全快なり。全快なり。
一人、腹痛の悪夢を轢いて潰して消化すること幾星霜。激闘の末に私は身軽な身体を手に入れた。共に手を取り合う仲間がいなかった事だけが物足りないが、こればかりは致し方ない。孤独は孤独なりにそれを紛らわす術を持ち合わせいるものだ。一人遊びのバリエーションなら負ける気がしない。ソロプレイは大得意、ドレちゃんの真骨頂と言っても過言ではない。
毎度毎度、孤独だと言っているが誤解が生まれそうなのでここらで述べておくとしよう。別に獏という妖怪は私一人を指すものではない。獏なんて探せばいくらでもいる。
では何故私には喜びを分かちあい、悲しみに共に立ち向かい、背中をさすってくれる仲間がいないのか。
…別に引きずってるわけじゃないけども。
ともかく、その理由だがそれは獏の縄張り意識の強さにある。馴れ合いを好まないと言えば孤高感が出てかっこいい気がしないでもないが、単に独占欲が強いだけだ。ここら一帯の夢は自分のものだという意識を各々が作ってしまい、獏同士が干渉し合うことは滅多にない。あるとすればそれは領域を侵している事にほかならない。つまり、一触即発という奴だ。少なくとも私の周囲はそんな感じだ。
私は少々特別なので出会って即バトルなんてならない。私という獏が如何に普通でないかはおいおい分かるとして、私の様な優しくて可憐で人当たりが良くてパーフェクトな獏がもう一匹いればきっと気が合うはずである。確認する術がないので純度百パーセントの希望的観測なのが心苦しいところである。
「あー…」
一体いつまで悶々としているのだろうか。人肌寂しい獏に手を差し伸べてくれるお方はおりませぬか。そんな事を思って一人地面に円を描く私の肩に軽い衝撃が走った。
「うほいっ」
「……」
「そんな目で見ないで下さい。突然肩を叩かれたら誰だって変な声の一つや二つ出ますよ」
私を叩いたのは月のお偉いさん。純白の片翼をパタぱタと振り、可愛らしさをアピール。異性を刺激せんばかりに深く切れ込みの入ったスカートから覗く御御足でセクシーさも強調。涼し気な表情に添えられた右手、その立ち振る舞いからは溢れんばかりの出来る女感。この職場にいるセクシーな女上司感抜群の彼女こそ稀神サグメさんである。是非ともパンツスーツでキメて頂きたい。
「……」
「そんな目で見ないで下さい。私が何をしたというんですか」
まるで変態を見る目である。私は変態ではない。
「…変態」
わお、まるで思考が読まれているようじゃありませんか。アメイジングですね。
「聞こえてる」
「あれれ?」
どうやら口に出ていたようで、アメイジングですね。
〇
「で、なんの御用です?」
一人でコントの様に喋り尽くした獏も落ち着き、どこからともなく引っ張りだしてきた机に腰を下ろす。紫のようなピンクのような色で、お世辞にも趣味がいいとは言えない。紅魔の小さな主なんかと気が合うかもしれない。
「…単刀直入に。…暴れ過ぎって兎たちが」
「暴れ杉?」
首を傾げるドレミー。アクセント位置的にもリアクション的にも理解していないのだろう。
「…杉じゃなくて」
「…杉ではない?」
ドレミーは神妙な声色で驚きを顕にする。どうして自分で首を捻った様な内容を過信出来たのだろうか。ただ単にふざけているだけである。
「で、ではなんと?」
わざとらしくゴクリと喉を鳴らすドレミーにサグメは舌打ちを漏らさんばかりに顔をしかめる。
「ああ、その顔もいいですね」
「……もういい。最近、あなたが夢を食い荒らしてると兎達からクレームが来てるの」
「クレームですか」
久方ぶりの御客人にテンションの上昇傾向にあったドレミーは一転して落ち着きを取り戻し、顎に手を添えて考える人となる。
「…これ」
そう言ってサグメが差し出した紙束。そこには月の兎たちの声が書き連ねられていた。
『気持ちのいい夢だったのに突然、やって来て全部食べられた。寝覚めが悪くて仕方ないわ。今月に入って何回目よ。いい加減にして』
『夢の中で追い立てられた。何度も続くものだから満足に寝れやしない』
『夢の中で食べられた』
etc..
ドレミーはしげしげと紙束を一枚ずつ捲り、目を走らせる事に眉間のシワを深くしていった。
「何ですかこれ」
やがて読み終わったドレミーは机の上に紙束を投げてぶっきらぼうに言い捨てる。
「貴方への文句」
「文句ねえ…。分かりました。いえ、分かりはしませんが、何とかしましょう」
「…貴方は妖怪だから――」
「妖怪だから何です? 月には入ってくれるなと?」
食い気味に尋ねるドレミーの語気から少しの怒りが感じられる。
「そうではない。通路の管理を任せている手前、貴方にそこまでの拘束を強いるつもりも権限も無い。そこまでの関係でもない」
ほとんど突き放した様にも聞こえるセリフにドレミーも思わずしかめつらをキツくする。それも一瞬のことで、直ぐにいつもの力の抜ける様な表情に戻った。
「まぁ、そうですね。所詮私はしがない獏でありますから、精々身の振り方は弁えさせて頂きます。ただ、一つだけ弁解が許されるのであれば、私は今月に入って夢は一つも頂いておりません。先に入れたものが多すぎたもので」
そう言ってドレミーは椅子を引いて立ち上がり、腰を曲げ果てしない通路の先を手で示した。
「今回の件は何とか致します。失った信用は自らの功績でのみ覆る。私なりにやらしてもらいますよ」
ドレミーに倣って立ち上がり、背を向けたサグメ。カツカツと無機質な足音を少し鳴らして彼女は立ち止まった。
「…あなたの事は信頼している。だから私がここに来たのはあなたがこの事を解決出来ないか相談にきたから。決してあなたへの注意や勧告じゃない」
「…」
「……あなたの事は良いビジネスパートナーと思っているし、……その、…き、嫌いじゃない」
顔を向けることなく、つまりづまりではあるが伝えられた言葉に獏もしばし面食らい、眉を上げて固まった。やがてサグメは歩き出す。先程もよりも感覚の狭い足音にドレミーも我に返り、少しニヤけた顔で言葉を返した。
「私もあなたのことは嫌いじゃないですよ」
〇
サグメさんが帰り、静けさを取り戻した第4槐安通路。サグメさんから嬉しい言葉を頂いて、ニヤつく顔を叩き直して考えねばならないのは彼女から持ち込まれた謎案件。サグメさんが置いていった玉兎たちの苦情一覧に目を通してみれば、あたかも私が現れて玉兎たちの安眠を妨げていると分かる。
しかし、愛され獏ちゃんを目指している私がこんなことをするわけも無く、更にいえば私はここ最近は腹部の鋭い痛みと戦っていたため夢世界にはお邪魔していない。夢なんぞ食べている暇など無かったのだ。
と、すればだ。考えられるのは私が夢遊病にかかっている可能性だが、夢をいじる私が夢遊病に苦しめられるなんてつまらない冗談は誰も求めていない。すると残る可能性は一つ。それそなわち外敵の存在である。同じ獏かどうかは知らないが、夢の世界に干渉できる存在である。
「久しぶりですねぇ」
私も若い頃は随分と尖っていたもので、ここいらにいる獏達のテリトリーを奪い取ってきた。触れるもの全てを傷付ける十代の頃、と言ったところだ。そんな過去の私は何かと敵を作り、日々争いに明け暮れていたものだ。世紀末な感じをイメージしてもらうといいかもしれない。ただ、戦っていた相手は鋭い肩パットを付けたハゲ頭ではなくただの獏であった。
話を戻す。ともかく、今でこそ私は非暴力を掲げる人畜無害な獏であるが、昔はそれはそれは敵が多かったのだ。だが、数え切れぬほどの縄張り争いを経て私は力を手に入れた。それこそ、月から通路管理依頼を受ける程には力があるはずだ。
だからこそ私には獏の友人はいないし、今では縄張り争いすら無くなった。それは周りの獏たちからすれば当然のことだろう。負けるとわかっている戦を仕掛ける程、彼らも切羽詰まっている訳ではないのだから。争いは近いレベルにあるもの同士でしか成立しないものだ。
そして今。何百年ぶりかに私は私の縄張りを侵されている。それも私の名を語っている所を見るに、真っ当に喧嘩を吹っ掛けられているのだ。
「……」
怒る所なのだろう。私の名を使い、好き勝手働いて私の評判を叩き落とした愚か者に怒り狂う所場面なのであろう。
だがしかし! 笑いが止まらない!
ぶっちゃけ、夢での記憶なんぞ消えるのに75日も必要ない。忘れる人は5分で忘れるものだ。なんせ夢なのだから。夢とは記憶の整理や妄想や強い思考であり、現実ではない。現実に生きる生命にとって夢とは日々の箸休めでしかないのだ。
何が言いたいかと言うと、私の評判が落ちることも、私のテリトリーを少しばかり侵されることも私にとっては毛程も痛くないのだ。逆に私にとってはメリットしかない。 サグメさんが直接ここにやって来たこともそうだが、何よりも私に並ぶであろう力を持った者と関わりを得るチャンスであるっ!
先に述べた通り、争いは力が近い者としか成立しない。相手側が先に仕掛けてきたということは、相手側に私に勝てる算段か力があるということである。
「ふっふっふ…」
ずっと待っていたのだ。喧嘩できる存在を。例えるのなら一人っ子の子供が兄弟喧嘩に憧れる様なものだ。私と並ぶ
是非とも直ぐに会ってお話をして良い関係を築きたい。そのためにはまず、私から会いに行かねばならない。向こうがこうして夢の中で暴れて自己アピールしてくれているのだから私が迎えに行ってしかるべきだ。ならば私が今すべきことは――
「網を張りますかね」
〇
「我が名はドレミー・スイート! 貴様の美しい夢を頂きに参った!!」
「ま、またあんたか! いい加減にしろよ! この前、サグメ様から話がいかなかったか!?」
某日、某夢世界にて。
頭についた2つのうさ耳をしわくちゃにしながら語気を荒げる玉兎A。彼女の前方上空にはフワフワと浮かぶ獏が一匹。何時もの白黒入り乱れたケープの様なポンチョのような服を羽織り、サンタクロースの様な赤い帽子の先を揺らしている。見てくれはどこからどう見てもドレミー・スイート本人である。
「フハハハ、サグメなど知ったことではないわ! ここでは私がルールであり、私が神だ! 貴様ら夢の奴隷に文句を垂れる権利はない!」
普段とテンションがまるで違う。キャラも違う。
「く、くそ! たかが妖怪が調子に乗るな! 浄化してやる!」
A兎は右手をピストルの形にして指先から勢いよく弾丸を発射。綿月依姫の管理する部隊所属のA兎。如何に普段の訓練が腑抜けた部活動と目糞鼻糞のレベルとは言え、腐っても軍人である。放たれたそれは真っ直ぐに飛んでいき、ドレミーの額のど真ん中をぶち抜いた。
「ここが夢ってのはもう分かってるんだったらここは私の明晰夢よ。訓練したら自分の見ている夢くらい操れるのよ。貴方はここじゃ神でも何でもない、ただの穢い妖怪よ」
力無く地面に頭から落ち、ゴキリと嫌な音を立てて轢かれた蛙の様に地面に熱い抱擁をかました獏を見て、Aはドヤ顔で決め台詞を吐く。シワひとつない彼女のうさ耳が一度満足気に揺れると彼女の余裕も消え失せた。
「ひっ」
ドレミーは立ち上がったのだ。虚ろな瞳から血を流しながら、口から血の泡を噴きながら、首を有り得ない角度に折ったまま。
「まだ立場を理解していないのか? 明晰だの訓練だの、馬鹿馬鹿しくて反吐が出る。それは住む世界の違う私にはどうでも良い話だ。お前が眠りに着き、ここにやって来たその時点から全て私の胃袋の中なんだよ。
あと、進化をやめて悠久を生きることしかしないお前ら月人に何かを貶める権利はないぞ。
「あわわわ」
一転してしわくちゃになるうさ耳。尻餅をついて後ずさるAに一歩一歩近寄っていくドレミー。
「神に反逆しようとした罪、その体で払って貰うとすしよう。飛びっきりの悪夢を見せてやる」
「ひぃぃっ! 来るな!」
獏は片手を空中でひらつかせ、藍色に黒を足して混ぜ込んだような暗いウネウネと動く夢魂を腕に纏わせ、それをAの元へ伸ばしていく。その瞬間、目を閉じて神に祈ったAの頭上を影が轟音かき鳴らしながら過ぎ去った。
「……?」
いつまで待てどもやって来ない悪夢に恐る恐る目を開いたA兎。そこに居たのは獏である。A兎を庇うように背を向けて獏に真っ直ぐな視線を送る獏。
「私の大切なお客様に何か御用でしょうか?」
見た目は同じ。しかし、その目はどこか脱力感を感じるものであり、その口は普段のように少しニヤついている様にも見える。脇に携える大きな書の黒いハードカバーには上質感を醸し出す金字でDの字が淡く輝いている。
A兎を窮地から救った慈悲深く、博い愛をその胸に宿す(自称)。頭が良く、力持ちで足も早い(自称)。完全無欠な夢と愛の権化(自称)、幻想郷の共有ペットだとかねてから一人で思い込んでいる彼女こそ真のドレミー・スイートその人である。