雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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それぞれの選択
第54話 学者達、新たな道を見出すの事


 ――ラ・ヴァリエール公爵家での歓待・最終日の夜。

 

「そもそも〝錬金〟とは、どういった魔法であるのか」

 

 最初に太公望がこの言葉を発したとき、エレオノールは思わず金切り声をあげそうになった。それはそうだろう。なにせこの歓待期間中、彼女は太公望に対して〝錬金〟がいかに素晴らしい魔法であるのか、また、どれほど生活に欠かせないものであるのかを散々説明し尽くしていたのだ。

 

 しかし、エレオノールは家柄だけではなくその実力でもって王立アカデミーの首席研究員まで上り詰めたほどの才媛である。

 

(彼がもったいぶってこんなことを言うからには、何か特別な意味があるということよね)

 

 そう判断して深呼吸をし、心を落ち着かせた後、改めて問いかけた。

 

「それは、どういった意味で……ですの?」

 

「はい、それなのですが。才人よ」

 

 いきなり話を振られた才人はビクッと身体を緊張させた。何やら小難しい、しかも自分にはあまり関係のない魔法の話を延々と聞かされていた彼の意識は半分飛びかけていた――つまり、居眠りをしそうになっていたからだ。

 

「な、なんですか太公望師叔」

 

「魔法学院の『赤土』先生を覚えておるか?」

 

「ハイ、もちろん。あの、ものすごい数の粘土飛ばしてきた女の先生ですよネ?」

 

 あの先生が一番最強に近いんじゃないかなあ。アレが口に入ったら、呪文唱えられないし。そんなことをブツブツと呟いていた才人に対し、太公望はさらに質問を続けた。

 

「初めてあの粘土の魔法、つまり〝錬金〟を見たとき、どう思った?」

 

「びっくりしました」

 

「……質問の仕方が悪かった。あれを科学的な視点から捉えた場合、どう見た?」

 

 カガク的。この言葉に、エレオノールだけではなくコルベールも強く反応した。彼らはこれから展開される会話が、以前聞いていた『自然科学』に近いものではないかと判断したからだ。

 

「あれ質量保存の法則とかどうなってんだ? とは思いましたです、ハイ。粘土だけじゃなくて、ただの石から鉄とかガラス作るんならまだわかる。納得はできないけどな。あと、水をワインに変えたりとか。もう〝錬金〟じゃねえじゃねえか!」

 

 などと呟き続ける才人に太公望は再び質問を投げた。

 

「ふむ。おぬしの言うその法則とは、物質の状態が変化しても質量は変わらないという意味で合っておるか?」

 

「ハイ。合ってます」

 

「すまぬが、その法則について簡単に説明してはもらえぬだろうか?」

 

 その言葉と同時に太公望は他者に気取られないよう、ラ・ヴァリエール公爵とオスマン氏に視線を投げた。ふたりはそれを受け止め、小さく頷く。

 

「え~、俺よりも太公望師叔のほうが詳しそうなんだけど。ま、いいけどさ」

 

 文句を垂れながら、才人は質量保存の法則について説明を開始した。これは彼の故郷である日本ならば中学までに理科の授業で習う、ごく簡単な化学知識である。

 

「ええっと、そうだな……たとえばコップ一杯の水とスプーン一杯の塩を用意して、重さを量る。そのあと水の中に塩を入れて溶かしてから重さを量ると、溶かす前の水と塩の合計と同じ重量になる。つまり、前後で『質量が変わっていない』ってことになるよな。塩が水に溶けて消えたように見えるけれど、実はなくなってなんかいないんだ。溶けた塩はちゃんと水の中に残ってる。重さが変わらないのがその証拠だ」

 

 その他にも質量に関する説明や各種実験の際の注意事項を挙げ、必死に脳内の記憶と知識を手繰り寄せながら質量保存の法則について説明する才人。思考が完全にそちらへ向いてしまったため、喋り口調が完全に普段のものに戻ってしまっているのだが、聞いている者たちは誰もそんなことを気にしていない。

 

 魔法学院に所属するメンバーたちについては、才人が時折こういう知識を出してくることに対し、既に何の疑問も持っていない上に、彼の口調や普段の態度にも慣れているからこそなのだが……ラ・ヴァリエール公爵家の人々はそもそも平民の従者である才人にこんな学があるということに驚いていたため、礼儀がどうとかいう些細な問題など頭の中から消え失せていた。

 

 特に才人の正体について知らされている公爵は、内心で唸っていた。

 

(母親が研究者らしいとは聞き及んでいたが、自分の息子に対してこれほどの教育を施したその人物は、間違いなく東方でも高名な学者に違いない)

 

 彼の補佐でルイズの魔法が伸びたというのは、まぎれもない事実なのだと納得できた。

 

 ラ・ヴァリエール公爵家の中でも特に礼儀作法に五月蠅いエレオノールまでもが静かに才人の話を聞き入っていた。

 

(アカデミーの学術会議に出しても恥ずかしくない内容だわ。ただの従者が、こ、これほどまでの学問を修めているだなんて……!)

 

 彼の身分以上に東方の教育やそこにあるだろう学問が気になってしまった。もう、平民の話だからなどと頭から否定するような意識は彼女の頭から完全に消えている。

 

「これが質量保存の法則ってやつだ。ちなみに、金属が錆びると重くなるのは表面に錆をつくるための物質がくっつくからだ。そのぶんだけ重くなる。俺が思うに〝固定化〟の魔法は、対象に見えない膜みたいなものを張って、錆の元になるものがついたり、酸化するのを防いでるんじゃないかと思うんだ。なんで堅くなるのかまではわからんけど。ああっと、悪い。酸化の説明は結構ややこしいからパスさせてもらってもいいかな?」

 

 その才人の問いかけに、太公望は頷いた。

 

「うむ、よくわかった。大変よい説明であった。では再び質問だ。それをふまえた上で、才人よ。おぬしはあの粘土がいったいどうやって空中の何もない場所に現れたと考える? 『魔法だから』で思考を停止せず、予想できる範囲で己の見解を述べよ」

 

 ――『魔法だから』で思考を停止するな。この言葉にエレオノールは目を見開いた。

 

(今、わたくしはとても大切な何かを掴まえようとしているのではないだろうか?)

 

 いっぽう、才人は必死に空中に粘土が現れる理由を自分なりに解明しようとしていた。

 

「どこか別の場所から粘土を〝転送〟してきてるんじゃないか?」

 

 これに反論を述べたのはオスマン氏だ。

 

「いや、それはない。あれは彼女が〝錬金〟で創り出したものじゃ」

 

「そうなんですか? それじゃあ……う~ん。空中に全く何も無いってことはないよな。空気とか埃とか、いろいろなものがあるんだから……あ! ひょっとして、それを何かの方法で粘土に変えてるのかな? でも、そうなるとやっぱり質量が絶対的に足りないんだよなあ」

 

 そこに突っ込んできたのがエレオノールだ。

 

「その足りない部分を補っているのが魔法。つまり〝精神力〟を対価に発生させている事象ということなのでは?」

 

 彼女の解答に拍手を送った者がいた。太公望である。

 

「おそらくエレオノール殿のおっしゃる通りでしょう。あくまでわたくしの推論ですが、彼女は空気中に漂う埃を核にして、その周囲に〝精神力〟を用い、作用させることで、何らかの補填……つまり必要な質量を補うための事象を起こし、粘土を創り出しているのです。これこそが〝錬金〟という魔法の根源のひとつに繋がるものなのではないかとわたくしは考えます」

 

 ところが、その意見に真っ向から対抗してきた者がいた。才人である。

 

「いや、それだと説明つかないことがあるんだけど?」

 

「ほう、具体的には?」

 

 太公望の質問に、才人がこれまでいちばん疑問に思っていたことを述べた。

 

「ギーシュの『ワルキューレ』だよ。いや、あの小さな粘土くらいの大きさなら、俺でもまだ理解できるぞ? けど『ワルキューレ』って人間よりちょっと大きいくらいのサイズがあって、しかも七体同時に出せるんだぜ? 核が薔薇の花びらだとしてもさ、ギーシュってあんまり〝精神力〟多くないんだよな? それなのに、どうしてあんな凄いものが作れるんだ? 中が空洞でも、質量的にありえないだろ」

 

 その疑問に思わず反応してしまったのはラ・ヴァリエール公爵である。ただし、それは才人の投げかけた謎に答えるものではなかったが。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。ギーシュ君は〝錬金〟でゴーレムを錬成しているのかね? 〝クリエイト・ゴーレム〟ではなく? 何故わざわざそんな真似を……グラモン元帥はそのような魔法の使い分けなどしていなかったはずだが」

 

 そう問いかけてきたラ・ヴァリエール公爵に答えたのは、激論の対象たるギーシュ・ド・グラモン少年本人である。

 

「父上や兄上たちはともかく、ぼくは〝精神力〟が足りなかったんです。つい最近まで『ドット』でしたから。それで、子供の頃に戯れで〝錬金〟を使って小さなゴーレムを造り、動かしてみたらこれが結構上手くいきましてね。それからは、ずっと〝錬金〟で……」

 

 この言葉に動揺したのは、同じ土系統であるエレオノールだ。

 

「それはおかしいわ。だって〝錬金〟にゴーレムを操作する効果なんてないはずよ!」

 

 言われてみればその通りだ。ギーシュは自分のことにも関わらず頭を抱えてしまった。彼はこれまで何の疑問も持たずに〝錬金〟で『ワルキューレ』を創り出していたが、その後の操作についてはほぼ無意識に行っていたからだ。

 

 そのとてつもない謎を解明してくれたのは、ルイズだった。

 

「ねえ。ひょっとして……無意識に〝念力〟(サイコキネシス)で動かしてるんじゃない? たしか、ギーシュが『ワルキューレ』を突撃させるときって、必ず号令をかけてるわよね? あれが〝念力操作〟発動のキーワードになってるんじゃないかしら」

 

「それだああぁぁぁぁああッ!!」

 

 ルイズの意見に全員が賛同の声を上げた。

 

「さすがは〝念力〟の名手ルイズ。これで大きな謎がひとつ解けた」

 

 こう呟いたのはタバサだ。

 

「ギーシュの『ワルキューレ』を見て、いつも疑問に思っていた。他の生徒が作ったゴーレムは、彼のものと比べて、動きがぎこちない。これまでは技量の問題だろうと考えていたけれど、彼が〝念力〟を使って動かしていたというのなら、あのなめらかな動作についても理解できる」

 

 〝クリエイト・ゴーレム〟で作り出されたゴーレムには使用者が操作を一時放棄しても大丈夫なように、最初からある程度の自由意思が付加される。馬車の御者や門番などに使われる、所謂『作業用』のゴーレムにそれが顕著だ。細かな動きをさせるのには向かないが、これらはある程度放置していても、忠実に命令を実行してくれるようになっている。

 

「そういえば、ギーシュのゴーレムは薬草を収穫したり、花を摘んだりできたよね……あれ、作業用ゴーレムじゃ絶対無理だよ。雑過ぎて痛んじゃうから」

 

「そのうち、縫い針の穴に糸を通せるんじゃないかしら」

 

「慣れれば編み物とか刺繍もできそうよね」

 

 レイナールと女子生徒陣がざわめく。

 

「ギーシュが、どうしてあそこまで〝力〟のコントロールが巧いのか、やっとわかったわ。まさかそんな難しいことを、無意識にとはいえ、子供の頃からやっていただなんて!」

 

 そうぼやいたのはキュルケである。彼女はつい最近までひたすらコントロールの練習をしてきた。にもかかわらず、ギーシュの技術には未だ及ばないのだ。

 

 自分の『ワルキューレ』に関する謎の解明と、そこへ付随してきた称賛の言葉にギーシュは鼻高々だ。しかし、その後太公望から発せられた言葉に彼はさらなる衝撃を受けることとなる。

 

「操作については、ほぼ解明されたようだが、まだ才人が出した質量に関する謎が残っておる。これについてなのだが……実はギーシュの持つ薔薇の杖が、それを解明するための重要な鍵となっておるのだ」

 

 思わせぶりな太公望の言葉に、ギーシュは戸惑った。

 

「それはどういうことだい? ミスタ」

 

「逆におぬしへ問いたい。その薔薇の杖を最初に持たせたのは、いったい誰だ?」

 

 最初にこの杖をくれた人物。ギーシュはもちろん、その相手をよく覚えている。

 

「ぼくの父上だよ。たとえ戦場にあっても華を忘れてはならない、って」

 

「やはりそうか。おぬしの父上が元帥位に就かれている理由がよくわかった。おぬしが持っているその杖にはな、いくつもの利点があるのだ。それはなんだと思う?」

 

 薔薇の花をベースに作られた杖の利点とは何だ? コルベールは首を捻る。

 

(彼の言葉から察するに、元帥位に就けるほどの軍人であるミスタ・グラモンの父上が、わざわざそれを渡したという事実にこそ謎の解明に至る秘密が隠されているのだろう)

 

 その直後に解答へと到達したコルベールは、立ち上がって大声を上げた。

 

「ミスタ・グラモン。ひょっとして、きみは自力で『杖契約』を完結できるのでは?」

 

「え、ええ……もちろん。十五分もあれば」

 

 コルベールの剣幕に思わずたじろいでしまったギーシュ。だが、彼の答えを聞いたその他一同の反応は大きく違っていた。

 

「あなた、最初から最後まで、たったひとりで自力契約できるの!?」

 

「普通できないわよ、そんなこと!」

 

「な、なんでそんな短時間で、契約まで行けるのさ!」

 

「とてつもなく難しいことよ。あなた、もしかしてわかっていないのかしら!?」

 

 モンモランシーをはじめとした生徒たちだけでなく、エレオノールまで驚いていた。唯一置いてけぼりをくらっているのが才人である。

 

「え、花を杖にするとか、邪魔な葉っぱとか枝を切ればいいだけじゃないの?」

 

「違うわよ! まあ、あんたが知らないのは仕方ないんだけど……」

 

 こうして、彼のご主人さま直々のありがたい解説が始まった。

 

「普通、杖との契約は何日もかけて行うものなの。それも、ひとりで全部できるわけじゃないわ。杖材を選ぶところから始まって、職人にどんな杖がいいか伝えた上で仕上がりを確認しなきゃいけないし、儀式の準備を整えるひとも必要よ。大抵はその家の当主……うちの場合は父さまね」

 

「ふむふむ」

 

「それが終わったら、いよいよ杖を手に馴染ませる儀式が始まるの」

 

「手に馴染ませる?」

 

「ええ。同じように見える杖でも、うまく馴染まないことがあるのよ。相性の問題でね。だから、いろいろな材質の杖を何本も用意する必要があるの」

 

「そりゃ大変だな」

 

「そうなのよ! 杖が手に馴染んで契約が終わるまでには普通二~三日、長い場合は何週間もかかるんだから!」

 

「なるほどな。だからたった十五分でギーシュが契約できるって聞いて、みんな驚いたのか」

 

「そういうこと」

 

 一同の視線が再びギーシュに集まる。

 

「でだ、ギーシュは何故そこまで杖契約を素早くこなせるのだ? 理由を察してはおるが、本人の口から確認しておきたい」

 

「え? だって、花びらの落ちた薔薇の杖をそのまま使うだなんて、美しくないじゃないか」

 

「はあ!?」

 

 やはりと言わんばかりに片手で顔を覆った太公望、呆れ声を出すその他参加者たち。

 

「だから、いつでも新しい杖に持ち替えられるように予備の杖と材料を用意してあるのさ」

 

 そう告げて、バッとマントを広げるギーシュ。

 

「うわ……」

 

「薔薇の花だらけじゃねえか!」

 

 彼のマントの裏地には〝固定化〟を施された薔薇の花が何本も挿されていた。

 

「そういえば、君の部屋にもたくさん薔薇が飾られていたよね」

 

 時折ギーシュの部屋に遊びに行くレイナールがそう呟くと。

 

「もちろん。生け花だけでなく造花もあるからね」

 

「まさか、花びらがついていないと魔法が使えないの?」

 

「そんなことはないさ。だけど、そのままじゃ格好悪いじゃないか」

 

「確かにそうだけど……」

 

 そんな彼らのやりとりを見ていたラ・ヴァリエール公爵が笑みを浮かべた。

 

「ある意味グラモン伯爵らしい発想だよ。『常に華を忘れてはならない』これは、昔から彼の口癖なのだ。軍人が杖をなくすということは、即座に死へと繋がる。すぐさま代わりを用意しなければならない。だからこそ自分の息子に、あえて管理が難しい『花で作られた杖』を持たせることによってそれを学ばせていたのだろうな」

 

 公爵の補足に感嘆のため息をもらす一同。

 

「杖の紛失は死に繋がる……」

 

 タバサはふと自分の手元にある杖を見た。ごつごつとした、自分の身長よりも長く無骨な木杖。父の形見であり、彼女の愛用品でもある。その大きさが故に両親や教師たちから「持ち替えたほうがよいのでは」と勧められているが、タバサは頑なにこの杖にこだわってきた。

 

 しかし、このラ・ヴァリエール公爵の発言により新たな発想が生まれた。

 

(手放す必要はない。代用品を隠し持てばそれでいい)

 

 杖契約の性質上、複数の杖を持ち歩くのは難しい。だが、絶対にできないことではない。その証拠に父・シャルル大公は常に何本か杖を所持していたし、彼女の杖はそのうちの一本だ。

 

(そこまでやるなら、自力で杖契約が完結できるよう学んでおくべき)

 

 そんなタバサの決意を知ることなく、太公望はギーシュの杖に関して更なる見解を述べようとしていた。

 

「それ以外にも利点がある。それが『花びら』だ。その花びらが地面に触れたと同時に、地面から『ワルキューレ』が作製されている。つまり花びらは核であると同時に、精製のための〝精神力〟を運ぶ触媒なのだよ。これのおかげで『空間座標指定』ができないギーシュが、より少ない〝力〟でゴーレムを創り出すことができていたというわけだ」

 

「どういうことですの?」

 

 ヴァリエール家の長女から投げかけられた質問に、太公望は以前の実験結果を告げた。

 

 地面からゴーレムを作製する場合――いや、それに限らず普通のメイジは魔法を発動させる際に杖から発動場所へ〝魔力〟を運ぶ誘導用の〝糸〟を必要とする。

 

 この〝糸〟には誘導距離が長ければ長いほど途中で魔力の一部を蒸発させてしまうという有り難くない副産物がある。また、この〝糸〟は詠唱終了後に全て霧散するため、そこから余計な〝力〟を消耗していることがわかる。

 

 よって、この〝糸〟は細ければ細いほど、かつ短いほうが良い。何故なら表面積を小さくすることで、それだけ魔力の蒸発を抑えられるからだ。また『空間座標指定』ができるメイジは〝糸〟を作成するために必要な〝精神力〟の消耗がなくて済む。これは大きなメリットだろう。

 

「つまり、ギーシュが持っている杖から落ちる『花びら』は、その中に〝錬金〟発動のために必要な魔力を溜め込んで、〝錬金〟のための材料となる地面へと散ることにより〝糸〟を使わずに〝魔力〟を誘導でき、さらに着弾時に起動スイッチの役割も果たす、複数の効果を持っておるのだ」

 

 そう解説した太公望の言葉にコルベールが補足する。

 

「さらにいうと、薔薇の刺ですね。これでほんの少し指などに傷をつけることによって、儀式に必要な分量の血液が出せる。杖契約のために必要なものが、薔薇の花という、ただそれひとつだけで揃ってしまう。これは実に合理的な考えですぞ」

 

 ギーシュは自分の杖を手に取り、まじまじと見た。まさか、この薔薇の杖にそんな深い意味が隠されていたなどとは想像だにしていなかった。父の考えにも思い至らなかった。

 

「なるほどな。それでギーシュの〝錬金〟でも、あんなに大きなものをたくさん作れるのか」

 

 うんうんと頷く才人。どうやら彼なりに納得できたらしい。

 

「とはいえ、ここまではあくまで推測。本当にそれが理由でギーシュのゴーレムが造られているという証拠にはならんがのう。先ほど才人が質量保存の法則について証明したのと同じように、実験して確かめてみねばわからぬ」

 

「んだな。このままじゃ仮説のまんまだもんな」

 

「おぬしはこの現象をどう証明する?」

 

 頭をぽりぽりと掻きながら答える才人。

 

「〝精神力〟がどう動くかは師叔の〝場〟で直接見られるけど、花びらに溜め込んだ〝力〟が落ちた先にどう作用するかは……たとえば箱の中に土を敷き詰めて重さを量っておく。んで、その土の上に薔薇の花びらが落ちるように『ワルキューレ』を〝錬金〟するとか。どうかな?」

 

「なるほど、それで〝錬金〟の前後で重さが変わっていたら、花びらが落ちた場所の土が錬成の材料になっているというわけだな」

 

「もちろん、風のない部屋の中でやるのが前提だけどな。箱自体も〝固定化〟したやつを使わないとだめだと思う。できれば、気温とか気圧も測れればいいんだけど……」

 

「環境を整えるのは実験を行う上で大切なことだからのう。同じ状況、条件、手法で再現できなければ科学的な意味で正しい証明とは言えぬ」

 

「だよなあ」

 

 科学実験について語り合う太公望と才人を目を白黒させて見つめる一同。無理もない、貴族と思われている太公望はともかく、才人はあくまで平民。そんな彼からアカデミーの職員が行うような研究をしていたと思われる発言が、次々と飛び出してくるのだから。

 

「ところで、その実験で重さが変わらなかった場合はどうなるのですかな?」

 

「そのときは花びらが落ちた場所の土が材料になっているわけではないっていう証明になります。けど、そこで終わるわけじゃなくて、今度は錬成のために必要な質量を他の場所から持ってきているっていう別の仮説が成り立ちますよね?」

 

 その説明に、質問の主であるコルベールがポンと膝を叩く。

 

「なるほど! でしたら、箱に入れるのは土ではなく水にして、染料で色をつけておくというのはどうでしょう」

 

「興味深い提案ですわ。色のついた水に〝精神力〟がどのように作用するのか、波紋や色の移り替わりなどを見ることでわかることがあるでしょうね」

 

「その通りです! 逆に何も起きなければ、それはそれで〝精神力〟そのものが錬成の対価として使われていることの証明に近付くはずですぞ」

 

 目を輝かせて案を出し合うコルベールとエレオノールに苦笑しながら、ラ・ヴァリエール公爵が総括する。

 

「これが東方で研究されている科学、という学問なのだな」

 

「左様でございます。このようにあらゆる事象の『なぜ』『こうなる』を理論的に解明し、実験によってそれが正しいか証明する。その課程と結果を知識として蓄積してゆくのです。自然科学とはその名の通り『自然科に分類した全ての事象を解明するための学問』なのでそう呼ばれています。今までの会話は〝錬金〟とギーシュの杖を科学によって分析しようとしたもの。そう言って差し支えないでしょう」

 

 そう告げて、太公望はぴっと指を一本立てた。

 

「なお、今回のように〝錬金〟による物質の変化を詳細に解明するもの、すなわち『あるモノが別のモノに化ける理由を、より詳細に突き詰めるための学問』は『化学』(かがく・ばけがく)と称されます。このように事象について追求し、深く分析と実験を繰り返していけば……魔法について、もっと色々なことがわかってゆくはずです」

 

 そう語る太公望の言葉を聞きながら、エレオノールは思った。

 

(ああ、なんて楽しいのかしら。まさか〝錬金〟がこんなに面白く、興味深いものだとは思ってもみなかった! あまりにも魔法が身近にありすぎて、これまで深く考えたことがなかったけれど……こうして少し中を覗いてみただけで、こんなにたくさんの謎が詰まっているだなんて!)

 

 それを考えただけで、彼女の胸は躍った。〝錬金〟の入口ひとつ取ってみただけでもこれなのだ、もっとずっと奥まで覗き込んだら、果たしてどれほどの不思議が詰まっているのだろう。

 

 エレオノールはついに理解した。この「中身を奥深くまで覗く」という行いが科学という学問なのだと。そして気が付いた。

 

(これは『始祖』ブリミルの慈愛に、より近付くために最善の方法ではないかしら)

 

 何故なら、今までメイジなら使えて当然と受け取られてきた魔法の根本をより詳しく調べることによって、それを当たり前にしてくれた『始祖』に対する深い感謝の念が生じるからだ。しかも、その理由全てを知ることによって、より明快に他者へと伝えられる。

 

 これまで『始祖の彫像』を造り、研究することで、偉大なる『始祖』ブリミルの慈愛と業績を後世へ伝えるべく努力していたエレオノールだったが、悲しいかなその成果はごくごく一部の者にしか認められず、年々予算を削られていくばかりであった。

 

 しかし魔法を『科学』するというこの研究手法は――。

 

(創立からずっと始祖の御心を知るための研究を続けている、我が王立アカデミー全体の意志に沿うもの。それに、なんといってもこのわたくしの知的好奇心を徹底的に満たしてくれる、素晴らしき学問にして命題だわ!)

 

 ――後に、エレオノールは彼女が新たに開いた『道』に続く大勢の研究者たちから、敬意を込めてこう呼ばれることとなる。

 

『魔法科学の母』

 

『エレオノール・第一号魔法科学博士』

 

 これはハルケギニアという世界で初の『魔法科学』という学問と、その創始者にして母親となる存在が誕生した〝運命〟にして記念すべき瞬間であった。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――歓待の数日前。

 

 最初に太公望からその話を打ち明けられたとき、キュルケは彼の正気を疑った。

 

「ミスタ・コルベールにタバサのお母さまの治療を手伝って貰うですってぇ?」

 

 コルベールは火系統の使い手だ。正反対の属性である水魔法の〝治療〟は、たとえやれたしても相当の〝精神力〟を消耗するであろう。

 

 そう意見をしたのだが、太公望は笑って言った。

 

「いや。これには彼の〝切り開く力〟が必要不可欠なのだ。そういう意味で、キュルケよ。おぬしにも同じ火系統の使い手として、是非とも治療の手伝いを頼みたいのだがのう? 出会ったばかりの頃ならばいざ知らず、今のおぬしならば確実に頼れる」

 

 そう言われて、キュルケは正直悪い気はしなかった。しかも『破壊と情熱』を司る火で親友の母の病気を治す手伝いができるというのだ。救出時のみならず、そんな重要な役割を任せてもらえるというのは彼女にとって誇らしい依頼だった。

 

 キュルケは胸を反らせ、髪を掻き上げながら高らかに笑った。

 

「そういうことなら任せてくださいな。親友のお母さまを助けるためにあたしの〝火〟が役立てるだなんて! こんなに嬉しいことはなくてよ」

 

「……ありがとう」

 

 彼女の手をぎゅっと握り締め、感謝の言葉を述べたタバサの身体を、これまたぎゅっと抱き締めたキュルケは訊ねた。

 

「で、それはいつミスタ・コルベールに依頼するのかしら?」

 

「うむ。例の歓待期間中に機会を作り『部屋』に招待するつもりだ」

 

「わたしたちも?」

 

 タバサの問いに太公望は少し悩んだ後、こう返した。

 

「ひょっとすると途中で退出してもらうかもしれぬが……それでも構わなければ」

 

 タバサとキュルケは了承の印に強く頷いた。

 

 

 ――そして現在へと至る。

 

 〝錬金〟に関する思いも寄らぬ話を聞いたコルベールは激しく興奮していた。

 

「科学とは、まさしく私が行っている研究方法そのものではないか! あれをもっと深く知りたい! 学びたい!」

 

 そう呟きながら自室へ戻ろうとした彼に声をかけたのは太公望とふたりの女子生徒だった。

 

「でしたら、先生の部屋でこれから少しお話など如何でしょうか?」

 

 これが普段のコルベールならば「夜に女子生徒を部屋に招くなど。とんでもない!」などと反論していたかもしれない。ところが旺盛な知的好奇心が、そんな教師としての良識を吹き飛ばしてしまった。

 

 やがて――彼は見て、悟った。以前、空の上で才人が告げた言葉の意味を。

 

『近いうちに、太公望師叔がいいものを見せてくれるそうですよ』

 

 コルベールはそれを見て、文字通り驚喜していた。

 

 ガラスでも水晶でもない球体。それが一定の高さを浮遊して、部屋の中を照らしている。

 

(どれも手の中にすっぽりと収まる程度の大きさだ。こんな小さなランプでこれだけ広い部屋を真昼のような明るさにできるとは……いったいどういう仕組みなのだろう?)

 

 球体そのものが発光する物体なのか。あるいは中に光苔のような光源となりえる物質が詰め込まれているのだろうか。それとも常に〝光源(ライト)〟の魔法を発し続ける魔道具なのであろうか。時折球体の表面に謎の記号が浮かび上がるが、これはいったい何を示すものなのか。

 

 部屋の入り口に浮かんでいた『光源』を発見したコルベールが早速分析に入ってしまったのを見た太公望は――現在は再び〝夢の部屋〟にいるので伏羲の姿になっていた彼は――思わず苦笑してしまった。

 

(コルベール殿はやはり根っからの研究者だのう。少なくとも、現時点においては)

 

 そんな彼にこの()()を依頼してよいものかどうか迷ったのだが、正直なところ、彼以上の適任者がどうしても見つからなかった。本来であれば、才人も一緒に連れて行く予定だったのだが、これから行く先は『経験者』でないと厳しい。あの打たれ弱さを見てしまった以上、残念ながらまだ力不足であると判断せざるを得なかった。

 

(そういう意味ではキュルケがいちばんの不安材料だが、今の彼女であれば暴走する心配はまずあるまい。それを防ぐための準備は充分にしてきたからのう)

 

 もしも可能であればオスマン氏の協力を得たいところではあったのだが、彼ほどの大物を隣国とはいえ他国へ動かしてしまうと()に察知される危険性があるため、即座に却下した。

 

「コルベール殿。部屋の見学はあとでたっぷりしていただいてよいので、まずは話を聞いてはもらえないだろうか?」

 

 

 ――それから三十分ほどして。

 

 タバサの持つ事情を聞き終えたコルベールの両手はぶるぶると震えていた。

 

「私の〝火〟を頼りたいと? 技術ではなく……?」

 

「その通りだ。機密保持の関係上大変申し訳ないが、より詳しい話については依頼を受けていただけるまでは打ち明けられないのだ。どうであろう? 不躾な頼みではあるのだが、引き受けてはもらえぬだろうか」

 

 技術ではなく自分の〝火〟つまり『炎蛇』たる者の〝力〟が借りたい。即座にこれはそういう依頼だと理解したコルベールは、躊躇した。

 

 俯き、押し黙ってしまったコルベールを見てキュルケはフンと鼻を鳴らした。

 

(なんでこんな男が『炎蛇』なんてご大層な二つ名を持ってるのかしら。普段からのんきに本ばっかり読んでるのに。研究者として優秀なのはまぁ認めてあげなくもないけど、そんなの土や水メイジの仕事じゃない。破壊を本領とする火系統に相応しいとは思えないわ)

 

 だが、わざわざ太公望が依頼したのだからそれ相応の理由があるはず。そう信じていたキュルケにとって、彼の反応は単に臆病者が当たり前のように怖じ気づいたようにしか映らなかった。

 

(フーケのときも杖を掲げてなかったしね。期待するだけ無駄じゃないかしら)

 

 いっぽう、タバサは疑問に思っていた。過去にコルベールの〝炎の蛇〟を見たとき、彼女は背筋に鳥肌が立ったのだ。もしもあれが自分に向けられていたら……反撃する間も与えられず、瞬時に焼かれていただろう。

 

 いや、あの〝炎〟だけではない。呼吸、動作、それら全てが彼を相当な達人……しかも対人経験のある熟練者だと匂わせていた。おそらく、本気を出したコルベールに不意打ちを受けたらまず助からない。それどころか、襲撃を受けたことに気付かないうちに燃やされているだろう。それほどの戦士が何故躊躇うのか。

 

(臆病というわけではなさそう。何か深い理由がある)

 

 タバサはそこに悲しみを見た。だが、目的のためにあえて一歩踏み込むことにした。

 

「先生は、いつも授業で仰っていました。『破壊だけに火を用いることは寂しい』と。その言葉を発するとき、先生はどこか悲しそうでした。その理由は聞きません。でも、もし……火を壊すのではなく切り開くために使うことを躊躇わないのであれば、どうかわたしたちに手を貸してはいただけないでしょうか」

 

 タバサの切なる言葉にコルベールの心が震えた。そして、彼は思い出した。

 

 ――火系統のメイジとは『自ら道を切り開く者』。

 

(そうだ、私は決めたではないか。自分の〝火〟で、ひとびとを幸せにするための『道』を切り開いてゆこうと。破壊の権化ではなく、暖かな光になりたい。そう願っていたではないか。助力を願うこの小さな瞳から視線を外すことは、その決意に砂を掛けるに等しい行為ではないのか?)

 

 コルベールは、未だ躊躇っていた。しかし、それ以上にタバサの真摯な眼差しに心を打たれた。そこで彼は自らに試練を課すことで、彼女に応えるための準備をしようとした。

 

「私はきみたちが思っているような立派な教師などではないのだよ。重い……いや、そんな言葉では軽すぎるほどの罪を背負う咎人(とがびと)だ。ミスタ・タイコーボーはそれを既に知っているか、あるいは予想しておられるために、私に助力を請うてきたのでしょう?」

 

 全身を黒の装束――現在は伏羲の姿をとっている太公望は、頷いた。

 

「詳細までは知らぬ。聞き出そうとも思わぬ。だが、召喚されたあの日のうちに気付いていた。コルベール殿が何者であるのか。だが、少なくともあの場での反応は……間違いなく子供たちを守る立派な教師たりえる姿であったよ」

 

 その言葉にキュルケが反応した。

 

「ミスタ。それはどういうことですの?」

 

 太公望は黙ってコルベールの目を見た。視線を受けたコルベールは頷いた。それを了承と受け取った太公望は静かに語り始める。

 

「コルベール殿はあの〝使い魔召喚の儀〟でわしが現れたとき、瞬時に動いた。自然に、実にさりげなく。相手を警戒させない滑らかな動作でもって、生徒たち全てを守れる位置についた。あれを見たとき、わしは即座にこの男は只者ではないと判断した。彼は間違いなく軍人。それも相当な手練れであると」

 

「コルベール先生が軍人ですって!?」

 

 キュルケは即座に反論しようとした。そんなはずはないと。だが、彼女は知っていた。太公望の解析能力が常人のそれとは比べものにならない程に正確なものであると。そして、彼がサイトの世界で伝説の英雄として語り継がれる大将軍であることを聞き、かの『烈風』と互角に戦えるほどの技量を持つ超技巧派のメイジであることを見せつけられていた。だから、舌を動かせなかった。

 

「トリステイン魔法学院は有力貴族の子弟のみならず、外国からの留学生が多く集まる場所。考えようによっては、常に紛争の火種を抱える巨大な火薬庫だ。コルベール殿はその番人として、生徒を守るという特殊任務を与えられた軍人。わしはそう捉えていたのだが……違いますかのう?」

 

 コルベールは何も言わない。俯き、両の手を握り締めている。

 

「そうだのう。たとえばわしを除く水精霊団の者たちが一斉にコルベール殿へ挑みかかった場合。見通しのよい平野ならばともかく、市街地や森などで地形を有効活用されたら――ほぼ間違いなく全員揃って完封されるであろう」

 

 太公望の言葉に少女たちは驚愕した。特にコルベールの実力をある程度把握してはいたものの、そこまでの腕利きだとは思っていなかったタバサは激しい衝撃(ショック)を受けた。

 

(先生はタイコーボーと同じ。わたしはまた見た目や言動に騙されてしまっていた!)

 

 それを理解したがゆえに、タバサは凍り付いた。

 

 いっぽうのコルベールは内心で苦笑していた。目の前の人物――太公望が持つ甘さに対して。こんな罪深き私すら、彼は守ってくれようとしている。

 

(ミスタは本当に事情を知らないのかもしれない。だが、こちらの力量をほぼ正確に把握しているということは……私がどのような性質を持つ軍人であるのか、当然わかっているはずだ)

 

 この依頼を受けるということは、それを開帳する必要に迫られる可能性があるということ。だから、コルベールは話すことにした。あえて生徒たちがいる前で――自分が犯してきた罪を。

 

「いえ、私はそのような立派な存在ではありません。ただ、かつて軍人であったことは事実です。それも……トリステイン王国の〝特殊魔法実験小隊〟を率いた指揮官でした」

 

 キュルケは思わずコルベールを見つめた。そして、おののいた。今の彼は、いつものどこか間の抜けた教師などではなかった。纏う空気が完全に違う。それは味方すらも焼き尽くすと称される、ツェルプストー家生まれのキュルケですら感じたことのない熱気だった。彼に触れれば火傷する。燃えて、灰すら残さず〝消滅〟してしまう。

 

 オーク鬼退治という実戦を経験したキュルケだったが、あれはあくまで保険つきの戦いだった。命を賭けた本物の戦いなどこれまで体験したことはない。だが、コルベールが発する気配は違う。戦場を駆け抜けた経験者だけが持つ、独特の雰囲気を漂わせている。それは肉が焼け、死そのものを感じさせる香りであった。

 

「なあ、ミス・ツェルプストー」

 

「は、はいっ」

 

「きみさえよければ、火系統の特徴をこの私に開帳してくれないかね?」

 

 そう言って視線を向けてきたコルベールの瞳は、獲物を狙う爬虫類を思わせた。彼の静かで優しげな声を聞いたキュルケは、自分の耳に達したその声音とは裏腹に――生まれて初めて、純粋な死を感じさせる恐怖の旋律を聞き取った。

 

 その畏れは『炎の女王』とまで称された赤毛の少女から、瞬時に全ての熱を奪い尽くした。

 

「……情熱と破壊が、火の本領ですわ」

 

 震えながらも小さく発せられたキュルケの言葉に、コルベールは静かに頷いた。

 

「情熱はともかく、破壊こそが火の本領。そうだ、若い頃の私はそれを信じて疑わなかった。だからこそ軍に所属して、立ちふさがる者全てを焼いた。顔色ひとつ変えず、何もかも、全てを破壊し尽くしてきた。いつしか、そんな私についた二つ名が『炎蛇』。蛇のように静かに這い寄り、炎という確実に死に至る毒を敵対する者に与える――非情の使い手だと」

 

 ふと顔をあげたコルベールの瞳に太公望の顔が映った。彼は静かに、首を横に振っている。それ以上語らなくともよい、そう言いたいのであろう。だが、コルベールは頷かなかった。

 

「その考えが変わったのは二十年前だ。とある村に疫病が発生したと上司から告げられた。全てを焼き払い、病の蔓延を防げ。そう命じられ、任務を遂行した。その時はそう信じていたし――何より命令を忠実に実行するのが軍人の役目だ。なんの疑問も持たずに私は村を焼き払った。そうだ、家屋だけでなく、動くものたちをも含め、全てを灰にした」

 

 疫病の蔓延を防ぐために、動く者全てを焼く。つまりは――そういうことだ。キュルケとタバサの背中に冷たい何かが伝い落ちていった。全体を救うために、個を犠牲にする。よくあることだと言われてしまえばそれまでだろう。しかし、それはあくまでする側の理論である。される側にとってはたまったものではない。

 

「ところが、後に仕事で軍の資料庫を訪れた際に……知ってしまったのだよ。その任務に隠された真実を。あれは疫病を防ぐための出兵ではなかった。ただの『新教徒狩り』だったのだよ。しかも一部の貴族と神官が癒着した結果、自分たちの利権を守るためだけに行われた……欲望の果ての虐殺だったのだ!」

 

「新教徒狩りですって……!?」

 

「新教徒やその歴史についてはタバサから聞いておったが……そのようなことまで……」

 

 ――新教徒。

 

 六千年以上に及ぶブリミル教の長い歴史の中で、有力者たちと馴れ合い、祈祷書の内容を自分たちの都合のいいように解釈する神官が多数現れた。そのせいで寺院の腐敗が進み、やがて深刻な社会問題となってゆく。そんな現状を変えようと、百年ほど前にロマリア皇国でひとりの司教が立ち上がったのが、後に『実践教義運動』と呼ばれる宗教運動の始まりだ。

 

『ブリミル教を本来のあるべき姿に戻そう』

 

 この運動と教義を信じる者は『新教徒』と呼ばれ、かなりの〝力〟を付け始めている。当然のことながら旧来のブリミル教徒――特に甘い蜜を吸っている神官たちや寺院からしてみれば、そんな状況を面白いなどと思えるはずもなく。それらは弾圧という形で表へ現れた。コルベールが任務と称して行わされたのもそのひとつである。

 

 苛烈を極めたこの弾圧は、数年前に教皇が替わった際に全面的に禁止された。しかし、旧教徒の新教徒に対する偏見は未だ根深く残っている。ガリアではその対立を畏れるがゆえに『実践教義』を国法によって禁じたほどだ。

 

 いつしか部屋の中はしんと静まり返っていた。ただひとりの口奥から漏れ出る、嗚咽混じりの声を除いて。

 

「私は、それからずっと罪の意識に苛まれ続けてきた。私のしたことは、到底許されることではない。任務だったから、軍人だから、知らなかったから。そんなものは言い訳にもならない。紅蓮の炎に包まれたあの村を――私の火で焼かれていった彼らの悲鳴を、私は一度たりとて忘れたことなどない。だから私は軍を辞めた。そして二度と火を破壊に使うまいと誓ったのだ」

 

 コルベールの唇が強く噛みしめられた。そこから流れ出た血を見たキュルケは――それを燎原(りょうげん)を静かに這い進む、炎の蛇のようだと感じた。

 

「そのまま罪の意識に押し潰され、自ら地獄へ続く道に墜ちてゆこうとしていたあの時。私はひとりの老人に出会ったのだ。彼は放っておいてくれ、このまま死なせてくれと願う私を制し、大声で怒鳴りつけた。死んでどうなる? 自分だけ。たったひとりの命で全てを償うことができると思うほど君は傲慢な人間なのか? とね」

 

 自嘲したコルベールの瞳に映っていたのは闇などではなかった。それは、もっと別の何か。

 

「その老人こそ、トリステイン魔法学院の学院長オールド・オスマンだったのだ。そして、彼は自分の犯してしまった大罪を前にただ嘆くことしかできなかった私に、こう言ってくれたのだよ」

 

『火が司るものが、破壊だけでは寂しい。そうは思わんかね? 君の手にはもっと別の何かが乗せられている。わしにはそう思えるのじゃよ。本気で罪を償いたいと願うのならば、その〝力〟で新たなものを生み、育ててみてはどうかね?』

 

「彼の言葉は私にとって〝天啓〟と呼ぶに相応しいものだった。その後、私はオールド・オスマンの口利きでトリステイン魔法学院の教師となったのだよ。子供たちが私と同じ間違いを繰り返すことのないように。火の『道』にも、壊す以外に別のものがある。それを教え、指し示すために」

 

 同時に「火で何かを生み出すことができないか」それを追い求めるがゆえに、コルベールは学問に走ったのだと語った。やがて彼は火系統の持つ、破壊以外の可能性を知るに至った。だから彼はひたすら学問に殉じた。オスマン氏の依頼で学院の生徒たちを影から守ることも行っていた。

 

「じゃあ、フーケのときはどうして……」

 

「オスマンのジジイに制止されておったのだよ。視線を向けられた途端、コルベール殿は杖を掲げようとしていた腕を降ろした。違うか?」

 

「そこまでお見通しでしたか……流石ですね」

 

 コルベールは乾いた笑みを浮かべた。

 

「私の手はたくさんの血に濡れている。この手にかけたひとびとの命は、もう戻ってこない。であればこそ、オールド・オスマンと出会い……こんな私を地獄の底から救ってくれた彼の理想を手伝うことこそがこの私に科せられた使命のひとつであり、贖罪なんだ」

 

 そう言って、コルベールはじっとタバサの目を見つめた。

 

「本当に、こんな私の手を借りたいと……そう言うのかね? ミス・タバサ」

 

 その問いかけに、タバサは力強く頷いた。一切の迷いを見せずに。

 

「ならば、私の〝火〟を貸そう。オールド・オスマンの理想。それは生徒たちを正しい道へと導くこと。困っている子供たちに、手を差し伸べることだから」

 

 そう言って、目の前へ差し出されたコルベールの節くれ立った手を……タバサはしっかりと握り返した。そのか細く、小さな両手で。

 

 

 ――それから数時間後。

 

 ふたりの女子生徒が退出し、客室として割り当てられた部屋へと戻った後。〝夢の部屋〟に立ち窓の外に映し出された景色を眼下に眺めながら、コルベールは呟いた。

 

「私はやはり卑怯者です。あれでは彼女たちを脅迫したも同然ではありませんか。今になって思うのです。自分の罪を誰かに打ち明けることで、楽になりたかった。ただ、それだけの気持ちであんな話をしてしまったのではないかと」

 

 そう言葉を紡いだコルベールの瞳には再び涙が溢れていた。

 

「罪を自覚して悩む。それが新たな道を征くための第一歩なのだとわしは思う。かつて、とある敵将からこう問われたことがある。お前は地に平和をもたらすために働いていると言うが、結局は本来不要な争乱を巻き起こし、憎むべき自分の敵と同じように軍を率い、罪なき民を大勢巻き込んでいるだけなのではないか? ……とな」

 

 コルベールの隣に並び、同じように窓の外を眺める太公望。その視線の先には彼――いや、伏羲の故郷である滅びた惑星を模した大都市が、宵闇の中、煌々とした無数の灯りによって照らし出されていた。

 

「わしは言葉に詰まってしまった。何故なら、その将軍の言うとおりだと思う自分が、心の中に居たからだ。本当にわしはこの道を歩んでも良いのだろうか。これは正しい道なのであろうかと、ずっと悩み続けた」

 

 戦を好まぬその気性がゆえに、一国の元帥として軍を率いるという矛盾を抱えることになった男の話を――戦う意味を知ろうとしなかったが為に、ひとりでは到底抱えきれぬ大罪を背負うことになった男は、ただ静かに聞いていた。

 

「だが、周囲にいた仲間たちがわしを支えてくれた。道に迷うわしの背中を、皆が押してくれた。だから前へ進むことが出来た。たとえどんなに傷つけられようとも、この手を血に染めようとも」

 

 そのとき、彼らの眼前で一機の宇宙船が力強く飛び立って行った。天高く、煌めく星の海へ向けて。囂々と輝く炎を噴きながら、遙かな天上の世界へと旅立ってゆくその船を見たコルベールはぽつりと呟いた。

 

「私の〝火〟も、いつかあの船のように……飛び立てるのでしょうか」

 

 遠い星の海を目指す船。それは、あの『ゼロ戦』とどこか似た姿をしていた。

 

「あれは今おぬしが歩んでいる『道』の遙か先に在るものだ。必ずとは言えない。だが、迷わず進めば、いつか手が届くかもしれぬ。もしやすると、あの星々にさえも。少なくとも、おぬしの周りにはその手助けをしてくれる者たちがおる。そうであろう? コルベール殿」

 

 その言葉と共にすっと差し出された手を、コルベールは無言で握り返した。

 

 ――こうして『炎蛇』は火系統の使い手として、再び立ち上がった。破壊のためではなく、自分の守るべき者たちの目指す『道』を切り開く為に。

 

 

 




予定以上に帰宅が遅れてしまい、日をまたいでしまいました。
申し訳ありませんでしたm(_ _)m

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