いつもの営業日、大輔は2日前に予約されたりんごのタルトの仕上げに取り掛かっていた。店内用が2個、持ち帰りが6個合計8個、ちょうど1ホール分の注文である。こちらに店が転移する前は近所にフランチャイズのケーキ屋があるので特に需要はなかったがこちらではお菓子の種類が少ないのか主に女性を中心にスイーツ類のリクエストが後を絶たない、元々珍しくて美味い料理を出す店と評判を呼んでいるためお菓子類も美味しいだろうと期待を持たれてしまってた。幸い師匠はスイーツも得意だったし、大輔もレシピと技術を伝授されているので困る事はなかった。ただしケーキのように作るのに手間と時間がかかるものは完全予約制で、受け渡しは店が比較的暇になる昼過ぎにしている。
タルトを予約した客は昼下がりに訪れた、こちらから見て越後屋が位置する街の領主を勤める貴族の奥方だ。多少年齢はいっているが相当な美女である。
「思った通りここはお菓子も美味しいわ」タルトに舌鼓を打ちながらもセーダ・コルトン夫人は浮かない顔をしていた、彼女はある意味貴族ならではの悩みを抱えていたのである。
夫のコルトン公爵は誠実な人物で市民から慕われているし今年10歳になる一人娘セリクスも素直ないい子と誰もが羨む一家だ、セーダも夫と娘を愛しているし決して不満がある訳じゃない。
由緒正しい貴族の家柄のコルトン家だが子供達は同格の貴族御用達の学院ではなく市民と同じ学校へ通うことになっている。「市民の上にたつ貴族ならばこそ、直に彼らとふれあいを持たねばならぬ」という初代公爵の教えを代々守ってきたのだ、それ自体はむしろ立派な教えだと思う、問題はセリクスの担任教師から聞かされた学校行事である。5日後、授業の一環で母子料理教室を行うらしい。セーダは多くの名門貴族出身の婦女子同様料理はおろか家事一切を使用人に任せっきりで自分は何もできないのだ。参加しなければ娘の成績に響くし、参加すればコルトン家の恥をさらすことになる。学院だったらそんな授業はないが今更セリクスを転校させるのもムリ、ジレンマにかられていた。
「お出ししたものはご不満でしたか?」この店のマスターが声をかけてきた、悩みが顔にでていたらしい。
「ごめんなさい、そうじゃないの。ねぇマスター、料理経験が全くなくても作るのに失敗しない食べ物ってあるかしら?ないわよね」
「保証はしかねますが…パンケーキならド○フのコント、イヤ喜劇舞台のピエロでもない限り成功率は高いと思います」
「ナニそれ?パンなの?ケーキなの?」
「この場合のパンは鍋の別名です、窯を使わず鍋1つで手早く作れるケーキです。この時間はヒマですから宜しければお教えしますよ」レシピを説明しながら実際に作ってみせるマスターの一挙手一投足をセーダは覚える。記憶力と観察力には自信がある。
本番当日。他の母親達や担任教師はセーダの参加に正直不安だった。貴族の奥方がまともな料理を作れる訳がない、それが世間のイメージであり常識なのだ。セーダは早速調理を始める、鍋にバターを引きパンケーキパウダー(マスターにブレンドしてもらった)粉に卵とミルクを混ぜた生地を流す、香りが焼きたてのケーキ生地に移り香ばしさが教室いっぱいに広がる、仕上げにトベレの実に砂糖を加え水気がなくなるまで煮詰めたものを乗せて完成した。見た目は地味で貴族らしくないともいえる、香りもいい、だが味はわからない。
「暖かいうちに召し上がって」嫌ともいえず担任は恐る恐る口に運ぶ、するとフワフワで香ばしいケーキと甘酸っぱい果物が溶け合い、さながら恋人達の抱擁或いは食べる芸術というべきか、美味しいを通り越して口の中で美しさすら感じるお菓子だ。他の母子も食べてみる、みんな思わず顔がニヤけてしまう。
「パンケーキというお菓子ですわ、暖かいのはもちろん冷めても美味しくいただけますのよ」大成功である。その日の帰宅後、パンケーキは夫にも好評だった。
後日、家族で越後屋に来店したセリクスは大輔にこっそりこう呟いた。
「パンケーキのおかげでお父様とお母様が益々仲良くなったわ、嬉しいんだけど、ちょっと不愉快っていうか変な気分なの」
(あぁ、焼きもちだな、両親どちらも好きでどちらもライバルみたいな)大輔は思ったがその言葉は飲み込み、
「ご両親の仲良しなのは幸せな事ですよ、少なくとも悪いよりいいでしょう」と優しく答えた。
実は筆者もパンケーキを始めて知った時同じ勘違いをしてました、今回はそのセリフを書きたくてセーダにも勘違いさせました。ヘ(≧▽≦ヘ)♪因みにトベレは苺の異世界語です。
9月21日改稿しました