ジータちゃんが闇堕ちしたら……   作:もうまめだ

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前書きはなしで本編どうぞ


という矛盾






私のもの

 

 

「ふう。ようやく入れた。外にいる小さな錬金術師が予想外にできるやつでね。あの子に察知されないようにここに侵入するのも一苦労だった。……あぁ失礼、君に会うのは多分……三度目かな? そんなに険しい顔をしないでくれよ、僕は君を助けてあげようと思っているんだから」

 

「おいロキ、オレたちは観客じゃなかったのかよ?」

 

「そうだね、でも僕は違う。僕はこの劇の脚本家であり、監督でもあるんだ。演者が勝手な演技をしないように、終劇を見失わないように導く必要があるんだよ。このままじゃこの劇は喜劇になっちゃうんだ」

 

「結末がどうあれ喜劇になるんじゃなかったのか?」

 

「そう、このままでもこの劇は十分面白い。でもね、僕がひと手間加えれば、抱腹絶倒の劇になるんだよ」

 

「そうか……」

 

「あぁごめんね。……はい、これでどう? 体に力が入ってくるのが分かるでしょ? でも頭のいい君なら分かると思うけど、ここで力を出してしまえば外の錬金術師に気づかれて今度こそお陀仏だ。だから、待つんだ。最後の最後まで、本当に殺したいと思う相手が絶対の隙を見せるまで……ね。それじゃあ行こうかフェンリル。観客席に戻ろう」

 

 

ーーー

 

 

 アガスティアの大部分の住民がまだ夢見る早朝に、俺たちが乗った小型艇は無事に港に着いた。どこで俺たちの到着時間を知ったのか、意外にもカリオストロが出迎えに来ていた。いつものように少しの不機嫌さを湛えた少女は俺たちが艇から降りるとすぐに踵を返し、タワーへと向かおうとする。

 

「カリオストロ!、出迎えありがとう。でもどうやって俺たちの到着を知ったんだ?」

 

「よろず屋がさっきオレ様のところに来てな。もうすぐ到着するから迎えに行けと。どうもその小型艇の場所はこの空域内ならどこでも把握できるらしい。詳しいことは教えてくれなかったがな」

 

「それでこんなにタイミングよく……」

 

「それとだ。ジータが施した封印だがすべて解除し、今は逆にこっちから封印魔法をかけてある。あの部屋内ではあらゆる魔法、錬金術が使えないようになっているから注意しろよ。念のためにジータの体力も限界ギリギリまで吸い取っておいた。といってももう五日間は何も口に入れていないだろうし、その状態でそれなりに体力を使う封印魔法を二発撃ったんだ、吸収するものもほとんどなかった。流石に餓死されるのは困るから、今はこっちから最低限のエネルギーは送っている」

 

「そうか。それじゃあ早めに……」

 

「早めにどうするんだ?」

 

 カリオストロが一瞬足を止め、俺の顔を覗きこむ。

 

「これはオレ様の助言だが、あの部屋に入ったらすぐにアーカーシャを起動しに行け。ジータは部屋にいるだろうが無視して歴史を改変しろ。あいつの身体から魔晶の効力は奪い取ってあるが、それでも何が起きるかは分からない。どうせ歴史を変えるんだからオレ様としては息の根を止めておきたいんだ。だがお前の意志を酌んで今の状態にしてある。だから安全策をとって、すぐに……」

 

「そうもいかないんだ」

 

 俺はルリアの顔を見て、合図を送る。頷いたルリアが星晶の力を発揮すると、ジータの姿をしたアネバルテが姿を表す。

 

「お前は……、そうかお前が話に出ていたアネバルテか。……おいグラン、お前は正真正銘の馬鹿だな。いいか、ジータがどこまで自身の記憶を錯乱しているかは分からないが、今のジータの状況を作った元凶がこいつなんだろ? そんな奴をジータの前に出したら、何が起こるかなんてすぐに分かるだろ!」

 

 ああ、分かるさ。でも、やっぱだめなんだ。

 

「魔晶の力はほとんど取り払ったが、一度使用したその身体は蝕まれて、すべてを取り払うことができない。そして魔晶の力は怒りによって増幅し、その影響は計り知れない。お前だってその身をもって恐ろしさを知ったはずなのに、なんでそこまでして」

 

「歴史改変をしたら今のこの世界がどうなるかは分からない、そうだろ?」

 

「ん、なんだいきなり? ああ、今のところわかっちゃいない」

 

「歴史改変された新しい世界はできる。でも今俺たちがいるこの世界も同じように残ったら? そしたらその時この世界に残った俺は、俺たちはすごく困ると思うんだ。だから俺はできるだけこの歴史上でもできるだけ後悔のない選択をした後で、アーカーシャの力に頼りたいんだ」

 

「だがな。そんなことはオレ様たちの知ったこっちゃない。歴史改変で二つの世界ができたとしても双方同士のつながりは残らない。オレ様たちは見ず知らずの関係になるんだ。それなのにお前はどうしてそこまでのお人好しなんだ」

 

「そういう性格だからね、どうしようもない。ごめんカリオストロ、でも俺の意志は変わらないんだ。卑怯だけど、ここは団長命令を使わせてもらう」

 

「それならオレ様の願いも聞け、そうしないとあの部屋は今すぐ封印してこの団を降りることにする」

 

「……願いって?」

 

「グラン、お前の記憶も保存させろ」

 

「記憶の保存?」

 

 夢の中で会ったカリオストロを思い出す。あのカリオストロも久しぶりに記憶を同期したら、知らない記憶が入ってきたって言ってたっけ。

 

「あぁ。オレ様は常に一つ上の次元に記憶を保存している。魔法で記憶喪失になったりしたときの保険だな。そこにお前の記憶も保存させろ」

 

「それは、なんで?」

 

「当たり前だろ? 事のはじめはどうってことない、民間人がそこの星晶獣に害を与えたっていうただそれだけ。それがここまで大きくなって、伝説ともいわれる星晶獣の力を使うところまで来ている。あれは防げる過去だったんだ。歴史改変をしてまた繰り返すのはごめんだからな。あっちの世界で今の記憶を勉強して、同じことが起きねえようにしてもらわないと」

 

「うん、分かった。アーカーシャの能力は上の次元には影響しないらしいしね」

 

「……お前、なんでそんなことが分かる。まだオレ様は試したいことはないのに」

 

「えっ……と、いや、勘かな」

 

 

 隠し港と街をつなぐ通路を出、タワーへと向かう。寝静まった街は俺たちが帝都を出発したときとあまり変わらないが、復興の兆しともいえる、街並みの修理の経過は見て取れた。

 

「この街の住民がやっている街の復興は、アーカーシャの力を使えばすべて水の泡となって消える。お前のやろうとしていることの大きさが分かるか?」

 

「そんなこと、分かってるさ!……でもだからって、みんなに何もしなくてはいいです、とは言えないだろ?」

 

 カリオストロがそんなことが言いたかったわけじゃないことは分かっていた。それに俺も嘘で塗りたくられた俺の言葉に気づき始めていた。俺もカリオストロもそれ以上何も言わず、俺たちはタワーへと足を急いだ。

 

 

 復興中の街並みを通り抜け、帝国兵やら救援中の騎空士やらでごった返したタワーに到着し、すぐに上階へと登る。寄り道もせずまっすぐにあの部屋の前へと進んでいく俺の目には誰の姿も映らない。早く、今すぐにでも決着をつけたい。そう思う俺を来客が、最後の障害が待っていた。

 

 

「黒騎士……」

 

 

 部屋の前にはクラリスが座り込み、居心地悪そうにカリオストロが新たに刻んだらしい扉の紋章に目を向けている。その後ろには、エルステ軍大将アダムと、腕を組みオルキスを連れた黒騎士が品定めをするように立っていた。

 

 

「グラン、お前の計画にはオルキスが必要はずだ」

 

「あぁ、そうだ。でも……」

 

「オルキス、行ってこい」

 

「えっ、どうして」

 

 アーカーシャの起動のためにはオルキスの力を借りなくちゃいけない、けれど黒騎士がそれを簡単に認めるとは思っていなかった。帰りの小型艇の中で、様々な案や説明を考えつくしたが、黒騎士を納得させるようなものは出ず、どうしたら折れてくれるのかと途方に暮れていたのだが……。

 

「どうして、オルキスを……いいの?」

 

「言い忘れていたがグラン、オルキスの歴史に干渉したらどうなるか分かっているな」

 

 俺の質問には答えず、黒騎士は一言くぎを刺す。てくてくとこちらに歩いてくるオルキスを見ながら、質問を重ねるべきか感謝するべきなのかを迷う。

 

「あ、あぁ、大丈夫だ。黒騎士も分かっていると思うが、歴史改変をするのは、ただ単にジータの過去だけだ。オルキスのことは、ジータと一緒に、正々堂々とお互いに納得したうえで決着をつけたいと思ってる」

 

 黒騎士はそれ以上何も言わなかった。その横に立つアダムも特に何を言うつもりはないのか口を閉じたままだ。カリオストロが扉の前まで歩きだし、俺もおずおずとついていく。ゆっくりと手を伸ばすと、何にも遮られることなく扉に触れることができる。

 

「もう遠くはないぞ、この扉を開ければ、すぐそこにいる」

 

「うん、ありがとう」

 

「グラン、なんで黒騎士もアダム大将も何も言わずに通してくれてからって言うとね、カリちゃんが団のみんなと一緒に説得してくれたからなんだよ」

 

「えっ」

 

「おい、クラリス! それ以上言うと一生しゃべれねぇ体にしてやるぞ。グラン、これを持っていろ」

 

 カリオストロから渡されたのは透き通った小球。

 

「歴史を改変する瞬間にそれを握っていろ。それは記憶の同期、保存を媒介するものだ。それを握っている間はお前の中の記憶が上の次元に保存され続ける。まぁ、細かいことはいいが、分かったな」

 

「うん。それと、説得ありがとうね」

 

「礼をもらうのはまだだ。改変後の世界で記憶を同期して、すべてがうまくいったことが分かったら改めてもらいに行ってやる」

 

「うん、分かった。それじゃあ……行こうか」

 

 

 

ーーー

 

 

 部屋の外がざわざわと騒がしくなった。そろそろ来るのかな、私も準備しないと。っていっても、別に何をするわけでもないけど。

 

 この数日間何もすることがなかったから、カリオストロにかけられた封印を解くことで時間を費やしていた。体内の血管を操作して魔法陣に文字を加えていくという地道な作業。けれどほかに暇つぶしもないため、集中してやっていたら身体は動かせるようになった。けど。

 

 二度の魔法の施行のせいで体力はぎりぎり、今では逆に体力を送り込まれていて病人のよう。魔晶の力も奪い取ったし、これなら部屋に入っても安全だね。

 

 

 

 

 とでも思ってるのかな。

 

 

 

 

 数日間閉じていた扉が重々しい音を立てて、開いていく。はじめに見えたのはグランの顔。こっちをちらっと見て、はっとした顔になるのは劇でもやっているかのようにわざとらしくて。グランの後に続くのはいつもの通り、ルリア、そしてビィ。アーカーシャの起動のためだろう、どうやって黒騎士を説得したのかは分からないけどオルキスが続く。それで終わりかな、そう思った私の目が意外な来訪者を捉える。

 

 

 私に瓜二つの……アネバルテ。その姿を認識した途端、心の奥底から湧き上がる感情があいつを殺せと命令してくる。冷静に時を待たなくちゃいけないのに、そんなのも無視して、今すぐ殺せと私に囁きかける。

  

 アネバルテが部屋の扉を閉める。グランが私の前まで歩いてきて、しゃがみ、私に声を投げかける。怒りと誘惑に支配された本能を抑えるために、冷静な思考が咄嗟に音の情報を遮断して、私は暗闇の世界に落とされたかのように錯覚する。口をパクパクと動かす人形のようなグランを見ているうちに、それが滑稽に思えてきて、怒りは徐々に薄まっていく。

 

 グランに続きルリアとビィが私に何か話しかけたようだった。何も聞こえない私は無反応を装う。そしてグランが場所を空け、アネバルテが私の目の前まで歩み寄り、涙ながらに何かを話しかける。

 

 もちろん私の心には響かない。むしろ、再び怒りがこみ上げてきてそれを抑えるのに必死だった。諸悪の根源、私を今の状態にしたすべての理由が目の前にいた。

 

 今の私にとってはこの世界が夢の中だろうと現実だろうと関係なかった。ただ単に、憎い。その憎しみを行動に移せる唯一の瞬間のために、私は全身全霊で怒りを抑え込み、無表情を演じる。

 

 アネバルテが急にグランの顔を見る。グランが何かを言ったのか悩むような表情を見せ、結局首を縦に振り、口をはいと動かした。

 

 反応しない私にあきらめをつけたらしい。グランがルリアとオルキスを向き、何か指示を出す。二人が頷くのを見て、グランは顔を奥の部屋の扉に向ける。もう、私は視界に入っていないようだった。

 

 

 

 それでいいよ。そのまま、私を無視して、先に進めばいい。

 

 

 

 

 グランたちが私の横を通りすぎる。下を向く私の顔の、瞳の隅にその忌々しい顔がまっすぐ前を向いて歩き去っていくのが見える。瞬間的にかっとなった頭の中を、血が出るほど拳を握りしめて唇を噛んで耐える。ロキに言われたでしょ、絶対の隙を見せるまで、私は私を出しちゃいけないんだって。

 

 視界からグランたちの姿が消える。私は無意識に遮断していた音の情報を回復させ、極限まで耳を尖らせる。後ろの部屋、アーカーシャがいる空間へとつながる扉までの距離はすでに把握している。だから後は、気配だけ。きっとグランは扉の前に立って、自らドアを開ける。その瞬間こそが、私が待ちわびた一瞬の隙。

 

 一定の周期で私の耳に伝わる足音は、標的までの距離を確実に私に伝えてくれた。私はすぐにでも殺したいという、走り出しそうな心と体を抑えるのに必死で。頭の中では何度も何度も、得物を仕留めるその動作を繰り替えして。

 

 

 

 そして……

 

 

 

 

 足音が止む。グランの意識が目の前の扉へと注がれる。いや、グランだけじゃない、この部屋にいる私以外の全員の意識がその扉に集中している。鋭敏になった私の五感が、その時が来たことを告げた。

 

 足に力を込め、蹴る。地面が抉られ、その衝撃音が空間を伝わっていくのが見える。けれど私の身体はすでにその先を行っていた。手にはすでに、さっきまで転がっていたグランの剣を握っている。それを選んだのは単純に、自分の剣に殺されるのが一番滑稽だと思ったから。

 

 案の定全員が全員、向こう側を向いていてまだ私に気づいていない。自然と笑みがこぼれる。笑い出しそうだ。心が空高く舞い上がるような感じ。こんなにも生きていると感じるのは久しぶりだった。

 

 腕を曲げ、狙いを定める。腕を伸ばせば切っ先が届きそうな距離でも、最大限に幸福を味わうべく、筋肉が悲鳴を上げるほど腕を曲げ、全身の力を込め剣先を、グランの心臓めがけて、伸ばす。

 

 途端に目の前の景色の進み方が一気に緩やかになった。私の握る剣はのろのろと空を泳ぎ、グランの背中までの距離が途方もなく遠くなったように感じる。焦る気持ちを抑えようとするが今の私にはそれは無理だった。刃を突き刺したときの感触、苦痛にうめく耳障りな声、泣き叫ぶ周りの仲間の醜い顔。そのすべてが待ち遠しくて、はやく、早く殺したくて、これ以上伸びない腕をぎりぎりと伸ばす。笑みが、笑いが止まらない。

 

 それなのに、どうしてか。私の希望、期待を裏切るがごとく、剣先とグランとの距離は離れていく。ゆったりとした動きの中で私は何度も何度も叫び、腕を伸ばしたのに、それなのに。理由はすぐに分かった。グランの真横にいたアネバルテが私に気づき、助けるために、グランの背中を押していたのだった。私の目の前で標的が、グランの背中がアネバルテのものへとすり替わっていく。

 

 最後の最後まで忌々しくて、私の邪魔をするなんて。憎しみで顔が歪み、歯が震える。けれどすぐに私は笑顔に戻った。だって、両方串刺しにすれば、一石二鳥じゃん。

 

 私はより一層腕を伸ばした。引きちぎれてもいいと思った。いっそ投げようか、いやそれだと肉を切り裂いたときの感触が味わえない。旨みはすべて味わいたい。

 

 グランの背中が傾き、倒れていく。でも私の剣は到達しない。いや到達したともいえる。すでに剣先はグランをかばい、前に出たアネバルテの背中を穿っていた。このまま突き刺してグランごと斬り降ろそう。そう思った矢先、私は自分の剣が動かないことに気づく。時間の流れが戻っていく。

 

 グランが地面に転がる軽い音が耳を襲う。私は剣を引き抜くことはおろか、動かすことさえできなかった。目の前に転がった獲物に、私は何一つ害を与えることができなかった。

 

「アネバルテ、放してよ……放してよっ!」

 

「いいえ、放しません」

 

 後ろからでも分かった。切っ先を優しく挟み込むその両の手はすでに血だらけで、身体を貫く金属の塊からは耐えず痛みが供給されているというのに。私には、分かった。アネバルテは、笑っている。

 

「どうして、笑っているの」

 

「……分かりません。でも、助けたい、そう思った人を助けられたからでしょうか。こうやってだれかを、直接助けられたのは、はぁ、初めてなので」

 

 不意に既視感が襲い、私はめまいに体勢を崩しそうになる。脳裏によみがえるのは故郷での一幕。ヒドラの凶爪からグランをかばったのは、今みたいにグランを救ったのは、私だった。

 

「なんで、どうしてグランばっか……。私は、私は救われることはなかった」

 

「そ、そんなことないですよ!」

 

「うるさいっ!」

 

 耳障りなルリアの声が耳を傷めつけ、私は拳を握る。剣の柄が砕け、その破片が掌に突き刺さるのも構わず、私は思いっきり引き抜く。が、どこからその力が湧いてくるのか、剣はピクリとも動かず、耐えきれなくなったのかぼきりと折れる。

 

「うっ、ぐっ……」

 

 前に倒れていくアネバルテを倒れていたグランが優しく受け止める。その姿に吐き気がして。けれど今にも息絶えそうなアネバルテの表情が私の嗜虐心をくすぐる。折れた剣先もまだ鋭く、これでもグランを殺れることを確かめた私は、アネバルテがこと切れるその瞬間を楽しむことにした。これが初めてなんだ、この世界で、私が本当に殺したいと思った相手を殺せるのは。だったら最後まで楽しまないと。

 

 周りにいるルリアやビィの悲痛で醜い顔は見ていて楽しい。けれど、なぜか無表情のまま顔を崩さないグランを見ると虫唾が走る。アネバルテの姿は淡い光に包まれていく。

 

 

 

 耳障りな音を立てて、心が剥がれ落ちる。誰かがその奥底で、不快な声で叫んでいる。

 

 

 

 やがて全身に行き渡ったその淡い光は、一つ二つと宙へ浮いていき。光が離れるたびに、アネバルテの身体は欠け、消えていく。宙へと浮いていく光は、どことなく彷徨いながら、そのはかない光を失っていき、ぷつんと消える。それが今では、大量の蛍のように宙へと飛び、その淡い光で部屋は仄かに照らされる。すでにアネバルテの姿は地面にはなかった。

 

 

 こんなきれいな最後なんて見たくない。惨めに私に命乞いをするような、もっと醜くて恥ずかしい死にざま。それを期待していたのに。私は剣を握り直し、座り込み宙を見上げるグランへと切っ先を向け、振り上げる。振り下ろそうとした矢先、不意に視界が霞み、目をこすると手に水滴がついているのが見えた。私は……泣いていた。

 

 

 仄かな灯りは、一つずつ消えていく。そのたびに、心が削がれ、耳障りな音と共に誰かが叫ぶ。瞳からは否応なく涙が流れていく。いやだった。目の前の風景も、グランも、私も。

 

 

 

 死んで……死んで、死んで!

 

 

 

 

 耳障りな音と声にどうにかなりそうになりながら、私は剣を振り降ろす。顔色の変わらないままのグランに、削がれた心の欠片が叫ぶ。

 

「グラン、死んでよ!」

 

 

 

 

 グラン、どうしてグランは、今のこの状況に、仲間が一人殺されて、今まさに家族の一人に殺されそうになっているのに、そんなに無表情なまま、私を見据えることができるの……。

 

 

 

 

 

 天井まで届いた最後の光球は、一瞬部屋全体を煌かせ、そして再び暗くなる。私が握る不完全な剣は、その切っ先はグランの顔の寸前のところでとまっている。何か、特別な力が働いたわけじゃない。グランが止めたわけじゃない。私が止めたのだ。

 

 

 剥がれ落ちた心は私のものじゃなかった。不快な叫び声は、私自身のものだった。私は、私を止めようとしていた。聞く耳を持たなかった私に、無理だと分かっていながら、必死に、全力で。

 

 

 

 

 





ありがとうございました。



黒騎士があんなに簡単にオルキスを差し出すとは思えません。でも黒騎士の性格を考えてもいいのは思いつかなくて、結局あいまいな感じになりました。


次話は最終話です


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