――妙に味つけの薄い料理が並べられた晩餐会が済んだ後。
太公望は従者用としてあてがわれた部屋には向かわず、まっすぐにタバサの部屋――彼女は花壇騎士だということで立派な客間兼寝室に通されていた――へ出向いていた。当然、明日の作戦会議を開くためである。
タバサとふたり、コボルドの習性その他について改めて復習をしていたその時、ふいにコツコツと扉をノックする音が聞こえてきた。
「誰?」
タバサが問うと、しわがれた声が響いた。
「わしです」
ユルバンの声だった。タバサが頷いたのを見た太公望が扉を開けると――そこには平服に着替えた老戦士が立っていた。
自分を部屋へ招き入れた者が、訪問相手であった騎士の少女ではなく従者の少年だったことに驚いたような顔をしたユルバンだったが、奥にタバサの姿を確認すると、神妙な顔をして彼女の側へと歩み寄ってゆく。それから、無言のまま自分を見つめているタバサの前に片膝をついた。
「お頼み申す! どうか! どうかわしも明日の討伐に連れて行ってくだされ!!」
「そのつもり」
「そこを曲げてお願い申し上げ……………え?」
「あなたを連れて行くと言っている」
一瞬自分の耳を疑ったユルバンだったが、タバサが再度放った言葉を受け、聞き間違いではなかったのだと喜色を露わにした。
「ま、まことでございますか! ありがたい、深くお礼申し上げる!!」
時代がかった仕草でぺこぺことお辞儀をするユルバン老人に、タバサはポツリと事実を告げた。
「感謝する相手が違う」
「む……? それはどういう意味ですかな?」
「わたしは反対だった。あなたを連れて行くと決めたのは、彼の進言によるもの」
そう言って、騎士の少女は従者に視線を向ける。
「お嬢さま! 年長者に対する礼を欠くなど、貴族にあるまじき振る舞いですぞ」
扉の側から近寄ってきた年若い従者をまじまじと見つめながら、ユルバンは考えた。
(この少年がわしを連れて行ったほうがよいと進言してくれたとは、一体どういうことであろう? 主人とはさほど年齢も離れていないように思えるが……)
老戦士の思いとは裏腹に、主従の会話は続いていく。
「何度も申しておりますでしょうが! ロドバルド男爵夫人より詳しく伺っております。ユルバン殿は長きにわたってこの村を守り続けてきた、歴戦の勇士だと」
「だから?」
「なればこそ、村周辺の地形にも詳しいはず。間違いなく討伐の助けになってくださるでしょう。それに、どうぞよくご覧くだされ! ご老体とは思えぬ引き締まった肉体! これぞ日々の鍛錬を欠かしておらぬ証拠ですぞ」
「……」
「お嬢さま?」
「わたしは、あなたを討伐任務の大先輩として信頼している。そのあなたが勧めるからユルバンを連れて行くと決めただけ」
「ですからその態度は無礼だと……おお、これは失礼したユルバン殿。そういうわけで、是非とも貴殿の力をお借りしたい。実はこちらから出向いて依頼する心づもりでおりましたが、わざわざお越しいただけるとは、感謝いたす」
呆然としていたユルバンを尻目に寸劇を繰り広げていた主従の片割れ――太公望がぺこりと頭を下げる。ユルバンも、つられて礼を返す。
「ユルバン殿。ご覧の通り、お嬢さまはまだお若い。当然のことながら、妖魔討伐の経験も少のうございます。そのため、今回は普段討伐任務を請け負う家臣団の中から、比較的年の近いわたくしが守役として供につけられましてのう」
「過保護」
「お嬢さまは少し黙っていてください! と、まあそういう事情でしてな。村の大事にこのような編成でもって挑むなど、失礼なこととは承知の上ですが……」
と、心底申し訳なさそうな表情でユルバンに語る太公望。
「なに。わたくしはこう見えても領内ではそれなりに知られた〝風〟の使い手。盗賊退治や妖魔討伐で小隊指揮の経験も積んでおります。若輩者ゆえにご不安かと思われますが、そのへんのちゃらちゃらしたボンクラ貴族共には決して後れをとったりはしませぬぞ」
ユルバンは仰天した。まさかこの若さで小隊指揮(小隊=30~50人程度の兵員を有する部隊)の経験者とは。たとえそれが話半分だとしても、自分の身体を観察し、毎日鍛錬を積んでいると見て取った眼力から察するに、それなりの実力を持ったメイジであるのは間違いない。
「ロドバルド男爵夫人には、既に随伴の許可をいただいております。アンブランの守りの要であるユルバン殿が村を離れることを、いたく心配しておられましたが……なに、我ら全員でかかれば、コボルド討伐などあっという間に終わります。さすれば、すぐにでも奥様の不安を取り除いてさしあげることができましょうぞ!」
それを聞いたユルバンは目を見開いた。
(なんと、男爵夫人の了解まで取り付けておるとは!)
ユルバンは驚きを隠せなかった。なんと手回しのよい従者であろう。そして、これまでいくら男爵夫人に申し出てもコボルド退治の許可をもらえなかった理由についても納得した。
「左様ですか。奥様がそのようなことを……」
目頭が熱くなる。
(奥様は、村の守人たるわしが持ち場を離れてしまうことに不安を覚えておられたのか。わしの腕について疑われていたわけではない。戦士としてのわしを信頼してくださっていたからこそ、村にいてもらいたかったのか!)
「期待を裏切ってしまったこのわしを……奥様は、それでもなお信じてくだすっていたのか」
思わず漏らした言葉は、従者の少年に拾われた。
「ユルバン殿、どうされましたかな?」
「あ、いや! なんでもござらん! 喜んでお供させていただきましょう」
ユルバンは感激したと同時に、この若者がいたく気に入った。いち貴族の従者とはいえ、メイジであるにも関わらず、平民の自分を全く卑下していない。それどころか年配の戦士としての経験に期待してくれている。だから――太公望が差し出した手を迷わず握った。
「して、これから作戦会議というところですかな?」
「その通り。この周辺の地図と……可能であれば、コボルド共の巣になった廃坑の絵図面などがあるとありがたいのですが」
それを聞いたユルバンは、我が意を得たといわんばかりに胸を叩いた。
「お任せくだされ。このあたりの山、そしてあの廃坑については何度も調査しておりますれば」
「助かります。ところで、念のために確認しておきたいのですが」
「なんでござろう?」
「もしや、例の廃坑には以前にも魔物が棲み着いたことがあるのでは?」
顔を強張らせたユルバンは、しばし逡巡した後に堅い声で答えた。
「かなり昔の話でござるが、今回と同じようにコボルドがあの廃坑を拠点に村へ攻め込んできたことがあり申した。そのときは奥様のお力添えにてどうにか乗り切れたのですが……」
「ふむ」
「わしはこのアンブランを守る戦士でござる。二度とあのときのような……! と、これは申し訳ござらん、すぐに地図を持って参ります」
逃げるように部屋を出て行ったユルバンの後ろ姿を見送ったタバサは、ポツリと零す。
「……本当に口が上手い」
「ふふん、あれだけ言っておけば単独討伐に出たりなどしないであろう」
同じく小声で返した太公望。
「それに――」
「それに?」
彼はしたり顔で続ける。
「かの御仁が任務の助けになるのも間違いのない事実だ。しかし、タバサの演技もなかなかのものであったのう」
「あなたの影響」
「存分に誇ってよいぞ」
「遠慮したい」
「しかし、このぶんではコボルドとの交渉は無理だのう」
唐突に飛び出した発言にタバサは呆れた。妖魔相手に本気で情けをかけるつもりなのか。
「昔な、人食いの妖魔と何度か交渉して人間を襲うのを止めさせたことがあるのだ」
タバサの表情がピシリと固まる。
「全部が成功したわけではないが、人間しか喰えないという一部の例外を除いてどうにかなった。たとえばとある肉食の妖魔と交渉し、毎日肉か魚を提供する代わりに、人間の〝力〟ではできないような仕事……崖崩れでふさがった道を直してもらうとか、長命ゆえに蓄積されてきた知恵を借りるといった交換条件を持ちかけたのだ」
「どうなったの?」
「ここへ来る少し前に様子を見に行ったが、妖魔と人間の子供が一緒になって遊んでおった。親世代はともかく、少なくともあの子供たちは人間を食うことはなかろう」
「そうできれば素敵。でも」
「わかっておる。わしは妖魔とはいえ言葉を交わすことができる相手にいきなり攻撃を仕掛けるなどという真似はしたくない。単独先行して話を済ませてこようかとも考えていたのだが……ここでは無理だと痛感しておる」
小さく首を傾げるタバサ。彼女としては、太公望がコボルド討伐に納得してくれるのならばそれでいいのだが、どうして無理だと断言したのかが気にかかったのだ。
「先ほど伺った男爵夫人の話や、廃坑についてユルバン殿に尋ねたときの反応を見る限り、この村では交渉の余地はなかろう。後から棲み着いたということは別の群れなのだろうが、それでも既に一度決裂しておる。それに――ふたりとも、どうやらコボルドという種族に対して強いこだわりがあるように感じられる」
さらに、太公望は言葉には出さず内心で続けた。ここは崑崙山や蓬莱島のバックアップが望める
ここでそれをやろうとした場合、単純に住処の移動を求めることになる。だが、コボルドが再びこの地へ舞い戻り、アンブランを襲撃しないという保証はないし、防ぐ手立てもない。助けてくれる人手も足りない。何より、太公望はハルケギニアのことを全くといっていいほど知らない。
――理想に燃えていた若い頃ならばいざ知らず、さまざまな挫折と経験を積んできた太公望には厳しい現実との折り合いをつけるだけの分別が備わっていた。伏羲としての残滓の影響もある。本人としては不本意だったが、最善ではなく次善を選ぶことにしたのだ。
腕組みしながら何やら考え込んでいる太公望にタバサは声をかけた。妖魔相手に交渉のテーブルについたという話以上に聞いておかなければならないことがあったからだ。
「小隊指揮の経験があるというのは真実?」
こんな甘い人物が部隊を率いたなんて絶対に嘘だ。そう考えたのだが。
「軍を率いたこともあるぞ」
「……本当に?」
「さあどうかのう……ニョホホホホホ」
――その後、一抱えほどもある絵図面と地図を持って客間へ戻ってきたユルバン老人が真っ先に見たものは。
椅子に腰掛け、茶請けにと出された菓子をポリポリと無心に囓り続けている少女と、その横に立て掛けられた長い杖。そのすぐ隣で、何故か頭を押さえてうずくまっている少年の姿であった。
○●○●○●○●
――それから少しの間を置いて。
「なるほど、山の中腹にある木枠で囲まれた穴が出入り口。換気口兼避難用の細い洞穴がやや斜め上方向に向かって1箇所伸びており、廃坑内部は人工の坑道と、一部鍾乳洞。先の2箇所以外には外に出るための道はない、か」
ロドバルド男爵夫人宅の客間では、ユルバンが持ち込んだ絵図面を元にコボルド討伐のための作戦会議が開かれていた。
「入口はそれなりに広いですが、洞穴のほうは大人ひとりが通るのがせいぜいといったところでござる。見張りは入り口のほうには常に置かれておりますが、洞穴のほうは出入りに使われること自体が滅多にありませぬから、まず何もおりませぬ」
老戦士の言葉に頷く太公望。身分はタバサのほうが上だが、今回は小隊指揮経験者の彼が取り纏めと実際の指揮を行うということで全員の意見が一致している。
「念のため、見張りがいることを前提に考えておいたほうがよいでしょうな。さて、この地形を見てどう思われますかな? お嬢さま」
「火で燻す」
「と、申しますと?」
一言で黙ってしまったタバサをユルバンが促す。少女はそれに応え、再び口を開いた。
「まず風竜で上空から〝遠見〟。洞穴近辺に見張りがいないかどうか確かめた後、いなければ入り口に戻ってそこの見張りを倒す。それから入り口の前で火を焚いて煙で燻せば、残りのコボルドは洞穴側に逃げる」
「ふむ、なるほど」
納得したユルバンの横で、絵図面を睨んでいた太公望が付け加える。
「火で燻すという案は悪くない……が、敵が両方に分散する可能性がありますのう。ユルバン殿、入り口付近は、確か森になっていましたな?」
「ええ」
「では、そこの木を20本ほど切り倒して、その一部で入り口を塞いだ上で燃やしてもよろしいですか? 延焼はしっかり防ぎますゆえ」
さらっととんでもないことを口走った太公望に、ふたりの視線が集中する。
「何か問題が?」
「廃坑だから塞ぐのも、山火事さえ起こらなければ燃やすのも構いませぬが」
「そこまでやったら〝精神力〟がもたない」
「ああ、言われてみればその通りですのう」
気の抜けたようなその答えに、思わずズッコケたタバサとユルバン。だが、真の衝撃はこれからだった。
「タバサ……お嬢さま、わたくしが木を切り倒して入り口を塞ぎますゆえ、そのあと上に積もった木の葉を〝錬金〟で油に変えてもらえますかのう? それなら、あとの仕事はわたくしひとりでもやれますので」
いや、問題はそこじゃない。タバサとユルバンは突っ込んだ。
「あなたは〝火〟の魔法を扱えないはず」
「単に火をつけるだけなら、油の上に松明でも投げればよかろう?」
まずはタバサが固まった。
「枯れ木ではなく、生木ではまともに燃えませぬぞ? よしんば火がうまくついても、山風に煽られて火事になる恐れがあるのではないかと」
「生木のほうが煙が出やすいし、風を操ってうまく燃えるよう調節すれば問題ない。風向きもだ」
続いてユルバンも硬直した。
「あなたには、それができるの?」
確認するタバサに。
「できぬなら、間違ってもそんな提案せんわ!」
叩き付けるように断言した太公望。会議の場は静寂に包まれた。
――約1分後。
ふたりが再起動したのを見計らって、太公望が言葉を出す。
「とはいえ、さすがのわたくしでもそこまでが限界。つまり、洞穴側から脱出してくるコボルドを成敗するのはおふたりに担当してもらうことになります」
その話を聞いて、タバサとユルバンのふたりはようやく立ち直った。そして、穴から出てくるコボルドをタバサが物陰から
○●○●○●○●
――翌日、昼過ぎ。
風竜に跨って村を出発した3人は、当初の予定通り上空から洞穴側の偵察を行い、その出口近辺にコボルドがいないことを確認すると、中腹の入り口に注目した。
「では打ち合わせ通り、わたくしが木を切り倒して入り口を塞いだら、お嬢さまは〝飛翔〟で降りてきて木の葉を油に〝錬金〟。その後風竜に戻る。ユルバンどのは上空で待機。お嬢さまが合流したら、ふたりは洞穴の前へ移動……以上よろしいか?」
「了解」
「承知した」
ふたりの返事を確認した太公望は、視線を廃坑入り口へ向ける。
「見張りは2体……か。ではひとつ、わしの実力をお見せしよう」
ニヤリと笑った太公望は懐に手を入れた。
「この『打神鞭』も活躍を望んでおる!!」
そして左手に『打神鞭』を、右手にまだ火のついていない松明を持った太公望は、くわわっ! と目を見開き、高らかに名乗りを上げる。
「わき上がれ天! 轟けマグマ!! 炎の男爵太公望まいる!!!」
風竜から地上へ飛び降りた太公望を見送るタバサとユルバン。すると、次の瞬間。眼下に巨大な竜巻が出現した。
「
『打神鞭』を繰り、入口前の木立を吹き飛ばす規模の竜巻を作り出した太公望は、そのまま空中で風を操作しつつ、舞い上げた木を廃坑前に積み上げてゆく。
……ちなみに、見張りのコボルド2体は最初の竜巻で空の星となった。
そして風が止んだ後――廃坑前の森は広場になっており。入り口の前には、綺麗に倒木が積み上がっていた。
「やりすぎ」
風が収まった直後〝飛翔〟で広場へと舞い降りてきたタバサは、同じく広場に立っていた太公望へ一言物申すと、手早く〝錬金〟で油を作り出してゆく。それを見ていた太公望は、急いで松明に火を灯す。
「よし、あとはわしに任せておぬしは反対側を頼む」
「本当に大丈夫?」
あなたは〝火〟を扱うのが苦手だと言っていたのに。そう尋ねるタバサに、太公望は顔中に自信ありげな笑みを浮かべて答える。
「確かに、わしには〝火〟メイジのような真似はできぬ。だがのう、できないのなら無理をせず、他のやりかたで補えばよいのだ!」
危ないから離れろ。そうタバサへ警告した太公望は、自らも空中へ舞い上がり、積木の山から距離を置く。
「行けっ、ファイヤ――――!!!!!!」
かけ声と共に、松明を放り投げた太公望が『打神鞭』を振るう。すると、放物線を描いて飛んでいった松明の火が突如大きくなり――先端から巻き起こった風が炎を纏う。まさしく炎の竜巻と呼んで差し支えないそれは積木に向けてまっすぐに向かっていき……そこへ燃え移った途端、爆炎となって激しく燃え盛った。
「あれだけの炎が上がっておるのに、火も、煙もまるで生きておるように廃坑へ吸い込まれて……こちらへも、外側へも全く流れて来ない。いやはや『炎の男爵』を名乗られるだけのことはありますのう。騎士殿が信頼するのも道理ですわい」
戻ってきたタバサへ向けて、ユルバンは呆然と呟いた。
「あれでは、廃坑の中のコボルドどもは全て蒸し焼きになっているのでは?」
そんな老戦士ユルバンの呟きを背に、洞穴へ向けて風竜を駆るタバサは杖をギリギリと固く握り締め……決意を新たにしていた。
(この任務が無事終わったら、彼から聞くべきことが山ほどある――)
……と。
○●○●○●○●
――洞穴側での仕事は、驚くほど簡単な作業だった。
煙で燻され、熱にやられ、ただひたすらに新鮮な空気を求めて外へ出てくるコボルドたちを、タバサは〝氷の矢〟で淡々と屠っていく。ごくごく稀に一撃で仕留めきれなかったこともあったが、それらは全て、ユルバンの槍の錆となった。
そんな単純作業が30分ほど続いた頃――洞穴の奥から、くぐもった……それでいて恨みがましい声が聞こえてきた。
「ゴフ……おの……れ……ゴホッ……おのれ……」
「まさか」
「中に人がおったじゃと!?」
そんなはずはない。ここへ来る前に村人たちに欠員がないかどうか、旅人などの往来があったかどうかをしっかりと確認してきている。タバサとユルバンは思わず顔を見合わせ、洞穴の奥から出てくる者に注目した。
それは、奇妙ななりをしたコボルドだった。獣の骨でできた仮面を被り、鳥の羽を束ねて造られた髪飾りをつけ、どす黒い――おそらく獣か何かの血で染めたのであろう、不気味なローブを身に纏っていた。
「コボルド・シャーマン!?」
タバサは思わず息を飲んだ。
コボルド・シャーマンとは、人間やエルフとは異なる独自の神を崇める、コボルド族の神官だ。人語を解し、強力な先住の魔法――人間が使う系統魔法とは異なり、場の精霊と契約することで行使可能となる奇跡を操る存在。彼らは高い知能を持ち、コボルド族の頂点に立つ者でもある。おそらくは、この廃坑に住み着いた群れを率いる長であろう。
「メイジめ……ゴホッ、けちな魔法を操る毛無しザルめ……よくも我が悲願を……20年かけて、再びこの地を訪れた……それを……!」
その一言にユルバンが劇的な反応を示す。
「20年前じゃと!? まさか……!!」
「あの時も……ゲホッ! 忌々しい〝土〟メイジに……宝を奪おうとした我らの試みを阻まれた。許さぬぞ、許さぬぞ、人間め……!!」
コボルド・シャーマンが杖を振り上げた、次の瞬間。裂帛の如き気迫を込めた叫びと共に突き出されたユルバン老人の槍が――一撃で神官の急所を貫いた。
それが、この地を混沌に陥れようとしていたコボルドの群れの最期であった。
――目的を果たした一行は、竜に跨がりアンブランへと帰還する。
「20年前――わしは、大変な失態を犯したのです」
村へ戻る道すがら、ユルバンは過去の罪を告白した。
かつて、コボルドの群れがアンブランの村を襲ったときのことだ。ユルバンは、門の守護者として、ロドバルド男爵夫人の盾として犬顔の亜人たちの前に立ちはだかったのだが――。
「わしは村の門番を任されておったにもかかわらず、止めることができませなんだ」
敵の数は約30。守る側は男爵夫人とユルバンのみ。奮闘したが、多勢に無勢で押し切られ、最後は脳天に棍棒の一撃を受け気絶してしまった。
「強力な〝土〟の使い手であるロドバルド男爵夫人の活躍により、幸いにして人的被害はありませなんだが――村の警護を預かる番人として、それがずっと心の傷となっていたのでござるよ……」
苦痛に耐えるような表情で語り終えたユルバンは、晴れ晴れとした笑みを浮かべる。
「しかし、おふたかたのおかげでわしは名誉を挽回できました。あの一件で魔法を使えなくなってしまったロドバルド男爵夫人に、これでようやく恩を返すことができ申した」
満足げな、それでいて物寂しげなユルバンの言葉にタバサは疑問を持った。
「魔法が使えなくなった?」
「いかにも。熾烈を極めたコボルドとの戦いの最中、男爵夫人は手傷を負われ……結果、神の御技である魔法を失われたのです」
タバサは首を捻った。怪我を負ったことが原因で魔法が使えなくなったなどという話は、これまで聞いたことがない。太公望のほうを見遣ると、彼も眉根を寄せ、何かを考え込んでいるようだった。しかしそんな彼女の疑問が氷解する間もなく風竜はアンブランへと到着し――彼らは首を長くして帰還を待っていたロドバルド男爵夫人の歓待を受けることとなった。
「ああ、ユルバン。よくぞ無事戻ってきてくれました」
「男爵夫人、ご心配をおかけ申した。コボルドどもの群れは、長も含め殲滅致しました。これからは再びアンブランの警護を務めさせて頂きたく存じまする」
膝をつき臣下の礼をとるユルバンに、ロドバルド男爵夫人は優しく微笑んだ。
「ええ。あなたの忠義、本当に嬉しく思います。あなたは、この村の……いいえ、わたしにとっていちばんの宝なのです。これからも、アンブラン……そしてわたしたちと共に在ってくださいね」
ロドバルド男爵夫人の目は慈愛に溢れていた。彼女は心からユルバン老人を大切に思っているのだろう。だが……タバサは、そんな男爵夫人に対して、どこか違和感を覚えた。この村へ到着した際にも感じた、わずかなそれと同じものを。
「ささやかではありますが、宴の用意を致しております。騎士殿、そして従者殿。どうぞ討伐の疲れを癒やしていってくださいませ」
そう言って深々と頭を下げるロドバルド男爵婦人。
(なんだろう……わたしは、彼女のどこに疑問を感じている?)
タバサは答えを出すことができぬまま、宴の場へと案内されていった――。
○●○●○●○●
――宴は、村の居酒屋一軒をまるごと貸し切って行われた。
あちこちで村人たちが輪を作り、笑い声をあげている。その中にはユルバン老人の姿もあった。
「そしてわしの槍の一撃が、にっくきコボルド族の長を貫いたのだ!」
「やったじゃないか、ユルバンさん」
「やっぱり、あんたは村いちばんの戦士だ。これからもアンブランを頼むよ」
善良そうな人々に囲まれた老戦士は、本当に幸せそうであった。どのようにしてコボルドに立ち向かったのか、その一挙一動を身振り手振りを交えつつ、顔いっぱいに満面の笑みを浮かべて語り続けている。そんなユルバンの元へ、酒杯を持った太公望が近付いていった。
「実際ユルバン殿の活躍は、誠に見事なものでしたぞ。槍もそうですが、村や周辺の山全体を知り尽くした貴殿がおられたからこそ、この討伐作戦はうまくいったのです」
「いやいや、従者殿の魔法も素晴らしかったですぞ。その若さで部隊を率いているというのも納得の妙技でござった。わしは……従者殿にも、騎士のお嬢さまにも、感謝してもしきれない恩を受け申した!」
そう言って立ち上がり、頭を下げようとしたユルバンを太公望は押し止めた。
「お気になさることはない、これが我らの務め。ユルバン殿が村を守ることと、何ら変わらぬことをしたまでのこと」
笑顔でユルバンに酒杯を勧める太公望。しかし――タバサには、その笑みがほんの少しだけ強張っているように感じた。
タバサは改めて周囲を見回してみる。
(何? この胸のざわつきは……)
店の中にはどこもおかしな点はない。ガリアのどこにでもある村の、なんでもない居酒屋。その中で酒を飲み、料理をつまんで笑い合う人々……。
男爵夫人宅の晩餐と同様、味付けの薄いつまみを食べる手を止め、タバサは考え込んでいた。すると、そこへ件のユルバンが近づいてくる。太公望は先程の輪の中で談笑を続けているようだ。
「騎士さま、このたびは誠にありがとうございました。改めてお礼申し上げる」
「いい。これは任務」
「ふふ、従者殿と同じことを仰るのですな。それにしても……」
ふと、ユルバンは太公望のほうへと視線を向ける。
「あのような従者を持たれて、お嬢さまは幸せですな」
「それは――」
続けようとしてタバサは口を噤んだ。
(確かにわたしは幸運なのかもしれない。彼――太公望は、どうにも掴み所のない性格をしてはいるけれど、根は優しいし……何より有能)
「お気づきになられましたかな? あの従者殿は作戦の最中、ずっと騎士様を……主人というよりは、まるで……そう、血の繋がった実の妹を気遣うが如く振る舞っておられたのを。いや、わしが言うまでもなくおわかりでしょうな」
そういって笑うユルバンの言葉にタバサは彼女には珍しく動揺した。ふと、日頃の太公望を思い出す。何かしようとするときに、さりげなく差し出される手。新しい本を手渡したとき、優しく笑いかけてくれる、その表情。
今回の任務にしても、本来であれば太公望が着いてくる必要などなかったのだ。にも関わらず、危険を顧みず自ら王宮へ乗り込み、周囲を観察し、タバサを補佐してくれている。
(もしもわたしに兄がいたら、彼のように助けてくれたのだろうか――)
黙り込んでしまったタバサの側に村人たちが寄ってくる。どうやらユルバンを迎えにやって来たようだ。
新たな輪の中に加わったユルバンは終始笑顔であった。その人の輪の内には、男爵夫人も混じっていた。貴族であるにも関わらず、身分にこだわらない性格なのだろう。ユルバンを見て優しい笑みを浮かべていた。
そんな男爵夫人に、ユルバンは晴れ渡った秋の空の如き笑顔で語りかける。
「人生の最後に、ようやく罪滅ぼしができ申した。はて困りましたな、これでもう本当に何もすることがありませぬぞ」
「何を言うのです。あなたには、この村を守るという大切な使命があるではありませんか」
「そうでしたな。私は幸せ者にございます」
――その言葉を最後に、酔ったのであろうユルバン老人は、椅子に深く腰掛けたまま、こっくりこっくりと舟をこぎ始めると、ゆっくりと瞼を閉じ……だがその眼は、二度と開くことはなく。彼が愛した多くの村人たちに囲まれた中で、まるで眠るようにその人生に幕を降ろした。
○●○●○●○●
「彼は幸せでした。ご覧になられたでしょう? あの最後の笑顔を」
――わしが、討伐任務などに連れ出さなければ。翌朝、しめやかに執り行われた葬儀の列中。その顔を苦悩に歪め、深く詫びた太公望へ、ロドバルド男爵夫人は慈愛に満ちた笑顔で答えた。
「この20年間……ユルバンのあのような顔を、私はついぞ見たことがありませんでした。わたしではどうしても為し得なかったことを、あなたが果たしてくれたのです」
すると、その言葉がまるで合図であったかのように……村人たちが静かに男爵夫人の周りへと集まってくる。そして、彼らの瞳が一斉に太公望とタバサを見つめた。そんな彼らを見て、タバサは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
村人たちの顔には、男爵婦人と全く同じ――写し絵のような笑顔が浮かんでいたのだ。
「20年前のことです。このアンブランの村は、コボルドの群れに襲われました。そして……全滅したのです。ロドバルド男爵夫人と、ユルバンのふたりを除いて」
ロドバルド男爵夫人は語り始めた。この村に隠されていた真実を。
「門番を務めていたユルバンと、交渉に赴いたロドバルド男爵夫人が棍棒による一撃を受けて昏倒してしまったその隙に、村はコボルドの群れによって蹂躙され、村人たちはひとり残らず皆殺しにされてしまったのです……」
出掛けに〝硬化〟で身を固めていたお陰で、比較的早く気絶状態から復活できたロドバルド夫人の奮闘により、なんとか群れを追い払うことに成功したものの――彼女もまた、そのときの戦いが元で深く傷ついてしまった。
「気絶していたことが幸いし、ユルバンは一命を取り留めました。ですが男爵夫人は大変なことに気がついたのです。目覚めた後に、ユルバンが村の惨状を知ったら。そして、唯一の生き残りである男爵夫人までもが死んでしまったら、彼はいったいどうするでしょう。責任感の強い彼のこと、おそらく自ら死を選ぶのではないか……と」
ロドバルド男爵夫人は俯いた。
「そう考えた男爵夫人は、傷をおして魔法をかけたのです。〝アンブランの星〟と呼ばれたこの村に伝わる秘宝を用いて。身内のいない彼女にとって、ユルバンはただの家臣などではなく、家族も同然でしたから」
タバサはごくりと唾を飲み込んだ。背に冷たいものが流れる。
「ロドバルド男爵夫人はとても優秀な〝土〟メイジでした。彼女はその命が尽きるまで、ただひたすらに人形を作り続けたのです。ある程度の自由意志を持ち、半永久的に動き続ける魔法人形……ガーゴイルを――」
そこまで言い終えると、男爵夫人は村人たちに視線を向けた。
「そうです。わたしも含め、この村の者は――すべてガーゴイルなのです」
タバサと太公望は改めて周囲を見渡した。そこは、どこにでもある、ありふれたガリアの山村。だが、それは見た目だけだったのだ。タバサはようやく今まで感じていた違和感の正体が何であるのかを理解した。
脅威に晒されているにも関わらず、日常と変わらぬほがらかな様子の村人たち。他に例のない、怪我で魔法を使えなくなった男爵夫人。そして奇妙に薄い味付けの料理。そう、全ての食事はユルバンを基準に作られていたのだ。人形に食料は必要ないから――。
風竜の背に乗り、タバサと太公望は空へと舞い上がった。眼下に広がるのは、自分たちがコボルドの脅威から救った村。そこには、思い思いに闊歩する村人たちの姿が見えた。
別れ際、男爵夫人の姿を模した魔法人形は感謝の言葉と共に、
「これをお持ち下さい。きっとあなたがたの助けになるはずです」
と、2体の魔法人形をタバサたち主従に手渡した。
「血を吸わせることで、その者の姿を完璧に写し取ることができます。売れば金貨千枚を超えるでしょうし、いざというとき身代わりにすることも可能かと」
「どうして?」
「わたしたちにはもう必要ありませんから、遠慮なく受け取ってください。あなたがたのような年若い人が危険な討伐任務に送り出されるだなんて、よほどの事情がおありでしょうから」
この、魔法人形とは到底考えられない程の思慮深さにタバサは驚愕した。男爵夫人や村人たちと長い年月を過ごしてきたユルバンが、全く気づけなかったのも道理だ。〝土石〟に込められた魔力を利用したとはいえ、ロドバルド男爵夫人は紛れもない天才だった。
「わたしたちは見た目は少しずつ老いてゆき、やがて土に還ります。それまで、ユルバンの墓であるこの村を守り、共に在り続けます。ですから、このことは決して口外しないでください」
深々と頭を下げた男爵夫人の人形に、タバサと太公望は秘密を守ることを固く約束した。
――別れの挨拶を済ませたふたりは、風竜に乗り込むと、村を後にした。
遠ざかる村を見つめながら、タバサはぽつりと漏らす。
「わたしには、わからない。ユルバンが、本当に幸せだったのかどうか」
ユルバンのためにだけに存在した村。その全てが見せかけだけの偽物。
そう独白した声に、太公望が小さく答えた。
「わしにもわからぬ。だが、あの男爵夫人と村人たちの
「魂魄……?」
「生きとし生ける者全てに魂が宿っておる。あそこにあったのは、確かに人形だった。だが、そこに宿る魂だけは……紛れもない本物であったよ」
(ガーゴイルにも、魂が宿るというの? 物言わぬ、ただの人形にも――?)
タバサと太公望の頬を、強い風が嬲る。その風のぶんだけアンブランの村が遠ざかる。ひとりの老戦士を守るためだけに造られた箱庭。ユルバンと、彼が愛した人々が眠る墓が遠ざかってゆく。ふたりは押し黙ったまま……王都リュティスへ向け風竜を駆った。
過去に失われた技術、スキルニルの再現に成功した男爵夫人すごい。
しかも年月と共に老いていくとか完全に上位互換。
2016/09/22:一部内容を修正しました