ポツリ、どこか遠くで聞こえた水の音に目を覚ました。一定の間隔で拍をとるそれはすごく耳障りで、私が頑張ってもう一度寝てしまおうと目を結んでも許してくれなかった。ああもういいよ、なんて言いながら私はベッドから滑る様にして抜け出て一度だけ伸びをした後、ベッドに座り直した。羽根の付け根の背中が張って、パキパキと子気味いい音に少し嬉しくなった。
「雨なのかな」
『知らない』
それでも叩き続ける拍の音。残念なことにここからでは今外が雨なのか晴れなのか、はたまた曇りなのか雪なのか雹なのか見当もつかない。だってここは地下だから。
『地面を叩く音だって聞こえない地下だからね』
「うるさいなぁ」
伸びをしたせいで目が冴えてしまった。気付けばいつの間にか水滴以外にも耳障りが増えてしまっている。いつもの私ならここでアイツラをぶっ殺して、たまにぶっ殺されて終わりなんだけど、今日の私はそうならない。私はもう子供じゃないのだから。
『ええ? 子供じゃなきゃ何よ? 貴女が此処で成長するなんてムリムリ。あと、たまにって言ってるけど私の方が殺してるからね?』
「っさいな。黙っててよ」
髪をワシャワシャすると耳が聞こえなくなったみたいで気分がいい。でも続けているとその内に血が出ちゃうからずっとは続けられないのが残念だ。
「…退屈」
『ええ、退屈ね。じゃあどうする?』
『やる? やる?』
また、声が増えた。いつもこうだ。気付いたらやいやいと私の頭上で三つの声が会議を始めるのだ。
「うるさい! やんない!」
『おー、怖い』
『八つ当たりしないでよ』
『その声の方がうるさいわ』
こうなったらもう止められない。私なんかお構い無しに声たちは大声を出すんだ。誰か、上にいる誰かが気付いて止めてくれたら良いのに今までそれをしてくれたことは一度も無い。何でだろう、無視されているみたいで凄く悲しい。
『アッハハハ。おかしいね』
『ほんとにね』
『笑わせないでよもう』
「何が面白いの!」
私の悲しさを鼻で笑う彼女たちに無性に腹が立って声が荒くなってしまう。これもきっと、いつもの事なのだ。
『何がって、ねえ?』
『そうね。馬鹿みたい』
『ばーかばーか』
「うるさい!!」
嘲るような声に私は思い切り腕を振った。ブオンと風切り音を響かせて私の腕はそのまま布団の上に落ちる。
『怖い怖い。そこまで怒るなら教えてあげる』
『お馬鹿さんに教えてあげる』
『嘘つきでお馬鹿さんに教えてあげる』
「黙れ!!」
片手に掴んだ炎の剣を思い切り横に薙ぐ。歪なほどに延びたその刃は縞になっている壁に突き刺さり、大きく抉った。
『上の奴らが降りてこないのは』
『貴女の事が嫌いだから』
『貴女に興味すらないからよ』
「そんなことない! お姉さまたちは私の為にっ」
『貴方のために貴女を閉じ込めた?』
『それこそ笑わせないで』
『地下なんて何もいい事ないもんね』
上から下から右から左から、ぐわんぐわんと響く私の声に頭が痛くなってきた。ムカムカと胸元を上ってくる何かを吐き出さないと暴れてしまいそうだ。
「ああっ!!」
『貴方もしつこいね』
『いい加減認めようよ』
『なんで地下に閉じ込められているのか本当は分かってる癖に』
両手を振り回して声を追っ払おうとしても耳の傍から離れやしない。剣を振ってる筈なのに何も当たってくれやしない。
『上のヤツらだけじゃない』
『外のヤツらもそうよ』
『みーんな指さして言ってるもん』
「黙れ!!」
『『『イカれてる』』』
いよいよ大きさを増した声に私はついに突っ伏して、右手に目を集めた。
何も聞きたくなかったから。
〇
はいはいはいはい。今宵もドレちゃん登場であります。今回のお客様は以前お邪魔した紅魔館の城主レミリア・スカーレット氏…ではなく、その妹君のフランドール・スカーレット氏。前々からお話には聞いていた所ではあるけれど、実際にお会いするのはこれが初。いつもの私なら颯爽と登場して華麗に処理していち早く安眠を彼女の元に届けたい所ではあるけれど、今回は流石の私も慎重にならざるを得ない。
何故なら彼女の能力が厄介なのだ。曰く『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』私の身体を吹き飛ばす分には構わないのだけれど、その能力が世界の破壊すら可能なら話は違ってくる。要するに以前の勇儀さんの時と同じなのだ。彼女の能力で夢を壊された場合、またもや私は寝たきりお婆さんに逆戻り。或いは永遠に眠って棺桶送りである。
そんなわけで私もゆっくり考えたいのだけれど…
「あーあー、これは酷いですね」
私の目の前で繰り広げられるのはR18Gでは効かなそうなグロッキーな映像である。フランさんが四人に分身して斬りあったり殴り合ったり、時々弾けてるのは多分能力のせいだろう。ともかく、こんな惨たらしい映像を見せられて私が傍観決め込んで逃げ出すなんて有り得ない。
こんな悪夢、一秒だって長続きさせちゃいけないのだ。
「失礼! 少しよろしいでしょうか!」
いつもより大きく張った声はよく通り、暴れ回っていた四人がピタリと動きを止めて首だけまわして私を見つめた。血だらけだしハイライトないしで怖いったらありゃしない。か弱いドレちゃんは血を見るのは嫌いなのだ。
「私、ドレミー――」
「「「「邪魔」」」」
「あっ!?」
まだ名乗りも済んでいないと言うのにせっかちなフランさんは私に手を向け一斉に握り締めた。その瞬間、身体のいろんな所が爆発した。けどそれだけだ。
「あいたたたた。落ち着いて下さい。フランさん」
「治った?」
「気持ち悪い」
「初めて見る妖怪」
「誰?」
どのフランさんに返事をしたらいいのやら。お話したいとは言え私は某耳が良い聖人様とは違うから十人どころか四人でも厳しい。今度お会いしたらコツとか聞いておこうかな。
「私はドレミー・スイート。訳あってここに参った次第です」
今回はここを夢だとは明かさない。フランさんが狂ってるとは言わないが、幼い部分は否めない。故にその力の矛先が夢へと向けられる可能性は少しでも下げたいのだ。
「ドレ…何?」
「何の妖怪かな?」
「どうやってきたの?」
「どーでもいいよそんな奴」
一期一会という言葉があるが、私は個々のつながりが大好きだし、一人一人との関わりを温めて育てたい。そんな私でも流石に同一人物四人を相手するのは骨が折れる。何とお呼びしたらいいのかも危うい。
「ふむ…」
「「「「何?」」」」
実を言うと、私はどうしようかと迷っているところである。悪夢の処理事態はわけないのだが、如何せん私が食べるのはフランさんと全く同じ形をした分身たちである。目の前で自分と同じ姿が食べられる所を見るのは少し…というかそこそこ不愉快だろう。なのでここは一つ物凄く古典的に行くとしよう。
「フランさん」
「なあに?」
「お目を失礼」
「え、うわ!?」
私が使ったのは古き良き目潰し、煙幕である。吸血鬼が活動するのは夜。多分夜目は効くのでフラッシュタイプの煙幕、要するにフラッシュバンみたいなやつだ。
「なにするの!」
「ああ、もう目を開けても構いませんよ」
悪夢を食べるのにかかる時間はそう長くない。本物以外の三人は美味しく頂かせてもらった。
「あれ?」
「先ほどの三人なら何処かへ行ってしまわれました」
ドレちゃん嘘は嫌いである。しかし、世の中にはホワイトライと言って、必要な嘘もある。何事も一辺倒ではまかり通らないという事だ。何の話だ。
「………」
私からでは俯いたフランさんの表情を伺うことは出来ないが、その様子から察するにスッキリはしていない事だろう。さっきの三人も心なしか薄味だったし。
「フランさん。何を悩んでいらっしゃるのですか?」
「お姉さま達は私のことを……」
ほうほう。嫌っているのではないか、とそういう事でしょう。咲夜さんと似たり寄ったりの内容である。これまで幾度となく聞いてきた類の悩み、されど難しい話題でもある。ここは幻想郷の母と言われたい私が――
「嘘つき」
「!」
出ようとした私の足を止めたのはフランさん。もう一人のフランさんだった。さっき食べた筈の分身がまた現れ、フランさんを指さしていた。
「こんな奴に相談なんかしようとして馬鹿みたい」
「そうやって嘘ばっかりついてるから本当が分かんなくなるんだよ」
「自分のせいでしょ」
「わ、私……」
みるみる増えて、また四人になったフランさん。本物のフランさんは現れた三人から責められ今にも泣きそうだ。
「ちょっと失礼」
急いで駆け出し本物のフランさんの目を覆い、もう一度三人を飲み込んだ。やはり薄味、ということは…
「いますよねぇ…」
「さっきから鬱陶しいんだけど?」
「お前何?」
「邪魔」
一人が無造作に握った拳、それと同時に私の身体が弾けた。
「なるほどなるほど」
しばらくの間、食べて吹き飛んでを繰り返し、観察してようやく見えてきた。あの三人は悪夢には違いないが悪夢本体ではない。
「私としたことが見誤っていました。申し訳ない」
「なにを訳のわからないことを――」
「ズバリ! 犯人はフランさん本人ですね!」
溜めて溜めて、完璧に決まったー…!
腰に手をあて、姿勢を整えて指さす決めポーズ。きっとドレちゃんファンクラブなるものが存在するなら名場面セレクションベスト5に入ること間違いなしである。ファンがいないのが本当に口惜しい。
「は?」
「それでは失礼、頂きます」
キョトン顔のフランさんも可愛らしいが、いつまでも悪夢を垂れ流すなんて私の目の黒い内は許さないってなもの。全て食べ終えてからゆっくりその可愛いお顔を見るとしましょう。
「………」
「悪夢は覚めましたね。フランさん」
放心気味に腰を落としたフランさん。その様子と味から察するに今度は上手く食べれたのだろう。
私が食べたのはフランさん自身の仮面である。先程までの彼女は本来のフランさんとは異なる性格をしていたはずだ。なので私はその新たな性格を食べさせてもらった。
何を言っているかわからないだろうから端的に。
要するに、今回の悪夢の内容は夢の中で分身したフランさんがその分身と話す内、分身のある生活に馴染む内に本当の自分を見失ったら…というフランさんの妄想である。
たしかに生き物の精神というのは案外脆い。有名な話をするなら毎朝鏡の前に立ち、その目を見ながら「お前は誰だ」と言う。これをしばらく繰り返す内に自我が崩壊するとかしないとか。鏡でも容易に壊れる貧弱な自我ちゃんは、恐らく分身なんてものを見るとたちまち崩れてしまうことだろう。きっとどれが本当の自分か分からなくなってしまうだろう。いつだって自分が自分である事の証明は難しい。
因みにドレちゃんはオンリーワンでナンバーワンである。何のナンバーワンなのかはご想像にお任せするが。
「私どうなったの?」
「強い思いに囚われて身動きが取れなくなっていました。そこを私、ドレミー・スイートがお助けに参った所存であります」
ドレちゃんとお呼びください。というのも忘れず小声で付け加えとく。
「ふーん、そっか。ドレちゃんは何?」
「私は夢の中を泳ぐスーパーヒーローってとこですかね」
「何それわけわかんない」
「今はそれで我慢して下さいな」
ぶう、と頬を膨らませるフランさん。可愛らしいことこの上ない。レミリアさんたちが溺愛するのも頷ける。
「今はってことはまた会えるの?」
「ええ、勿論。もしまたフランさんが悪夢を見ていたら…という前提はつきますけどね」
空が割れ始めた。フランさんの飽きが来始めて、夢が覚めるのだろう。
「分かった。じゃあ次会ったときはドレちゃんが何なのか絶対教えて?」
私のスカートの端を掴んで上目遣いに首を傾げるフランさん。いやぁ、私を落とすコツを良く理解してらっしゃる。将来が楽しみというか怖いというか。
「ええ、勿論。それでは次の悪夢…お会いしないことを祈っております」
〇
「あ、ドレミー様、お帰りになられたんですね」
トテトテと寄ってくるルーにドレミーは勢いよく顔を上げて呟いた。
「娘というのもアリですね。私、欲しくなってしまいました」
「へ!? む、娘!?」
面食らったルーは顔を赤くして目を閉じた。そしてモジモジと体をよじりながらそよ風が吹いたような小さな声でもらした。
「…ド、ドレミー様が望むなら……わ、私は……」
消え入りそうな声のまま照れるルーを尻目にドレミーは鼻歌まじりにその場を離れた。目を瞑っていたルーがそれに気付いたのはそれから二時間後のことであった。