雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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新たなる風の予兆
第63話 軍師、未来を見据え動くの事


 ――ニィドの月、フレイヤの週、ユルの曜日。

 

 ハルケギニアが最も暑くなる八月の開始直後。太公望たち『治療チーム』の一行が、トリステイン魔法学院へと帰還する日がやってきた。

 

「くれぐれも無理をしてはいけませんよ」

 

「はい、母さま」

 

 別れの抱擁を交わす母娘を見守る従僕のペルスランが、涙を浮かべている。

 

「トリステインに戻るより、こちらのほうが過ごしやすいのではないか?」

 

「お父さまがまた例の老侯爵との結婚話を蒸し返さないなら、それも悪くないんだけど」

 

「あ、いや、あの件はだな……」

 

「うふふ、冗談よ。ほら……今は火がついてしまったから、ね?」

 

 夏休みの間はそのまま実家に残る予定だったキュルケも共に学院へ戻るらしい。見送りに来た父親に視線でその理由を説明していた。

 

 タバサたち母娘が療養をしている間に、ゲルマニアの首府ヴィンドボナの観光を――もちろんキュルケの案内、しかも二人っきりでしてきたコルベールが、そこで目にした冶金技術に大いに触発され、一刻も早く魔法学院に戻って『ゼロ戦』をより詳しく研究したいと言い始めた。そう、彼女は燃える想いを胸に、彼の後についてゆくことを選んだのだ。

 

 ちなみにその間太公望はなにをしていたのかというと……あてがわれた部屋に籠もり、借り受けた本を片手にだらだらしていた。彼が観光に出なかったのはキュルケの気持ちを察していたことと――万が一にも他者にフーケとの繋がりを割り出されたくなかったため、出来る限り街へ姿を現さないようにしようと考えていたからだ。

 

 ……単純に面倒だったという説もあるが、あえてここは前者を推す。

 

 太公望にとって、三食昼寝付きに加え、徹底的に気を抜くことができたこの療養期間は、久しぶりに獲得できた最高の休日だった。もうひとりの使い魔がこれを聞いたら、血の涙を流すこと請け合いである。

 

 愛する母と抱擁を交わし、涙を流す従僕の手を取って再会を約束したタバサは改めてキュルケと彼女の家族たちへ礼を述べると、ツェルプストー家が用意してくれた火竜の背に乗り込んだ。

 

 

 ――それから三十分ほどして。

 

「ここは空の上という監視が非常に難しい場所です。今後のことを考えると、ある程度情報の交換をしておいたほうが良いと思うのですが」

 

 火竜の上で暇を持て余していたコルベールが、突然そんなことを言い出した。そういう話なら、ツェルプストー家にいる間にさんざんしてきている。つまり……。

 

(あの家にいるうちは聞けなかったことが知りたいという訳か)

 

 例の〝夢渡り〟や関連する諸々の話がしたい。コルベールはそう申し出ているのだ。

 

(正直なところ、あまり手の内を明かしたくないのだが……)

 

 ちらと勉強熱心な教師を見ると、期待できらきらと目を輝かせている。隣に陣取ったキュルケと彼女の側で本を読んでいたタバサまでページをめくる手を止めていた。

 

「おぬしがしたいのは、わしが見せたあの技術についての話で間違いないかのう?」

 

「は、はい。もちろん、軍事機密ということであれば無理に聞き出したりはしませんぞ」

 

 さすがに元軍人というだけあって、そのあたりはわきまえている。

 

「ふむ。確かに、一部機密扱いの情報もある。だが、それを伏せても構わないというのであれば、話すのもやぶさかではない」

 

 太公望は自分の罪を明かしてまで今回の依頼を受けてくれたコルベールへの、感謝と謝罪という意味合いで、話せる部分のみを開示することにした。聞き手たちの顔が期待に輝く。

 

「もともと、あの〝夢渡り〟はな、わしの師匠の友人が開発したものなのだ」

 

「なんともはや、羨ましい話ですな」

 

「む、コルベール殿。それはどういう意味だ?」

 

「既にご存じかと思いますが、トリステインでは新しい魔法の開発が禁止されているのです……異端だという理由で」

 

「ああ、そういう意味でか。同じ技術者の友人がいるという意味かと思ったわ」

 

「そちらはほぼ諦めていますから。少なくとも、トリステインでは」

 

 もちろん、新呪文開発が異端になるかもしれないという話は聞いている。国法で明確に禁じられているわけではないが、

 

『始祖が与えてくれた祝福を改ざんするとはとんでもない』

 

 という理屈をこねる輩がいるらしい。特にトリステインやロマリアなどではそういう傾向が強いのだとか。

 

「私が若い頃はそれほどでもなかったのですがね」

 

「そういえば、先生の『蛇』の魔法って初めて見ましたわ。うちは火の系統なのに……」

 

「あれは昔、私が自分が使いやすいように調整した専用スペルだからね。〝火球〟から爆発力を無くす代わりに温度と着火地点のコントロールがしやすいように改造したんだ」

 

「まあ、そんなことが可能なんですか? あたしも是非試してみたいですわ!」

 

「それなら、もう少し勉強しなければならないだろうね。ああ、ミス・ツェルプストーの実力が足りないという意味ではなく、魔法学院の授業では習得できない知識が必要になるからです」

 

「でしたら、時々先生の研究室にお邪魔しても構いませんこと? あそこで教えていただけるのでしたら、異端だなんておかしな難癖をつけてくるひともいないでしょうし」

 

「もちろんだとも! きみなら決して悪用したりしないだろうし、何より意欲のある生徒は大歓迎ですぞ!」

 

 あっさりと個人授業の約束を取り付ける恋の狩人。哀れな獲物と化した教師はそれに気付いてすらいない。

 

 側で聞いていたタバサも、本音を言えばコルベールから呪文の改造方法を習いたかった。そもそも魔法に手を加えるという発想自体が彼女には無かったのだ。

 

 とはいうものの、現在は太公望の教えを受けている身。まずはそちらをしっかりと自分のものにする必要がある。それに、親友の恋路を邪魔したくはない。

 

 彼らの話を聞いていた太公望は、腕組みして唸る。

 

「なるほどのう。トリステインもロマリアも、色々と勿体ないことを……とまあ、そういう訳で。あれが表沙汰になるとマズイいうのはここにいる皆は言うまでもなくわかっておるな?」

 

 頷く一同。

 

「よかろう。では、誰かわしがタバサの母を治療している最中に口にした言葉を覚えておるか? 例の〝意志〟を封じ込んだときの話なのだが」

 

 コルベールは少し考え、関連しそうな内容を思い出した。

 

「それは『夢とは、無限の宇宙に例えられるほどに広大な別世界である』と、いうあれのことでしょうか?」

 

 太公望は頷きながら言った。

 

「そうだ。そもそも夢とは意志を持つ生物が、自らの持つ想像力と自己の根幹たる魂魄を結びつけて無意識に構築する、現実とは異なる〝別世界〟なのだ。そこに干渉するための技術を生み出したのが先程挙げた人物なのだが……」

 

「だが?」

 

「三度の飯より寝るのが好きという困った人物でのう、隙を見てはすぐに眠ってしまうのだ」

 

「あら、ミスタみたいな方なのね」

 

「失礼な! わしはだらだらするのが好きなだけだ!」

 

「同じ」

 

「全然違うわ!」

 

 ガーッと少女ふたりを威嚇する太公望。

 

「話を戻すぞ。そんな彼が『究極の眠り』を追求するために生み出したのが、あの技術なのだ」

 

「何か問題があるのですかな?」

 

「あたしは素晴らしい技術だと思うんだけど」

 

「同じく」

 

 げんなりした顔でぼやく太公望を、不思議そうな顔で見つめる一同。

 

「あの〝場〟(フィールド)はな……前にタバサとキュルケにはちらっと話したと思うのだが、自在に操れるようになるとものすごく面白いのだ。そのせいで、放っとくと〝夢世界〟の中にいる者は永遠に眠り続けてしまう。結果、周囲が大迷惑を被るのだ」

 

 それを聞いたコルベールが、研究者らしい疑問をぶつけてきた。

 

「寝ている間の食事や、その他の生理現象についてはどうなるのですか?」

 

「そこがまたうまいこと出来ておってな、あそこにいる間は生命維持のために必要なエネルギーの消費が、普通に眠っている時の数千分の一以下にまで抑えられるため、なんと一年近くもの間、完全に飲まず食わずのままでいられるのだ。筋力が落ちるなどの弊害もほとんどない。だからこそ質が悪いのだよ」

 

「もしや、過去に何かありましたかな?」

 

 そう問われた太公望は、がっくりと肩を落とした。

 

「わし、その〝場〟に巻き込まれて、うっかり半年近く眠ってしまったことがあってな。危うく何年もかけて準備していた最終決戦に遅刻するところだったのだよ……」

 

「誰か、起こしに来てくれなかったんですか……?」

 

 額の汗を拭きながら尋ねてきたコルベールに、太公望は苦々しげに答えた。

 

「不幸中の幸い、もとい不幸中の不幸というか。その開発者の住居は秘中の秘とされておってな。居場所を知る者が誰もいなかったのだ。前もって知らせることすら禁じられておったしのう。おまけに通信機の圏外で……わしの居場所を逆探知することすらできなかったらしい」

 

 実際には必死の思いで彼を起こそうとしていた者が側にいたのだが――完全に〝夢世界〟の中に閉じこもっていた太公望は、その声で目覚めることはなかった。たとえ他の人物がいたとしても、それは変わらなかっただろう。

 

「自分で起きようとは思わなかったの?」

 

 首をかしげながらタバサは問うてきたタバサに、太公望は答えた。

 

「それなのだが。あの〝場〟に巻き込まれてしまうと、そこが夢であることをなかなか自覚できないのだよ。しかも、時間の経過が一切わからなくなる」

 

「そういえば、あたしも最初はあれが夢だとは思わなかったわ」

 

「私もです。もっとも、あそこは別の意味で夢の世界でしたが」

 

 ハルケギニアよりも遙かに進んだ技術によって造られているとおぼしき大都市を、彼方に見下ろす不可思議な窓。奇妙奇天烈な家具たち。青白い炎を吹きながら、星の海を目掛けて飛んでゆくフネの姿。『伏羲の部屋』はコルベールにとって、まさしく夢の光景だった。

 

「そうであろう? おまけに、わしは例の開発者から助力と技術の提供を請うために彼の国へ赴いていたため、自分が巻き添えで長期間眠ってしまっていたことに全く気付けなかったのだ」

 

 直接的な助力を得られなかった代わりに超宝貝(すーぱーぱおぺえ)太極図(たいきょくず)』を授けられ――くどいようだが、カツアゲしたと言ってはいけない――自分用にカスタマイズされた新装備を使いこなすため、太公望は〝夢世界〟の中で激しい修行を行うことになったのだが……その際、外でどれほど時間が経過しているのかわからなかった。

 

 その後〝夢〟の支配者に「安眠妨害になる」という理由で外へ叩き出されるまで、なんと六ヶ月も眠り込んでしまったというのだから怖ろしい話である。

 

「まあ、その夢の中で〝夢渡り〟を含む〝場〟や解析のために有用な技術を教えてもらえたので、修行期間だと割り切ることにしたのだが……周軍に戻った直後は部下たちから愚痴られまくるわ、陛下の視線が痛いわで、もの凄く面倒だったのだ」

 

 それを聞いたキュルケが苦笑した。

 

「大きな戦争の前に、半年近くも王軍元帥が行方不明になったりしたら、ねえ……」

 

「もう少し帰還が遅れていたら、危うく副官に主役の座を奪われるところであったわ!」

 

 大口を開けて叫んだ太公望になんともいえない視線を向ける一同。それに気付いた太公望はこほんと小さく咳払いをすると、話を戻す。

 

「ともかくだ。そういうわけなので、わしがアレを使うときは必ず近くに起こしてくれる者を配置するようにしておるのだ。見張りにもなるしのう」

 

 タバサとキュルケは納得したといわんばかりに頷いた。

 

「あなたが〝遍在〟を出せと言う理由がよくわかった」

 

「生死に関わらなくても、そんな長期間寝たきりになっちゃうのは怖いものね」

 

「また〝夢世界〟を体験してみたいというのであれば、再び展開しても構わぬ。わしの都合がつく時に限るがのう。ただ……あまりやりすぎると夢と現実の区別がつかなくなるため、もうしばらく時間を置いたほうがよい」

 

「なるほど、了解しました。ところで、もうひとつお伺いしたいことが……」

 

 コルベールの申し出に、太公望はニヤリと笑った。

 

「例の〝先住魔法〟を封じたアレの件について、であろう?」

 

「その通りです。もちろん、軍の機密に関わるというのであれば結構です」

 

「今コルベール殿が言ったように軍事機密に関わることでもあるので、申し訳ないが詳しく教えることはできぬ。ただ、これだけは言っておく。現時点のわしでは〝夢世界〟の中にいる時しかあの〝技〟を使うことができぬのだ」

 

「つまり、以前は夢の中以外でもできていた……と、いうことですな?」

 

「うむ。ただし……あれを現実世界でやるためには、とある人物の助力が必須なのだ。本来わしひとりでできるものではない」

 

 タバサはその人物について思い当たった。今後のことを考えると念のためキュルケとコルベール先生にも話しておいてもらったほうがいい。そう考えた彼女は、小声で太公望に耳打ちした。

 

 いっぽう、タバサの助言を聞いた太公望も彼女と同様、事情を話しておいたほうがよいと判断した。彼の危険性を知らせるため、さらに――これまでに生じた年齢その他に関する情報の齟齬を何とか誤魔化すといった意味あいで。

 

 ――こうして太公望は自分の『兄』王天君について語り始めた。最悪の場合、その人物が現ガリア王家の使い魔になっている可能性があることも含めて。

 

「ミスタ・タイコーボーにも、双子の兄弟がいただなんて……」

 

「お互いの関係を知らずに命の取り合いとは……なんという……」

 

 既に、タバサから現在行方不明となっている双子の妹について教えられていたキュルケとコルベールは〝召喚〟によって巡り会ったふたりの間に存在する、あまりにも多くの共通点に驚きを隠しきれなかった。

 

 特にコルベールはタバサの事情は前もって教えられていたものの、太公望が歩んできた『復讐の道』については完全に初耳だったため、驚愕した。

 

(なるほど、ミス・タバサは彼との邂逅を『始祖』の啓示と受け取ってしまったのだろう。それも無理はない、あまりにも似通った運命を辿っているのだから)

 

 とはいえ、コルベールにも引っかかることがあった。

 

「双子であるからには自然と姿形が似通うものだと思うのですが……」

 

「そうでもないぞ。男女の違いやその他の要因で、双子とは思えない子が生まれてくる場合もあるのだ。ただ、わしと兄の場合は初めて出会った時点で互いの姿が変わっていたのが大きい」

 

「ミスタが若返っていることと関係あるのかしら?」

 

「うむ。わしはこの姿になっていた。見た目と年齢が合わなかったのだ……それに」

 

「ほ、他にも何か?」

 

「王天君は帝国で肉体を改造され、妖魔と化しておる。残っていたのは人間であった頃の……わずかな面影だけだった。これでは互いに気付けなかったのも無理はない」

 

 それを聞いたコルベールはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「有能な水メイジが、死者の肉体の一部を別の者へ移植することに成功したという話は〝魔法実験小隊〟に所属していた頃に何度か聞いたことがありますが……身体そのものを別種の生物に改造してしまうなどという神をも畏れぬ所行については――さすがの私も初めて耳にしました」

 

 コルベールの声は恐怖に震えていた。無理もない、彼はこの世界における科学者の走り的な存在ではあるが、専門はあくまで自然科学と機械工学系である。生物に対してそのような行いをするなど、考えたことすらなかったのだから。

 

「戦争というものは、人間をどこまでも残虐なものに変えてしまうのですな」

 

 吐き出すように紡がれた恩師の言葉を聞いて、タバサは思った。

 

(人間ではないモノに変えられる。いったいどれほどの恐怖を伴うのだろう)

 

 かつて討伐任務で目撃した合成魔竜(キメラドラゴン)は、巨体のあちこちに埋め込まれた生物や捕食された者たちの身体や顔が浮かび出ている奇怪な獣だった。思い出すだに震えが来る。

 

(あんなモノに改造されるなんて想像したくない。彼のお兄さんが耐えきれずに心を壊してしまったのも無理のないこと)

 

 タバサはぽつりと呟いた。

 

「ガリアにも、動物を魔法で掛け合わせた合成獣(キメラ)がいました」

 

「それ、本当なの!?」

 

 親友の問いかけに小さく頷くタバサ。

 

「何という罰当たりな……!」

 

「そのメイジには神罰が下った。実験に使っていた合成獣が檻を抜け出して……」

 

「ああ、うむ。その先は言わなくともよい」

 

 それからしばらくして。最初に重苦しい沈黙を破ったのはキュルケだった。

 

「あたし、ずっと疑問に思っていたんだけど……今の話を聞いて、ほとんど確信に変わったわ。ねえ、ミスタ。例の女狐さんって妖魔か――エルフだったんじゃありませんこと?」

 

 キュルケの発言にタバサとコルベールはぎょっとした。しかし、太公望は動じるどころか小さく笑って頷いてみせた。

 

「さすがだのう、キュルケ。その通り、かの女狐は数千年の刻を生きる大妖魔だ。しかし何故そう思った?」

 

 キュルケはどこか悲しげな笑みを浮かべながら答える。

 

「だって、そうでもなきゃ説明がつかないんだもの。年齢のことはもちろんだけど、あの『烈風』カリンと互角に撃ち合えるほどの技術があって、しかも本物じゃないとはいえ、エルフを前にして怖がるどころか完封しちゃったミスタが手も足も出ずに負けるような相手なんて……人間のはずないじゃない」

 

 太公望は露骨に顔を顰めた。

 

「失礼な! このわしを化け物呼ばわりかい!!」

 

「え~、だって……」

 

「キュルケよ。おぬし、どうもおかしな誤解をしておるようだが……本物の妖魔であるかの女狐はともかくとしてだな! わしや『烈風』殿は状況の持っていきかた次第でいくらでも普通の人間が対抗しうる相手だぞ? それこそ平民でもな」

 

「そんな馬鹿な!」

 

「ありえない」

 

 そう言い募るキュルケとタバサに、太公望は思わず苦笑してしまった。実際、彼の言葉は嘘でもなんでもないからだ。

 

「別に難しいことではないぞ。コルベール殿ならわかると思うがのう」

 

 話を振られたコルベールは頷いた。

 

「あの試合のような、真っ向勝負を仕掛けなければいいだけの話です」

 

「その通りだ。そういう意味ではわしはおぬしとは間違っても敵対したくない。ある意味おぬしは『烈風』殿よりも、数段厄介だからのう」

 

 トリステインの暗部である〝特殊部隊〟の元指揮官、つまり『裏側』の戦い方に精通している。おまけに自然科学の一部を理解し、それを魔法に生かすことのできるハルケギニアでは非常に珍しい類のメイジ。それがコルベールの正体だ。

 

 もちろん〝力〟に関しては比べるまでもなくカリンのほうが上だ。しかし騎士道精神に溢れ、真正面から堂々と仕掛けてくる彼女とは異なり、言い方は悪いが平然と汚い(・・)戦い方ができ、かつ、静かに這い寄って即死級の〝火〟を放てるコルベールのほうが一対一という状況下においては数段怖ろしい。そう判断しているのだ。

 

 と、そこへタバサがボソリと追従した。

 

「先生の杖二本同時持ちも凄かった」

 

 タバサの言う〝二本同時持ち〟とは、例の治療時にコルベールが行った、メインの杖とスペアの杖を用いて左右両手に〝炎の刃〟を出現させた件である。

 

「いやいや、あれは文字通り夢中だったからで、普段からできるようなことではありませんぞ」

 

 慌てふためいたコルベールに、彼にとっては思いもよらぬ言葉が飛んできた。

 

「そんなことはないぞ、あそこでやれたことは現実世界でもできる。わしのように特別な制限がない限りはな。おそらく、あの手術を切っ掛けとして、コルベール殿は『複数同時展開』に目覚めたのであろう。それができるだけの素養は充分にあったからのう」

 

 太公望からそう告げられて、コルベールは自分の両手をまじまじと見つめた。と、そこへさらなる追い打ちが来た。

 

「おそらくだが、今コルベール殿が杖を両方の手に1本ずつ持った状態で〝火球〟(フレイム・ボール)を唱えたとしたら――二個同時に火球を飛ばせると思うぞ。しかも、それぞれ思い通りの場所へ、個別にな」

 

「ええーッ! なにそれ!!」

 

「コルベール先生も規格外」

 

 驚きのあまり、あんぐりと口を開けた女子生徒ふたりへ太公望は言った。

 

「規格外云々ではない。もともと『複数同時展開』とはそういう技術なのだよ。もっともコルベール殿はわしと同じで戦いを好まぬ質であるし、そもそも魔法は戦闘だけに使うものではない」

 

 魔法は戦いのためだけに存在しているわけではない。その言葉を受けたコルベールは改めて件の『二本同時持ち』について考え――そして、すぐさま自分にとって最善の解答に辿り着いた。

 

「そうか! 例えば、同時に複数の〝浮遊(レビテーション)〟を扱うことができれば……宙に浮かんでの観察中に、一本目の杖を使って自分を浮かせながら、二本目の杖で同時に、遠くに置いてある資料を手元へ引き寄せたりできます。複数同時展開か! これは頼りになる助手がひとり、手元についたようなものですな!!」

 

 それを聞いた太公望は嬉しげに頷いた。やはり彼は根っからの技術者なのだと。

 

「その通りだ、コルベール殿。ただし、杖二本ということは……当然、消費する〝精神力〟も二倍になる。そういった意味では一本での同時展開を覚えたほうが効率がいい。もちろん、両方使いこなせれば選択の幅が広がるので、便利ではあるがのう」

 

 〝炎の嵐〟(ファイア・ストーム)のような属性を重ねる必要のある――『同時展開』が難しい類の魔法を複数個、それも容易に操れるというのはとてつもなく貴重な技能だ。

 

 この話を聞いたキュルケは、思わず口を開いた。

 

「ねえ、ミスタ? 前に、あたしは一撃の威力を上げる才能があるから『複数同時展開』は諦めたほうがいいって仰ってましたけど……先生みたいな方法でも、やっぱり難しいんですの?」

 

 キュルケの問いに、太公望は難しい顔をして答えた。

 

「残念だが、本来『二刀流』は習得までに相当な努力を必要とされる技能なのだ。展開へ導くための知識と技術、その上『複数思考』が要求されるだけではない。杖との複数同時契約と、体内における力流の分割という別種の技まで必要となる。ハッキリ言うが、今から練習を始めたとして……身に付けるまでには最低でも十年はかかるぞ」

 

 キュルケの肩が、がっくりと落ちた。何故かタバサまでうなだれた。

 

「コルベール先生も規格外」

 

「これ、タバサよ。そのような誤解をしては彼に対して失礼だ。あれは、コルベール殿がこれまで積み重ねてきた経験があってこそ。才能だけでどうにかなるものではない」

 

「ちなみに、ミスタは『二刀流』が可能ですの?」

 

「いや、無理だ。そもそも、わしは杖1本での『複数展開』ができる上に、使える〝術〟の種類が少ない。よって、習得する意味がないのだ」

 

「ああ、そういえばそうでしたわね……」

 

「なるほど、理解できた。コルベール先生、申し訳ありません」

 

「いや、ミス・タバサ。気にしないでよろしい」

 

 太公望が『二刀流』を扱えない理由。それは単に『打神鞭』が一本しかないというだけのことなのだが、もちろんそんなことは口に出さない。

 

「代わりといってはなんだが、キュルケには『込める』才能がある。これは、あえて通常より多くの〝精神力〟を魔法につぎ込むことにより、威力を大幅に増強する技術だ。以前と比べて〝力〟のコントロールが格段に巧くなっておるので、そろそろそっちへ修行内容を移行しようと考えておったところなのだが、試してみるか?」

 

「もちろん!」

 

 キラキラと瞳を輝かせ、即答した親友を羨ましそうな顔で見つめていたタバサは、ちらと己のパートナーを見た。すると、そこには……待ってましたと言わんばかりに視線を投げかけてくる太公望の姿があった。

 

(あの目。彼は間違いなく何か企んでいる)

 

 ――それに気付いたタバサであったが、しかし。続いて太公望から出てきた言葉によって、彼女は完全に我を忘れてしまった。

 

「タバサには、いよいよ次の段階――『空間座標指定』と『複数同時展開』習得用の課題を渡す。『烈風』殿と同様にわしの『使い分け』をほぼ完璧に見切ることができていたということは、すなわち! それをするための準備が整ったに等しいからだ」

 

(遂に来た!)

 

 タバサの両手に力が籠もる。これで、例の『天使の羽衣』を存分に生かすことができる。おまけに彼女にとっての憧れだった『空間座標指定』つきだ。喜ばないほうがおかしい。

 

 ――周囲の者たちが強くなってくれれば、そのぶんだけ自分の負担が減る。つまり、ぐうたらできる時間が増える。相変わらず将来の平和と怠惰のために、今の努力……現在の仲間育成に余念がない太公望であった。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――翌日。

 

 道中、眼下にあったそれなりに設備の整った宿屋で一泊し、その後ものんびりと空の旅を楽しみつつ魔法学院の玄関前に降り立った一同を出迎えたのは、太公望を見た途端、何故か慌てふためいてすっ飛んできたメイドの少女ローラであった。

 

「みみみ、ミスタ・タイコーボー! お、お客さまが! 学院長室で……」

 

 どうやら、太公望ひとりで来いということらしい。

 

(狸ジジイめ、また何かやらかしおったか!?)

 

 太公望はそんな風に考えつつ、タバサたちへ先に部屋へ戻っているよう伝えると、ローラの案内で学院長室へと出向いた。

 

 そこで待ち受けていたのは。

 

「わた、わた、わたし、ま、魔法が……つつ、使えなくなっちゃったの!!」

 

 泣きながら飛びついてきたルイズと、困惑げに立ち尽くす学院長、そして恐縮した様子で自分を見つめてくるルイズの姉エレオノールであった。

 

 ――それから三十分ほどして。

 

 どうにかルイズを落ち着かせ、詳しく話を聞いた太公望は、学院長室のソファーの上で腕を抱え込みながら思案に暮れていた。

 

 ルイズの話はこうだ。

 

 遂に〝虚無〟の系統に目覚め、その際に最初の魔法として〝瞬間移動〟を習得した。昨日まで毎日練習を繰り返していたのだが、今朝になって突然〝瞬間移動〟が一切発動しなくなったというのだ。おまけに〝念力〟までろくに使えない状態らしい。

 

「具体的に、今〝念力〟で、どの程度のことができる? たとえば……学院長の机に置いてある、羽根ペンを持ち上げるくらいのことは?」

 

「全然ダメ。持ち上がらないの。せいぜいカタカタ揺れるくらい」

 

「なるほど。と、いうことはだ。全く魔法が使えなくなったというわけではなく、何らかの原因で極端に〝力〟が弱まっているということかのう」

 

 今朝になって突然なのか。それとも以前から予兆があったのであろうか。太公望は魔法について詳しく、かつ、ずっとルイズの側についていたというエレオノールから、より詳しい事情を聞いてみることにした。

 

「エレオノール殿。ここ数日間で虚無に目覚めたこと以外に何か変わったことはありましたか? たとえば生活習慣を極端に変えたとか、特に重い荷物を〝念力〟で運んだといったような?」

 

「いえ、特には。せいぜい朝起きる時間を一時間ほど早めただけで……って、まさか! この子、極端に寝起きが悪いから、それが影響したなどということが?」

 

「ねねね姉さまこんなところでそんな恥ずかしい話をしないでくださいわたしどうしたらいいのかわからないじゃないですか」

 

 ……と、息継ぎ無しで長姉に抗議した直後に頬をつねり上げられたルイズを見遣りつつ、太公望は呟いた。

 

「就寝時間は変わらず、ですか。しかし、睡眠時間の減少程度で魔法が使えなくなるというのはおかしい。どれ、ちょっとルイズ殿を診てみましょうか……と、学院長。エレオノール殿。ここで、例の〝場〟を使っても?」

 

(確か、異端すれすれと言っていた魔法のことね)

 

 即座に思い当たったエレオノールは、内心でほんの少しだけ葛藤したのだが――研究者としての好奇心と、末妹への心配がそれを上回った。

 

「わしは構わん。むしろ頼む」

 

「わたくしもです。どうか、お願いします」

 

「了解した。ではルイズ。以前の〝場〟を展開するので、わしが『はじめ』と言ったら、あの羽根ペンに向かって〝念力〟を唱えるのだ」

 

 その言葉にコクリと頷いたルイズ。そして太公望は『打神鞭』を構えると、床に半跏趺坐(はんかふざ)の姿勢で座り込み、例の『見えないものが視えるようになる』場を創り出したのだが――。

 

「なんだこれは! 〝器〟の中身が、ほとんどなくなっておるではないか!!」

 

 そう――何故か『大樹』と表現して差し支えないほどに揺らめき、立ち上っていた〝力〟がほとんど消えてしまっているのだ。

 

「これでは魔法が使えなくなったのも無理はない。何故こんなことになったのじゃ!?」

 

 オスマン氏が立派な髭をしごきながら呟いている側で、エレオノールは顎に手を当て、何かを考えている。ルイズに至っては、再び半泣き状態だ。

 

「普通ならば〝精神力〟は眠ることで徐々に回復するものなのじゃが……」

 

 オスマン氏の言葉に、エレオノールが補足意見を述べた。

 

「オールド・オスマン。それには日常生活で魔法を使った程度なら、という但し書きをつける必要がありますわ。さらに、気絶する程大きな魔法を立て続けに使用した場合、完全に回復するまでに数週間、メイジのランクによっては一ヶ月以上かかることが判明しております。これは以前、我が王立アカデミーで実証された研究内容ですから、確かですわ」

 

 これを聞いて、太公望は閃いた。ひょっとすると――。

 

「ルイズよ。まさかとは思うが、毎日〝瞬間移動〟を多用しておったのか? それも……短距離ではなく、長い距離を跳躍し続けていたなどということは?」

 

「え、ええ……練習しなきゃって思ったから……」

 

 太公望は片手で顔を覆った。

 

(なるほど、そういうことか……)

 

「あのな、前に〝召喚〟(サモン・サーヴァント)の説明をしたのを覚えておるか? そこで、わしはおぬしにとんでもない素質があるという話をしたと思うのだが」

 

「ええ。よく覚えてるわ」

 

「でだ。その際に『空間ゲート』同士の距離が長ければ長いほど、それらを接続するためには多大な〝力〟を必要とする……という説明をしたはずだ」

 

 太公望の言葉に、ルイズはハッとした。

 

「つ、つまり……長い距離を飛び続けていたから〝精神力〟の回復が、眠っただけじゃ間に合わなくなっちゃった。そういうこと?」

 

「おそらくそうだ。『空間移動』はとんでもなく疲れる技術だからのう」

 

 やれやれと、苦笑いをしながら太公望は肩をすくめた。

 

 それを聞いて居心地の悪い思いをしていたのはオスマン氏だ。ルイズに虚無魔法の練習をしろと勧めたのは彼だったのだから。

 

「自分と目的地までの距離を、空間を無理矢理ねじ曲げることで縮める。もしくは対象物を粒体に変換した後に『亜空間通路』を通じて目的地へ超高速で移送し、移動後に再構築するのが『空間移動』の主流だ。こんなとんでもない真似をするわけだから、当然必要とする〝力〟は多くなる。ちなみに、わしの師匠がこれを利用した〝魔道具〟の開発に成功しておる」

 

 彼の国ではそんな道具まで造り出されているのか! と、驚くオスマン氏とエレオノール。いっぽうのルイズはというと、聞いた内容を反芻しながら、自分の魔法についての見解を述べた。

 

「わたしの〝瞬間移動〟は、あとのほうに近い感じがするわ。うまく言えないんだけど、何か全身と行き先に『流れ』みたいなものを感じるというか……でも、何かを曲げているような感覚もあるから……どっちなのかって言われると、少し困るかも」

 

「ほほう! それは興味深いな。ちなみに『空間移動』は、通常の〝移動系〟技術と比べ、圧倒的な速度と距離を稼げるのだが、先に述べた通り、極端に〝力〟を消耗するという欠点がある。しかしどうもルイズの場合は、それだけではないように思えるのう」

 

「確かに。普通でしたら睡眠をとることによって〝念力〟が使える程度には〝精神力〟が回復していてしかるべきなのです。なのに、おちび……いえ、ルイズのそれは正しく回復していない」

 

「エレオノール君の言うとおりじゃ。確かにこれはおかしい」

 

 揃って頭を抱えてしまった研究者たち。ルイズは既に涙目である。

 

「他に〝精神力〟を回復する手段と言えば……」

 

 腕を組み、片手で顎を抑えながら考え込む太公望の横ではエレオノールがこめかみを抑えつつ、次善案の検討を行っていた。

 

「そうですわね……やはり『感情の爆発』でしょうか。怒り、喜び、悲しみ。これらの感情と〝精神力〟は深く結びついていますから」

 

 太公望はポンと手を叩いた。

 

「そうか! エレオノール殿の言う通りだ。いずれかの感情をうまくコントロールすることができれば、あるいは……」

 

 だが、その意見にオスマン氏が異を唱える。

 

「しかし、心を落ち着かせて冷静になる……というならばともかくじゃな。その他の感情をわざと爆発させるのは難しいじゃろうて。いくらミス・ヴァリエールが爆発の名人だとしてもじゃ」

 

「ば、ばば、爆発の名人って酷い! 酷すぎるわ! 学院長、それはあんまりです!!」

 

 思わず大口を開けガーッとオスマン学院長に喰ってかかったルイズだったが、そのすぐ側では、太公望が再び床に座り込んでいた。

 

「ルイズ。ちと〝念力〟を使ってみるのだ」

 

「いい、今は、そ、それどころじゃ……!」

 

「いいから、あの羽根ペンを浮かせてみろと言っておるのだ!」

 

 その剣幕に気圧されたルイズは素直に〝念力〟を唱えた……すると。

 

「う、浮いた!?」

 

 いつもの通り、ぷかぷかと浮かんだ羽根ペン――そして。

 

「ふたりとも見てみろ、さっきよりも明らかに〝器〟の中身が増えておる」

 

「ええ……少しだけですが回復、していますわね」

 

「フォフォフォ、思った通りじゃ。怒りの爆発で〝精神力〟が戻ったか」

 

「さすがは狸ジジイ。自然かつ、実に見事な怒らせ方であった」

 

 そこには――ルイズ本人に気付かれぬよう、こっそりと〝場〟を再構築し、冷静に観察している研究者たちがいた。

 

「わわ、わざと!? あ、あれ、わざとだったんですか学院長!? し、しかも、これってみんなわたしが絶対怒るって、わかってやってたってことよね!?」

 

「ほれ見ろ、また〝力〟が溜まってきておる。母君もそうであったが、ルイズは感情を爆発させることで体内を巡る〝精神力〟の回復速度を一般的なメイジよりも極端に上昇させる、という特質があるようだのう。怒りっぽい性格で得をしておるという、ある意味非常に珍しいケースだ」

 

 言葉を用いてさらにルイズを煽る太公望。他人を挑発させたら、この男の右に出る者はそうはいまい。あまり威張れたことではないが。

 

「ぐぬぬぬぬ……」

 

 怒れる末妹の横で、彼女の姉エレオノールは『東方』の技術に魅入っていた。

 

「これが〝場〟。たしかに、興味深い技術ですわね」

 

(い、異端すれすれどころか、もしもこれをロマリアの神官が見たら、聖堂騎士団を引き連れて、異端審問状を片手に魔法学院に乗り込んでくるでしょうね。それほどに異質な技術だわ……)

 

 ブリミル教の敬虔な信者にして研究者たる彼女はそう判断した。

 

 しかし――この技術がトリステインにあれば、今回のような異変の察知や才能の発掘など、間違いなく国の発展に繋げることができる。

 

(オールド・オスマンが欲しがるはずだわ……)

 

 もしも、これを見たのが数ヶ月前の彼女であったなら、ここまで冷静な目で分析することなど不可能だっただろう。だが、末の妹が〝虚無〟に覚醒したという危機と、新たに『魔法科学者』として目覚めた者としての見識が、これまでエレオノール女史の中に存在していた、進歩と成長を阻害する束縛を徐々に打ち消しつつあった。

 

 エレオノールは嘆息した。

 

(どうして異端なんて概念が存在するのだろう……そんなものさえ無ければ……)

 

 そこまで考えたところで、彼女はすぐさまぶんぶんと頭を振り、その罰当たりな考えを外へ追い遣った。そして、心の中で『始祖』ブリミルに懺悔した。

 

 いっぽう、太公望はさらに分析を続けていた。

 

「ルイズよ。ひょっとして、おぬし……ここ最近怒ったり、極端に喜ぶようなことがなかったのではないか?」

 

「そういえば……」

 

 ルイズは改めてこの半月あまりの生活を思い起こしてみた。

 

 規則正しい生活に、両親との触れ合い。姉たちとの楽しいお茶会と、才人とふたりだけの気の休まる会話。『伝説』に目覚めてしまったという使命感からくるプレッシャーはあったものの、家族に囲まれ、穏やかな生活を送っていたおかげで、ルイズはそれをほとんど感じずに済んでいた。よって、感情が爆発するような出来事は一切起きなかった。

 

「だが、それ以前に……」

 

 太公望はジロリとルイズを見据え、言い放った。

 

「おぬし、帰省してから『瞑想』をサボっておるだろう? ついでに言うと、今朝も間違いなくやっておらぬな。どうだ?」

 

「な、なんでわかる……あ!」

 

「気付いたようだのう。そうだ、毎日ちゃんと『瞑想』をしておれば、ここまで極端に〝精神力〟が減る前に、自分で〝器〟の異変に気付けたはずなのだ!」

 

 ここでエレオノールが割り込んできた。片手で縁なし眼鏡の端をついと持ち上げ、太公望へ向き直る。

 

「失礼、ミスタ。その『メイソウ』というのは、いったいなんですの?」

 

「それをお教えするのはやぶさかではないのですが、ひとつ条件があります」

 

「条件……とは?」

 

 途端に、太公望の顔が暗く陰った。

 

「絶対、他者には内緒に……特に、母君には秘密にしておいてください……」

 

 ルイズの表情まで沈んだ。どうやら彼女は問題点に気付いたらしい。

 

 エレオノールとオスマン氏には彼らがそんな顔をする理由がわからない。顔中に疑問符を浮かべている長姉と学院長に、ルイズが解答した。

 

「母さまが……今よりもずっと強くなってしまう危険性があるの……」

 

 その言葉を最後に黙り込んでしまった妹を見たエレオノールは、呆然とした。

 

「つ、つまり……せせ、精神力を、お、大幅に回復するだけでなく……増強する効果のある技術。そ、そういうことかしら?」

 

 揃って、震えながらカクカクと頭を上下に動かすふたりを見て、エレオノールとオスマン氏は怯んだ。確かに、それを『烈風』に教えたら大変なことになる。おもに、周囲の人間が苦労する的な意味で。最も被害を被る人物は、ほぼ間違いなく彼女の夫であるラ・ヴァリエール公爵だ。それだけはなんとしても避けねばならない。

 

 そんなふたりの思惑を知ってか知らずか、太公望がぽつりと呟いた。

 

「もしも夫人に知られてしまったら……このわしの〝風〟と〝技〟の全力をもってしても、反撃はおろか捌くことすらできなくなってしまうやもしれぬ」

 

「そこまでかい!」

 

「ぜ……絶対内緒にしますわ。『始祖』に誓って」

 

「それを聞いて安心しました。ちょうどこの部屋は〝力〟が集う中央塔にございますので、エレオノール殿にもお教えしましょう。王立図書館への口利きをして下さるお礼の前渡しということで。そうそう、念のため聞いておいてやるが、狸ジジイはどうする?」

 

「ずいぶんと扱いが違うのう、このガキジジイめが! まあええわい、ようは他に漏らさねばいいということじゃろう?」

 

「その通りだ。この技術は間違っても他者へは漏らさないで欲しい。将来的にコルベール殿への伝達は検討しておるが、それ以外の場所へ流出すると色々と問題があるからのう。それと……」

 

「桃りんごのタルト一ホールでどうじゃ? 季節モノだから美味いぞ」

 

「タルブのいいやつがついたりはしないのかのう?」

 

「それはおぬしが厨房への土産に買ってきたやつじゃろうが! アルビオンの古いので手を打たんかい。あ、ボトルではなくグラスじゃからな?」

 

「トリステイン魔法学院の長ともあろうものが、ケチくさいこと抜かすでない!」

 

「誰のせいで倹約生活を強いられとると思っとるんじゃ!」

 

「元はと言えば、おぬしの自業自得であろうが!!」

 

 さっぱり事情のわからない姉妹をよそに、丁々発止の喧嘩漫才的交渉を繰り広げるふたり。決着がつき、実際に『瞑想』のレクチャーが行われたのはそれから数十分後のことであった――。

 

 

 ――数時間後。

 

 『瞑想』を行ってみたものの、本来の十分の一にも満たぬ程度しか〝精神力〟が戻らなかったルイズは今夜は魔法学院に残り、明日改めて回復を行うことになった。

 

 既に『始祖の祈祷書』の返却期限が過ぎており、王室の宝物庫へ戻されていたのも帰宅せずに残留した理由のひとつだ。

 

 エレオノールは妹の魔法が明日以降回復する見込みであるということを、不安な心持ちで待ち続けている家族に報告するため、竜籠に乗ってヴァリエール領へと戻っていった。覚えたばかりの『瞑想』を、籠の中で練習しながら。

 

 

 ――ちょうどそのころ。

 

 ラ・ヴァリエール公爵家の城では平賀才人が呻き声を上げていた。今日に限って、何故か極端に身体が重く、いつものように動けなかった。そのせいで、カリーヌ夫人の剣戟を全く捌くことができず、まともに受けてしまったのだ。

 

 稽古の後、ズタボロになった身体を引き摺りながら自室へと戻った才人を出迎えたのはカチカチと鍔を鳴らしながら相棒の帰りを待っていたデルフリンガーであった。

 

 彼は才人が部屋に入ってきた瞬間、こうのたまった。

 

「よう相棒、こりゃまたひでェ状態だね。ああ、そうか! 嬢ちゃんがすぐ近くにいなかったせいで〝ガンダールヴ〟の能力が弱まってたのか」

 

「は!?」

 

「いやあ、すっかり忘れてたぜ。〝ガンダールヴ〟はもともと『虚無の担い手』を護るために存在するんだ。だから、誰かを護るって気持ちが強まれば強まっただけ、誰かのために戦うんだって、心が震えれば震えただけ〝力〟が上がる」

 

「へ!?」

 

「護る対象がいなけりゃ、当然〝ガンダールヴ〟は弱くなる。そんでもって、心が震えてなきゃ最悪の場合、発動しない。そうだった、そうだった。ようやっと思い出した。まァ、嬢ちゃんが近くにいない上にただの稽古だかんね。〝力〟が弱まるのも仕方ないやね」

 

 才人は両手をぷるぷると震わせ、デルフリンガーを引っ掴んだ。

 

「そういうことは早く言え――ッ! ルイズゥ、カムバァ――――ック!!」

 

 ――ラ・ヴァリエール公爵家城内で、才人のせつない叫びが響き渡った――。

 

 

 




シェーン!

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