――波乱に満ちあふれた授業の後。タバサとキュルケのふたりと共に食堂へと向かう道すがら、太公望は思わずぼやいた。
「まったく……びっくりしたわ」
「わたしは危険だと言った」
「いや……」
驚いたのはそこではない……と、言いかけた太公望はなんとかそれを飲み込むことに成功した。実際、彼を驚かせたのはタバサに指摘された件についてではない。
この世界の魔法という
その後目にした、石ころを他の金属に物質変換する〝錬金〟や、ルイズという名の少女が起こした爆発事故について、全く動じなかったといえば嘘になる。だが、錬金のほうはともかく爆発については、身近に似たような事象を起こせる仲間が周囲に複数いたため、特に目新しいものではなかったというだけで。
しかし、あれらも使いようによっては――。
そこまで考えたところで太公望はふと我に返った。肩を落とし、大きなため息をつく。最初に反応したのはタバサだった。
「どうしたの?」
首を小さく傾げている彼女に、太公望は苦笑しつつ答える。
「いや、今のわしにはやはり休息が必要だとつくづく実感してのう」
長い間、その小さな身体には重すぎて、潰れてしまいかねないような責任を背負って戦い続けてきた後遺症だろうか。太公望の思考は、ついつい『そちらの方向』へ行ってしまう。もう、戦は終わったのだ。魔法の観察をするのはあくまでこの世界を
思わず黄昏れてしまった太公望の肩を、キュルケがポンと叩いた。
「そりゃあ、昨日の今日でこれじゃ、疲れて当然よね。昼食にはデザートが出るわ。甘いものを食べれば、少しは落ち着けるんじゃない?」
「なぬ、甘いモノとな!? わしは甘味が大好物なのだ!」
さらにタバサが、聞き逃すには重大すぎる忠告をする。
「早い者勝ち」
「なんと! 何故それを黙っておったのだ!!」
あわてて駆け出そうとした太公望だったが、何かの圧力を受けたかのように押し戻される。タバサの〝風〟の魔法が、彼を引き留めたのだ。
「廊下を走るのは禁止」
「おっほっほ! 大丈夫よ、デザートは逃げたりしないから。あなたって、意外とお子ちゃまなのね」
「ふふん、わしは自分に正直なだけだ」
そう言いつつも、改めて魔法の〝力〟を体験した太公望はその後は無理な暴走をすることなく、まだ見ぬ甘味を目指して歩き出したのであった。
○●○●○●○●
「笑いなさいよ」
命じられたまま、黙々と汚れた教室内を掃除を続ける才人へ、ルイズは言った。
――魔法の成功確率ゼロ。だから『ゼロ』のルイズ。クラスメートには、いつもその不名誉な二つ名で呼ばれ、笑われてきた。
土系統の初歩〝錬金〟。石ころを望む金属へ変える呪文。一年生でもできる簡単な魔法。でも、やっぱりうまくいかなかった。石は派手に爆発し、教室はめちゃくちゃになってしまった。罰として魔法を使わずに片付けること――先生が口に出したその言葉がルイズの胸をチクリと刺した。
「わかったでしょ、これがわたしの二つ名『ゼロ』の由来。どんな魔法を使っても、あんなふうに爆発するの」
才人は答えない。ルイズは机を拭く手を止めて続けた。
「笑っちゃうわよね、魔法を使わず片付けなさい、ですって。そりゃそうよ、今よりもっと酷くなるの、わかりきってるもの」
才人は作業を続けている。
「ちゃんと勉強してるし、たくさん練習したわ。でも、爆発しちゃうの!」
ルイズは未だ沈黙を守っている才人の前までやって来ると、彼の使っていた箒を奪って、叫ぶように言い放った。
「どうせあんたもバカにしてるんでしょ。貴族のくせに、できそこないだって。魔法の使えない、落ちこぼれだって!」
だが。そんなルイズに対して、才人の返した言葉はこうだった。
「本当にお前が魔法の才能ゼロだったら、俺は今ここにいねえだろ」
「……は?」
「サモン……なんだっけ? お前がその魔法を成功させちまったから、俺はこうして使い魔やってるんだって言ってるんですけど。これで理解できたか? あーあ、昨日の夕飯はな、ほんとならハンバーグだったんだぞ。ちくしょう……」
「あんた、何言って……」
あっけに取られたルイズの眼を見て、才人は続けた。
「少なくとも一回は成功してんだろ。だから『ゼロ』じゃなくて『イチ』のルイズだ。結果はお気に召さなかったようですけどねえ、お嬢さま」
そういって、手を出す。
「箒、返せよ。早く終わらせないと、昼飯に間に合わないだろ」
――もしも。もしも、ルイズがコルベールの忠告を守らず、才人に対し使い魔の躾と称して人間以下の扱いをしていたとしたら。きっと、こんな問答にはならなかったはずだ。
負けん気の強い才人は、ようやく生意気なご主人さまの弱点を見つけたとばかりに攻撃しまくっていただろう……本来の『歴史』の如く。
そうならなかったのは、この主従にとって本当に幸運だったのは言うまでもない――。
○●○●○●○●
――それから一時間ほど後、アルヴィーズの食堂内では。
「……確かに、なまぐさが使われていない料理ばかりではあるが」
出された『昼食』を見て、太公望はまたしても言うべきことをしっかりと告げていなかったことに気付かされた。やはり自分は疲れているのだろうと、本日数回目のため息を漏らす。
「どうしたの?」
様子を見ていたタバサが、不思議そうな声で聞いた。
「いや、食事の内容については文句なしなのだが。さすがに、これだけの量は食べきれぬよ」
籠いっぱいに入れられた、焼きたてほかほかの白パン。きのこと根菜がたっぷりのシチューに、春野菜のソテーと香草のサラダ。さらに色とりどりの果物類が処狭しと並べられている。太公望はこぶし大の白パンをひとつとシチュー、りんご一個を手元に引き寄せた。
「わしは燃費がいいのでな、これだけで充分だ。何度も手間を取らせて済まぬが、次からは全体の量を減らすよう、厨房に頼んでもらえるだろうか」
タバサはコクリと頷くと、残された食品群に視線を這わせる。
「……食べるか?」
再び頷いたタバサの前へ料理を押しやる太公望。それらが小柄な少女の腹の中へぽんぽんとおさまってゆくのを見ていた太公望は、
(メイジは仙人と比べて、燃費が悪いのだろうか)
などと益体もないことを考えていた。
と、そこへ学院の使用人たちが連れ立ってデザートを配りに現れた。ひとりは、肩まで届く黒い髪を布製の髪飾りでまとめた純朴な印象の少女。もうひとりは、何故か才人少年だった。
「どこにもいないと思ったら、お前、こっちでメシ食ってたのかよ」
「才人ではないか。何故おぬしがデザートの配膳をしておるのだ?」
「ああ。厨房のひとに良くしてもらったからさ、そのお礼だ」
「そうか、それは感心なことだのう。ところで、その端にある菓子はなんだ?」
太公望の質問に答えたのは隣にいた少女だった。
「桃のタルトですわ。焼いた生地にクリームと桃を載せたものです。こちらになさいますか?」
太公望はぶんぶんと首を縦に振った。彼は果物や甘いモノに目がないのだ。特に桃は大好物なのである。
デザートを置いてふたりが立ち去った後。太公望は早速それを口に運んだ。
「ふむ、桃の下に使われている、この……モグ、さらさらと口の中で溶けてゆく甘い餡がクリームというものか。生地の部分はさくさくしておって、ムグ……丼村屋のあんまんとは、また違った味わいで、これはなかなか……」
太公望は至極ご満悦であった。周の地にも菓子はあったが、このようなものは食べたことがない。これを口にすることができただけでも、わざわざ異世界へ来た価値があった。彼は、そこまで思った。
「行儀が悪い」
ポロポロと生地をこぼしながら食べ続ける太公望を注意しつつ、タバサはせっせと彼の世話を焼いていた。
朝食の時といい、今の姿といい、自分の隣にいる彼は、まるで子供のように無邪気で。とてもではないが、昨日、コルベール先生や学院長を相手に心理戦を繰り広げていた人物と同一だとは思えない。ひょっとしてわたしは、人間を召喚してしまったという負い目から、目に映った全てを過剰評価してしまっていたのではないだろうか……?
タバサがそんな疑いを持ちかけた瞬間、横からにゅっと手が伸びてくる。
「タバサ。食べないならわしがもらってやるぞ」
「あまり量は食べられないはずでは?」
「デザートは別腹なのだ!」
まるで兄妹みたいだわ……必死に自分の皿を守るタバサと、それを食い入るように見つめる太公望の様子を、キュルケは苦笑しつつ眺めていた。
……そんな平和? な情景が破られたのは、それからわずか数分後。
○●○●○●○●
――メイドの少女は、心の底から恐怖していた。
彼女の眼前で、信じられない光景が繰り広げられていた。なんと自分と同じ平民の男の子が、貴族を相手に喧嘩をふっかけたのだ。その原因を作ったのは彼女だった。ただの同僚、それどころか今日初めて会ったばかりの少女を救うため、彼は自分の身を犠牲にしようとしている。
「サイトさん、なんで……ど、どうしてこんなことに……!」
何故こんな事態が発生したのか。時は、少し前まで遡る。
召喚の魔法で突然呼び出され、貴族の使い魔にされてしまったのだという少年に対し、学院側から食事の用意をするよう厨房へ指示が来たのが今朝のことだった。
「その食事ってぇのは、普通の使い魔とはまた違うんですよね?」
がっしりとした体格の料理長が、連絡しに来たミス・ロングビルに確認する。
「ええ。今回召喚されたのは人間ですから、生肉やら野菜の残り物を与える訳にはいかないでしょう。とはいえ、さすがに生徒たちと同じものを出すのは色々と問題がありますから、こちらの賄いを食べさせてあげてください」
「わかりやした。なら、食わせる場所も俺らの休憩室でいいですかい?」
「もちろん。よろしくお願いしますね」
用事を済ませたミス・ロングビルを見送った後、料理長は近くで立ち働いていたメイドの少女に声をかけた。
「おい、シエスタ! 今の話、聞いてたな」
「はい。昨日の儀式で召喚されたっていう、平民の男の子のことですよね」
「おう、それだそれ。しっかしよう、いくら平民だからっていきなり呼び出された挙げ句使い魔にされるたぁ気の毒に。ったく、これだから貴族ってヤツは……」
「ま、マルトーさん! あ、あんまり大きな声を出すと貴族さま達に聞こえちゃいますよ」
料理長マルトーが大の貴族嫌いなのは、魔法学院で働く平民の従業員たちの間では常識だった。もっとも、彼らの感情も似たり寄ったりなのだが。
「ロバ・アル・カリイエだったか? 砂漠の向こうの遠い国だったよな。それじゃ、帰るにも帰れねえだろうし、周りは知らない人間だらけな上に威張りくさった貴族に囲まれてるときちゃあ、不安になるだろうよ」
「そう、ですね。もしも私が同じ目に遭ったら、きっと怖くて泣いてばかりいると思います」
「だからな、シエスタ。甘やかせとは言わねぇが、気に掛けてやってくれ。もちろん、何か困ったことがあったら俺に相談してくれれば力になるからよ」
ニッと白い歯を見せて笑う料理長に、シエスタは微笑み返した。
「はい! 平民同士、助け合わないと……ですね」
「おう、その通りだ」
……そんなやりとりがあったとは露知らず、朝食時に従業員専用の食堂に呼び出された平賀才人少年は、一日ぶりに口にした食事に舌鼓を打った。
「うまい、うまいよこのシチュー。こんなにうまいの、初めて食べた」
「そうですか? 料理長が聞いたら喜びますよ」
ぽろぽろと涙をこぼしながらシチューを掻き込む才人。
才人は突然のアクシデントに動じることが少なく、割となんでも受け入れられるタイプだ。いきなり魔法の世界に放り込まれた彼が、翌朝にはもう好奇心剥き出しで朝の散歩を開始してしまうあたりにも、その性格の一端が伺えよう。
とはいえ、さすがの彼も見知らぬ異世界での生活には不安があった。綺麗な景色を見せてくれた親切な魔法使いと、どこか日本人を思い出させる黒い髪のメイドさんの優しさ、空腹に染み渡る温かいシチュー。それらが才人の心を安心感で満たした結果、嬉し涙が溢れ出したのだった。
「おかわり、まだありますから遠慮しないでくださいね」
「え、いいの? それじゃあ、もう一杯もらえるかな」
笑顔で器を受け取ったシエスタは、シチューをよそいながら思った。
(男の子があんな風に泣くなんて、やっぱり不安だったのね。遠いところから攫われてきた上に、昨日から何も食べてなかったみたいだから無理もないわ。マルトーさんの話じゃないけど、少しでも安心できるように、私にできることをしてあげよう)
食事を終えてからも何かと世話を焼いてくれるシエスタの優しさに、才人は感激した。威張り散らすご主人さまの命令を聞くのは癪だが、シエスタの手伝いなら喜んでやろうと思うくらいに。
「ありがとう、シエスタ。あのさ、何か俺にできることはないかな?」
「いえ、そんな。私は、ただ給仕をしただけですから」
たまたまふたりのやりとりを聞いていた料理長が、豪快な笑い声を上げた。
「飯の恩を労働で返そうだなんて、若いのになかなかしっかりした小僧じゃないか! 気に入ったぜ。おいシエスタ、せっかくの申し出だ。手伝ってもらいな」
「はいッ。では、お昼のデザートを配るのを手伝ってくださいな」
にっこりと微笑んだシエスタに、才人は大きく頷き返した。
――そして、午前の授業を挟んだ昼食後。
大きな銀のトレイに色とりどりのデザートが並んでいる。それを持ってシエスタの後をついていくというのが才人に与えられた役割だった。シエスタは貴族たちがそれぞれ指定したデザートをトングで丁寧に掴み、配ってゆく。
ところが。配膳中に、シエスタが他の生徒よりも少し派手目なシャツを着た貴族のポケットから小さなガラス
「貴族さま。失礼ですが、こちらを落とされましたよ」
落ちた壜を手に取り、貴族へ差し出したシエスタ。ところが「それは自分の物ではない」と突っぱねられてしまった。
シエスタは確かに目の前の貴族がガラス壜を落とした瞬間を見た。しかし、本人が否定している以上、ただの平民である自分が出過ぎた真似をするわけにはいかない。そこで、彼女は折衷案を出すことにした。
「左様でございますか、大変失礼致しました。では、こちらは落とし物ということで職員室へお届けして参ります」
そう言って場を立ち去ろうとしたシエスタだったのだが。
「その香水壜! もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」
「確かに! その鮮やかな紫色は、彼女にしか出せない色だしな」
「なるほど、ギーシュ。お前、いまモンモランシーとつきあってるんだな!」
周囲にいた貴族の少年たちが大声で騒ぎはじめてしまった。
ギーシュと呼ばれた少年が焦ったような声で何かを言いかけた、そのとき。彼らの後ろの席についていた茶色のマントを羽織った生徒が立ち上がり、ギーシュの席に向かってしずしずと近付いてきた。栗色の髪を肩まで伸ばし、くりくりとした瞳が特徴的な可愛らしい少女だった。
少女は、ぽろぽろと涙を零しながらギーシュに詰め寄った。
「ギーシュさま。やはり、ミス・モンモランシーと!」
「いや、彼らの誤解だよ! ケティ。ぼくの気持ちは……」
ケティと呼ばれた少女はギーシュの言葉が終わらないうちに大きく腕を振りかぶると、思いっきり彼の頬を叩いた。パーンという小気味良い音が、食堂内に響き渡る。
「なら、どうしてその香水があなたのポケットから出てきたのですか? それこそが何よりの証拠ですわ! さようなら!!」
ギーシュの災難(?)は、そこで終わらなかった。金色の見事な巻き髪の少女が、つかつかと彼の元へ歩み寄ってきた。その貌に、激しい怒りの色を貼り付けて。
「ギーシュ。あなた……やっぱり、あの一年生に手を出していたのね?」
ギーシュは首を振り、冷や汗を流しながら言った。
「そ、それは誤解だよ、モンモランシー。彼女とはラ・ロシェールの森まで遠乗りをしただけのことで……」
モンモランシーはテーブルの上に置かれていたワイングラスを手に取り、中身をギーシュの顔面にぶちまけると「嘘つき!」と大声で怒鳴りつけ、去っていった。
とんでもないところに居合わせてしまった。そう察したシエスタは小声で才人に声をかけると、そろりそろりとその場から立ち去ろうとした。だが、そんな彼女をギーシュが呼び止めた。
「待ちたまえ」
ビクリとシエスタの全身が震える。
「はは、はい。何でしょうか」
ギーシュは椅子の上で身体をくるりと回転させると、さっと足を組んだ。妙に気取った仕草である。それからシエスタを指差し、詰問した。
「きみが軽率に香水壜を拾い上げたおかげで、ふたりのレディが傷ついた。この罪をどう贖うつもりかね」
シエスタは震え上がった。貴族を本気で怒らせてしまったら、大変なことになる。
「も、申し訳ございませんでしたッ! 私のせいで、とんだことに……」
ひたすら頭を下げ、謝罪の言葉を紡ぎ出すシエスタを見てギーシュは少し溜飲が下がったのだろう。しっしっと手を振り、追い払うような仕草をしてみせた。
「わかればいいんだ。もういい、行きたまえ」
どうにか無事に済んだ……シエスタが内心でほっとひと息ついた、その時だ。
「何ふざけたこと言ってんだ。シエスタは悪いことなんかしてない!」
横あいから才人が割り込んできたのだ。
――平賀才人は、イラついていた。
半ば自業自得とはいえ、なんの説明もなくいきなり使い魔にされたことにも。
高慢ちきで生意気なご主人さまとやらが、一切自分の話を聞かないことに対しても。
だが。それ以上に今朝、教室で見せつけられた、彼の感覚をして「やな感じ」とされたあのやりとりに憤っていたのである。
大勢で、たったひとりの少女を笑いものにしていた。あれは才人のいた世界でもよく問題になる〝いじめ〟だ。
確かにイライラさせられたが、ルイズは「衣食住の面倒は見る」という約束通り、ちゃんと朝食の手配をしてくれていた。昨日の昼から何も口にしていないのを抜きにしても、食べさせて貰ったパンとシチューは本当においしかった。
だからだろう。魔法が一切使えないという、ようやく見つけた彼女の弱点を突いて仕返しするどころか、励ますような真似をしてしまったのは。
……食に(他国から見ると)異常なまでにこだわる日本人らしい反応である。
それに、食事の世話をしてくれた心優しいシエスタや気のいい料理長のお陰でだいぶ気分が晴れた。仲良くしてくれそうな魔法使いもいるし、何とかこの世界でやっていけそうだ――。
そんな風に考えていた矢先。親切にしてくれたシエスタが貴族から理不尽な責めを受けた。
「なんなんだよ、この世界は。魔法が使えるってだけで、そんなに偉いのか!?」
……気がついたら、口が出ていた。
ギーシュが睨みつけてきた。才人は負けじと睨み返す。
「ふん、これだから平民は。いいかい給仕君、このメイドが香水壜を拾ったとき、ぼくは知らないフリをしたんだ。それを察して話を合わせる機転を持ち合わせなかった彼女に罪がないとでも?」
「アホか。そもそもお前が二股なんぞするからこうなったんだろうが」
周囲にいた貴族たちがどっと笑う。
「そいつの言う通りだギーシュ! お前が悪い!!」
ギーシュの顔に、さっと赤みが差す。
「ああ、そうか。思い出したぞ! きみは確か、あの『ゼロ』が呼び出した平民だったな」
心底バカにしたような口調で、ギーシュは続ける。
「『ゼロ』のルイズに呼ばれたようなきみに、貴族の高尚なやりとりを理解しろというのは無理なんだろうね」
「ふざけんな、なんでそこでルイズの名前が出てくんだよ」
「使い魔を見れば主人の程度がわかる――メイジにとっては常識だよ。『ゼロの使い魔』くん」
才人は激しい怒りを覚えた。この世界に連れてこられてから一番ムカついた。そうまで言われて黙っていられるほど、彼は大人しくなかった。
「なんだとこのキザ野郎」
ギーシュの目がすっと細められた。
「ぼくの聞き間違いかな? キザ野郎と聞こえたような気がしたのだが」
「へっ、耳が悪いのか? だったら何度でも言ってやるよ、この勘違いキザ野郎。そのピラピラしたダサいシャツだけでも周りから浮いてるっつうのにわざわざ薔薇まで咥えやがって、アホかっつの。棘で怪我しないといいな。あ、言うだけ無駄か。馬鹿みたいだし」
「どうやら、きみは貴族に対する接し方を知らないようだな……ふッ、よかろう。このぼくがみずから礼儀というものを教えてやろうじゃないか」
ギーシュは立ち上がり、才人を睨め付けた。才人も腕まくりしてこれに応える。
「おう、やんのか? おもしれえ」
――そんな一触即発だった場面に飛び込んできたのは、桃色の髪をした少女だった。
○●○●○●○●
「あいつ、笑わなかった」
ルイズはぽつりと呟いた。雑用もろくにできないし口の利き方もなってない。でも、少なくともわたしを馬鹿にしたりはしなかった。魔法が使えない、このわたしを。実家の召使いたちですら、こそこそ陰口を叩いたり、哀れみの目を向けてきたというのに――。
(ロクに言うことを聞かない使い魔だけど、少し……そう、ちょっとだけ待遇面について考えてあげてもいいかしら。でも、それでつけあがらせちゃいけないから、ほんのちょっぴりだけ……)
などと考えていたところへ突然その声が飛び込んできた。
「ふッ、よかろう。このぼくがみずから、礼儀というものを教えてやろうじゃないか」
見れば、自分の使い魔――ついさっきまで、今後の処遇について考えていたあいつとグラモン家のギーシュが睨み合っている。
「なんでこう面倒ばっかり起こすのよ!」
席を立ち既に出来上がっていた人垣を掻き分けて、ルイズは急いで彼らの元へと向かった。
「ちょっと待ちなさいよギーシュ! あんた、わたしの使い魔をどうするつもり!?」
「なに、簡単なことだよ。きみの躾がなっていないようだから、ぼくがちょっと教育してやろうと思ってね」
「どういうことよ!?」
改めて状況の説明を受けたルイズの顔は蒼白になった。この使い魔……非常識にも程がある。
「謝りなさい」
「なんで?」
「怪我したくないでしょ? 今すぐギーシュに頭を下げなさい」
「ふざけんな! なんで俺が謝らなきゃならないんだよ! どう考えても悪いのはあいつのほうじゃねえか!!」
言い争いを続ける主従を遮ったのは、他でもないギーシュであった。
「おや、なんだね? ルイズ。そんなにその平民のことが心配なのかい? まあそうだろうね。『ゼロ』のきみが、たった一度だけ起こせた奇跡の象徴なんだから」
ルイズの顔が強張る。
「なあ、ご主人さまよ。これでも俺に謝れって言うのか?」
低い声で確認してきた才人を押し退け、彼女はまっすぐと杖を――ギーシュに向けた。
「ギーシュ・ド・グラモン。ヴァリエール家の名において、あなたに決闘を申し込むわ」
アルヴィーズの食堂は一瞬静寂に包まれ――その後、一気に沸き立った。騒然とした空気の中、当事者の中で最も早く立ち直ったのはギーシュである。
「な、何を言っているんだい? ぼくは、その使い魔くんに用が……」
「使い魔の不始末は、主人が責任を負うべきよ」
にべもなく切り捨てるルイズ。
「決闘は、校則で禁止されていて……」
「なら、試合ってことにしてあげてもいいわ。それとも……怖いの?」
そこまで言われては、もう引き下がれない。
「……ッ。いいだろう『ゼロ』のルイズ! ついでだ、その生意気な使い魔も連れてくるがいい。場所はヴェストリの広場だ。まとめて相手になってやる!」
くるりと身を翻し、その場から立ち去るギーシュ。
――こうして。世界の『歴史』は、本来のそれから少し逸れた形で――動き出した。