雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第102話 始祖と雪風と鏡姫

 ――イザベラは混乱の極みにあった。

 

 食器よりも重いものを持ったことがないなどと言われ、苦労知らずの温室育ち、ひとりでは何も出来ないと陰口を叩かれる彼女だが、その評価は誤りだ。

 

 もしもそれらが真実ならば。イザベラはとうの昔に、思い出すのも億劫になる程放たれてきた刺客の手にかかり、天上(ヴァルハラ)へ召されていたことだろう。

 

 長年そんな荒んだ生活を送ってきたからこそ、イザベラは自身に向けられる悪意や殺気といったものに敏感になっており、それらに対する反応や対処の仕方も洗練されている。

 

 ところが。ズルリという衣擦れの音と共に、輝く『窓』の中から何者か現れたとき。彼女の脳内は困惑、緊張、畏怖といった感情で埋め尽くされてしまい、咄嗟に反応できなかった。

 

 過去に相対してきた腕利きの騎士や暗殺者たちとは、文字通り桁が違う。いや、比べることすら烏滸がましい。人間としての生存本能が、そう訴えかけてくる程のモノが目の前に在る――つい先程まで、生涯で初めての友が居たはずの場所に。

 

(まさか……)

 

 違うかもしれない。だが、確かめずにはいられない。

 

 イザベラは声を震わせながら訊いた。

 

「オーテンクン、なの……?」

 

 しかし、戻ってきた答えは無情だった。

 

「――誰のことだ? それは」

 

「……ッ!」

 

 酷薄な声音に、王女の身体がぶるりと震える。

 

 と、つい先程まで泣いていたはずの従姉妹がいきなり立ち上がった。それから、節くれ立った長い木の杖を大きく振りかぶる。

 

 その途端、張り詰めていた空気が霧散した。

 

「ぼ、暴力反対!」

 

「同じことを繰り返すあなたが悪い」

 

 じりじりと後退していく黒い影。間を詰めるべく、つかつかと歩み寄るタバサ。迫り行く彼女の表情は踏み固められた雪のように堅く、冷たく、平坦だった。

 

 ……そして。

 

「ギャ――ッ!!」

 

 ガスンという殴打音と共に、大きな悲鳴が『部屋』の中に響き渡った――。

 

 

○●

 

 ――仕切り直し後。

 

「うーむ。何か、もはや説明は面倒くさいのう……」

 

 開口一番、頭をさすりながらそんなことを言う黒衣の男。しかし従姉妹のシャルロットが無言で杖を振りかざした途端、慌てた様子でそれを制した。

 

 先程まで彼が放っていた圧倒的な存在感は、もはや跡形もなく消え去っている。

 

「さて、どこから話すべきか……」

 

 不審な男は、顎をさすりながら何事かを考え始めた。

 

 イザベラは心を落ち着かせて目の前の人物を観察することにした。外見は王天君の弟・太公望とよく似ているのだが……服装はもちろんのこと、顔つきも、体格さえもだいぶ大人びている。

 

 もしかすると、この男はふたりの兄か縁者なのかもしれない。

 

(さっき『窓』を開いたのは……こいつを呼ぶためだったのかしら? けど、それならオーテンクンはどこへ行っちゃったんだろう? それに、シャルロットはこの男を知っているみたいだけど、なんで……)

 

 と、腕組みをして考え込んでいた男がぱちんと指を鳴らす。ようやく何か思いついたようだ。

 

「系統魔法は属性を重ね合わせることで威力を増したり、効果が変わるであろう?」

 

 こいつはいきなり何を言い出すのか。

 

 怪訝な面持ちで己を見つめる少女たちをよそに、謎の人物は解説を続ける。

 

「おぬしたちハルケギニアの三王家に伝わる〝乗法魔法〟は『始祖』の血を色濃く受け継ぐ王家の者が互いの詠唱を重ね合わせることで、系統魔法では実現できない強力かつ強大な奇跡を起こすわけだが……わしのこれも同じようなものなのだ」

 

「意味がわからない」

 

 従姉妹の呟きに心の中で同意するイザベラ。それを聞いた黒衣の男は、さらに説明を重ねた。

 

「これは太公望と王天君の一族が持つ特性のようなものでな。あの『窓』を介して互いの魂魄を重ね合わせることによって、大幅に〝力〟を増幅できる。魔法で属性を重ねるように、だ」

 

 聞き慣れぬ言葉に、蒼髪の姫君は眉根を寄せる。

 

「コンパク?」

 

「おぬしたちの言う魂のことだよ。わしの故郷にはな、この魂魄を視、操る術があるのだ。例の『地下水』のように、道具へ意図的に〝意志〟を宿らせる方法も知られておる」

 

 その説明を耳にしたイザベラは、ジュリオが語っていた「意志の宿る魔道具の類いは、先住魔法でしか作れない」という発言を思い出す。

 

「……お前も先住の魔法が使えるって訳かい」

 

「いや、わしは精霊魔法なんぞ身に付けとらんが」

 

「え、お前エルフなんだろ? それなのに先住の魔法が使えないってどういうことさ」

 

「おぬしは何か誤解しておるようだが、そもそもわしはエルフでも妖魔でもない」

 

「だ、だってオーテンクンがエルフなんだから……」

 

「違うわ! 王天君は何度も否定していたであろうが!!」

 

 そう断言され、イザベラは思い出す。確かに彼は自分をエルフではないと言っていた。ならば彼らは一体何者なのか。人間でないのは間違いないはずなのだが。

 

 いや、それ以前に――。

 

「お前、なんでわたしとオーテンクンのやりとりを知ってるんだい!?」

 

「まあまあ、話は最後まで聞け。それも含めて説明しておる」

 

 侍女たちなら卒倒してもおかしくない程に険しい視線を向けたというのに、目の前の不審人物は沼に杭を打つが如く、一向に堪えた様子がない。

 

「さっきも言ったが、太公望と王天君は互いの魂魄を重ね合わせる――〝融合〟させてひとつにすることで、大幅に〝力〟を向上させることができるのだ」

 

 意味がわからない。いや、理解するのを拒んでいたイザベラをよそに、彼女の従姉妹は解答とおぼしきものに行き着いた。

 

「つまり、あなたはタイコーボーとオーテンクンが重なってひとりになった姿ということ?」

 

「その通りだ」

 

 ありえない。イザベラはふたりのやりとりが信じられなかった。より正確に言うなれば、信じたくなかったというのが正しい。

 

 ところがシャルロットのほうはというと。蒼玉の瞳に映る人物を興味深げに見つめながら、とんでもないことを口にした。

 

「なら、今のあなたは……タイコーボーとオーテンクンの、どっち?」

 

 顔を引き攣らせたイザベラをよそに、件の人物はこれまた理解し難い答えを返す。

 

「わしは太公望であり、王天君でもあり……そのどちらでもない。魂魄を融合させることで、ふたりと似通ってこそいるものの、異なる人格が生じるからだ」

 

 などと脳天気な表情で残酷なことを告げた男に対し、イザベラは震え声で問うた。

 

「お、お前が、オーテンクンだっていうのかい……?」

 

「そうだ」

 

「タイコーボーでもある?」

 

「うむ」

 

 シャルロットの確認に頷く男。

 

 確かに彼が纏う黒衣は太公望の特徴的な外套と、王天君が身に付けていた服と数多くの装飾品を彷彿とさせる。しかしイザベラにとって、そんなことは到底受け入れられなかった。

 

(オーテンクン……笑ってた)

 

 彼を〝召喚〟してから約半年。怖そうな外見にも関わらず、意外とユニークな異種族の友達と過ごした今日までの間――あんなに幸せそうな笑顔を見たのは初めてだった。

 

(わたしのこと、娘みたいに思ってたって……)

 

 彼がイザベラに対して抱いていたのは、友情ではなく親愛。自らが示し、求め続けていたのとは違うものだが、それでも彼女の心は救われた。

 

 だが、こうして振り返ってみると……まるで最期の言葉を告げられたような――。

 

(まさか……)

 

 王女の心に暗雲が立ち籠め始めた。

 

 最悪の場合〝聖戦〟が発動する――この作戦で失敗したらガリアが滅ぶ、つまりイザベラが死ぬなどという話を聞いたから、彼がそれを防ぐために〝融合〟を決意したのだとしたら。

 

(そんな、わたし……)

 

 直前に、太公望は王天君に対して「良いのか?」と確認を取っていた。何のことかと訝しむ間もなくふたりは光に包まれ――そして、彼はいなくなってしまった。

 

 ――娘みたいに思ってた。

 

 すぐ側にいる従姉妹の境遇が脳裏をよぎる。彼女の母親は、愛娘の命を守るために自らの死を由とし、毒酒を口にした。

 

(嘘よ、そんなこと……)

 

 もしや王天君は、オルレアン公夫人と同じことをしたのではないか。

 

 もう二度と王天君としての再会は叶わない。だからこそ、あんな遺言じみたことを言い残したのだとしたら。

 

 彼が、娘――イザベラのために命を、文字通りの魂を捧げてしまったのではなかろうか。

 

(わたしは……)

 

 イザベラは自ら導き出した、畏るべき結論に身震いした。ぐらりと彼女の世界が傾ぐ。そのまま倒れてもおかしくない程の後悔と絶望が、少女の心目掛けて押し寄せる。

 

「やだ……」

 

 知らず、王女の口から悲痛な声が漏れ出した。

 

「やだよう……」

 

 イザベラは腰掛けていたソファーから立ち上がると、ふらふらと覚束ない足取りで王天君だったモノの前へ歩み寄った。

 

「こんな、こんなお別れの仕方なんて、やだよ……」

 

 いつか別離の時が来る。覚悟はしていたが――まだ心の準備ができていなかった。いや、このような形で彼を失うなどとは想像だにしていなかったのだ。

 

 黒衣の男にしがみつき、涙ながらに懇願する。

 

「返して、オーテンクンを返してよぉ……」

 

「おぬし、わしの話を聞いとらんかったのか? わしは太公望でもあり、王天君でもあるのだ。融合はしたが、決して死んでしまったわけではないぞ?」

 

 顔をくしゃくしゃに歪めながら、イザベラは反論した。

 

「けど、お前はオーテンクンとは別人なんだろ!?」

 

「同一人物でもあるがのう」

 

「違う!」

 

 イザベラは耳にした言葉を否定するかのように、激しく首を振った。

 

「わたしの友達は……わたしのこと、娘みたいに思ってたって言ってくれたオーテンクンはお前じゃない! わたしは、わたしは……こんな結末、望んでなかった!!」

 

 王女は慟哭する。掛け替えのないものを失ったのだと気付いたから。

 

「戻して! 元のオーテンクンに戻してよぉ……!」

 

「そーかい。オメーも物好きだな」

 

「そういう問題じゃ…………え?」

 

 イザベラが顔を上げると、そこには見慣れた青白い顔があった。すぐ隣には、どこから取り出したのやら、酒杯をちびちびと舐めている従姉妹の使い魔の姿も。

 

「……え?」

 

「なんだよ、オメーが元に戻せって言うから〝分離〟して見せただけだぜ?」

 

 そう言いながら、ニイッと口端を上げる王天君。

 

「……ええっ?」

 

「なんちゅーか、おぬしは相変わらずだのう」

 

 横目で『兄』を見遣りつつ、ぼやく太公望。

 

 それを聞いて、ようやくイザベラは理解した。まるで人間のようにひとの心を読み、場や状況を上手く利用する王天君に――いいようにからかわれていたということを。

 

「お、お……オーテンクンの……」

 

 羞恥やら屈辱やらの感情が複雑に絡み合い、かあっと王女の顔に血がのぼる。

 

「意地悪――――ッ!!」

 

 抗議の叫びが『部屋』中に響き渡った――。

 

 

○●○●○●○●

 

「一方は手、もう片方は大音量口撃とは……おまえらは間違いなく従姉妹同士だ! うぬぬぬぬ、まだ耳がキンキンしておる……」

 

「その言葉、そのまんま()()()()に返すわッ!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るイザベラと、彼女に同意するようにうんうん頷くタバサ。そんなふたりのすぐ側に、再び〝融合〟した伏羲が頭を抱えてしゃがみ込んでいる。

 

「ところで……」

 

「む、何だ?」

 

「あなたのこと、なんて呼べばいいのかしら。オーテンクンで問題ないわけ?」

 

「それはわたしも聞きたい」

 

 そう声を揃えるガリアの姫たち。

 

「太公望でも王天君でも、好きなほうで構わぬのだが……であれば、わしがこの姿でいるときは伏羲と呼ぶがよい」

 

「フーギ?」

 

「フ・ッ・キ、だ」

 

 もはやお約束となった発音修正を行う伏羲。

 

「わかったわ。ねえフッキ、早速確認したいことがあるんだけど」

 

「今のわしに、どんなことができるか知りたいのであろう?」

 

「ええ、そうよ。話が早くて助かるわ」

 

 ふたりのやりとりを聞いていたタバサもコクコクと頷いている。彼女は〝夢世界〟での彼を知っているが、あれらが現実で本当に可能なことなのか気になっていたのだ。

 

「それならば、まずはこれかのう」

 

 言いながら、ごそごそと懐の中から『打神鞭』を取り出した伏羲は、手にしたそれをついと軽く一振りする。

 

 その途端、少女たちの視界が歪み――次の瞬間『部屋』とは異なる場所に立っていた。

 

「え? なに!?」

 

「ここは……」

 

 きょろきょろと辺りを見回すイザベラ。

 

 どこかの貴族の私室だろうか。石造りの壁に囲まれた部屋の中には、書物がぎっしりと詰め込まれた本棚とベッド、チーク材の机と椅子が置かれていた。

 

「いつもの『部屋』とはだいぶ違うみたいだけど、これは……」

 

 興味深げな彼女とは対照的に、タバサは驚愕のあまり固まっていた。

 

「トリステイン魔法学院の……わたしの部屋」

 

「なんだって!?」

 

 従姉妹の言葉に驚きを露わにするイザベラ。

 

「『部屋』を書き換えたの?」

 

 タバサの発した疑問に、伏羲は意地の悪い笑みを返した。

 

「違う。ここは正真正銘、おぬしの部屋だ。なんなら確認してみるがよい」

 

 言われた通り、タバサは部屋中を調べて回った。机の上には呼び出しを受ける前に纏めていたレポートの束が置かれていたし、読みかけの本も記憶にある通りの場所に栞が挟まれている。

 

 扉は寮の廊下に繋がっており、窓の外には見慣れた魔法学院の庭が広がっていた。双月の光に照らされた渡り廊下を、見知った衛士が巡回している。

 

「嘘じゃない。間違いなくわたしの部屋」

 

 呆然と呟いた従姉妹の声に、イザベラの金切り声が重なった。

 

「ちょ、ちょっと待って! リュティスからここまで千リーグ以上離れてるんだよ!? オーテンクンのときはもっと……」

 

 王女は信じられないといった表情で、伏羲を振り仰いだ。

 

「王天君単体ではここへ辿り着くために何度も跳躍を繰り返す必要があるので、それなりの時間を必要としたが……太公望と融合したことで、曲げられる空間距離が大幅に増しておるのだ」

 

「空間距離? 曲げられる?」

 

 伏羲は頭上に疑問符を浮かべたイザベラに対し、かつてルイズたちの前で行った、紐を用いた距離と空間、そして曲げるために必要な〝力〟について説明した。

 

「な、なるほどね。オーテンクンだけでもできることだけど、あなたになることでもっと簡単で、しかも時間をかけずに遠くまで行けるようになった。そういう解釈でいいのかしら?」

 

 その解答に頷く伏羲、唖然とする王女。

 

「ほんの一瞬で千リーグ以上移動できるなんて! 確かに凄い〝力〟だね……」

 

 高速フクロウ便はもちろんのこと、特に優れた風竜でも不可能な移動速度。情報伝達の早さが、その後の展開を左右する政治その他の分野において、彼の〝力〟はとてつもない価値を持つ。

 

 いっぽうタバサは、太公望が「感覚が戻るまで空間移動は無理」「兄弟で協力しないと使えない術がある」と言っていた意味が、ようやく理解できていた。

 

 王天君と魂を重ね合わせ〝力〟を増幅させる。

 

(これが、彼ら本来の在り方……)

 

 ――夢の世界を支配していた『雪風の魔王』が、遂に現実を侵食してきた。

 

 漆黒のマントをたなびかせ、誰にも気付かれることなくお城にいたふたりの姫君を攫う……。

 

(まるで、お伽噺のよう……)

 

 何やら瞳をきらきらさせている従姉妹を妙に思いつつ、イザベラは質問を続けた。

 

「もう少し詳しく聞いても?」

 

「うむ。情報は国の命運を分ける重大な策を実施するにあたり、必要なものだからのう」

 

 なるほど、だからこんな〝切り札〟を見せてくれたのかとイザベラは納得した。

 

(こういうところに、オーテンクンの意志がちゃんと反映されてるのね……)

 

 裏を司る騎士団長は――本人としてはにっこりと、端から見るとニヤリと微笑んだ。

 

「ありがとッ、じゃあ早速。あなたの〝移動〟にも、やっぱり〝網〟を使うの?」

 

「必要ない。わしが座標をとれる場所――具体的には一度行ったことがある場所か、何かを『窓』で追跡し、視た先へ跳べる。ああ、直接この目で見えるところならば、どこへでも行けるぞ」

 

 生真面目な表情でそう説明した伏羲に、蒼髪の姫君は悪戯っぽく訊ねた。

 

「ふぅん。なら、あの紅い月にも届くって訳かい?」

 

 さすがにそれは無理だろ? と、窓の外に浮かぶ双月を指さすイザベラ。

 

 ……ところが。

 

「もちろんだ」

 

 そう、何でもないことのようにのたまう伏羲。

 

「またまたぁ、冗談もほどほどに……」

 

 笑いかけた途端、再び周囲の空間が歪んだ。

 

「え?」

 

 イザベラの目の前に、広大な――紅い大地がどこまでも続いている。

 

「え?」

 

 振り返ると、そこには蒼い月が……いや、あれは違う。普段目にしていたモノとが別の、しかし青く美しい何かがあった。

 

「え?」

 

 と、すぐ側に立っていた彼女の従姉妹が呆然と呟いた。

 

「惑星……? まさか、あれがハルケギニア……?」

 

「そうだ。どうやら以前予測した通り、この世界も外から見ると丸かったようだのう」

 

「え?」

 

「ほれ、向こうに太陽が見えるぞ」

 

「あれが? なんだか不気味」

 

「地上からだと、周りに空や雲……それに、星なんかがあるからのう」

 

「色も変。まるで〝魔法の矢(エネルギー・ボルト)〟を丸めたかのよう」

 

「ああ、そのへんは光の波長と空気中に含まれる塵が関係しておってな……」

 

「興味深い」

 

 タバサと伏羲が視線を向けている先には、輝く巨大な光があった。彼らはそれを太陽だなどと言うが、しかしそれは普段目にする黄金の光とは異なり、銀色……いや、真っ白だ。おまけに、周囲には吸い込まれてしまいそうな漆黒の闇がどこまでも広がっていて、その他には何もない。

 

「え?」

 

「そのへんはまた別の機会に説明するとして、これで本当だと理解してもらえたかのう?」

 

 イザベラは思わず手の甲をつねった。痛みがある。つまり、これは現実なのだろう。

 

 ということは、ここから見える青いモノはハルケギニアとその周辺世界で、あの薄気味悪い光は本物の太陽であり、今、自分が立っている場所は……紅い月の表面。

 

「ええええええ――――ッ!!」

 

 それはハルケギニアに住まう民が、初めて宇宙に声を響かせた……記念すべき瞬間だった。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――それから約十分ほど宇宙遊泳を楽しんだ三人は、伏羲が開いた『窓』を介して再びヴェルサルテイル宮殿のプチ・トロワに帰還した。

 

「叫び過ぎて喉が痛い……」

 

 イザベラは新たに構築された『部屋』のソファーにぐったりと身体を預け、口の中で飴玉と愚痴を転がしていた。

 

 伏羲とタバサもご相伴に与っている訳だが、この飴は大宮殿グラン・トロワの食料庫から失敬してきたものである――もちろん『窓』で。

 

 さらに果実水を呷ることで、ようやくひとごこちついたのであろう。深呼吸して気持ちを切り替えたイザベラは質問を再開した。

 

「整理させてもらうよ。あなたが移動できる距離についてはよぉぉっく理解できたわ。ところで、あそこで挙げた条件は『窓』を開けることのできる場所でもある?」

 

 その問いに、伏羲は頷いて見せた。

 

「オーテンクンの網はヴェルサルテイル宮殿の全域に張り巡らされていて、その範囲ならどこでも『窓』が開けるし、手を伸ばすこともできるわよね」

 

「うむ」

 

「あと、タイコーボーを起点――あなたたち流に言うなら〝座標〟に設定して、そこにも『窓』を開けることができる。でも、オーテンクンがいる位置とそこまでの距離が離れすぎている場合は、目的地を見失うことはないけれど、移動に時間がかかる。一度に大きく空間を曲げようとすると、酷く消耗してしまう……あるいは、それをするだけの〝力〟が足りないから?」

 

「その解釈で間違ってはおらぬ」

 

 質問を続けるイザベラの隣で、タバサが手元の羊皮紙にそれらの内容を書き留めている。

 

「オーテンクンの場合、移動するときの〝座標〟はあなたにしか設定できないのかしら?」

 

「いや、そんなことはないぞ。実際、おぬしを狙った刺客のアジトを突き止めていたであろう? あやつ単体でも、目にしたモノや場所を起点にして跳躍することができる」

 

 ううん……と、王女は首を傾げた。

 

「それなら、あなたたちがわざわざ魂を重ね合わせた理由は何? 彼だけでも『地下水』を起点にできるのよね? そもそも、わたしが提案した作戦では弟が忍び込むわけだから、座標とか距離の問題もないだろうし」

 

 言われてみればその通りである。タバサは瞳に興味の色を浮かべて伏羲を見つめた。

 

「オーテンクンは『オレたちを捉えられなくなる』って言ってたけど……もしかして『窓』か彼に何か問題があるのかしら?」

 

「その通り。実は王天君の『窓』には大きな弱点があるのだ」

 

「どういうこと?」

 

 これまでの経緯から、その内容を悟ったタバサだったが、大人しく口を閉ざしていた。

 

「あやつの『窓』は一方通行で目に見えぬ。だが、優れた『空間使い』であれば、誰かに視られていることを察知できてしまうのだ。おぬし、例のカジノでの騒動を覗いとっただろ?」

 

「それはオーテンクンの記憶、って訳じゃないんだね?」

 

「そうだ」

 

「ん? わたしが見てたのも気付いてたわけ!?」

 

「うむ。『窓』が開いていて監視されているかもしれない、と認識しただけではないぞ。おぬしが『窓』の向こう側にいる、ということも分かっておった。察知する側の技量にもよるが、最悪の事態を想定しておいたほうがよいであろう?」

 

 イザベラは生真面目な顔で同意を示した。

 

「そうだね、そこまで考えてくれるのはありがたいよ。わたしに教えてくれたこともね」

 

 太公望の場合は〝魂の双子〟である王天君と互いに共鳴するが故に気が付けるのだが、あえて言わないでおく伏羲。

 

「それが、あなたたちがひとりになった理由?」

 

「うむ。ふたりの性質が合わさることで〝遍在〟が可能となるのだ」

 

「風魔法の〝遍在(ユビキタス)〟じゃないよね?」

 

「神学にある概念のほう?」

 

 少女たちの問いに対し、伏羲は確認で返した。

 

「神という存在の概念、あまねく世界に存在する……だったな? 何処にでも居て、何処からでも見守っている――」

 

「そう」

 

「わしの〝遍在〟とは、それと少々違う。何処にでも居るが、何処にも存在しない……確かにその場所に在るはずなのに姿を捉えることができなくなる――こんな風にのう」

 

 そこまで告げたところで、伏羲は『最初の人』『始祖』の〝力〟を発現させた。

 

「!?」

 

 タバサは慌てて立ち上がり、周囲を見回した。つい今しがたまで側にいたはずの伏羲とイザベラが煙のように消えてしまったからだ。

 

「どこかに跳躍した? でも、それだと先ほどの説明と矛盾している……」

 

 杖を構え、目を細めて気配を探るタバサ。しかし、彼らを見つけることができない。

 

「……っぷぷ。あ、ごめん!」

 

「問題ない、すぐに終わらせるつもりだったからのう」

 

 声と共に、従姉妹姫と黒衣の魔王が現れた。消えたときと同様、唐突に。

 

「何をしたの?」

 

 やや棘のある声で問い質すタバサに、伏羲は悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。

 

「ククク、誰にも捉えられなくなる〝場〟を発生させて、わしとイザベラの存在感をこの世界から一時的に消失させたのだ」

 

 さらっと言うが、それはとんでもないことなのではないだろうか。

 

 ――タバサが感じた通り、これは地球の『始祖』『最初の人』としての〝力〟を極限にまで高めた結果編み出された、次元違いの超高等技術である。

 

 ただし、使い道が「追っ手から逃げる」「仕事をサボってぐうたらする」という本当にしょーもない方向に発揮されているため、その凄さがイマイチ理解されていないだけなのだが。

 

「この〝場〟が効果を発揮しておる間、わしと、わしと共に在る者の存在を認識できない。例えば鏡に映っていても見えなくなるし、触れることもできなくなる。〝遠見〟の魔法で発見することもできぬし、水に浸かっても波紋ひとつ立たぬ。文字通り『いなくなる』のだ」

 

 言い終えた後、イザベラのときと同じように、タバサを〝場〟に取り込んで見せる。

 

 実践というこれ以上なくわかりやすい説明に、少女ふたりは驚き、戦慄した。

 

「凄い」

 

「これさあ、悪用したらシャレにならないよね」

 

 ふたりは率直な感想を述べる。

 

 太公望が用いる〝風〟という系統に〝遍在〟という魔法が属していること、王天君の外から見えない亜空間の『部屋』に、空間移動。そして、彼らふたりがエルフではないことと、先住の魔法を習得していないという言葉――。

 

 それらと、これまでに入手した情報から、イザベラは途方もない結論に達した。

 

「まさかとは思うけど……あなたの『窓』やこの『部屋』が虚無魔法ってことはないよね?」

 

 従姉妹姫の言葉に目を剥くタバサ。ところが……。

 

「虚無ではないと思うが、そう断言できる程の材料がないのう」

 

 こちらのほうが問題発言だった。

 

「ちなみにイザベラよ。おぬし、どういう理屈でそんな結論を出したのだ?」

 

「〝召喚〟で、わたしたちメイジは自分と使い魔候補の間に『道』を創り出すことができるだろ。あれは形や見た目こそ違うけれど、あなたの『窓』に似てる。それに……」

 

 果実水で乾いた喉を潤し、さらに先を続けるイザベラ。

 

「月目野郎はあれを『始祖の後継者候補を探し出すための魔法だ』って言っていたわ。今までは特に気にしていなかったんだけど……〝召喚〟と〝使い魔契約〟って、他の汎用魔法(コモン・マジック)に比べて異質っていうか……違うように感じたんだ」

 

「なるほどのう。王天君が気に入るのも頷ける」

 

 他者から褒められ慣れていないイザベラの頬に、ほんのりと朱が差す。

 

「そ、それとだ。全部がそういうわけじゃないけどさ、汎用魔法の中には系統魔法で似たようなことができるモノがいくつもある。〝浮遊〟と〝飛翔〟みたいな、ね。ということは〝召喚〟と良く似た呪文が、失われた〝虚無〟の中にあってもおかしくはないでしょう?」

 

「確かにその通り」

 

 ぽつりと呟いた後、タバサは伏羲に視線を送った。そして彼は、その意味を正確に受け取る。

 

「タバサには既に話しておることなのだが、実は『始祖』ブリミルがわしの故郷からハルケギニアへやって来た可能性があるのだ」

 

「なんだって!?」

 

 口をぱくぱくするイザベラ。無理もない、神学界において『始祖』の故郷に関する議論が繰り返し行われてきたにも関わらず、未だその謎が解けていないのだから。

 

 もしも、目の前の男が『始祖』ブリミルと同郷なのだとしたら――。

 

「だから断言できないってことかい……」

 

「ああ、そういうこと。わたしも理解できた」

 

 実際に『窓』とよく似た魔法があるのだ。もしも『始祖』ブリミルと彼ら兄弟が同じ場所から来ているのだとしたら、根幹となすものが共通している可能性も否定できないし、逆に虚無とは全く異なる系統なのかもしれない。

 

 そもそも〝虚無〟とやらがどんなものであるのか、例の〝記憶(リコード)〟という魔法以外、ここにいる誰も知らないのだ。そんな状況で断言できないのは当然だろう。

 

 それを言葉にした少女たちに対し、伏羲は満足げに頷いた。

 

「というわけでだ、これから例の枢機卿誘拐作戦を詰めていこうではないか」

 

「そうだね、聞かなきゃいけないことが増えたことだし」

 

「同感」

 

 

○●

 

 ――ガリアの命運を左右する、重要な作戦会議の最中。

 

 伏羲は頭の片隅で、それらとは全く別のことを考えていた。

 

(あれは一体どういうことだ……?)

 

 王天君の記憶に触れることで知ってしまったガリア国王ジョゼフ一世の精神的な危うさや、それに関連しているのであろう、数々の問題行動に関することにも頭を抱えたが……彼に、それらと同様か、さらに上回る程の衝撃を与えたのは――中空に浮かぶ蒼き月だった。

 

 紅い月を間近に見たことで、この世界が地球ではないことを改めて確認した伏羲は、続いてもうひとつの月へ向かおうとしたのだが……。

 

(あの星の周囲に亜空間バリアが張られておった……他はどうか知らぬが、少なくともあの蒼い月はスターシップ蓬莱島のような人工物ということだ)

 

 宝貝(ぱおぺえ)の類いか、それとも伏羲の知らぬ全く別の技術で作られたものなのか。

 

 滅びた世界の歴史を識る伏羲だが、彼は技術畑の人間ではない。そもそも、あまりにも永く生き過ぎたがために、過去に学んだ知識のそこかしこに穴が開いていた。

 

 記憶力には自信のある伏羲だったが、さすがに限界というものがある。

 

(とはいうものの……)

 

 本来の姿に戻った今なら、あのバリアを破壊して内部へ乗り込むことも可能だろう。

 

 一応目視できる位置にはあるので、跳躍してもいいのかもしれないが……もしも蓬莱島のように「バリアを抜けたら、そこはワープゾーンでした」状態だったら目も当てられない。

 

 見えるから、そこにあるとは限らない。虚像が映し出されていた例もある。その場合、空間移動に失敗して何処とも知れぬ場所に放り出されるか、あるいは行き場を喪った〝力〟に圧し潰されて大変なことになってしまう。

 

(どこに飛ばされるのかわからぬ以上、危険は冒せぬ)

 

 王天君は地球の座標を消失(ロスト)していた。無理矢理魂魄を分離させられたせいなのか、複雑に絡み合った亜空間に閉じ込められたからなのか、あるいはその両方なのか。今の伏羲には原因が掴めなかった。

 

 こんな状態で、またどこか見知らぬ世界に飛ばされたら――それどころか、何もない宇宙空間に投げ出されたりしたら、彼は完全なる漂流者となるだろう。

 

 もしも、そんなことになってしまったら。

 

(夢のぐうたら生活がますます遠のいてしまうではないか!)

 

 とりあえず、今は目の前の危機に対処することにしよう……。

 

 ひとり結論を出した伏羲は、改めて国を背負う少女たちとの話し合いに集中した――。

 

 

 




イザベラ「ハルケギニアは青かった」
タバサ「ハルケギニアも青かった」

いつも感想、誤字報告、活動報告へのコメントありがとうございます。

なかなか手が回らず、誤字報告と活動報告へのコメント返しができていない状態ですが、心から感謝致しております。


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