雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

86 / 111
2018/06/17 禁光銼と時間移動設定がらみを追加・改訂しました。


第85話 そして伝説は始まった(改)

「なんだ、トリスタニアではないか」

 

 慎重に慎重を重ね、潜り抜けた『扉』の先は――全員が良く知る王都だった。

 

(箪笥に飛び込んだ際に何やら妙な違和感があったが、気のせいだったか――)

 

 と、太公望はほっと胸をなで下ろす。

 

「『扉』の先が、王都で良かったわね」

 

 ルイズが言うと、全く同感だといわんばかりにレイナールが頷いた。

 

「そうだね。冒険できないのは少し残念だけれど、街の中ならサイトが危険に晒されるようなこともないだろうし」

 

「そうとわかったら、手分けしてサイトを探しましょう」

 

「しかし、思わぬところで面白い魔法装置が見つかってよかったじゃないか。あの箪笥があれば、トリスタニアに出やすくなるよ」

 

「ホントよね! これで、わたしも秘薬の買い出しがとっても楽になるわ」

 

 などとにこやかに笑い合っているギーシュとモンモランシーのすぐ側で、首を捻っている者たちがいた。太公望とキュルケの二人だ。揃って眉根を寄せ、周囲を伺っているふたりを見たタバサが訝しむ。

 

「どうかしたの?」

 

「うむ。はっきりとは言えぬのだが、何かがおかしい気がする」

 

「何か、とは?」

 

「それがわからぬから悩んでおるのだよ。わしの目に映っておる景色は確かにトリスタニアのように見えるのだが、以前訪れた時と比べて、どこか雰囲気が違っているような気がしてのう」

 

 太公望と同じように周囲を伺っていたキュルケが言った。

 

「ねえ、ミスタ。ここ、本当にトリスタニアなのかしら……? もしも大通りの奥に王城がなかったら、絶対に別の場所だって断言できるわよ」

 

 キュルケの言葉に全員が注目した。

 

「ふむ、キュルケよ。おぬし、何か気が付いたのか?」

 

「ええ。あのね、正直ちょっと言いにくいことなんだけど……」

 

 キュルケが悩みながらも先を続けようとしたところへ、純白のサーコートを身に纏った騎士の一隊が通りかかった。

 

 彼らが騎乗しているのは馬ではなく、一角獣――ユニコーンだった。煌びやかな騎士隊は一糸の乱れもなく整然と隊列を組み、しずしずと水精霊団一同の側を通り過ぎていく。まるで絵画の世界から抜け出してきたような彼らの姿に、女生徒たちだけでなく男子生徒ふたりも感嘆と羨望のため息を漏らした。

 

「ユニコーンがいるってことは……姫殿下の行幸に間違いないわ」

 

 この国でユニコーンを用いることができるのは、未婚の王女だけと定められている。その一角獣に跨っているということは、彼らは姫さまを守護する近衛隊に違いない。そう判断したルイズは、後ろについてきているであろうアンリエッタの馬車を探したのだが、影も形も見当たらない。

 

「おかしいわね、どうして姫さまの馬車がないのかしら」

 

「あの騎士隊、何か変だ。みんな、あのサーコートをよく見てみなよ」

 

 小声で告げたレイナールの指示通り、全員が騎士隊の装束を見た。そこには赤い糸で聖具の印が刺繍されている。

 

「何あれ?」

 

「聖堂騎士団の騎士団章と微妙に似てるけど、違うみたいだな」

 

「そもそも、白いマントの騎士なんて聞いたことがないわ。魔法衛士隊のマントは黒だし、それに……騎乗する幻獣の姿が銀糸で刺繍されているはずよ」

 

「彼らは何者?」

 

 そんなことを言い合っていると、騎士隊の中ほどにいた隊士の数名が列を離れ、一同の元へつかつかと近寄ってくると、ギーシュの目の前で立ち止まった。

 

 生徒たちより少し年上だろう彼らは美しい装束に似合わぬ嫌らしい笑みを浮かべると、ギーシュに向けて口を開いた。

 

「こんな昼間から、女子供を連れて散策を楽しんでおられるのかね? ナルシス卿」

 

 声を掛けられた本人は、何のことやらわからずぽかんとしている。どうやらこの若い騎士はギーシュのことを別の誰かと勘違いしているらしい。その事実に気付かず、男はさらに続ける。

 

「まあ、暇を持て余しているのも無理はないからな。しかし、陛下の護衛任務を外されてもなお堂々と表通りを歩けるとは、相も変わらずご立派な精神をお持ちのようだ」

 

 その言葉に、隊列を外れてきた騎士たちが一斉に下卑た笑い声を上げた。どうやら嘲笑されているのが自分のことだと気が付いたギーシュは一歩前へ出ようとした。しかし太公望がそれを片手で遮ると、騎士たちに向かって告げた。

 

「失礼ですが、どなたかとお間違えになっておられるのではないでしょうか? こちらにおられるお方は、魔法学院に通っておられるお嬢さまのご学友のひとりです。陛下の護衛任務を外されたなどと言われましても、何の事やらさっぱりわかりませぬ」

 

「なんだと、このガキ。妙な服着やがって、どこの田舎者だ?」

 

 そう言ってさらに突っかかってこようとした若い騎士は、別の騎士に止められた。

 

「おい待てアンジェロ、あの略章をよく見ろ」

 

「なに?」

 

 アンジェロと呼ばれた男は太公望が身に付けている東薔薇花壇騎士団の略章を見て、忌々しげに顔を歪めた。

 

「こんなガキが、ガリアの花壇騎士だと!? そんなわけが……」

 

「いいや、あれは間違いなく本物だ。俺は何度も見たことがある」

 

「今の時期に余所者とやりあうのは自重しろと、大公殿下が仰っていたではないか」

 

 両脇を同僚とおぼしき騎士たちに固められたアンジェロは、

 

「ったく、まぎらわしい顔しやがって……」

 

 などとぶつくさ文句を垂れながら、隊列の最後尾へと戻っていった。

 

 騎士たちがその場から立ち去った後、ギーシュは苛立ちのあまり叫んだ。

 

「いったい何者なんだね、あの礼儀知らずどもは!」

 

 顔を真っ赤にして怒るギーシュをなだめるかのように、モンモランシーが言った。

 

「大公殿下って言ってたわ。あのひとたち、たぶんクルデンホルフ大公の部下よ」

 

「あの『金貸し』の? クソッ……いくらトリステインから独立しているからって、自分の親衛隊にユニコーンへの騎乗を許すとは! 不敬にも程があるじゃないか」

 

 そんな彼らに真っ向から反論を唱えたのはレイナールだった。

 

「いや、少しおかしくないかな? クルデンホルフ大公の親衛隊といえば、名にしおう『空中装甲騎士団(ルフトパンツァー・リッター)』だよね? それにしては装備が軽すぎるし……第一、彼らが騎乗するのは風竜だけで、ユニコーンじゃないはずだよ」

 

「あ」

 

「そういえばそうだった」

 

「なあに? そのルフトなんとかって」

 

 キュルケの問いに答えたのは、これまたレイナールだった。

 

「クルデンホルフ大公お抱えの竜騎士団でね。軽装が普通の竜騎士と違って、金属製の全身鎧を纏っているのが特徴なんだ。アルビオンの火竜騎士団と、クルデンホルフの空中装甲騎士団は、ハルケギニアの竜騎士団の中でも双璧だって言われてる」

 

「ありがと。でも、そう言われてみると、あいつらとはやっぱり違うみたいね」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませながらルイズが言った。

 

「ほんと、一体何者なのかしら? 見た目だけは立派だけど、とんでもなく不敬な連中なのは間違いないわ!」

 

「さすがにそこまでは……」

 

 不埒な騎士たちの正体を詮索する少年少女たちを制して、太公望が言った。

 

「ひとまず、連中のことは後回しにしよう。キュルケよ、さっきの話の続きなのだが。おぬしが気付いたこととはなんだ?」

 

「それなんだけどね。街を歩いている貴族や平民たちの服が、なんだかおかしいのよ。流行遅れどころの話じゃないわ」

 

 キュルケにそう言われてみて、改めて道行く人々の服装に目を留めた一同。

 

「うぬう……確かに、着ているものが微妙に異なっておるのはわかるのだが」

 

「そう? わたしはどこが変わってるのか全然わからないけど」

 

「同じく」

 

「わたしも」

 

 キュルケは痛む頭を押さえながら、周囲には聞こえぬような小声で言った。

 

「ミスタ・タイコーボーはともかくとして、タバサとヴァリエールとモンモランシーは年頃の女の子なんだから、もう少し流行ってものを知っておいたほうがいいわよ。もうハッキリ言うけどね、誰も彼も、とんでもなく時代遅れな格好してるじゃないのよ!」

 

「そうかしら? わたしは別に、そんなふうには感じないけど」

 

「ま、ヴァリエール領は田舎だものね。わからなくても無理ないわね」

 

「ひ、ひひ、久しぶりに、け、喧嘩売ってるのかしら? ツェルプストー。そもそもあんたの家、うちの隣じゃないのよ!」

 

「街中で騒ぐのはだめ」

 

 街の人々の時代遅れな服装に、不敬にもユニコーンを駆る騎士隊。そして、街並み全体から漂う違和感。これらが示すものとは一体何なのか。太公望が思考の淵へと沈み込もうとした直後。今度は背後から声をかけられた。

 

「おうナルシス! 探したぞ。こんなところにいたのか」

 

 振り返ると、そこには短く刈り上げた金髪に筋骨隆々の偉丈夫と、片眼鏡(モノクル)をかけた貴族の青年が立っていた。彼の髪は銀……と、いうよりも。まるで頭から灰でも被ったような色をしている。

 

 大男はずんずんとギーシュのところへ近付いていくと、訝しげな顔をして言った。

 

「おいおいなんだ、その格好は! いつもより、随分と地味じゃないか」

 

 どうやら、またしても人違いをされてしまったらしきギーシュは派手なフリルのついたシャツを着ている。これで地味ということは……その『ナルシス卿』なる人物は、普段どんな服装をしているのだろう。

 

 ギーシュを除く、水精霊団全員の心がひとつになった。

 

 片眼鏡の青年が、ギーシュをしげしげと見つめながら言った。

 

「と、いうか。それ、改造してあるけど魔法学院の制服だろう? おまえ、なんでそんなものを着てるんだ?」

 

「なんでと言われましても……」

 

 これで、本日二度目の人違い。今度はモンモランシーが助け船を出した。

 

「失礼、ミスタ。誰かとお間違えなのではありませんこと?」

 

 すると、偉丈夫の顔が一瞬で真っ赤になったかと思うと、すぐさま穏やかなものに変化し――次の瞬間。彼は猛烈な勢いでモンモランシーの前に跪いた。

 

「お仕えさせてくださいッ!!」

 

「ひうッ!」

 

 いきなりのことに、思わず後ろへ飛び退くモンモランシー。

 

「わたくし、あなたさまのような可憐な美少女にお仕えするのを夢見て、騎士となった男であります! 何とぞ、供のひとりに……」

 

 そう言って頭を上げた男の顔は、自分を取り囲んでいる水精霊団――おもに女生徒たちのほうをぐるりと見回した後、愉悦に崩れた。

 

「こ、こんなッ、揃いも揃って美少女ばかり……皆々様に申し上げ奉る! どなたか、この哀れな子羊の夢を叶えてはくださらんかッ!」

 

 満面の笑みで叫んだ偉丈夫の目と白い歯が、キラリと輝いた。彼は今にも少女たちに縋り付きそうな勢いだ。一見すると爽やかそうにも思えるが、言動が色々と沸いている。一同、完全にドン引きだ。同行者らしき片眼鏡の青年も、すぐ側で頭を抱えている。

 

「へ、変態……」

 

 ルイズが思わず口にした言葉に、大男は顔色を変えた。

 

「変態!? いくらなんでもその言い方は……って、カリン! カリンじゃないか! お前もナルシスと一緒にいたのか。しかし、なんだその格好は? 正直に言わせてもらうが、薄気味悪いくらい似合ってるぞ」

 

「は? カリン?」

 

 ルイズは、ぽかんとして大男を見つめた。カリン――それは自分の母が世を忍ぶ仮の名前として用いていたものではないか。それが何故、目の前にいる変態の口から飛び出してきたのだろう。

 

 桃髪の少女が呆然とその場に突っ立っていると、今度は片眼鏡の青年が近付いてきて、彼女の額に手を伸ばした。

 

「なあ、カリン。お前……熱でもあるのか? 女装して街を歩くだなんて。とうとうおかしくなったか?」

 

 ルイズはその手をパシッを払うと、形のよい眉根を寄せて怒った。

 

「レディに気安く触らないでよ! 失礼ね」

 

 そんなルイズの様子を見た偉丈夫が、ギーシュに向けて呆れ声を出した。

 

「そうか、わかったぞ! おいナルシス。お前がカリンに変なこと吹き込んだんだろう? こいつは女みたいに綺麗な見た目だから、こういう格好させたら引き立つのは間違いないし、実際ものすごく似合っているわけだが……」

 

 それを聞いたルイズのこめかみが、ぴくぴくと痙攣した。

 

(女みたいってはどういうこと!? わたしは、れっきとした女よ!)

 

 ……ああ、そうか。胸がぺったらだからか。まるで洗濯板みたいだからか。伸ばした後のパン生地みたいにまったいらだから男にしか見えないとでも言いたいのか。公爵家の娘ともあろう者が、こんな木っ端貴族から侮辱を受ける謂われはない。

 

(それに、カリンですって!? その名前は『伝説』なのよ、気安く使っていいものじゃないわ。こいつらと、こいつらの実家に抗議してやるんだから!!)

 

 瞬きの間にそこまで思考を巡らせたルイズが再び口を開こうとした、その時。通りの奥から悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。

 

「おーい、誰かッ! 誰でもいいから助けてくれ――ッ!!」

 

 それを聞いたルイズの顔色が、劇的に変わった。

 

「サイト! 今の声、サイトに間違いないわ!!」

 

 しかも、助けを求めていた。

 

 あのサイトが悲鳴を上げるだなんて、余程のことがあったに違いない。そう判断したルイズは青年たちを振り払うと、先程までの怒りなど放り出し、脇目も振らずに駆け出した。

 

「ああッ、これ。先走るでない! ……ええい仕方がない、皆の者、わしの後に続け!」

 

 太公望の号令で、残る水精霊団の一同もルイズの後を追って走り出した。

 

 その場に取り残されたふたりの男は、顔を見合わせた。彼らの表情は先程までとは異なり、険しいものに変わっている。

 

「おい、サンドリオン。今の悲鳴……セント・クリスト寺院のほうから聞こえたぞ」

 

 サンドリオンと呼ばれた片眼鏡の青年は、頷いた。

 

「ああ。まさかとは思うが、おれたちの代わりに別の誰かが巻き込まれたんじゃ……」

 

 それを聞いた大男の顔が、真っ青になった。

 

「そりゃまずい! そんなことになったら、今度は減俸どころじゃすまないぞ!!」

 

「そういうことだ。急ぐぞ、バッカス」

 

 ふたりは頷き合うと、通りの外れにある寺院に向かって駆け出した。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――平賀才人は、心底参っていた。

 

「あー。これ、どう見てもいけないのは俺のほうだよなあ……」

 

 冷静になって考えてみれば、この貴族の女の子は何ひとつ悪いことなんかしていない。せいぜい才人に向かって生意気な口を利いたくらいだ。それだって、事故とはいえ彼がこの少女を下敷きにしたりしなければ、起きなかったことだ。

 

「情けねえ。いくらイラついてたからって、女の子相手に一方的に喧嘩ふっかけて、おまけに泣かせるとか。こんなだから俺、モテないんだろうな」

 

 それに。もしもこんなところをルイズに見られたら……どう思われるだろう。そんなふうに才人が自己嫌悪に陥っていると、寺院の外から声が聞こえてきた。

 

「サイト! サイト――ッ!!」

 

 遠くまでよく響く、透き通った――それでいて聞き覚えのある、あの声は。

 

「げ、マジでルイズが来ちまった!」

 

 才人は、今度こそ本当に慌てた。

 

「なあおい、お前! いい加減泣きやんでくれよ」

 

 そう言って少年の肩を揺さぶったが、泣き声はますます激しくなるばかり。

 

「誰かが泣いてるみたいね。待ってて、すぐに助けに行くから!」

 

 やめて! むしろ来ないで!

 

 思わずそう叫びたくなった才人であったが、遅かった。ルイズを先頭に、杖を手にした水精霊団の仲間たちが、ぞろぞろと揃って寺院の裏庭に入り込んできてしまった。

 

 最初にルイズの視界に入ったのは、悪戯がばれて縮こまっている子犬のような顔をした才人と。そのすぐ隣で大声を上げて泣く……自分と同じ桃色の髪をした、小柄な少女の姿だった。

 

「そそ、その子……誰?」

 

 なんか、ルイズの声がカタい。才人の顔が引き攣った。

 

「いやその、こいつは……」

 

 ルイズはぷるぷると身体を震わせたかと思うと、俯きながら、まるで機関銃のような速度で言葉を紡ぎ出した。

 

「いきなりあんたの姿が消えちゃったからわたしたちものすごく心配して急いで来てみればこんな薄暗いところで女の子泣かせてるとかあんたふざけてるのねえどゆことわたしの手で天国に送って欲しいとでもいうのかしら言い訳があるなら言ってみなさいよほら早く話しなさいわたしは気が長いわねって母さまに褒められたこともあるけどそれにも限界ってものがあるのよわかるかしら」

 

 と、そこへ先程の男ふたりが追いついてきた。

 

「なんだ? どうしてカリンがこんなところで泣いてるんだ……って、え!?」

 

 偉丈夫――バッカスと呼ばれた男が、泣いている少年とルイズを交互に見て喚いた。

 

「か、カリンがふたり!? どういうことだあ!」

 

「向こうで泣いてるほうがカリンだな。ま、単なる人違いだろう。世界には、自分と良く似た人間が三人いるって言うしな」

 

 彼らのやりとりに、太公望が反応した。

 

 カリン――もちろん彼は、その名前をよく覚えている。

 

(ルイズと瓜二つな、騎士装束の少女。『扉』をくぐる時に感じた微妙な違和感。どこか普段と違う街並み。時代遅れの衣装を身に纏う街人たち。王女にしか使用が許されないはずのユニコーンを駆る、不敬な大公の騎士ども。これは、まさか――!)

 

 そんな太公望の内心など知るよしもなく、サンドリオンはカリンと呼ばれた少女の元へ駆け寄ると、彼女の肩を揺すった。

 

「おい、どうしたカリン。なんで泣いてるんだ?」

 

 すると、カリンは才人を指差して言った。

 

「こ、こいつにやられた……」

 

 それを聞いたバッカスが、肩をいからせて凄んだ。

 

「なんだとォ!? こいつめ。平民の分際で、よくもカリンをいじめやがったな!」

 

 才人は、ぶんぶんと首を振って否定した。

 

「ち、違いますって、正々堂々とした決闘の結果です! なあ!?」

 

 才人がそう言うと、カリンはこくりと頷いた。

 

「ああ、お互いの意地を賭けた決闘だった。それなのに負けたあ! うわ~ん!!」

 

 サンドリオンはくるりと振り向くと、ギーシュに向かって問うた。

 

「ひとつ確認するが……もしかして、そこのきみもナルシスではない、とか?」

 

「失礼ですが、人違いです」

 

 サンドリオンは、片手で顔を覆った。

 

「やっぱりそうか。しかし参ったな……」

 

 うんうんと頷きながら、バッカスが言った。

 

「お前の言う通りだ、サンドリオン。まだ見習いとはいえ、うちの隊士が平民に負けたというのはどうにも外聞が悪い」

 

「いや、そっちは正直どうでもいい」

 

「ええ? いいのかよ、おい!」

 

「ああ。それどころか平民の身でカリンを負かすなんて、たいしたもんだと思うぞ。おれが困っているのはだな……」

 

 と、寺院の外側から軍靴と思われる複数の足音と、大きな声が響いてきた。

 

「トリステインの諸君はおられるか!!」

 

 ふと見ると、そこにはゲルマニア人とおぼしき騎士たちが、隊列を組んで立っていた。その数、およそ三十名。

 

「うげ、まさか……」

 

 顔色を変えたバッカスに、サンドリオンがため息をつきながら答えた。

 

「そのまさか、だ。時間切れ……ここからは、おれたちが決闘する番だ」

 

「冗談だろ!? あいつら、前にやりあったときは十人だったじゃないか! まさかあんなに引き連れてきやがるとは……」

 

 先頭に立っていたゲルマニア貴族が、大声で叫んだ。

 

「やあやあ、トリステインの貴族諸君! 貴君らの強さに敬意を表したいと、トリスタニアに住まうゲルマニア貴族がこれだけ集まった! 是非とも我らからの礼を十二分に受けられたし!」

 

 バッカスが青い顔で言う。

 

「参ったな。あれだけいたら、さすがにどうにもならんぞ」

 

「こいつも、今回は役に立たなさそうだし……」

 

 サンドリオンはカリンを見ながらそう言うと、ちらりと才人に目をやった。そこに明確な意志を感じ取った才人は、ばっと手を挙げて言った。

 

「お、俺、助太刀します!」

 

「貴様が?」

 

 胡散臭げにバッカスが言うと、才人は頷いた。

 

「は、はい。えと、カリンさんがこんなふうになっちゃったのは、俺のせいだし」

 

 サンドリオンの片眼鏡の奥が、きらりと光った。

 

「そうか。なら、頼む」

 

 そのままゲルマニア人たちのほうへ向かおうとした三名だったが、しかしそれに待ったを掛けた者がいた。太公望である。

 

「待て。これはいったいどういう状況なのだ? 内容いかんによっては『ソード』に手助けをさせるわけにはいかぬ」

 

「師叔! でも……」

 

「死人が出るかもしれぬような場へ、仲間を放り出すわけにはいかぬ」

 

 そう言われて、ぎくりとする才人。

 

 彼らのやりとりを見たサンドリオンはため息をつくと、事情を語り始めた。

 

「先週な、あのゲルマニア人たちと『洞窟の松明』亭で、金を賭けてカードをやったんだ。ところが連中ときたら、店の親父と手を組んで、いかさまをしていたんだよ。こっちがそれに気付いて指摘したら杖を抜いたんで、仕方なく応戦したという訳さ。おれはドンパチが大嫌いなのに、無理矢理付き合わされて……」

 

 サンドリオンの説明に、バッカスが補足した。

 

「俺たちは三人、相手は十人だったんだぜ。今日はその時の礼がしたいと向こうが申し入れてきたから受けてやったまでのことだ。そしたら、ご覧の有様というわけさ」

 

「なるほど。十人では倒しきれぬから、徒党を組んできたというわけか。もうひとつ確認させてもらいたいのだが、今の説明に嘘偽りはないのだな?」

 

「ああ。なんなら『始祖』に誓ってもかまわない」

 

「では、最後の質問だ。おぬしたちは連中と殺し合いをするつもりか?」

 

 その問いに、才人とはじめとした水精霊団の一同はぎょっとした。だが、サンドリオンは生真面目な顔で言った。

 

「できれば少々打ち合いをして、両陣営に負傷者が出ないうちに撤収するのが理想だろう。このあたりで遺恨の連鎖を断ち切っておかないと、ゲルマニアと戦争になりかねん。しかし残念ながら、こちらから引くわけにはいかないんだ」

 

「それは何故だ?」

 

「これとは別件なんだが、色々と面倒な事情を抱えていてな」

 

 と、それを聞いたレイナールがすっと手を挙げて言った。

 

「ねえ、ぼくも手伝わせてもらっていいかな?」

 

「おぬし、何を言い出すのだ!」

 

 レイナールは太公望の問いかけには答えず、ふたりの青年貴族に振り返って言った。

 

「ぼくの名は『ブレイズ』。火と風を『ライン』レベルで扱えるよ。ただ、どっちかというと〝風の剣〟を使った接近戦のほうが得意かな」

 

 と、今度はギーシュが名乗りを上げる。

 

「ひとりは、みんなのために。みんなは、ひとりのために。これは、我が『水精霊団』の誓いだ。多勢に無勢にも程があるし、サ……ソードとブレイズが彼らに助太刀するというのならば、ぼくも協力しよう。ぼくの名は『ブロンズ』だ。〝土〟のラインで、ゴーレムの操作が得意技さ」

 

 続いてキュルケが杖を抜いて宣言した。

 

「バレなきゃいかさまじゃないと思うけど、種明かしされた後に杖を抜くだなんて、みっともないったらないわね。同じゲルマニア貴族として、放っておけないわ」

 

 そう言うと、ふたりの青年貴族に向けて微笑んだ。

 

「あたしの名前は『フレア』。こう見えても、火の『トライアングル』。お二方の足手まといにはなりませんことよ」

 

「おおッ! オレはバッカス。お嬢さんと同じ火系統で、ランクも同じだッ! よろしく頼むぜ」

 

「まあ、奇遇ですわね。こちらこそ、よろしく」

 

 ほんの少しだけキュルケの顔が引き攣ったのだが、偉丈夫はそれに気付かない。片眼鏡の青年はそんな同僚を見て、苦笑しながら名乗った。

 

「おれの名はサンドリオン。得意な系統は水だ。ただし、治癒よりもどちらかというと防衛や接近戦のほうが得意でな。回復についてはあまり期待しないでもらいたい」

 

 と、そこへさらにタバサが名乗りを上げた。

 

「わたしも参加する。名前は『スノウ』。系統は風。四つまで重ねられる」

 

「その歳で『スクウェア』か!」

 

「凄いな……あのカリンだって、まだ『ライン』なのに」

 

 レイナールが、意味ありげに太公望のほうを伺った。

 

「ええい! ここでおまえらだけ行かせるような真似をしたら、あとであのクソジイイから何を言われるかわからんではないか!」

 

「そうだろうね。あなたはぼくたちのリーダーを任されているんだから」

 

 したり顔で言うレイナールに心底迷惑そうな顔を向けた後、太公望はサンドリオンとバッカスに名乗った。

 

「わしは花壇騎士団の末席を汚す身分だが――おぬしたちに手を貸すとしよう。これからは『ハーミット』と呼んでくれ。得意な系統は風だ」

 

 バッカスが、ヒュウと口笛を吹いた。花壇騎士はガリア王国騎士団の花形だ。叙せられるためには相応の家格と実力が必要とされている。バッカスは当然そのことを知っていたのだった。

 

 しかしながら、全員参加の流れに否を突き付ける者も出た。

 

「わ、わたしは嫌よ、決闘なんて!」

 

「わたしも……みんなが怪我したら、手当てくらいはしてあげてもいいけど」

 

 ルイズとモンモランシーだ。身内に危険が迫った、あるいは誰かを守る、そういった戦いには参加する彼女たちは、決闘のような行為を好んでするような性格ではない。

 

「フローラルは、もともと戦闘向きではないからのう。済まぬが、こやつの面倒を見ていてくれぬか?」

 

 そう言って、カリンを指差す太公望。モンモランシーは頷いた。

 

「コメット。気が乗らぬ気持ちはよくわかるのだが、わしが思い描く理想の勝利を得るために、可能であればおぬしの〝力〟を貸して欲しいのだ」

 

「ま、まあ、そこまで言うなら、参加してあげても、い、いいわ。その代わり……」

 

 仏頂面で、才人が言った。

 

「お前のことは、俺が護る。いつもと変わんねえよ」

 

「そ、そう。なら、いい、いいわ」

 

「そうしてくれ。それが、今回わしが立てた策における、重要なポイントなのだ」

 

「は?」

 

「どういうことだ?」

 

 そして、簡単な打ち合わせの後……ゲルマニア人たちとの戦いが始まった。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――なんか、体育祭の騎馬戦……いや、サバゲーやってる気分だ。

 

 大乱戦の中。ルイズのことを肩車して廃墟の中を走り回りながら、才人は暢気にそんなことを考えていた。

 

 太公望が戦闘開始前に提案した作戦。それは――。

 

「捉えたわ! イル・アース・デル……」

 

 ルイズの詠唱が完成したと同時に、ゲルマニア人のうちのひとりが持っていた杖が派手に爆発を起こす。直近で爆風を受けた数名が、吹き飛ばされて地面に転がった。

 

「ああ、もう! 倒れちゃったら杖がよく見えないじゃないのよ! 軍人なんだから、あのくらい耐えなさいよね」

 

「いや、それ無理だから……」

 

 〝ガンダールヴ〟才人の移動速度とルイズの驚異的なバランス感覚によって実現した恐怖の『移動砲台』によって、ゲルマニア人たちが持つ杖をピンポイントで狙い撃つというものであった。

 

「しっかし、メイジって杖無くしたらほんとになんもできなくなるんだな。あいつらみんな騎士っぽい格好してんのに武器持ち歩いてないとか、ありえねえんだけど」

 

「何言ってるのよ! 貴族が杖以外の武器を持つなんて、そんな恥ずかしい真似できるわけないじゃない」

 

「え、そういうもんなの?」

 

「弓矢や剣で倒したり、倒されるなんて下品だし、恥さらしなの! 平民同士で戦うわけじゃないんだから」

 

「魔法の剣とか鞭、あるじゃねえか! 似たようなもんだろうが」

 

「全然違うわ!」

 

「俺は、どっちだろうが結局は同じだと思うんだけどなあ」

 

 数名の杖を吹き飛ばされてから、ようやくルイズの脅威に気付いたゲルマニア人たちだったが、彼女を背負っているのは指ぬきグローブで〝ガンダールヴ〟の能力を発動させた才人である。並の人間ではまず追いつけない。

 

 おまけにトリステイン側のメイジたちが、全員揃って補佐や妨害に回っているせいで、〝眠りの雲〟や〝風の縄〟などの拘束系呪文を唱え、足止めすることも敵わない。結果、彼らは少しずつだがその戦力を削られていった。

 

 〝水流の盾(ウォーター・シールド)〟の呪文を維持しながら、サンドリオンが感心したように呟く。

 

「少々えげつない方法だが、効率的だし――何より相手が大怪我をしないのがいいな」

 

 いくつもの〝炎球(フレイム・ボール)〟を地面に向けて投げつけることでゲルマニア人たちの進路をコントロールしながら、バッカスがそれに答えた。

 

「あのお嬢ちゃん、なかなかやるじゃないか! 女にしとくのが勿体ないぜ」

 

「ああ。少なくとも、カリンを負かすほどの剣士を引っ込めただけの価値はあるな」

 

「それにしても、見れば見るほどカリンとそっくりだな」

 

「最初はどっちがどっちだかわからんかったからな。案外、親戚だったりしてな」

 

「ナルシスのそっくりさんもいることだし、その推測は間違ってないかもな」

 

 彼らの視線の先では、ギーシュが『ワルキューレ』を繰り、ゲルマニア人たちの行く手を阻んでいる。相手にできうる限り怪我をさせないために、七体全てが盾のみを装備する徹底ぶりだ。

 

 そのすぐ横ではレイナールが〝風の鞭〟を振り、才人たちを追い掛けようとしていた貴族を転ばせていた。さらに、倒された貴族のマントを『如意羽衣』で滞空していたタバサが〝氷の矢(アイシクル・アロー)〟で地面に縫いつける。

 

「ふむ。なかなかどうして、全員まだ学生とは思えない動きじゃないか」

 

「ああ。正直、今すぐうちの隊に来てもらいたいくらいだぜ」

 

 水精霊団の一糸乱れぬ動きに、騎士たちは感心しきりといった体で魅入っていた。

 

 ――だが、そんな油断が思わぬ危機を招いた。

 

 ゲルマニア人とて、ただやられるばかりではない。烏合の衆にも見えた彼らはれっきとした軍人だった。しっかりと彼我の戦力差を認識し、行動に移った。ルイズが起こした爆風で倒されたフリをしていたメイジが仲間の身体を盾に杖を隠し、地面に向けて魔法を唱えたのだ。

 

 その呪文は〝錬金〟。地面の一部が沼地に変わった。

 

「うお、危ねえ!」

 

 突如発生したぬかるみに足をとられた才人は、その場で転びそうになりながらも、かろうじて踏みとどまった。

 

 しかし、その動きを敵は見逃さなかった。さらに〝土腕(アース・ハンド)〟の呪文――地面から腕を生やし、敵を捕らえる魔法を展開することで、才人の足を絡め取る。

 

「なんだこれ! 放せ! 放せってば!!」

 

 動けなくなった才人とルイズの前に、今度は泥でできたゴーレムが何体も現れ、彼らをぐるりと取り囲んだ。〝クリエイト・ゴーレム〟の呪文だ。

 

「や、やべ……」

 

 ルイズを背負っているため、デルフリンガーを抜くことはできない。かといって、彼女を降ろしていては間に合わない。上空を舞っていたタバサが彼らの危機に気付き〝風の刃〟の詠唱を開始したが、呪文の完成までにはタイムラグがある。

 

 やられる! 才人がそう思った時だった。

 

「ゴールド・レディ! そいつらをやっつけろ!!」

 

 どこからともなく聞こえてきた声と共に、ぴかぴかと金色に輝くゴーレムが現れた。

 

 全長三メイルほどの、貴婦人のような姿形をしたそのゴーレムは、手にした鉄扇の先端で才人の拘束を外すと、その大きな身体からは想像もつかない程優雅な動きでもって、泥のゴーレムたちを片っ端からバラバラにしていく。

 

 ほんのわずかな時間で、敵の造り出したゴーレムは全滅した。

 

「あっはっは! どうだい、ボクの純金の貴婦人は! 素晴らしいだろう?」

 

「純金じゃなくて真鍮だろ!」

 

「ナルシス! おまえ、来るのが遅いよ!!」

 

 バッカスとサンドリオンのツッコミもなんのその。ナルシスと呼ばれた青年は気取った声でこう言った。

 

「いやぁ、詰め所できみたちの行き先を聞いてね。もしやと思い、慌てて追い掛けてきたわけだが……なかなかいいタイミングだったようだね」

 

 裏庭に現れた青年貴族は、しかしどうにも頭の痛くなるような服装をしていた。羽織ったマントはその色こそ落ち着いた漆黒であったが、派手な羽毛の飾り襟がついている。おまけに着込んでいるシャツはどぎつい紫色で、ご丁寧にも光を反射してキラキラと輝くラメが編み込まれていた。

 

 そして、見た目は――確かにギーシュと瓜二つであった。同じ服を着せて横に並べたら、双子といっても通用するだろう。ナルシスの顔に薄く施されている化粧を落とせば……だが。

 

「さて、勇敢なる我が衛士隊の仲間たちと学生諸君。このボクが来たからには、もう今のようなことは起こり得ない。そろそろ勝負を決めようじゃないか」

 

「ちぇ。遅れて来たくせに、偉そうに」

 

「まあまあ、バッカス。今回ばかりは主役を張らせてやろうぜ」

 

 そんな彼らを横目で見つつ『打神鞭』で風の壁を作りながら、太公望が言った。

 

「ふむ。この調子ならば、誰も怪我せずに終われそうだのう」

 

 その声に、サンドリオンが笑顔で答える。

 

「ああ、おかげさまでな! これが終わったら、しかるべき礼をさせてもらう。実は、美味い酒と料理を出す店を知ってるんだ」

 

「ほう、それは楽しみだのう」

 

 ――いっぽうそのころ。モンモランシーは彼女の戦場で奮闘していた。

 

 彼女は未だにぐずっているカリンに向けて、こう言って発破をかけた。

 

「ねえ、あなた。『カリン』の名前を継ぐ者として、恥ずかしくないの?」

 

「はえ?」

 

 何を言われているかわからない。そんな目で、モンモランシーを見つめるカリン。

 

「あなた、男の子なんでしょう? それに、その名前。偽名じゃないのよね?」

 

「あ、当たり前だッ!」

 

「だったら、もっとしゃんとしなさいな。『カリン』の名が泣くわよ?」

 

「はぁ? どういう意味だ?」

 

 モンモランシーは、ぽかんとして言った。

 

「あなた……『吹き荒ぶ烈風』の代名詞を知らないなんて、どこの田舎者よ」

 

 カリンは真っ赤になって言い返した。

 

「だ、誰が田舎者かッ! そ、そのくらい、知っているに決まってるだろう!!」

 

 そんな話は聞いたこともなかったが、カリンは田舎者と笑われるのがイヤで、精一杯の虚勢を張った。

 

「なら、その名前には大きな意味があるってことも、わかっているわよね?」

 

「と、当然だッ!」

 

「だったら、いつまでもグズグズ泣くのはおよしなさいな。ほら! あなたの仲間たちは、みんな向こうで戦ってるわ」

 

 そう言ってモンモランシーが指差す先では、確かにカリンの仲間――豪快なバッカスと気障なナルシス。それに臆病者のサンドリオンが、ゲルマニアの小隊を相手に杖を交えている最中だった。自分を負かした少年剣士も同じ戦場に立っている。

 

(ここで何もしないで泣いていたら、またあいつら(・・・・)に笑われる!)

 

 それを思うと、カリンの心は激しく震えた。

 

(憎たらしいあいつ、サンドリオン! 臆病者のくせに、いつも涼しい顔してぼくのことを馬鹿にして! なにが『勇気と無謀は別』だ! そんなのは、弱虫の言い訳じゃないか! それに、あの生意気な平民! さっきは油断して不覚を取ったけど、今度こそ本当の実力を見せてやる。ぼくの名前――『カリン』の代名詞らしい、吹き荒ぶ烈風を!)

 

 カリンはシャツの襟でぐいと涙を拭うと、詠唱を開始した。途端に、カリンの周囲を猛烈な旋風が包み始める。

 

 最初に異変に気が付いたのは太公望だった。

 

「ぬ? なんだか様子がおかしいぞ」

 

 太公望の言葉に、サンドリオンが反応した。

 

 彼の視線を追うと、その先に――カリンが立っている。周囲に、囂々と吹き荒れる『烈風』を纏って。サンドリオンは真っ青になった。どうやら、カリンは怒りで我を忘れているようだ。

 

(あ、あんな風が解き放たれたら、間違いなくこの辺りの全てが吹き飛ぶぞ! あの馬鹿、頭に血が上ってそんな判断すらつかなくなってるんだ!)

 

「やばい、逃げろ!」

 

 その声に、バッカスとナルシスが反応し――異変の原因を察知すると、一目散に逃げ出した。太公望も、当然カリンの〝風〟に気が付いていた。大慌てで全員に声を掛ける。

 

「皆の者、伏せるのだ!」

 

 そして、大急ぎで『太極図』をカリンに向ける。

 

「あれは……」

 

 急いで空から降り、地面に伏せていたタバサは見た。太公望が持つ杖の先から、螺旋を描くように文字状の光が流れ出してゆく様を。

 

(あの『切り札』で、風を届かせないようにしようとしている?)

 

 次の瞬間。カリンの〝(ストーム)〟が完成した。猛烈な暴風が、その場にいた全員に襲いかかろうとしたその時、太公望の『太極図』が展開し、渦を巻き、発生した烈風をぐるりと包み込んだ。すると、徐々に風が弱まっていくではないか。

 

(あれは地面に描く以外に、あんなふうに使うこともできるのか。つまり、攻撃呪文を届かせないための魔法なんかじゃない。もっと、ずっと怖ろしい……)

 

 そこまで考えたところで、タバサは猛烈な風によって大空へ吹き飛ばされ、くるくると宙を舞った。彼女だけでなく、仲間たちも、協力して戦ったふたりの青年貴族も、敵対していたゲルマニアの貴族たちもが暴風の渦に巻き込まれた。

 

(なるほど。彼が距離を取りたがっていたのは、こういうこと……)

 

 あの『切り札』は、詠唱を完成させるまでに時間がかかる。だから、刻を稼ぐために距離を必要としたのだ。けれど今回は咄嗟のことで、展開が間に合わなかったから――。

 

 タバサが考察できたのは、残念ながらそこまでだった。荒れ狂う風にもみくちゃにされ、徐々に意識が遠ざかってゆく――。

 

 

○●○●○●○●

 

「あれ?」

 

「ここは……」

 

 水精霊団の一同が目覚めたのは、魔法学院の医務室だった。全員、きょとんとして顔を見合わせると、口々に喋り始めた。

 

「わたしたち、確かトリスタニアにいたのよね?」

 

「うん。そんでもって、あのルイズの母ちゃんと同じ名前名乗ってたやつと決闘して、大声で泣かれて……」

 

「そうそう。そのあと、ゲルマニア人たちと戦ってたはずなんだよ」

 

「サイトとルイズのピンチを、ギーシュのそっくりさんが助けてくれたのよね」

 

「そんで、もうすぐ勝てそうってところで、とんでもない風が吹いてきて……」

 

 わいわいと騒いでいた一同の耳に、オホンというわざとらしい咳払いが聞こえてきた。全員が振り向くと、そこには学院長のオスマン氏が立っていた。

 

「君たちはだな。『夢見の箪笥(たんす)』の中にいたのじゃよ」

 

「夢見の箪笥?」

 

「そうじゃ。そこに入ると白昼夢を見てしまうという、実に困った魔道具でな」

 

「なあんだ、そうだったんですか」

 

「でも、すげえリアルな夢だったよなあ」

 

 まるで、師叔の〝夢渡り〟みたいだ。かつて連れて行かれた『部屋』を思い出した才人であったが現時点ではまだ内緒であるため、そこまでは口にしなかった。

 

「それにしても、まさかこんな大勢で飛び込むとはおもわなんだぞい。お陰で、あの箪笥は完全に壊れてしまったようじゃ」

 

「あう、も、申し訳ありません……」

 

 神妙に頭を下げる一同へ鷹揚に頷き返すと、オスマン氏は言った。

 

「まあ、済んでしまったものは仕方がない。その代わり……罰として、来週の虚無の曜日も倉庫掃除をしてもらうからの」

 

「うええええ……」

 

「わ、わかりました……」

 

「まあ、弁償することを考えたらまだマシだよ……貴重な魔道具を壊したんだから」

 

 項垂れる生徒達を尻目に、オスマン氏は医務室を後にした。それからどこかへ行こうとしたところを、ひとりこっそりと部屋を抜け出し、彼の背後に回っていた太公望に呼び止められた。

 

「『夢見の箪笥』だと? なかなか面白い冗談ではないか」

 

「やはり気付いていたか。とっさに、きみの『部屋』を思い出してつけた名前じゃが、なかなかそれっぽい雰囲気じゃろ?」

 

「あの箪笥が壊れたというのは本当か?」

 

「ああ、おかげさまでな。見に来るか?」

 

 太公望は頷くと、オスマン氏の後に続いて火の塔の二階にある倉庫を訪れた。

 

 そこにあった箪笥は、確かに壊れていた。底板が割れ、両開きの扉も傾いている。

 

「これは『過去への箪笥』と呼ばれた魔道具じゃ。その名の通り、触れた者を過去の世界へ運んでしまうというやっかいなシロモノでな。横にあるボタンで、いつでも中に入った者を呼び戻すことができるが……どこまで時間を遡るのかまではわからんのじゃよ」

 

「ま、まさか、時間を移動できる魔道具なんぞが倉庫にポンと仕舞われとるとは……」

 

 それを聞いた学院長は、首を傾げた。彼をして「底が知れない」と評する人物の顔に、はっきりとした怯えの色が浮かんでいたからだ。

 

「きみたちのところにも、似たような魔法か道具があるのかね?」

 

「時間を『早送り』するものだけは、それなりに知られておる」

 

 時間を早送りする宝貝――その名も『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』。

 

 これは対象者の周囲の『空間』を喰らい、無音の闇に閉じこめる精神系宝貝だ。

 

 創られた闇に囚われた者たちは五感を支配され、さらに通常よりも三万六千倍の速度で進む時間の流れによって、精神と肉体を完全に破壊されてしまう。かの『歴史の道標』が愛用していた畏るべき兵器である。

 

 そして『最初の人』神農が持つ『禁光銼(きんこうざ)』は、過去と現在を行き来することができるという時空間移動宝貝だ。

 

 万が一、この宝貝を『道標』が手にしていたら……? 太公望――いや、道標の破壊者たる『始祖』伏羲は盛大なため息をついた。

 

 が、隣に立つ老爺が彼の心労に気付ける筈もない。不可思議だと言わんばかりの顔で訊ねた。

 

「はて。早送りができるのなら、その逆もやれるのではないかね?」

 

「バケツに入れた水をぶちまける速度を上げるのと、まいた水そのものを元通りバケツの中に戻すのは、どっちが難しいと思う?」

 

「その説明だけで充分じゃわい。と、いうことは――これはもしや〝虚無〟の魔道具だったんじゃろうか」

 

「そうかもしれぬな」

 

 オスマン氏は、ほっと胸をなで下ろした。

 

「……ある意味、壊れてくれてよかった。これの扱いには、ほとほと困り果てておったのじゃよ。なにしろ、誰でも過去に戻れる魔道具だ。悪用されたら大変なことになる」

 

 顔をしかめながら、太公望は答える。

 

「重大な歴史の改変か……最悪の場合、この世界そのものが消滅していたかもしれぬからのう」

 

 それを聞いたオスマン氏は、ずさっと後じさった。

 

「せ、世界が消滅じゃと!?」

 

「おぬし、わかっとらんかったのかい!」

 

「過去を覗き見出来るだけじゃろ? せいぜい王室の弱みを知られるとか、その程度……っちゅうのはアレじゃが、国の面子が潰れるとか、どこかの貴族が没落するくらいなんじゃ……」

 

 太公望は頭を抱えた。そもそも、ハルケギニアでは『空間移動』の概念すら曖昧なのだ。『時間移動』の危険性など理解できるはずもない。

 

「たとえば、おぬしの父上と母上が出会わなければ、どうなる?」

 

「そりゃ、わしは産まれてこない……って、おい、まさかそういうことなのか!?」

 

「そういうことだ。誰かが『箪笥』を悪用して、おぬしの両親を害したとしたら……おぬしはこの場に存在しないことになる。当然だが、おぬしと出会わなかったわしもここにはおらんだろうし、そもそも例の事故が起きたかどうかも怪しいのう」

 

 オスマン氏の顔は、既に海底よりも真っ青だ。彼も伊達に国の教育機関の頂点に居座ってはいない。この説明だけで、過去に戻れるというのがどういうことなのか、どれほどの危険を孕んでいるのかを察したのだ。

 

 そんな聞き手をジロリと睨みつけながら、太公望は続ける。

 

「どうだ? こんな怖ろしいシロモノを、よりにもよって! 誰にでも簡単に触れられる倉庫なんぞに仕舞っておいた危険性を、少しは理解できたかのう!?」

 

「だ、だって、そもそもそこまでヤバい魔道具だとは思いもよらんかったし! どこへ置けばいいのかもわからなかったんじゃもん! 出入りの激しい宝物庫に入れておくわけにもいかんし、かといって学院長室に置いておくというのも……ねえ?」

 

「のう。おぬし、やっぱりいっぺん死んだほうがいいのと違うか?」

 

 ボソッと太公望が呟くと、オスマン氏は咳払いをして言った。

 

「まあ、ともかく。既に壊れてしまったのだから、これ以上の心配は無用じゃ。それにしても、こんなもの……いったい誰が、何の目的で作ったんじゃろうか?」

 

 オスマンの疑問に、太公望はふふんと笑った。

 

「わしにはなんとなく想像がついたぞ。おそらくだが、彼らふたりを出逢わせるためにこそ、この箪笥は存在したのであろう」

 

「む、それはどういうことかね?」

 

「さあてのう。わしは知らぬ。知ら~ぬ」

 

「カ――ッ! また君はそうやって空惚ける!」

 

「ふふん。美味い酒と菓子でもあれば、何やら思い出すかもしれぬのう」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――ちょうどその頃。

 

 ヴァリエール公爵領にある大きな屋敷の一画では、ピンクブロンドをアップにまとめた中年女性が二組の服の手入れを行っていた。そんな彼女の様子を――夫であるラ・ヴァリエール公爵が暖かな眼差しで見守っている。

 

「いったいどうしたのかね? カリーヌや。突然隊服の手入れを始めるとは」

 

「何故か、唐突に昔のことを思い出しましてね」

 

 漆黒のマントに銀糸でマンティコアの絵姿が刺繍されたその服は、トリステイン王国近衛魔法衛士隊・マンティコア隊の正装。カリーヌ夫人と彼女の夫が若き日に身に纏っていたものだ。この制服の手入れだけは絶対に使用人には任せず、夫人が手ずから行うのが習慣となっていた。

 

「昔のこと?」

 

 制服にブラシをかけながら、夫人は答えた。

 

「ええ、あなた。覚えているかしら? チクトンネ街の外れで、わたくしと平民の見習い剣士が決闘した時のことを」

 

「忘れるものかね。あの日を境に、きみは少しずつ変わっていったのだから」

 

 あの時生じた風によって吹き飛ばされた瓦礫や、その他諸々の後始末など、他にもいろいろと言いたいことが山ほどあるのだが、それを口にしたらどうなるか。長い夫婦生活で嫌という程学んでいたラ・ヴァリエール公爵は、静かに妻の言葉を待った。

 

 羞恥でわずかに頬を染めながら、カリーヌ夫人は口を開いた。

 

「家を出る時、父に厳しく言われていたのですよ」

 

「騎士になるために必要なものは、魔法の才能や金貨ではない。何よりも大切なのは勇気――だったかな?」

 

「ええ。『よいか、たとえ相手が誰であろうが一歩も引いてはならん。相手が王さまや隊長殿なら話は別だが、お前はマイヤール家の名を背負うのじゃから。とにもかくにも、勇気を見せる必要があるのだ!』……と」

 

「ははは、まったく義父上らしいな」

 

「あの頃は、本当にその言葉が全てでしたからね。ですが、当時を思い出すと、未だに顔から火が出る程恥ずかしいですわ」

 

「昔のきみは、背中に『決闘全般請け負います』という看板を下げて歩いているようなものだったからなあ……」

 

 そう言って、公爵は遙かな過去を思い出す。

 

 

 ――今から三十年ほど前のこと。

 

 トリステインの片田舎に住んでいた少女カリーヌは、幼い頃……死に繋がる事故に遭った。

 

 そこをマンティコア隊の衛士に命を救われたことで騎士に憧れ、自分の『道』はこれだと定めた少女は家族を説得し、貧しい生活の中で母親が苦労に苦労を重ねて用立ててくれた四十エキューと父の言葉、将来への大きな夢を胸に秘め、王都トリスタニアの門をくぐった。

 

 ところがその日のうちに、なんと彼女はふたつもの決闘騒ぎを起こすに至った。それもこれも、全ては父親の「騎士になるためには、絶対に引いてはならん」という言葉を生真面目に守ろうとした結果によるものだ。

 

「けれど、あの時引かなかったからこそ今のあなたとわたくしがあるのですから……ひとの運命というものは、本当にわからないものですね」

 

「まったくだ」

 

 その時の対戦相手が、マンティコア隊の隊士・バッカスとナルシスのふたりだった。

 

 そして、彼らの介添人としてついてきたのが、今、カリーヌを静かに見守ってくれている夫・ピエール――当時はサンドリオン(灰かぶり)と名乗っていた、その名に相応しい灰のような銀髪の男だった。

 

 深い事情があり、彼が魔法の髪染めを使っているのをカリーヌが知ったのは……それからずっと後のこと。

 

 彼らとの決闘が行われたのも、あのセント・クリスト寺院の裏庭だった。そこで彼女は杖を抜くことになったのだが――複雑な事情が絡み合い、対戦相手はバッカスとナルシスではなく、サンドリオンになってしまった。

 

 結果はカリーヌの勝ちだった。しかし、本当は違っていたのだ。それは実際に戦った彼女自身がよくわかっていた。

 

 何故なら、サンドリオンはちっとも本気を出していなかったばかりか、腹部に巻いた包帯から血が滲む程の酷い重傷を負っており、それを隠して彼女との戦いに望んでいたからだ。もしも、彼が怪我をしていなかったら……地面に叩き付けられていたのはカリンのほうだっただろう。

 

 以後、紆余曲折を経てカリーヌは女であることを隠し、騎士見習い――サンドリオンの従者兼彼の家の居候となるのだが、その時の勝負で「手加減された」「わたしを馬鹿にしている」と認識した少女は以降、やたらと彼につっかかるようになった。

 

 サンドリオンが、彼女の憧れであった魔法衛士隊の正騎士であるにも関わらず、普段から「俺は争い事が嫌いだ」などと公言していたことが、それに拍車をかけた。

 

「戦いを嫌がる臆病者に後れを取るなど、誰よりも勇敢な騎士になることを夢見ていたわたくしにとって、何よりも屈辱的なことでしたから」

 

「あの頃だったかね。きみに『もっと考えて戦え』『勇気と無謀は別だ』と、それこそ口が酸っぱくなるほど言って聞かせたのは」

 

「ええ。ですが、当時のわたくしには、あなたに馬鹿にされているとしか思えなかったのよ」

 

「わしのほうも、きみがそんなふうにわしのことを見ていただなんて、想像すらしていなかったからな……」

 

 それと知らずに竜の尾をぐりぐりと踏み続けていたわけだ。とは、思っていても口には出さない公爵であった。

 

「ちょうどそんな時でした。チクトンネ街の通りを歩いていたところを、よそ見をしながら歩いていた平民の少年に体当たりされて、道端に転がされた挙げ句、下敷きにされたのは。今のわたくしでしたら、子供のしたことだと大目に見たでしょうが……あの時は、その、あなたとのこともあって少々苛立っていたものですから……」

 

「それで、少しばかり生意気な平民をこらしめてやろうとわざわざセント・クリスト寺院の裏庭へ引っ張っていったら――痛い目に遭ったのはきみのほうだったわけだ」

 

 夫の言い様に苦笑しながら、夫人は答えた。

 

「あの頃のわたくしは、少しばかり魔法の才能があるからといって、うぬぼれていたのです。あなたに負けて、あの平民の少年にも打ちのめされて。このままでは騎士になるなんて無理だと、本気で思い悩みました……」

 

 こうして隊服の手入れをしていると、カリーヌ夫人はいつも当時のことを思い出し……自嘲することになる。

 

 ――あの日の出逢いがなければ、今のわたくしは存在しなかったかもしれない。

 

 この時の敗北を境に、カリーヌは徐々にだが変わっていった。少なくとも、対峙した相手を一方的に見下したり、戦いの最中に油断をするようなことはなくなった。たとえ魔法を使えぬ平民といえど、武器を掴めばとてつもない脅威となることがある。それを嫌というほど身体に刻み込まれたがゆえに。

 

「あれからしばらくの間、暇さえあればチクトンネ街を彷徨(うろつ)いていましたけれど……二度とあの少年に会うことはできませんでした。一体、どこに消えてしまったのか……」

 

「ちょうどエスターシュ大公の親衛隊と睨み合っていた時期だったし、少しでも戦力が欲しかったから、わしもそれとなく彼らのことを気に掛けていたんだが……結局行方がわからなかったな。魔法学院にも問い合わせてみたが、それらしい生徒はいないという返事だった」

 

「花壇騎士がついていたのだから、ガリアからの旅行者たちなのではないかね? などと、ナルシス卿――グラモン伯爵が言っていましたが……」

 

「あの中にひとりでもトリステイン貴族がいれば、是非とも近衛衛士隊に勧誘したくてね。結局徒労に終わってしまったが、彼らが仲間になってくれれば、あのあとの戦いもだいぶ楽になっていただろうに」

 

「……そうですわね」

 

 呟くようにそう答えると、カリーヌは、再び自分に泥をつけた少年剣士に思いを馳せた。しかし三十年以上も前のこと。トリステインでは珍しい黒髪だったこと以外、今ではその顔形すらろくに思い出せない。

 

 だが、ルイズの従者・サイトを見たあの時。その顔にどことなく懐かしさを覚えたのだ。

 

 もしかすると、サイトはあの剣士の縁者なのかもしれない――そんなふうに思いながら稽古をつけてやったが、しかし彼の剣術は素人の域を出ていなかった。到底、あの時の少年剣士の技量には及ばない。速さだけは、かろうじて彼に匹敵するほどのものだったが。

 

 『鋼鉄の規律』に似つかわぬ笑みを浮かべながら、カリーヌは夫に言葉を投げかけた。

 

「そのうち、またサイトに稽古をつけてあげるとしましょう」

 

「そうするか。あまり間が開きすぎると、腕が鈍るからな」

 

 その言葉を最後に公爵は執務室へ戻り、カリーヌ夫人……『烈風』カリンはくすりと笑うと、手入れの終わった制服を仕舞いにウォークイン・クローゼットの中へ姿を消した。

 

 




そして でんせつが はじまった!(パパラパ~)

本編は、ゼロの使い魔外伝「過去への箪笥」を元に作成されています。なんとゼロの使い魔と、烈風の騎士姫の公式クロスオーバー。

これは単行本に収録されていない作品なので、ご存じない方が圧倒的に多いかと思われますが……。

(つまり、あの箪笥はオリジナルではありません)

最終刊、または別冊でもいいので、その他の未収録短編全部まとめて出版してくれないかなあと期待している次第。


※軽く伝言
 あちらの最新も更新しました。


2018/06/17追記
封神演義外伝に登場した禁光銼に関する情報を追加、一部を改訂しました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。