ドレミースイートの夢日記   作:BNKN

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8 錆びた錨は酔いの海に沈む

 

 

 

「一つ」

 

 時化るというわけではないけれど、夜霧に一寸先すら白んで足を踏み出すのも躊躇してしまう、そんな海上。ギシギシと静波に軋む船の上で佇む獏は確かに人の声を聞いた。辺りは半紙の如き薄白ばかりで人の気配は無かった。けれども確かに女の声が響き渡ったのだ。

 

「ふむ…」

 

 そんな船の上で獏は一人、顎に右手を添えて思案する。その瞼は霧など見たくないとでも言うように固く閉ざされていた。そのまま動かぬ石像となった獏はやがて立ち疲れたのかゆっくりと座り込み、耳を立てる。恐らく彼女は先程聞こえてきた女の声を捕まえようとしているのだ。しかし、しばし待ち、次に船音以外に響いたのは彼女の求めていたものでは無かった。

 

「悲鳴…ですかね」

 

 板を割った様な音の後に響いた悲鳴。一つではなく複数のものであったようにも聞こえる。尋常には思えぬそれにドレミーは動揺することなく、音のした先を見据えるも以前、何も見えることなく。

 ただ、波に揺られるばかりのドレミーは黙して再び目を閉じる。来るべき時をまつ剣豪の様に姿勢を正す彼女が何をその心に思い描いているかは彼女しか分からない。

 

「…うん。迷子ですね」

 

 ただの迷子であった。

 

 

 

 

 

 〇

 

 悲しいかな、またもや迷子である。以前はさとりさんの夢の中でしたが、今回は別の方の夢にお邪魔させて頂いているドレちゃん。意気揚々と滑り込んだこちらの夢であるが、降りた時には既にこんな感じであり、非力な私ではいかんともしがたい状況なり。

 さっきから誰かの悲鳴やらなんやら聞こえるものだからさっさと進みたいのだが、如何せんどちらに進めばいいのか、そもそもどうやって進めばよいのかも分からない。

 

 まあ、また迷子とは言ったが、最初から状況が把握できる夢の方が珍しい。考えてみて欲しいのだが、そもそも夢の見始めを覚えている人がそんなにいるだろうか。どこから、どのように始まったかなんて普通はほとんど覚えていないものだ。それは単に夢が曖昧だからである。現実世界のストレスか何かが見せるにしても、強烈な思想が見せるにせよ、確たるものをポンと作ることは難しく、眠りについてから夢を見る中で徐々に完成させていくものなのだ。きっとこの夢も現在制作中の力作に違いない。だから私が迷うのは致し方ないことであり、決して私の力不足とか私が方向音痴とかそういう問題ではないのだ。

 

「一つ」

 

 そうこう言っている内にまた女性の声。どこかで聞いたことがあるような気もするが、どこでだったろうか。声が聞こえてしばらく経つとまた悲鳴。悲鳴の声の主は変わっている様なので別人だろう。というか、凄く悪趣味なのでさっさと切り抜けたいのだけれど。

 

「一つ」

 

 先よりも至近距離で聞こえた女性の声に振り向く。どこから聞こえたか分かるくらいの距離だった。

 

「っとと」

 

 と思ったらマジで目の前であった。船の一歩外に出たあたりの波の上に立つ濡髪の女性。水も滴るいい女なのは認めるが、私を見つめる目が尋常ではない。私に興味があるのか無いのかすら分からない程に淀んだ瞳の女性は左手に携えた柄杓を一度振った。

 

「……」

 

 当然ながら私に水がかかる。何だろう新手の嫌がらせだろうか。

 

「あのー…って?」

 

 コミュ力お化けを目指すドレちゃんはどんなに無礼を働かれようが我慢である。埒が明かぬと話しかけようとしてみた所で異変に気付いた。

 

「あわわわ」

 

 突然船の中に底が抜けたように水が湧き始めたのだ。当然沈んでいく船に私も思わず情けない声を出してしまったが、そこでやっと分かった。ああ、さっきまでの悲鳴はこういうことか、と。理解はしたものの、それで水が止まれば苦労はしないし、悲鳴は上がらない。

 

「あわわわわ」

 

 ドレちゃんピンチである。恥ずかしながら私、全く泳げないのだ。金槌というわけではないので浮きはするが、そこから全く動けない。渾身の力で犬かきをしても何故か動けないのだ。きっと前世で海に関する何かに因縁があるはずだ。私の運動神経の問題では断じてない。

 それはともかく、泳げないのなら今の状況はかなり不味い。私が夢世界で死ぬことはまずないだろうけど、悪夢から救うべく、突如やって来たヒーローが溺れる溺れるとか情けなさすぎる。

 

「もし、そこのお方。水を掻き出すのを手伝っていただけませんか?」

 

 どう考えてもあの女性がこれを仕掛けたのは明白だが、他にアテがない以上致し方ない。ラブリープリチーなドレちゃんに上目遣いでお願いされればきっとあの方も心を入れ替えて――

 

「……沈め」

 

 し、辛辣!

 敢え無く振られたドレちゃんは物理的にも精神的にも沈んでしまいましたとさ。

 

「とは行かないんですよね」

 

 慌ててから気付いたが、わざわざ律義に船に乗る意味もない。いや、出来るだけ他人様の夢を改変したくは無いのだけれど、今は仕方ない。緊急事態なのだ。

 というわけで、新しく船を造船。船首に私をデフォルメしたキャラを付属させた大船の完成である。名前は…そうだな、たしか幻想郷外の船にタイタニックという大船があったのでそれにしましょう。タイタニックVer.Doream完成である。

 

「……」

 

 きっとあまりの立派さに言葉が出ないであろう女性。心なしか私を見る目が冷たくなった気がするが気にするものか。手先がよく冷える人は心が暖かいと言うし、似たようなものだろう。

 

「沈め」

 

 し、辛辣!

 さっきよりも躊躇の無い口調で柄杓を振るう女性。先程は訳の分からないうちに沈んでいってしまったプロトタイプタイタニック号。此度のタイタニック号は私お手製なのでそう簡単に沈みは――

 

「あわわわわ」

 

 等と言っている暇もなく、水をかけられた端から我がタイタニック号浸水!

 なす術なく沈没!

 

「ってちょっと。折角造ったのになんてことするんですか」

 

 急遽2号を用意。用意したはいいが何だかまた沈められそうな気がしてならない。

 

「沈め」

「あーあ…」

 

 最早興味も無さそうに柄杓を振るう女性。今すぐお話してみたい気持ちで一杯ではありますが、聞く耳持たなさそうなので少々時間をかけましょう。

 

 

 

 

 

「満足頂けました?」

「………」

 

 あれから何十隻という船を落とされたドレちゃん。一隻一隻思いを込めて作っているというのに女性は水をひっかけるだけで沈められるとはなんとも不平等である。作るのが面倒なので今では桶みたいなのしか作らなくなったのだが、何となく女性が残念そうにしているように思えた。

 

「…最後に大きいのが欲しい」

 

 あらら、随分と可愛らしくなって。場所が違えば凄く魅力的なお誘いにも聞こえるけれど、隔つ物の何も無い海上では浪漫もクソもない。なので素直に大きいのを出して上げましょう。

 

「わぁぁ…」

 

 ドレちゃん渾身の造船。外の世界のガチの戦艦をプレゼントしてみた。女性も嬉しいのか、まるで大好物を前にした子供の様だ。一日一善。良いことをすると気持ちがいい限りである。

 

「沈め甲斐があるなぁっ!」

 

 テンションのすっかり振り切った女性は狂ったように笑いながら戦艦に水をかけまくる。なんだこの絵面。

 

「沈め沈め沈め沈め」

 

 目がやばい。

 たまにルーさんもああいう目になるが、狂気じみてて少しドレちゃんも身を引いてしまうところだ。

 

「沈めぇーっ!」

「…楽しそうで何よりです」

 

 

 

 〇

 

「いやー、気持ちよかった。ありがとね」

「いえいえ、お力になれて良かったです」

 

 無事、ドレミー戦艦を沈没させた船幽霊の村紗水蜜。いつものエネルギッシュな水兵姿ではなく、死装束に髪を濡らしたその姿。なれど、いつも以上に快活に笑うその姿はなんとも気持ちよく、誰よりも生き生きとしていた。

 

「えーと」

 

「ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びください」

 

 既に場所は霧の立ち込める海上から陸地に移っている二人。尻尾の生えた方が恭しく一礼すると、死装束もそれに(なら)う。

 

「ドレちゃんね。オッケーオッケー」

 

 心の中で三弾ガッツポーズを決めるドレミーを他所に水蜜は続ける。

 

「ドレちゃんてさ、もしかして無限に船とか作れるの?」

「はい?」

 

 よっこいしょ、と胡座をかいた水蜜からの唐突な質問に豆鉄砲を喰らった様に目を丸くする獏。そんな点になった目のままドレミーもゆっくりと腰を下ろした。

 

「さっきとか何十隻かと分かんないくらい造ってたよね」

「ああ、それはですか。それはここが夢で、私が獏だからですね」

 

 事もなげに告げたドレミーにしばし固まる水蜜。何を言っているか分からないといったふうに首を傾げる。

 

「え、夢?」

「はい、あなたの夢ですよ」

「なーんだ、夢かぁ。まぁ、そうかー。確かに言われてみれば、さっきとか気付いたら(あそこ)にいたし。それを不思議にも思わなかったし」

「ええ、夢なんてそんなもんです」

 

 気が付いたら海におり、気が付いたら船を沈める作業に没頭していたという水蜜。船幽霊の性なのか彼女の(へき)なのかは分からぬ所である。

 

「ん? 私の夢なのにドレちゃんみたいな初対面もあるの?」

「先程も言いました通り、私は獏ですので水蜜さんの悪夢を頂きに参りました」

 

 悪夢を頂きに来たという獏。けれど先程までは食事と呼ぶには程遠い様にも思える。

 

「悪夢なんて見てないと思うよ?」

「何かに追い回されたり、襲われたりのような夢ではありませんが、こうしたい、こうしたいけど現実では出来ない! みたいな抑圧された鬱憤が溜まっていたのでしょうね。少しでも思い煩っていたのなら悪夢みたいなもんです」

 

 直接的な感情へのダメージではないにせよ、心的ストレスには違いない。そういった負から作り出される無意識の像こそが悪夢であり、ドレミーのような獏の常食となるのだ。夢の持ち主のストレスを発散するだけでも獏の腹の足しになる、そう言えば獏がどれだけ有益な妖怪かは分かってもらえるだろう。そうであろう。

 

「まー、気持ちよかったし何でもいいか」

「そうですよ。夢なんて深く考えるものではありません」

 

 胡座のまま半身を床に投げ出す水蜜にドレミーも柔らかく返す。このまま穏やかに夢は醒めていくものかと思われた。

 

「あれ、じゃあドレちゃんって夢の中なら何でも出来るの?」

「なんでもというわけではありませんが、大抵のことなら」

「じゃあさ、例えばさっきの船みたく、ある物を沢山用意とか出来たりするの?」

 

 大抵のことなら、と聞いて目を輝かせる水蜜。みるみる若返っているようにも見える。ドレミーはそんなリバイバルする船幽霊に圧され気味にではあるが、胸を張る。

 

「それ位ならワケありません」

「そっか!そっか! じゃあ、ある物を用意して欲しいなあー。これまた現実じゃ楽しめないものでさー」

「ええ、お任せ下さい。何でもどうぞ」

「さっすがドレちゃん。えっと、欲しいのは――」

 

 後先考えぬ獏が安請負した事を後悔するまであと数分であった。

 

 

 

 〇

 

「だーかーらーっ!! 私はぁっ!! 一輪が白蓮してるから今すぐ八百屋に行って、ぬええええええん!!」

 

 意味不明(カオス)である。

 いっそひっくり返した卓袱台の方がマシと言えるほどの惨状が私の前に広がっていた。

 

「おいぃっ!! ドレぇぇえ? ん?誰だあんた!」

 

 静かに座る私にべたべたと絡むキャプテン・ムラサ。彼女からのお願いはお酒を出して欲しいとのことだった。何でも宗教的に飲酒がアウトだそうで、白蓮さんに禁止されているんだとか。それで普段は隠れてチマチマ舐めることしか出来ない鬱憤を夢にて解消したいとのことであった。

 

「聞いてるぅーっ!? 聞いてない! 聞いてないやつはーっ酒持ってこーーい!!」

 

 五月蝿いし酒臭い。

 そんな訳で、優しい優しいドレちゃんはお酒を取り出し、着物に着替え、雅にお酌していたわけだ。

 

 開始十分、軽快なスピードで猪口を呷るキャプテン・ムラサ。

 開始三十分、吐息に酒気が混じり始めるキャプテン。

 開始一時間、猪口を捨て、一升瓶を振り回すキャップ。

 開始―――、何を言っているのか分からぬデイスイ・ムラサ。

 

 私も始めの方は頑張って水蜜さんの酔いを吹っ飛ばしていたのだが、如何せんキリがない。諦めて酒を作る事だけに没頭しているわけだが、この人は酔い方が酷い。言語中枢はやられるわ、性格は荒くなるわ忙しい限りである。お酌している時には着物を剥かれたりした。お嫁に行けない。

 

「おいいいっ!!どれぇレ? 酒がないぞぅー!? アッハッハッハッハッ! 一輪ってばそっちは厠だってえへへへ」

 

 一人で楽しそうに会話しているので放っておいてあげましょう。帰ったらどうしましょう。暫くはお酒は見たくないですかね。

 

「あれぇー? どれぇ? ドレちゃんどこぉ? ドレちゃぁぁぁ――」

 

 

 

 〇

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえりなさいませ。今日は如何でしたか?」

 

「うーん…後味が最悪ですかね」

 

「それはいけません! 私が何か御口直しに用意致しますね!」

 

「ええっ!? いえいえいえ! それは大丈夫ですから!」

 

 後先考えぬ獏が己が不注意を後悔するまで後数分。

 

 

 

 


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