雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第31話 参加者たちの後夜祭

「どうにか無事乗り切れたようだのう」

 

 ぐったりとソファーに沈み込んだ太公望の目は、まるで腐った魚のようだった。

 

「舞台の上で歌劇を演じている気分だったわ」

 

 その隣で、珍しく疲れの色を瞳に滲ませたキュルケが呟けば。

 

「ミス・ツェルプストーの言うとおりだよ。劇を終えたばかりの役者たちはきっとこんな気分なんだろうと、ぼくは思うね」

 

 吐き出すように紡がれたギーシュの言葉に、残る一同は頷いた。

 

「いやはや……実際とんでもない脚本でしたぞ、あれは」

 

 感嘆の声を上げたのはコルベール。

 

「うーむ、わしも是非読んでみたかったのう」

 

 実に残念そうな表情で、そう述べる学院長に。

 

「あれを残しておくのはだめ」

 

 タバサが真剣な声音で告げた。

 

 ルイズとエレオノールが出て行った後。来客室に残っていた者たちは才人が戻って来るのを待ちながら、先程まで繰り広げていた『舞台劇』について語り合っていた。

 

 ――そう、実は。あの一連の会話のほとんど全てが、太公望が作製したマニュアル通りに操作されていたのだ。ただし、エレオノールの研究内容に関する詳細などの最も盛り上がりを見せた歓談部分については、事前に予測できる性質のものではないので全てアドリブだが。

 

 それだけではない。裏で才人に部屋を片付けさせたり(自分用の荷物を一時的に別の場所へ移動するなど)衛兵詰め所から吊り下げタイプの細い剣を借りてくるよう指示するなど、各方面にわたっての行動がタイムテーブルつきで記されていたのである。

 

 しかも。ルイズが姉のそばで緊張のあまりマニュアルの内容を忘れそうになり、それが恥ずかしくて要所要所で顔を赤らめながら必死に思い出そうとしていたことや、最後に彼女が姉に頬をつねられるところまで見事に計算の上で台詞が配置されていた。

 

 ……もっとも、このルイズに関する情報まで開示されていたのは唯一タバサのみだったのだが。

 

「大切な情報を留め置いたおしおきなのだ。ルイズには黙っておれよ」

 

 などというメッセージつきで。彼女が妙に疲れた顔をしているのはそれを知っていたからだ。

 

 と、そんなところへヴァリエール家の姉妹を部屋まで送り届けに行っていた才人が戻ってきた。精魂尽き果てた一同を見た彼は、とりあえずいちばん近くにいたギーシュに声をかけた。

 

「みんな、ずいぶんとくたびれた顔してんな」

 

「そりゃあ疲れもするさ。きみはあの場にいなかったからわからないだろうけどね」

 

 ギーシュからため息混じりの説明を受けた才人は、思わず「うは……」と声を上げてしまった。それからまじまじと太公望を見つめながら聞いた。

 

「なあ、まさかとは思うけど……ひょっとして閣下の国の将官クラスって、みんなこのくらい当たり前にこなしちゃったりするものなのカナ? カナ?」

 

 問われた太公望はさも心外だと言わんばかりの表情でこうのたまった。

 

「この程度のことは、なにも将官でなくともやれるであろう? 会議に臨む上司のために補佐官が資料を用意しておくのと別段変わらぬ」

 

 などとあっさりと返した太公望にオスマン氏が言った。

 

「のう、ミスタ・タイコーボー」

 

「おぬしの秘書になれという話なら断る」

 

「そう一方的に拒否せんでもよかろ? 少しは考えてくれてもええじゃろうに」

 

「嫌だ。なんでわしがそんな面倒なことを引き受けねばならんのだ!」

 

「ミス・ロングビルがいなくなってからというもの、書類がほんと片付かなくて……」

 

「秘書の身辺調査を怠ったおぬしが悪いのでは?」

 

「それはさておき」

 

「置くなっつーの!」

 

「老い先短い老人の頼みじゃ。聞き届けてはもらえんかのう?」

 

「他を当たるがよい。わしは知らぬ。知ら~ぬ」

 

「そんな冷たいこと言わんと、ねえ?」

 

 漫才を始めてしまったふたりを止めたのはコルベールだった。彼は、どこか申し訳なさそうな、それでいて不思議でたまらないといった表情で太公望に尋ねた。

 

「以前から疑問に感じていたのだが、どうしてきみは軍人になったんだね? 私の偏見かもしれないが、軍隊に所属するなぞ面倒の極みだと思うが」

 

 コルベールの質問に、タバサを初めとした例の「異国の王族説」を知っていた者たちの顔が強張る。ところが聞かれた本人はというと、至極あっさりと理由を述べた。

 

「師匠に課せられた修行の一環でのう。やらねば破門だと言われてしまっては、さすがのわしにもどうすることもできんかったのだ」

 

「なんと、破門宣告と引き替えですと!?」

 

「それは酷い」

 

「いくらなんでもあんまりじゃなくて?」

 

 太公望へ向けて同情の眼差しを向ける一同。しかし、才人にはその理由がわからない。

 

「え? 破門って、単に弟子じゃなくなるってだけのことだろ? 俺だったら絶対やりたくないことと引き替えなら、そのくらいアリだと思うんだけど」

 

 これを聞いたギーシュがやれやれと肩をすくめた。

 

「平民のきみにはわからないだろうな。ぼくたちブリミル教徒にとっての『破門宣告』は、社会的に抹殺されることと同義なんだよ」

 

「たとえば?」

 

「貴族なら地位を剥奪されて平民に落とされる。さらに、他のブリミル教信者と交流することも許されなくなるんだ。結婚も無理、死んでも葬式すらしてもらえない。『始祖』に祈りを捧げることすら禁じられる。こんな怖ろしいことはないよ」

 

「う~ん。昔の村八分みたいなもんか?」

 

「ムラハチなんとかはよくわからないが、貴族どころか人間扱いされなくなるのは確実だね」

 

 そこへ、タバサがぽつりと付け加える。

 

「異端認定よりも畏れられている罰。それが破門宣告」

 

 これを聞いた太公望は、うまくいったと内心ほくそ笑んだ。

 

 仙人界における破門はせいぜいが追放刑を受ける程度で、彼らが言うほど厳しいものではない。だが、自分が好きこのんで軍を率いたわけではないということを納得させることはできたようだ。師匠から破門を申し渡されそうになったのは事実であるし、別に嘘をついているわけではない。

 

「とは言うものの、師匠としてもわしの他に適任だと思える者がおらんかったから、そうせざるを得なかったのだろうが」

 

「あなたが軍にいる必要があったということ?」

 

 タバサの問いかけに太公望は頷いた。

 

「結果的にはそういうことになるのう」

 

「それは何故?」

 

「敵対する派閥が、とある帝国に与していたからだ。きゃつらを放置しておけば戦乱が続くと判断した上層部が、わしと同僚の数名を帝国と対峙していた公国へ派遣したのだよ。わしとしては武力に頼らず平和的な交渉で争いを収めたかったし、そのつもりで色々と準備していたのだが……残念ながら、そう上手くはいかなかった」

 

 つまり、彼は最低でも一国の外交と軍務を牛耳る派閥に所属していた宮廷貴族であり、同盟国において客将として扱われていた人物なのだ。しかも、王族疑惑が完全に消えたわけでもない。

 

 即座にそこまで察したタバサの心臓付近が再びキリキリしてきた。

 

「ところで、その時の合戦規模はどのくらいのものだったんだい?」

 

 ギーシュがした質問に、太公望はわずかに眉を寄せながら答えた。

 

「開戦当初こそ両軍併せて十万程度の数だったのだが……最終的には総勢百万の大軍がぶつかり合う大決戦に発展した」

 

「ひゃ、百万じゃと!?」

 

 ハルケギニア組はそれを聞いて戦慄した。百万などという大軍は、この世界の常識では考えられない規模だ。いや、最初の十万の時点で既に常軌を逸した激突なのである。

 

 地球出身でミリオタの才人はというと「三国志とかそのへんの、昔の中国っぽい数?」などという感想を持っていた。まさか、その中国を舞台に繰り広げられた合戦の話を聞いているとは夢にも思わない。

 

 オスマン氏は頭の中で密かに試算を始めた。魔法学院を卒業した後、士官学校へ進み軍人を志す若者は大勢いる。卒業生らと顔を合わせる機会が多い氏は、トリステインや各国の情勢を一般的な宮廷貴族以上に把握している。なればこそ、この数字を聞いて慌てた。

 

 もしもトリステインの王軍が今の時点で全軍を動かした場合――陸・海・空軍併せて、せいぜい一万がいいところか。諸侯軍や国境防衛軍を全てかき集めたとしても五万。大国ガリアですら十五万が限界であろう。

 

 もっとも、ハルケギニアは数の少ないメイジが主体。周と殷は平民の兵士たちと両手の数ほどの仙人という大きな構成の違いがあるので、動員力という意味で双方を比較するのは間違っているのだが……それを知らずに数だけ聞けば、彼らが驚くのも無理はない。

 

「正直、我々には想像もつかない大合戦ですな」

 

 コルベールは思った。

 

(ロバ・アル・カリイエでは、それほどの大規模会戦があったというのか。研究者として悲しむべきことだが、戦争は技術革新が行われるきっかけとなることが多い。東方諸国がハルケギニアに比べ、進んでいるのも当然だ……)

 

 オスマン氏は内心の動揺を抑えつつ尋ねた。

 

「君は軍を指揮した経験があるそうだが、公国軍ではどのような立場にあったのかね?」

 

 その問いに、今更隠しても仕方がないと言わんばかりに答える太公望。

 

「正確には同盟軍だ――帝国と隣接する四カ国が同盟を結び、兵を派遣したのでな。で、わしはそこに参謀として参戦しておった。ただし、戦況次第では自ら部隊を率いることもあったがのう」

 

「参謀かあ……」

 

「確かにそれっぽい」

 

 太公望の説明を受けた一同は、その説明に納得した。

 

 ――本来であれば、太公望の役職は〝軍師〟とするのが正しい。

 

 軍師とは、情報精査から作戦の立案・兵站の管理・軍全体の指揮など、その人物の能力によって幅広い行動が求められる役職だ。普通は複数の軍師を抱えるのが一般的だが、周の場合は前述した仕事のほとんどを太公望が兼任していた。そのため殷の将たちから、

 

「太公望さえ潰せば革命軍は瓦解する」

 

 という認識を持たれていたわけだが――それはさておき。

 

 図書館で基本的な軍事用語を学んでいた太公望は、ハルケギニアに軍師という役職がないことを知って驚いた。こちらでは一人の責任者に多くを求めるのではなく、指揮・作戦の立案・兵站の確保など全て専門家が分業することにより効率を上げていたのだ。

 

 その中で最も軍師、というよりも太公望の立ち回りに近い役職が〝参謀〟だった。指揮官の幕僚として作戦計画を立てたり用兵などに関して進言する役割を負うが、指揮権を持たない――殷周革命戦争最終戦・牧野の戦いにおける武王と太公望の関係そのものである。

 

 ゆえに、己の立場を訊ねられた彼は参謀と答えたのだ。互いの価値観の問題があるため、最初から全部説明するのが大変だったという事情もあるのだが……。

 

 そんなこととは露とも知らず、何気なく訊ねる才人。

 

「今はもう、その戦争自体は終わってるんだよな?」

 

「うむ。周辺諸国もだいぶ落ち着きを取り戻してきたところだ」

 

「お前が軍辞めてのんびり旅できてたってことは……つまり、同盟側が勝ったんだな」

 

 才人の言葉に、太公望は心底疲れたといったような顔で返した。

 

「最後の最後まで『女狐』のやつに引っかき回されたが、どうにか……な」

 

「ちょ、ちょっと待って! 敵には女将軍がいたの!?」

 

「いたもなにも、その女こそがわしらと敵対する派閥の『頭脳』にして、帝国軍を陰から操る黒幕だったのだ。当然、自らも参戦していたぞ」

 

「ええーッ!」

 

 驚きの声を上げたのはキュルケだ。これまたハルケギニアの常識になるのだが、戦場は男のものであって、女が出る幕はない。たとえ従軍を希望しても鼻で笑われるのがオチだ。しかも軍の重要なポストに女性が就任することなど、まずありえない。

 

「能力の有る無しに、男も女も関係ないであろう?」

 

 この太公望の発言に、キュルケは目を輝かせた。

 

「つまり、実力さえあれば性別も家柄も問題にならないのね?」

 

「まあ、なくはないが……それでも、この国のようにガッチガチではないのう」

 

「へえ~。あたしたちゲルマニアに近い考えなのね。戦争がなければ、きっといいところなんでしょうね……ミスタの国って」

 

 そのキュルケの発言に、太公望は破顔でもって答えた。

 

 ――ちなみに、この時点での才人の思考はというと。

 

(あいつんとこ、確か本拠地が宇宙船なんだよな!? おまけに『同盟軍』対『帝国軍』とか……うは! スペースオペラたまんねえ!!)

 

 などという、ちょっと不謹慎な方向へ移行しつつあった。まあミリオタで、かつ戦争というものを肌で実感できない日本人にとってはある意味仕方のないことではあるのだが。

 

 割り込むようにしてタバサが問うた。

 

「あなたはその女将軍を知っているの?」

 

「嫌というほどな」

 

「どんなひとだったの?」

 

 その問いに腕を組み、当時を思い出すように語る太公望。

 

「ああ……まずは見かけから言うと、いわゆる『傾国の美女』というやつだ。実際とんでもなく美しい女でな。ただしその本質は『魔性』。側に近寄っただけで骨抜きにされる者たちが多数。その美の信奉者も数十万人単位。うちの国王陛下なぞ事前知識があったにも関わらず、たまたま戦場ですれちがった時に鼻血吹いて馬から転げ落ちたくらいなのだ」

 

「そこまでかい! 是非一度、その姿を拝んでみたいのう!」

 

 思わず叫んでしまったオスマン氏と、それを呆れ顔で見つめる生徒たち。そんな中、キュルケが実に鋭いツッコミを入れる。

 

「ふ~ん。もしかして、ミスタ・タイコーボーも誘惑されたクチ?」

 

「……初対面の時にクラッといきかけたのは否定せんが、それ以上は何もないからな」

 

 もちろんこれは、太公望が『女狐』と称した相手が持つ宝貝『傾世元禳(けいせいげんじょう)』に当てられかけた時の話だ。これは射程範囲内にいる者全てを魅了し、使用者の操り人形にする〝魅惑の術(テンプテーション)〟を放つ、強力かつ凶悪なアイテムである。

 

 使い手たる『女狐』自身の美しさと実力が相まって、とてつもない威力を発揮。最大で100万人以上の人間を操った怖ろしい兵器だ。もっとも、太公望はさすがにそこまでの情報や彼女との間にあった因縁について開示するつもりはなかった。

 

 とはいえ、ここまでの事情を話したおかげで「彼って別にシスコンとか、女に全然興味がないってわけじゃないのね、よかったわ」などと、キュルケに持たれていた変な誤解が解けていたので結果オーライである、かもしれない。

 

「でも、美人だから何をしても許されたってわけじゃあないわよね。当然、相応の実力があったんでしょう? 国政を動かせるほどの派閥を作れたくらいなんだから」

 

「うむ。実際とんでもない『女狐』であった」

 

 と、今の言葉に疑問を抱いたのはタバサだ。

 

「……だった? もしかして」

 

「ああ、あの女は既におらぬ。あやつは『土に還った』のだよ。それも、わしがひとりであやつを追っていた時に、わざわざわしの目の前で、見せつけるかのように命を散らして逝きおったのだ。まったく……あれでは恨み言のひとつも言えないではないか」

 

「あらミスタ、ひょっとして戦場で芽生えた『禁断の愛』とか、そういう……?」

 

 こういった空気に敏感なキュルケがすかさず茶化す。その言葉にタバサも……他の参加者たちを含む全員が身を乗り出してきた。

 

「あっちはどうだか知らんが、自分についてはよくわからぬ。なにせ常に命の取り合いをしていた相手だからのう」

 

 そんな彼らに苦笑して答える太公望の目は、どこか遠くを見ているようだったが――しかし。そのわずか数秒後。彼の瞳に宿る光が、ふいに悪戯っぽいものに変化した。

 

「わしの『魔王』演出なぞ、あの女に比べたら可愛いものだぞ?」

 

 太公望はふふんと鼻で笑いながら、生徒たちを見回す。赤くなって俯く少年少女たちと、何が何だかわからない教師陣。そこで、太公望はさきほど行われた悪戯について、オスマン氏たちに話した――おしおきの内容まで含め、詳細に。

 

「まあ、きっちり締めてはおいたので、停学にまではしなくてもよいと思うが」

 

「では反省文を書いて提出させるというのはどうでしょう」

 

「それもありか。ふむう、枚数をどのくらいにするかじゃが……」

 

 などと視線を交わしつつノリノリで罰則について話し合っていた教師陣三名とは対象的に、才人を含む生徒側は既に全員顔が真っ青である。それをよく観察していた大人たちは「もう勘弁してやるか」と目で語り合い、代表として太公望が口を開いた。

 

「まあ、とにかくだな。悪戯に関してはまだいいとしてだ、才人よ」

 

「は、ハイ」

 

「ああいった閃きがあったら、必ずわしかコルベール殿に相談してくれ。あの『防御壁』はな、最悪の場合……展開した瞬間におぬしとルイズ、ふたりの命を奪ってしまった可能性すらあったのだぞ?」

 

「『いしのなかにいる』状態になる、ってことだろ?」

 

 ああ、そのあたりは気付いていたのか……と、思いつつも念のため追加する太公望。

 

「それなのだがな。もしもあの壁が〝念力〟を解いた後も、実体化したまま残っていたとしたら? うまく調節できずにだんだん縮んできて、中の者が潰されたら? 使い手が気絶した途端、割れて崩れ落ちてきたら? 内側が真空だったら? と、まあ……こういった可能性も充分にありえたのだよ。だから、わしはルイズが自らバリアを解くまで手出しせんかったのだ」

 

「う、そこまでは考えてなかった」

 

「おぬしのアイディアは確かに面白い。だが、何事も最初は危険がつきまとうのだよ。考えてはいけない、ということではない。あくまで実行する前に声をかけてほしいだけだ。もちろん、これはおぬしたちを心配してのことだ。わかってくれるかのう?」

 

「よくわかりました……」

 

 ガックリとうなだれる才人。実際に命の危険があったのだと聞いて、さすがにお調子者の彼でも血の気が引いていた。

 

「まあ、あれだけ痛い目に遭わせたのと、ルイズへの指示書に『防御壁の使用及び口外は、以後許可が出るまで禁ず』と書いておいたので、しばらくは大丈夫だと思うが、この件については念のためしっかりとおぬしの口から伝えておいてくれ」

 

「ああ。よく説明しておくよ」

 

 話の区切りがついたと見たオスマン氏が、ぽんぽんと手を叩いた。

 

「さて、だいぶ夜も更けてきたし、みな疲れたじゃろ? そろそろ解散しようか」

 

 オスマン氏の提案に頷く一同。

 

 ――なお、この翌日。エレオノール女史は上機嫌で朝食をいただいた後、足取り軽くヴァリエール領に帰っていった。緊張のあまり、長姉を乗せた馬車が見えなくなった途端、その場へ崩れ落ちたルイズを残して。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――昼食時。ルイズは仲間たちに笑顔で礼を言った。

 

「あのエレオノール姉さまがわたしに……あんな嬉しそうな顔で話をしてくれるなんて、初めてだった。あんなふうに笑ってるのも、見たことなかった。本当にみんなのおかげよ、ありがとう」

 

 夕べは緊張こそしていたものの、姉妹の会話自体は相当盛り上がったようだ。

 

「それにしても……あの気難しいエレオノール姉さまとあんなふうにお喋りができるだなんて。ミスタ・タイコーボーは話が上手よね」

 

「そうかのう? 単純に研究の話をしただけなのだが。研究者というものは自分のしている研究について、他の研究者と話し合い、お互いに刺激しあう関係になりやすいものだからな。もちろん性格にもよるがのう」

 

 太公望はそう言いながら、サラダに使われていたハシバミ草を器用によけて、そろりとタバサの皿に乗せた。この草は独特の香りと苦味が特徴で、苦いものが大嫌いな太公望はいつも彼女に食べてもらっているのだ。

 

「それ以外でもぽんぽん話が続いてたじゃないの。わたしだったら、あそこまでできないわ。なにかコツでもあるのかしら?」

 

 その疑問に対し、太公望はちょっと考えると……実例を示してみることにした。

 

「そうだのう、モンモランシー」

 

「な、何かしら?」

 

 ギーシュの隣にちょこんと座っていた彼女は、突然話をふられて驚いていた。

 

「あのな、これからちょっとした見本のためにギーシュを借りる。これはあくまで演習なので、浮気ではない。よって例の数にカウントしないでやってくれ」

 

「……ミスタ、きみはぼくに何をさせようというのかね」

 

 思わず椅子を引いて後ずさったギーシュに、太公望は笑顔でこう命じた。

 

「キュルケを褒めつつ、できるだけ会話を引き延ばしてみるのだ」

 

「……は?」

 

「キュルケはこれ以上会話を続けたくないと感じたら、その時点で『終了』と言うのだ」

 

 この命令に、面白そうだ! という顔をする面々。その中で最も期待に満ちあふれた表情をしていたのは指名されたキュルケ自身であった。

 

「ほれ、やってみろ。おぬしは全ての女性を楽しませる薔薇なのであろう? ならば、キュルケが喜ぶような会話ができて当然。さあ!」

 

 そう太公望から促され「ふむ……」と少し考えたギーシュは、彼女へこう切り出した。

 

「キュルケ。きみのその髪は、まさに炎のようだよ。二つ名に相応しい」

 

「はい終了」

 

「え~」

 

「早いなオイ」

 

 さすがに気の毒に思った才人がツッコむと、

 

「だって、ちっとも面白くなさそうなんだもの!」

 

 と、がっくりきているギーシュに追撃をかけるキュルケ。火系統だけあって実に容赦がない。

 

「では、次にわしがやってみようと思うのだが……かまわぬかのう?」

 

「あら、それは楽しみね」

 

「今から始めるぞ。ふむ……その爪に塗られておるものは、何といったか」

 

「このマニキュアがどうかしまして?」

 

「ほう、それは『まにきゅあ』というのか。実はな、ちと気になっておったのだが。どうして今日はいつもと色が違っておるのだ?」

 

「えっ? あたし、毎日変えてるわよ?」

 

「あ、いや、そういう意味ではなくてだな。おぬし、今月に入ってから曜日によって決まった色にしておったであろう? にも関わらず、今日はそれらの法則から外れていたのが気になってのう」

 

 この発言に、聞いていた一同が驚いた。逆にキュルケは満面の笑みを浮かべている。

 

「さすがね、そこまで細かく見てくれていたなんて。これはね、昨日ゲルマニアから届いたばかりの新作なの。初めて使う色だったんだけど、思ったより発色が良くて気に入ったわ」

 

 そう言って、自慢げに爪を見せびらかすキュルケ。

 

「おぬしは流行に敏感だのう」

 

「女として当然よ。ゲルマニアだけじゃなくて、トリステインのものもチェックしてるんだから」

 

 オホホホホ……と、上機嫌で笑うキュルケ。周囲にいた者――特に女性たちが彼女の爪に注目する。そして「たしかにいい色ね……」とか「キュルケの肌にぴったりの色だわ」などという囁き声が離れた場所から聞こえてくる。キュルケはそれらの賞賛を聞いて、とても気分がよくなったようだ。

 

「それでだな。そんなおぬしに聞きたいことがあるのだが」

 

「あら、ミスタが……あたしに?」

 

「うむ。実はな……」

 

 そう言って、ちょっと視線を下に向けると、右手の指で頬をかきはじめる太公望。それを見たキュルケは彼が何を言いたいのかおおよそのところを理解し、柔らかな笑みを浮かべてこう言った。

 

「なるほどね……だいたいわかったわ」

 

「さすがはキュルケ、察しが良くて助かる。でな、それに相応しいものを教えてもらいたいと」

 

「オホホホホ、このあたしに任せておけば大丈夫! まあ、たしかにこれは殿方には難しい問題よね。ところで……」

 

 そう言って視線を太公望の目に合わせるキュルケ。

 

「もちろん、それ相応の対価は用意させてもらう。そうだのう、今度トリスタニアの街で……」

 

「あら、いいわね。実は美味しいデザートを出すお店の噂を聞いたんだけど」

 

「ほう、それはとてもいい話だ」

 

 にっこりと笑った太公望に、これまた笑顔で応えるキュルケ。

 

「でしょう? でも……」

 

「ふむ? 何か問題でもあるのかのう?」

 

「あら、ミスタにしては察しが悪いわね。その件について、あたしの部屋でゆっくりと、ふたりっきりでお話を……そうね、今夜にでも」

 

 ごぃん! ごぃんっ!! と音を立て、長く太い木の杖の先が、ふたりの頭にクリーンヒットした。衝撃を受けた頭を押さえ、テーブルの上に突っ伏したのはキュルケと太公望だ。

 

「いった~い!!」

 

「何故わしまで殴るのだタバサ……」

 

「なんとなく」

 

 まさに風の如き素早さで杖を仕舞うと、再び着席するタバサ。

 

「つーかまるっきりナンパ……口説いてるみたいだったぞ」

 

 すごいものを見た! とでも言わんばかりの才人に、うんうんと同意する一同。

 

「違うわ! おぬしら、話の内容をちゃんと聞いておらんかったのか!!」

 

 うがーっ!! と周囲を威嚇する太公望。だが、支援は思わぬところからやってきた。

 

「ミスタ・タイコーボーは、キュルケに誰かへのプレゼントを見繕う手伝いをしてもらいたい、対価に街で何か奢るから……っていう話をしていたのよね?」

 

 こう援護してきたのはモンモランシー。その言葉にようやく見ていた全員が「あ!」という反応をする。

 

「そういうことだ。途中で話がおかしな方向へ流れてしまったが、ちゃんと軌道修正の用意もあったのだ」

 

「え~、あたしは結構本気で」

 

 ごぃ~ん!! タバサ会心の一撃がキュルケの頭を捉えた。再び突っ伏すキュルケ。

 

「でも、同じように褒めているのに、ぼくはあっさり会話を切られたのは何故だい?」

 

 当然とも言うべきギーシュの質問に対し、最初はキュルケが答えようとしたのだが……それを制して太公望が説明する。

 

「キュルケは何か自慢したいようなことがあったとき、いつも髪を掻き上げるであろう? これは自分の髪の美しさに自信があるということだ。わし以外にも、それに気付いている者は当然いる。よって、髪については『褒められ慣れている』のだ」

 

 と、ここまで言ったところでキュルケに補足を依頼する。

 

「そういうこと。だから、これ以上ギーシュと話しても面白くなりそうもないと思ったの。でも、ミスタは気付くひとが滅多にいない、あたしのマニキュアへのこだわりを突いてきたわ。だから、あそこまで盛り上がったのよ」

 

 しかも……と、キュルケは続ける。

 

「わざとそれっぽい仕草で、あたしに頼み事があるように見せかけて誘導してたわ。それに興味があったから、あたしも乗ったってわけ」

 

「まあ、キュルケはこのように察しのいい女性だから、今の技が通じたのであって、常にこれが可能であるとは限らない。よって、相手をしっかりと見極めた上で、より好みそうな内容を提示すれば、このようにお互いに楽しく話ができるわけだ」

 

 少し冷めてしまった茶を口に流し込みながら、太公望は説明する。

 

「かつ、やりかた次第でさっきキュルケがわしにしようとしたように、自分が望む方向へ話題そのものを誘導することも可能なのだ……が」

 

 そこで突然太公望は会話を中断してしまった。当然「何事だ?」と訝しむ一同だったが――何気なく周囲を見て絶句した。

 

「何故こんなにひとが集まっておるのだ……」

 

 彼らの周りには大勢のひとだかり――特に男子生徒、さらには教師までが集まって、ぐるりと輪を作っていた。

 

「いや、なかなか興味のある話でしたので」

 

「面白そうだったから、つい」

 

 口々に言い合う野次馬たちに、呆れたような口調で問う太公望。

 

「あのな……おぬしらは貴族であろう? ひとから何か聞きたいのなら、せめて気を利かせるべきではないかのう?」

 

 そう言って、彼は自分の空っぽになったデザート皿をじっと見つめた。途端にドタバタと走り出す少年少女と教師たち。積み上がってゆくデザート、そしてフルーツ。そんな様子を満足げに見ていた太公望はふと、ある人物の行動に目を留めた。

 

「ほほう、なかなか面白いではないか。これは……」

 

 それから会話のテクニックを昼休み終了まで披露し続けた太公望は、語り終えると同時に先程目を留めた人物にこっそり声をかけた。その後――夕刻。

 

 いつもの時間、いつもの中庭。だが……そこには、これまで存在していなかった人物が新たに加わっていた。

 

「ミスタ・タイコーボー。何故彼がここにいるのかね?」

 

「よほどのことがない限り仲間は増やさないんじゃなかったかしら?」

 

 ギーシュとモンモランシーの問いに、太公望は満面の笑みでもって応えた。

 

「その『よほど』があったからなのだよ。理由はこのあとちゃんと説明する」

 

 そして、太公望は問題の人物に視線を移した。その先には茶色がかった金色の髪を短めに揃え、丸い眼鏡をかけた生真面目そうな少年が立っていた――。

 

 

 




原作で未だ彼の家名が明かされていない件について。
最終刊で判明するかなあ……。
するといいなあ……。

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