雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第87話 避けえぬ戦争の烽火

 ――ギューフの月、ティワズの週、エオーの曜日。

 

 トリステイン魔法学院の校門前では、多種多様な私服に身を包んだ貴族の学生や教員、平民の使用人たちが、季節外れの休暇を満喫するために馬車へ乗り込んでゆく姿が数多く見受けられた。そこには水精霊団のメンバーの顔も混じっている。

 

 太公望はその様子を学院長室の窓から眺めながら、部屋の主に言を向けた。

 

「なるほどのう。姫君の結婚式を口実に休暇を与え、あえて人員を分散させることで、ここを敵の襲撃目標たりえなくしたというわけか」

 

 自慢の顎髭をしごきながら、オスマン氏は答えた。

 

「ふぉふぉふぉ、人質にしうる貴族の子弟が大勢いればこそ、この学院は『火薬庫』として機能してしまうのじゃ。ならば、その人数を大幅に削減してしまえばよい」

 

「この特別休暇について、王政府には?」

 

「無論、報告済みじゃ。情けないことだが、そっちのルートから『レコン・キスタ』へ情報が流れるのはほぼ確実じゃろう。これで襲撃の旨味が減った我が魔法学院が、脅威に晒される確率は大幅に下がるはずじゃて」

 

「ふふん、やるではないか」

 

「君の情報と、忠告があってこそだよ。それに、わしは例の『破壊の杖盗難未遂事件』で思い知ったのじゃ。いくら頭数が揃っていたとしても、火急の折に動けぬメイジなど、まるで役に立たない置物同然だということをな」

 

 思わずため息を漏らすオスマン氏。正直、彼の内心は複雑だった。本来であれば、国内最大級のメイジの砦と呼んで差し支えないトリステイン魔法学院が、敵の襲撃を想定して職員や生徒たちを避難させることなど、あってはならない事態なのだ。

 

 何故なら、

 

『魔法学院に勤める教員たちは、戦時や緊急事態が発生した際に一切頼りにならない』

 

 周囲からそのように受け取られるに等しいからだ。生徒たちだけならばいざ知らず、教職員がそのような目で見られることは、最悪トリステインの沽券に関わる。

 

 しかし、悲しいかな彼らは一部の教員を除き、実戦経験が一切無いというのが現実だ。生徒たちは言わずもがな。オスマン氏でなくとも、頭が痛くなるだろう。休暇という形を取っているとはいえ、避難させていることに変わりはないのだから。

 

「ともかく、これで魔法学院についてはなんとかなりそうだのう。絶対安全とまではいかないまでもな」

 

「できうることならば、コルベール君だけではなく、きみたちにも残っていてもらいたかったのじゃが……」

 

 手元にある2通の申請書を見ながら、オスマン氏は深いため息をついた。何故ならば、忘れかけていた――いや、忘れたかった現実を思い出さざるを得なかったからだ。

 

 オスマン氏の目の前に立つ太公望は、ガリア王国花壇騎士団の装束に身を包んでいる。太公望が以前から懸念していた通り、タバサの元へガリア王政府からの召喚状が届いたのだ。もちろん、彼も同行するよう命じられていた――隊服着用の指定付きで。

 

「やはり、ミス・タバサも姫殿下の結婚式に参列するのかね」

 

「おそらく、従姉妹の代理として――ということになるとは思うがな」

 

 オスマン氏は忌々しげに息を吐くと、越境許可証の作成に取りかかった。

 

(ついうっかり忘れそうになるが、今、わしの目の前に立っている男を呼び出したのは〝虚無の担い手〟たるミス・ヴァリエールではない。ミス・タバサ――ガリアの大公姫、シャルロット・エレーヌ・オルレアン。ガリアの宮廷で繰り広げられた醜い派閥戦争の犠牲者。半ば国外追放に近い形でこの魔法学院に留学してきている、哀れな少女なのじゃ)

 

 オスマン氏は悔やんでいた。やはり早急に行動を起こすべきだったと。卒業生との間に太い繋がりを持つとはいえ、王政府への政治的な発言権を持たない自分の養子という形でタバサと太公望のふたりをトリステインに取り込んでしまえば、ガリア王国からの外圧を受けることなく、それを実現できていただろう。むしろ、厄介払いができたと感謝すらされたかもしれない。

 

 だが、太公望がガリアの騎士になってしまった現状ではもう手遅れだ。

 

 身元不明の少年にしか見えぬ彼を貴族、それも花壇騎士の一員として迎え入れたということは――ガリアの王政府に何らかの思惑があるのだろう。それを横から攫うような真似をすれば、最悪の場合、かの国を敵に回すことに繋がる。それだけはなんとしても避けねばならない。トリステイン王国のみならず、彼ら主従の安全のためにも。

 

 アルビオンの現状については、太公望だけではなく独自のルートからも情報を得ている。結婚式の期間中、トリステインが危機に晒される可能性が高いことも充分承知している。自分の留守中に、彼らが魔法学院に残ってくれてさえいれば……万が一のことが起きても安心できたのに。

 

 しかし。そんなオスマン氏の切なる思いは、タバサと太公望のふたりを乗せた風竜の後ろ姿と共に、虚しく空に消えるのみであった――。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――その翌日。

 

 壮麗なヴェルサルテイル宮殿の一角プチ・トロワでは、そこの主たるイザベラ王女が、自らが呼び出したふたりが来るのを待っていた。

 

 蒼く長い髪を指でいじりながら、イザベラは側にいた侍女に尋ねた。

 

「ねえ。人形娘たちは、まだ来ないの?」

 

 侍女は、周りに助けを求めるような視線を投げたが――全員が、目を伏せている。困惑しきったような声で、彼女は主人の質問に答えた。

 

「あ、あの、シャルロットさまは、まだ……」

 

 それを聞いたイザベラは、勢いよく椅子から立ち上がると、侍女に詰め寄った。

 

「おい、お前! 今、なんて言った!?」

 

「ひッ……いえ、あの……」

 

「あれの名前は『人形七号』だ。何度言えばわかるんだい!?」

 

「も、申し訳ございません……」

 

 侍女は震えながら何度も頭を下げ続ける。

 

「本当に覚えの悪い愚図だねえ。まったく、さすがのわたしも叱り疲れてきたわ」

 

 イザベラはわざとらしくため息を吐く。問題の侍女だけでなく、控えていた召使いや衛士たちの顔が引きつった。王女の態度に不吉なものを感じ取ったからである。

 

「記憶力のないお前は知らない、いや、忘れてるだろうけどさ。つい最近、ようやっとファンガスの森の件が片付いたんだ」

 

 ファンガスの森。そこは王都リュティスに住まう民の間では有名な場所だった。複数の動物を魔法で掛け合わせ、合成獣(キメラ)を生み出すという禁忌の研究を行う塔が建っていたのだが……六~七年ほど前に、そこの研究員たちが全員死んでしまうという事故が発生した。

 

 彼らは、実験の最中に逃げ出した合成獣たちに喰い殺されてしまったのだ。

 

 おまけに塔も破壊され、森の中を怖ろしい化け物たちが跋扈する事態となり――当時の王政府はファンガスの森を頑丈な柵で囲み、封鎖するという決定を下した。

 

 その上で幾度となく騎士団を派遣し、合成獣退治を行っていたのだが……先頃ようやく全ての魔獣が駆逐されたとの報告が入り、ひとびとは胸を撫で下ろしたものだ。

 

「でだ、そこに建ってた塔の中から興味深い論文が出てきたんだよ」

 

 この時点で、もう絶望的な予感しかしない。侍女の震えがより激しくなった。

 

「大トカゲに犬の頭をくっつけたら、そりゃあもう人懐っこくて賢い合成獣になったらしいよ。ニワトリ並の記憶力しかないお前の頭を取り替えたら……少しはマシになるかねえ?」

 

 侍女の顔からは完全に血の気が失せている。いつ目を回してもおかしくない。

 

「ところで、お前は本当に頭が悪いだけなのかい? それとも……わかっていて、わざとやっているのかしら? そこのところを詳しく説明しなさい。今、ここでね」

 

 頭のせいだと答えれば、魔法の実験台にされるかもしれない。

 

 わざとだと言ったら、この場で処罰されるだろう。

 

 二律背反(ジレンマ)に陥った侍女はもはや失神寸前だ。もちろん、イザベラは侍女が答えられないであろうことをわかっていて、わざと意地悪な質問をしたのである。今の王女の顔は、堪えようもない愉悦に歪んでいた。

 

 ――くどいようだが。この王女に暇な時間を与えると、本当にロクなことにならない。

 

 と、そこへ呼び出しの衛士がタバサたち主従の到着を告げた。

 

「人形七号さま! 使い魔八号さま! おなり!」

 

 謁見室のそこかしこで安堵のため息が漏れ聞こえた。そして、ようやくイザベラの癇癪から解放された侍女が、柱の影へ逃げるように駆け込んだのとほぼ同時に謁見室へと繋がる大扉が開かれ、人形七号ことタバサと、使い魔八号・太公望が姿を見せた。

 

 イザベラは現れた主従に視線を向けた。相変わらず何を考えているのかわからない、凍り付いた水面のように無表情な従姉妹姫と、別の意味で扱いが難しい、彼女の使い魔。そんな彼らの背丈は自分よりも頭ひとつ分は小さい。

 

 しかし、それは見かけだけのこと。彼らふたりの内に、とてつもない〝力〟が隠されていることを知っているイザベラは、ふんと鼻を鳴らした。

 

 昔の彼女であれば、彼らに激しく嫉妬して、悔しさにその身を焦がしていただろう。だが、今は違う。この世には魔法以外にも大きな〝力〟があることを知り得ていたイザベラは、それを行使することにした。

 

 蒼い髪の王女は従姉妹に向かってじろじろと無遠慮な視線を投げかけると、命令した。

 

「人形。そのマントを外しな」

 

 貴族にとって、マントは身分証明のようなものだ。それを外せとは――と、周囲の侍従たちがタバサに同情溢れる視線を向けた。しかし、本人はまるで自室で着替えをしているかのように、あっさりと身に纏っていたマントを外した。

 

 イザベラとしては着ているものを全部脱げと言いたかったのだが……あまりやり過ぎてしまうと従姉妹のすぐ横に立っている男がどう動くかわからなかったので、これでもぎりぎりのところで自重しているのである。

 

 シンプルな白いブラウスに黒のプリーツ・スカートという、魔法学院の制服だけになった従姉妹を王女は無遠慮に観察した。ただ背が小さいというだけでなく、すとんとした体つきで、年頃の娘に相応しい凹凸がまるで無い。

 

 今までさほど気にしていなかったが、いくらなんでもこれはおかしい。

 

(この娘、あと三ヶ月ほどで十六歳になるはずよね。なんでこんなに小さいんだい?)

 

 それを思い出したイザベラは、何気ない口調で問うた。

 

「ねえ、あんた。毎日きちんと食べてるの?」

 

 コクリと頷くタバサ。だが、そんな受け答えで満足するイザベラではない。口を歪めて従姉妹を詰問した。

 

「その口は、ただの飾りかい? ちゃんとわかるように答えな」

 

「一日三回、きちんと食べている」

 

「ふうん。で、量はどうなんだ? 足りてないんじゃないかい?」

 

 その問いに答えたのは、タバサではなく彼女のパートナーだった。

 

「あれで足りないというのならば、魔法学院の敷地全部を畑にしないと間に合わな……がふッ!」

 

 タバサの拳が太公望の後頭部を直撃した。スコーンという小気味のよい音が謁見室に響き渡る。いい感じにスナップを効かせた一撃は、目にも留まらぬ早業だった。すぐ側にいた侍従や衛士たちのみならず、イザベラまでもが思わず顔を引き攣らせる程度には。

 

 太公望が頭を抱えて床に伏せる横で、何事もなかったかのようにタバサは答えた。

 

「問題ない」

 

「ま、まあ、それならいいんだ。仮にも王族だったあんたが餓死なんかしたら、ガリア王家の恥になるからね」

 

 このやりとりを『部屋』から覗いていた王天君は豪奢なソファーに寄りかかり、身体をのけぞらせて高笑いしていた。

 

「ハ……ハハハハッ、ダセェ! あいつぁ、異界でもこんな扱いなのかよ! こいつぁもう一種の体質かなんかじゃねぇのか?」

 

 何かというと仲間たち――本来、部下であるはずの者たちにボコボコにされていた『半身』の過去を思い出した王天君は『窓』を見遣りながら独りごちた。

 

「に、してもだ。あのガキ、マジでイザベラの従姉妹なのかぁ? 似てんのは髪と目の色くらいじゃねぇか」

 

 すらりとした肢体、絹糸のように艶やかな蒼い髪と、瞳の奥まで吸い込まれそうな碧眼。かつて傾国の美女と呼ばれた母親の側にいた王天君の目から見ても、イザベラは『綺麗』というカテゴリに分類できる女だ。

 

 しかしその従姉妹はというと、まるで幼子のような姿形をしている。彼のパートナー曰く、従姉妹とはふたつしか違わないとのことなのだが……とてもそうは思えない。

 

年齢(とし)にそぐわねぇあの身体……もしかすると、あのガキには普通じゃねぇ何かがあるのかもしれねぇなぁ」

 

 太公望がいなくなったときに王天君が慌てたのは、自分の元に肉体が残っていたからだ。

 

 他者の肉体を乗っ取る〝借体形成の術〟を習得していない『半身』が魂魄だけの状態で長期間彷徨うことになれば――最悪の場合、消失の危険性がある。

 

 ところが、いざこちらの世界へ来てみると……太公望は自分の肉体を得ていた。

 

「太公望のヤツを異界へ引き寄せやがっただけじゃねぇ。胡喜媚に消失させられたはずの肉体まで復活させやがった。あのバカは全然気付いてねぇみてぇだがな」

 

 爪を噛みながら考え事をしている王天君の眼下では、イザベラが謁見室にいた侍従たち全員を下がらせ、今回の任務を言い渡していた。それは、

 

『イザベラの影武者として、ゲルマニア皇帝の結婚式に参列する親善大使となれ』

 

 と、いうものだった。

 

 馬車で王都リュティスの南に位置する軍港サン・マロンへと移動し、そこでガリア王国艦隊旗艦『シャルル・オルレアン』号に乗船。空路でゲルマニアへと向かうというのがその詳細だ。

 

 暗殺された父の名を冠する戦艦に、その子が仇の娘の影武者として乗り込む。端々に皮肉の満ちた任務である。だが、これがあくまで偽装に過ぎないことを王天君は知っていた。

 

 まもなく、イザベラの父親が仕掛けた遊技(ゲーム)が始まる。影から敬愛する父王の手助けをしたかったイザベラはその真意を隠し、再び影武者として彼らを使いたいという理由を掲げ、タバサと太公望をガリアへ呼び寄せたのだ。

 

 ジョゼフ王はイザベラが申し出た案に対し、これといって賛成も反対もしなかった。それが王天君には少し引っかかった。

 

 彼は僅かながらもジョゼフ王の人となりを見て、自分の母親や、華麗なる戦いを好んでいた彼女の同輩に近い――想定外のトラブルをも歓迎し、その上で娯楽に変えてしまうような人物だと判断していたからだ。

 

 とはいえ、王天君としてもこれから戦地となりうる場所に『半身』を置いておきたくはない。そのため、状況次第で強力な『ジョーカー』となりうるふたりを遊技場から離しておきたいという、イザベラの案に賛成するしかなかった。

 

「さぁてと、そんじゃあ少し様子を見させてもらうとするぜ。人形姫さまよ」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――その翌日。ギューフの月、ティワズの週、ラーグの曜日。

 

 色とりどりのリボンや花、きらきらと光を放つ美しい輝石で飾られたトリステイン艦隊旗艦『メルカトール』号は、神聖アルビオン帝国政府からの客を出迎えるために、艦隊を率いて港湾都市ラ・ロシェールの上空に停泊していた。

 

 アルビオンの新皇帝オリヴァー・クロムウェルと政府高官たちが、三日後に帝政ゲルマニアの首府・ヴィンドボナにて行われる結婚式へ参列する前に、親善大使として王都トリスタニアを訪問するとの報せが届いていたためだ。

 

 『メルカトール』号の後甲板ではトリステイン空軍艦隊司令長官のラ・ラメー提督が、国賓を迎えるために正装し、居ずまいを正している。その隣では旗艦艦長のフェヴィス大佐が、遠くアルビオンの空を眺めながら、口髭をいじっていた。

 

「おのれ、あの薄汚い犬どもめ! 約束の刻限はとうに過ぎているのだがな」

 

 ラ・ラメーはいらいらとした口調で、傍らに立つ艦長だけに聞こえるよう呟いた。

 

 アルビオン新政府が報せて寄越した到着予定時刻から既に一時間以上が経過している。ラ・ラメーでなくとも苛立つのは当然だ。上司の怒りは当然とばかりにフェヴィスは頷く。

 

「仕えるべき主君に牙を剥いた腐れ犬どもですからな。血の臭いがせぬよう、犬は犬なりに汚れを落とし、着飾ろうとしてのではないのですかな」

 

 大の『レコン・キスタ』嫌いの艦長が答えると、提督は囁くような声で訊ねた。

 

「それならば、まだいいのだがな。艦長、例の件だが……君はどう考える?」

 

「グラモン総軍司令長官殿の指示ですか? 勇猛果敢で知られるグラモン閣下が、あえて我々にのみ警告を発してこられたことにこそ意味があるものと考えております」

 

「そうか。ただの懸念であってくれればよいのだがな」

 

「はい。国を挙げての慶事を血で汚すことだけは、なんとしても……」

 

 と、見張り台の上にいた水兵が大声を上げた。

 

「左舷上方より、艦隊!」

 

 ラ・ラメーとフェヴィスが言われた方向を見遣ると、雲と見まごうばかりの巨大戦艦を先頭に、アルビオン艦隊がゆるゆると降下してくるところであった。

 

「なるほど、あれが噂の『ロイヤル・ソヴリン』級ですか」

 

 艦長は巨大戦艦に魂を奪われたかのような声で呟いた。あの艦に、アンリエッタ姫の結婚式に出席する皇帝クロムウェルと貴族議会の官僚たちが乗り合わせているはずであった。

 

 呆れ果てたような口調で、フェヴィスは本音を吐露した。

 

「あのような大口径の砲を積んだ巨艦を、わざわざお召し艦に選ぶとは。砲艦外交もここに極まれりですな」

 

 同意するようにラ・ラメーは頷く。

 

「まったくだ。それにしても、先頭に立つあの艦は本当に巨大だな。後続の戦列艦が、まるで小さなスループかフリゲート艦のようにも見える」

 

「戦場では絶対に会いたくない相手ですな」

 

 提督と艦長が正直な感想を言い合っていると、降下してきたアルビオン艦隊がトリステイン艦隊と併走するかたちとなり、旗流信号をマストに掲げた。

 

『貴艦隊ノ歓迎ヲ感謝ス。アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号艦長』

 

 それを見たラ・ラメーが眉を顰めた。

 

「こちらは提督を乗せているというのに、艦長名義での発信とは。これはまた随分とコケにされたものだな」

 

「不可侵条約がなければ、喧嘩を売られたと思うところですよ」

 

 艦長の言葉に、ラ・ラメーは飾り立てられた自国艦隊の戦力と相手とを見比べながら、思わずため息をついた。

 

 見た目だけは華美な旧式艦が十隻ばかり並んでいる自軍に対し、相手は『ロイヤル・ソヴリン』級巨大戦艦が一隻と、巡洋艦とおぼしき戦列艦が十五隻。親善訪問が聞いて呆れる陣容だ。

 

「買えるだけの戦力は、残念ながらここにはないがな。まあよい、とにかく返信だ。『貴艦隊ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎ス。トリステイン艦隊司令長官』以上」

 

 提督が発した命令を側にいた士官が復唱し、それをさらに帆柱に張り付いた水兵が復唱する。信号檣に、指示通りの旗流信号が掲げられた。

 

 すると、アルビオン艦隊から大砲が放たれた。礼砲であるため、砲に弾は込められていない。火の秘薬を爆発させるだけの空砲である。

 

 しかし、その礼砲は周囲の空気を大きく震わせた。その振動は、実戦経験豊富な提督たちを後ずらせる程の迫力を持っていた。

 

「大きな声では言えないが、弾が込められていたらと考えると……正直ぞっとせんな」

 

「……ええ。それで閣下、答砲は如何しましょう。何発撃ちますか?」

 

 礼砲の数は、相手の格式と位で決まる。最上級の客、つまり国王の訪問に対しては国際的な通例で十一発と定められている。ラ・ラメーは少し考えると「九発でよい」と答えた。

 

 訪問者は皇帝だが、彼は三王家の王よりも格が劣る。一応、一般的な礼に叶う数であった。

 

(なるほど、相手が挑発しているからといって、こちらがそれに乗る義理はないということか)

 

 提督の命令をそのように受け取った艦長は、砲撃手に命令した。

 

「答砲準備! 順に九発! 準備出来次第、撃ち方始め!」

 

 艦長の命を受けた水兵たちが、一斉に行動を開始する。

 

 

 ――アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号の後甲板で、艦長のサー・ヘンリー・ボーウッドは左舷の向こうに展開しているトリステイン艦隊を複雑な思いで見つめていた。

 

 彼のすぐ隣には、アルビオン総軍指令長官ホーキンスが立っている。貴族派の将軍として名高い彼は、本来であれば空軍ではなく陸軍を率いる高級将校だ。

 

 しかし今回の作戦に必勝を期した貴族議会は、前任のサー・ジョンストンを解任。歴戦の勇士であるホーキンスを新たな総軍司令として任命した。革命戦争で有能な空の戦士をほとんど失っていたことも、それを後押しした。

 

「艦長」

 

 初めての空軍指揮にも関わらず、ホーキンス将軍は落ち着き払った声で、傍らに立つボーウッド艦長に話しかけた。

 

「如何しましたか、司令長官殿」

 

「乗艦前に話した通り、私は空戦に関しては門外漢だ。よって、上陸作戦を開始するまでの間は、全面的に君の判断に任せる。だからといって、君たち空軍の手柄を横取りしたり、失敗を押しつけたりするような真似はせんから安心して職務に励んでくれたまえ」

 

 そう言ってニヤリと笑みを浮かべたホーキンスを見て、ボーウッドは思った。

 

(憎むべき貴族議会も、たまにはいい仕事をする。噂には聞いていたが、本当に良い上官を配置してくれたものだ)

 

 専門外の分野に素人の上官から余計な口出しをされるよりも、全てを任せてもらったほうが仕事がやりやすいし、軍の士気も上がる。

 

 ボーウッドは姿勢を正して敬礼すると、笑みを返した。

 

「浅学非才の身ではありますが、全力を尽くします」

 

 ボーウッドはこの任務に大いなる不満を持っていた。そもそも彼は心情的には王党派に与していたのだ。しかし彼は、

 

『軍人は政治に関与すべからず』

 

『上からの命令は絶対である』

 

 これを守り抜く生粋のアルビオン軍人であった。そのため、元上官が貴族派連盟についた際に、仕方なく王室の敵となる側で革命戦争に参加しただけに過ぎない。

 

 アルビオンの伝統『高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)』を体現すべく努力を続ける彼にとって、アルビオンは未だ共和国ではなく王国であり、クロムウェルと貴族議会は忌むべき簒奪者でしかなかった。

 

 今回出された命令も、彼にとって唾棄すべき内容であった。だが、上司から議会で承認された政治判断だと告げられてしまっては、彼はもう、何も言えなくなってしまうのだ。彼にとっての軍人とは物言わぬ杖であり、国を守る忠実な番犬なのである。

 

(しかし、こんなロクでもない作戦の最中にも、希望を見出せるものなのだな)

 

 頭の片隅でそんなことを考えながら、ボーウッドは部下たちへ矢継ぎ早に命令を下す。

 

「左、砲戦準備」

 

「左、砲戦準備! アイ・サー」

 

 砲甲板の水兵たちによって大砲に装薬が結められ、砲弾が押し込まれる。その直後、左舷向こうの空に砲撃音が響き渡った。トリステインの旗艦が答砲を発射したのだ。

 

「総員、作戦開始」

 

 ホーキンスの指令を受けたその瞬間、ボーウッドは劇的な変化を遂げた。心の内に抱えていた全てが彼の頭の中から消え去り、ただ与えられた命令を忠実にこなす、完全なる軍人になったのだ。

 

 艦隊最後尾に配備されていた旧型艦『ホバート』号の乗組員が〝浮遊〟の魔法で浮かんだボートに乗り込み、脱出を開始する。

 

「準備は終わった。さあ――ここからだ」

 

 答砲を発射し続ける『メルカトール』号の艦上に在ったラ・ラメー達は驚くべき光景を目の当たりにした。アルビオン艦隊最後尾の艦から炎が噴き出したのだ。

 

「なんだ? 何事だ?」

 

「火災だと? このタイミングでか!?」

 

 ラ・ラメーとフェヴィスが事態を見極めようと目を凝らす。彼らの眼前で、小さな旧式艦はまたたく間に炎に包まれたかと思うと、爆散し、残骸となって地面へ向かって墜落していった。

 

 『メルカトール』号の甲板上が、騒然となった。

 

「ええい、落ち着け! 落ち着かんか!」

 

 艦長が、混乱して右往左往する兵士たちを叱咤する。

 

 そこへ『レキシントン』号から、さらなる衝撃がもたらされた。それは、手旗手の送って寄越した信号であった。

 

「『レキシントン』号艦長ヨリ、トリステイン艦隊旗艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明セヨ」

 

 それを読み取った艦長が、慌てた声で言った。

 

「撃沈だと? 何を言っているんだ、勝手に爆発したんじゃないか! とにかく返信だ! 『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ』 急げ!」

 

 慌てふためく艦長とは反対に、ラ・ラメー提督の頭は徐々に冷えていった。

 

(なるほど、この親善訪問とやらは、見せかけだけのまやかし。我らを貶める為の罠だったのか。グラモン元帥が抱いておられた懸念が、現実のものとなってしまった……)

 

 ラ・ラメーは落ち着いた声で命令を発した。

 

「総員、戦闘配備につけ」

 

「て、提督!?」

 

 そこへ、さらなる信号が届く。

 

『貴艦ノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃二対シ応戦セントス』

 

「馬鹿な! 我々が撃ったのは間違いなく空砲です。実弾だったとしても、あんな後方まで届くわけが――」

 

「あれは偽装だよ、艦長」

 

「なんですと?」

 

「どうやらアルビオンの犬どもは、さらなる領土の拡張を望んでいるらしい」

 

 ラ・ラメーの言葉でようやく事態を把握したフェヴィスが、怒りで顔を朱に染めた。

 

「お、おのれ、アルビオンの腐れ犬どもめが。ふざけた真似を!」

 

 しかし、フェヴィス艦長の憤怒は『レキシントン』号の一斉射撃によってかき消される。

 

 轟音の後、着弾。『メルカトール』号のメインマストが折れ、甲板にいくつも大穴が開いた。砲甲板に届いた弾は爆散し、血煙と多くの死を撒き散らす。

 

 衝撃を受けた提督と艦長の身体が、後方へ吹き飛ばされた。

 

「こ、この距離で砲弾が届くとは! アルビオンの艦は化け物か!!」

 

 全身の痛みに耐え、どうにか起き上がった艦長は信号手に向かって命令した。

 

「信号送れ! 『砲撃ヲ中止セヨ。我二交戦ノ意思アラズ』」

 

 だが、当然のことながら『レキシントン』号の攻撃は止まらない。

 

「無駄だよ、艦長……やつら、は、始めから、こうする予定……だったのだ」

 

「提督!?」

 

 側壁にもたれかかるようにしたラ・ラメーの礼装が、赤く染まっている。彼の腹部には砲弾によって破壊された甲板の破片らしきものが深々と突き刺さっていた。

 

「くッ……」

 

 フェヴィスは周囲を見回した。フネのあちこちで火災が発生し、傷ついた兵たちの苦悶の呻きが渦巻いている。

 

「おそらく、我らはここで……果てることに、なるだろう。だが、このままでは終わら、ない。終わってたまる……ものか。トリステイン貴族の、名誉にかけて……!」

 

 血と共に、ラ・ラメーが壮絶な覚悟を吐き出した。

 

「各部。被害、状況……報せ。 艦隊、全速。 右、砲撃戦、用意……」

 

 悔し涙で顔を濡らした艦長が、大声で提督の命令を復唱する。

 

「各部、被害状況報せ! 艦隊全速! 右砲撃戦用意!」

 

 命令を受けた兵たちが、各部署に向かって駆け出した。

 

(わずかながらも時間を稼ぎ、敵の情報をできうる限り後方に送る。これが、私にできる最後のご奉公です……)

 

 炎と硝煙に包まれながら、ラ・ラメー提督は、その人生における最後の命令を下した。

 

 ――それから約十分後。

 

 アルビオン艦隊から集中砲火を受け続けていた『メルカトール』号の甲板がめくれ上がったかと思うと、轟音と共に戦場へ光を放ち――空の上から姿を消した。爆発による轟沈、爆沈である。

 

「やった、敵の旗艦が墜ちたぞ!」

 

「神聖アルビオン共和国、万歳!」

 

「クロムウェル皇帝閣下、万歳!」

 

 『レキシントン』号のそこかしこから、兵たちの興奮した叫び声が聞こえる。それを耳にしたボーウッドは眉を顰めた。作戦行動中に「万歳」を連呼するなど、かつての王立空軍であれば絶対にありえない。それだけ、兵の質が落ちているということだ。

 

 ホーキンス将軍の顔には何の感情も浮かんでいない。しかし、ボーウッドには総軍司令長官殿が自軍の現状に不快感を抱いているだろうことが容易に理解できた。

 

 将軍は隣にいる艦長にしか聞こえない程の小声で呟いた。

 

「また、戦争が始まったのだな」

 

 

 ――国賓歓迎のため、ラ・ロシェールの上空に停泊していた自国艦隊へ向け、アルビオン艦隊が攻撃を仕掛けてきたという報せが詳細な状況報告と共にトリステインの王宮へともたらされたのは……それからすぐのことであった。

 

 そして、さらに数時間後。

 

 アルビオンの戦列艦数隻を道連れに、トリステイン艦隊が全滅したとの報が届き――それと前後して神聖アルビオン共和国政府からの宣戦布告文が急使によって届けられた。

 

 アルビオンからの通達は、これまた一方的なものであった。そこには親善艦隊に対して理由なき攻撃を行ったトリステイン王政府への批難声明と、先日結ばれたばかりの停戦条約を破棄する旨が記されており……最後はこのような一文で締めくくられていた。

 

『自衛ノ為、神聖アルビオン共和国政府ハ、トリステイン王国政府ニ対シ宣戦ヲ布告ス』

 

 

 




対アルビオン戦がとうとう始まってしまいました。

なお、グラモン伯爵から忠告を受けていた提督たちがある程度警戒していたため、原作のように一方的な蹂躙とならず、反撃できています。そのかわり、降伏無しの全滅になってしまいましたが……。

エリレに先制砲撃で旗艦軽巡スナイプされたようなもの。ぶっちゃけどうしようもない。

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