雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第84話 伝説、交差せし扉を開くの事

「んもう! せっかくの虚無の曜日だっていうのに、何だってこんなところでガラクタ整理なんかしなくちゃいけないのよ!!」

 

 火の塔二階の一画、古ぼけた黒板や雑多な家具などが処狭しと置かれている倉庫の中で、キュルケが不満の声を上げた。

 

「何度も授業をサボった罰。表向きは」

 

 そんなキュルケに、彼女の親友はいつものように感情の籠もらない口調で答える。

 

「それが気に入らないのよ! あたしたちはね、ゲルマニアとトリステインの同盟を成功させた、影の功労者なんだから。なのに、いくらなんでもこの扱いはないわ!」

 

 うんうんと頷きながら、ギーシュがそれに追従する。

 

「しかもだよ? ぼくたちは戦場の露と消えるはずだったアルビオン王家の血統を、滅亡から救う手伝いをしたんだ。本来ならば、全員に杖交差勲章……とまでは言わないけれど、せめて白毛精霊勲章くらい授与してくれても罰は当たらないと思うね」

 

 訳知り顔でレイナールが呟いた。

 

「白毛精霊勲章かあ。年金額はたいしたことないんだけど、戦場で手柄を上げないと絶対手に入らない、名誉の証だからね。貰えるものなら貰っておきたいというのが本音だな」

 

 そんな彼らに、太公望が苦言を呈す。

 

「おぬしたちの不満はわからんでもないが、大声を出すでない! 万が一、部外者に情報が漏れたりしたら、シャレにならんではないか!」

 

「それはまあ、そうなんだけど……」

 

 〝念力〟で雑巾を絞りながら、実に複雑そうな声でルイズがぼやく。

 

 昨日エレオノールが魔法学院を訪ねてきたのは表向き『水精霊団』がルイズのせいでアルビオンへ遠征する羽目になったことに対する謝罪と、礼金を手渡すためだという話になっていた。

 

 そして実際に王立銀行の手形がリーダーを務める太公望に手渡されており、これは後ほど換金して参加者全員に分配される旨、既に通達されている。

 

 この謝礼金を実際に支払ったのは、トリステインの王政府ではなくラ・ヴァリエール公爵とマザリーニ枢機卿である。今回のアルビオン遠征は国として万が一にも表沙汰にできないために、国庫から資金を捻出できず。かといって、任務の内容が内容だけに無償というわけにもいかず。結果、彼らのポケットマネーが削られる羽目になったのだった。

 

 そして。エレオノール女史が使者に選ばれ、魔法学院を訪れたのは――今から二十年ほど前にロマリア宗教庁から盗み出され、行方不明となっていた『炎のルビー』が、よりにもよって魔法学院の中で発見されたなどという大変な報せを持ったフクロウが、オスマン氏の元からラ・ヴァリエール公爵へ宛てて飛んできたからだ。

 

 彼女に託された本来の――発見された『秘宝』が本物であるかどうかを見極めるという目的を隠すために謝礼金を支払いに来たというのは、実に都合の良い言い訳だった。

 

 ――なお、炎のルビー発見の報せを受けた直後。深い深いため息をついた公爵が、

 

「これで三つ目……か。もう四つの指輪が全部揃っても、わしは驚かんぞ」

 

 などと眉間に皺を寄せながら、懐へ新たな薬瓶を追加したことを知る者は誰もいない。

 

 ……と、まあそんなわけで。

 

 前日のダエグの曜日。水精霊団に所属する全員が学院長室へ呼び出された後で、前述した遠征を極秘とすること。そして、たびたび集団で授業を休んではどこかへ出かけていく生徒たちを快く思っていなかった一部教員たちの反発を和らげるという理由を掲げたオスマン氏の指示を受け、せっかくの休日だというのに、彼らは朝も早くから揃って倉庫の掃除を行う羽目になったと、こういうことである。

 

(とはいえ、こうして不満を漏らすのは……手柄を精一杯誇示したい年頃のこやつらにとって、仕方のないことであろうな)

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら、太公望はぱんぱん手を叩き、子供たちを急かした。

 

「ほれほれ、口ではなく手を動かせ! 急がねば昼食に間に合わぬぞ」

 

 タバサがぽつりと言った。

 

「あなたがいちばん働いていない」

 

「かかかか! わしには全員の動きを監督するという役割があるから、これでいいのだ」

 

「椅子に座ったまま?」

 

「わしも、これでいい年だからのう。立ち仕事は堪えるのだよ」

 

「肉体年齢はわたしたちと変わらないはず」

 

「おーい、そこのおふたりさん。漫才はいいからさ、マジ手伝ってくれよ! この箪笥(たんす)がやたらと重くて、俺ひとりじゃ動かせないんだよ」

 

 壁際に置いてある古びた箪笥を前に、才人がひとりで奮闘していた。床掃除をするために邪魔な箪笥を移動させようとしたのだが、根が生えているかのようにぴくりとも動かない。

 

「ずいぶん重たそうだね。もしかして、中に何か入ってるんじゃないかな? 動かすなら、中身を全部出してからのほうがいいと思うよ」

 

 レイナールの指摘に、そういや中開けて見てなかったな……と、納得した才人は、観音開きの大きな両扉を開いてみた――のだが。

 

「なんだよ、空っぽじゃねえか! なのに、なんでこんなに重いんだよ……あ、もしかして二重底みたいな造りになってんのかな? かな?」

 

 そう考えた才人は箪笥の奥板に触れてみた。すると、突然板が眩く輝き始めたではないか。

 

「へ? なんすかこれ」

 

 ただの箪笥が、どうしてこんなふうに光るんだ? そんな疑問を声に出す間もなく――いつしか、才人の姿は倉庫の中から忽然と消えていた。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――才人がふと気がつくと、そこは街中だった。白い石造りの建物が立ち並ぶ、この景色は間違いなく……。

 

「トリスタニアじゃねえか! え? なんで!? さっきまで倉庫にいたのに……」

 

 ここはルイズや仲間たちと何度も遊びに来たトリステインの王都・トリスタニアに間違いない。場所は、たぶんデルフを買ったチクトンネ街の近くだろう。いったい、どうして自分はこんなところにいるのだろうか。才人は思わず頭を抱えてしまった。

 

「もしかして、あの箪笥が実は魔法のワープ装置みたいなモノで……そんで、ここまで飛ばされちまったってことか?」

 

 そんなふうに、才人が自分の身に起きたことを分析していると。いきなり足元がぐらりと揺れ、下のほうから怒鳴り声が響いてきた。

 

「おい、貴様ッ!」

 

「へ?」

 

 その声に驚いた才人は、ようやく気が付いた。なんだか、自分の下に柔らかなモノが敷かれていることに。それから、急いで視線を下へ向けると――なんと、彼の主人である桃色の髪の少女が、才人の下敷きになっているではないか。

 

「なんだルイズ! お前も飛ばされて来てたのか」

 

 ひとりじゃなくて良かった……歩いて魔法学院に帰ろうとしたら、一日がかりだもんな。などと胸をなで下ろしていると。再び怒声を浴びた。

 

「何を意味のわからないことを言っているんだ! いいから、早くどけッ!!」

 

 才人は慌ててルイズの上から飛び降りると、ぴょこっと頭を下げた。

 

「ご、ごめん! わざとじゃないんだ。大丈夫か? どっか怪我したりしてないか?」

 

 ところが、そんな才人の気遣いにも関わらず、立ち上がった桃色髪の少女は彼を頭ごなしに叱りつけた。どうやら相当頭に来ているようだ。

 

「ごめん、だと? わざとじゃない、だ!? あのなあ、ぼくはれっきとした貴族だぞ。そんな口の利きかたがあるか! 無礼にも程があるだろうがッ!」

 

 才人は思わず首をかしげてしまった。

 

「へ? ぼく? なあ、お前……本当に大丈夫なのか? もしかして、飛ばされた時に頭でも打ったか? それに、なんなんだその格好。いつのまに着替えたんだよ」

 

 才人の前に立っているルイズは、先程まで着ていた魔法学院の制服ではなく、青い厚手の上衣に派手なフリルのついた白いシャツ、膝が出た乗馬ズボンに黒いブーツという、騎士のような出で立ちをしている。襟ぐりには五芒星のタイピンの代わりに大きなリボンが巻かれていた。

 

 全身に無遠慮な視線を投げかけてくる才人のことが気に障ったのだろう少女は、顔を怒りに歪めると、再び大きな声で怒鳴った。

 

「き、貴様! 平民の分際で、騎士の身なりを愚弄するかッ!」

 

 これにはさすがの才人もカチンときた。彼女のことを心配しての発言に、この返しはいくらなんでもあんまりなのではなかろうか。

 

「オイ。貴様貴様って、なんだよお前! あと、そのおかしな男言葉やめろよな」

 

 才人の言葉を受けたルイズの顔が、朱に染まった。

 

「なんだと! お、男が男言葉を使って、何が悪いッ!」

 

「お、お前、やっぱりどっか打ったんだな? ちょっと見せてみろよ」

 

 これは相当の重傷だ。そう判断した才人はすっと少女の顔に手を伸ばした。もちろん、ルイズの身体を気にしての行動だったわけだが、彼が伸ばした手はバシッと激しい音を立てて弾かれた。

 

「無礼者ッ!」

 

「痛えな! おい、お前。いい加減にしろよ? 俺、そろそろ怒っちゃうぞ?」

 

「ふざけるな、いい加減にするのは貴様のほうだろうが! これ以上ぼくに無礼を働くと、手打ちにするぞッ!」

 

 人が心配してやってるのに、その態度はなんなんだ。才人の頭にカッと血が上った。たとえ相手が誰であろうと、そこまで言われて黙っていられるほど彼は大人しくない。

 

「手打ちだァ? 俺がこんなに心配してやってるってのに、なんだよそりゃ!? 無礼なのはそっちのほうだろ!」

 

「こ、こいつ、貴族を馬鹿にして! もう我慢ならん。そこになおれ! 成敗してやるッ!」

 

 桃色の髪の少女は叩き付けるような声で叫ぶと、腰から杖を引き抜いた。その猛烈な剣幕に、才人は思わずたじろいだ。

 

(なんなんだよ……ルイズ、明らかにおかしくねえか?)

 

 と、少女が持っている杖をよく見てみると、普段彼女が愛用している指揮棒(タクト)状のものではなく、フェンシングのフルーレのような形状をしていた。それに、怒りに燃えた彼女の顔を、改めて観察したところ――ルイズとは微妙に違う。瞳の色こそ同じ鳶色なのだが、目のつり上がり具合が才人の思い人よりもだいぶキツい。

 

「あ、あれ? もしかして……あなたルイズじゃない、とか?」

 

「誰のことだ、それは! ぼくは、そんな名前のやつは知らんッ!」

 

 どうやら、完全に人違いをしてしまったようだ。それに気付いた才人は、ぺこりと頭を下げて謝罪した。

 

「た、大変失礼しました。そのルイズって子なんですがね、あなたとそっくりの、とっても可愛らしい女の子でして……」

 

 顔を赤くしながら、自分なりの詫びと賛辞の言葉を述べた才人だったが、それを聞いた少女の顔は朱に染まった。

 

「ぼ、ぼくは男だ! 女なんかじゃないッ!」

 

「またまたァ、冗談ばっかり。どこからどう見ても、普通の美少女じゃないですか。そんな男物の服着てたって、ひと目でわかりますって。余計なお世話かもしれませんけど、ブラウスとか、ワンピースみたいな女性らしい服のほうが、あなたにはお似合いかと」

 

 才人がそう言うと、すぐ側を歩いていた通行人たちからくすくすという笑い声が漏れた。それを耳にしたルイズ似の少女――いや、本人曰く少年の顔からみるみる血の気が引いてゆく。彼は再び杖を構えると、才人に向けて突き出した。

 

「おい平民。これ以上、ぼくを怒らせるな」

 

 それを見た才人の額に、ピキッと青筋が浮かんだ。口端を上げ、無理矢理作り出したような笑顔をし、だが喉の奥から絞り出したような低い声で告げた。

 

「……平民平民うるせえよこの男女」

 

「お、お、男女だとッ!? 僕は男だと、なんべん言えばわかるんだ!!」

 

「はいはい、わかったよ。そこまで言うんなら、お前は男なんだな。まあ、そんなことはどうでもいいや」

 

「ん、んなッ、どど、どうでもいいだとッ! ぼくは全然よくないッ!」

 

「しつこいな。下敷きにしちまった事は、ちゃんと謝ったじゃねえか!」

 

「あ、あ、謝っただとッ! あんなものが、貴族に対する謝罪になるとでも!?」

 

「あー、はいはい。すみません。ごめんなさい。これでいいか? わかったら、早いとこその杖を引っ込めろよ。街中で魔法ぶっ放したりしたら危ねえだろうが」

 

 全く気持ちの籠もらぬ口調で受け流す才人。

 

(ただでさえ昨日ルイズにみっともないとこ見せちまって、こちとら苛立ってんだ。それなのに、あいつと似たような顔して、ひとをとことんコケにしやがって)

 

 喉元まで出掛かったその声までは、さすがに表へは出さない。

 

 彼らのやりとりを笑いながら見ていた通行人たちの顔から、徐々に笑顔が消えていく。こんなふうに平民が貴族に逆らうことなど、トリステインの――いや、ハルケギニア一般の常識からして、まずありえないことだからだ。

 

「なあ、お前。こんな風に貴族を侮辱するなんて、もしかして死にたいのか? それとも、ただの馬鹿なのか?」

 

 冷え切った少年の声に、これまた冷めた声を返す才人。

 

「どっちでもねえよ。お前が男だって言うから、遠慮なく言わせてもらってるだけだ。いいか? 俺はな、お前みたいにただ貴族ってだけで威張り散らすような野郎が大嫌いなんだ。わかったら、あんましナメた口利くんじゃねえ。痛い目に遭いたくなけりゃな」

 

 才人の挑発じみた言葉を受けた少年は、その場でわなわなと震え始めた。

 

「そうか、わかったぞ。ぼくが騎士見習いだから、貴様はそんなふざけた口を利くんだな!? 平民にまでナメられるなんて、ぼくは……ぼ、ぼくは……」

 

「へっ。騎士見習いだかなんだか知らねえけど、ガキがあんまり粋がるなっつうの」

 

「ぼ、ぼくは十五歳だ! 子供なんかじゃない!!」

 

「へぇえ~。とてもじゃないけど十五歳にゃ見えないな。お前、ちっこいし。それに……女の子みたいだからかな」

 

 度重なる才人の挑発に、ついに少年は我慢の限界に達したようだ。

 

「き、貴様……もうだめだ。いくら魔法が使えぬ平民相手といえど、さすがに許せん」

 

 少年は才人が背負ったデルフリンガーを指差すと、宣言した。

 

「見たところ、剣士見習いといったところか? 貴様に、少し稽古をつけてやる」

 

 すると才人は、待っていたと言わんばかりの笑みを浮かべた。そう、才人はあえて少年を怒らせるような真似をしたのだ。

 

 才人がこの世界に召喚されて、既に十ヶ月近くが経過している。いい加減、ハルケギニアの流儀というか、貴族というものがどういう相手なのかわかっていた。しかし、どうしてもやらずにはいられなかった。

 

 これが単なる同世代の貴族が相手なら、こんな馬鹿な真似はしなかっただろう。

 

 だが、よりにもよって自分が恋する少女・ルイズによく似た顔で、しかも彼女に召喚された当時のような、上から目線の発言を連発されたことに対する苛立ちと――そのいっぽうで、もしも告白に失敗したら、ルイズはまたこんな風になってしまうのではなかろうか? と、いう不安とでないまぜとなっていた才人の心が、どうにも収まらなかったのだ。

 

「おいおい、もう勝った気でいやがるのか? おもしれえ。世間の厳しさってヤツを、みっちりと教えてやるぜ」

 

「それはぼくの台詞だ! 貴族の強さというものを、思い知らせてやるッ!」

 

 少年はあごをしゃくってついてくるよう促すと、先に立って歩き出した。才人は指をパキポキと鳴らしながらその後に続く。そんなふたりを、通りすがりの市民たちはこわごわと見送った。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――いっぽうそのころ。トリステイン魔法学院の火の塔、二階倉庫内では。

 

 才人が姿を消す原因となった古びた箪笥を遠巻きにして、水精霊団のメンバーが調査を行っていた。

 

「ねえ、見つかった?」

 

「いや。どうやら魔法学院の中にはいないみたいだ」

 

「と、いうことはだ。やはりどこか別の場所へ飛ばされたのか、あるいは箪笥の中にある亜空間に閉じ込められてしまったのか……」

 

 才人が消えたあの瞬間、太公望は『空間ゲート』が開くところを独自の感覚で捉えていた。

 

(この箪笥は、ほぼ間違いなく転送装置の一種であろう)

 

 そう当たりをつけた彼は、残った全員に向けて、くれぐれも箪笥に触れないように通達すると、魔法学院内のどこかに才人が飛ばされている可能性を考慮し、付近の捜査を開始した。

 

 そして現在。学院内の捜索に出ていた生徒たちが、続々と状況報告を行っている。

 

「ミスタ・タイコーボー! 学院長先生は、明日まで戻らないそうだよ。なんでも王都に出張だとかで……」

 

「なぬ!? この肝心なときに、あの狸ジジイめ……あやつならば、この魔道具がどのようなものか知っておるだろうに!」

 

「他の先生方は、そんな箪笥の話は聞いたことがないって……」

 

「うぬぬぬぬ。やはり、オスマン頼みになるのか」

 

「ねえ、箪笥の横に何かボタンみたいなものがついてるんだけど……」

 

「これ、キュルケ! 下手に触るでないぞ。何が起こるかわからぬ状況で、さらなる混乱を引き起こしたくはないであろう?」

 

 太公望の言葉で、キュルケは出しかけていた指をそっと引っ込めた。そんな彼らをルイズがやきもきとした様子でせっつく。

 

「ねえ、みんなでサイトを助けに行かないの? あれって、確か前にミスタが言ってた『空間ゲート』の一種なんでしょう?」

 

 焦りと不安とがないまぜとなったルイズの顔を見て、太公望は決断した。

 

「本来であれば、オスマンのジジイが戻ってくるのを待ちたかったところではあるが、才人の身に危険が迫っておる可能性が高いのも確かだ。ここはひとつ、わしひとりで様子を見に行く……と、言うべきなのだが、おぬしらは……」

 

「一緒に行く」

 

「あたしも!」

 

「当然だね」

 

「うん。仲間の危機を黙って見過ごすわけにはいかないよ」

 

「今更、おいてけぼりなんて無しですわよ?」

 

「ちょっと怖いけど、みんなもいるし、秘薬の用意をしてからなら……」

 

 単なる転送装置なら行き先で才人と合流できるだろう。空間宝貝のような閉鎖空間だとしても、最悪自分の『太極図』さえあれば、簡単に打ち破れるはずだ……それに。

 

(あのジジイが命の危機に関わるようなシロモノを、こんな誰でも触れられる倉庫の中に放置しておくはずなかろう)

 

 そう考えた太公望は、そんな思惑はおくびにも出さず、代わりに渋々といったような表情を浮かべた挙げ句、ため息までついて見せた。

 

「おぬしたちには言うだけ無駄だと、もうわかりきっておる。ただし、決してわしの側を離れるでないぞ! 『扉』の向こうに、何があるかわからんからのう」

 

「やった――ッ!」

 

「倉庫掃除なんかより、ずっと刺激的だわ!」

 

「ちょっとツェルプストー! 遊びに行くわけじゃないのよ!?」

 

「大丈夫、わかってるわよ」

 

「本当かしら……」

 

「それじゃ、わたしは薬箱を取ってくるわね」

 

「わたしは、食堂」

 

「ああ、お弁当を頼みに行くのね? なら、あたしも一緒に行くわ」

 

「ぼくも、ちょっと準備をしておきたいな」

 

「では、一時間後に再びこの場へ集合だ。くれぐれも先走るでないぞ」

 

「了解!」

 

 ――何やら緊張感があるようなそうでないような気分でもって、水精霊団第四回目の遠征(?)がここに決定した。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――魔法学院で、そんな騒ぎが起きているとはつゆ知らず。

 

 才人と貴族の少年はチクトンネ街の端にあるセント・クリスト寺院の裏庭で対峙していた。

 

 昼間であるにも関わらず、辺りは薄暗い。高い塀と、崩れかけた廃墟によってぐるりと囲まれているこの場所は、外からは様子が伺えない。後ろ暗い輩が集ったり、表に出せない決闘を行うにはうってつけというわけだ。

 

「さてと、ここならいいだろう」

 

 少年は才人から数メイルほど離れた位置で軍杖を構え、立っていた。彼の杖には青白く輝くオーラが渦巻く風のように絡みついている。だが、その輝きは――カリーヌ夫人の〝風の細剣〟やレイナールの〝風の剣〟と比較すると、ずっと弱々しい。

 

「どうした、かかってこい。背中に背負ったその剣は、ただの飾りか?」

 

 少年は軍杖を正面に突き付けるようにしながら言い放った。まるで、少しばかり遊んでやるとでも言わんばかりの態度。完全に才人のことを馬鹿にしきっているようだ。才人は答えの代わりに、すらりとデルフリンガーを抜き払った。

 

「よう、相棒。なんだか俺っち、ずいぶんとまた久しぶりに戦えそうだね」

 

「待たせたのに悪いな、すぐに片付きそうだぜ」

 

「そうかね? あいつ、相当やるみたいだよ」

 

 デルフの言葉に、才人はピクンと反応した。一昔前の彼なら、そんな忠告は無視して突撃していただろう。しかし、さすがにここまで散々痛い目に遭ってきた経験と、デルフの相手を見る目――彼にそのような器官があるのならば、だが――に、ほとんど狂いがないことを理解していた才人は油断せず気を引き締めることにした。

 

「ふうん。ま、デルフがそう言うんなら、気をつけるよ」

 

「今日の相棒は素直でいいねえ」

 

「ええい、ひとりで何をごちゃごちゃと! 来ないなら、こっちから行くぞ!!」

 

 少年は杖を正面に突き付けるようにしながら叫んだ。

 

「調子に乗りすぎだよ、お前! 言われなくても行ってやるぜ!!」

 

 才人は常識ではありえない程の速度で、あっという間に相手との間合いを詰めると、少年の背丈と同じくらい長大なデルフリンガーを細身の剣のように軽々と振り回し、相手の頭だけではなく、腕、胴、足……ありとあらゆる場所へ向けて、怒濤の如く撃ち込んだ。

 

「え、なに、ちょ!」

 

 少年は、慌てた。彼の杖捌きもなかなかのものであったが、なにしろ才人の得物は大剣である。しかも〝ガンダールヴ〟のパワーが上乗せされているため、その一撃一撃が、とてつもなく重い。魔法の刃を纏っているとはいえ、細剣で受けるには分が悪すぎた。

 

「おらおら、どうしたどうした! ええ? 貴族さまよ!!」

 

「ま、待ってッ、ちょ、ま、えええええッ!!」

 

 何度か打ち合いはしたものの。三本目で、ついに貴族の少年は地面に転がされた。

 

「なんだよ、もう終わりか? 口ほどにもねえな」

 

 そう言い放った才人は、息一つ乱れていない。

 

「ぐぬぬ……ぼ、ぼくとしたことが、へ、平民にまで後れをとるとは……」

 

 ぷるぷると身体を震わせながら立ち上がった少年は、キッと才人を睨み付けてきた。両目の端にじわりと涙が盛り上がっている。今にも泣き出しそうだ。

 

(こんな小さい子供相手に、さすがにやりすぎちゃったかな……)

 

 と、才人が反省しかけたその時だ。少年の周囲から、ぶわっと強烈な風が解き放たれたのは。

 

「うわッ!」

 

 突如襲いかかってきた猛烈な突風で後ろに吹っ飛ばされ、ごろごろと地面を転がされた才人だったが、なんとか剣は手放さずに済んでいた。

 

「な、なんなんだよ、今の風は!」

 

 急いで立ち上がった才人だったが、少年貴族の姿はそこにはない。驚く間もなく、太陽を背にして空から舞い降りてきた。その手に輝くオーラを纏った杖剣を構えて。

 

「もう、遊びはおしまい。貴族の本気を見せてやるッ!」

 

 そう叫ぶと、少年は上空からまっすぐに才人へ向けて斬りかかってきた。

 

「うおっとお!」

 

 咄嗟に横へ飛び退いた才人だったが、そんな才人に息をつく暇を与えず、少年は再び宙へ舞い上がると、風の魔法を巧みに操り、滞空したまま何度も何度も〝風の細剣〟を繰り出してきた。空を飛べない才人は少年の斬撃を躱すか、受け流すので精一杯だ。

 

「空飛んだまま、剣の魔法使えるとか! こいつも『複数展開』持ちかよ!!」

 

「な? 俺っちの言った通りだろう?」

 

「『複数展開』がレアスキルとか、絶対嘘だッ!」

 

 空から一方的に攻撃を仕掛ける少年は、完全に冷静さを失っていた。既に、相手が平民であることなど忘れ去っている。一心不乱に呪文を唱え、才人に対して蝶を刺す蜂のように、ひらりひらりと宙を舞い踊りながら斬撃を加え続けている。

 

 かたや防戦一方に見える才人のほうはというと。デルフリンガーを相手に軽口を叩きながら、自分でも驚くほど冷静に空を舞う少年を分析していた。

 

「こいつの風は確かにスゴイし、仕掛けてくる速さ自体もかなりのもんだ。けど、あんまり戦い慣れてないんだろうな、動きがほとんどパターン化してやがる」

 

「お! そこに気付くたぁ、いい目してるじゃねぇか相棒」

 

「俺だって、そこそこ経験詰んでっからな!」

 

 そして。才人はついに少年の癖を読み切った。

 

「――そこだッ!!」

 

 少年は攻撃を繰り出す際に、杖を才人に向ける。その時、ほんの一瞬だけだが隙――硬直時間が生まれる。才人はその間隙をついて一気に間合いを詰めると、持っていた剣を放り出し、伸びていた少年の腕を掴み、背負い、巻き込むようにして投げ飛ばす。

 

 日本流でいうところの一本背負いが見事に決まり、少年の身体は地面に叩き付けられた。

 

「ぐふッ!」

 

 背中をしたたかに打ち付けた少年は、うめき声を上げた。才人は倒れた少年の側に駆け寄ると、素早く杖を取り上げる。

 

「勝負あり、だな」

 

「あう、こ、こら! 返せッ!!」

 

「決闘では、相手の杖を取り上げるのが一番スマートな勝ち方なんだろ」

 

 ふふんと鼻で笑いながら、訳知り顔で才人が言うと。少年の両目からみるみるうちに涙が溢れ、ぼろぼろと零れた。

 

「あう、ぞ、ぞんなッ、魔法の使えない、平民にまで負けるなんて……」

 

「平民平民言うな。そうやってひとを小馬鹿にしてるから……」

 

「無理だ……」

 

「へ? 何が?」

 

「こ、こんなんじゃ、騎士になるなんて無理だあ! ふえぇぇえ――んッ!!」

 

 少年は、とうとう本格的に泣きはじめてしまった。さすがにバツが悪くなった才人は、なんとか少年を泣きやませようと努力した。

 

「あ、いや、その、なんだ。お前、充分に強かったよ?」

 

 だが、その言葉はどうやら火に油を注いでしまったようだった。

 

「なんて情けないんだッ。平民に慰められるだなんて! うわあああ――ん!!」

 

「お、おい、だからそんなに泣くなって!」

 

「臆病者のあいつだけじゃなくて、とうとう平民にまで負けたぁ! うぇえ――ん!!」

 

「あーあ、こりゃまた凄い攻撃だぁね」

 

「馬鹿、デルフ。混ぜっ返すんじゃねえよ! そ、そうだ! なあ、もう一回! もう一回やろうぜ。次はきっと、お前が勝つから。な? 絶対間違いないって、うん」

 

 それを聞いた少年の泣き声は、一際大きくなった。

 

「け、けけ、決闘した相手に、な、情けをかけられるだなんて! ふえぇえ――ん!!」

 

「ち、違うって! お前の攻撃って、速いけど単調だから、動きが読まれやすいんだよ! だからもう少し考えて戦えば、俺なんか敵じゃなくなるって言いたかっただけだ」

 

 それを聞いた後、一瞬だけぽかんとした少年は再び火が付いたように泣き始めた。

 

「く、くくく、悔しいッ! へ、平民の見習い剣士まであいつと同じこと言って、ぼくをバカにするんだ! びえええ――んッ!!」

 

 どんなに才人がなだめすかしても、少年は泣きやんでくれそうにない。これじゃあ、俺は子供をいじめてる悪者みたいじゃないか。才人は、今度こそ本当に慌てた。

 

「おーい、誰かッ! 誰でもいいから助けてくれ――ッ!!」

 

 廃墟に囲まれた薄暗い裏庭に、ふたりのせつない叫びが響き渡った――。

 

 




才人と決闘したリボンの騎士の正体とは!

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