やっと見つけた。
今も私の姿形を真似て、私の名を語って絶賛活動中だった妖怪。目の前にして確信できたが、彼女?彼? ともかくあれは獏である。纏う妖気も、夢魂に触れている点を見ても獏以外考えられない。あの獏を見つけるのに結構な体力を使ったことや、それこそ徹夜で張り込みをしたことなんて些細なものだ。
捕食されかけている玉兎ですらどうでもいい。
どうやら私は自分で思っているよりも高揚しているらしく、彼女を前にして浮かび上がる笑みを咬み殺すのに必死である。顔筋を緊張させておかないと頬が緩んでしまうからややキツイ顔になってしまっているかもしれないが、ニヤケ顔よりましだろう。
「私の大切なお客様に何か御用でしょうか?」
涼しげな感じで登場し、こともなげに悪夢を処理、薄目を開けて舌なめずりをする。いかにも過ぎて臭い強キャラ感だが、相手よりも優位に立つならばそれもありだろう。
しばし待てども何も返事が返ってこないところを見るに私の迸る強キャラ感に打ちひしがれているのだろう。そうだろう。全て思い通りである。
見てくれは真似できてもその本質までは模倣出来ないのだ。相手の出鼻を挫くという意味で言うならこちらのファーストインパクトは上々。だが、肝心なのは次なのだ。威厳を残し、カリスマを残し、強キャラ臭を出したまま、タイミングを見て距離を縮める。あの獏を見つけるよりよっぽど骨が折れそうである。
…いや、待てよ。よく考えたら私には距離を詰めるための魔法の文句があるではないか。
「そちらはもうご存知でしょうが、何を置いてもこれをしなければ話にならないですよね」
曰く、他者と距離を詰めるのはその呼び名。
相手が私の名前を知っていようがいまいが、初対面には違いないのだ。やはりお互い自己紹介から入るのが筋だろう。そして初めましての印象が今後の展開を左右する。近しい距離を築きたいのならこれ以外ないだろう。
「初めまして。私、ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びください」
決まったっ! 私はかつてない手応えに心中でッツポーズを決めた。
〇
絶句。
張り付けた様な笑顔から粘性の高い溶岩のように流れ出る殺気。言葉一つ一つに込められた怒り。彼女の一挙一頭速全てが私の行動を制限する。完全にランク違いだとわかる。私の中の獏が既に地に伏して降伏してしまっていた。私の本能が理解してしまっていた。私は死ぬのだ。
△
私は地元でそれはもうブイブイ言わせていた。近所の獏仲間の中では抜きん出た力を持っていた故に子供の頃はその力を皆の為に振るい、姉さんと呼ばれて仲間達から慕われた。中学生になると周囲から持て囃されることに快感を覚え始めた。私が好戦的というか戦うことを躊躇わなくなったのはこの辺りからだろう。噂を聞きつけて絡んできた隣町のチンピラ獏を撃退、あらゆる道場を看破し、舎弟もその度に増えていった。そして高校3年生の冬、私にはついにやることがなくなってしまった。日々、人間の悪夢を食べて、舎弟獏に悪夢を奢ったり、舎弟を顎で使うことにすら飽きていた。力を持ち過ぎたゆえの退屈である。
そんなつまらないある日、舎弟獏からとある獏の昔話を聞いた。なんでもその獏は私と同じ様に絶大な力を持ち、あらゆる獏のテリトリーを奪っていったのだとか。その獏はもはや獏を超越した力を振るい、有り余るその力は夢世界から現実世界に干渉を可能にしたのだとか。何を馬鹿なと、初めは鼻で笑っていたのだが、ほかの獏に聞いてみると似たような逸話が聞けた。神話や御伽噺の類ではある様だったが、私が屈服させた舎弟をその獏に盗られる様に思えて我慢ならなかった。
馬鹿馬鹿しいとは思いながらも私はその獏を探した。その獏を屈服してしまえば私が獏界のキングになれる。私より上の存在が消える。何よりやる事の無くなった私の次の目標だった。
血眼になって子供の昔話の存在を探し求める私に舎弟たちは顔を曇らせ、いつしか私から距離を置くようになっていった。
探して探して探し続け、その獏が幻想郷なる場所を拠点にしているらしいという情報を手に入れた時には私の周りには誰も残っていなかった。
もう後には退けない。
私はかの獏の王、ドレミー・スイートを見つけ出し、打ち倒すことでしか前へ進めなくなってしまったのだ。
幻想郷入りは容易であった。現実世界ならば結界に阻まれてしまう隔絶世界も夢世界ならばなんの障害もない。この大きな結界を張った妖怪はこのガバガバ結界の実情に気付いているのだろうかと首を捻りたくなるがそれはともかく。
夢世界から幻想郷へ侵入を果たした私はドレミー・スイートを誘き出す作戦を取った。私からドレミー・スイートを探すことをしなかったのは何処を探せばいいのか手をつけられないほどにドレミー・スイートのテリトリーが広過ぎたからである。普通の獏の万倍は軽くあった。
そして私はドレミー・スイートの気を引くべく、ドレミー・スイートになりきることにしたのだ。道中仕入れたドレミー・スイートの肖像画を真似して自分の姿を変え、性格までは分からなかったので多分こんな感じだろうという予測の元で演技してみた。演技は成功、効果は的面だったらしく、私が偽物だとバレる事は無かった。ドレミー・スイートをあぶりだすべく、私は夢の中で彼女からの接触を待った。強者はやはり腰を据えて挑戦者を待っているべきであろうという私の下らない思想である。
そして現在。倒してやると息巻いていた私はドレミー・スイートの放つ圧に押し負けて呼吸すらもままならない。
「私の大切なお客様に何か御用でしょうか?」
強ばった彼女の表情は獲物に狙いを付けた獣の様に鋭く、舐め回すようにズルりと眼球が動いていた。
てか舌なめずりしてたし。
ようやく出会えた神話生物にへりくだってしまった口は硬直を貫くだけであった。情けない。次に溶かした鉛が渦巻くように重苦しい場の空気を破ったのはドレミー・スイートだった。
「そちらはもうご存知でしょうが、何を置いてもこれをしなければ話にならないですよね」
更なる重圧っ!
物理的に潰されてしまいそうになるほどの殺人的重圧っ!
断固として私を許さない。絶対に喰い殺してやる。そういった確固たる意思をひしひしと感じる。恐らく私がここで全身全霊完璧500%の土下座をお見舞いしても彼女の怒りは鎮められないだろう。四肢をもがれ、それでも終わらぬ悪夢を永遠とさ迷うことになるのだ。神に障った罰である。神ならば致し方ない、そう思える程の不条理を感じ、全身の筋肉から力が抜けていくのが分かった。
死を覚悟した私の頭の中で、これまでの記憶が溢れ出した。ドレミー・スイートを追いかけ、充実していた日々。友と過ごした輝かしき日々。父と喧嘩をして家を出た青き日々。母とままごとをして笑いあった幼き日々。走馬灯と呼ばれるそういった記憶が私の瞳から泪となって流れ出た。そして最後に思い出したのは父と別れの言葉を交えたその場面だった。
『ドレミー・スイートを探しに行くっ!? 何をガキみたいなこと言っとるんじゃい!!』
父は私がドレミー・スイートを探しに旅に出ることに反対した。一人娘である私のことを思っての反発だったことは十分に理解している。だけど私も退けなかったのだ。
『ガラの悪い連中とつるむわ、御伽噺を真に受けるわええ加減大人になれんのか!』
父の言う事だってわかる。ドレミー・スイートという伝説の存在を追うということが如何に滑稽かは分かっていた。だが、私は父に似て頑固だった。
『お前もいい歳なんじゃから…もう少し、先を見据えてだな――』
『これが最後。私、この旅が終わったらお見合いするわ』
頻りにお見合いを勧める父の最も喜ぶセリフだったろう。私はずっとそれを拒み続けていたけれど、どうしてその日だけスルリとその言葉が出たのかは分からない。今思えば、もしかしたら帰ることが出来ない事を無意識に悟っていたのかもしれない。
『…お前はそうやって無茶苦茶なことばかりっ! 親の身にもなっておくれよ…』
勝気な父からは想像出来ない弱々しい声にこちらが折れそうになってしまう。
『…絶対に帰ってこい。お前は我が儘かもしれないが、思いやりのあるいい子だと俺は知ってる。これが最後だと言うなら好きにしてみせろ親不孝者め』
『っうん!』
父が初めて私の背を押してくれた。いや、もしかしたらこれまでだってそうだったのかもしれない。幼い私が気付いていなかっただけで。
…そうだ。
私はこれまで多くを父から貰い受け、何一つ返していない。父はきっと返して欲しくてやったのではない、親として当然だ、そう言うだろう。でも、それでも私にとっては父がこんなにも重いっ!
このまま死ねるか。恩の一つも返さないで死んで逃げようなどと虫の良い話があってなるものか!
萎えかけた自分を律し、私は背筋を伸ばしてドレミー・スイートを見据える。所詮、彼女も獏には違いない。多くの獏を従えてきた私が何も出来ずに殺されるなど有り得るだろうか、いやない。
…私、父のためにもこの場を切り抜けられたら結婚するんだ。
「初めまして。私、ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びください」
「ハヒッ」
名乗り。
それは立場が同じ者同士であるならば、似たような立場の者同士であるならば距離を近めるに必須な行為である。名前を知る所から両者の関係は始まるのだ。それが渾名であれば尚更である。
だがしかし!
それはあくまでも次元の等しい者達の話である!
ここに至り、私とドレミー・スイートは月とスッポン、太陽と便所虫ほどの差がある! いくら便所虫が己は強い、勝てると自らを鼓舞したところでそこにある絶対的な力関係は変わらない。そして、名乗りとは己の立場を明確にしてしまうものである。
例えば、一企業の平会社員。彼が休日、子供を公園に連れていったとしよう。彼の子供が遊具で遊んでいると、横から押しのけて入ってくる別の子供がいたとする。きっと彼は横入りしてきた子供に少しばかりムッとするだろう。彼の子供が泣いてしまった場合は横入りしてきた子供を怒るかもしれない。そうして、その子供を捕まえて注意しているとその子供の父親が後ろから現れる。無茶苦茶な理論で自分の子供を擁護しようとするその父親に対して、彼はきっと腹を立てて、矛先をそちらへ向けるだろう。口論が発展して、つい相手の肩を押してしまうなんてこともありえる。
この時、彼がその手で肩を押した相手が実は会社の得意先のお偉いさんであり、それを彼が知っていた場合、ここまで無謀な立ち回りをすることができるだろうか。きっとしないだろう。
また、その事実を後に彼が知った時、彼はどうするだろう。きっと失禁して白目を向きながら土下座する。
いや、私なら失禁するとかしないとかそういう話ではなく、私はそんな間抜けはしないけれど、普通のか弱い人間なら失禁するってこと。
何が言いたいかというと、名乗りには誰がするかによってその影響力が大きく異なるということだ。親しみを覚える場合もあれば、名乗った相手を焦らせる事も容易だ。
つまり、今、彼女の名乗りは私の律した(笑)心を打ち崩すには十分な破壊力を持っており、それはもはや言葉による暴力であった。蹂躙と言っていいかもしれない。
端的に言うと、私は彼女の名を彼女の口から聞いたというだけの事実に心折られ、意識を失ったのだ。
〇
薄い明かりがユラユラと揺らめくアダルティックな部屋。中央にどしりと構えた キングサイズのベッドに掛け布団はなく、そこで寝ていただろう主の姿はベッド上には見られない。そこで視線を引いてみれば、ベッドから離れた壁際に布団にくるまって震える影が一つ。それは信じられない物でも見たようにベッドの向こう側を見据え、彼女の視線の先、そこにはピンクの壁に突き刺さった何者かの脚が力無く揺れていた。さながら犬神家 Ver.Horizon である。
火サス一本書けそうなこの状況が起きたのはつい先程のことであった。