元貴族で今は兄夫婦の営むパン屋で働くナタリーン・オラートは店頭で街の人達にサンドイッチを販売している。
「はい、コロッケサンドが2つに卵サンドが1つ。こちらはツナサンドにコーロスローサンドですね、毎度ありがとうございます」生来の美しさはそのままながら今や貴族のご令嬢だった面影は見られない。
「お早う、ナタリーン。このところ朝は冷えるようになったわね」常連の女性客が挨拶する。ナタリーンも品物を渡して
「ありがとうございます、本日もお気をつけていってらっしゃい」笑顔で仕事に向かう女性客を見送る。
昼休みになり家族と食事をとりながら兄のバズに1つの提案をする。
「ねえ、お兄ちゃん」この呼び方もすっかり慣れている。
「どうしたナタリーン?給料なら値上げは出来ないぞ」
「違うわよ、そろそろ新商品を出してみたらどうかと思って」バズとマデリーンはナタリーンをジッと見つめる。
「新商品か、なるほど。しかし何かアイディアがあるのか?」
「それよ。騎士だった頃地元の鍛冶屋に剣を調整してもらった時を思い出したの」ナタリーンは鋳型に溶かした鉄を流すと武具になるようにパン生地も焼くのに型を使うのだから剣の形のパンも作れるのではないか、きっと客受けもいいハズだと自信ありげに語る。
この件について大輔に相談したら
「ムリでしょうね」とバッサリ言われた。
「そんなぁ、どうして?」納得してないナタリーンに大輔は丁寧に説明する。
「まず剣を型どったパンを食べたがる人がいるのかが問題です、勿論何人かはいらっしゃるでしょうが多くのお客様に受けなければ商売として成立しません。見た目で気を引くなら他の形にした方が賢明です、それに型はどうやって入手するんですか?特注品となればそれだけでかなりの出費になりますよ」
「マスターの言う通りだな、お前も今回は諦めろ」バズにも諭されガックリと落ち込むナタリーンに大輔は
「確かいいモノがありますから、少し待っていて下さい」
数分後、大輔が持ってきたのは蝶番と取っ手のついた鉄の板である、中を開けると沢山の人の顔が小さく彫刻されていた。
「先代が酔狂で購入したんですけどウチの竃では火力が足りなくて使えないんです」そして越後屋が次に定休日を向かえた日、大輔から生地の作り方とこの道具の使い方を教わる。
「豆を甘く煮るってのは初めて聞いたな、でも旨い。なんかホッとする味だ」
「トレベの砂糖煮はこのくらいでいいかしら?」
「甘いモノが苦手な人用にカレーとかを入れてみるのも一興ね」
「中が見えないとお客が混乱しないか?」
大輔が帰った後も3人であれやこれや議論を続ける、話がまとまるのに丸二日かかった。
「ナタリーンちゃん、ニンギョーヤキおくれ。チューバと何だっけ?魚の油漬けを混ぜたのとあの辛い葉っぱのやつ」
「こっちは甘いのちょうだい、紫の豆と白いトロッとしたのを3つずつ」秋が近づいてきた。オラートベーカリーの新商品、ニンギョーヤキは愛敬ある形と一口大の大きさが小さい子供やその親を中心に結構な評判を得ている。越後屋一同もこっそり買ってきて仕事の合間に食べてみる
「カレーもツナポテトもマスターが作った方が美味しい」
「まあ、悪くはないわね」
「合格ではありますけど満点じゃないと思います」
「私は味の違いとかよくわかりません」
「おいら、甘いのが、好き、辛い、あまり好き、じゃない」今日もまた個性豊かな従業員である。
「先代の仏壇にお供えしておくよ」
「ブツダンってなんですか?」ニドがロティスに質問する、
「家庭用の礼拝堂らしいわ、それにお祈りすれば教会やお墓まで行かずに済むそうよ。花の代わりに食べ物を手向ける習慣もあるんですって」
「異世界って不思議ですね」そんな会話を気にする事なく大輔は人形焼きを仏前に供えて亡き両親と熊実に手を合わせた、この日の日本は彼岸の中日である。
人形焼きといえば本来餡子だけですが本作ではカレーに高菜、生クリーム入りも登場してます