雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第30話 研究者たちの晩餐会

「大変恐縮ですが、此度はどの程度の滞在を予定しておられますか?」

 

 来客室へと向かう途中で、エレオノールは案内役を命じた少年に尋ねられた。

 

「最低でも1時間。最長で3時間と見込んでいるわ」

 

「左様ですか。差し出がましいようですが、必要であれば会食の手配を致しますが」

 

 いかがでしょう? そう言外に訊ねてきた少年に対する心証をエレオノールは初対面の時よりも大幅に修正していた……もちろん上方向へ。

 

「そうね。夕食の時刻も近いことだし、そのように手配しなさい。それと……」

 

「はい。お供のかた……侍女殿と御者のおふたりにも食事と待機するための部屋を別途ご用意させて頂きます。ところでエレオノールさまにおかれましては、学院長との会談中も侍女殿をお側近くに控えさせることをご所望ですか? そうでなければ最初から控え室のほうへ案内させますが」

 

「なら、この娘は控え室に通しておいてちょうだい」

 

「承知しました」

 

 全てを語るまでもなく、こちらの意図を汲み取る。この若さで既にこれだけの気配りができるのだから、たとえ今は落ちぶれていたとしても、そのうち身分の高い貴族の執事として請われるか、あるいは魔法学院の平民たちを取り纏める長となるだろう。エレオノールは学院の敷地内を歩きながら、案内役を務める少年をそのように評価していた。

 

「ところで今、学院長は?」

 

「現在の時刻ですと職員室で会議をなさっておられるはずです。よって、誠に申し訳ございませんがエレオノールさまにおかれましては、来客室にて少々お待ち頂くことになるかと。もちろん早急にご来訪を伝えて参りますし、できうる限り急いで面会の準備を整えさせていただきますが」

 

「まあ、仕方がないわね。こちらも到着時刻までは伝えていなかったことだし、少しくらいなら待ってあげてもかまわないわ」

 

 エレオノールは、不機嫌の極みにあった先程までとは一転。ほんの少しだけ寛大な気分になっていた。

 

「お待ちいただいている間のお飲み物などで、何かご希望はございますか?」

 

「そうね、温かい紅茶をお願い。砂糖壷と、ミルクを添えて」

 

「かしこまりました」

 

 少年は歩きながら、近くで作業をしていたメイドや下働きの者たちに対し、てきぱきと指示を与えている。命令を受けた使用人たちが全く別の方向へ早足に移動していく。

 

(さすがは国立魔法学院、下々の者への教育が行き届いていて、大変よろしい)

 

 国の査察官さながらといった様子で、エレオノールは使用人たちの行動を観察していた。

 

 そして、たとえ王族が訪れたとしても失礼にあたらないよう整えられている豪奢な来客室に通されたエレノールは、案内役を務めた少年に、先程から気になっていたことを尋ねた。

 

「あなた、この学院に来てどのくらい経つのかしら?」

 

 これだけの仕事ができるのだ。最低でも数年はここに勤めているのだろう。そう考えていたエレオノールだったが、少年は彼女にとって想定外の答えを返してきた。

 

「ちょうど二ヶ月ほどです。こちらの学院へ留学して来られた主人の従者として請われ、お側に仕えさせていただいております。よって、案内役としては未熟であるため色々と不手際があり、誠に申し訳ございませんでした」

 

 そう言って頭を下げた少年を前に、エレオノールは絶句した。まさか彼が魔法学院の使用人ではなく、他国の貴族の従者だったとは。

 

 エレオノールが驚くのも無理はない。

 

 本来であれば、子供たちの自立を促すために設立された教育機関たる魔法学院の生徒に従者がつけられることなど、余程の事情がない限りはありえないのだ。トリステインでも随一の家柄と格式を誇る大貴族・ヴァリエール公爵家の息女であるエレオノールにすら、学生時代に個人的な付き人はいなかった。

 

 つまり彼は他国の大貴族――もしかすると、王族の子女の従者かもしれない。

 

 それに気付いたエレオノールは内心で頭を抱えた。

 

(このわたくしとしたことが、トリステイン貴族として――いえ、ヴァリエール公爵家の長女としてなんと迂闊な真似をしてしまったのだろう。彼の服装を見て、すぐに異国出身であることを察して然るべきだったのに。個人的なことで苛ついていたせいで、大変な失敗をしてしまったわ)

 

 とはいえ、ただの従者を相手に頭を下げるような真似をしては貴族としての威厳が損なわれる。エレオノールは仕方なく、代案をもってして謝罪に変えた。

 

「いいえ、あなたの案内に不備などなかったわ。そちらのご主人さまに、よろしく伝えていただけて? 素晴らしい従者をお持ちのようで、羨ましいですわ、と」

 

 エレオノールの言葉を聞いた少年は実に爽やかな笑みを浮かべ、深々と一礼すると静かに部屋を出て行った。それからすぐに届けられた紅茶を口に含みながら、エレオノールは何とか気持ちを切り替えようと努力した。

 

「ある意味、できた従者に声を掛けられただけでも幸運だったと思わなければいけないわね……おかげで、少し気分も落ち着いたし」

 

 もしも魔法学院へ到着した時のように苛立ったままであれば、これからお会いするお客さまを相手にとんでもない失態を演じていたかもしれない。

 

 エレオノールは名も知らぬ大貴族の主従に感謝した。

 

 ――既に失態などというレベルでは済まない真似をしでかしてしまっていたことについては、当然のことながら彼女は気付いていなかった……。

 

 

○●○●○●○●

 

「いやはや、さすがにルイズの姉というだけのことはあるのう」

 

 エレオノールの案内を終えた太公望は、苦笑いしながらタバサの部屋へ向かっていた。彼の計算ではそろそろ例の拘束が解けて、彼女が戻ってきているはずだった。

 

「しかし、わざわざ侍女まで連れて学院を訪れるとは。いったい何の用であろう?」

 

 彼女はほぼ間違いなく実家――つまり、ヴァリエール家の使者として学院を訪問したのだ。そうでなければオスマン氏へ前もって来訪を報せておくはずがないし、侍女を連れていたり、あそこまで馬車や付随する馬具などが綺麗に整えられていた理由がない。

 

「わしの考えすぎかのう? ヴァリエール公爵家はこの国いちばんの大貴族ゆえ、常に見た目に気を配っているだけのことかもしれぬ」

 

 そんなことを考えながら部屋へ戻ると――そこに居たのはタバサだけではなかった。

 

 何故かモンモランシーを除く仲間たち全員が彼の帰りを待っていたのだ。中でもルイズはがたがたと身体を震わせ、怯えたような目をして太公望を見つめている。その様は、まるで突然の夕立に打たれた子猫のようだ。

 

(しまった。子供相手に、つい昔の仲間内のノリで悪ふざけをし過ぎたかもしれぬ)

 

 太公望が反省しかけたその時だ、ルイズが口を開いたのは。

 

「わ、わた、わたし、た、た、たいへんなことを、わ、わ、忘れてて、あの、その」

 

 必死に言葉を紡ごうとするルイズだが、舌がもつれて上手く回らない様子だ。

 

「慌てず、まずは深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐くのだ。それを何度か繰り返すがよい。そうすれば、少し落ち着くであろう」

 

 苦笑いしながら促す太公望に従って、ぷはっと息を吐いたルイズ。それで多少はましになったのか、ルイズはぽつり、ぽつりと語り始めた。

 

「あ、あのね。わ、わたし、初めて〝念力〟が成功した日にね、嬉しくて、家に報告の手紙を送ったの――も、もちろん、話しちゃダメだって言われたことは、書いてないわ。でね、すぐに返事が届いたんだけど」

 

「ふむ、それで?」

 

「そこにね、夏休みに入ったら、協力してくれたおともだち全員とお世話になった先生方をヴァリエール家総出で歓待したいから、皆さんに話を通しておきなさいって書いてあったんだけど……」

 

「何か問題でも?」

 

 太公望以外の面々は既に事情を知っているのだろう。全員が、なんともいえない表情でルイズを見守っている。

 

「そ、その、えと、フクロウが飛んできたのが夜遅くだったから、次の日に話せばいいかなって思ってたんだけど、色々あって、つい、話すのを忘れてたのよ。そ、それでね、さっき、また伝書フクロウが書簡を運んで来たの。そこに、き、今日、ヴァリエール家からの使者が到着するって書いてあって……」

 

「……なるほどのう。それで、慌てて全員に報せて回っていたというわけか」

 

 コクリと小さく頷くルイズ。

 

「あとは先生方にお伝えすれば、ぎりぎり間に合うと思うんだけど。今の時間帯って、職員会議中だから生徒は職員室に入れないのよ。で、でもね、ミスタならたぶん……」

 

「わしなら、口八丁手八丁で潜り込めるやもしれぬと?」

 

「そ、その通りよ。うちからの使者が来る前に、何とか先生たちに話を……」

 

 わずかな希望に縋るルイズであったが、しかし。

 

「残念だが、その使者ならば既に到着しておる」

 

 まるで〝固定化〟の魔法でもかけられたかの如く硬直したルイズは、ギギギ……と、何年も油を差していなかった機械のようなぎこちなさで口を開き、問い返した。

 

「そ、そんな! う、嘘、よね?」

 

「ダァホ、こんなことでわざわざ嘘をついてどうする! ちなみにだがその使者は今、来客室で紅茶を飲んでおるはずだ。それも、ミルクと砂糖入りのやつを」

 

「どど、どうして、ミスタが、そそ、そんなことを、し、知っているの、かしら?」

 

 ふっと小さく息を吐き、疲れ切ったような顔をしながら太公望は呟いた。

 

「……おぬしの姉君に案内役を頼まれたからだ。それはもう、ものすごい剣幕で」

 

 太公望の言葉を聞いたルイズは、ピシリと凍り付いた。

 

「先に情報を受け取っておれば、わしとてもう少し案内の仕方を考えたのだがのう」

 

「みみ、ミスタの、ああ、案内の、し、仕方って、どどど、どんな?」

 

「できうる限りのことはしたぞ。いち貴族の従者として、恥ずかしくない程度には」

 

 ルイズは実家での姉の立ち居振る舞いを思い起こした。胸を張り、眼鏡の端を押さえながら使用人たちに指図する姿を。あれを『お客さま』相手にやらかしてしまったのか、我が姉は。しかもそれは、前もって客人に情報を伝えてあれば回避できたはずの惨劇だと悟ったルイズの顔から、ざあっと血の気が引いた――そして。

 

「イヤアァァア――――――ッ!!」

 

 とんでもなく大きなルイズの悲鳴が、部屋中に木霊した。だが、幸いなことにタバサが咄嗟に展開した〝消音〟のおかげで、寮塔中に響き渡るという惨事は未然に防がれた。

 

 それからしばし、部屋の中にはなんともいえない雰囲気が漂っていた……。

 

 

 ――数分後。

 

 お腹を押さえ、床に蹲ってしまったルイズを見て全員が首をかしげていた。確かに彼女の伝達忘れは大変礼儀を欠いた行動ではあるのだが、ここまで実姉に怯える理由がわからないのだ。

 

「ルイズの姉君は、そんなに怖いひとなのかい?」

 

 ギーシュの問いに、太公望は頬を掻きながら答えた。

 

「わしの印象では、そこまでとは思えぬ。確かにキツそうな娘ではあるが」

 

 それを聞いたルイズが、吐き出すように呟いた。

 

「ねね、姉さまだけじゃないのよ。もも、もしも、わたしが原因でお客さまに失礼な真似をしたと知れたら、とと、父さまも、か、母さまだってお許しくださらないわ」

 

 猛獣に狙われて竦んだ小動物のように怯え続けるルイズに、今度は才人が聞いた。

 

「なんだよ。お前の親ってそんなに厳しいの?」

 

「厳しいなんてもんじゃないわ。だって、わたし魔法ができなくて叱られる夢、未だに見るもの。にに、逃げ出すと、屋敷中の使用人たちが、み、みんなで、わ、わたしを追いかけきて、それで、み、見つかると、かか母さまの前に、つつ、連れて行かれて……」

 

 とうとうルイズは恐怖のあまり、精神が限界に達してしまったらしい。虚ろな瞳で宙を見上げ、何やらぶつぶつと呟きはじめた。どうやら幼い頃のトラウマが蘇ったようだ。

 

「まあ、今からでも()()の規模を抑える方法はなくもないが……」

 

 それを聞いたルイズの瞳に、僅かながら光が戻ってきた。

 

「それには、ここにいる全員の協力が必須となる。おぬしたちは……」

 

 太公望が最後まで言い終える前に、ルイズが割り込んできた。

 

「びなざん、おでがいじばず。だずげでぐだぢい」

 

 ぼろぼろと涙を零し、なんと鼻水まで垂れている。せっかくの美少女が台無しである。普段は何があろうとも毅然とした態度を崩さないルイズが恥も外聞もかなぐり捨てて頭を下げる姿を見た全員が、一も二もなく頷いた。

 

 太公望は全員の顔を見回すと、指示を飛ばした。

 

「もう時間がない! これから会談が終わるまでの間、全員わしの命令通りに動くのだ」

 

 了解の印に、頷く一同。

 

「まず、ルイズは急いで顔を洗って来い。そのままでは怪しまれる」

 

 大慌てで外へ駆け出すルイズ。

 

「キュルケ、タバサ。わしの前に、自分の部屋にあるありったけの紙……できれば10枚以上。ひとりあたり20枚あればそれで充分。大至急持ってくるのだ」

 

 その言葉を受けたふたりは即座に立ち上がって行動を開始した。

 

「才人は椅子を全員が向き合って座れるよう配置! その後、蓋を閉めた状態のインク壷を1つ用意するのだ! ギーシュは〝錬金〟でペン2本と紙を急ぎ作成してくれ。ああ、余力は残しておくのだぞ。ここで倒れてしまっては、後に響くからのう」

 

「了解した」

 

「任せとけ」

 

 太公望の命令通り、一斉に動き始めた者たち。それから約3分後――テーブルに着いた太公望の前に羊皮紙・計60枚と、羽根ペン2本。そしてインク壷が置かれ、メンバー全員が並べられた椅子に着席した。

 

 用意された羽根ペンのうち1本を手に取った太公望が、再び全員に指示を飛ばす。

 

「ルイズ。今からわしが行う質問にできるだけ詳しく答えるのだ。よいか?」

 

「わ、わかったわ」

 

「タバサ、才人、ギーシュの3名はその場で待機。キュルケよ、おぬしは少しだけドアを開けて外を見張り、誰かが使いにきたら、ルイズがいいと言うまで時間を稼いで引き留めておいてくれ。ルイズは、わしの合図でそれを行うのだ」

 

「わかった」

 

「了解」

 

「わかったわ」

 

「了解であります!」

 

 太公望のすぐ隣で彼の質問に答え続けるルイズ。しかし、太公望はルイズのほうを見ていない。一心不乱に、目の前の紙に文字を書き付けている。だが、驚くべきはその筆記速度だ。二言三言と言葉を交わす間に、1枚の羊皮紙全てが埋まってしまう。

 

「よし才人。そこに積み上げた書類の束を、ひと束ずつ全員に配ってくれ。ただし、いちばん手前にあるのはおぬしの席の前へ置くように」

 

「わかった」

 

 ……ちなみに、ここまでで約5分が経過している。

 

 才人の手によって全員に書類が行き渡ったのを確認した太公望は、再び命令を発した。

 

「皆の者、まずはそれを読みながら聞け。才人よ、おぬしはまだ字を習い始めたばかりなので、おぬしのものだけ可能なかぎり簡単な言葉で記述しておるが、読めるか?」

 

「な、なんとか大丈夫そう」

 

「わからないところがあったら即座に聞いてくれ」

 

 その言葉に「おう」と声を出して頷いた才人は、紙に記された文字に集中する。

 

「わしの第一印象と、今ルイズから聞いた内容を元に、これから行われるであろう会談に関する内容を、時間内で想定できうる範囲・タイプ別に分けた上でマニュアル化した。残りについても急いで纏めるので、それらを全て頭に叩き込め。よいな!」

 

 ……ここまでで、6分経過。

 

「記述内容への疑問や追加事項があったら即座に教えてくれ。他の者が何か発言している途中でも遠慮なく言ってくれてかまわぬ。ただし、どうやってここまで分析したのか等といった類の質問は会談終了後に受け付けるので今は禁止だ。以上!」

 

 真剣――いや必死の形相でマニュアルに目を通す参加者たちと、彼らと質疑応答を行いつつさらに書類を積み重ねていく太公望。

 

 それから15分ほどが経ち、全員がその内容をほぼ完璧に理解し、覚えたころ――学院長の使いとしてコルベールが現れた。もちろん、彼はすぐに部屋の中へ通された。

 

「さすが狸、いい仕事をする。コルベール殿、実はかくかくしかじかで……最後に」

 

「了解」

 

 太公望の簡単な指示を受けた後、即座に書類に目を落としたコルベール。その顔は、ほとんど別人のように引き締まっていた。

 

 学問方面における正真正銘の『天才』コルベールは、太公望がまとめた文書の内容を1分以内で全て暗記し終えると、窓を開けて懐から杖を取り出した。

 

 そして小声でルーンを唱え、蛇のような形をした炎を作り出すと――全員分の書類を一瞬で燃やし尽くした。部屋の中を一切焦がすことなく、灰すらも残さずに。

 

 あまりの早業に、生徒たちは仰天した。実戦経験が豊富なタバサですら、驚愕のあまり目を見開いている。生半可な腕では、間違ってもあんな真似はできない。並の火メイジが同じことをしようとした場合、壁を黒焦げにするか、カーテンに火が燃え移り、最悪火事になっていたことだろう。彼女はそう判断した。

 

 生徒たちは、あの温厚で変わり者として有名なコルベール先生が、まさかここまで見事な〝炎〟の使い手だったとは――と、呆然とした眼差しで見つめている。かたや太公望はというと、これがさも当然であるかのように振る舞っている。

 

「では、参りましょうか」

 

 表面には笑みこそ浮かんではいるが、その瞳の奥に宿すものは、温かみに満ちた普段のそれとはまるで別物。例えるならば、静かに――だが、より高温で燃える青き炎であった。しかし軽く眼鏡を直したコルベールは、その直後。いつもの見るからに温厚そうな『教師』に戻ると……全員に移動を促した上で、静かに学院長室へ向けて歩き出した。

 

 その後ろ姿を見た赤毛の娘の心に、ほんの少しだけ。ごくごくわずかな『微熱』が生じていたのだが……彼女はまだ、周囲にある『葛藤の炎』のせいで、それに気付いてはいなかった――。

 

 

○●○●○●○●

 

 ……それから数時間後の、現在。

 

「ほほう。『始祖の像』を作る研究……ですか」

 

 来客室では会食を終えた一同が、食後のワインを楽しみつつ、たわいのない会話を行っていた。場の雰囲気は、会食前の騒動が嘘であるかのように穏やかなものだった。

 

 ――今から2時間ほど前のこと。エレオノールはここ最近己の身に連続して降りかかる災厄に、危うく心が折れる寸前であった。

 

「『始祖』ブリミルよ。なぜ、あなたさまはこうもわたくしに試練を与え続けるのでしょうか」

 

 エレオノールはもしもそれが可能であるならば、今すぐアカデミーの研究室に駆け戻り、これまで作った『始祖』ブリミル像全てに向けて、そう問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。

 

 すぐ側に腰掛けている、相手の特徴をしっかりと伝えてこなかった末妹の頬を思いっきりつねりあげてやりたい衝動に駆られたが、しかし。使者としてこの場にいる以上、そんな真似ができようはずもなく。

 

 まさかだ。まさか……よりにもよって例の従者が、妹を系統に目覚めさせてくれた恩人にして、両親からくれぐれも失礼のないようにと申し伝えられていた『お客さま』のひとりだなどとは思いもよらなかったのだ。

 

 しかも、彼の主人は深い水底のような蒼い髪をしていた。御年27歳、それなりに社交界にも通じ、数年前にラグドリアン湖で開催された、各国の王族が集う園遊会にも出席しているエレオノールはすぐさまタバサの出自を察し、青くなった。

 

 『タバサ』という名前は、本来犬や猫などの愛玩動物や人形などに与えるものであって、人間につけることはない。であればこそ、ほぼ間違いなく偽名だろう。

 

 身分と名を隠し異国へ留学。それに加えて特徴的な蒼い髪――彼女は、ガリア王家に連なる人物だ。現在の状況から判断するに、もしかすると先代か現国王陛下のご落胤かもしれない。

 

 慌てて太公望とその主人であるタバサに謝罪しようとしたエレオノールだったが、彼ら主従は笑顔でそれを制した。

 

「わたしがエレオノール殿と同じ立場だったとしたら同様にしていたかもしれません。ですので、そのように恐縮なさらないでください」

 

「主人の申す通りです。エレオノールさまはこの学院の卒業生と伺っております。妹君と同じか、それ以下の後輩に見える相手に案内をさせるのは、ごくごく当たり前のことではありませんか?」

 

 エレオノールは、彼らが言外に匂わす主張を即座に察した。

 

(なるほど、そういうことにしようと提案してくれているわけね。やはり、彼は頭の回転が速い子だわ。その主人である目の前の少女も。ならば、有り難くその好意に乗らせてもらいましょう)

 

「全くお恥ずかしい限りですわ。ですが、そのように仰って頂いて感謝致します。タバサさまは、とても良い従者殿に恵まれましたわね。彼の案内は、まさしく完璧でしたわ。わたくしだけではなく、連れの者たちにまで細かい配慮をしてくれました。あれほど気の利く者は我がヴァリエール家の家臣団にもおりません」

 

 会談開始当初よりもいくぶん柔らかくなった表情で、エレオノールは改めて礼を述べると、急いで使者としての役割に取りかかった。

 

「お嬢さまだけでなく、わたくしのような者にまでそのようなご配慮を頂けるとは。光栄の極みです」

 

「あなたは理由のわからない失敗にずっと苦しんでいた妹を救ってくださったのです。このくらいはトリステインの貴族として……いえ、家族として当然の礼儀ですわ」

 

 それからエレオノールは、改めて彼らの今後の予定について確認した。その質問に太公望は懐から予定表を取り出し、さっと目を通すと――視線をエレオノールに戻し、淀みなく答えた。

 

「アンスールの月フレイヤの週と、第3週から第4週については、1ヶ月前からどうしても外すことができない予定が入っておりまして……妹君に、前もってそれをお伝えしておくことを失念しており、誠に申し訳ございません。ヘイムダルの週でしたらこれといって用事はございませんが」

 

「いえ、あくまでこちらとしましては、お招きする皆さまのご都合に合わせたいと考えておりますので。オールド・オスマンと、ミスタ・コルベールのご予定と、お友達の皆さんについてはいかがですの?」

 

「わしは特に問題ないぞい」

 

「私も、これといった予定は入っておりませんです、はい」

 

 ルイズの『おともだち』も、全員「問題ありません! お招き感謝致します」と輝かんばかりの笑顔で答えた。やや声が震えているのは大貴族の屋敷へ招かれることに対する緊張だろうか。エレオノールは目の前にいた子供たちが、なんだか少し可愛らしく思えた。

 

(わたくしにも、このような時期があったのよね――)

 

 軽く咳払いをすると、エレオノールは再度確認の作業に入る。

 

「左様ですか。では、ヘイムダルの週・ユルの曜日から当方へおいでいただく形でよろしいでしょうか? もちろん全員分の竜籠を出させて頂きます。わずか数日の歓待となってしまい申し訳ございませんが」

 

「とんでもありません、こちらこそ恐縮です」

 

 ――今後の予定と参加人数(もちろん才人も含まれる)が決まったということで、客室内にて小規模ながら晩餐会が開かれる運びとなった。

 

 コース料理の全てが出揃い、最後にデザートを……といった辺りで、太公望がハルケギニアのメイジたちにとって非常に興味深いことを言い出したのだ。

 

「いやはや、こちらに来てから本当に驚きました。魔法体系は似通っているのにハルケギニア――ロバ・アル・カリイエ諸王国から見て西側のため、以後『西方』とさせていただきますが……互いに存在する魔法とそうでないものがあり、大変興味深いです。その最たるものが〝錬金〟ですな」

 

 この発言に最も食いついたのはエレオノールだ。それはある意味当然である。なにしろ彼女は、優秀な土系統のメイジであり〝錬金〟を最も得意とする王立アカデミーの主席研究員なのだから。もちろん他の系統に属する出席者たちも、見事に釣られたという意味では同様だ。

 

 ……ちなみに現在、才人だけはエレオノールの付き人たちとは別の控え室で待機しつつ、豪華な料理に舌鼓をうっている。これはもちろん太公望の指示によるものだ。

 

「まあ! 東方には〝錬金〟がありませんの!?」

 

「それは驚きですぞ!」

 

「そうだったんですか!?」

 

「それは知らなかった」

 

「はい、ですから初めて実物を拝見したときには本当に驚きました。このようなことが可能であったのかと」

 

 さも驚いた! といった顔で答える太公望。

 

「ところで……失礼ですが、エレオノール殿は優秀な土系統のメイジであると妹君から伺っております。王立アカデミーでの研究ですし、そう簡単に開示できるものではないとは重々承知しております。ですが、もしも差し支えが無いようであれば、現在なさっておられる研究内容について、是非ともお話を聞かせては頂けないでしょうか?」

 

 ゆっくりとワイングラスを傾けながら、太公望は語り続けた。

 

「実は、妹君も姉上のお仕事に興味があったようですが、わたくしと同様にアカデミーの研究内容を聞き出すのは姉に迷惑がかかるかもしれない――そう考え、遠慮していたらしいのですよ。それだけに、失礼ですが……余計に気になりまして。知的好奇心が強いというのはこういった時に問題がありますな」

 

 ……で、冒頭のやりとりに繋がるのである。

 

 『始祖の像』を作る研究。

 

 そもそも、このハルケギニアにおいて『始祖』の御姿を描写するという行為は、大変畏れ多いことだとされている。よってブリミル教の寺院などに置かれている礼拝用の始祖像は、

 

『両手を前に突き出した人型のシルエット』

 

 ……という非常に曖昧な形をしている。

 

 よって、像自体の形状に関しては、このシンプルな表現のみを用いなければいけない。この制約の中で、いかにして『始祖』ブリミルの偉大さを感じ取らせることができるか。

 

 エレオノールはこの難しいながらも遣り甲斐のある課題に、全身全霊を傾けてきた。そして彼女はこの仕事に誇りを持っていた。だが、同僚たちはおろか、彼――元婚約者であるバーガンディ伯爵にどれほどこの研究が大切なものだと訴えても、ついに最後まで理解してもらえなかった。

 

「え、ええ……ミスタには、取るに足らない研究内容かと思いますけれど」

 

 これがどんなに素晴らしく、かつ大変意義のある研究であるのか、誰もわかってくれない。エレオノールはその思いだけはかろうじて内心へ隠し、そう答えた。

 

 だが太公望は、ある意味エレオノールにとって予想外の返答をしてきた。

 

「いや、それはとても重要な研究なのではありませんか?」

 

 エレオノールの片眉がぴくりと動いた。

 

「それは……どうしてそのように思われましたの?」

 

 エレオノールの問いに、太公望は笑顔で答えた。

 

「つまりですな。『始祖』の偉大さを、多くのひとびと……それも、遠い後の世にまで、可能な限り伝えるための研究だと判断したからです」

 

 そう告げて、さらに言葉を続ける太公望。

 

「たとえば書物に残そうとした場合、字が読めなければなりません。言葉や歌でも、耳が聞こえなければ伝わりません。ですが……『像』という形あるものにすることにより、誰でも『始祖』の御姿に触れ、触覚によってそれが実体あるもの……つまり『始祖』の偉大さを己が身で感じることができると。そういうことではないのですか?」

 

 太公望の説明を聞いたオスマン氏が、自分なりの意見を述べた。

 

「しかも、大きさによっては常に持ち歩くことすら可能になるのではないかね。『始祖』の像を側に置くことで、その慈愛を身近に感じることができる。ふむ、素晴らしいことじゃ」

 

 さらに部下のコルベールが後に続いた。

 

「その他にも、燭台の炎を上手く配置して像に光を当てる角度を調整すれば……『見える者』たちに対してより『始祖』の存在感を示すことが可能となりますぞ。エレオノール女史が行われている研究とは、つまりそういう類のものなのですな?」

 

 彼らの発言に、居並んだ生徒たちは皆顔を輝かせ「確かに素晴らしい研究です!」とエレオノールを褒め称え、拍手を送った。

 

 エレオノールは驚いた。実際彼女は、そういった理由で今まで努力を続けてきたのだ。

 

 全てのひとびとに『始祖』ブリミルの偉大さ、素晴らしさを伝えるために。だが、これと似たような話をして説明しても理解を得ることは難しかった。しかも、最近ではアカデミーの最高評議会での受けも悪く、年々研究予算を削られてゆくばかり。

 

 ところがこの東方から来た少年は、すぐさま自分の研究における本質を見抜いた。さらに、ここにいる者たち全員が彼の話を聞いただけでそれを理解し、評価してくれた。

 

 ……ふと、エレオノールが自分のかたわらに座っていた妹を見遣ると、ルイズは何故か顔を赤らめて俯いてしまっている。

 

『エレオノール姉さまは、わたしの自慢の姉さまなのよ』

 

 太公望から聞いた末妹の言葉を思い出したエレオノールは

 

(おちびは――この妹は、わたくしの研究内容をきちんと理解した上で、わたくしが褒められたことを喜び、照れているのだわ)

 

 そう解釈した。

 

 ――エレオノールの、ルイズに対する評価がさらにアップ。そして、件の従者殿とその主人に教師2名、ルイズの友人たちに対するそれも同様に上昇した。

 

 そして内心感謝した。彼らが〝力〟を合わせて、わたくしの大切な妹を救ってくれたのだ。これは、相当気合いを入れて歓待せねばなるまい。だが、その前に。

 

「ところでルイズ。よかったら、練習の成果を見せてもらえないかしら?」

 

 エレオノールはそう言って目の前にある空のワイングラスを指差すと、妹を促した。

 

 その言葉にルイズはすぐさま杖を取り出し、小声で、かつ素早く呪文を完成させる。すると……テーブル脇に置かれていたワインボトルがすいと浮かび上がり、エレオノールのグラスに赤い液体を注ぎ込んだ。まるで、専門のソムリエが行うかのごとく、実に優雅な動きで。

 

「まあ。こんなに〝浮遊〟(レビテーション)が上手に扱えるだなんて! 想像以上だわ」

 

「あ、その……姉さま、みんなが、いろいろと、教えてくれたから」

 

 そう言って再び顔を赤くした妹は……なんだか、以前よりも大人びて見えた。

 

(自分の努力よりも周囲の協力を強調するだなんて、この子も成長したものね)

 

 エレオノールには、それがとても嬉しかった。

 

 その後、歓談は『東方』と『西方』の魔法の違いについて大いに盛り上がり、研究者としての血が激しく騒いだエレオノールは、普段の彼女からは想像もつかないほど饒舌で、かつ非常に機嫌が良かった。彼女の笑顔は、まさしく輝いていた。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――それから約5時間後。

 

 なんと全員が想像以上に魔法の話題で盛り上がり、滞在予定時間を大幅に過ぎてしまったばかりか、これから戻るには遅すぎる時間帯になってしまった。

 

「エレオノール君。もし君さえよければ、来客用の宿泊設備がある。または、ひさしぶりに可愛い妹と同じ部屋で一緒に夜を過ごしてみてはどうかね?」

 

 オスマン氏の勧めに、エレオノールは甘えさせてもらうことにした。久々に会った妹とは、まだまだ話し足りないと思っていたから。もちろんお説教をするつもりなどなく――これまでの学院生活や、魔法の練習方法などについて詳しく聞きたかったのだ。

 

「では、ありがたくそうさせていただきますわ。ルイズ、久しぶりにわたくしと一緒に寝ましょうか」

 

「ええっ! そ、そんな、この歳になってまで姉さまとだなんて……恥ずかしいですわ」

 

 そう言ってもじもじと手を動かす妹は、なんだかいつも以上に愛おしかった。

 

 そうこうしている間に、学院長が使用人のひとりを呼び出し、何事かを指示していた。どうやら明日の朝食について話をしているらしい。

 

「さすがにそこまでは……」

 

 そう遠慮したエレオノールであったが、

 

「ここまで引き留めてしまったのはわしら一同じゃからの」

 

 と、オスマン氏はにこやかに応じた。

 

 そして部屋から出ようとした直後。ノックの音と共に声が聞こえてきた。

 

「失礼致します。お客様方の護衛に参りました」

 

 扉を開けると――そこには、整った……それでいて清潔な服に身を包み、腰にレイピアを下げた黒髪の少年が佇んでいた。

 

「ご苦労。では、こちらにおわすエレオノールさまとルイズお嬢さまを部屋までお送りしてくれ。その後、こちらへ戻ってくるのだ。今夜は部屋の前で番をするには及ばない」

 

 エレオノールは太公望の言葉に仰天した。平民の護衛!? しかも話を聞く限りでは、毎日ルイズの部屋の前で警護をしているらしい。

 

 そんな彼女の疑問に答えるべく、太公望は笑顔で告げた。

 

「彼はわたくしと共にこの地を訪れた者でしてな。魔法は使えませんが、武芸に秀でております。実際『ライン』程度のメイジでは相当な実戦経験がない限り、まず勝てないでしょうな」

 

 自慢げに胸をそらす太公望にエレオノールは驚きを露わにした。まさか、こんな子供が〝メイジ殺し〟だというのか。いや、それよりも――。

 

「あの、どうしてわざわざルイズの護衛など……?」

 

「実は、よく個人的に手紙を送る関係上、妹君の使い魔を時折お借りしておりましてな。その礼を兼ねて、ルイズ嬢から使い魔をお借りしている間、護衛をさせておるのですよ。『目』『耳』にして『盾』たるものを使わせて頂いているわけですから」

 

 その解答に、エレオノールは感心した。本当に気が利くわね……この子。それに、ルイズの使い魔はフクロウだったのね。確かに風系統らしいわ。ほっと息を吐き、エレオノールは太公望に微笑みかけた。

 

「過分な礼を尽くして頂いて感謝します。それにしても、あなたはまだルイズと同じ年頃なのに、よくぞここまで気が回るものですね。驚きましたわ」

 

 これはエレオノールにとって、最大級と言っていい程の賛辞だった。しかし……その言葉に、なんだか目の前の少年の表情が陰ったような気がするのは何故だろう。

 

「あ、あの……姉さま?」

 

「どうかしたの? ルイズ」

 

「えっと、ミスタ・タイコーボーは、その……今年、27歳で」

 

 目を見開いて、己の妹と目の前の『少年』を何度も見返すエレオノール。

 

「いや、よいのです。子供扱いされることにはもう慣れておりますゆえ。これまで何度も、繰り返し皆さまには申し上げておりますが、これは〝変相〟(フェイス・チェンジ)ではなく素顔ですので念のため……」

 

 ハハハ……と力なく笑う少年――いや、彼は自分と同い年の男性で、妹ルイズを導いてくれた優秀な風のメイジ。その上、今までなかなか理解を得られなかった自分の研究に対する価値を即座に見抜いた識者だ。エレオノールの顔に、羞恥で血が上った。

 

 ――数秒後。

 

「おちび! どうしてそれを先に伝えて寄越さなかったの!!」

 

「いでででで、あでざば、ごべんなざい……わるがっだでずゆるじでぐだざあ」

 

 まだ全員がその場に残っていたにも関わらず、ルイズの頬が豪快につねり上げられたのは……ある意味当然の流れだったのかもしれない――。

 

 

 




エレ姉様が独神とか言われているのは理想が高すぎるからなんや!
このへんの事情は、もうちょっとしたら出てくる予定です。
あくまで、独自解釈ですが。

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