「……」
自分の携帯に並ぶ文字列に冷や汗を流さずにはいられない。学校が休校になるということだけ見れば手放しで喜んでもいいものかもしれない、普通の高校生ならそれで正しい反応なのかもしれない。それでも私は間違っても喜べなどしない。喜ぶどころか焦りすら感じている。
その原因はココ最近の神隠し事件。その被害者がじわじわと増えてきた今、週刊誌や夕方のニュースでも取り上げられはじめ、学校としても休校措置をとらざるを得ないことになったのだ。つまり、ウチの生徒も家出では言い訳が効かぬほどの人数が神隠しにあっているということである。もはや手をこまねいている暇はない。
と、言っても私から何かアクションを起こすことは難しい。私の考えではこの神隠しの主犯は以前霊夢さんの言っていた獏なる妖怪のドレミー・スイート。この妖怪にどこまでの力があるか分からないが、恐らくこの妖怪が何らかの目的で人間を夢に引き摺り込んでいる…そんな事が出来るのか分からないけれど紫さんのようにスキマと夢を空間的に似たようなものと考えるなら可能なはずだ。つまり私はドレミー・スイートを探せばいいわけだ。そこで霊夢さんに力を借りようと思ったのだが、彼女的に外の世界の異変に手を出すのは望ましいことではないらしい。博麗の巫女の外の世界への干渉はただ首を突っ込んで終わり、とはいかないそうだ。となると私が出来るのは1つ。夢でドレミー・スイートに会うしかない。会って私が颯爽と退治し、この異変を解決するのだ。私は、獏は悪夢を好んで食べるらしいので悪夢を見るように眠る時にめちゃめちゃ暑くしたり、寒くしたり、枕をひっくり返してみたりと試し続けているが未だに出会えない。
勢いづいたのに向こうからやって来るのを待つしかないというのはなんともから回るものだ。
〇
「あーっ!! やっと見つけたわ! 貴方がドレミーね、絶対そう! そうじゃないと困るわ!」
夢の中で私を知る人物に会うのは久方ぶりだろう。いつも通りに参上し、いつも通りに食事だけ済ませて立ち去るつもりだったのだが、私を探していたようなのでそうもいかないだろう。少し嬉しいが…はて、どこかで会ったことがあっただろうか。
「いかにもいかにも。私、数々の夢を処理し、皆々様に平穏なる睡眠を与える天使のような――」
「御託はいいわ! もうネタは上がってるんだからね!」
ん? ネタとは何のことやら。それに凄まじい勢いで敵意を向けられているのは何故だろう。彼女のサイキック能力をフルに使っているおかげかせいか、先程まで見ていた夢世界がもはやボロボロ。こんな簡単に悪夢が壊せるなら獏も商売あがったりである。
「はて、ネタとは?」
「ははーん? さては知らばっくれるつもりね! いいわ、私が無理やり吐かせてやるから覚悟なさい!」
今にも月に代わって~とか言い出さんばかりの見栄を切り、どこから出したかお手製のマントを翻した彼女。手のひらを私にかかげて何かと思えば、その可愛らしい手のひらから出てきたのはなんと炎。かっこいい。
「あちち、急に何ですか」
思わず身を逸らしたが私のキュートな尻尾が少し焦げてしまった。
「すばしっこいわね!」
キャンキャンとワンコばりに走り回る私を追いかける火の手。夢の世界でハッスルしてもらう為に私を攻撃するのなら構いやしないが、どうも彼女はそういう趣味でもないらしい。それに、先程の発言の意味も落ち着いて尋ねたいのもある。
「どれ」
「むっ」
走り回るのを止めて彼女の炎を受けてみた。私が熱いと思えば熱いし、熱くないと思えば熱くないので問題は無い。対する彼女は平然とする私に文句がありそうな顔をしているが。
「火、効かないんだ」
「効きますよ? 今は効きませんけど」
嘘ではない。
「なんかよくわかんないけど、倒しがいがあるってもんよ! この異変は私が解決してみせる!」
〇
「あああっもう! どうしたらいいのよあんた!」
ようやく飽きたのか眼鏡な彼女はその場に体育座りして顔を埋めてしまった。拗ねた子供のようでなかなか可愛い。彼女が何処かの巫女さんよろしく大見得をきってから私に対して様々な超能力を試して見せた。多分、彼女が出来る全てのことを試したのだろう。その全てがわたしには意味の無いものだったのだから拗ねてしまうのも無理はない。ただ、これだけ聞いていると私が彼女を虐めたみたいに聞こえるかもしれないが、私にだって言い分はある。瓦礫だの風だの電気だの光だの水だの…傷にはなりゃしないが地味に嫌なものである。髪はボサボサになるし、服は帯電してぱちぱち言うし、フラッシュで頭痛がするし、水のせいで髪も服も靴下までびちゃびちゃ。水も滴るいい女、いやん。
じゃなくて。
「一通り終わったようなのでお話しましょう」
「…何を話すっていうのよ」
抱いた膝の隙間から聞こえる声は登場時からワントーン低い。
「まずはそうですね。貴方のお名前からよろしいですか?」
「……菫子。宇佐見菫子」
はて、宇佐見という性には少し耳馴染みがあるような、ないような。まあ、そこはさておき。
「では、菫子さん。貴方のおっしゃる通り、私はドレミーと申しますが、ネタというのは心当たりがありません。まして、異変など起きていることすら知りません」
存在が異変なのよ! とかいわれたらヘコむなんてレベルではない。吐かせると彼女が言うからには何か異変は起きているのだろうけども。
「…ほんとに?」
「ええ、本当に」
ちらりと目線を上げて恨めしそうに私を見つめる菫子さん。いじらしくて可愛らしくてつい頭を撫でそうになるがそこはグッと我慢。またびしょびしょにされてはかなわない。
「なーんだ、あなたが犯人じゃないのかー…。あーあ、振り出しかぁ…」
立ち上がって悔しそうにしたと思ったらすぐ地面に手をつけて途方に暮れる菫子さん。更に声のトーンが低くなった気がしないでもない。
「まあまあ。私は菫子さんの期待する犯人ではありませんがこれでも夢のプロですから何かお力になれるやも知れません。事情をお聞かせ願えますか?」
気落ちする彼女を放っておけないというのもあるし、恩を売っておいて損は無いというのもある。できる女故、申し訳ない。てへぺろ。
まあ、首を突っ込む理由はそれだけじゃないんだけども。
「うーん…まあ、そうね。じゃあ話してみようかな」
「どうぞどうぞ。ここは夢、何を言おうが誰にも聞かれません。ドレ子の部屋のはじまりはじまり」
ルールル、ルルル、ルールル…やめとこう。
〇
「以上が私がドレちゃんを探していた理由。まあ、それも見当はずれだったわけだけどね」
彼女は神隠しについてこれまでの経緯をドレミーに話すと溜息混じりに肩を竦めた。いつの間にかドレちゃん呼びなのは気にしない。
「なるほどなるほど。よくわかりました」
これまで静かに相槌を打っていたドレミーは立ち上がり、頬をつついていた指を、いつの間に出したのかティーカップにかけて一口すする。
「何か心当たりとか? ってうわ紅茶か」
それにならうように菫子もティーカップを傾けるも、慣れない紅茶に少し眉を寄せた。
「紅茶は嫌いですか?」
「あんまりかな」
「では何を?」
「ジンジャエールとか?」
「はいな」
さながらマジシャンの様にドレミーはキレのいい指パッチンを一度鳴らす。すると菫子の手の中のティーカップは気付けばジンジャエールの並々注がれたコップに早変わり。菫子は口直しとばかりにそれを勢いよく傾け、満足そうに眉を上げてドレミーに向き直る。
「それで、心当たりとかある?」
「………」
突然、歯切れ悪く黙るドレミー。何かを考え込むようにじっと押し黙る。
「ちょっと」
「はいはい。すいません、少し考え事をしていました」
菫子に急かされようやく我にかえった様子。
「現時点で明確な心当たりはありませんね」
「は~、やっぱりね」
ジンジャエールで復活した彼女の気力が崩れていく音が漏れたようなため息であった。そこから菫子がまた膝を抱こうとするより前にドレミーが続けた。
「ですが、神隠しに関しては私に預けて頂けませんか?」
俯きかけた菫子の顔が不思議そうに持ち上がる。
「どゆこと?」
「そのままの意味で。私が何とかしましょうということですよ。菫子さんはもう、お休み下さいませ」
帽子を脱いで恭しく頭を下げるドレミー。ふざけて見えるドレミーに菫子は少し頬を膨らませた。
「でもこれは私の…というか現の問題なんでしょ? 夢のプロでもこれには手出し出来ないでしょ」
「ノン、菫子さんの推理は恐らく合っています。八雲紫の言ったヒントはキチンと解釈出来ていると思います。つまり、あなたは夢を通り現と幻想を行き来している。そしてあの八雲紫が言うからにはその犯人も恐らく夢を使っているのでしょう」
「でもドレちゃんは犯人じゃないんでしょ?」
「ええ、もちろん。私は人の為を思いこそすれ、人を攫う理由がまんじりともありませんから」
人の為、という部分をいやに強調したドレミーに少し笑いつつも菫子は片眉を持ち上げた。
「じゃあ――」
「犯人でなくとも、夢に関わるのであれば私に分からないことはありません」
「でも私が勝手に夢を使ってるのは知らなかったよね?」
食い気味で自信ありげに胸を張る獏に菫子が突っ込む。
「その気になればという話ですよ。常に夢を監視調査なんて不可能ですが、調べろと言われればどんなバグも見逃しません」
ドレ顔、もといドヤ顔をしてみせる獏に菫子は胡散臭そうに視線を投げるもドレミーには効かない。
「でも、全部丸投げってのもなんかなぁ…」
「私の手間を言っているのであればなんの問題もありません。私が進んでやりたいボランティアですから」
「いや、というよりも紫さんによれば私のせいで犯人が夢を通れるようになったって言うから、何となく罪悪感が」
菫子はドレミーにやった視線を今度はバツが悪そうに横に逸らした。
「そこも調べてみないと分からないことですがね。慰めるとするなら、菫子さんは私に神隠しという異変を伝え解決に導いたことになるわけですから実質菫子さんのお手柄ですよ」
にんまり笑うドレミーをよそに菫子はやはり不満そうに髪をかきあげた。
「はぁ、まあしょうがないよね。最強無敵の女子高生も夢が相手じゃ分が悪いし、ここは素直に専門家に任せるとしようかな」
「ええ、どうぞお任せ下さい」
「でも急いでね、ドレちゃん。あんまりもうちんたらしてられないから」
「それはもう。なる早ってやつですよね?」
イタズラっ子の様にウインクをするドレミーに心配を隠せない菫子であったが、任せると言った手前文句も言いづらい。
「ドレちゃんと話すと疲れるわー。私はそろそろ帰るけど、よろしくね」
「つ、疲れる……。ええ、お任せ下さい。それではよい現を」
疲れるというワードにひっそりとダメージを受けつつも営業スマイルで乗り越えたドレミーだったが少しずつ離れていくドレミーを呼び止めた。
「ああ、忘れてました。一つだけお願いがあります」
「お願い?」
首をかしげた眼鏡っ娘にドレミーは笑い、口に人差し指を一本添えた。
「この話、霊夢さんには内密で。霊夢さんに伝わらなければ誰に話して頂いても構いませんが、彼女には伝えないで下さい」
「…? うん、分かった」
困ったような笑顔を見せるドレミーに困惑気味に返した菫子。その返事を聞くとドレミーは満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。それでは気を取り直してよい現を」
〇
「おい、霊夢新聞取ってくれ」
「自分で取れ。よくもまあ家主を顎で使えるわね」
それぞれ炬燵に入り亀のように丸まっている白黒と紅白。紅白の方に毒付かれた白黒はのそのそと立ち上がり、部屋の隅に固めて置かれた新聞の一番上の一部を拾い、またのそのそと炬燵に戻っていった。
「あ、そうだ。この新聞読んでて思い出したけどミスティアもしばらく見てないんだよな」
魔理沙は唐突に起き上がり、天板の上に頭を預ける霊夢に語りかける。
「あー? 夜雀が何? っていうか『も』って何よ」
「や、だからさこれ見てみろよ」
そう言って広げた新聞紙を指さす魔理沙。その指先には神隠しの文字がある。
「なーんか結構前にも似たような話をだれかから聞いた気がするわ。ってか確か妙蓮寺の連中もこの前言ってたかしら」
「なんて?」
「から傘と山彦がどっか行ったんだけど何か知らないかって聞かれたから家出でしょ、って言っといた」
「お前なぁ」
倒れたままの霊夢に呆れる魔理沙。その声でようやく霊夢は頭を持ち上げた。
「何よ」
「悪いとは言わんけど、無関心過ぎだろ」
「異変でもないのに動きたいわけがないわ。まして今の季節は尚更」
「寒いからな! じゃなくて。神隠しは異変だろ」
「あら、それにはキチンと答えたじゃない」
「?」
「家出だって」
「お前なぁ…」
新聞に載る程の集団家出、それも妖怪のなんてあるわけないだろ。そんなことをぶつくさ呟きつつ、これ以上霊夢をつつけば不機嫌になって「じゃああんたが調べなさい」とか言い出すのを分かっている魔理沙はそこで話を切り上げ、新聞を端に置いた。
魔法使いも寒さには負けるのだ。