ドレミースイートの夢日記   作:BNKN

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14 見えねど覚えねど枯れぬ

 転生とはなんぞや。

 死なぬのではない。ただ、終わらぬのだ。終えることは容易だが、終われぬのだ。いつまで私は筆を取り続ければいいのだ。

 

「貴方が死んでもう何年なのかも忘れてしまった」

 

 桜の花弁が散り舞うここには他の墓石はない。ここにいるのは名前の掘られていない彼の墓石だけ。何処にあるのかも知らぬ、どうやってきたかも分からぬが孤独に佇む彼の元へ私が訪れるのだ。

 

「貴方が誰かも」

 

 幾度の転生を経て得たものは空っぽの体。私の肉体は転生のたびに新たなものへ変われども心は過去に置き去りにしたまま。心だけでなく、大事だった記憶もそうだ。転生するたび抜け落ちていく記憶。見たものは忘れないが、体が変わればそれも怪しくなる。前世の記憶はどうしても朧気になってしまう。それでも普通の記憶なら前の私が書き置いて、記録として補完できる。でもこの墓の記憶に関しては、私も記録にも残したくなくなかったのか、一切残されていなかった。残ったのはがらんどうの体に湧いてくる何にも形容し難い、胸を締め付ける様な思いだけ。愚かな私はきっとこれから先、ずっとこの思いを抱いたまま死んだように生きるのだ。

 

「来なきゃならない気がした」

 

 見舞いに刺した花束も、風に体を揺さぶって私を追い払っているようだ。この光景もきっと何度も見たんだろうな。覚えてないけれど。

 振り返った私を聞きなれない声が背後から呼び止めた。

 

「初めまして」

「っ! …妖怪ですね」

 

 少々驚きはしたが、なんのことは無い。突然現れる妖怪にも誰かさんのお陰で慣れっこだ。ただ、今は誰かさんではなく、見たこともない顔だった。

 

「察しが良くて助かるわ。そう、妖怪。獏のルー・ビジオン」

 

 獏…獏と言えば随分と昔に一度だけ見た限りだ。その獏も目の前の彼女ではなかった。

 

「その獏が一体何の用でしょうか」

 

 ほんの少しだけ足をさげる。ここは人里の内部には違いないが、妖怪と人間が二人きりなんてよっぽど特殊な場合を除いて有り得ない。幸いにも獏は夢の中でなければあまり力のある妖怪とは言えない。ならばこそ私の足でも逃げ切れるかもしれない。

 

「そんな構えなくていい。貴方に危害を加えるつもりは今のところ無いし」

 

 あくび混じりにそう告げる妖怪。なるほど確かに余りやる気は無さそうだが、油断はしない。そんな体勢からでも人を襲うのが妖怪なのだ。

 

「…まぁ、いいや。私はただ貴方のモヤモヤを取ってあげようってだけなの」

「…」

「思い出せないんでしょ? これの主の記憶が取り出せないんでしょう? 手を貸してあげようってだけ」

 

 そう言って彼の墓石に手を乗せる獏。大して意味のある仕草でも無いのに何故だか無償に腹が立った。

 

「その手をどけて下さい」

「…失礼」

 

 獏は両手を上げて触ってないことをアピール。どこか不満顔なのは私の態度に棘が出たからだろう。そりゃそうだ。手を貸してやる、と言って、触るな、で返されれば気分は良くない。しかし、私としても彼女は油断ならない存在なのだ。つまり、何故見ず知らずの獏が私に組み居ろうとするのかが分からない。

 

「すみません。…でもどうして?」

「どうしてって…そりゃ貴方のそれを貰わないとここに来た意味が無いもの」

 

 獏は私を指差し、何を言ってるんだと言わんばかりに笑った。

 

「それ?」

「悪夢」

「何の話ですか」

「あーそっからね」

 

 獏は面倒臭そうに頭をかいてから私に歩み寄り、語り始めた。

 

 

 

「つまり、ここが夢で私は思い出せない記憶にもどかしさを感じるという悪夢を見ていると」

「そ、私がその記憶を思い出させてあげる。貴方は晴々、私はご飯にありつけて満足。素晴らしいでしょ?」

 

 確かに転生で溢れた記憶を拾うのはこんな時ではないと無理かもしれない。またとないチャンスなのかもしれない。

 

「お断りします」

「あ?」

 

 だが、私にはそれを知るだけの覚悟が無い。怖いのだ。人よりも長くこの世を見てきているのだからそれなりの経験はしてきたつもりだ。肝だってその辺の人間とは比べ物にならない程座っていると自負している。

 そんな私が敢えてしなかった記憶、そして墓。これだけでチープな物語が幾つ書けるか分かったものではない。そして、そのどれもがハッピーエンドでは終わらないことなど目に見えている。

 

「思い出す必要はありません」

「…そんな不完全燃焼のまま毎夜毎夜悪夢をさまよっても? また同じような夢を見て、また同じように悶々と渦巻いて、喉に残るしこりをそのままにするの?」

 

「思い出す事が必ずしも幸せになる事にはなりません。触らぬ神に祟なし、とはよく言ったものです」

 

 敢えて封じた扉をわざわざ開け放つことは無い。私は私のまま何かを背負ったまま次の私に移り変わる。

 

「グダグダ五月蝿いな…。いいから寄越せっつってんの」

 

 彼女の発する雰囲気がガラリと変わった。

 私としたことが失念していた。ここが夢であろうが何であろうが目の前の彼女は妖怪なのだ。如何に物腰柔らかだろうが、如何に話す余地があるように思えようが彼女は獏なのだ。ここにおいて彼女は捕食者であり、私は被捕食者に過ぎない。それを私は目の前で妖気を沸き立たせる彼女に思い出させられた。

 どろりとした嫌な汗が頬を伝う。

 

「理解してないようだから教えてあげる。あんたに選択肢は無いの。馬鹿みたいに頭空っぽにして頷いときゃいいの」

 

 彼女の足元から立ち上る濃紫の霧。それは指を伸ばすように徐々に私の足にせまり、やがて私の体を登り始めた。

 

「ここに私が来た時点で人間に選択権はない。質のいい悪夢を作る機械になりゃいいのよ」

 

 声をあげる間もなく、その霧は私の視界を塗りつぶしていった。

 

「ドレミー様の為にね」

 

 そんな声を最後に私の意識は遠のいていった。

 

 

 

 〇

 

「…」

 

 春。小川の畔で眠りこけていた彼女は頬に当たる桜の花弁に目を覚ました。初めての転生を経て体の調子が安定しないのかこうして度々眠りに落ちてしまうことがよくあったが、いくら何でも外で眠るのは良くないと、彼女は寝ぼけた頬を両手でピシャリと叩いた。

 日はまだ高く、向こうの畔で子供たちが遊び回る声が聞こえた。小さな子供たちの姿に彼女は自分がとても老いた様に感じた。まだ幼さすら残るその見た目、されど実際に生きた年月は見た目にそぐわぬ長さに違いないのだ。

 

「帰ろうかな」

 

 これから続く何十年、何百年という時間を想像すると寂しくなるというよりも気が遠くなる。いるのかは分からないけれど、不死者とはまた味の違った体験をすることになるだろう。転生とはそういうものだ。

 立ち上がった私の背中に子供たちの笑い声がいつまでも木霊していた。

 

 

 

 

「寒い…」

 

 この体に移ってもう十余年。次第に弱っていく肉体に嫌気がさす。廂の隙間からチラチラと視線を横切る白い礫に嫌気がさす。

 冬は嫌いだ。雪が降って喜ぶのは十までの子供だけ。大人たちは生き死にのかかった戦いを雪と繰り広げなければならないのだ。それに、積もらなかったら積もらなかったで寒いばかりでなんの良さもありはしない。だから私は冬が嫌いだ。

 筆を持つ指先がほんのりと赤らんで少し痛む。悴んだ指先も、鼻先も、耳も、何もかも面倒で仕方ない。早く春が来てくれればいいのにと思う。

 春は好きだ。笑いかけるような日差しも、歌うような鳥達のさえずりも全てが愛おしい。何より着物を着込む必要も無くなる。ああ、あの麗らかな日差しがずっと続いてくれたらいいのに。

 

「ああ…寒い」

 

 語彙も貧弱になる冬。部屋の掛け軸の中で走り回る狐がこちらへ嫌味を垂れているように思えた。

 

 

 

 

「……」

 

 遂に体を持ち上げることすら叶わなくなった。私がこの体で何年生きたかはあまり覚えていない。ただ、ひたすらに思い出されるのが冬の景色ばかりであるのは今まさに雪がしんしんと降り積もっているからであろうか。神様も随分な嫌がらせをしてくれる。没する頃が忌む頃なんていい迷惑だ。

 侍女が掛けてくれた布団が重い。暖かさよりも重さと汗の滲みが酷く煩わしい。ああ、目眩がする。

 

 叶うなら次は春に生まれ、春に散りたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

「へっクシ!」

 

 春は嫌いだ。以前の病弱な女の体から一転、それなりに長身の男体に生まれた。前の私が大層嫌っていたらしい寒暖にはとても強くなったと思うけれど、問題はこの鼻。この忙しい鼻が最悪だ。いっそ切り取って丸ごとすすいでしまいたいと何度思ったか分からない。

 春は嫌いだ。命の芽吹く、なんて言えば聞こえはいいが、花たちの芽吹きは私の鼻の死を意味する。鳥達のさえずりはそんな私の無様を笑っているようじゃあないか。暖かな日差しも、花の絢爛さも、鼻の剣呑さには敵わない。

 

「ズズ…あー…」

 

 袖で拭った不快感がいつまでも拭えないのも最悪だ。

 

 

 

 

 

「おや?」

 

 体を移すごとに人里の中を見て回る。それは私の顔を覚えてもらうというのもあるし、百余年という月日で変わってしまった人里の様子を把握する為でもある。一度見たものは忘れないと自負しているが、如何せん前世の記憶は曖昧だ。なんせ人が変わっているのだから。

 そんな私が以前よりも広くなった人里を徘徊して見つけた一本道。大路地から離れ、農民たちの住まいの脇を縫うように進んだその先に草むらどもがその先を通せんぼしていた獣道を見つけた。そんなに新しい道には見えないが、私の記憶にも残っていない。ずくずくと好奇心の湧いてきた私は日の高さをチラと確認し、まだ猶予があることを見てから草むらを掻き分けた。

 

 

 

 

「ふぇっくし!」

 

 止めておけば良かったかもしれない。進めど進めど終わりが見えぬのだ。いっそ道が切れて仕舞えば諦めも付くというのに、こいつときたら切れるか切れないかという微妙な所で続いていやがる。私も退くに退けなくなって進むしかなくなっている。

 オマケに進むほどに花花が沢山見えてきて、それに伴って私のポンコツ鼻も忙しくなってきているのだ。くしゃみをする度に思う、もう帰ろうかなと。

 

 しかし、私は不思議と歩みを止めなかった。中途半端に景色が変わるものだから期待していたというのもあるかもしれないが、不思議と私にはこの先に何かが待っているという確証を持っていたのだ。ふと見上げた木漏れ日、風になびく草木、幹にしがみついた昆虫。その一瞬一瞬に私は積もった土砂の中から引っ張り出される様な気持ちになった。

 

「ふっくし!」

 

 でもやっぱり帰ろうかな。

 

 

 

 

 獣道に誘われてもうどれくらいか。あまり日も見えないものだからその時間すらよく分かっていないが、足が草臥れる位には進んだ筈だ。いよいよ嫌気が指してきた私はあと十歩進んで引き返そうと心に決めた。十歩では変わるものも変わらないと思うが、中途半端に期待していた私の女々しさの現れであろう。

 

 二歩、風が私の裾を揺らした。

 

 四歩、爪先の石が転がっていった。

 

 六歩、向かい風が強くなり、思わずクシャミをした。

 

 八歩、桜の花びらが私の頬に付いた。

 

 十歩、終わりが見えた。

 

 引き返すと言っていた私はそんな決まり事も無視し、開けた野原に走り出た。

 それはそれは美しい所であった。あれだけ鬱陶しいと恨み言を言っていた花たちの美しさに目を奪われ、私だけがこの世から切り離されたような錯覚を抱いた。本当にあの世に逝ってしまったのかと頬を抓るくらいだった。しばらく魅了されていた私は空を見上げ、太陽が以前として高い位置にあることに内心驚きつつも胸をなで下ろした。低くなっていたのなら早く戻らねばならないだろうから。

 私はその美しい野原を歩き、その中心あるものを見つけた。それは群生する名も無き花たちに身を隠すようにして立っていた。

 

「墓? 何だってこんな所に」

 

 それは墓石だった。名前は掘られていなかったので誰のものかは分からないが、一つだけ思ったことはこの墓に眠る人を心底羨ましいと思った。この人里、大体は集合墓地に埋葬されるか妖怪の餌になるかの二択が人の末路である。後者は論外として、前者も私は好いていなかった。

 

 だってそうだろう? ある程度のスペースはあるとしてもどうして見ず知らずの連中と死後ずっと顔を合わせなければならないのか。そりゃもちろん、死んで墓に入ってもそこに魂は無いとする人もいるだろうが、生憎と私の死生観はそうではない。実際に私などは魂としてどこぞの体に引き継がれるのだ。その間は墓にいるのだろうよ。そう考えると私は集合墓地に入りたくないと思っていた。

 だからこの墓の主が本当に羨ましかった。集合墓地に入らないばかりかこんなに美しい場所で一人眠りにつけるのだ。羨ましくない訳が無い。

 

「貴方はいいなぁ」

 

 なんとなしに手を合わせた後に私は言った。

 すると一層強い風が吹きすさび、私は思わず目を閉じた。その瞬間、耳元で小さな女童の声が聞こえた。

 

『春は美しいでしょう?』

 

 私が目を開けた時には風はやみ、声の主もいなかった。狐だの狸だのに化かされたような気持ちのまま、しかし何故か晴々とした心持ちで私はその場所を後にした。

 

 

 

 

「ふぇっくしゅん!」

 

 春は嫌いだ。あの墓に初めて行った日からもう何年か。転生の準備を全て終え、私は死ぬことを残すのみとなった。もうそろそろかなと思う今は春。相変わらず私の鼻は空気を読まずに元気がいい。大人しく死んでおれ。

 確かに、あの時は春の美しさを有難いと思ったが、いざまた春がやってくる度憂鬱になる。それも今年で最後だと我慢しようにも煩わしいのは変わらない。あの時のことを思い出し、私はお付きの人間に尋ねてみた。

 

「なぁ、私はどこで眠るのだ」

 

 まだ幼さすら見える坊は丁寧に指をつきながら答えた。

 

「それはそれは美しい所であります。春を感じるには絶好の場所かと」

 

 やはり幼い。私が春を求めていないことなど誰にでも分かるだろうに。でも、そうだな…悪くないと思った。それはあの時の光景が少しだけ掠めたからかもしれない。

 

「そうか」

 

 ありがとう。そう言うと坊は満足したように笑った。

 

 

 

 〇

 

「はい!終わり終わり!」

 

 獏が柏手をしつこく打つと共に阿求にまとわりついていた霧が晴れた。

 

「そうか…貴方は…いえ、貴方達は私だったのですね」

 

 阿求は一人呟いて深く頷く。そしてゆっくりゆっくりと墓に歩み寄り、柔らかく右手を乗せた。

 

「ここが私の死地。ここが私の眠る場所…」

 

 過去に見た景色を思い出すように風が靡き、阿求のスカートの端を少しだけ揺らした。ほんの少し乱れた髪を梳いて阿求は振り返る。

 

「ねえ、私がなんで怒ってるか分かる?」

 

 そこには獏が立っていた。不機嫌な表情を隠しもせずに立つ獏が。

 

「なーに寒い夢なんか見せてくれちゃってるわけ? 私が求めてるのは悪夢だって言ってるでしょうが。『ここが私の死地…』じゃないわよ。下らない茶番はいいから悪夢を寄越しなさいよ。こんな夢じゃドレミー様は満足しない! こんな夢じゃドレミー様の前に出せない!」

 

 ガリガリと頭を掻き毟りながら反狂乱に叫ぶルーに阿求は身を退いていく。

 

「夢を無理やり見せたのは貴方よ」

 

「ああ!? それはあんたが良くない記憶だと確信していたのを私が知っていたからでしょうが。こんな温い夢を期待してたんじゃない!」

 

 理不尽身勝手な怒りを見せる獏はその手に黒い霧を纏わせ始めた。

 

「やっぱり天然なんてろくなものがない! 私が作らないと…私が見せないと…。

 

 眠れ。お前の悪夢はこれからよ」

 そう呟いて跳ねた獏は阿求の目の前に。反応の遅れた阿求が思わず尻餅を付いたその時に阿求とルーの間に亀裂が走った。

 

「あっ! おい、待て!」

 

 それは夢の終わり。空が崩れていくその様子にルーも地団駄を踏むばかりであった。青い天板が幾つも降り注ぐ野原に獏の歯軋りと地を踏み付ける音が響く。

 

「な、何!?」

「…夢は終わり。運が良かったね。アンタの夢なんか二度と来ないわ。毒にも薬にもなりゃしない」

 

 次第に空間を埋め尽くしていくヒビに唖然とする阿求を置いてルーは身を翻し、背中を見せた。離れていこうとするルーに阿求は縋るように語りかけた。

 

「…ありがとうございました」

「不愉快。どうせここでの記憶なんて忘れてるわ」

「一度見たものは忘れられない性質でして」

 

 そう言った阿求を背に、ルーは舌打ちを一つ残して消えた。

 

 

 

 〇

 

「ごめんなさいドレミー様。今しばらくお待ち下さい。スグに用意するので」

 

 親指を噛みながらブツブツと呟くルーは第四槐安通路の最奥へ足を引きずりながら進んで消えていった。

 

 

 

「何だか嫌な予感がしますね」

 

 横になるドレミーが静かにこぼした。

 

 

 

 


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