第12話 雪風は霧中を征き、軍師は炎を視る
――物語は『土くれ』のフーケ捕縛当日の夜、20時頃まで遡る。
この夜。トリステイン魔法学院本塔2階ホールでは、貴族の学舎に相応しい優雅な宴が開かれていた。女神の名を冠したその催しは『フリッグの舞踏会』と呼ばれている。
この舞踏会は毎年春、ウルの月のフレイヤの週・ユルの曜日――地球の暦に準えるならば5月第1週目の火曜日に執り行われる、伝統ある祭典だ。教師と生徒・家格の枠を越え、お互いに親睦を深めることを目的としている。特に入学したばかりの1年生にとっては大切な社交界デビューの場という側面もあるため、毎回派手に執り行われる。
女神フリッグは大地と愛を司る。そのためか、この舞踏会でダンスを踊ったカップルは将来結ばれるという伝説がある。男たちは戦場へ赴く兵士のような面持ちで目当ての人物に声をかけ、女子生徒や未婚の女性教師たちは意中の男子生徒、あるいは男性教員の挙動をこっそりと伺っていた。
男子生徒と女子生徒、それぞれの若さ溢れる甘酸っぱい駆け引きや、教員同士の歓談の輪が舞踏会会場のいたるところで花開く。ところが、各所で行われているそんなやりとりとは一切無縁の者たちがいた。
「この苺はよう熟れておるのう。ほれタバサ、おぬしもひとつどうだ?」
「食べる。すごく甘い」
タバサと太公望のふたりである。
彼らは舞踏会場の片隅で、ひたすらテーブルに乗せられた料理と格闘していた。かたやサラダと肉料理、もう片方は果物と菓子のみと、内容と消費量が非常に偏ってはいたが。
「ねえ、あなたたちは踊らないの?」
燃える炎のように赤い髪、魅惑的な褐色の肢体を深紅のドレスで包んだキュルケが彼らの側へ歩み寄ってきた――彼女に魅了された複数の男子生徒を引き連れて。
ふたりはキュルケに対してぐるっと首だけを向けると、自分たちのテーブルの上を指差し……すぐさま料理に向き直った。
「んもう、ふたりとも! 今日の主役はフーケ捕縛に大活躍したあたしたちなのよ? 楽しまないでどうするの!!」
呆れた様子のキュルケに、ふたりは食器を手にしたまま答える。
「存分に楽しんでおるが?」
「同じく……あ」
「どうした?」
「奥のテーブルに焼き菓子が届いた」
「なぬ、それは見逃せん! 謝礼としておぬしのぶんも確保してくる」
「期待している」
空いた皿を手に「よっしゃー!」と気合いを入れた太公望が、件のテーブルへ向かって駆けてゆく。
「まったく、揃ってこれなんだから! ほら、向こうを見てごらんなさいな」
そう言って、キュルケは会場の一角を指し示す。その細い指先の向こうには、桃色の髪の少女と黒髪の少年が、互いに頬を染めて踊っている。踊り慣れていないのであろう、黒髪の少年は傍目にもわかるほど不器用で下手くそなステップを踏んでいたが、桃色の髪の少女は文句ひとつ言うことなく、少年の動きに合わせて器用に身体を動かしていた。
「ほら、あの堅物のヴァリエールまで踊っているのよ?」
促してから、キュルケはまじまじと親友の顔を見つめた。
入学して以後開かれた数々の舞踏会。タバサはいつもひとりで会場の片隅にあるテーブルにつき、黙々と料理を口に運んでいるだけだった。それもそのはず、彼女は男子生徒たちの眼中に無かったからだ。
短く切り揃えられた蒼い髪と透き通るように白く滑らかな肌、宝石のように輝く碧眼によって彩られた顔は、よくよく見ればかなりの美少女であったのだが、しかし。142サントしかない身長は15歳という年齢にしては小さすぎたし、すとんとした幼子のような肢体には、恋やダンスのパートナーとしての面白みが感じられないのだろう。
しかも、彼女はほとんど喋らない。おまけに話しかけても無反応であることのほうが多い。これではダンスの誘いをかけようにも二の足を踏むであろう。そこで無視されたりしたら、貴族として大恥をかくことになるからだ。そんなわけで、進んでタバサに声をかけるような酔狂な男子生徒はこれまでひとりもいなかった。
でも、今日はそうではない。少なくとも側に誰かが――ヴァリエールと同じ使い魔ではあるけれど、男の子がいるのは間違いない。
(一歩前進できたと考えたほうがいいのかしら……)
そんなことを考えながら、キュルケはタバサの肩に腕を回す。
「しょうがないわね。それじゃ、連れがいるから……またね」
キュルケはタバサの頬に軽くキスをすると、大勢の取り巻き達と共に人混みの中へと消えていった。そこへ、入れ替わるように太公望が戻って来た。両の手に菓子で山盛りになった皿を抱えて。
「ありがとう」
「何を言う、これは情報への正当な対価なのだ。わしも食べたかったしのう」
からからと笑いながら皿に『戦利品』を振り分ける太公望へ、タバサがポツリと言葉を返す。
「それだけじゃない。許可証」
「ああ、そのことか」
――と、今更気がついたような太公望にタバサは目を向ける。ちなみに、このような時ですら彼らの手は止まることなくテーブル上に山と積まれた料理へと攻撃を続けていたりする。
「図書館で書物を探しておるときに、ごく稀にだが、おぬしの視線がとある場所を捉えていた」
タバサの手が止まった。
「そこに何があるのか気になってのう。司書に聞いたら、教員以外立ち入り禁止とされている書庫があるというではないか。しかも、数千年前の貴重な本まで当時のまま残っておるとか」
「それだけで」
「きっかけはそれだが、わし自身も古い書物に興味があったのでな。せっかくだから、一緒に申請したというわけなのだ。ふたりとも入れれば面倒もなかろう?」
『フェニアのライブラリー』。タバサはとある目的のために、ずっとそこへ立ち入りたいと願っていた。だが、それを告げたことはないし、思わせぶりなことをしたつもりもない。しかし、自覚のないまま視線を彷徨わせていたようだ。
(彼の目は、いったいどこまでを見据えているのだろう)
ふと、タバサの頭の中でばらばらになっていたパズルのピースが組み合わさる。
そうだ、これこそが彼の持つ真価ではないか。国中を混乱させた怪盗の正体をあっさりと暴き、捕縛した眼力。それは魔法学院はもちろんのこと、王立アカデミーの研究員ですら突き止められなかったルイズの失敗魔法をも見出そうとしている。風竜よりも早く飛べる? そんなものは、この〝力〟に比べたらなんでもない。
食事の手を止め俯いてしまったタバサを見て、
「どうしたのだ? 食べ過ぎで腹でも痛めたのか?」
などとまるで見当違いの心配をする太公望。そんな彼の声を聞いて、タバサは思った。もしかすると、このひとなら――。
「聞きたいことがある」
顔を上げ、真っ直ぐに太公望を見つめるタバサ。太公望は突如向けられた真剣な眼差しに、彼女と同様手を止め、見返すことで応える。
「わしに答えられるものであればかまわぬが」
「身内に病人がいる。わたしは、その病を治す方法を探している。あなたには医学の知識はある? 知っていたら教えてほしい。特に、心の病に関することを」
それは、彼女の心からの願い。
だが――運命はこのときタバサに味方しなかった。寂しげな……それでいて悲しそうな色を湛えている太公望の目を見て、彼が次に何を言うのかタバサにはわかってしまった。
「すまぬ、わしに医術の心得はない。それに心の病は……治すことができないものなのだ」
「……そう」
掴みどころのない性格の彼だが、こういうときに嘘を言う人物には見えない。その彼ができないと断言するのなら、本当に不可能なんだろう。落胆していないといったら嘘になる。けれど、自分だけではどうしても立ち入ることが叶わなかった『フェニアのライブラリー』へと導いてくれた。それで充分だ。その『道』を進み、探せばいい――。
タバサが決意を新たにした、そのとき。バサバサッという羽音と共に、ホールの窓から1羽のフクロウが飛び込んできた。灰色のフクロウは舞踏会の喧噪の中、迷うことなくまっすぐとタバサの元へと向かい――その肩へと留まった。
タバサの表情が硬くなる。フクロウの足に括り付けられた書簡を手にすると、さっと目を通す。そこには短くこう書かれていた。
『出頭せよ』
――と。
タバサの目に強い光が宿る。先程までのそれと違う、様々な感情がないまぜになった複雑な――それでいて暗い輝きが。タバサはすっと立ち上がると、まっすぐに誰もいないバルコニーのほうへと歩き出す。
(このまま闇にまぎれ、外の厩舎へ。トリスタニアから竜便に乗り換える)
そう考えた彼女の腕を後ろから掴んだ者がいた。それは、彼女の隣に座っていた太公望であった。華奢なタバサの腕をぐいっと掴み、その身体ごと自分のそばへと引き寄せた彼は、周囲を伺いながら口元を手で隠し、小さな声で彼女の耳元へと囁く。
「祖国から仕事に関する呼び出しを受けた――そうだな?」
何故――!? タバサは言葉もない。
(任務のことなんて、一言たりとも彼に話していないのに!)
タバサの困惑を察したのだろう、何でもないことのように太公望は言葉を続ける。
「〝
タバサは以前、彼に「少々見くびっていたようだ」と言われたことを思い出した。そうだ、彼はとっくの昔に見破っていたのだ。わたしが『騎士』であることなど。
「そこまでわかっているなら、放して。すぐに行かなければならない」
強引に腕を振り払おうとしたタバサだったが思いのほか強く握られていて、それもできない。睨み付けても、いつもの飄々とした態度でかわされてしまう。
「別に、そこまで急いで来いとは書かれとらんかっただろう?」
「でも」
確かに、受け取った書簡には『出頭せよ』と記されているだけだ。しかし、できる限り早く行かなければならない。もしも彼らの機嫌を損ねてしまったら大変なことになる。タバサはもがいた。
「ずいぶんと焦っているようだが、焦りはろくな結果を生まぬ。まさかとは思うが、この学院におぬしを監視している間諜がおるのか? 少なくともわしがここへ呼ばれた日から、それらしき者を見た覚えはないのだが?」
「いない。わたしも当然調べている。学院側も、身分の不確かな者を雇ったりはしない」
「……不確かなのが、今おぬしの腕を掴んでいるわけだが。まあそれはよいとして」
ふいに太公望の目つきが変わる。タバサは彼のそんな表情に見覚えがあった。これは……交渉のときや、何か悪戯を思いついたときの――!
――まずい。タバサがそれに気付いた時は、既に手遅れだった。
「これ! タバサ、タバサよ! いくらなんでも飲み過ぎだ! すまぬ、誰かちと手を貸してくれ!!」
大音声と言うに相応しい声がホール全体に響き渡る。その声に、なんだなんだと太公望とタバサの周りに人だかりができる。そんな中、彼らのすぐ側まで寄ってきた者達がいた。キュルケとその取り巻き達だ。
「あら、ミスタ。こんなところで痴話喧嘩かしら?」
「違うわ! タバサのやつが悪酔いしてな、バルコニーから飛び降りると言って暴れるのだ! 頼むから、止めるのを手伝ってくれ」
「嘘、わたしは酔ってない」
そう言ってもがくタバサを、キュルケが抱き締める。
「ふふッ。酔っぱらいはね、自分が酔ってるって気がつかないの。ほら、今日はもうお部屋に戻って休みなさいな……スティックス、お願い」
キュルケの側にいた男子生徒のひとりが、さっと杖を取り出してルーンを唱える。あの詠唱は
○●○●○●○●
――タバサは薄く
彼女の周囲には深い霧と、遠くまで続く1本の道以外には何もない。昔読んだ本に書いてあった
彼女の前を、誰かが歩いている。しかし、視界が悪くその後姿をはっきりと見ることはできない。もっともタバサは、先を行く者に声をかけるつもりなどなかったのだが。
……と、歩み続けるタバサの耳に、小さな声が飛び込んできた。それはどこかで聞き覚えがあるような、それでいて懐かしいような……。
「…………ロット……シャルロット」
前を向いていたタバサの足が、止まった。
「……誰?」
わたしの――小さな人形と引き替えに置いてきた、その名を呼ぶのは。
タバサはその場に立ち止まって周囲を見回す。と、道の外側――先程まで深い霧に包まれていた一部が晴れた。その先にあった大岩の上に、ひとりの老人が座っている。
「おじい……さま!?」
そんなはずはない。御祖父様はとうの昔に亡くなったはず――。
思わぬ人物の姿に狼狽した彼女のもとへ、再び懐かしい声が響く。
「シャルロット……」
特徴的な青い髪に40歳を過ぎてなお青年のような瑞々しさを面影に残す男が、先程タバサが祖父と呼んだ老人の側で静かに佇んでいた。
「父さま!!」
大声で叫んだタバサは、彼らのもとへ駆け出そうとした。だが、道を外れたその途端、足を踏み外す。彼女がこれまで歩いていた道は細い崖道だったのだ。咄嗟に〝
(あれは、わたしを惑わすための罠――)
崖下に広がる闇へとタバサが飲み込まれていこうとした、その時。誰かが彼女の腕を崖の上からがっしりと掴み取った。
「どうやら、間に合ったようだのう」
――タバサの手を取ったのは、彼女の使い魔・太公望だった。
○●○●○●○●
「……夢?」
気がつくと、そこは自室のベッドの上だった。身につけているのは、いつもの寝間着だ。タバサはゆっくりと身体を起こし、頭を左右に軽く振ると、ここに至るまでの経緯を思い起こす。
(そう、確か舞踏会の最中に伝書フクロウが出頭命令を運んできて……それで、厩舎へ向かおうとしたところを太公望に捕まって、それから――!)
慌ててベッドから飛び起きたタバサは、窓の外に目を向けた。もう日が昇っている。おそらく一晩中眠ってしまっていたのだろう。
……と、扉をノックする音が室内に響いた。
「タバサ、もう起きとるか?」
太公望の声だ。タバサは一瞬、急いで着替えを済ませて外へ逃げ出そうかと思ったが、やめた。
(彼のことだから、すぐに状況を理解して追いついてくる。無駄に体力を消耗するだけ)
そう判断し、扉の向こうへ返事をする。
「今起きた。着替えるから、少し待って」
「わかった。なるたけ早く頼む……と、できれば厚めの上着を用意しておくがよい」
厚めの上着? もしや、今日は冷え込むのだろうか――状況の割には自分でも驚くほどに落ち着いていたタバサは、急いでベッドから飛び出して服を身につけると、言われた通りのものを用意し、扉を開けた。
「終わった」
「そうか。では、部屋の中で話をするとしようかのう」
そう言って中に入ってきた太公望は、少し大きめの背負い袋を手にしていた。
「厨房で弁当を作ってもらってきた。おぬしの準備ができたなら、出かけるぞ」
タバサにはちと物足りない量かもしれんがのう。と、からから笑って袋を持ち上げて見せた太公望に、少女は唖然として聞いた。
「出かける?」
「急ぎの仕事があるのだろう? 馬で行くより早い移動手段があるではないか」
タバサは驚愕した。まさか彼はわたしを自分の背中に乗せて、一緒に行くつもりなのだろうか。
(だめ。わたしは、あなたをこの『道』へ巻き込むつもりなんかない!)
強い口調で彼女は拒否する。
「これはわたしに課せられた任務。あなたには関係ない」
「その任務の邪魔をして、一晩休ませるという判断をしたのはこのわしなのだ。その責任を取る必要がある。それに……」
太公望は懐からくるくると丸められた1枚の羊皮紙を取り出すと、ぴらっと広げる。タバサはその書面に見覚えがあった。
「初日に交わした契約書類だ。ほれ、ここにこうある」
――太公望は、使い魔として常にタバサの側にあることとする
「……とな」
「でも」
「デモもストもないわ! 一度結んだ、しかも双方充分納得の上で取り決めた契約を理由もなく一方的に破棄しては、他人から信用を得られるわけがない。学院側も、おぬしも、これまできちんと約束を守っている。わしのほうから破るわけにはいかぬ」
(まったく。これを見越してこの一文を紛れ込ませおったな、あの狸ジジイめ……!)
内心でブツブツとオスマン氏へ呪詛を吐く太公望だったが、もちろんタバサの耳には届かない。
「これ以上の話は空の上でするとしよう。ああ、この袋はおぬしが背負ってくれ。では行くぞ、タバサ」
弁当袋をタバサへ手渡した太公望は、彼女の返事を待たずに窓の外へ飛び出した。そんな彼の後ろ姿を見たタバサは……わずかな逡巡の後、彼を追って窓から飛び降りた。
○●○●○●○●
――なるほど、厚手の上着を用意しろと言っていたのはこのためか。
タバサを背に乗せて空を飛ぶ太公望は、
「人を乗せて高速飛行する姿をあまり他人に見せたくない」
という理由から、高度5000メイルを維持しつつ一路ガリアの王都・リュティスへと向かっている。この高さを飛ぶ生き物はハルケギニアには存在しない。ましてや普通の人間が〝飛翔〟でこの高みへ到達すること自体、ほぼ不可能だろう。
前回背中に乗せてもらった時よりも遙かに強い向かい風が、タバサの頬と髪を嬲る。上着なしではこの風と突き刺すような寒さには耐えられなかっただろう。太公望曰く、シールドの強さを調節することで消耗を抑え、そのぶん飛行できる距離を稼いでいるのだそうだが……それはつまり。やり方を変えれば、さらに上の世界を見ることが可能だということだ。
それにしても、本当に速い。途中で休憩を挟んでも、成体の風竜にすら劣らぬ速さでリュティスまで到着できそうだ。彼の背中に強くしがみつくようにしていたタバサが太公望にそう告げると、意外な返事が戻ってきた。
「いや。今回は馬で街へ出て風竜に乗り継ぐよりも、ちと速い程度に抑えよう」
「何故」
「例の間諜の件だ。本当に学院近辺にいないのかどうか確認しておきたい」
タバサは、その一言だけで理解した。
(昨日のわたしの言動を見た彼は、どこかで見張られている可能性がある――そういう立ち位置にいるのだと推測した上で、不安要素をできるだけ摘み取ってくれようとしている)
もしも魔法学院だけでなく、タバサはおろか太公望にすら正体を見破れないほどに優秀な間諜がついていたのなら……とっくに太公望の〝力〟は露見し、最悪自分と彼の身柄を確保すべく関係者が動いているだろう。しかし、絶対にいないという保障もないので警戒は必要だ。
現時点で
……と、そこまで考えたタバサは覚悟を決めた。
これまでは、太公望を巻き込まないよう一切の事情を話さずにいた。だが、事ここに至ってしまった以上、情報の秘匿は逆に彼の行動を阻害しかねない、せめて状況の説明をする必要があると判断する。もちろん、全てを打ち明けるわけにはいかないが……。
「話しておきたいことがある」
――そして、タバサは語り始めた。
「わたしはガリアからの留学生」
「トリステインの南にある大国だったな」
「そう。留学というのは建前。実際にはガリアの国王とその一族に疎まれ、遠ざけられただけ」
「では、今回の呼び出しは?」
「王家が表に出せない荒事が持ち上がったとき、任務と称して解決を求められる」
「ふむ。もしや、おぬしの死を期待しているかのような、危険なものではないか?」
タバサは答えない。激しい風音が両者の間を流れてゆく。
「なるほどのう……逃げることは考えておらんのか?」
「母さまを人質に取られている」
「おぬしが逃げたらどうなるかは自明の理、か……」
国王が部下に忠誠を誓わせるために人質を取る。よくある話だ。己の忠義を証明するために、自ら進んで身内を差し出す者がいるほどである。
太公望は、出会った時から現在に至るまでのタバサの言動を思い返した。魔法学院にいる他の子供たちのそれとは一線を画す立ち振る舞いに、勘の良さ。あれらは全て、任務とやらで培われたものだったのだ。
その上で思い起こした。初めて出会った時に見た、年齢にそぐわぬ絶望の色を宿す瞳。
昨夜彼女の目に浮かんでいた、周囲を焼き尽くすかのような……それでいて
太公望はその〝炎〟がどういうものか、よく知っていた。
(あれは憎悪に胸を焦がし、やりきれない怒りに焼かれ、復讐に燃える者が抱える炎だ……)
かつて、理不尽な理由で故郷と家族を友人をいっぺんに失った自分が宿していたのと同じもの。
(タバサは他者を寄せ付けぬ氷の仮面をつけてこそいるが、心根の優しい娘だ。おそらく、わしを巻き込まぬよう気を遣って、余計なことを言わないのだろう……)
『
学院長の説明中に聞いた言葉を思い出しながら考える。
(なるほど。相応しいかどうかはさておいて、わしと似通った運命を辿ろうとしている娘に呼び寄せられたわけか。この世界の『始祖』は、どうやらわしにやらせたい仕事があるらしい)
――夢のぐうたら生活は、結局実現せずに終わるのかのう……。
心の内で盛大なため息をつきつつ、太公望は自分が今後どう動くべきなのかについて、タバサの話に耳を傾けながら、思考を巡らせるのであった――。
少なくともトリステイン魔法学院にロリコンは居ない模様。