――毎夕定例の職員会議終了後。
研究室へ戻ろうとしていた『炎蛇』のコルベールを、学院長が呼び止めた。
「コルベール君」
「はい、私に何か?」
「新学期の授業に関する準備のため、書類の作成を手伝って欲しいんじゃが……」
その依頼に、コルベールは嫌な顔ひとつせずに頷いた。
「作業はこちらで?」
「必要な資料が学院長室にあるでな、悪いが一緒に来てくれんか」
「承知致しました」
こういった仕事は秘書のミス・ロングビルが学院を去った――正確には国の衛士に引っ立てられていった後、教員たちが持ち回りで行っていたことだ。
そのため、コルベールはもちろんのこと、その他教職員たちも何の不審も抱かなかったのだが――学院長室内で実際に申し渡された話の内容は、彼の想像を絶するものであった。
「ミス・ヴァリエールが〝虚無の担い手〟ですと!? いや……とうの昔に気付いていてしかるべきでした。彼女が呼び出したのはガンダールヴ。かつて『始祖』ブリミルが使役したと言われる、伝説の使い魔なのですから」
畏るべき事実を前にして、コルベールは全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。この話はトリステインの国家機密に抵触するどころではない。ハルケギニア全土を揺るがしかねない大事だ。
以前、教え子のひとりが東方ロバ・アル・カリイエの退役元帥を召喚してしまったと知った時も背筋が冷えたものだが、これはその時の衝撃を遙かに上回る。
「本来であれば、これは明かすべきでない秘事なのだが……サイト君の正体を真っ先に突き止めた君には前もって知らせておくべきだと考えたのじゃよ。何かのきっかけで辿り着かんとも限らぬからの。ラ・ヴァリエール公爵には既に許可を取ってある」
オスマン氏は驚愕に打ち震える部下に、さらなる爆弾を投下し続けた。
四系統とは異なり〝虚無〟に目覚めるためには、特定の条件を満たす必要があること。
その条件とは『担い手』となる資質を持つ者が秘宝を手にすること。
秘宝とは、三王家と教皇が代々受け継いできた系統の指輪と始祖の宝物。
資質については未確定だが、おそらく伝説の使い魔を呼び出せた者であること。
選ばれし者が指輪を填め、宝物に触れると始祖の御言葉が現れること。
その言葉を授かることによって、はじめて〝虚無の担い手〟が誕生するのだと。
「わしはミス・ヴァリエールが〝水のルビー〟と〝始祖の祈祷書〟を手にする場面に立ち会い、実際に〝虚無〟が目覚める姿を目の当たりにした。〝虚無魔法〟の効果も確かめた。あれは、断じて系統魔法で再現できるものではない。彼女は紛れもなく『始祖』ブリミルの後継者なのじゃ」
「この話を、王室には……?」
「報告できるわけなかろう。万が一この情報が外に漏れたら、宮廷で暇を囲っておる雀どもが、戦がしたいとさえずりはじめるに決まっておるわい」
「な、なるほど……」
「ただでさえ、アルビオンがあのような状況に陥っている今、トリステインで王位継承戦争を起こすわけにはいかん。そうなったが最後、この国は完全におしまいじゃ」
「で、では、どうして私に、このような大事を打ち明けられたのです……?」
戸惑いの表情を浮かべたコルベールに、オスマン氏は重々しく告げた。
「この学院に勤める教員の中で、唯一君にしかできない仕事があるからじゃ」
「私にしかできない仕事、ですか?」
「そうじゃ。それについては……わしが言わずとも、わかるのではないかな?」
○●○●○●○●
――それから数時間後。
コルベールはひとり研究室に籠もり、深く静かに考え込んでいた。
「これがために……私は生かされてきたのだろうか」
彼は細い鎖に通し、首に下げてローブの中にたくし込んでいた鈍い光を放つ鍵を取り出すと、掌に載せ――じっと見つめた。
「そうだ。きっと、このためにこそ、私は今……ここに居る必要があったのだろう」
コルベールはその小さな鍵を机の引き出しの鍵穴に差し込み、ガチャリと回した。引き出しの中には小さな宝石箱があった。彼はそれをそっと取り上げ、蓋を開く。
小箱の中に納められたものを見ていると、コルベールの脳裏に過去の罪――己が犯した取り返しのつかぬ過ちがまざまざと蘇り、彼の心を責め苛む。片時も忘れることのない、煉獄の中に消えた村々の光景が――。
――
かつてトリステイン北西部の海岸沿いに存在していたその地方は、数百年前ほどに浮遊大陸アルビオンから移住してきた人々が開拓した土地だ。かの地に点在していた村々は、歴代のトリステイン国王たちにとって常に頭痛の種になっていたのだという。
何故なら、この地方の住民には島国アルビオン人特有の独立独歩的な気風があり、事あるごとに王政府に対して反発するからだ。かといって、彼らは王軍をもって制圧するほどの反乱を起こすわけではない。口では文句を言いながらも、飲むべきところはきっちりと飲む。だが、出せる口は出す。つまるところダングルテールの住民たちは、実に要領よくやっていたのである。
ところが、今から二十年ほど前。彼らは突如自治政府の設立をぶち挙げ、トリステイン王政府にそれを認めさせようとしたばかりか、実戦教義を信奉する新教徒のための寺院を開いた。それが、かの地の命運を決めた。
ダングルテールはロマリア宗教庁に睨まれ、ブリミル教の総本山から圧力を受けたトリステイン王軍の手によって滅ぼされてしまったのだ。
「かの地方に疫病が発生した。病の蔓延を防ぐため、全てを燃やし尽くせ」
……などという、実に言い訳じみた命令によって。
この殲滅作戦を実行したのが〝魔法実験小隊〟と呼ばれ、現在では既に消滅している特殊部隊。その指揮を執っていたのが、当時まだ軍に所属していた『炎蛇』のコルベールだった。
作戦の最中、彼はひとりの女性からその品を託された。
女性が今際の際に差し出したものを、コルベールはただ黙って受け取った。それが持つ鮮血のような輝きが、以後二十年もの長きに渡って己の心を焼き続けることを知らずに。
――そして、現在に至る。
コルベールは椅子から立ち上がり、研究室の中をぐるりと見回した。外観こそみすぼらしい掘っ立て小屋だが、ここには並の教師には到底入手できない高価な道具や秘薬が揃えられており、コルベールの研究成果ともいうべき模型や書類の束が処狭しと並べられている。
ここにある物は、彼が先祖伝来の屋敷や財産を売り払ってまで手に入れたものだ。すべては破壊以外に〝火〟が生かされるであろう『道』を見出し、それをもって贖罪となさんがために。だが、たとえどんなことがあっても、彼はこの箱の中身だけは絶対に手放さなかった。あえてそれを持ち続けることで自らの心に重い罰を科していたから。
それらを見つめながら、コルベールは呟いた。
「今こそ、ここにあるものたちを生かそう。少しでも、あの日の過ちを償うためにも」
○●○●○●○●
――翌日。
ラ・ヴァリエール公爵領から戻ってきたルイズと才人は、荷物の整理も終わらぬうちに学院長室に呼び出され、そこの主からこう告げられた。
「既にラ・ヴァリエール公爵には許可を取っておる。その上で……君たちふたりに申し伝えておく。ここにいるコルベール君に、ミス・ヴァリエールが〝虚無の担い手〟であることを話した」
驚きの声をあげたルイズと才人に、オスマン氏は頷いた。コルベールはその隣で小さく微笑みながら言った。
「サイト君がミス・ヴァリエールに召喚されてきたとき、私がきみの手に刻まれたルーンをメモしたのを覚えているかい?」
「あ、いや、すみません。メモされてたこと自体知りませんでした……」
心底申し訳なさそうな顔をした才人を見て、コルベールは思わず苦笑した。
「ははは、謝ることなんかじゃない。そもそも、メモを取らせてもらったのはきみの持つルーンが非常に珍しいものだったからなんだ」
「彼の強い好奇心が、サイト君が〝ガンダールヴ〟であることを突き止めるきっかけとなり、ひいては君たちふたりの『道』を知る、大きな一歩となったのは間違いない。それに、教員の協力者がどうしても必要だったのでな。そのために彼を選んだのじゃよ」
「協力者?」
「サイト君については今まで通りでよいのじゃが……ミス・ヴァリエール、問題は君だ。授業や実技試験などで君本来の系統を隠し通すためには、どうしても彼の協力が必要なのじゃよ。こればかりは直接わしが動くわけにもいかん。そんなことをしたら、間違いなく怪しまれるからのう」
言われてみればその通りである。それに、コルベールが学院内で手を貸してくれるというのはルイズにとって非常に有り難いことだった。
〝念力〟について調べてくれたのもコルベールだし、何らかの問題が発生したときに、才人たちと仲が良い教師の元へルイズが教えを請いに行くというのは、学院長室へ直接赴くよりもずっと自然なことだからだ。
オスマン氏に視線で促され、コルベールは先を引き取った。
「公爵閣下からミス・ヴァリエールが〝
「新たな課題、ですか?」
「ええ。今後は〝念力〟以外の
課題の内容を聞いて、ルイズは驚いた。
「えっ!? で、でも……他の汎用魔法って、元は四大系統の初歩の初歩の初歩だったんですよね? それじゃ〝虚無〟のわたしが唱えても……〝錬金〟を試したときみたいに爆発してしまうと……」
しょんぼりとそう言ったルイズに、コルベールは笑いかけた。
「それならば心配ありませんぞ。以前、ミスタ・タイコーボーが話しておられた通り、君の持つ〝力〟が強すぎるせいで、系統魔法用に作られた魔法語という名の『器』が耐えきれずに爆発を起こしてしまっていただけなのですから」
ルイズは思わず叫び声を上げてしまった。
「そ、そうよ! 汎用魔法は全部口語で、ルーンを使ってないわ!!」
「その通りじゃ。〝念力〟の練習を積み重ねてきたことによって、だいぶ〝力〟のコントロールが上手くなってきておる今ならば、他の汎用魔法を使ったとしても、これまでのように無闇に爆発させるようなことはないじゃろう」
と、それまで黙っていた才人が疑問を呈した。
「ん? コントロールができるようになってるんですよね。なら、なんで普通の魔法だと爆発するんですか? それって、おかしいと思うんですけど」
至極もっともというべき才人の質問に答えたのは、コルベールであった。
「それについてなのだがね……ミス・ヴァリエール。きみは授業の場以外で〝
「は、はい、数え切れないくらい。どうやっても爆発しちゃってましたけど……」
「その爆発なんだが、きみが〝炎球〟を当てようとした場所で起こったかね?」
ルイズの脳裏に、フーケの巨大ゴーレムに立ち向うべく、件の魔法を使ったときの思い出がまざまざと蘇った。ゴーレムの肩に乗っていた黒ずくめの人物を狙ったはずの炎球は、まるっきり見当違いの場所――本塔宝物庫近辺の壁で大爆発を起こし、その結果。盗賊の侵入を助けることに繋がってしまったのだ。
ふるふると首を振ったルイズに、コルベールはさらに質問を続ける。
「その目標のズレは、全ての系統魔法で起こることだったかね? ひょっとして〝
ルイズは過去の練習の日々――ありとあらゆる魔法を爆発させてしまっていた頃のことを思い返してみた。毎日、文字通りぼろぼろになるまで努力していた彼女だからこそ鮮明に覚えていた。
「あッ……せ、先生の仰る通りかもしれません! 目の前の小石を〝錬金〟をしようとしたのに、別の物が爆発したなんてこと、ありませんでしたし」
少女の答えを受け、実に満足げな笑みを浮かべたオスマン氏は言った。
「では、それを踏まえた上で……ミス・ヴァリエール。改めて君に問おう」
「な、何でしょうか」
「コルベール君が挙げたふたつの魔法には本来の効果とは別に、とある『付加効果』がついておる。それがなんだか、君にはわかるかの?」
「は……はいッ。〝風の刃〟や〝土弾〟のような特定の目標に向けて放つ攻撃魔法には、対象に当てやすくするような補正効果がついていると授業で習いました」
「そのせいなのじゃよ」
「えっ?」
「特定の魔法のみが極端にズレて発動していたのは、ルーンに込められた補正機能が暴走した結果、逆に狙った場所での発動を妨げておったからなのじゃ」
オスマンの言葉を聞いて、才人が叫んだ。
「あー、わかった! 魔法自体にいろんな機能がついてるから、ちょっとでも〝力〟のコントロールミスると簡単に暴走しちまうってことか!!」
スイッチがたくさんついてる機械なんかで、よくあることだよな……うっかり同時押ししちゃったりとか。などと、うんうんと納得げに頷く才人と、まだよく理解できていないルイズ。彼女にわかりやすいよう、今度はコルベールが噛み砕いて説明することにした。
「そうだな。例えば、ルーンをひとつの器だとして、その中にいくつもの仕切り枠がついていると考えてみてくれたまえ」
それを聞いた才人は、幼稚園に通っていた頃に母親から持たされていた弁当箱を思い出した。蓋に当時流行ってたヒーローアニメの主人公が描かれ、中にはいくつもの間仕切りがついており、ふりかけをまぶしたご飯とおかずが詰め込まれていた。
「その枠のひとつひとつに、丁寧に、必要な分量の〝精神力〟を正しく注ぎ込むことで魔法が発動するわけなのだが……水差しではなく、大きなタライを使ってそれを行おうとした場合、相当気を遣わなければならない。どうかね? これで理解できるかな?」
「ええと……〝火球〟のルーンには『火の玉をつくる』『飛ばす』『目標に当たるようにする』ための仕切りが全部別々についていて……ひとつでも〝精神力〟を注ぐのに失敗すると、溢れて爆発するということでいいんでしょうか?」
「そういうことです! こういった付加効果は一部の攻撃魔法に留まらず、ほとんど全ての系統魔法に元からついているものなんだ。よって、ただでさえ大きな注ぎ口を持つきみが系統魔法を扱うというのは――相当に緻密な操作を必要とする、非常に難しいことだと言えるだろう」
非常に難しいこと。それは、つまり。
「今よりもっとたくさん練習すれば……わたしでも、普通に系統魔法が使えるようになるってことですか!?」
己の系統に目覚めた後、勧められるられるままに行った〝錬金〟に失敗したことで、ほとんど諦めかけていた『普通のメイジへの道』が開かれたと思ったルイズは、きらきらと瞳を輝かせた。だが、目の前の教師たちから戻ってきた答えは、そう甘くはなかった。
「いや、残念ながらそう簡単にはいかんじゃろう」
「どうしてですか!?」
悲鳴混じりの声を上げながら、机越しにぐっと詰め寄ってきたルイズに、オスマン氏が渋い顔をして答える。
「よく考えてみたまえ。魔法を唱えるたびに、全ての『仕切り枠』の中に、一寸の狂いなく〝精神力〟を注ぎ込むなどという離れ業は、相当の達人でもない限り難しいじゃろう」
「じゃあ、やっぱりわたしは……」
どう頑張っても『普通』にはなれないのだ。先程までとは一転。まるで、処刑宣告を受けた囚人のような表情で、ルイズは呟いた。だが、そんな彼女にコルベールが言った。
「待ちたまえ。学院長先生は、あくまで『難しい』と仰っているだけですぞ。きみが目指す系統魔法への『道』への足がかりとして、汎用魔法の習得があるのです」
「それって、どういうことですか?」
「最初にきみが言った通り、現在コモンとされている魔法の多くは『系統魔法の初歩の初歩の初歩』だった。そして、初歩の初歩の初歩があるということは――『初歩の初歩』が存在するということだ。たとえば〝発火〟だ。これは〝光源〟の上位にあたる」
ルイズの目に、再び狂おしいまでの希望が宿った。しかし、彼女のパートナーにはその理由がわからない。普通のメイジになりたい、という少女の想いを知ってはいたが……どうしてそこまで執着するのか、感覚的な理解ができていないのだ。
(魔法なら、もう使えるじゃん。やっぱりすごいメイジになりたいのかな?)
そんな思考が顔に出ていたのだろう。オスマン氏が才人に向かってこう告げた。
「サイト君は、自分の足で歩くことができるじゃろう?」
「え? あ、はい。もちろん」
「なら……もしも、何らかの原因で足が動かなかったら? いや、動かすことはできても、うまく歩けなかったらどう思う?」
「不便、ですね」
「そういうことじゃ。わしらメイジにとって、魔法は手足も同然なのじゃよ」
そこまで言われて、才人はようやく気がついた。
例えるなら――ルイズはこれまで、歩けるはずなのに歩けなかった。思い通りに足を動かすことができなかったからだ。原因がわかった今、ゆっくりなら歩けるけれど、走ったり、飛び跳ねたりできない。五体満足、健康な身体なら、あたりまえにできるはずのことができない状態だからこそ彼女は「普通になりたい」と訴えていたのだ。
これは「魔法が使えるようになったからもういい」という問題ではない。長く苦しいリハビリ生活を経て、ようやく掴まり立ちで歩けるようになった相手に対し「歩けるようになったんだから、もう頑張らなくてもいいのに」なんて言ったりしたら残酷過ぎる。
「……ごめん」
「なんでいきなり謝るわけ?」
「だって俺、ぜんぜんわかってなかったから」
と、そこへオスマン氏が割り込んだ。
「そのあたりは、あとでふたりで話し合うとええじゃろう。というわけでミス・ヴァリエール」
「は、はい」
「まずは『仕切り枠』が全くないコモンを、次に『枠』の数が極端に少ない初歩の初歩の系統魔法を身につけるための練習をするのじゃ。その上で……」
オスマン氏の視線を受け、コルベールがすっと前へ出てきた。そして、ルイズに一冊の古びたノートを差し出す。
「これを見てみたまえ」
言われるままにノートを開いたルイズは、そこにびっしりと書き込まれたものを見て驚いた。それは今まで彼女が見たことのない法則で記された、ルーンの羅列であった。
「先生、これは……?」
「それはだね……私が若い時分に編み上げた『オリジナル・スペル』と、その研究過程について纏めたものなんだ」
コルベールの言葉を聞いた途端、ルイズはその場で固まった。
オリジナル・スペル。それは『始祖』ブリミルが後世に残した魔法に手を加えた特殊な呪文のことである。時の経過により、系統魔法から汎用へ移動した一部のコモン・マジックも、ある意味オリジナル・スペルの一種といえよう。
ただし、これは『始祖』に対する冒涜だとして現在では禁忌とされている研究だ。バレたら当然異端扱いされる可能性が高いのだが、裏で密かに行っているメイジが存在すると噂されていた。
……どうやらコルベールは、そのうちのひとりだったらしい。
「以前、私の〝炎の蛇〟を見せたことがあったね?」
「は、はい」
「あれも、そのうちのひとつでね。『対象に食らい付き、燃やし尽くすまで消えない』という効果を付与した特殊なスペルなんだ」
「ず、ずいぶんえぐい魔法だったんすね……なんか、先生らしくないな」
「……そうか。私らしくない、か」
「ハイ。正直びっくりしました」
「わ、わたしもです……」
コルベールの瞳が微かに陰ったのを、若いふたりは目に留めることができなかった。
「まあ、つまりだね。実は魔法語というものは組み替えを行うことで、効果を追加したり――省いたりすることができるものなのだよ。そう……例の『間仕切り』をあえて取り外すことによって、ミス・ヴァリエールが上位の系統魔法を扱えるようになるのではないかと、私は考えたのだ」
「そそ、それで、この、ノートを……?」
「その通りだ。残念ながら、私は
長い顎髭をしごきながら、オスマン氏が部下の言葉に補足する。
「ミス・ヴァリエール。系統についてもそうだが……もしかすると『担い手』たる君は『始祖』ブリミルが歩まれたものと、似た『道』を征くことになるのかもしれん」
「始祖が歩んだ『道』ですか……?」
「そうじゃ。『始祖』ブリミルは、多くのメイジたちが使えるようなルーンの組み合わせを数多く考え出し、後世に残してくださった。いつの日か、君が編み出した『メイジであれば誰にでも使える』新たな魔法が教科書に載り、後に続く者たちに受け継がれてゆくとしたら――それは素晴らしく意義のあることだとは思わんかね?」
コルベールから受け取ったノートを押し抱き、ルイズはコクリと頷いた。
「とはいえ、全ては汎用魔法の習得を完全に終えてからですぞ。何事も……」
「基本と積み重ねが大切……ですよね!」
ルイズの言葉に、ふたりの教師はにっこりと頷いた。
「それとだ。実はサイト君にも渡す物があるんだ。もう見てくれたかもしれないが」
「すみません、コルベール先生。俺、それ見てないと思います」
「おや、そうかね。ならば、そこの窓から外を見てみたまえ」
言われるまま外に視線を移した才人は、その先に在ったものに驚いた。
魔法学院から少し離れた場所にある草原に、夏休み前にはなかった石造りの納屋が建っている。そして、ようやく才人は気が付いた。そうだ、あそこにあったものは――!
「先生! あれ、もしかしてゼロ戦の!!」
「そうだ。あの飛行機械の格納庫だよ。いくら〝固定化〟がかけられているとはいえ、あのような貴重な宝物を雨ざらしにしておいていいわけがないからね。だから、ヴァリエール家での歓待に入る前から建造するための準備を進めておいたんだ」
笑顔でそう言ったコルベールに、才人は全力で頭を下げた。
「ありがとうございます! 俺、すっかりあれのこと忘れてて……そのまま放っておいたら、壊れてたかもしれないのに」
「ん、まあ、構造を見るために少し……ゴホン。いや、喜んでもらえたようで何よりだよ。鍵を渡しておくから、あとで問題がないかどうか確かめておきたまえ」
「はいっ!」
「それでだね、サイト君。実は……ひとつ、頼みがあるのだが」
「俺にできることなら、なんでもします! 先生には、あんな立派な格納庫建ててもらったんですから!!」
勢い込んで言う才人に、コルベールは少し躊躇うような……それでいて照れくさそうな顔をして言った。
「きみさえよければ、あの飛行機械の操作を教えてはもらえないだろうか。是非一度、魔法を一切使わぬ機械で自由に空を飛んでみたいんだ。そうすれば、もっとあの機械の仕組みが理解できると思うのだよ」
〝ガンダールヴ〟のルーンの補助を受ければ、操作方法は自動的に頭の中へと流れ込んでくる。現在、それらの全てを覚えているわけではないが――何度か飛行すれば、コルベールに知識の伝授をすることができるようになるかもしれない。そう考えた才人は、改めてコルベールに格納庫建造に関する礼を述べると、言った。
「ひとに操縦を教えるためには、俺自身がもっと飛び慣れてからじゃないと難しいと思うんです。それには……」
「例の『がそりん』が必要なんだろう? それなら樽十本分ほど用意して、危険がない場所に保管してありますぞ」
「うおッ! さすが先生、仕事が早いぜ!!」
「他には何か無いかね?」
「はい! できれば、俺と一緒に先生も飛んだほうがいいと思うんです。そうすれば、お互いに慣れるのも早くなるはずです……操縦席が狭いのは、我慢するってことで」
「そんなことでいいのかね? むしろ、こっちからお願いしたいくらいだよ!」
「じゃあ、決まりですね?」
「うん、決まりだ!」
……こうして。生徒と、その従者と、彼らの教師。強い絆で結ばれた『トライアングル』が形成された。
――ふたりが意気揚々と退出していった後。
「あの研究が、まさかこんなところで生きてくるとは思いもよりませんでした」
コルベールがぽつりと呟くと、オスマン氏がそれに応えた。
「君たちの〝部隊〟が当時の王立研究所の依頼で、様々な実験を繰り返していたというのは王政府筋でもごく一部の者しか知らぬ秘事じゃったからな。これまで明かせなかったのも無理はない」
「……学院長は、ご存じだったんですね」
「むろんじゃ。だからこそ、君を失うのが惜しかった。オリジナル・スペルを自力で、しかも自分に合うように編み上げることに成功したじゃと! それがどんなに難しいことなのか、君にもわかっておるだろう!? どれだけ多くの研究者たちが挑戦し、夢破れていったことか……」
オスマン氏は溜め息をついた。
「長年、魔法の研究とメイジの育成に携わってきたわしだからこそ理解できる。あれは間違いなく『始祖』の領域に踏み込む『道』じゃ。そしてあのノートは、その道標ともいうべき貴重な書物だ。あれがなければ、ミス・ヴァリエールは深淵の闇の中、手探りで行き先を見出さねばならなかったじゃろう。君が手渡したものは彼女の往く道筋を照らす、希望の灯火なのだ」
しばしの静寂が室内を包み込んだ。その後オスマン氏は、遠く窓の外を見遣りながら、頼もしき協力者へ向けて、言葉を投げた。
「君が、ここに居てくれてよかった」
「それは私の台詞です、オールド・オスマン。もしもあのとき、あなたが現れてくれなければ――」
「ふむ……若者たちの新たな門出を見送ったばかりじゃというのに、何やら辛気くさい雰囲気になってきおったの。どうじゃ? これから景気づけに街へ一杯やりに行くというのは」
「……喜んで、お供します」
○●○●○●○●
――さらにその翌日。抜けるような青空の下。
トリステイン魔法学院の中庭で、複数の少年少女たちが地面に膝をつき、蹲っていた。仰向け、或いはうつ伏せになって倒れている者も存在する。
そんな中、中央付近で膝をついていたひとりの少女が、ゆっくりと立ち上がると。周囲をぐるりと見渡して、言った。
「ちょ、ちょっと失敗したみたいね」
彼女の言葉を聞いた途端。倒れていた者たちが一斉に起き上がり、口々に叫んだ。
「ちょっとどころじゃねえだろ! なんなんだよ、アレ!!」
「これは……予測しておいてしかるべきだったな」
「ま、まあ、爆発しなかっただけ、マシだけどね……」
「うぬぬぬぬ、わしはモロに喰らってしまった……まだ頭がくらくらする」
――朝食を済ませ、お互いに夏休みをどう過ごしたのか等の近況を話し合った後。
早速みんなの前で〝光源〟の魔法を初お目見えさせるべく張り切ったルイズだったのだ、どうやらそれがまずかったらしく。彼女が魔法を唱え終えた瞬間――とんでもなく強烈な〝光〟が出現し、立ち会っていた全員の眼球を直撃したのである。
……彼ら(本人含む)が、その場で悶絶したのは言うまでもない。
ようやく
「コルベール先生が立ち会っていなくて良かった」
「それは反射する的な意味でか?」
「タバサ。あなたって、たまに眉ひとつ動かさずにとんでもないこと言うわよね」
未だチカチカする目を押さえながら、才人が言った。
「予告なしであんなデカいフラッシュ焚くとか、凶悪すぎんだろ……」
と、ここで聞き慣れない単語を耳にしたレイナールが才人に聞いた。
「フラッシュって何だい?」
「あ、ああ。さっきみたいな強烈な光のことだよ。ん? もしかして閃光弾とか、あの光みたいな目くらましに使う魔法は無いんか?」
「トリステイン軍はどうだか知らないけど、ゲルマニアにはあるわよ。〝黄燐〟っていう火の秘薬と〝着火〟の魔法を組み合わせて、敵の視界と耳を奪うために使うの」
「ああ、それならトリステインにもあるわ。火をつけると、光と爆音が生じる秘薬のことよね? 量は少ないけど、魔法学院の実験室にも置いてあるはずよ」
まだ視力が完全に戻らないのだろう、両手で目をごしごしと擦っているキュルケに、モンモランシーが言った。
「黄燐って、こっちにもあるのか……あれって確か、ものすごい毒薬だろ。なのに剥き出しで使うとか、めちゃくちゃ危なくねーか!?」
「ええ。だから、取り扱いには充分注意しなきゃいけないわ」
「ファンタジーやべえ……」
そのままハルケギニアの一般的な軍装や秘薬についての話題で盛り上がりそうになったのだが、しかし。レイナールが次に放った一言によって、その空気が一変した。
「いや、それにしてもすごい光だったね。あそこまで行くと一種の兵器だな」
その場にいた全員が、目を大きく見開いた。
「確かに、使い方次第では強力な武器になるわね」
「いやはや。失敗は成功の母とは言うものの……これはその最たる例だのう」
「ひょっとして、あたしたち……例の『防御壁』みたいな、新魔法開発の瞬間に立ち会っちゃった!?」
キュルケが喜びの声を上げると。
「興味深い」
〝光源〟の魔法にそんな使い道があるとは思わなかったと、俄然興味を示し始めたタバサ。他の生徒たちも、目をきらきらさせながらルイズの側へ駆け寄っていく。
「どうやって今の光を出したの?」
「えっ? えと、ちょっと〝力〟を入れすぎただけだと思うんだけど」
「そっか! わざと『込め』ればいいのね……えいッ!!」
もともと火系統の使い手で、かつ〝力〟のコントロールに関する修行を進めていたキュルケはすぐさまこの〝閃光〟の再現に成功した。
「うお、まぶしッ!」
「目が、目がァ~!!」
「だから、予告なしでやるなっての!!」
「いや、ここは杖が取り出された段階で目を半分閉じておくべきであろう」
「いやまあ、そうなんだけどさ……」
「うーん。これ……かなりの〝精神力〟が必要ね。今ので〝火球〟三発分は持っていかれたわ」
「うわ、それは結構大きいね……ぼくにもできなくはなさそうなんだけど、連続で試すとなると、さすがに厳しいかな」
「それならば、本塔の屋上で『瞑想』しつつ交代で練習するというのはどうだ?」
「あ、それいいかも!」
「賛成!」
「わたしも試してみたい」
「あたしも!」
――その日。トリステイン魔法学院の上空で、謎の発光現象が多数確認されたのだが……その正体を知る者は、ごく一握りの者だけであった。