 

 

183人ものアイドルの中で、凛は19位を勝ち取った。

 

それは、決して不甲斐ない結果なんかじゃない。

 

 

凛の、やってきた全てだ。

 

 

 

悪い結果だなんて、言えるわけがない。

 

 

 

八幡「……ああ。そうだな」

 

 

 

俺は思わず苦笑する。

 

全くもってその通りだ。

自分の情けなさが嫌になる。元プロデューサーでありながら、素人二人に教えられるとは。

 

やっぱいつまでたっても、この二人には敵わない。

 

 

 

俺のその様子を見て、由比ヶ浜は安堵したように微笑む。

 

そして雪ノ下はーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー雪ノ下は、何故か憤ったような顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

雪ノ下「……大体、あの結果に納得出来ていないのは私も同じよ」

 

 

八幡「は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪ノ下「何故……なぜ前川さんが28位という順位なのかしらーー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由比ヶ浜「ゆ、ゆきのん……?」

 

 

 

由比ヶ浜の呼びかけにも答えず、雪ノ下は拳を握りどこか遠くを睨みつけている。

心なしか、ぷるぷると震えているようにも見えた。

 

ゆ、雪ノ下さん……?

 

 

 

雪ノ下「本当におかしいわね。何故あれだけ可愛らしい子が28位なのかしら。歌唱力もあるし、前に出した写真集『みく猫ダイアリー ~31days~』も凄く素敵だったのに。投票券の為というのもあるけれど、3冊買うに充分過ぎる内容だったわ。しかもグラビアだけじゃなく、バラエティからドキュメンタリーまで幅広くジャンルを問わず仕事をしているし、一体何がいけないと言うのかしら。ええ、本当に。全くもって理解に苦しむわね」

 

 

 

何か溜まっていたものでもあったのか、喜々として語り始める雪ノ下。

 

若干、というか大分俺たちは引いていたが、雪ノ下に気づく様子はない。

 

 

……しかしまさか、雪ノ下が前川のファンだったとはなー(白目)。

 

 

確かに出してた。写真集。

あの毎日違う猫と一緒に写真撮る日記形式のやつだろ。

 

猫好きもここまでくると、中々どうして何だか怖い。

だからやけにデレプロに詳しかったんだな……

 

 

 

由比ヶ浜「た、確か投票券って、関連グッズを一点買う毎に一枚貰えるんだったよね?」

 

八幡「ああ。あの様子じゃCDも買ってるだろうし、一体何票投票したのやら」

 

 

 

まぁ、元プロデューサーの立場から言わせてもらえばありがたい話だけどな。

こういうファンのおかげで、アイドルたちは成り立ってるんだし。前川も嬉しいだろ。……たぶん。

 

 

 

雪ノ下「しかも速報の時点では圏外……私が念を入れたから良かったものを、あのまま行っていたらどうなっていた事か……考えただけで恐ろしいわ」

 

八幡「おい。お前一体何した」

 

 

 

圏外から出るくらいに投票でもしたってのかお前……

一応31位以下が圏外となっているから、前川は速報から最低でも3人分以上順位を上げた事になる。いやまさか……冗談だろ。さすがに、うん。

 

 

 

由比ヶ浜「ま、まぁまぁゆきのん。落ち着いて、ね?」

 

 

 

さすがに見ていられなくなったのか、由比ヶ浜が雪ノ下を宥めにかかる。

まぁ俺は面白いものが見れたから得した気分だがな。これ陽乃さんに教えたらどうなるんだろうか。

 

 

 

雪ノ下「……ごめんなさい、少し取り乱してしまったみたいで」

 

 

 

そして今頃になって羞恥心が湧いてきたのか、僅かに頬を紅潮させる雪ノ下。

 

気持ちは分かるぞ。俺も以前やよいちゃんの魅力を小町に訊かれた時、我を忘れるくらいに語ってしまったからな。

気づけば小町はおらず、普通にリビングでテレビ見てた。せめて聞けよ。泣くぞ。

 

 

 

由比ヶ浜「えへへ。でもゆきのん、みくちゃんが好きなんだ。猫繋がりってのは分かるけど、何か以外だなー」

 

雪ノ下「そ、そうかしら。……それじゃあ、由比ヶ浜さんは誰か応援しているアイドルはいるの?」

 

 

 

恥ずかしそうにしながらも、ふと興味が湧いたのか由比ヶ浜へと問う雪ノ下。

 

 

 

由比ヶ浜「え? あ、あたし? うーんそうだなぁ……やっぱり、城ヶ崎美嘉ちゃんかなー」

 

八幡「美嘉か。そういや、前に読モの時からファンだって言ってたな」

 

由比ヶ浜「うん。あっ、サインありがとね。宝物にするからっ!」

 

 

 

思い出したように、嬉しそうな笑顔を見せる由比ヶ浜。

こんだけ喜んでくれるなら美嘉としても嬉しいだろ。

 

 

 

……良かったー最後の最後で思い出して。

 

一ヶ月前のアニバーサリーライブで、何とかギリギリ頼む事が出来た。

 

 

まぁ、当人の美嘉は「こんなのいつでも書いてあげるよ★」とか言ってたけどな。

そんな簡単に会えるかっつーの。

 

 

 

雪ノ下「確か、由比ヶ浜さんも何点かグッズを買っていたわよね。城ヶ崎さんに全て投票を?」

 

由比ヶ浜「あー…うん。実は、そうでもないんだよね……」

 

八幡「? 他の奴にも投票したのか?」

 

由比ヶ浜「う、うん。とりあえず、8人に……」

 

八幡「8人!?」

 

 

 

思いのほか大人数に入れていた事に正直驚く。

何人かに投票する奴は確かにいるが、それでも精々2~3人がいいとこだ。あまり多くに入れ過ぎると票がバラけて、順位が上がりにくくなるからな。

 

しかし、なんでまた8人も……

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

八幡「……まさかお前」

 

雪ノ下「奇遇ね。私も今同じ考えに至ったわ」

 

由比ヶ浜「あ、あはは。やっぱり分かっちゃった?」

 

 

 

はぁ……なるほどな。

 

なんでそんな大人数かと思えば、そういう事か。

だが確かに、由比ヶ浜らしいっちゃ由比ヶ浜らしい。

 

 

 

由比ヶ浜「だって、せっかく仲良くなれたから、入れてあげたいし……」

 

雪ノ下「まさか、“会った事のあるアイドル全員”に入れるとはね。……でも、あなたらしいわ」

 

八幡「残りの一人は、大方莉嘉だろうな」

 

 

 

凛に、卯月、未央、奈緒、加蓮、輝子、そして美嘉に莉嘉。

 

ある意味じゃ、とても分かり易い。

 

 

 

由比ヶ浜「最初は、美嘉ちゃんとしぶりんに入れようと思ったんだけど、そしたら卯月ちゃんが可哀想かなーって思って、でもそしたら今度は未央ちゃんがーってなって……そしたら、気づいたら結局全員に入れちゃった」

 

 

 

あはは、と苦笑いを浮かべる由比ヶ浜。

本当、どこまでも優しいこって。

 

思わず呆れてしまったが、しかし、由比ヶ浜らしいとどこか安心もしてしまった。

そしてそれは、雪ノ下も同じだろう。

 

 

 

雪ノ下「ふふ。色んな人に入れるのは良いけれど、あまりお金をつぎ込み過ぎないようにね」

 

由比ヶ浜「むー、それはゆきのんに言われたくないし!」

 

 

 

楽しそうに笑いあう二人。

 

しかしそんな中、俺はまた一人の少女を思い浮かべていた。

 

 

 

彼女は、この順位に果たして満足しているのだろうか。

 

 

 

悪い結果ではない。

 

胸を張っていい。

 

 

だがそれでも、ここがゴールじゃない。

 

 

 

ならば、きっと彼女はーー

 

 

 

 

 

 

雪ノ下「比企谷くん?」

 

八幡「っ!」

 

 

 

雪ノ下の声に、思わず身をすくめる。

いかんな。最近はどうも考え事に耽り過ぎだ。

 

 

 

雪ノ下「あなた、ちゃんと話を聞いていたのかしら」

 

八幡「悪い。ぼーっとしてた。……で、何の話だった?」

 

由比ヶ浜「だからー、ヒッキーは誰々に何票入れたの? やっぱりしぶりん?」

 

 

 

誰に、何票、投票したか。

 

その質問の答えを、雪ノ下と由比ヶ浜はじっと俺を見つめ、待っていた。

 

 

 

八幡「……俺はーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの帰り道。

 

 

日はとっぷりと落ち始め、辺りは既に薄暗くなっている。

遥か遠くに見えるオレンジ色の夕日をぼーっと眺めながら、俺は足をゆっくりと進めていく。

 

 

結局、あれから新しい自転車は買っていない。

 

その内その内と思いながら徒歩通学を続けていたら、歩いて通学するのも悪くないと思い始めてしまった。

 

少し早く家を出て、音楽でも聴きながらゆっくり歩いていく。

帰りは夕日でも見ながら、日が沈めば星でも見ながら。

 

 

こうしてのんびりと歩くのも、案外良いものだ。

 

 

まぁ、それはそれとしてチャリは買わないといけないがな。

休日とかやっぱあった方が便利だし。

 

 

 

八幡「~~♪」

 

 

 

何となし、特に近くに誰もいなかったので歌を口ずさむ。

デレプロの曲はみんな好きだが、メッセージが特にお気に入りだったりする。良い曲だ。

 

そしてそこで俺は、ふと思い出す。

 

 

 

大体俺が帰り道とかで歌を歌っていると、誰かしらと遭遇する事を。

 

 

 

しかし気付いた時にもう遅かった。俺の嫌な予感は、見事当たることになる。

 

それもーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? 比企谷くんだー!」

 

 

八幡「ーーッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去最大で、面倒な邂逅で。

 

 

 

 

 

 

「ひゃっはろー! こんな所で会うなんて、偶然だねぇ」

 

 

八幡「……どうも」

 

 

 

 

 

 

本当に嬉しそうに、声を弾ませ、俺へと語りかける。

 

容姿も、挙動も、一つ一つが美しく、どこにも無駄な要素は無い。

 

 

どこまでも華麗で、どこまでも完成された彼女はーー

 

 

 

 

 

 

八幡「お久しぶりです……雪ノ下さん」

 

 

陽乃「ほーんと、久しぶりだね。比企谷くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこまでも、嘘くさかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽乃「今は、帰宅中?」

 

八幡「ええ、まぁ」

 

 

 

あくまで自然に、さも偶然通りがかったように振る舞う陽乃さん。

だが、そんな筈が無い。この人と“偶然”会うなんて、そんな事があるとは俺には思えない。

 

というか、あったとしても信じたくない。不運にも程があるだろ。

 

 

しかし陽乃さんはそんな俺の気持ちを知ってか知らずか(いやたぶん分かってるんだろうな)、思案するように人差し指を顎に当てる。

そして名案! とばかりに笑顔になると、若干の上目遣いで俺に甘い声で語りかける。

 

 

 

陽乃「ねぇ、それなら今からお茶でもどう? 折角会えたんだし、お姉さんごちそうしちゃうよ?」

 

 

 

百点。百点満点だ。花丸をあげたくなる程に。

 

並の男なら絶対断らないだろう天使の誘い。

もう嫌になるくらいに男のツボを心得ているのが分かる。さすがは雪ノ下陽乃だ。

 

 

 

……だが、残念ながら俺は並の男ではない。

 

甘い誘惑に誘われれば、必ず疑ってかかるのが俺である。陽乃さんのその嘆美な甘言は、俺には悪魔の囁きにしか思えなかった。

いいか。本物の天使とは、やよいちゃん、もしくは戸塚の事を言うんだ。覚えておけ。いや覚えなくていいけど。

 

だから、陽乃さんのお誘いに対する俺の答えは決まっている。

 

 

 

八幡「結構です」

 

 

 

我ながら実に淀みない拒否。

答えるまで、1秒とかからなかった。

 

そしてそんな俺の返答に、陽乃さんは特に驚いた様子もなく。

 

 

 

陽乃「そうかー、そりゃ残念。でも、やっぱり比企谷くんはそうでなくちゃね」

 

 

 

微塵も残念そうじゃない笑顔で、ちっとも嬉しくない評価を頂いた。

元より、期待はしていなかったらしい。

 

つーか、外面完璧にするんならもうちょっと残念そうに装えよ……

 

 

 

陽乃「それじゃ、そこまで一緒に行こうよ。話しながらさ」

 

八幡「……まぁ、それくらいなら」

 

 

 

本当はそれすらも嫌だったが、ここで何を言ってもこの人は着いてくるだろう。

むしろ、これくらいで済んだと思えば良い方かもしれない。

 

しかしこの人が徒歩とか、益々偶然会ったとは思えん。似合わな過ぎだろ。

 

 

 

陽乃「いやー、でも良かったよ。比企谷くんが変わらないみたいで。お姉さん安心しちゃった」

 

 

 

特に遅くもなく、早くもない足取りで歩いていく。

足が長いからか、陽乃さんの歩くペースは俺とさほど変わらない。

 

 

 

八幡「別に、安心するようなことじゃないと思いますけどね」

 

陽乃「そんな事ないよー、本当に心配してたんだから」

 

 

 

陽乃さんは、横にいる俺へと、その大きな瞳を向ける。

 

 

 

陽乃「まさか比企谷くんが……」

 

 

 

奇麗なその瞳は、しかしどこか仄暗い。

 

その奥に秘められた、何か。

 

 

 

 

 

 

陽乃「……アイドルのプロデューサーになる、なんてね」

 

 

 

 

 

 

俺はそれが、酷く怖かった。

 

 

 

八幡「……」

 

陽乃「何で教えてくれなかったかなー、そんなに面白そうなこと」

 

八幡「別に、わざわざ言う程の事じゃないですよ」

 

 

 

無邪気そうなその台詞に、感情の籠っていない声で返す。

これは本音だし、むしろ一番この人には言いたくなかった。

 

何か、面倒事が起きるに決まってる。

 

 

 

陽乃「まぁ、それでも入って一ヶ月くらいの時には知ってたんだけどね。あの会社には私の知り合いもいるし」

 

八幡「え……知り合い?」

 

 

 

陽乃さんのその発言に、思わず素に戻る。

 

デレプロに、陽乃さんの知り合いがいるだと?

 

 

ハッタリかとも思ったが、しかし恐らく陽乃さんはこういった事に嘘はつかない。

という事は、本当に……?

 

 

 

陽乃「その子のコネで、遊びに行きたかったんだけどねー。八幡ちゃま?」

 

八幡「ち、ちゃま?」

 

 

 

そしていきなりの不可解な呼び方に意表を突かれる。なんだ、そのキャラに似合わない舌足らずな呼称は。

 

しかし陽乃さんは「ありゃ、知らないか。まぁあれだけ人数いればね」と勝手に一人で納得していた。

どうやら、その知り合いについて話す気は無いらしい。

 

 

 

陽乃「遊びに行こうと思えば行けたんだけど、止められちゃったからね。今回はやめといたの」

 

 

 

思い出すように、薄く笑いながら目線を上げる陽乃さん。

珍しく、その仕草にはいつもの嘘っぽさは感じなかった。

 

 

 

八幡「止められたって……」

 

陽乃「雪乃ちゃんだよ」

 

八幡「っ!」

 

 

 

雪ノ下が……?

 

思わず、目を見開く。

そんな話、あいつは何も言ってなかったのに……

 

 

 

陽乃「お願いだから彼とシンデレラプラダクションには関わらないで頂戴、って。怒る訳でもなく、頭を下げられちゃった。雪乃ちゃんったら、私がまるで悪さでもすると思ってるのかしらね」

 

 

 

……正直否定出来ない気もするが、今は言わずにおく。

 

 

 

陽乃「あんな顔して頼まれたら、さすがの私も断れないよ」

 

八幡「…………」

 

陽乃「……久しぶりだったな。雪乃ちゃんと、あんな風に何も損得考えずに約束したの」

 

 

 

それは、雪ノ下陽乃が見せた数少ない本心だったのかもしれない。

少しだけ寂しそうな、その笑顔。

 

たった一瞬だけのその表情を、俺は忘れる事は無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽乃「まぁ、最終的にはその約束も破っちゃったんだけどね♪」

 

 

八幡「おい」

 

 

 

 

 

 

そしてその一瞬が終わったかと思えば、陽乃さんは悪戯っぽく舌を出して最低な事を宣った。

いや、俺の感動を返して? つーかなに、何をしたの? 俺なんも知らないんだけど!?

 

 

俺の追求に「大丈夫だよ、色々ちょっかいかけたのは最近だから」と、のらりくらり躱す陽乃さん。

全然大丈夫な気がしないんですがそれは。

 

やはり、陽乃さんは陽乃さんであった。

 

 

 

それからしばし歩き、やがて岐路にさしかかる。

俺が自宅への道を行こうとすると、陽乃さんは反対の道へと足を伸ばし、振り返った。

 

 

 

陽乃「じゃあ、今日はここで。今度はちゃんとお茶に付き合ってね」

 

 

 

いつものどこか作り物っぽい笑顔。

俺は立ち止まり、少し考えた後こう言った。

 

 

 

八幡「……それなら、次は本気で誘ってくださいよ。行くかどうかはそっからです」

 

 

 

その言葉に陽乃さんは少し驚いた様子を見せ、その後意地悪く笑いながら言う。

 

 

 

陽乃「へー。それなら、前もってきちんとデートにお誘いしたら、君は来てくれるのかな?」

 

八幡「たぶん断ります」

 

陽乃「あはは、言うと思った」

 

 

 

まるで、予定調和のようなそのやりとり。

確認作業と言ってもいいかもしれない。

 

 

俺は陽乃さんが本気でものを言わないのを分かっているし。

 

陽乃さんは、俺が誘いに応じないのを分かっている。

 

 

信頼なんてものじゃない。

これは、もっと酷い何か。

 

 

そこで、ふと陽乃さんは呟いた。

 

 

 

 

 

 

陽乃「……比企谷くん。もしも理性の怪物が愛を知ったら、どうなると思う?」

 

八幡「は?」

 

 

 

本当にいきなりのその問いに、俺は思わず間抜けな声を出す。

 

理性の怪物……?

一体何の話だ?

 

 

 

陽乃「……ううん。何でもない」

 

 

 

しかし困惑している俺に、陽乃さんは自分から話を打ち切る。

くるっと身を翻し、背を向け歩いていってしまった。

 

 

 

 

 

 

陽乃「それじゃ、またね比企谷くん。雪乃ちゃんをよろしくね♪」

 

 

 

 

 

 

最後に、いつもの明るい言葉を残して。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

理性の怪物が、愛を知ったら。

 

その言葉にどんな意味があるのか、何を指すのか、それは俺には分からない。

だが、不思議と頭の中にその言葉が残っていた。

 

 

 

八幡「……帰るか」

 

 

 

陽乃さんの背中を見届け、俺は自分の家へと向けて足を進め始める。

歩きながら思い返す、あの人との道中。

 

 

それにしてもあの人、妹好き過ぎだろマジで。

いや俺も妹大好きだけどね? もし万が一お茶でもする機会が来るのであれば、お互いの妹自慢に華を咲かせるのも良いかもしれん。……まぁ、そんな機会が来るとも思えんがな。

 

本当に、あの人は何しにやって来たのやら。

 

 

 

今日は何だかどっと疲れた。

 

 

朝から戸部のアイドル談義に付き合わされ、一色とかいうあざと生徒会長にも絡まれた。

 

そういや、奈緒にはゴミ捨て手伝ってもらったな。後でジュースでも奢ってやるか。

 

そんで放課後は、いつも通り奉仕部の部活。雪ノ下の意外な一面や、由比ヶ浜らしさを垣間見れた。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

そこで思い出す、プロデュース大作戦の話題。

 

あいつは、今頃何をしてるのだろうか。

 

 

そう思ったら、俺はいつの間にか立ち止まっていた。

ポケットからケータイを取り出し、電話帳を開く。

 

ディスプレイに表示される、一つの名前。

 

 

 

 

 

 

八幡「……………………ぐっ…」

 

 

 

 

 

 

たっぷりと苦悶し、悩んだ末、俺は思い切って通話ボタンをタップした。

 

 

やべぇ、何かけてんだ俺。

 

よくよく考えると、仕事の用件以外で俺から電話をかけたのは初めてだった。

 

 

ケータイを耳に当て、プププ、という音の後コールが始まる。

もしかしたらまだ仕事中なのかとも思っていたが、案外、相手は早く出た。

 

 

 

 

 

 

凛『ーーもしもし? プr……八幡?』

 

 

 

 

 

 

一ヶ月前まではよく聞いたその声が、今じゃとても懐かしい。

 

……つーか、まだ呼び方慣れないのかよ。

 

 

 

八幡「ああ、俺だ。あー……すまん。今、忙しかったか?」

 

 

 

なんとか冷静を装ってはいるものの、内心はかなり焦っている。

いやだって、思いのほか早く出るんだもの。もうちょっと心の準備ってものをね?

 

 

 

凛『ううん、今は帰り道。もうそろそろ家に着くよ』

 

八幡「そうか、ならよかったよ」

 

凛『……どうかした?』

 

 

 

少し、暗めな声のトーン。

 

それは凛の元気が無いのか、それとも俺を気遣ってか。

俺には分からず、そして、何を言いたかったのかも分からなくなる。

 

 

 

八幡「あー、えっと、だな。…………げ、元気か?」

 

 

 

なんとも、情けない話の振りだった。

いや勿体ぶった末に出て来た言葉が「元気ですか?」って……猪木か俺は。

 

 

 

凛『あはは、何それ。まぁ元気かどうかで言えば……』

 

 

 

笑いながら、言葉を探すように間を開ける凛。

 

 

 

凛『……元気無い、かな。やっぱり』

 

 

 

やがて出て来たのは、そんな言葉。電話越しでも分かるくらいの空笑いだった。

元気が無いというその言葉も、きっと本音なのだろう。

 

 

 

八幡「凛……」

 

凛『もちろん、分かってるよ。19位っていう順位が、今の私にとって誇れる数字だってこと……でも、だからこそ悔しいんだ』

 

八幡「…………」

 

凛『やっぱり私は、ここで終わりたくない』

 

 

 

凛の声が、次第に力強くなっていく。

 

熱を帯びていくのが、分かる。。

 

 

 

 

 

 

凛『約束したからね。私は、トップアイドルになる。だから、絶対にここで終わるわけにはいかないよ』

 

 

 

 

 

 

約束。

 

友達でも、恋人でも、プロデューサーでもない俺と交わした一つの約束。

 

 

 

その約束を守る為に、凛はただ頂きを目指す。

 

 

 

……本当に律儀というか何と言うか。

 

相変わらず、呆れるくらい真っ直ぐで安心したよ。

 

 

 

八幡「……そうか。けど、シンデレラガールにもなれないようじゃ先は長そうだな」

 

 

 

俺の軽口に、凛は「うっ……」と一転痛い所を疲れたように呻く。

 

 

 

凛『こ、今回はダメだったけど、第二回じゃ負けないから。……ううん、その次でもなれなくても、第三回もある。……絶対に、シンデレラガールになってみせるから』

 

 

 

だからーー

 

彼女は、凛は笑って言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凛『ーー待っててね。八幡』

 

 

八幡「……ああ」

 

 

 

 

 

 

今は隣じゃなくっても。

きっと、届かない距離じゃない。

 

この声も、それに乗せた、この気持ちも。

 

 

 

その後も雑談やら、最近の仕事やらの話をしながら歩く。

一応メールでの連絡は取り合っていたものの、電話をしたのはあれから初めてだったからな。

 

たまには、こうして話すのも良いもんだ。

 

 

 

 

 

 

凛『あ。そう言えば、最近ウチの事務所から懲戒処分を受ける人がいるみたいなんだ』

 

八幡「懲戒処分?」

 

 

 

なんだなんだ、急に穏やかじゃない話題だな。

一体何をやらかしたと言うのか。

 

 

 

凛『なんでも、プロダクションの情報を外部にリークしてたとかって。多分明日くらいにはニュースになると思う』

 

八幡「外部にリーク……それって」

 

凛『うん……たぶん、考えてる事で間違いないと思う』

 

八幡「…………まぁ、過ぎた話だ」

 

 

 

今更、どうこう出来る問題じゃない。

思う所が無いわけではないが、それでも、こうして終着出来ただけ良しとしよう。

 

むしろそれより気になるのは……

 

 

 

八幡「しかし何で今更発覚したんだ? もうあれから一ヶ月もたつってのに」

 

凛『それがなんか、提携してる別の会社から直々に調査が入ったみたい。詳しい事は私も知らないけど、そのおかげでリークが発覚したんだって』

 

 

 

凛のその言葉を聞き、俺は思わず立ち止まる。

思い出すのは、ついさっき交わした強化外骨格美女との会話。

 

 

 

……そうか。

 

 

 

 

 

 

そういう事、ね。

 

 

 

凛『? 八幡、どうかした?』

 

八幡「……いや、なんでもねぇよ」

 

 

 

俺は笑いを零すと、再び歩き始める。

 

こりゃ、本当にお茶する事になるかもな。

何か礼でもしなきゃ、顔向け出来そうにない。

 

 

 

八幡「つーか今更だが、歩きながら電話してっと危ねぇぞ」

 

凛『それはそっちもだよ。いいでしょ? もう少しこうしていたいし』

 

 

 

電話から聞こえる声に耳を傾け、ふと、顔を上げる。

いつの間にか辺りはすっかり暗くなっており、見上げれば、星が瞬いていた。

 

まるで、いつか二人で見た景色のように。

 

 

 

 

 

 

凛『……また電話しなかったら、承知しないからね』

 

 

八幡「言っただろ、本当に暇な時は電話してやるよ。……どうせ料金はタダなんだ」

 

 

 

 

 

 

凛も、同じ景色を見ているのだろうか。

 

 

 

今は隣じゃない。

 

それでも、いつかきっと。

 

 

 

 

 

 

凛『うん……私も、待ってるから』

 

 

 

 

 

 

互いに違う道を選んだとしても。

 

今はただ、歩き続けよう。

 

 

 

 

 

 

彼と彼女が、再び出逢うことを信じて。

 

 

 

 

 

 

 




ヒッキーと凛ちゃんの歩みは、もうちょっとだけ続きます。

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