雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第94話 賭博場の攻防 ―神経衰弱―

 ――日が落ち、魔法の街灯に明かりが灯り始めた頃。

 

 イザベラの期待に反し、タバサの前にはチップが山と積まれていた。その高さに比例するかのように大勢のギャラリーが彼女の周囲に集まっている。

 

 担当の男性シューターが額に汗を滲ませている。それもそのはず、目の前の少女が稼ぎ出した額は約一万エキュー。家どころか小規模な城が買えてしまう程の大金だ。

 

 シューターが手にしたカップにサイコロを入れ、まるでワインのテイスティングのような動きで転がす。そして卓の上に伏せたそのとき、タバサが動いた。

 

「『小』に、二千」

 

 驚きを多分に含んだざわめき声が、さざ波のように店中へ広がってゆく。シューターはごくりと喉を鳴らし、カップを持ち上げた。

 

 出た目はなんと一・一・一の最小値。もちろん『小』に賭けていたタバサの勝ちだ。チップの山が一挙に倍以上に膨らむ。シューターはがっくりと肩を落とし、項垂れる。息を飲んで見守っていた観客たちからは大歓声が沸き起こった。

 

「いやはや、とんでもないお嬢さんだ」

 

「まだお小さいのに、強いわねえ」

 

 皆が口々にタバサを褒めそやす。と、そこへ支配人のギルモアが現れた。

 

「これはこれはお嬢さま、見事なまでの大勝でございますな。ところで、間もなく夜も更けて参りますが……」

 

 テーブルの周りに群がっていたギャラリーから不満げな声が漏れる。タバサがあまりにも強すぎるため、彼女が子供であることを理由に帰らせようとしていると思ったのだ。

 

 しかし、当のタバサは全く逆のことを考えていた。

 

(支配人は大勝したわたしを引き留めにきている)

 

 それは怯えたようなシューターの様子を見れば一目瞭然だった。手持ちのチップを全て換金した場合、二万エキューはくだらない。そんな大金を持ち帰られてしまったら、店は大きな損害を被ることになる。それを避けるために、彼らは必ずイカサマを仕掛けてくるはず――。

 

「お嬢さま、如何致しますか?」

 

 そう問うてきた支配人へ、タバサは相手が望んでいるであろう答えを告げた。

 

「続ける」

 

 それを聞いたギルモアの目が、すっと細められる。彼がパチンと指を鳴らすと、卓についていたシューターがほっとした表情で席を立ち、店の奥へと消えた。

 

「申し訳ございません。どうやら、このテーブルの担当者が体調を崩してしまったようですので、サイコロゲームはお開きとさせていただきます」

 

 頷きながら、タバサは思考を回転させる。

 

(少なくとも、この卓やその周辺に仕掛けが施されていたり、あのシューター自身がイカサマを仕掛ける腕はない。彼は顔に感情が出過ぎるから)

 

 だからこそ、見え透いた嘘をついてまで後ろへ下げたのだろう。

 

 少女は了承の印に頷いた。

 

「そう。なら、別の遊びをする」

 

「では、サンクなどいかがでしょう? 当店で一番人気のゲームでございます」

 

「それでいい」

 

 ギルモアは一礼して言った。

 

「では、早速お席をご用意致します」

 

 ところが、その申し出にタバサは首を振った。

 

「もしやご存じないとか? ご心配なさらなくとも、私がお教え致しますよ」

 

「違う」

 

「と、申しますと?」

 

「その前に、少し休みたい」

 

 支配人は苦笑した。

 

「昼前からずっとゲームに興じておられましたからな、お疲れになるのも当然かと。それでは休憩室をご用意致しますので、少々お待ちくださいませ」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――それからすぐに、タバサは休憩所へ案内された。

 

 そこは王宮の寝室もかくやと言わんばかりの豪華な部屋だった。床にはふかふかの絨毯が敷かれており、細かな彫刻が施されたテーブルが配されている。壁には絵画が掛けられ、奥には数名で横になってもまだ余るであろう、大きなベッドが置かれている。

 

 ここへ通される直前に、側を離れていた太公望を探したのだが……一体どこへ行ったのやら、彼を見つけることはできなかった。

 

「色々と打ち合わせしておきたかったのに」

 

 思わず出た愚痴を掻き消すように、タバサは首を振った。

 

(わたしはまだ彼を頼りにし過ぎている)

 

 今はいいかもしれない、けれど……いつなんどき、自分ひとりの手で全てを解決しなければならない事態に直面するかわからないのだ。

 

 椅子に腰掛け、鞄から本を取り出す。杖以外の荷物を取り上げられなかったのは、タバサとしては正直意外だった。おまけに〝魔法探知(ディテクト・マジック)〟すらかけられていない。

 

 もちろん、高貴な相手に対して〝魔法探知〟を用いるのは大変な無礼にあたることなので、当然といえば当然なのだが……こういった店にしては誠に不用心と言わざるを得ない。

 

 ただ、おそらく彼らは……。

 

「貴族を完全に侮っている」

 

 ぱらぱらと本のページをめくりながら、タバサは思考を巡らせた。

 

 貴族――特に爵位の高い者は、体面を何よりも重んじる傾向にある。だからこそ、己の命綱とも呼ぶべき杖を、容易に見知らぬ他人へ預けてしまえるのだろう。もっとも、そこには相手が無力な平民だからという驕りも多分に含まれているのではあるが。

 

 そして、彼らのほとんどが杖以外の武器を用いることを禁忌(タブー)としている。それだけに、たとえば警邏の目が届かぬ路地裏で不埒な真似をする平民が携帯しているような危険物――刃物や短銃といったものを持ち歩いていることはまず無い。

 

 おまけに皆揃ってプライドの塊ときている。例の中年貴族のように激昂でもしない限り、負けて抗議をすることなど恥だと考え、ろくに調査も交渉もせず、引き下がってしまうのだろう。そういう意味では平民の商人たちのほうが余程手強い相手だ。

 

 先程のような騒動が起きたとしても、側にいた店員があっさりと片付けている。彼のような『メイジ殺し』が他にもいるのであれば、身の安全に関する心配をしなくて済む。

 

 つまり、この店にとって貴族は上客、有り体に言えば良いカモというわけだ。王政府があえて警邏隊を使わず、秘密裏に処分しようとしている理由も頷ける。

 

 考え事をしているせいで、本の内容が全く頭に入ってこない。いや、正確には気分を落ち着かせるために本を開いているだけなので、それについては問題ないのだが――。

 

「ここまではどうにかうまく立ち回れた。でも……」

 

 店が仕掛けているであろうイカサマの正体がわからない。先程の中年貴族が、カードゲームの一種である『サンク』で破れ、自分にも全く同じゲームが持ちかけられたことから、おそらくここに何か秘密があるはずだ。

 

 支配人が自信たっぷりに〝魔法探知〟をお使い戴いても結構――などと言っていた以上、魔法を使ったイカサマではないのだろう。だとしたら、あのトマという給仕が袖口から素早くナイフを取り出したように、卓越した手業でカードをすり替えているのかもしれない。

 

 そこまで考えたところで、タバサは気づいた。この店では毎回客にカードを切らせている。途中ですり替えを行ったとしても、すぐにバレてしまうはず……。

 

「なら、どうやって?」

 

 考えても考えても、答えに辿り着かない。

 

 思考の迷路に嵌り込んでしまったタバサの額には、いつしかじっとりと汗が滲んでいた。

 

「妖魔や魔獣よりも、人間のほうがずっと手強い」

 

 与えられた任務の難しさに眉を顰めていたタバサの耳に、コツコツというドアをノックする音が飛び込んできた。本から顔を上げ、扉に視線を向ける。

 

「誰?」

 

「わたくしです、お嬢さま」

 

 太公望の声だ。しかしタバサはすぐに扉を開けることはしなかった。何故なら、彼の他にもうひとつの足音と、手押し車が止まるのを聞いていたからだ。

 

 ――手押し車。

 

 正確にはそれを押してきた暗殺者に若干のトラウマを植え付けられていたタバサが、必要以上に警戒してしまうのは致し方ない。

 

「遅くなって申し訳ありませんでした。何せ長い廊下に同じような扉がずらりと並んでいるものですから、すっかり道に迷ってしまって。それで、さっきのお兄さんにお願いして、ここまで連れてきていただいたのです」

 

 さっきのお兄さん。あの中年貴族をやりこめたトマという給仕のことだろう。タバサはテーブルの上に本を置くと、口を開いた。

 

「鍵は開いている。そのまま入ってくればいい」

 

 言われた通りに、ふたりは手押し車と共に部屋の中へ入ってきた。台車の上にはワインボトルとグラスがふたつ、それと銀製のクロッシュが被せられた大皿が一枚載っていた。

 

「これは?」

 

「お嬢さま、お昼から何も口にしておられませんよね? ですから、お兄さんに頼んで食事を用意してもらいました」

 

 なるほど、彼の姿が見えなかったのはこのためか。確かに、空腹ではまとまる思考もまとまらないだろう。

 

「ありがとう」

 

 それを聞いたトマは一礼すると、ワインと大皿を室内のテーブルへ運んでいった。ところが役目を終えてもなお、彼は部屋から出て行こうとしない。

 

 ああ、料理と飲み物の代金をまだ渡していないのか。そう考えたタバサは太公望に預けた財布の中から手間賃と併せて支払うよう告げると、トマは小さく微笑んだ。

 

「お代なら、既に頂戴致しております」

 

 小さく首をかしげたタバサに、トマは訊ねた。

 

「失礼とは存じますが、お嬢さまは伯爵家ではなく……ガリア有数の名家の出では?」

 

 沈黙を続けるタバサに、トマはたたみかけるように言った。

 

「このような仕事をしていると、その方の立ち居振る舞いを見るだけで、どのような人物であるのかすぐにわかるようになりましてね。お嬢さまには……並の貴族では到底真似できない品位が備わっておいでですから」

 

 そう言うと、トマはクロッシュを持ち上げた。焼きたてのパンと焦げたバターの香ばしい匂いが室内に漂い、タバサの鼻腔をくすぐる。が、彼女を刺激したのは嗅覚だけではなかった。

 

 皿の上に載せられていたのは、やや薄めに切ったパンにバターを塗り、そこに葉物野菜とハム、チーズを挟んだだけという、貴族用の料理とは言い難いシロモノだ。しかし、タバサはそれに見覚えがあった。

 

 忘れもしない。まだ父が存命で、彼女たち家族が最も幸せだったあの頃――。

 

 伯父のジョゼフが、いつものようにラグドリアン湖畔の屋敷へ遊びに来たある日のこと。中庭で父シャルルと伯父の勝負――将棋(チェス)が白熱し、なかなか決着がつかない。昼食はおろか夕食の時間が近付いてもまだ盤面に向かっていたふたりが、厨房に難儀な注文を出した。

 

『将棋をしながら、片手で食べられるものを何でもいいから持ってくるように』

 

 当然のことながら、屋敷の厨房は大混乱に陥った。

 

 王族が片手で食事をするなどという話は聞いたことがない。焼き菓子を出してはどうか、などという意見もあったが、昼も抜いている主人たちがそれで満足するわけがない。かといって、下手なものを出すわけにもいかず。

 

 そこで、畏れながら……と、料理長がお伺いを立てに行ったところ。ジョゼフが、

 

『そうだな。パンにバターを塗って、その上にハムでも載せてあれば上等だ』

 

 などと言い出し、挙げ句シャルルが、

 

『ぼくは、ハムよりもチーズと野菜がいいなあ』

 

 と、珍しく悪乗りした結果誕生したのが――いま、タバサが目にしている料理だ。

 

「さすがの父も、この注文には悪戦苦闘していましたよ。ですが、あとあと殿下から『仕事をしながらでも食べられる。夜食にぴったりだ』なんてお褒めの言葉を頂戴しましてね。よく執務室へお届けしたものです。ああ、これですか? 残念ながら父ではなく、私が作りました。店を訪れるお客さま方からも、好評を得ております」

 

 切れ長の目に特徴的な銀色の髪。風の使い手たる自分ですら見切れなかった素早い手業――その全てが、タバサの記憶を過去に繋げる。

 

「あなたは」

 

「お久しぶりです、シャルロットお嬢さま」

 

 微笑むトマに向けて、タバサは珍しく感情の込もった声を上げた。

 

「トーマス!」

 

「覚えていてくださいましたか。光栄でございます」

 

「忘れるはずがない」

 

 ふたりの会話についていけなかった太公望が訊ねた。

 

「あの、お嬢さま。このお兄さんとお知り合いなのですか?」

 

「ええ。屋敷でコック長を務めていた、ドナルドの息子さんなの。父さまや母さまがお仕事で忙しいときに、よく遊び相手になってくれたわ」

 

 それを聞いたトマことトーマスが、恐縮したように身体を竦めた。それから、懐かしげな笑みを浮かべる。

 

「執事長のペルスラン殿から、厨房などへ入り浸ってはいけませんと散々注意されていたのに……お嬢さまは、いつも監視の目をくぐり抜けて私の所へ遊びにいらしていましたね」

 

「だって、あなたの手品は本と同じくらい面白かったんだもの! 魔法も使わずに、ポケットからきれいなボールをいくつも取り出してみたり、切れたリボンを一瞬で繋げてみせてくれたり、それから……カーテンに隠れて、そのまま姿を消したこともあったわね」

 

「ええ。懐かしくも美しい思い出でございます」

 

 普段のタバサからは想像もつかないほど明るく饒舌な語り口に、太公望は瞠目した。かたやトーマスは、それを何とも思っていないようだ。なるほど、これが彼女本来の――シャルロット姫としての姿なのだろう。

 

「私も、毎日が本当に楽しゅうございました。しかし……」

 

 途端にトーマスの表情が陰る。

 

「あの忌まわしい事件の後、オルレアン大公家はお取り潰しとなり……使用人たちも、皆散り散りになってしまいました。今では、再び顔を合わせることもできません」

 

「ドナルドは?」

 

「あのあと父はすっかり塞ぎ込んでしまって、食事もろくに喉を通らなくなり……数ヶ月後に他界致しました」

 

「そう……」

 

「父は最後まで、お嬢さまと奥方さまの身を案じておりました」

 

 俯きながら語るトーマスを見ながら、タバサは思った。

 

(幸せな日々を奪われたのは、わたしたち家族だけじゃない。オルレアン大公家を支えてくれていたひとたち全員が、等しく不幸に見舞われた。もしも父さまの叛乱が成功していたら……いったいどれほどの血と嘆きと憎しみが、ガリア国内にばらまかれたのだろう)

 

 顔を伏せてしまったタバサを見たトーマスは、努めて明るい声を出した。

 

「ですが、こうしてお嬢さまと再会できたのは……まさしく『始祖』のお導きかと。お嬢さまと奥方さまがあの後どうなったのか、私どもには何ひとつ知らされず、お屋敷へ近付くことすら許されませんでしたので」

 

 当時を振り返るかのように、トーマスは語り続けた。

 

「お二方の行く末に関しては当時、様々な噂が飛び交ったものです。どこかの城に母娘共々幽閉されている、世を儚んで尼になってしまわれた、人質として他国に送られた、既に秘密裏に処分された……と、まあこのような調子で、明るい話はひとつとしてございませんでした。ですが、これらはあくまで噂話に過ぎなかったのですね。本当に……本当に、ご無事で何よりでございました」

 

 うっすらと涙ぐみながら自分の前に跪いたトーマスに、タバサは訊ねた。

 

「あなたは今までどうしていたの?」

 

 トーマスの顔が、ぱっと綻ぶ。

 

「私の身を案じてくださいますか。相変わらずお嬢さまはお優しい! 母は物心ついた頃には既におりませんでしたので、父を亡くした後は街へ出て、その……恥ずかしながら、ごろつきような真似をしておりました。ご存じの通り、私にできることといえば……」

 

「手品?」

 

「ええ。芸を見せて日銭を稼いだり、まあ、色々と……」

 

 トーマスは口を濁しているが、おそらく見物客の懐を狙ったりもしていたのだろう。とはいえ今更そんなことを追求するつもりはないので、タバサは黙ってかつての使用人であり、遊び相手を務めてくれていた若者の言葉を聞いていた。

 

「そんな荒んだ生活を続けていたある日、このカジノを経営しておられるギルモアさまに拾われたのです」

 

「支配人の?」

 

「はい。ギルモアさまは大層立派なお方で、私に読み書きを教えてくださったばかりか、寝床と食事まで与えてくれたのです」

 

 太公望が、ぽんと手を叩いた。

 

「なるほど! お兄さんは恩返しをするために、ここでお仕事をしているんですね」

 

「ええ。私はギルモアさまに救われたのですから、当然でしょう」

 

 そう言うと、トーマスはタバサに向き直った。

 

「と、まあ、お互いの近況についてはこのあたりで。実はお嬢さまに大切なお話がございます」

 

「話?」

 

「どうか、お改めください」

 

 トーマスは懐から一枚の紙を取り出すと、タバサに手渡した。

 

「これは?」

 

「お嬢さまが稼がれたチップのうち九割の額を記入してあります。シレ銀行で現金に換えることができますので、食事が終わり次第、それを持って急いでお逃げくださいませ」

 

「どういうこと?」

 

「詳しくお話することはできません。しかし、この後行われるゲームは……お嬢さまが決して勝てないように仕組まれております」

 

 タバサはじっとトーマスの目を見つめた。

 

「あなたが、昔と変わらずわたしを心配してくれて……嬉しい」

 

 トーマスは、ほっと安堵の溜め息を漏らした。

 

「ご理解いただけて、私も嬉しく思います」

 

 しかし。次にタバサの口から出た言葉は青年の期待に反するものだった。

 

「ねえトーマス。何故わたしでは勝てないの?」

 

「そ、それは……」

 

「教えてくれるまで、ここから動かない」

 

 トーマスは困り果てた顔でタバサを見つめ返したが、すぐにふっと小さく息を吐いた。

 

「お嬢さまは、相変わらず強情でいらっしゃる……わかりました、お話し致しましょう。そうしなければ、素直にお帰りいただけないでしょうからね」

 

 肩を竦めながら、トーマスは事情を語り始めた。

 

「このカジノは喜捨院(きしゃいん)なのです」

 

「ここが? そうは見えない」

 

「確かに。ですが、富める者から金を巻き上げ、弱者に配ることを目的として作られた賭博場……と申し上げれば、何となく事情を汲み取っていただけますでしょうか」

 

「誰の考え?」

 

「もちろん、ギルモアさまでございます」

 

 タバサは狡猾そうな支配人の顔を思い出した。

 

 影で善行を積むような人物とは思えないのだが、しかし人は見かけによらぬもの。その好例――いや、悪い例ともいうべき者がすぐ側にいるので、どうにも判断がつきにくい。

 

「そのような事情がございますので、お嬢さまが勝たれた金額の九割を、私の裁量で換金させていただきました次第です。残りの一割は貧しい者たちへの施しとお諦めくださいませ。どうか、それでご勘弁願います」

 

 そう言うと、トーマスはタバサが制止する間もなく部屋を出て行ってしまった。

 

 

○●○●○●○●

 

「あの料理……父上が、よく『盤面』の前で食べているのと同じだわ」

 

 先程までの上機嫌はどこへやら。イザベラはぷるぷると全身を震わせ、侍女たちが見たらその場で卒倒しそうな形相で従姉妹を睨み付けている。

 

 王天君が改めて『窓』を覗くと、そこには食事をする太公望と人形姫の姿が映っていた。そういえば、この国の王が例の世界模型を使って思考に耽る際に、厨房に言いつけてあれとよく似たものを作らせていた記憶がある。

 

「オルレアン大公家の……どうして? あの男は反逆者でしょ!? それなのに、なんであんなものを、父上は……」

 

 『窓』を睨み付けながらぶつぶつと恨みの言葉を吐き続けるイザベラに、王天君はかつての己の姿を見た。

 

 大勢の仲間と軍を引き連れ、威風堂々と殷の都へ向かう『軍師』太公望。本当ならあの()は、オレが務めるはずだったのに――!

 

 崑崙山と金鰲島の間で交わされた停戦条約。互いの誠意を示す証として、崑崙側には妖魔の王子が、金鰲には教主の弟子の中で最も才能のある道士が人質として送り込まれた。それが王奕(おうえき)――後の王天君だった。

 

 長き刻を金鰲島で過ごし、己に科せられた真の役割を知るに至った王天君にとって、それは単なる八つ当たりのような感情ではあったのだが……しかし。

 

 保護という名目で固い封印が施された牢獄に閉じこめられ、心を壊され、肉体を妖魔のそれに変えられた怒りの矛先を向けるのに、太公望が最も相応しい対象だったのは確かで。

 

 ……とはいえ、太公望本人に直接危害を加えると様々な問題が発生する。そのため、被害に遭うのは大抵彼の仲間たちだった。それも、太公望が心に深い傷を負うような形で――。

 

 そんな王天君だからこそ、イザベラの心境が手に取るようにわかった。

 

 反逆者が云々などというのは単なる後付けに過ぎない。父親からの愛情に飢えているイザベラは父と彼の弟、そして従姉妹との間に思い出の料理――すなわち、自分が求めても得られない絆があったという事実が気に入らないのだ。

 

 イザベラが王天君に対して不満をぶつけてくるようなことはないので、別にこのまま放っておいても構わないのだが……不快感を露わにした者の側にいるというのは、ステキな時間の過ごし方とは言えない。

 

(……ったく面倒くせぇ)

 

 とは口に出さず、王天君は彼女の思考の在処を別方面へ逸らすことにした。

 

「おい、イザベラ」

 

「なぁに?」

 

「アイツが言ってた喜捨院てぇのは何だ?」

 

 イザベラの知る王天君は博識だが、時折こうして疑問を投げかけてくる。それは大抵、彼の住んでいた国にはない習慣や物に関することであるため、できる限り噛み砕いて教えることになっている。これは『契約』の際にふたりが交わした約束のひとつだ。

 

 ひとまず気分を落ち着かせるために深呼吸した王女は、少し考えてから言った。

 

「そうねぇ~、ありていに言えば貧乏人が最後に縋る場所……ってところかしら」

 

「そりゃ寺院とやらの役割じゃねぇのか? お偉いお偉い神官サマが、ありがたい『始祖』とやらの〝力〟で、民草をまとめて救ってくれるんだろ?」

 

 王天君の皮肉を聞いて、イザベラは笑い転げた。

 

 彼女たち王族はブリミル教の象徴たるべき存在である。これが、あちこちに目と耳がある王宮の内部なら大変なスキャンダルになるところだが、そこは異空間に存在する『部屋』の中。防諜は完璧だった。

 

「説法じゃお腹はふくれないからね。それで、あちこちから寄付金を集めて炊き出しをしたり、住む場所のない連中に寝床を提供するための場所があるのよ。それが喜捨院」

 

「ふん、物好きなヤツがいるもんだぜ」

 

「仕切ってるのはだいたい寺院なんだけどね」

 

「全部ってワケじゃねぇのか」

 

「まあね。オーテンクン、あなた……ロマリアのことはもう知っているわよね」

 

「あぁ。この国の隣にある、神官どもの総本山……だったな」

 

「その通りよ。あなたを喚ぶ前に、一度だけ行ったことがあるんだけどさぁ……あそこ以上に『本音と建前』って言葉を実感させられる場所はないわ」

 

 イザベラはソファーの上に寝そべったまま、テーブルの上に置かれていた薄焼き菓子を一枚つまんで口に運んだ。パキンという乾いた音が『部屋』の中で反響する。

 

「神官たちは、みんな口を揃えてロマリアのことを『光溢れた土地』って呼ぶわ。自分のことを『神のしもべたる民のしもべ』と呼び習わす教皇聖下のもと、神官たちが敬虔なるブリミル教徒を正しく導く聖なる都市。街は『始祖』の祝福によって光輝き、そこに住まう資格を得た信者たちには永遠の幸福が約束されている――ってね」

 

「うさんくせぇ!」

 

「あなたなら絶対にそう言うと思ったわぁ~。けどね、生まれてからずっと同じ土地で育った平民たちは、商人や旅行ができるくらいの裕福な市民でもない限り、せいぜい自分が住んでる隣の町までしか行けないから……神官たちの話を頭から信じ込んで、ロマリアには理想郷があると思っているってわけ」

 

「で、実際のとこはどうなんだ?」

 

 イザベラはフンと鼻を鳴らすと、講義を再開する。

 

「現実は酷いものよ~? ロマリアへ行けば救われると信じて、必死の思いで辿り着いても……住むところもなければ仕事もない。当然よね、同じようなことを考えた平民たちが世界中から集まって来ているんだもの。人手なんか足りるどころか余りまくってるわ」

 

「なるほどな。そいつらを神官どもが安い給料でコキ使う……ってぇワケだ」

 

「そういうこと。信心深ぁい平民たちの奉仕によって肥え太った神官たちが、煌びやかな祭服に身を包んで街を練り歩いているすぐ側で、ぼろを纏った平民たちは救世騎士団が配る薄いスープを求めて行列を作る……まさしく理想郷だわぁ~。神官たちにとっては、だけどね!」

 

 テーブルに肘をつきながら、王天君はここまでの情報を整理した。

 

「つまりだ。そぉいう慈愛に満ち満ちた神官どもが取り仕切っている施設だけに、ロクなもんじゃねぇ。だから、個人でやろうと考える奇特なヤツが出てくるっつうことか。にしてもオメーの言うとおり、あのギルモアとかいうヤローがンなイイコちゃんな真似するたぁ思えねぇな」

 

「でしょ~? あのトーマスとかいう男……シャルロットを店から遠ざけるために、あんなことを言ったんだと思うわ」

 

「同感だ」

 

 すっかり機嫌を直したイザベラの発言に相づちを打ちつつ、王天君は考えた。かつての使用人がいる店に任務と称して派遣される。偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎてやしないだろうか。

 

 この仕事を振ってきたのは、国王のジョゼフだ。差配はイザベラに一任されているが、娘が姪に割り振るであろうことを見越していたのだとしたら……。

 

(あの男、何考えてやがる……?)

 

 

○●○●○●○●

 

 ――それから数時間ほどして。

 

 トーマスの期待に反し、彼の元主人は従者を連れて戻ってきた。ギルモアはそれを揉み手しながら歓迎する。だが、部下の顔が僅かに歪んでいることには気付いていない。

 

「お待ちしておりましたぞ、お嬢さま! 疲れはもう取れましたかな?」

 

 タバサはコクリと頷いた。

 

「お席は用意してあります。こちらへ……」

 

 その申し入れを制し、タバサは言った。

 

「あのテーブルがいい」

 

 タバサが指差したのは先程までサイコロゲームをしていた卓だ。現在はシューターの体調不良のため空席になっている。休憩している間に何か仕掛けが施された可能性もなくはないが、あのテーブルはゲーム中に隙を見て何度も調べているため、変化があればすぐに気がつく。そういう計算あっての指定だった。

 

 当初は部屋ごと移動することも検討していたが、やめた。それこそどこに何があるのかわからないし、何より自分がイカサマを警戒していることを見抜かれてしまう。せっかく太公望が、

 

『無邪気な田舎者の少年従者と、それを持て余し気味な貴族の娘』

 

 という目隠しをして相手の油断を誘ってくれているのだ、それを崩すのは勿体ない。

 

 そんなタバサの思惑などつゆ知らず、ギルモアは感心したように言った。

 

「ふむふむ、なるほど。お嬢さまは縁起を担ぐお方なのですな! あれほど大勝ちされた場所ですからな、無理もございません。では、あのテーブルを使うとしましょう」

 

 ふたりがテーブルへと向かおうとしたところで、それに待ったをかけた人物がいた。タバサに付き添っていた太公望だ。少女の腕をくいくいと引っ張りながら、情けない声で訴えかける。

 

「お嬢さま~。あれだけ勝たれたのですから、もう止めましょうよ~。それに、夜も更けて参りました。お帰りが遅くなると、ご主人さまが心配なさいますし~」

 

「おやおや。従者殿は乗り気ではないようですが、如何なさいます?」

 

 支配人の問いかけに、タバサはきっぱりと答えた。

 

「続ける」

 

「そんな、考え直してください~!」

 

 必死に引き留めにかかる太公望を無視し、タバサは告げた。

 

「彼に、さっき預けたチップの中から百枚渡して」

 

 ギルモアがパチンと指を鳴らすと、接客係のひとりが指定されたものを持って現れた。

 

「お、お嬢さま?」

 

「それで遊んでいて。わたしがいいと言うまで戻らないこと」

 

「で、ですが……」

 

「これは命令。従わないなら、明日のご飯ヌキ」

 

 項垂れながら立ち去る太公望の背中を見送りながら、ギルモアは聞いた。

 

「よろしいのですか? お嬢さまを気遣ってのことだと思いますが」

 

「彼が側にいると、集中できない」

 

「ふむ、なるほど。その厳しさも勝負のため……というわけですか。いやはや、実に勉強になりますな。お嬢さまのような強い方とゲームに興じることで、店員たちの質を上げることができます。ですから、遠慮などせずにどんどんお勝ちになってくださいね」

 

 心にもないことを言うと、ギルモアはタバサに向かって一礼した。それから彼女のために椅子を引いて、そこへ座るように促す。

 

 ……実のところ、集中できない云々という言葉は方便だ。休憩中、タバサが太公望に「自分の手で謎を解明したい」と申し入れ、彼が了承したという経緯がある。

 

 もっとも、それと引き替えに

 

「ならば、わしは遠慮無く遊んでいるとしようかのう」

 

 と、暗に軍資金の催促をされてしまったわけだが。

 

 彼に渡したのは二万エキューを超える手持ちのごくごく一部に過ぎないが、それでも相手の手を探るチャンスを減らしてしまったことに変わりはない。

 

(さっきの部屋で待機していてもらったほうが良かった……?)

 

 ――などと考えるに至って、タバサはぶんぶんと首を振った。

 

「如何なさいました?」

 

「なんでもない」

 

 二万枚以上のチップが手元に残っているのに、たったの百枚を惜しんでどうする。

 

(やはりわたしは弱くなってしまった)

 

 タバサが内心で密かに己を叱咤している間に、目の前の席についたギルモアが懐からカードの束を取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「では、ゲームを始めましょう。『サンク』のルールはご存じでしたね」

 

 タバサは頷いた。

 

 サンクとは、一から十三までの数字が割り振られた土・水・火・風の四種のカードを山札と呼ばれる束の上から五枚引き、出来上がった組み合わせの強さを競うゲームだ。上は貴族の大人から、物心ついたばかりの平民の子供にまで、幅広く親しまれている。そのため、改めて説明されるまでもない。

 

 とはいえ、ここはカジノだ。店特有のルールがあるかもしれない。そう考えたタバサは念のため確認を取ってみたが、それらしきものは無かった。

 

 ギルモアが真新しいケースからカードを取り出した。紙紐で束ねられているところを見るに、このカジノでは毎回新品を使っているのだろう。

 

「さて、今回は私がお嬢さまのお相手を務めさせていただきますが……公平を期すために、当店ではお客さまにカードを切っていただく決まりとなっております。どうぞ、お好きなようにお切りくださいませ」

 

 促されるまま、タバサはカードを手に取った。切りながらこっそり確認したが、これといって怪しいところはない。高位のメイジ、それも『スクウェア』クラスともなれば〝魔法探知〟を使わずとも魔道具の類であるか否かの区別くらいはつけられる。だが、それらしき形跡もない。

 

 カード以外のものは……と見るも、ギルモアも、側にいるトーマスやその他店員たちも、装飾品の類は一切身につけていない。アンドバリの指輪の件を思い出し、先住の魔道具を用いているのではとも考えていたが、その線も消えた。

 

 とすると、やはり彼らは魔法や魔法具を使わないイカサマを仕掛けてくるのだろうか。もしやこのギルモアも、トーマスのような手品の名人なのかもしれない。

 

 そんな思いは一切表に出さず、無表情のままカードを切り、束にして卓の中央へ置く。

 

(これは長期戦になる)

 

 タバサは覚悟を決めると、手札を場に伏せた。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――結論から言うと、タバサの予想は外れていた。

 

 長期戦どころか一時間にも満たないうちに、チップの山が十分の一以下に減ってしまったのだ。目を覆わんばかりの負けっぷりである。

 

 もちろん、タバサが勝ちそうになることもあった。ところが、勝負を賭けたときに限ってあと一歩及ばない。

 

 この有様を『部屋』から眺めていたイザベラが、床を転げ回って大笑いしていた件については……まあ、改めて語るまでもないだろう。

 

「ふむ、どうやらお嬢さまは『サンク』があまり得意ではないようですな。これは残念、折角勉強させていただきたいと思っておりましたのに」

 

 対面にいるギルモアが、言葉とは裏腹に嫌な笑みを浮かべている。タバサは相変わらずの無表情だが、内心では焦りを覚え始めていた。相手の手が全く読めない。耳に神経を集中するも、怪しい音は聞こえてこない。完全に手詰まりの状態に陥っている。

 

 ふとギルモアの背後に立つトーマスを見ると、苦しげな表情を浮かべている。彼の両腕は後ろ手に組まれ、数歩踏み込まなければ支配人の身体には届かない位置にいる。トーマスと組んで何かをしているというわけでもないようだ。そもそも例の中年貴族が暴れた際に、ふたりはかなり離れた位置にいたし、相手をしていたディーラーもギルモアではなく別の店員だった。

 

 つまり、店員たちが手を組むことで仕掛けるようなイカサマではないのだろう。

 

 そうこうしているうちに、とうとう手持ちのチップが百枚を割った。

 

 表情こそ全く変わらないが、タバサの額には汗が浮かんでいる。どうにか相手のイカサマを見破らなければ、任務を達成することができない。

 

 ……と、そんなタバサの元へチャンスが舞い込んできた。風のカードが三枚と、水が二枚。『満員の劇場(コン・プレ)』と呼ばれる、かなり強い役である。

 

(……ここは勝負に出るべき)

 

 そう決意したタバサは相手に悟られないよう、そろそろとチップを積む。ところが、ギルモアもベットしてきた。さらに掛け金を上乗せするが、相手は一歩も引かない。

 

「これはこれは、お嬢さまは相当自信がおありのようですな」

 

 微笑みながら、ギルモアはチップを追加する。

 

(ここは降りるべき? でも、残るチップはあと僅か。次のチャンスがいつ来るかわからない……仕掛けるしかない)

 

 タバサは有り金全てをベットした。すると、周囲からおおっというどよめき声が上がる。それを耳にしたタバサははっと我に返った。辺りを見回すと、いつの間にか大勢のギャラリーが自分たちを取り囲んでいる。

 

 一筋の汗がついと頬を伝って落ちた。

 

(わたしは熱くなりすぎて、観客が集まってきていることにすら気付いていなかった。こんな状態では勝てるものも勝てない。焦り過ぎて、取り返しのつかない真似をしてしまったのではないだろうか……?)

 

 だが、時既に遅し。ギルモアが大げさな身振り手振りをしながら声を上げる。彼の顔も声も、勝負に逸ったタバサの姿を嘲笑っているかのようだった。

 

「いやはや、大変な勝負になりましたな! では、お互いのカードを開けるとしましょう」

 

 最初にタバサが手札をオープンした。彼女の『満員の劇場』を見た観客は大いに沸き立つ。ところがギルモアに動じた様子はない。

 

「なるほど、なるほど。これは自信を持つのも頷けます。ですが……」

 

 ギルモアの手札がゆっくりとめくられていく。そして最後の一枚がオープンしたところで、周囲の歓声が、さらに大きくなった。

 

「どうやら『始祖』はお嬢さまではなく、私に微笑んでくださったようですな」

 

 土、水、火、風の四種全てが同じ数字――しかも、最弱にして最強とされる(エース)が並んでいる。

 

「この大一番で『四界の妖精(キャトル・ファータ)』か」

 

「凄いな……」

 

 観客たちが驚くのも無理はない。『満員の劇場』よりもワンランク上の役、しかもそれが最高の形で揃っているのだから当然だ。

 

 積まれていたチップが回収されてゆく。とうとうタバサは一文無しになってしまった。しかし、タバサは席を立とうとはしない。いや、正確には立つことができないでいた。

 

 頭の中で、様々な考えが渦を巻いている。

 

(いったいどんな仕掛けになっているの? それともカジノ側は潔白で、単にわたしが弱いだけなのだろうか。いや、それはない。だったらわざわざゲームの種類を指定してくる理由がない。何がどうなっているの? わからない――)

 

「さて、お嬢さま。まだお続けになりますか? と、申しましても既にチップは全て無くなってしまったようですから、新たにお買い求めいただく必要がございますが」

 

 支配人が猫なで声で訊ねてきたが、タバサは黙って首を振った。イザベラから預かってきた軍資金は既に使い果たしている。もしかしたら太公望に渡したチップが残っているかもしれないが――それでは彼に頼らずこの任務を達成すると決めた意味がない。

 

「それではゲームを続けることはできませんな。これにてお引き取り願います」

 

 未だ立てないでいるタバサへギルモアはそう促した。が、すぐに狡賢そうな笑みを浮かべる。

 

「手持ちがないのでしたら、お家の名前でお金をお貸しすることもできますよ」

 

 再びタバサは首を横に振る。それこそ無理な相談だ。偽名を名乗っているのだ、そんな真似をするわけにはいかない。

 

「お嬢ちゃんも頑張ったけど、ここまでかな」

 

「ああん残念! だけど、なかなかいいものを見せてもらったわ」

 

 周囲の観客たちが、口々に慰めの言葉をかけながら引き上げようとした。と、そんな彼らの様子を見ていたギルモアが、とんでもないことを言い出した。

 

「ならばお嬢さま、ひとつ提案があるのですが」

 

 タバサはそのまま、続く言葉を待った。

 

「お金がないのでしたら、そのお召し物を賭けては如何でしょう?」

 

 つまり。勝てばそのまま、負けたら脱げということか。

 

 表情こそ変わらないが、タバサは屈辱のあまりぎりぎりと手を握り締めた。観客たちからは下卑た歓喜の声、あるいは怒りに満ち溢れた叫びが上がった。

 

「ギルモアさま。相手はこんな小さな子供ですよ」

 

 支配人の後ろに立っていたトーマスが止めに入った。彼の声は僅かに震えている。しかしギルモアは振り向きもせずに言い放った。

 

「それを決めるのは私ではなく、こちらのお嬢さまだ。さあ、どうなさいますか?」

 

 このままおめおめと引き下がるわけにはいかない。タバサの答えは決まっていた。

 

「続ける」

 

 

 ――だが、やはり勝てない。

 

 イカサマを見破るどころか、タバサはその手がかりすら掴めずにいた。

 

「私の勝ちですな。さて、次は何を賭けますか? 靴は両方とも脱いでしまいましたが」

 

 タバサは黙って首元に手を伸ばすと、締めていた黒い蝶ネクタイをするりと外し、テーブルの上へ置いた。

 

「これはこれは。お嬢さまはなかなか焦らし上手ですなあ」

 

 ギルモアの言葉に、紳士の社交場とは思えぬ品のない笑い声が上がった。タバサを見守るトーマスの顔は、既に青を通り越して真っ白だ。

 

 勝負はさらに続く。しかしタバサの不利は変わらない。

 

 片方ずつ靴下を脱ぎ、ベストを取り、サスペンダーを外し――そして。

 

「ふむ。だいぶ涼しげなお姿になられましたな」

 

 先程の負けでとうとうズボンを取られてしまったタバサは、白銀のように輝く素足を衆目に晒していた。現在彼女が身につけているのはレースのついた膝上丈のシュミーズと白いシャツ。あとは下着だけという有様である。

 

「まだ続けますか?」

 

 タバサは頷いた。しかし全身が小さく震えている。寒さのためではない、恥辱ゆえだ――と周囲の観衆は思っていたのだが、実は違う。

 

 事ここに至って、タバサはようやくある法則に気がついた。ここぞというとき、支配人はこちらがカードをめくって見せるまで、絶対に手札を晒さないのだ。

 

 賭けの対象が服になるまでわからなかった理由は彼女の行動パターンにあった。

 

 サイコロゲームに興じていた際と同様の賭け方――勝てそうにないときはさっさと降り、勝利の可能性がある場合は少額を、強力な手札が回ってくると決まって大金をベットする……。

 

 これが悪い意味での迷彩となり、いざ勝負に出たときにギルモアがどういう行動に出ているのかを見切ることができなかったのだ。

 

 服は毎回一枚ずつ賭ける。チップのように細かい額の指定ができないから……というよりも。まとめて脱いで勝利を収めたとしても、せいぜい数枚戻ってくるだけで見返りが少ないというのが主な理由なのだが。そのため、絶対勝てるという状況でしかベットしなかった。結果、対戦相手の怪しい行動が浮かんできたというわけだ。

 

 ――そして、ついにタバサの元へ最大のチャンスが訪れた。

 

 風の九から十二が揃ったのである。これに同じ風の八か十三が加われば『高貴なる風の道(ロワイヤル・ラファル・アヴェニュー)』が完成する。実質サンク最強の手だ。

 

 いつものように無表情のまま不要なカードを捨て、山札から一枚引く。風の……十三。勝利の女神はようやく彼女に微笑んでくれたようだ。

 

 タバサは胸に手を当て、宣言した。

 

「次は、このシャツを賭ける」

 

 ギャラリーがどよめいた。

 

「承知致しました。では、私が勝ったらそれを脱いでいただくということで」

 

 ギルモアは降りない。タバサを見て楽しそうに微笑んでいる。

 

「それでは、互いの手札を開けるとしましょうか」

 

 ところが、両者共に動かない。

 

「さあ、お嬢さま。カードをお見せください」

 

(やはりそうだ。敵は、こちらの手を確認してからすり替えを行っている)

 

 確信したタバサは、氷のように冷たい目で相手を見据えたままだ。

 

「どうなさいました? 今更降りるというのは無しですよ」

 

 その催促に、ようやくタバサは口を開いた。

 

「先にあなたの手札を見せて」

 

 ギルモアの片眉が、ぴくりと動いた。

 

「おやおや。まさかとは思いますが、イカサマをお疑いですかな?」

 

 タバサは何も言わず、相手を注視している。

 

「カードは全て、お嬢さまが切られたではありませんか」

 

 支配人は同意を求めるように、観客たちを見回す。頷く者、疑わしげな目を向ける者、反応は様々であった。しかし、相変わらずタバサは黙ったままだ。

 

 ギルモアはわざとらしく溜め息をつくと、肩をすくめた。

 

「わかりました。では、仰る通りに致しましょう」

 

「待って」

 

「今度は何ですか?」

 

「私がめくる」

 

 やれやれと首を横に振ると、ギルモアは諦め顔でタバサを促した。

 

「どうぞ、お嬢さまのお気に召すままに」

 

 タバサは立ち上がって手を伸ばすと、端から順に一枚ずつ対戦相手のカードをめくり始めた。

 

 ……炎の十。

 

 次をめくった。

 

 ……炎の十二。

 

 三枚目。

 

 ……炎の九。

 

 タバサの背に、じっとりと嫌な汗が滲んだ。

 

 四枚目。

 

 ……炎の十一。

 

(嘘。そんなはずはない)

 

 タバサは祈るような気持ちで最後の一枚をめくった。

 

 ……炎の十三。

 

 とすんと音を立て、タバサは椅子に尻餅をついた。

 

「いやはや、我ながら奇跡のような役が揃ったものです。しかし、お嬢さまの手札を確認するまでは勝ち名乗りを上げるわけにはいきますまい」

 

 さあ、さあ。と、意地の悪い笑みを浮かべながらギルモアが迫る。

 

 タバサは暗澹とした気分でカードをオープンした。観客たちがどよめき声を上げる。

 

「これはこれは。『二度続く奇跡は始祖の思し召し』と申しますが……どうやら私は『始祖』の加護によって守られたようですな」

 

 タバサの役『高貴なる風の道』はサンクにおける実質最強の手である。ただし、唯一『高貴なる炎の山(ロワイヤル・デフェール・ラ・モンターニュ)』には負けてしまう。それがギルモアの元に展開していたのだ。

 

「お嬢さま、それではまた一枚脱いでいただきましょうか。ああ、シャツではなく他のものでも構いませんよ」

 

 無遠慮な視線と下品な笑い声を全身に浴びながら、シャツのボタンに手をかける。指先が震えてうまく外すことができない。タバサの脳内を、イザベラの言葉がぐるぐると駆け巡っていた。

 

 

 ――今度の任務は魔法なしでどうにかしなきゃならないってわけ。醜態を晒さないで済めばいいね! あは、あは、あははははははッ――。

 

 

 暗殺者を相手に不覚を取ったことはあるが、その他の戦いで負けたことはない。だが、それはあくまで魔法や風メイジとしての特性あってのこと。杖や能力を取り上げられ、別の舞台に上がった途端……このざまだ。

 

 頭脳戦に持ち込もうにも、その手がかりすら掴めない。ようやく見つけ縋り付いた糸は、あっさりと千切れてしまった。

 

(わたしは……わたしは、こんなにも無力だったのか――!)

 

 絹のシャツがするりと落ちた。タバサはレース付きのシュミーズ姿で棒立ち状態になっている。滑らかな肌が露わになり、薄い胸が屈辱と己の不甲斐なさからくる怒りによって上下していた。

 

「まだお続けになりますか?」

 

 眼鏡を外すわけにはいかないので、今度負けたらシュミーズを脱がなければならない。そうなれば残るは飾り気のないズロースだけになってしまう。けれど……。

 

(ここで退くわけにはいかない。なんとしても、任務を遂行しなければならないから……)

 

 すると、ギルモアの後方から叫び声が上がった。

 

「もう、おやめください!」

 

 これまでじっとギルモアの側に立っていたトーマスが、タバサの元へ駆け寄ってきた。

 

「お嬢さま、どうか考え直してくださいませ!」

 

「トマ! 余計な口出しをするな」

 

 支配人の言葉に耳を貸さず、トーマスは説得を続ける。

 

「賭け事に熱くなったところで、良いことなど何ひとつありません! このままでは、お嬢さまはいい物笑いの種です。それこそ街を歩くことすらできなくなるでしょう。私の知っているシャルロットさまは、こんな……」

 

 その名を聞いたタバサは、己の甘えを切り捨てるように言った。

 

「今のわたしはシャルロットじゃない」

 

「おや? お嬢さまはトマとお知り合いでしたか」

 

 ギルモアが不審げな眼差しでトーマスを見た。後で話を聞かせてもらうぞ、とでも言いたげな表情だ。それから、彼は改めてタバサに確認する。

 

「続けるということでよろしいですかな?」

 

 タバサは頷いた。

 

「お嬢さま……」

 

 元使用人の哀願は、かつての主人に届かない。

 

 タバサは必死の思いでカードを切った。観客、テーブル、その他ありとあらゆるものに注意を払い、耳を澄まし、全神経を尖らせながら。

 

 けれど、おかしなところは見当たらない。手札を確認すると、それなりに強い役が揃っている。まさか、こちらの持ち分までコントロールしているのだろうか。

 

(どうやって? わからない。もう、何も判断できない……)

 

 互いのカードをオープンする。やはり、ギルモアの役が勝っていた。

 

「さあ、お嬢さま。脱いでいただきましょうか」

 

 嫌らしい笑みを浮かべ、支配人は促した。タバサが歯を食いしばり、震える手をシュミーズの肩紐にかけた、そのとき。店の奥からひとりの店員が駆け込んできた。

 

「し、支配人……」

 

「後にしろ。今、いいところなのだ」

 

「で、ですが……」

 

 次の瞬間。その店員がやって来た方向から大歓声が沸き起こった。

 

「一体何事だ!?」

 

 全員の目がそちらに集中する。

 

 店内最奥のテーブル席。そこにはがっくりと項垂れる店員と――向こう側が見えないくらい積み上がったチップの前で、高らかに笑う人物がいた。

 

「あああ、なんて楽しいカードゲーム! 愉快すぎて背景に花が咲きそう――ッ!!」

 

 ――それはタバサのパートナー、太公望であった。

 

 

 




脱げ魔人ギルモア降臨。
なお、ぐうたら仙人に年齢制限寸前で阻止された模様。


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