やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。   作:春雨2

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第11話 知らぬ間に、彼の周りは暖かい。

 

 

アイドル。

 

それは人々の憧れであり、遠い存在。

 

 

テレビの向こう側、雲の上の人、女の子の永遠の夢。

人によってその表現は違うが、どれもが自分とは別の世界のように語る。

 

それもそうだ。目にする事はあっても、そこに自分と同じ現実味などそう簡単には抱けない。

 

 

自分と同い年の少年が、甲子園に出ているように。

 

自分となんら変わりない少女が、コンクールで受賞されるように。

 

画面の向こう側というだけで、どこか遠く感じてしまう。

 

 

そして、自分と“偶像”との距離を鮮烈に感じた時。

きっと誰しもが自問自答を繰り返すだろう。

 

 

俺は、このままでいいのか?

 

私は、何をやっているんだ?

 

 

その自分自身への問い掛けは、自然と俺たちを“ふるい”にかける。

 

 

数回で折り合いをつける者は、そのまま何事も無く人生を送るだろう。別に悪い生き方ではない。

 

数十、数百と葛藤を続けて生きて行く者は、いつしか何かを成すかもしれない。辛いが、やりがいはあるだろう。

 

そして一度の問いで答えを出す者は、酷く少ない。

 

 

しかしそれは、決して諦め妥協する事ではない。誰だって、自分の夢を奇麗さっぱり忘れる事など出来ない。少なからず、その問いと向き合いながら生きて行く。

 

 

だからきっと、一度で答えを出せる者はーー

 

 

 

ーー形振り構わず決心出来る、本当に“夢見る”者なのだろう。

 

 

 

まぁ別に、だからと言って誰々があーでこうだの言うつもりもない。

どんな生き方をしようと、それは個人の自由で、俺に口を出す権利は無いのだ。

 

いつの間にか、俺は沢山のアイドルと触れ合ってきた。

 

それぞれが自分の信じるものや、譲れないものを持って、懸命にアイドルをやっていた。

そこにきっと優劣は無いし、差別も無い。

 

 

俺が何かを言うには、おこがましい程の輝き。

 

その輝きを、確かに俺は知っている。

 

 

例えば、独りの夜に勇気をくれた笑顔の少女。

 

例えば、勘違いする程に居心地の良い場所をくれた二人の少女。

 

例えば、俺の隣で、俺を信じて、俺を見てくれている少女。

 

 

彼女達のおかげで、この世には確かに“本物”がいるって事を、俺は信じることが出来た。

……まぁ、あの二人は別にアイドルではないがな。

 

 

かつて苦手意識を持っていたアイドルという存在を、俺は今は受け入れられている。

もちろん、俺が知ってるアイドルが全てではないだろう。

 

けれど、俺がアイツのプロデューサーでいる限りは、信じていたい。

 

 

アイドルとは、偶像で、憧れで、遠い存在。

 

そして、夢なのだと。

 

 

 

まぁ、つまりだ。

何が言いたいかって言うと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「忙し過ぎてハゲそう……」

 

 

 

 

 

 

ー 月曜 monday ー

 

 

 

シンデレラプロダクション、その事務スペースの一角に、俺はいた。

否、屍が一体。

 

 

 

八幡「……もう昼か」

 

 

 

机に突っ伏したまま時計を確認。

見れば、丁度針が正午を回った所であった。

 

机の上には企画書やら報告書やらの書類が散らばっており、正直コーヒーのカップを置く所でさえ迷う程だ。

俺はそんな机の上に無理矢理頭を預けている。結果ノートパソコンを前の席にはみ出す程押しのける形になったが、問題無いだろう。ちひろさんのデスクだし。

 

 

しかし、おかしい。

 

 

朝出社して、9時過ぎにはレッスンをやってる凛の所まで行こうかなーなんて考えていたのに、今はお昼過ぎだ。ふむ。今一度状況を整理しよう。

 

 

とりあえず身の回りの書類の整理をしていたら、お世話になってるテレビ局のディレクターさんから電話がかかってきて、良いお話を頂けたから直ぐさまスケジュール調整。それが終わったと思えば、今度は前に載せてもらったファッション雑誌の編集さんが挨拶周りにやってきてその対応。ようやく終わり、書類整理を続けようとした所で某有名歌番組からの急なオファーが舞い込み、急いで企画書を作る。やっと完成。←今ここ!

 

結局書類整理が終わらんがな!

 

 

アニバーサリーライブまでもう二ヶ月を切った。それに加えて凛の人気のアップ。

そう考えるとこの忙しさも納得出来るが……それにしたって体が追いつきませんもの。13人なんてプロデュースした日には発狂もんである。

 

 

そんなこんなで、俺は凛のレッスンを見に行く事も出来ずにお昼を迎えるのであった。

 

 

 

八幡「疲れて腹も減らんな……」

 

 

 

何か食おうかとも思ったが、別にそこまで腹も減っていないのでパスする事にする。

さっさと書類整理を終わらせて、午後の仕事に備えた方が良いだろう。

 

と、そこで視界にある書類の山へ陰がさす。

まだ日が落ちるには早過ぎる。何かと思い顔を上げると、そこには小人を肩車する巨人がいた。違うか。

 

 

 

きらり「にゃっほーい! はっちゃんおはよー☆」

 

杏「ちーっす」

 

八幡「……よぉ」

 

 

 

双葉杏と、諸星きらり。

最近何かと一緒にいる二人がそこにいた。

 

つーか、肩車って……

 

いくら小柄とは言え、同年代を肩車出来る女子はそうはいないぞ?

何、きらりってもしかして夜兎の一族とかなの?

 

 

 

杏「なんかお疲れみたいだねー」 グデー

 

八幡「……」

 

 

いやそんな状態で言われても馬鹿にされてるとしか思えないんだが。

 

きらりの頭の上に顎を乗せ、これ以上無いくらい緩み切った顔の杏。

この間まで抵抗を見せていたと言うのに、今では懐柔された猫のように丸くなっている。チョロイン乙。

 

 

 

八幡「ちょっと仕事が溜まってたんでな。少し休んでただけだよ」

 

 

 

そう言って、手近な書類に手を伸ばす。

しかしその様子を見て、俺の行動に異を唱える者が一人。

 

 

 

きらり「ダメだよはっちゃん! お昼まだでしょー?」

 

 

 

担いでる杏をものともしない程の早さで詰め寄ってくるきらり。その反動で杏がガックンガックン揺れている。ちょっと面白い。

つーか前から思っていたが、はっちゃんて何だはっちゃんて。潜水艦か俺は。

 

 

 

きらり「ご飯はしっかり食べないと☆ 大きくなれないよー?」

 

八幡「そうか……しっかり食べてるとそうなるのか」

 

 

 

きらりを見ながら思わず言葉が漏れる。いや一体どれだけしっかり食えばそうなるのん?

どうせなら、同じ事務所にいる剣道娘に教えてやれ。

 

 

 

きらり「それでも食べないってゆーなら、ここはきらりが……☆」 ゴゴゴゴゴ……

 

八幡「わ、わかったから。だからその変なオーラを引っ込めてくれ…」

 

きらり「おっつおっつばっちし♪」

 

 

 

怖えぇよ……なんかもうスタンドとか出しそうな勢いだったよ。

つーか、そろそろ大きく動くのは止めとけ。杏がいよいよ気持ち悪そうになってきてる。

 

 

 

その後近くのコンビニへ行き、テキトーな弁当を見繕う。

雑誌コーナーへ行くと城ヶ崎姉妹が表紙の物を発見したので、ついでに購入。

 

会社へ戻り、休憩スペースで飯を食おうと向かうと、そこには再び杏ときらり。

 

きらりが杏を抱え、膝の上に載せてソファーに座っている。テーブルには数種類のお菓子とジュース。

視線の先、テレビの画面には、お昼の有名バラエティ番組が映っていた。

 

 

 

八幡「……お前ら、仕事に来たんじゃないのか?」

 

 

 

杏たちとは逆側のソファーへと座り、弁当を袋から取り出す。

やっぱからあげクンはレッドだな。

 

 

 

杏「午後からはねー。まぁ写真撮影だけだけど」

 

 

 

口の中でコロコロと飴玉を転がしつつ、気怠げに言う杏。

なるほどな。今はそれまでの暇つぶしか。

 

しかし、仕事前だというのに二人とも全く緊張といったものは感じられない。凄い自然体だ。

……いやまぁ、この二人がそういうキャラじゃないのは重々承知してはいるんだが。

 

 

 

きらり「あれ? そういえばはっちゃん、今日は凛ちゃんはいないのー?」

 

八幡「あー……今日はレッスンでな。今頃は昼休憩してるだろ」

 

 

 

本当であれば午前中の内に見に行きたかったのだが、時既に遅し。

午後は予定入ってっから行けそうにないしなぁ。

 

 

 

きらり「そっかー、凛ちゃん寂しいねー」

 

八幡「まぁ、確かに今週はもう会えないだろうしな」

 

杏・きらり「「えっ」」

 

八幡「あ?」

 

 

 

二人が急に俺の方に視線を向ける。

俺まで思わず呆気にとられ、弁当を口に運ぶのを止めてしまう。

 

 

八幡「……どうかしたか?」

 

杏「いや今、今週はもう会えないって言った?」

 

八幡「ああ」

 

杏「え、なんで? 担当外されたの?」

 

八幡「んなわけあるか」

 

 

 

つーか、何自然に担当を“外れた”じゃなくて“外された”って言ってんだ。

まるで俺が何かやらかしたと確信してるみてーじゃねぇか。

 

 

 

八幡「単純に、スケジュールの都合だよ」

 

 

 

ちらっとホワイトボードのスケジュール表を見る。

 

 

 

八幡「ちょっと今週他の奴らに付く仕事が多くてな。凛も一人で出来る仕事が主だったし、一緒じゃなくても大丈夫と判断したんだよ」

 

 

 

最近は小さな仕事での臨時プロデュースを受ける機会も出てきた。それはプロデューサーの付いていないアイドルに限らず、どうしても付き添えないプロデューサーの代わりや、代理的な名目が多い。

 

確かにここ最近、デレプロもかなり名が売れて来たからな。こうして臨機応変に対応していかなくては手も回らない。……その為に奉仕部である俺が上手く使われてる感も否めないがな。社畜! 完全に社畜だよこれ!

 

 

 

きらり「そっかぁ……残念だにぃー」 ショボーン

 

 

 

俺の発言を聞いて、何故かあからさまにきらりの元気が無くなる。

そして杏はと言うと、珍しく、真剣な表情を作っていた。

 

 

 

杏「……八幡、大丈夫?」

 

八幡「何がだ」

 

杏「いやだって、これじゃあ八幡が凄く真面目な人みたいだよ? そんなのおかしいよ」

 

八幡「どういう意味だおい」

 

 

 

いや、確かに今の自分が嫌になるくらい社畜ってるのは認めるけども。

俺だって、うん、真面目ダヨ?

 

 

 

杏「まぁ別に杏には関係無いからいいんだけどね」

 

八幡「……ならいいだろ」

 

 

 

嘆息しつつ俺が食事を再会すると、しかし、そこで杏は少しだけ悲しそうな表情になる。

 

 

 

杏「……でも、凛ちゃんはそうじゃないからさ」

 

八幡「あ?」

 

杏「仕事で忙しいのも仕方ないし、お互い納得の上なら何も言えないけど……ね」

 

八幡「……」

 

 

 

本当は、今日の午前に会う筈だった。

ともすれば、恐らくこれが今週会える唯一のチャンスだったから。

 

だがその為に仕事を棒に振って、凛のチャンスを無駄にするわけにもいかない。

だから、きっとこれが正しい選択なんだ。

 

きっと。

 

 

 

杏「……ま、余計なお世話だとも思うけどねー」

 

 

 

見ると、さっきまでの悲しげな表情はどこへやら。

杏はいつもの飄々とした態度で言う。

 

 

 

杏「これまで何とかなってきた二人なんだから、大丈夫なんじゃない? 知らんけど」

 

八幡「……お前はプロ雀士かよ」

 

 

 

思わず、苦笑する。

それは杏の珍しい気遣いで、なんとなくレアな物を見た気分になって、少しだけ、元気が出た。

 

 

 

 

きらり「あっ! はっちゃんもお菓子食べるー? デザートデザート☆」

 

杏「えー、八幡にあげるなら杏にちょうだいよー」

 

八幡「別に欲しいわけではないが、そう言われるとお前に譲りたくもないな」

 

 

 

お昼の休憩時間、少しだけそうして戯れる。

 

その短い時間だけで、ちょっとだけ元気を貰えた気がした。

 

 

 

一週間は、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー 火曜 tuesday ー

 

 

 

都内にある某スタジオ。

 

 

カメラや機材がいくつもある、いかにもな薄暗い室内。

その中で、白いバックペーパーの前でポーズを取る一人の少女。

 

カメラへ向かって笑顔を振りまき、時折ポーズを変えている。

天真爛漫という言葉がピッタリな、まさにアイドルを思わせる光景だ。

 

 

そしてその少女は、俺の担当アイドルである渋谷凛ではない。

 

 

 

みく「こーんな感じかにゃ?」

 

カメラマン「いいねぇ、次は前で腕を組んで…」

 

 

 

同じシンデレラプロダクションの所属アイドル、前川みくである。

 

 

今日はとある雑誌の写真撮影と取材の為、こうして俺が付き添いとして出向いている。

ぶっちゃけ、あまり必要性は感じられないんだがな。

 

 

その後30分程で撮影を終え、次の取材に備えて休憩時間に入る。

こちらに戻ってくる前川を目で捉え、寄っかかっていた壁から背を離す。

 

 

 

八幡「ほれ、お疲れさん」

 

 

 

そう言って手渡すのは、先程自販機で購入しておいたペットボトルのお茶。

緑茶もあったが、何となく紅茶を選んだ。ティータイムは大事にしないとネー。

 

前川は少しだけ驚いた様子を見せた後、嬉しそうな笑顔でお茶を受け取る。

 

 

 

みく「ありがとっ、ヒッキーは気が利くにゃ♪」

 

八幡「……」

 

 

 

え、お前もその呼び方で俺を呼ぶの?

 

どこぞのガハマさんを思い出させるその言葉。誰かの差し金とかじゃないだろうな……

 

 

 

みく「ウチのPちゃんも、いつもこれくらい気が遣えればにゃあ」

 

八幡「Pちゃん? え、お前キムタクと知り合いなの?」

 

みく「誰もスマスマの話はしてないにゃ! みくのプロデューサーのことっ!」

 

 

 

あーなんだそっちか。

 

思わずアイドルってスゲーと思ってしまった。いや分かって言ったけどね。

ポンキッキーズとどっちにしようか迷ったが、まぁそこはどうでもいい話。

 

 

 

八幡「まぁ俺が言うのも何だが、確かに……なんだその、あー……」

 

みく「頭悪そう?」

 

八幡「いやそこまでは言わんけど……まぁ」

 

みく「あながち間違いでもないにゃ」

 

 

 

間違いでもないんですね。

しれっと言いのける前川。良かったなPちゃん。担当アイドルお墨付きだぞ。

 

 

 

みく「大体、Pちゃんはみくの事ちょっと面白がってる節があるにゃ!」

 

八幡「と、言うと?」

 

みく「お魚苦手なの知っててグルメロケに出演させたり、ドッキリ系のお仕事よく取って来たり、楽屋のお弁当がお魚だったり!」

 

 

 

つまり魚が嫌いなんだった。

いやでも楽屋のお弁当はどうしようもなくねぇ?

 

 

 

みく「全く、少しはみくの事も考えてほしいにゃ!」 プンプン!

 

八幡「……その割には、楽しそうに話すのな」

 

みく「え?」

 

八幡「今日の写真撮影、好きだった雑誌の特集なんだろ? 自分の為に頑張ってくれたって、さっき嬉しそうに話してたじゃねーか」

 

 

 

思い出すのは、撮影が始まる前のスタッフさんとの雑談。

 

社交辞令も含まれていただろうが、確かにあの時話していた言葉には、前川の本音が込められていた気がする。

自分のプロデューサーに対する、信頼と感謝が。

 

 

しかし俺のその言葉に、前川は少しばかり恥ずかしそうに目を逸らす。

 

 

 

みく「そ、それとこれとは話が別にゃ」

 

 

 

拗ねたように言うその態度に、思わず苦笑が漏れた。

ま、本人がそう言うんなら、そういう事にしておこう。

 

 

 

八幡「けど実際、俺なんかに付き添いを頼むんだから変わった奴だよ」

 

 

 

数日程前、奉仕部経由で前川のプロデューサーは俺に依頼してきた。

なんでも得意先の会社のお偉いさんと打ち合わせが入ってしまい、誰かに付き添いを頼みたかったとか。

 

探せば他にいくらでも代わりはいたと思うのだが、頼まれたからには引き受けるしかない。

そして前川だけでなく、今週一週間は毎日そんな感じ。なので、凛には出来るだけ一人でこなせるスケジュール組んだ。

伊達に場数をこなしてはいないからな。恐らく問題は無いだろう。

 

 

 

みく「Pちゃん、ヒッキーのこと結構信用してるみたいだよ? 中々根性のある奴だ、って」

 

八幡「俺としては根性は無い自信があるがな。そんな事言ってくれんのは、お前と新田さんとこのプロデューサーくらいだよ」

 

 

 

実際、俺の事務所内での評判はあまりよろしくない。

主に一般Pからのものではあるが、なんというか、妬みやらも多分に含まれているのだろう。

 

奉仕部とかいう立場にかこつけて、複数のアイドルに手を出してるだとか。

他の一般Pと関わろうとせず、愛想も態度も悪いとか。

事務員を買収して、デスクや情報を貰っているとか、な。

 

……本当にあながち間違いでもないから困る。

 

 

そんな中で、こうして俺に依頼を出してくれる前川のプロデューサーは珍しい部類と言えた。

だからこそ引き受けた所もあるんだがな。

 

 

 

みく「……ヒッキーは、陰口とか、周りに悪く言われてても平気なの?」

 

 

 

見ると、何処か悲しげな、というよりは心配しているような表情の前川。

しかしその気遣いは、嬉しいが杞憂と言わざるを得ない。

 

 

 

八幡「俺を誰だと思ってんだよ。総武高校の“いないもの”とは俺の事だぞ? こんくらいは日常茶飯事だ」

 

みく「全然威張って言う事じゃないにゃ……」

 

 

 

というか現在進行形で本当に総武高校にいないんだから凄い。

恐らく、ウチのクラスでは何事も変わりなく授業が進んでいるのだろう。良かったね。これで殺人事件も起きないね。

 

 

 

八幡「そんなどうでもいい事は気にしてんな。お前は、自分ん所のプロデューサーと頑張りゃいい」

 

みく「……うん」

 

 

 

未だやり切れない様子ではあるが、何とか頷く前川。

 

その様子だけで、こいつが本当に優しい女の子だという事を実感する。

 

 

少しばかりおつむが弱そうな所はあるが、いつも明るく元気で。

 

人の事を心配して、一緒に悲しんでくれて。

 

優しいその人柄は、呼び方も相まって、あの少女を思い出す。

 

 

やっぱり優しい女の子は、嫌いだ。

 

いつも、勘違いしそうになってしまうから。

 

 

 

と、休憩時間が終わったのか、記者さんがこちらに呼びかけてくる。

この後は取材を兼ねたインタビューだ。

 

 

 

八幡「ほら、取材が始まるから行ってこい」

 

みく「あっ、うん!」

 

 

 

お茶を預かり、前川は小走りで向かっていく。

 

しかしそこで、彼女はふと歩みを止めた。

 

 

八幡「? どうした」

 

みく「ヒッキーっ!」

 

八幡「うおっ」 ビクッ

 

 

 

思いがけない大きな声に、思わず体が反応する。

 

前川は、真っ直ぐな瞳で俺を見ていた。

 

 

 

 

 

 

みく「他の人がどう言ってても、みくもPちゃんも、ヒッキーの事ちゃんと分かってるから!」

 

 

八幡「っ!」

 

 

 

 

 

 

「そこだけ忘れないでよね!」と言い残し、彼女は笑顔でスタッフの元へと走っていった。

 

 

……まさか突然あんな事を言われるとは思っていなかったので、少しばかり唖然としてしまった。

そして、遅れて苦笑が漏れる。

 

 

あのプロデューサーあって、このアイドルあり、か。

家族でもないが、どこか似通ってしまうものなんかね。

 

 

前川といい、臨時プロデュースしてきた奴らといい。

どうしてこう、俺の予想の及ばない事をしてくれるのか。

 

それで嬉しいと、気持ちが軽くなっている自分がいるのだからどうしようもない。

 

 

本当に。

 

 

 

優しい女の子は、苦手だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー 水曜 wednesday ー

 

 

 

少しだけ、急ぐ。

 

 

足は自然と小走りで、そんな気も無いのに急いてしまう。

自動ドアの開くタイミングと合わず、少しだけつんのめる形になった。

 

ドアが開いた瞬間、あの独特の匂いが鼻につく。

 

正直に言えば、あまり好きではない匂い。

というより、好きな奴などそうはいないだろう。

 

 

有り体に言えばーー

 

 

 

消毒液の、匂いだ。

 

 

 

その後受付で面会の許可を取り、以前の記憶を頼りに足を進める。

前に来たのは、もう三ヶ月以上も前になる。まさかまた来る事になるとはな。

 

 

途中迷いそうになりながらも、なんとか目的地付近まで辿り着く。

自分の記憶が正しい事にホッとしていると、目的の部屋の前で人影を目にした。

 

白衣に身を包んだ、20代前半くらいの女性。

 

柔和な印象を与える整った顔立ちに、きっちりと纏め上げられた奇麗な茶髪は清潔感を思わせる。

首には聴診器、手にはクリップボード。挟んである紙は、恐らくはカルテだろう。

 

 

一言で言えば、看護婦さんである。

 

ナースキャップが眩しい。

 

 

その看護婦さんは丁度部屋から出て来た所らしく、すぐに俺に気付いた。

俺の顔を見ると、ニコッと笑顔を作る。

 

 

 

「お見舞いですか?」

 

八幡「ええ、まぁ」

 

 

 

しかし本当に美人だな……

 

こんなに奇麗な看護婦さんに看病して貰えるなら、入院生活も案外悪くないかもしれん。

きっとさぞ優しくお世話してくれるんだろうな。

 

 

 

「たった今定期検診が終わったので、もう面会しても大丈夫ですよ」

 

八幡「ありがとうございます」

 

 

 

無難にも程がある返事を俺がすると、看護婦さんはまた少しだけ笑みを見せる。

 

 

 

「以前にもいらっしゃってましたよね。彼氏さんですか?」

 

 

 

少しばかり、からかう様な言い方。

なんとも悲しくなる事を訊いてくれるものだ。分かって言ってる?

 

つーか、まさか俺の事を覚えてるとはな。そっちの方が驚きだ。

 

 

 

八幡「そんなんじゃないですよ。あいつとは仕事の…」

 

 

 

と、そこまで言って言葉が止まる。

なんとなく、こんな事を言ったら怒られそうな気がしたから。

誰に、とは言わない。

 

 

 

八幡「……いえ。友達の、お見舞いです」

 

 

 

そう言って、言ってから恥ずかしくなる。

 

世間ではこんなこと平気で言えるのかもしれないが、俺には大分ハードルが高い。

顔があっついなクソ。

 

 

 

「そうですか」

 

 

 

そして看護婦さんはまた微笑み、満足そうに頷いた。

 

 

 

「では、ごゆっくり」

 

 

 

そう言い残し、彼女は去っていった。

なんというか、不思議な雰囲気の人だったな。

 

咄嗟に名札を見たが、柳……せいら? さんで良いのだろうか。

あの人なら、アイドルとしてもやってけそうな気がするな。

 

 

 

八幡「今度、社長に紹介でもしておくか」

 

 

 

そう呟いてから、今日の目的がそんな事ではないのを思い出す。

 

念のため、部屋の前に貼ってある名前を確認。ここで間違えたりしたら笑えないからな。

 

そしてゆっくりとノックをし、返事を待つ。

これも、前回の反省をちゃんと踏まえてだ。というか、あれは完全に奈緒のせいだ。俺は悪くない。

 

 

やがて中から声がし、俺は無事に入室の許可を得る。

扉を開くと、そこには見知った顔の少女がベッドに掛けていた。

 

 

 

加蓮「やっはろー。八幡さん」

 

八幡「……その分じゃ、大事は無さそうだな」

 

 

 

熱のせいかは分からないが。

少しだけ紅潮した加蓮が、そこにいた。

 

 

髪を降ろし、またいつぞやと同じパジャマのような病院服を来ている。

 

ホント、大した事無くて良かったよ。

電話でまた入院したって聞いた時は、正直心臓が止まるかと思ったぞ。

 

 

本人は軽い風邪だから心配無いと言っていたが、そんなもの信用ならないからな。放っておくわけにもいくまい。

午前の仕事を出来るだけ早く片付け、お昼に時間を作ってこうして出向いてきた。

 

午後も仕事があるので、あまり長くはいられないが……まぁ、顔を見れただけ良しとするか。

 

 

 

加蓮「八幡さん、ホントに来てくれたんだ…忙しいんだから、無理しなくてよかったのに」

 

八幡「無理なんてしてねーよ。むしろ仕事をサボれてラッキーまである。それよか、本当に平気なのか?」

 

加蓮「えっ?」

 

八幡「いや、実は余命宣告されたとか…」

 

 

 

冗談めかして言ったが、内心おっかなびっくり訊いてみる。

 

 

 

加蓮「もう、ただの風邪だってば」

 

八幡「ホントに?」

 

加蓮「ホントだよ」

 

 

 

可笑しそうに笑う加蓮。

 

そうか、ただの風邪か。いやー良かった……なんかお前が体調崩したって聞いただけでヒヤヒヤもんだわ。ぶっちゃけこっちの心臓に悪い。

 

 

 

八幡「ほら、テキトーに差し入れ持ってきてやったから、これ食って大人しくしてろ」

 

 

 

そう言って持って来ていたビニール袋を手渡し、ベッド横の椅子に座る。

中にはコンビニで買ったプリンとかゼリーとか、飲み物とかも入っている。風邪引いた時って、なんか無性にこういうの食いたくなるよな。

 

 

それを見て、加蓮は目を丸くする。

その後苦笑しつつ、照れたように言った。

 

 

 

加蓮「もう、こんなに買ってきちゃって…食べ切れないよ」

 

 

 

その割には嬉しそうにしてるのだから、なんともむず痒い。

まぁ、いらないと突き返されなくて安心した。

 

 

 

八幡「よく食わないと大きくなれないらしいぞ。身長180センチ強の女子にこの間言われた」

 

加蓮「誰が言ったかすぐ分かる上に、凄い説得力だね……」

 

 

 

しかしプロフィールを見れば分かるが、あいつ身長の割に体重軽過ぎなんだよな。

むしろかなり痩せてる方。少し心配になる八幡なのでした(小並感)。

 

 

 

八幡「具合はもう良いのか?」

 

加蓮「うん。熱も大分下がったからね。明日には退院出来るってさ」

 

 

 

電話で聞いた限りじゃ、元々入院する程の事でもなかったらしい。が、前科が前科な為、今回は念のためにお休みを取る事にしたそうだ。

病弱キャラってのも考えもんだな。いやキャラってわけでもないが。

 

 

 

加蓮「最近レッスン増やしてたから、ちょっと疲れが溜まってたのかな」

 

八幡「……やっぱ、アニバーサリーライブの為か?」

 

 

 

約二ヶ月後に控えている、シンデレラプロダクション主催のアニバーサリーライブ。

その推薦枠に入るため、ここ最近のアイドルたちの間には、何かと緊張が走っている。

 

それも当然。上位枠のメンバーは既に発表されているが、推薦枠はまだだ。

 

近々発表予定だが、それまでに出来るだけ成果を上げておきたいという気持ちがあるのだろう。

 

 

 

加蓮「うん。でも、それで身体壊してたら意味無いよね……アハハ」

 

 

 

そう言って加蓮は、少しだけ顔を伏せる。

笑みを浮かべてはいるが、その表情は心なしか暗い。

 

その乾いた笑いは、自分の不甲斐なさを笑っているように見えた。

 

 

 

加蓮「多分、今回ので大分評価落ちたよね。体調が戻っても、選ばれるのは無理かぁ」

 

八幡「……」

 

加蓮「あーあ……ライブ、出たかったなぁ……」

 

 

 

天井を仰ぎ、加蓮のその言葉は、虚しく響くばかり。

だから、俺はそんな加蓮にーー

 

 

 

 

 

 

八幡「ほれ」

 

 

加蓮「わぷっ」

 

 

 

 

 

 

一枚の書類を、顔に突きつけてやった。

 

 

 

加蓮「もう。なに、する…の……?」

 

 

 

その紙を見て、加蓮の表情が変わっていく。

 

書類には、こう書いてある。

 

 

 

 

 

 

『“シンデレラプロダクション アニバーサリーライブ”の参加メンバーの一人に、“北条加蓮”を推薦する事をここに明記する』

 

 

 

 

 

 

加蓮「こ、これって……!」

 

八幡「おめでとさん。お前はちゃんと選ばれたよ」

 

 

 

瞬間、何かが俺に向かって突撃してくる。否、それは分かり切っている。

 

加蓮が、俺に抱きついて来たのだ。

 

 

 

加蓮「やった! やったよ八幡さんっ! 私、ライブに出れるって!!」

 

八幡「知ってるよ! つーか、は、離れろ……!」

 

 

 

あまりに突然だった為、椅子から転げ落ちそうになるが、なんとか踏みとどまる。

興奮し切っている加蓮を押しのけ、ベッドに戻す。

 

 

 

…………。

 

……ふー。さすがはトライアド・プリムス1のむn…………いや、なんでもない。

 

 

 

八幡「落ち着け。熱ぶり返したりしたらどうすんだ」

 

加蓮「ごめんごめん。でも、すっごく嬉しくって!」

 

 

 

加蓮のその表情は、見ているこっちまで元気が出てきそうな、そんな笑顔だった。

それを見れただけで、教えた甲斐があったよ。

 

 

 

八幡「ホントはまだ発表じゃないからな。あんまし周りには言うなよ」

 

加蓮「それって……入院してる私に教えに来てくれたってこと?」

 

八幡「……うっ」

 

 

 

いや、別にそういうわけじゃないよ?

 

ただこのタイミングで体調崩して、落ち込んでるだろうなーとかは思ってたけども。

お見舞いにはどっちみち来ようとは思ってたし? べ、別に、お前を喜ばせようと思ったわけじゃないんだからね!

 

と、懇切丁寧に説明したが、加蓮は嫌な笑みを浮かべるだけだった。

なんだその皆まで言うな的なしたり顔は。

 

 

 

加蓮「……ありがとね、八幡さん」

 

 

 

そして真顔になったかと思えば、その後微笑み、こんな事を言ってくる。

ホント、俺じゃなきゃ騙されてるぞ。

 

 

 

八幡「別にお礼を言われるような事はしてねぇよ。頑張ったのはお前だ」

 

 

 

だから俺は、いつも通りそう言ってやる。

純粋に、そう思っているからな。

 

 

……本当に、皆よく頑張った。

 

 

 

その後いくつか会話を交わし、その場を後にする事にする。

しかしその別れ際、加蓮はこんな事を言ってきた。

 

 

 

加蓮「……八幡さん。お願いがあるんだ」

 

 

その表情は、真剣でいて、どこか悲しげだった。

 

 

 

八幡「どうしたよ。そんな改まって」

 

加蓮「……凛を、よろしくね」

 

八幡「? なんだよ急に」

 

 

 

凛をよろしく……とは、また急だな。

そもそも、担当アイドルなんだから世話を焼くのは当然と言える。

 

しかし、加蓮が言いたいのはそういう事ではないようで。

 

 

 

加蓮「最近、あまり凛と会ってないでしょ?」

 

八幡「まぁ、な」

 

 

 

というか今週一週間会えないのだが、それを言ったら更に何か言われそうなので、黙っておく。

 

 

 

加蓮「凛は……あの子は、あまり我が侭とか言わないからさ。仕方ないとか、仕事だからとかって、自分の気持ちを押さえ込むとこあると思うんだ」

 

八幡「……」

 

加蓮「まぁ、これは八幡さんにも言える事なんだけどね」

 

 

 

「似た者同士だよね」と言って笑う加蓮。

いや、別に今はそこはいいだろ。なんかハズイ。

 

 

 

加蓮「……だからさ、凛のこと、大事にしてあげてね」

 

八幡「…………善処する」

 

 

 

なんと答えたものかと考えた挙げ句、何ともぶっきらぼうな言い回しになってしまった。

しかし、加蓮はそれで満足したらしい。

 

……これも加蓮たってのお願いだ。

 

ここは素直に、受け取っておくとしよう。

 

 

 

加蓮「それじゃあ八幡さん。今日はありがとね」

 

八幡「いいって。……そうだ加蓮」

 

加蓮「ん?」

 

 

 

扉を閉める直前、このまま言われっぱなしも癪なので、お返しとばかりに俺も言ってやる。

 

 

 

八幡「一応アイドルなんだから、むやみやたらと男に抱きつくのはやめとけよ」

 

加蓮「っ!」 カァァ

 

 

 

瞬間、紅潮する加蓮。

 

俺は満足し、扉を閉めて病室を後にするのであった。

 

 

 

去った後の部屋からは、「もーう!」という声が響いたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー 木曜 thursday ー

 

 

 

さて、ここで改めて名言しておくが、俺は比企谷八幡である。

 

 

いきなり何を、と思われるかもしれんが、これはとても重要な事だ。

そう、重要な事なのだ。大事な事だからな。2回でも3回でも言っていい。

 

今でこそ様々な人間と関わり、多少なりとも変化が見られたとしても、俺は俺だ。

そこだけは、どれだけ時間がたったても変わりはしない。

 

 

知らない人に話しかけられれば、盛大にキョドるし、

 

優しくされれば、何かあるのではと裏をかく。

 

伊達に、長年ぼっちはやっていない。

 

 

最近になって奇跡的に俺の事を友達と呼んでくれる奴らも出て来たが、それもごく稀だ。

 

 

リア充を見れば、心の中で九九艦爆を出撃させるし、

 

昔の知り合いを見かければ、バレないようにと逃げてしまう。

 

どうしたって、変わらない所は変わらない。

 

 

だが、俺はそんな自分が好きだし、それで構わないと思っている。

他人に否定される事はあっても、自分くらいは肯定してやりたい。

 

だから俺は、今日も比企谷八幡であり続ける。

 

 

例え、

 

 

 

 

 

 

八幡「…………」

 

 

美波「…………」

 

 

 

 

 

 

現在進行形で、女の子と気まずくなっていたとしても、だ。

 

 

 

……やりづらい。

 

 

 

現在、俺は隣に座る彼女と仕事場へ向かっている。

足はタクシー。車の免許を持たない俺では、移動手段はどうしたってこうなる。

 

そしてただただ静かに鎮座している彼女は、新田美波。

今日、俺が付き添いを頼まれたアイドルだ。

 

 

彼女は自信がキャンペーンガールとなっているラクロス全日本選手権の会場で、宣伝も兼ねた選手達への応援をする事になっている。

そして俺は、例によってその付き添い。理由は前川の時と似たようなものだ。

 

しかし、今回俺は思わぬ壁に衝突している。

 

前川の時以上に、いや。下手をすれば、ある意味じゃ今までプロデュースしてきたどのアイドルたちよりも厳しい状況かもしれない。

全ては、新田さんの人柄に起因する。

 

それと言うのもーー

 

 

 

美波「あ、あの、今何時くらいですか……?」

 

八幡「え、あー……8時、半、くらいですね」

 

美波「そう、ですか……」

 

八幡「ええ……」

 

美波「…………」

 

八幡「…………」

 

 

 

と、いった何とも言えないやり取りがずっと続いている。

何と言うか、ホントに……

 

 

 

八幡「(やりづらい……)」

 

 

 

今にして思えば、これまでのアイドルたちが少々特殊だったのだ。

 

物怖じしないと言うか、強気というか、遠慮が無いというか。

基本受動的な俺に対し、グイグイ来る奴が多かった。

 

よく考えれば、同い年か少し年下が多かったからな。

気兼ねなく話しかけてこれたのは、それが理由の一つでもあるのかもしれん。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

いや、あいつらなら例え年上でも同じように接してるだろうな。

予想ではあるが、断言出来る。

 

 

そしてそこに来て、年上の新田……さんだ。

正直、どう接していいのか分からない。

 

 

同じ年上でも、楓さんの時とは勝手が違う。

あっちはもっと年上だったし、何というか大人の余裕があった。本人も気にせず話しかけてきたしな。

 

しかし新田さんは花も恥じらう19歳。

なんつーか、少女でもあり、大人の色気も出て来たりで……とにかくなんか緊張しちゃう!

 

まぁ、最初は全然19歳だって知らなかったんだけどな。普通に女子高生だと思ってた。

 

 

それに年齢を抜きにしても、新田さんはとても大人しい。

お淑やかというか清楚というか、間違っても「にょわー☆」とか言わないタイプだ。いや普通は誰だって言わんだろうけど。

 

無駄に元気があっても振り回されるだけだと思っていたが……

まさか、ここにきてあいつらの積極性にありがたみを感じる日が来るとは。

 

 

別に新田さんの性格が悪いとは言わない。

むしろ個人的には好ましいまである。

 

だが如何せん……

 

 

 

八幡「(気まずい……)」

 

 

 

ホント、まさかこんな所で俺のコミュ力の無さを思い出すとはな。

俺も、プロデューサーとしてまだまだヒヨっ子であった。

 

 

 

美波「あ、あの……!」

 

 

 

と、ここで新田さんから再び声がかけられる。

 

ちなみにタクシーに乗ってからいくつか会話を交わしたが、その全ては新田さんからのものである。

し、仕方ないやん? そんな面識無いし、何話していいか分からないやん?

 

 

俺は窓の外から目を離し、新田さんへと顔を向ける。

さぁ次は何の話題だ? 天気か? 会話の墓場か?

 

俺はどんな話を振られてもいいように身構える。が、新田さんの発した言葉は、俺の予想の斜め上だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新田「ご、ごめんなさい……!」

 

八幡「…………は?」

 

 

 

思わず、間抜けな声が出る。

何を言われるかと思えば、何故か謝られてしまった。

 

え、俺何か謝られるような事した?

 

 

 

新田「わ、私、今まであまり歳の近い男の人と話したこと無くて……だから、ちょっと緊張して……」

 

 

 

申し訳なさそうに、俯きがちに言う新田さん。

 

あーつまりなんだ。自分が緊張して上手く話せないから、そのせいで気まずい空気にしてしまって申し訳ないと、そう言いたい訳か。

 

別にそれは謝る事じゃないし、そもそも気まずい空気にしている原因は俺にもある。

お人好しというか、律儀な人であった。

 

 

 

八幡「……いーっすよ。こっちこそすんません、年下のプロデューサーとかやり辛くて仕方ないでしょう」

 

美波「そ、そんな事ないですよ! 私なんかよりしっかりしてて、凄いと思います」

 

 

 

そう言って、やっと彼女は微笑んだ。

 

う……やばいな、本当に美人だ。これは勘違いしても責められない。いやしないけど。

 

 

というか、さっき何かとんでもない事を言ってなかったか?

 

確か、あまり歳の近い男と話した事が無いとかなんとか。

……マジかよ。こんな可愛いのに男の免疫ないとか、完全に誘ってやがるよ!(違います)

 

 

 

美波「あまり話した事が無かったですけど、比企谷さんがとても良い方で良かったです」

 

 

 

安心したようにそう言う彼女。

 

というか、比企谷さん呼びとな。年上なだけに、何とも違和感を覚える。

 

 

 

八幡「さん付けとか、敬語もいいですよ。年下なんですし」

 

美波「え? でも……」

 

八幡「そっちのが、かえって気遣っちゃいます」

 

 

 

少し卑怯な言い方だが、こう言えば彼女も諦めるだろう。

実際言った事は本音だし、気楽に話してくれた方が俺も何かと気が楽だ。

 

 

 

美波「そう……かな? ……じゃあ、よろしくね比企谷くん」

 

八幡「…………ええ」

 

 

 

ニコッと笑い、新田さんは少し恥ずかしそうに言う。

 

うぁぁああああああ天使か己はッ!!!!

 

し、しっかりしろ八幡! 戸塚だ、戸塚の笑顔を思い出せ!

俺は心の中で戸塚とのアバンチュール(妄想)に没頭するが、勿論新田さんはそんな事など知らない。

 

 

 

美波「今日はありがとう比企谷くん。プロデューサーさんが来れなくて困ってたから、助かっちゃった」

 

八幡「えっ? あ、あぁ。別にこれくらい大丈夫ですよ」

 

 

 

新田さんの言葉で、俺は現実に戻る。

危なかった。もう少しで超えてはいけない一線を超える所だった……

 

 

 

八幡「実際、俺が一緒にいてもやれる事なんて殆ど無いですしね」

 

美波「でも、男の方が付き添いなら危ない人に襲われる心配も少ないってプロデューサーさんが言ってたよ?」

 

八幡「まぁ確かに……でも、新田さんのプロデューサーならどっちにしろ心配無さそうですけどね」

 

美波「あ、あはは。それは……うん……」

 

 

 

思い出すは、あのやけにキリッとした金髪眼鏡の女プロデューサー。

 

美人でスタイルも抜群。ぶっちゃけアイドルとしても通用するような容姿の彼女だが……如何せん、残念だ。

なんでも男には興味が無いらしく、可愛い女の子をプロデュースしたくて一般Pになったらしい。何それ怖い。

 

元女子大の主席とは聞いていたが、まさかここまでとはな。

この間なんかは、アイドルたちのライブ衣装の試着に同伴して「メ、メニアーック!」とか言って鼻血出して倒れたらしい。だから怖ぇって。

 

 

 

美波「で、でも良い人なんだよ? 私の為に凄い頑張ってくれてるし。……まぁ、ちょっと薦めてくる衣装は恥ずかしいけど」

 

八幡「えっ」

 

 

 

なん…だと……

 

そうか。新田さんのやけに露出の多い衣装はそのせいだったのか。やるじゃねぇか変態プロデューサー!

世の美波ファンを代表して、心中で賛辞を送る。

 

 

 

美波「それに、比企谷くんの事も評価してたよ? プロデューサーさん、あまり男の人の事を良く言わないから、ちょっと驚いちゃった」

 

八幡「あーそれはまぁ……」

 

 

 

というのも、新田さんのプロデューサーと初めて話したのは最近になってからだ。

 

なんでも、凛のライブに感銘を受けたらしい。

直接会いに来て、なんか凛にハァハァしていたのは記憶に新しい。凛が怯えてて可愛かったです。

 

ちなみにその時に「あなた、中々良い趣味してるわね」と言われた。

いやいやいや。アンタには敵いませんて。

 

 

俺はその時の事を思い出し苦笑する。

すると、そこで新田さんは別の話題を振ってきた。

 

 

 

美波「……比企谷くん、一つ訊いてもいい?」

 

八幡「? 何です?」

 

美波「こんなこと訊くのは、あまり良くないかもしれないんだけど……」

 

 

 

顔をしかめつつ、新田さんはおずおずと話し出した。

 

 

 

美波「私や凛ちゃんはシンデレラプロダクションのアイドルだけど、プロデューサーや比企谷くんは、その……正式には、社員じゃないよね」

 

八幡「……そう、ですね」

 

美波「だから、その……このプロデューサー大作戦っていう企画が終わったら……」

 

 

 

その続きは、言葉になることは無かった。

 

それでも、言わんとしてる事は充分に伝わっていた。

 

 

俺だって、気付いていなかったわけじゃない。

このプロデューサー大作戦という企画が終われば、俺も、新田さんと前川のプロデューサーも、

 

 

 

会社を辞めて、元の一般人に戻るのだ。

 

 

 

もしかしたら、そのまま正社員になる可能性もある。

以前に言ったように、この企画自体に選定的な意味合いがあるなら、それは決して低い可能性ではないだろう。

 

 

だがそれでも、確実な話ではない。

 

 

企画が終われば、別れがやって来る。

そう思っていた方が、きっと身の為だ。

 

 

 

八幡「……やっぱり、プロデューサーと離れるのは寂しいですか?」

 

 

 

俺がそう訊くと、新田さんは俯き、やがて小さく頷いた。

 

 

 

美波「……うん。プロデューサーさんは、私に色んなものをくれたから」

 

 

 

その言葉を聞いて、ふと凛の顔が、凛と過ごしたこれまでの記憶が蘇る。

 

色んなものをくれた。その言葉はきっと、事実だろう。

そしてそう思っているのは、彼女のプロデューサーも同じはずだ。

 

アイドルだけでなく、プロデューサーだって、大事なものを沢山貰えたのだ。

そう思ってるに違いない。直接聞かなくたって分かる。

 

俺が、そうだから。

 

 

 

美波「……比企谷くんは、どう思ってる? プロデューサーさんには訊けないけど、同じ立場の比企谷くんならどうなのかなって……」

 

八幡「…………」

 

 

 

アニバーサリーライブまで、既に二ヶ月を切った。

そしてそれが終われば、もう企画終了まで僅かな時間しかない。

 

つまり、それが凛との残された期間。

それが終われば、別れがやってくる。

 

そんな事は、分かり切っている。

 

 

 

だから、俺はーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「わからないです」

 

 

美波「え?」

 

 

 

 

 

 

俺の言葉が意外だったのか、目を丸くする新田さん。

そんな新田さんに対し、俺は言葉を続ける。

 

 

 

八幡「……いや。というよりは、考えてる余裕が無いって感じですかね」

 

美波「余裕が無い……?」

 

八幡「ええ。だって、まだ企画は終わってませんから」

 

美波「っ!」

 

 

 

そうだ。

 

確かに別れはいつか必ずやってくる。

 

 

 

でもそれは、今じゃない。

 

 

 

八幡「そりゃ俺だって思う所が無いわけじゃないです。それでも、今は凛をトップアイドルにする事だけを考えるようにしてます」

 

美波「…………」

 

八幡「まぁ、問題を先送りにしてるって言われたらそれまでですけどね。……けど俺は、凛をシンデレラガールにしたくてプロデューサーをやってるわけですから」

 

 

 

きっとこんな事、本人には言えないだろうな。

相手が新田さんだからこそ言える、今の俺の本音。

 

そしてこれはきっと、俺だけではない。

 

 

 

八幡「……新田さんのプロデューサーも、たぶん同じだと思いますよ」

 

美波「っ! プロデューサーさん、も……?」

 

八幡「ええ」

 

 

 

新田さんとプロデューサーが、二人で話しているのを見た事がある。

本当に中が良さそうで、こんな俺からでも、確かな絆があるように感じられた。

 

まるで、姉妹のように。

 

 

 

美波「そっか……」

 

 

 

そして俺の言葉を聞いた新田さんは、少しだけ晴れやかな表情になっていた。

いつもよりちょっとだけ、力強い笑顔。

 

 

 

美波「それなら、私も頑張らないとだね」

 

 

 

澱みの無いその言葉。

 

決意と言うには大袈裟かもしれない。

未だ完全に呑み込めてはいないかもしれない。

 

それでもその声には、不安を拭い去るような、そんな彼女の意志を感じ取る事が出来た。

 

 

 

八幡「……ですね。手始めにまずは、今日の仕事を片付けましょう」

 

美波「うん♪」

 

 

 

そうして、タクシーは仕事場へと向かって行く。

 

その後いくつか会話を交わしている内に気付いたが、いつの間にか普通に話せるようになっていた。

お互い、自分の胸の内を見せたおかげかもしれないな。

 

 

 

きっと、誰しもが等し並に悩みを抱えている。

それはアイドルでも、プロデューサーでも。

 

解消できたとは言えない。それでも、今この時だけは彼女を笑顔に出来た。

 

 

比企谷八幡は変わらない。

 

 

イケメンを見れば呪詛を唱えたくなるし、

 

可愛い子を見れば、どうせビッチだろうと決めつける。

 

我ながら、腐った目と性根をしているものだ。

 

 

しかし。そんな俺でも、一人のアイドルを笑顔に出来た。

 

ならやっぱり、

 

 

 

比企谷八幡という人間も、案外捨てたもんじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー 金曜 friday ー

 

 

 

 

 

 

八幡「ーー何でだッ!」

 

 

 

 

 

 

柄にもなく、叫んでしまう。

 

 

こんなに喉が痛くなる程声を出すなんて、俺らしくない。

しかしそれでも、叫ばずにはいられなかった。

 

 

 

絶対に諦めるわけには、いかなかったんだ。

 

 

 

奈緒「…………」

 

 

 

そんな俺を、酷く冷めた目で見つめる奈緒。

呆れ果てたように、どこか侮蔑を含めた視線で、ただただ俺を射抜く。

 

 

何だってんだ……

 

そんなに、そんなにいけない事なのかよ……!

 

 

 

未央「なおちん……」

 

 

 

そしてその隣では、奈緒を宥めるように声をかける本田。

どちらかと言えば、彼女は俺を擁護してくれている側だった。

 

 

 

未央「少しくらいなら、ね? プロデューサーもここまで言ってるんだし……」

 

奈緒「ダメに、決まってるだろ……」

 

八幡「ッ!」

 

 

 

だが、それでも奈緒は引き下がらない。

俺への睨みを強くし、更に畳み掛けてくる。

 

 

 

奈緒「そんなの……そんなの許されるはずがない! 例え周りが良いって言ったって、アタシが認めないっ!」

 

 

 

絶対に引かないという、奈緒の強い意志が伝わってくる。

だがな、そんなのは俺だって一緒なんだよ。

 

絶対に、引けるかーーッ!

 

 

 

八幡「いいぜ……お前が俺の頼みを聞けないってんならーー」

 

 

奈緒・未央「「ッ!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「ーーまずは、そのふざけた幻想をぶt「そろそろ本番でーす! 出演の方は準備お願いしまーす!」

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

奈緒「あ、はーい。今行きまーす」

 

未央「ごめんねプロデューサー? もう始まるし、行ってくるね♪」

 

 

 

スタッフの声が聞こえるや否や、奈緒と本田はさっきのノリから一転、何事も無かったかのようにさっさとその場を後にする。

残されたのは、ただ虚しく右拳を掲げる俺一人。

 

 

……なんでだ。

 

 

俺はその場に崩れ落ち、無様にも膝をつく。

どうしようもない想いが、溢れてしょうがなかった。

 

 

なんで、なんでーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡「なんで俺も『千葉散歩』に出してくれないんだ……!」

 

 

奈緒「いや無理に決まってるだろ」

 

 

 

 

 

 

奈緒のツッコミすら、今の俺には虚しかった。

 

わざわざ戻ってくるなよ……

 

 

 

そんなこんなで、今日の俺の仕事は奈緒と未央の番組『千葉散歩』の同行だ。

 

千葉出身の二人が、千葉の名所を紹介していくローカル番組。今最も俺の中で熱いテレビ番組だと言えよう。

ちなみに毎週録画しているのは秘密である。

 

 

 

俺が今日このロケに同行しているのは、先日奈緒たちに相談を受けた事が発端になる。

 

より身近な意見を取り入れたいという事で、出演者以外の千葉出身者からの案が欲しかったらしい。

もちろん、俺は二つ返事でOKした。むしろ心待ちにしていましたとも。ええ。

 

俺が積極的過ぎてスタッフが若干引くくらいだったが、まだまだこんなもんじゃ足りないくらいなんだよこっちは!

 

 

そしてそんな俺の意見が採用された回の収録が、今日というわけだ。

やはり原案者としては現場まで同行せねばなるまいと、半ば強いn……快諾を得てロケに付いて来た。

 

本当なら少しだけでもいいから出してほしかったが……やっぱ無理ですよねー

 

まぁ俺もダメ元だったしね。半分冗談だったしね。いやホントホント。超出たかったーーッ!!

 

 

というわけで、俺は大人しくスタッフさんと一緒に静かに見守るのでした。

 

 

 

 

 

 

未央『いやー楽しかった♪ 今日はどうだったウサミン?』

 

菜々『ナナもすっごい楽しかったです! ゲストで呼んで頂きありがとうございました♪』

 

 

 

カメラ越しに見えるのは、今日のゲストである安部菜々……さん。

既にロケも終盤で、残るはエンディングを残すのみだ。

 

 

 

菜々『いやー最近は忙しかったから、あまり帰ってこれn……あっ』

 

未央『帰って??』

 

菜々『い、いやあのそのっ、そう! ウサミン星へのワープホールが千葉にあってですね! それで……』

 

未央『そう言えばウサミン、マザー牧場行った時に、昔よく遊びに来てたとかなんとか……?』

 

菜々『ミ、ミミミン……』 ダラダラ

 

奈緒『こ、今週はこの辺で! また来週も千葉のどこかでお会いしましょう! またなー!』

 

 

 

『はーい、オッケーでーすっ!』

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

オッケーなのかよ。

 

心の中でツッコミを入れ、今日の収録は無事終了した。

いや、約一名無事じゃない気もするが。

 

なんでもファンには、このグダグダな緩い感じがウケているらしい。

まぁ、気持ちは分からんでもない。

 

 

ちなみにレギュラーは本田と奈緒。

そして順レギュラーには同じく千葉出身のデレプロ所属アイドルの、太田優に矢口美羽がいる。

 

ただ基本的には本田と奈緒の二人進行なので、たまーに太田さんか矢口がそれに参加するといった具合だ。

基本的にゲストは珍しいのだが、何故か安部さんはよく呼ばれる。ナンデダロウネー。

 

そろそろ凛もゲストに呼んでほしいものだ。

 

 

 

そんなわけでロケも終了し、場所は変わってロケバス内。

 

今日はもう上がりなので、東京の会社まで送ってくれるらしい。良いスタッフさんたちだ。

 

奈緒は疲れたのか、窓へもたれ眠ってしまっている。

安部さんは……なんか凹んでるな。そっとしておいてあげよう。

 

そんで本田はというと……

 

 

 

未央「お疲れ様プロデューサー♪」

 

 

 

何故か、俺の隣の席へと座っている。

いや、他にも席結構空いてるよ?

 

 

 

八幡「……お疲れ」

 

未央「もうプロデューサー、そこは闇に飲まれよ! くらいは言ってくれないと!」

 

八幡「お前は俺に何を求めてるんだ……」

 

 

 

からかうような笑顔で、これでもかと絡んでくる未央(比喩です)。

ロケが終わったばかりだというのに元気な奴である。ちょっと杏に分けてやれ。

 

俺が鬱陶しそうな態度を隠そうともせずにいると、それが気に食わなかったのか、わざとらしく拗ねた顔になる本田。

 

 

 

未央「あーあ、折角千葉散歩に出演出来るようにディレクターさんにかけあおうかと思ったのになー」 チラッ

 

八幡「クックック、闇に飲まれよ!」

 

 

 

そして俺は単純な男であった。

くっ、俺を即陥落させるとは。やりおるな本田。

 

 

 

未央「あはは、期待せずに待っててね」

 

 

 

そう言って笑う本田だが、俺としては期待せずにはいられない。

ぶっちゃけ俺が出演した所で一体誰得なの? と、当たり前過ぎる疑問も湧くが全力でスルー。

 

いやぁ、まさか本当にかけあってくれるとはな。マジ本田△。

 

 

内心で彼女に対し賞賛の嵐を送る。

と、そこで本田はふと、いつもとは少し違う笑みを見せた。

 

 

それは何と言うか、昔を思い出し、懐かしむような微笑み。

 

 

 

俺だって本田とはそれほど長い付き合いというわけじゃない。臨時プロデュースした事だってたかだか数回だ。

が、それでも今の表情は少し違って見えた。

 

いつもの眩しい笑顔とは違う、どこか哀愁を漂わせた微笑。

 

その見た事のない一面に、不覚ながらも一瞬目を奪われる。

 

 

 

未央「……ありがとね、プロデューサー」

 

八幡「えっ? あ、あぁ……」

 

 

 

不意に声をかけられるもんだから、思わず変な声を出してしまう。

俺は何とか取り繕い、言葉を続ける。

 

 

 

八幡「別に気にすんなよ。こんくらいなら千葉県民として当然のことだ」

 

未央「あはは、そっちじゃなくってさ。……まぁ、それもあるんだけど、それとはまた別のこと」

 

八幡「別のこと?」

 

 

 

何だろう。何かお礼を言われるような事をしただろうか。

この間凛のブロマイドあげたけど……でも代わりに凛の写メ貰ったしな。あれじゃないか。

 

 

 

未央「忘れてないよね? 宣材写真だよ」

 

八幡「宣材写真って……あの、初めて会った時の事か?」

 

未央「うんっ。しぶりんとしまむーと……私たちの、初めてのアイドル活動だよ」

 

 

 

初めてのアイドル活動。

 

確かに今にして思えば、あれが俺にとっても最初のプロデュースだった。

 

 

 

八幡「そういや、お前らが初の臨時プロデュースだったな。つっても写真撮っただけだが」

 

 

 

思わず、俺も懐かしむように思い出す。

 

あれをきっかけに、奉仕部のデレプロ支部として活動するようになったんだよな。

まぁ最初の臨時プロデュースと言っても、俺は精々見てたくらいだが。

 

しかし本田はと言うと、俺の言葉に対し首を振る。

 

 

 

未央「ううん。確かに写真を撮っただけだったけど……でも、私たちにとっては大切な第一歩だったんだ」

 

八幡「……第一歩、ね」

 

未央「うん! しまむーも、同じことを感じてると思う」

 

 

 

そう言う本田の言葉に、妙に納得してしまう。

確かに、島村なら同じような事を言いそうだ。

 

 

 

未央「そりゃプロデューサーにとっては、たくさん臨時プロデュースしてきたアイドルの一人かもしれないけど……私たちにとっては、ただ一人のプロデューサーなんだよ?」

 

 

 

俺の目を見つめて、そんな事を平然と宣う。

 

 

 

未央「たぶんこれは、臨時プロデュースしてもらったアイドルみんなが思ってるんじゃないかな」

 

 

 

そう言って、本田はまた微笑んだ。

 

 

……中学の時にこいつに出会わなくて良かったな。

危なく、勘違いで好きになってしまいそうだ。

 

 

 

八幡「……その内、お前らにも新しいプロデューサーがつくだろ」

 

未央「フフフ……実は私たちがそれを断ってるって言ったら……?」

 

八幡「えっ」

 

 

 

ニヤリ、という擬音がこれでもかと思うほど似合う表情。

いやいや、まさか、ねぇ。

 

 

 

八幡「……冗談だよな?」

 

未央「さて、どうだろうね♪」

 

 

 

いやそんな可愛く舌出しても騙されんぞ。

けどさすがに冗談だろ。あいつらがプロデューサー断ってるとか……冗談だよね? ね。

 

と、俺が悶々と深みに嵌っていると、本田が思い出したように口にする。

 

 

 

未央「そうだ、プロデューサーにお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

 

八幡「お願い?」

 

 

 

お願い。なんだろう、ついこの間もそのワードを聞いた気がする。

しかし俺が思い出す暇もなく、本田は俺に面と向かって口を開く。

 

 

 

未央「しぶりんの事、よろしくね」

 

 

 

そして言われたのは、ある意味では予想通りのものだった。

まさにデジャヴ。

 

 

 

八幡「……それ、この間も別の奴に言われたぞ」

 

未央「え、ホント? そっかぁ、やっぱり私だけじゃなかったんだね」

 

 

 

そう言う本田は、納得したように一人でうんうん頷いている。

いやどういうわけよ。

 

 

 

未央「なんだろうね。二人を見てると、頑張ってほしいなって思うというか、心配になるっていうか……」

 

八幡「オカンかお前は」

 

 

そんな親心みたいな心境で見られてたのか俺たちは。

なんとも恥ずかしいものである。

 

 

 

未央「まぁそういうわけで、よろしくお願いね。それと……」

 

 

 

スッ、と。不意に右手が差し出される。

それは小さく奇麗な本田の手で、握手を求められているという事に気付くのに数瞬かかった。

 

 

 

未央「私たち臨時アイドルの事を、これからもよろしくね♪」

 

八幡「…………おう」

 

 

 

それは、これからも奉仕部として頑張ってくださいという意味でいいのだろうか。

そう思うと中々に複雑な心境であったが、まぁ、ここは良しとしておこう。

 

ただ恥ずかしいものは恥ずかしいので、握手した後はすぐに手を離した。

やべぇな。手汗とか大丈夫だろうか。

 

 

とりあえず、平静を装って話題を変える。

幸いにも、到着まで間もなくだ。

 

 

 

八幡「ほら、そろそろ着くぞ。安部さんは……なんかブツブツ言ってるから起きてるな。本田、奈緒のこと起こしてやってくれ」

 

未央「むむむ……」

 

 

 

と、ここで何故かしかめっ面の本田。

 

 

 

未央「プロデューサー、もっかい言ってくれる?」

 

八幡「あ? いやだから、奈緒を起こしてくれって…」

 

未央「じゃなくて、もっかい呼んでみて」

 

八幡「呼んでみろって…………本田?」

 

 

 

俺が若干困惑気味に呼ぶと、本田はあからさまに肩をすくめながら溜め息を吐く。

今にもやれやれだぜと言いそうな雰囲気だ。何だオイ。

 

 

 

未央「そうかぁ……やっぱり私としまむーは、まだその段階まで達してないって事か。道のりは長そうだなぁ……」

 

八幡「何の話だ?」

 

 

 

一人でブツブツ言っている本田に俺が訊くと、一度だけこっちをチラッと見る。

そしてその後、フッと鼻で笑う。え、何この子。

 

 

 

未央「あーいいよいいよ~その感じ。正にラノベ主人公って感じ? きゃーモッテモテー☆」 ふっふー♪

 

八幡「バカにしてんだろオイ」

 

 

 

その後ヒートアップした会話のうるささで奈緒が起きるのだが、まぁ手間が省けたという事にしておこう。

スタッフさんには迷惑をかけたので、後で菓子折りでも送っておく。

 

 

けど、今日はやっぱ同行して良かったな。

 

 

こうして臨時プロデュースしたアイドルたちの現状を知れるという意味では、貴重な機会だ。

もちろん、本人たちの前では口が割けても言わんがな。

 

 

しっかし、本田には困ったもんだ。どっちが鈍感なのやら。

 

 

 

………………改めて呼び方変えるの、恥ずかしいだろ。察しろっつーの。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー 土曜 saturday ー

 

 

 

東京都内にそびえ立つ一つのビル。

 

 

総勢200人以上ものアイドルと社員を抱える、ご存知シンデレラプロダクションだ。

 

その姿はコンクリートジャングルの景観の中、周りにとけ込み過ぎる程にとけ込んでいる。

しかしそれは如何せん地味という意味であり、別に立派だとか、外観が美しいとかいう意味ではない。

 

しかも一階は喫茶店。小奇麗で良い店ではあるのだが、それがまた芸能プロダクションらしさを打ち消しているような気もする。

コーヒーも美味いし、ウェイトレスさんも可愛い。けれど、何だか締まらない。ちなみに可愛いウェイトレスさんはこの間社長にスカウトされてアイドルになりました。もう提携でも結んどけ。

 

 

だがそんな何とも言えないうちの会社も、その地味さから未だファンからあまり場所が特定されていない。

いや、ホームページとかに普通に住所は載っているんだけどな。ファンが押し掛けてきたりもあんましない。

 

たぶん実際にアイドルに会いに来ても「あれ? ここであってる、よな……?」とかってなって、いまいち確信が持てないのかもしれない。やったね。良いカモフラージュになってるね。

 

 

とまぁ、そんなお世辞にも豪華な装いとは言えないシンデレラプロダクション本社だが(別に支店とかは無い)、それでも俺は評価している点はある。

 

 

例えば、冬場はコタツが出る。今はソファーだが、これも中々良い。時系列とかは気にしちゃいけない。

休憩所は奪い合いになるからな。杏あたりに奪われると5時間は動かない事を覚悟せねばならない。でも俺が座ってると皆座ろうとしなくなるんだよね。不思議ダネ。

 

 

例えば、嫌な上司がいない。というか、俺は一般Pだから直属の上司がそもそもいない。金銭面にがめつい事に目を瞑れば、奇麗な事務員さんはいるよ。

ちなみによく求人票とかに「アットホームな職場です!」とか書いてあるけど気をつけろよ。あれは嘘だ。

 

 

そして俺が最も評価している点。それは……

 

 

 

 

 

 

ガコンッ、と。一本の缶が取り出し口に落ちてくる。

 

 

 

その黄色く細長い。特徴的な缶。

俺のマイフェイバリットドリンク。

 

 

 

八幡「やっぱこれだね。MAXコーヒー」

 

 

 

一口飲み、口の中いっぱいに広がるその甘さ。

こいつを買える自販機が置いてあるんだから、分かってる会社だぜ。

 

心の中でサムズアップをし、社内へと戻るのであった。

 

 

……外に無ければもっと良いんだがな。

 

 

 

今日は土曜日。

 

一般Pとしてこの会社へやってくる前であれば、今頃は家で休日を満喫していただろう。

 

だが、今では立派な社畜。

当時の俺からすれば、目を疑うような状況だ。

が、それに慣れてしまったのだからそれが一番恐ろしい。

 

階段を上りながらそんな事を考えていたら、心なし足が重くなっていうような気がした。

やべぇな、俺もう歳じゃね? アンチエイジングしなきゃなんじゃね? 平塚先生なんじゃね? ……いや、俺はまだ大丈夫だな。

 

そんな失礼な事を考えて少し楽になり、俺は会社への扉を開く。

 

 

会社の中へと戻ると、そこにはソファーでくつろぐアイドルの姿が。

 

一応言っておくが、杏ではない。

 

 

 

美嘉「おっ、プロデューサーじゃん。お疲れ~★」

 

卯月「お疲れ様です、プロデューサーさん♪」

 

 

 

こちらを見るやヒラヒラと手を振ってくる美嘉に、ペコッと軽く礼をしてくる島村。

この組み合わせがいるって事は……

 

 

 

八幡「お疲れさん。お前らはデレラジの収録帰りか?」

 

美嘉「そ、今さっき帰ってきた所」

 

卯月「今日も楽しかったです」

 

 

 

満面の笑みの島村。

 

その反応を見れば、建前とかではなく本当に楽しかった事が伝わってくる。

うむ。仕事を楽しめるというのは良い事だ。杏に爪の垢でも煎じて飲ませたれ。

 

 

 

八幡「…………」

 

 

 

しかし、あれだな。

このメンバーだと、ついついアイツがいないかと思っちまうな。

 

そんな事はありえないと分かっていつつ、俺はなんとなしに空いたソファーを見てしまう。

そしてふと、視線を戻した時に美嘉と目が合った。

 

 

 

美嘉「? 凛ならいないよ?」

 

八幡「……いや、知ってるが」

 

 

 

え、なに。今の視線の動きだけで察したの?

 

 

 

八幡「そんなこと言われんでも、あいつのスケジュールくらい把握してる」

 

美嘉「ふーん? まぁ別にいいけどさ。なんか凛いないのかなーって顔してたから」

 

八幡「なに言ってんだ。しちぇるわけねーだろ」

 

卯月「かみかみですね」

 

 

 

女の勘って怖い。

改めてそう思いました。

 

 

 

ちなみに今頃凛は海の向こうへ行っているだろう。いや、別に世界レベルさんとかじゃなく。

 

今回は輝子と一緒に海外ロケ。あの例のキノコ採取番組のゲストとかで、輝子が嬉しそうにしていたのを思い出す。

それに対し凛の表情は複雑そうだったがな。南無三。

 

 

 

八幡「そういや、凛がいない代わりに代行としてデレラジに一人付くって聞いたが、誰だったんだ?」

 

卯月「ちひろさんですよ」

 

八幡「…………は?」

 

 

 

え? 今なんて言った?

 

 

 

八幡「鬼?」

 

美嘉「いやだから、ちひろさん」

 

八幡「あ、そうか悪魔か。なに、蘭子の奴ついに召還術でも会得したのか」

 

卯月「そろそろ怒られますよ?」

 

 

さすがに呆れたように笑う島村。

いやだって、ねぇ?

 

当然アイドルが代わりに出ると思ってたのに、まさかの事務員ちひろさん。

いや、確かに美人だけどね? 確かにサトリナボイスだけどね?

 

さすがにこれは予想外である。

 

 

 

美嘉「スケジュール的に代わりに出てくれそうなアイドルがいなくってさ。もうこの際アイドルじゃなくてもいいかって話になって」

 

卯月「そこで、普段お世話になってるデレプロ関係の人ってことで…」

 

八幡「ちひろさんが選ばれたわけ、ね」

 

 

 

まぁ確かにアイドル以外でとなれば無難な選択と言えるな。

アニメのラジオとかでも原作者や監督が呼ばれるのは多々ある事だ。面白いかどうかは別として。

 

 

 

八幡「けど、よくちひろさんもOKしたな」

 

 

 

断言は出来ないが、あの人はあまり目立つのは好きそうにないと思ったんだがな。

俺の疑問に、美嘉は何とも言えない表情をする。

 

 

 

美嘉「あー……ちひろさんもね、最初はしぶってたんだけど…………お給料を弾むよって社長に言われたら…」

 

卯月「快く引き受けてくれました♪」

 

八幡「さすが、さすがだちひろさん……!」

 

 

 

やっぱブレねぇなあの人は!

もはやここまでくれば、平塚先生とは別の意味で心配になってくる。誰か早く養ってあげてよぉ!

 

 

 

美嘉「でも今思えば、プロデューサーでも良かったかもね」

 

八幡「は?」

 

 

 

不意に零れた、美嘉の思いついたようなその発言。

俺でも良かったって、それはつまりデレラジのゲストって事だよな。

 

 

 

卯月「あ、それもいいですね! どうですか? プロデューサーさんもその内ゲストととして出演するというのは」

 

八幡「いや、無理だろ。普通に考えて」

 

 

 

一体何を妙案みたいな感じで言っているんだコイツらは。

俺が? ラジオのゲスト? どう考えたってあり得ないだろ。

 

 

 

八幡「十時のプロデューサーとかならともかく、俺みたいな捻くれ卑屈プロデューサーの話聞いたってなんも面白くないだろ」

 

美嘉「あ、自覚はちゃんとあるんだ」

 

 

 

今この子サラッと酷い事言いませんでした?

いや自分で言った事だから別に良いんだけどさ。

 

 

 

美嘉「んーでも、プロデューサーの話もそれはそれで面白いと思うけどなぁ」

 

卯月「そうですよ。前のライブの時みたいに、凛ちゃんの魅力を沢山話してくれれば!」

 

八幡「もうその話はよしてくれ……」

 

 

 

そういやこいつ総武高校のライブ見に来てたんだったな。

確かにあれのせいで俺の事を知ってる一部の奴らはいるかもしれんが、それでもほんの一握りだ。需要があるとは思えん。

 

 

 

八幡「大体、そのせいでリスクを増やす必要もない」

 

卯月「リスク、ですか?」

 

八幡「俺と凛の事だよ」

 

 

 

決して多くはないだろうが、それでもつまらない因縁をつけてくるファンは少なからずいるだろう。

つまり、俺と凛の関係を勘繰る奴らだ。

 

 

 

八幡「アイドルのファンって奴は、少しでも男の陰を見ると疑ってかかるもんなんだよ。俺みたいな若い男が凛のプロデューサーだと広めて、いらん誤解を招くのも面倒だろ」

 

美嘉「はーなるほどね。そういう事もあるのかぁ」

 

 

 

よくブログやらツイッターで「弟と~」とか言ってるアイドルがいるが、あんなん疑ってくれと言ってるようなもんだ。どんだけアイドルの皆さんは弟と仲良いの? 弟とそんなしょっちゅう遊びに行くの? 絶対嘘だろ。ただしやよいちゃんには当て嵌まらないがな!

 

 

 

八幡「お前らも気をつけろ。不用意に男の名前とか出すなよ」

 

美嘉「心配しなくても、そんな相手いないよ」

 

卯月「……」

 

 

 

俺の忠告に対し、美嘉とは違い島村は俯き無言のままだった。

え、もしかしてそういう相手いんの?

 

俺が若干不安になっていると、突如軽快なメロディがその場に流れ出す。

恐らくはケータイの着信。もちろん俺ではない。

 

 

 

美嘉「あ、ごめんアタシだ。……って、嘘!? もうそんな時間!?」

 

卯月「美嘉ちゃん?」

 

美嘉「ゴメン卯月、プロデューサー! アタシ莉嘉の迎え行かなきゃだから、もう行くね!」

 

 

 

言うや否や、美嘉はカバンを引っ掴むと慌てて事務所を後にした。

大方、莉嘉からの催促のメールでも来たのだろう。相変わらず仲の良い姉妹である。

 

 

 

八幡「ったく、あんな変装も碌にしないで帰りやがって。もう少しは自分の知名度を自覚しろよな」

 

卯月「そ、そうですね。あはは……」

 

 

 

俺の呟きに対し、島村は言葉を返すもどこかぎこちない。

……なんなんだ一体。

 

いつもの天真爛漫を絵に描いたような島村を知っている為、今の状態はどうもやり辛い。

やっぱ、さっきの話が原因か?

 

まぁそうだとしても、俺にはどうする事も出来ないし、どうしようとする気もない。

仮にそんな相手がいた所で、それは島村の問題だ。俺がどうこう言う理由もないしな。

 

あくまで俺は、凛のプロデューサーだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふとーー

 

 

 

そこで、一瞬だけ頭を過った。

 

 

 

 

 

 

もしも。

 

 

 

もしも凛に、そんな相手がいたら?

 

いる事を知ってしまったら?

 

 

 

そんな考えが一瞬だけ思い浮かんで、そして、直ぐに頭から追いやった。

 

そんな事を考えた所で、意味は無い。

例え現実逃避だと言われようと、その時に考えればいい事だ。

 

 

 

だから。

 

 

 

 

 

 

だから、一瞬胸の内に宿った黒い感情は、気のせいだ。

 

 

 

きっとこれも、ただの気の迷いで、無視していい感情だから。

 

 

 

 

 

 

八幡「お前も気をつけて帰れよ」

 

 

 

そう一言だけ言い残し、俺は事務スペースへと戻る事にする。

余計な事に気を割く余裕は無い。さっさと事務処理を終わらせて、今日は帰って寝るとしよう。

 

 

 

卯月「ーープロデューサーさん」

 

 

 

だが、そんな俺を島村は呼び止めた。

 

振り返り、島村へと視線を向ける。

その表情は、以前として暗いままだった。

 

 

 

八幡「どうした?」

 

卯月「プロデューサーさんは、さっき自分はラジオには出ない方が良いって言いましたよね」

 

八幡「……ああ」

 

卯月「私は、そうは思いません」

 

 

 

そう言った島村の顔は、さっきまでの暗い表情から一転、強い意志を感じさせるものとなる。

まるで俺の言葉は間違っていると、そんな想いが込められているように見えた。

 

 

 

卯月「プロデューサーさんは凛ちゃんのことを大事にしてて、いつだって一生懸命にプロデュースしてて、だからきっと、ファンの皆さんも分かってくれるはずです。だって」

 

 

 

だって、私がそうだからーー

 

島村は、そう言った。

 

 

けれどそれは、都合の良い理想だろう。

エゴと言ってもいい。自分の考えが、全て周りに分かってもらえるなど勘違いもいいところだ。

 

 

彼女は優しい。

 

優しいから、それだけに他の者とは違う。

 

 

皆そんな風にはなれないんだ。

そんな風に優しくなれないから、彼女の優しさは特別で、分かってもらえない。

 

そうあれたらいいとは思う。

けどきっと多くの人は、思うだけなんだ。

 

 

だから俺は、ゆっくりと首を振った。

 

 

 

八幡「……悪いな。お前がそう言ってくれても、皆そうじゃないんだよ。諦めてくれ」

 

卯月「そんな……」

 

 

 

あからさまに落ち込んだ様子の島村。

こいつも本田も、どうしてこんなに気遣ってくれんのかね。

 

 

 

八幡「……けどまぁ、その言葉はありがたく受け取っとくよ」

 

 

 

らしくもなく、フォローを入れてしまう。

そんな顔をずっとされてたんじゃ、こっちの気が滅入っちまうからな。

 

それで幾分かは立ち直ったのか、島村はコクンと頷いた。

 

未だ納得はしていない様子だったが、それでも折り合いはつけられたようだ。

やがて島村を顔を上げ、口を開いた。

 

 

 

卯月「じゃあ、これだけは言わせてください」

 

 

 

ここに来て、一体何を言うというのか。

俺は少々身構えつつ、島村に聞き返す。

 

 

 

八幡「なんだ?」

 

卯月「あの時は、ありがとうございました」

 

 

 

そう言って、島村は頭を下げた。

いきなりの行動だったので、俺は思わずぎょっとする。

 

 

あ、あの時? あの時ってーと、やっぱ初めて臨時プロデュースした時の事か?

昨日の本田との会話を思い出し、その件だろうと見切りをつける。

 

だが、実際はそうではなかった。

 

 

 

八幡「あ、あぁ。宣材写真の時の事か? 別に礼を言われるようなことは…」

 

卯月「それもありますけど……私が言ってるのは、個性の話の時のことです」

 

 

 

そう言って、島村は微笑んだ。

 

個性の話……?

そういえば、何かそんな話をした事もあったような無かったような……

 

 

俺が首を捻っていると、島村は胸に手を当て、目を閉じ、思い出すように呟いた。

 

 

 

卯月「『お前が普段通りに振る舞って、普段通りに笑っていれば、それはもうお前の個性で、魅力なんだよ』……って、プロデューサーさん言ってくれましたよね」

 

八幡「……俺、そんなこっぱずかしい事言ったのか?」

 

卯月「はい♪」

 

 

 

嫌になるくらいの笑顔だった。

 

 

 

八幡「悪い、よく覚えてない……」

 

卯月「いいんです。何気ない会話の中だったですし、あの後色々あったみたいですから」

 

 

 

「でも……」と、島村は続ける。

 

 

 

卯月「あの時、ああ言ってくれたから私は自信が持てたんです。私は、私のままで良いんだって。私のままで頑張れば、それが魅力になるんだって」

 

八幡「……」

 

卯月「だから、ありがとうございます」

 

 

 

そうして、島村はまた笑った。

 

 

その言葉を聞いて、俺は素直に受け取る事が出来なかった。

 

正直に言えば、買い被りもいい所だと思う。

実際俺はよく覚えていないし、その時大した意味も無くそう言ったんだろう。

 

けれど、島村はそれでもいいと言うだろう。

そんな事はどうでもよく、自分が元気付けられたのだと。

 

彼女は、そう言ってくれる。

 

 

いつだったか、「自分の言葉に責任を持て」と言われた事がある。

プロデューサーという仕事は、正にその言葉の通りなのではないだろうか。

 

 

俺の発言が、その言葉が。

 

アイドルという他の誰かの糧ともなり、枷ともなる。

 

だから、責任を持たなければならない。

 

 

その言葉に。

 

 

 

八幡「……ラジオは無理だ」

 

卯月「え?」

 

八幡「ラジオは無理だが…………まぁ、雑誌のインタビューくらいなら、まだいいかもな」

 

 

 

俺は明後日の方向へ視線を向け、言う。

 

 

 

八幡「俺なんかがプロデューサーをやってるって、わざわざ伝える必要もないけどよ。それでもまぁ、俺がプロデューサーだって知られて、お前らが恥ずかしくないような奴には、なろうと……思う…………なれたらいいなぁ」

 

 

 

最後の方はちょっと願望になってしまったが、今はこれが精一杯。

何より、恥ずかし過ぎる。

 

 

 

八幡「……お前らが胸を張れるようなプロデューサーになるから…………それまで待っといてくれ」

 

 

 

もう聞こえないんじゃないかというくらいの小声で、なんとかそこまで言葉に出来た。

なんぞこれ。何の羞恥プレイ? 絶対帰ったら枕に顔埋めて足パタパタコースだよ……

 

 

そして島村はと言えば、最初はぱちぱちと目を瞬かせていたものの、その後すぐに笑顔になり、元気に応えた。

 

 

 

 

 

 

卯月「ーーはいっ♪」

 

 

 

 

 

 

ほんと、これだから優しい女の子はダメなんだ。

 

柄にもなく頑張ろうとか考えちゃってるのだから、我ながら情けない。

 

 

 

八幡「じゃ、じゃあ俺はまだ仕事が残ってっから」

 

 

 

とりあえずこの場に留まるのは限界だったので、俺は逃げるようにそそくさとその場を後にする、

が、島村は尚も着いてくる。

 

 

 

卯月「あっ、プロデューサーさん! それともう一つお願いがあって…」

 

八幡「どうせ凛のことだろう」

 

卯月「え! なんで分かったんですか!?」

 

八幡「そのくだりはもう既にさんざんやった」

 

 

 

というかなんで着いてくるんですかねぇこの子は!

 

 

その後もうっかり島村と呼んでしまったせいで、本田の時みたく名前呼びがどーのという話になってしまった。

いい加減俺に仕事をさせてくれ。いややりたくはないんですけどね!

 

……でも、淹れてくれたお茶は美味かったな。

 

最近、俺の思考回路が単純になってきている気がする。

 

 

 

全くもって、アイドルというのは面倒くさい。

誰よりも面倒くさい俺が言うのだから、きっと間違いないんだろう。

 

けどそれ以上に、彼女たちは純真で、懸命で、本物だ。

 

誰よりも腐った目の俺が言うのだから、きっとそれも、真実なのだろう。

 

 

だから俺は今日も、プロデューサーとして仕事をし、家に帰って休息を取る。

 

明日は日曜日。相も変わらず休みは無いが、一週間も明日で終わり。

 

 

明日を乗り切れば、凛とも、また会える。

 

 

会社を出て、階段を降りる。

自販機の前を通り過ぎようとして、ふと立ち止まる。

 

俺は財布から小銭を取り出し、MAXコーヒーを買う。

 

 

一口飲めば、その甘さが、一日の疲れを癒してくれるようだった。

 

 

 

……なんだ、やっぱ良い会社じゃねぇか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー 日曜 sunday ー

 

 

 

「「「かんぱーいっ!」」」

 

 

 

グラスとグラスがかち合う、軽快な音が響き渡る。

 

僅かに飛び散る冷たい雫。

一息にあおれば、乾いた喉を潤してくれる。

 

見れば、皆一様に思わず声を漏らしていた。

やはり仕事終わりのビールというのは、格別らしい。

 

……まぁ、俺はソフトドリンクなんだがな。

 

 

場所は都内にあるとある居酒屋。

どこか昔懐かしいオープンな店構えで、席と席との間にも僅かな仕切りしかない。

 

至る所からワイワイと賑やかな声が聞こえ、時たま耳を塞ぎたくなる程の笑い声も飛んでくる。

まさにTHE・居酒屋といった印象。正直静かな店の方が好みではあるが……まぁ、たまにはこういった店も悪くはない。

 

 

時刻は8時を回った所。

 

無事に会社での仕事を終え、俺は大人組の打ち上げへと付き合わされていた。

一応言及しておくが、俺は断った。断ったのだが、それは特に意味を成さなかった。何故だ。

 

座敷の席でテープルを囲む4人。

 

 

 

楓「今日はお疲れさま。比企谷くん」

 

八幡「え、ええ。楓さんもお疲れさまです」

 

 

 

俺の隣で美味しそうにお酒を飲んでいるのは高垣楓さん。

おちょこで熱燗を飲むその姿は、何とも様になっている。

 

しかし、今日は酒場放浪記のロケ終わりと聞いたんだが、まだ飲むのかこの人は……

 

 

 

ちひろ「ぷはー! 店員さん、生おかわりお願いします!」

 

 

 

そして楓さんの前、俺の斜め向かいに座っているのはご存知千川ちひろさん。

勢いよくビールを空にし、なんかもう既に顔が赤い。もしかしてこの人お酒弱いのか?

 

 

そしてそして、問題なのがこの人。

俺の目の前に座る良く見知ったこの人物。

 

 

 

平塚「いやーやっぱ仕事終わりの一杯は最高だなぁ……比企谷、お前も働くようになったから分かるだろう?」

 

八幡「いや、俺ウーロン茶ですし」

 

 

 

我が担任であり、元祖奉仕部顧問、平塚教諭である。何故またいるし……

 

なんでも元々ちひろさんと飲む約束をしていたらしく、そこに丁度帰ろうと思っていた俺が通りかかりさぁ大変。もうなすがままです。途中ロケ終わりの楓さんをお供に、居酒屋へと乗り込むのでした。だから何でだよ。

 

 

そしてその平塚先生はと言うと、ビールを始め次ぎ次ぎにお酒を飲んでいる。

 

もの凄い勢いでハイボールをおかわりし、煙草をくわえるその姿はまさにオッs……あ、いえ。なんでもないです。

やべぇな、今スゲー眼光で睨まれた。声に出てた?

 

 

とまぁ、今日はこのようなメンバーでお送りしている。

いつぞやのラーメン一行だな。もしかしてこの後また行くのか?

 

と、俺がそれなら腹開けとかないとなーとか考えていると、楓さんが肩をつついてくる。

出来ればその仕草はやめて頂きたい。なんかこう、色々くるものがある。

 

 

 

楓「比企谷くん、今日は会議に出ていたみたいだけど、何を話していたの?」

 

八幡「あぁ、アニバーサリーライブの事ですよ。もうあまり日もありませんから」

 

 

 

思い出すは、今日行われたプロデューサーと会社の上役による会議。

 

ライブの概要や、会場準備、演目の確認、音響や衣装の事までとにかく打ち合わせを行った。

 

まぁ、基本的には一般Pはサポートが主な内容になるがな。

会社の正式なプロデューサーたちが中心となり、ライブを形にしていくといった所だ。

 

さすがに一年もたたない一般Pたちでは、不安も大きいからな。当然と言えば当然である。

もっとも、もう既に大分形にはなっている。後はライブに備え、滞りなく準備していくだけだ。

 

 

 

八幡「慣れない事ばっかりで、正直てんやわんやですけど……まぁ、なんとかなるでしょう」

 

平塚「ほう? 君も言うようになったじゃないか」

 

 

 

そう言って平塚先生はもう一杯ハイボールを頼む。

つーかそれ何杯目だアンタ。隣のちひろさんなんてもう既に眠そうだぞ……

 

 

 

八幡「ちひろさん、あんま飲み過ぎない方がいいですよ。明日も仕事でしょう」

 

ちひろ「ら~に言ってんれすか……これくらい大丈夫ですっ!」

 

 

 

ビシッと何故か敬礼するちひろさん。ダメだこいつ…早くなんとかしないと……

 

 

 

ちひろ「それに、さすがに全員揃うまでは帰れませんよ~」

 

八幡「は?」

 

 

 

全員揃うって……え? なに、まだ増えるの?

てっきりこれでフルメンバーだと思っていた俺は思わず面食らう。

 

 

 

楓「それでしたら、もう少しで到着するってさっきメールがありました」

 

 

 

ケータイを見ながら言う楓さん。

だから、一体誰が……

 

そう声を出そうとした時だった。

 

その人の声が聞こえてきたのは。

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

 

 

八幡「ッ!? 由比…が…はま……?」

 

 

 

 

 

何処かデジャヴを感じるこの展開。

 

声のした方に振り返る。

が、そこにいたのは、もちろん由比ヶ浜結衣ではなかった。

 

 

 

「あら、あなたが比企谷くん? はじめまして。川島瑞樹よ」

 

 

 

そう言ったのは、20代……恐らく後半の、大人の女性であった。

 

例によって、とびきり美人の。

 

 

 

瑞樹「隣、いいかしら?」

 

八幡「え? あぁ、どうぞ……」

 

 

 

いやよくねーだろ!

なに、俺の隣座んの? いやちょ、平塚先生の隣も空いてますよ!

 

しかし俺の心の中の叫びも虚しく、川島さんは隣に座ってしまった。

 

いやそんな事よりも、俺が驚いたのは……声だ。

 

 

 

……由比ヶ浜そっくりですのだ。

 

 

 

楓さんの時もそうだったが、思わずアテレコしてんじゃないかっていうレベル。

まぁよく聞けば違いもあるのだが、やはり根本的に声質が似ている気がする。

 

なんというか、大人になった由比ヶ浜? ってな感じだ。

実は由比ヶ浜の母お……お姉さんだったり? さすがにねーか。

 

 

 

楓「前の仕事が長引いていたんですか?」

 

瑞樹「ええ。ちょっと撮影が中々終わらなくてね……でも、その分お酒が美味しくなりそうだわ」

 

楓「ふふ……最初はビールにしますか?」

 

瑞樹「そうね。楓ちゃん、店員さん呼んでもらえる?」

 

楓「はい♪」

 

八幡「…………」

 

 

 

頼むから、俺を挟んで会話をするな!

 

 

なんなんだこれは……

穏やかになった雪ノ下と、大人っぽい由比ヶ浜が会話してる……ようにしか聞こえん。

 

しかも会話の内容があの二人では絶対しなさそうなものなので、余計に違和感を感じる。

どうしよう、録音してあの二人に聞かせてやりたい。

 

 

実際、川島さんの事は前々から知っていた。

うちのアイドルたちの中でも有名な方だし、何度か見かけた事もある。

 

しかし、声をちゃんと聞いたのは今回が初めてだ。

まさか、ここまで由比ヶ浜と似ているとはな。

 

 

と、ここで何処か不穏な空気を感じる。

それは俺の前の席。平塚先生からのものだった。

 

その目は真剣で、真っ直ぐに川島さんへと向かっている。

 

 

 

平塚「……はじめまして。そこの比企谷の担任の平塚です」

 

瑞樹「っ! ……こちらこそ。川島です」

 

 

 

そして対する川島さんも、真剣な表情で相対する。

お互いがお互いを、睨むように見据えていた。

 

え? 決闘でも始まるの? と戦々恐々とする俺。

 

 

しかし、その緊張感も長くは続かなかった。

 

二人は無言で動かなかったと思うと、瞬時に右手を差し出し合う。

 

 

それは別に突きを放ったわけではない。二人は差し出した合ったその手で……

 

 

 

 

 

 

熱い熱い、握手を交わした。なんだこれ。

 

 

 

 

 

 

平塚「何か、あなたとは通じ合うものを感じました……!」

 

 

瑞樹「わかるわ。あなたも、苦労なさっているようで」

 

 

 

うんうんと頷き合う二人。

心無しかさっきよりもイキイキして見える。あれですかね。アラサー同士だから通じる何かなんですかね。

 

そしてそんな場を収めるはちひろさん。どうやらお酒が来たようだ。

 

 

 

ちひろ「まぁまぁお二人とも座って♪ ビールが来たので、また皆で乾杯をし直しましょう! それじゃ、せーの…」

 

 

 

 

 

 

「「「かんぱーいっ!!」」」

 

 

 

 

 

 

だから俺、ウーロン茶なんですけど。

 

 

 

とまぁ途中茶番もあったりしたが、なんだかんだ楽しく飲んでいるようだった。

 

そしていくつか話が弾んだ後、川島さんがふと思い出したように言った。

 

 

 

川島「そう言えば、今日は凛ちゃんは来れなかったの?」

 

八幡「凛、ですか?」

 

 

 

日本酒を飲みながら、話すその姿は、何処か色っぽい。

ちょっとだけ目を逸らしつつ、俺は質問へ応える。

 

 

 

八幡「ちょっと3日前から海外ロケへ出てまして。今日の夜帰ってくる予定ですけどね」

 

瑞樹「そう、久しぶりに合いたかったわね」

 

 

 

残念そうに言う川島さん。

 

この人も結構飲んではいるはずだが、あまり大きな変化は見られない。

たぶん楓さんタイプで、お酒には強いんだろうな。ちなみにちひろさんは既にネクタイが頭に巻いてある。

 

 

 

瑞樹「……これは余計なお節介かもしれないけれど、ひとついいかしら?」

 

 

 

不意に、川島さんが真面目な表情になる。

その顔を見て、なんとなく俺もふざける場面ではない事を悟り身構える。

 

 

 

八幡「……なんでしょうか」

 

瑞樹「あまり、気を張りすぎないようにね」

 

八幡「…………はい?」

 

 

 

思わず変な声を出してしまった。

気を張りすぎ……と言っても、特にそんな事もないのだが。どういう意味だ?

 

俺がよく分かっていないのが伝わったのか、川島さんはクスリと小さく笑い、もう一度口を開く。

 

 

 

瑞樹「プロデュース業のことよ。二人はうちの会社じゃ何かと有名だから、色々と話を聞く内に少し気になってね」

 

 

 

苦笑しながら言う川島さん。

有名、という言葉に多少引っかかりを覚えるが、とりあえずは聞きに徹する。

 

 

 

瑞樹「奉仕部が多くの成果を上げているのはとても凄い事だと思うわ。けど、比企谷くんは一般プロデューサーの中じゃ特に若い方じゃない? だから、無理に思い詰めているんじゃないかと思ってね」

 

八幡「…………」

 

 

 

そんな事はない、と言いたい所だが、実際はどうなのだろうか。

 

俺が気付いていないだけで、本当は俺は色々と溜め込んでいるのかもしれない。

確かにハッキリと否定は出来ない。それだけ、最近は色んな事があり過ぎた。

 

 

 

瑞樹「相手を……凛ちゃんを信用するのは良い事だけど、それだけに見えていない部分が見えた時が怖いのよ」

 

八幡「見えて、いない部分……」

 

瑞樹「そう。あなたと凛ちゃんは強い信頼で結ばれてるように思うけど、それが逆に心配でもあるの」

 

 

 

信頼で結ばれてるとは、またえらい大袈裟な表現を使うものだ。

だが、川島さんは本気で俺に忠告をしているようだ。

 

その顔を見れば、分かる。

 

 

 

瑞樹「その信頼がある故に、何かあった時の結果が怖い。……まぁ、そう感じてるのは私くらいかもしれないけどね」

 

 

 

そう言って、川島さんはお酒に口を付けた。

 

 

何かあった時、ね。

 

その何かが何を意味するのかは分からないが、それでも、確かに川島さんの言う事は妙に納得出来た。

今のような関係も、環境も、状況も、いずれは変わって、無くなってしまう。

 

それが何かのきっかけによるものなのか、はたまた自然に瓦解するようなものなのか。それは分からない。

 

 

その時、俺と凛はどうなってしまうのか。

 

 

考えても仕方のないことだと分かっていても、頭を過ってしまう。

それはきっと、決して避けては通れない道だろうから。

 

とりあえず今は、川島さんの言葉を素直に受け取っておく事にした。

 

 

……つーか、また凛との事を心配されてんのか。

一体全体、皆して何だと言うのか。さすがに心配し過ぎィ!

 

 

 

楓「ふふ……私も負けていられませんね」

 

 

 

隣にいた楓さんが、俺へと意味ありげな視線を向けてくる。

そうだ。楓さんも川島さも、仲間でありライバルなのだ。

 

なので、俺も受けて立つように言葉を返す。

 

 

 

八幡「そうですよ。うっかりしてたら、俺が凛をシンデレラガールにしますんで」

 

 

 

俺のやや挑発的なその発言に、何故か平塚先生がニヤリと笑う。

 

 

 

平塚「なら、こんな所でのんびりしている暇は無いんじゃないのかね?」

 

八幡「は?」

 

平塚「さっきから、時計ばかり気にしてるじゃないか」

 

 

 

ぎくっ。

 

な、何でそんな事が分かんだよ……

確かに見てはいたが、気付くような素振りは見せなかったぞ?

 

 

 

平塚「確か、君の担当アイドルは今日帰ってくるんだったよな?」

 

八幡「…………」

 

平塚「何時の便だね?」

 

八幡「……21時です」

 

 

 

そう言うと、平塚先生はまた笑った。

 

 

 

平塚「なら行きたまえ。今からならまだ間に合う」

 

八幡「は!?」

 

 

 

いや間に合うって、空港までって事ですのん?

 

 

 

八幡「いやでも、どうせ後で会えるし、わざわざ仕事終わりに会わなくても……」

 

平塚「何を言う」

 

 

 

俺の言葉に、平塚先生はちゃんちゃらおかしいと笑う。

その姿は、正に威風堂々とした様子だ。

 

 

 

平塚「仕事以外で会っちゃいかんと誰が決めた? アイドルとプロデューサーである前に、君たちは人と人だろう?」

 

 

 

やだカッコイイ。惚れそう。

俺が思わず呆然としていると、ちひろさんがそれにならう。

 

 

 

ちひろ「今日は私たちの奢りですから、気にせず行って来てください♪」

 

 

 

左右を見れば、楓さんも川島さんも笑顔で頷く。

……これ、もう行かなきゃいけないパターンじゃね?

 

 

 

八幡「…………ハァ、わかりました」

 

 

 

俺は立ち上がり、荷物をまとめてその場を後にする。

帰り際、残った4人に向かって頭を下げた。

 

 

 

八幡「ゴチになります」

 

 

 

どうしてこうも、大人ってのは粋な事をしてくれるのかね。

 

4人の生暖かい視線を背中に受け、俺は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩く、歩く。

 

普段来る事の無い場所で、それなりの人ごみに流されないよう、注意を払って歩いていく。

 

 

歩く、歩く。

 

先程、連絡をとっておいた。このまま迷わず行ければ、そこで待っているはず。

 

 

歩く、歩く。そしてふと、立ち止まる。

 

待合室の柱に寄りかかり、虚空を見つめている少女を一人、見つける。

 

 

大きなキャリーバックを携えている辺り、遠くへ行っていたという事実を如実に感じさせる。

 

 

そして彼女は、俺に気付いた。

 

 

 

凛「……わざわざ迎えに来るなんて、どうしたの?」

 

 

 

なんでもなさそうにそう言う凛。

 

最初に会って言う言葉がそれかよ。

と思わないでもなかったが、まぁ、素直に挨拶出来ない点で言えば俺もどっこいどっこいなので良しとする。

 

 

 

八幡「別に、仕事以外で会っちゃ行けないなんて決まりはないだろ」

 

 

 

特に何の言い訳も考えてなかったので、平塚先生の言葉を借りる。

 

それを聞いた凛は、少しだけ意外そうにした。

 

 

 

凛「ふーん。……まぁ、プロデューサーがそう言うんなら良いけどさ」

 

 

 

凛はそう言うと、キャリーを引っぱりながら歩き出す。心なし、機嫌は良さそうだ。

俺もそれに習い、隣に立って歩き出す。

 

 

 

凛「でも事務所に行く手間が省けて良かったよ。こっからじゃ結構遠いし」

 

八幡「? お前は直帰の予定だったよな。事務所に何か用事でもあったのか?」

 

凛「あ、いやそれは…」

 

 

 

俺が訊くと、何故か顔を赤くしてドモり始める凛。

 

 

 

八幡「それに手間が省けたって…」

 

凛「な、なんでもない! それより、一週間の間何かあった?」

 

八幡「特ニ何モ無カッタヨ」

 

凛「……なんで片言なの?」

 

 

 

その後、他愛の無い話をしつつ凛を家まで送った。

 

どんな事をしてきたのか、アニバーサリーライブでは何をしたいか、話題はいくらでもある。

 

 

この一週間、色んなアイドルと過ごし、凛とは会わずに過ごして来た。

だがそれでも、会っていない時の方が、より凛の存在を意識したような気がする。

 

 

それが何を意味するかは分からない。

 

まぁ、余計な事は後で考えればいいだろう。

 

 

ただ今はーー

 

 

 

隣を歩く彼女の声に、耳を傾けていよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凛「ねぇプロデューサー、聞いてる?」

 

八幡「あ? あ、あぁ悪い悪い。どうしたんだ?」

 

凛「だから、この前のお返しの事。プロデューサーの家に遊びに行くってだけでいいよ」

 

 

八幡「………………は?」

 

 

凛「今度の休み、行くから」

 

 

 

満面の笑みで、彼女はそう言った。

 

 

 

……来週も、一筋縄ではいかなそうだ。

 

 

 

 

 

 

 


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