ドレミースイートの夢日記   作:BNKN

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12 慣れぬ匙、不秤の力

 

 

「あー、足りない足りない」

 

 カランコロンと下駄の音。そそり立つ石柱の林の一角を一撃で更地に変えた鬼が欠伸をした。少し乱れた着物に一粒跳ねた赤い花を擦り、取れぬ事を悟ってそのままに、傾けた杯の中身を喉に流し込んでその喉を焼く感触に少しだけ眉を上げた。

 

「また派手にやりましたね」

 

 彼女の背後からへこへこと出てきた若い鬼。その手に持っていた酒瓶を傾け、彼女の杯を満たしていく。

 

「派手も何も。正々堂々と言われれば手は抜けんよ」

「今回は如何でした?」

「さっき言ったろう」

 

 もう一度その大きな杯を空にして頬を膨らませる一本角の鬼、星熊勇儀。古から歩み続けてきた怪力乱神の権化は酷く渇いていた。人間に愛想をつかした同胞たちを連れて旧地獄に大都市を築きあげ、仲間内だけで馬鹿騒ぎすることもつまらないものでも無かったが、それでも潤いをきたす様な心躍る毎日に未練が無いわけでは決してなかった。

 

 鬼が鬼退治を心待ちにするなど笑えない冗談である。だが、それでも彼女は本気で待ち望んでいた。死を望んでいたのではなく、死を垣間見る様な淵をだ。人が生き物として睡眠を必要とするのと全く同様に鬼は戦いに身を削らねば死んだも同然なのだ。

 

「あー、暇だ。また地上にでも出るか?」

 

 その戦いというのも生半可なものでは意味がない。弾幕ごっこなどというお子様のお遊びではなく、本気の本気でなければならないのだ。時たま訪れる妖怪の挑戦者も勇儀に肩を並べる様な実力者は中々いなかった。今回のように跡形もなく地形ごと吹き飛ぶのが関の山。

 

「でもなぁ…色々面倒くさいんだよな。私以外にも出たいって奴が出てくるだろうし」

 

 鬼という種族が組織として成り立っているとはお世辞にも言えない。単に、より集まって馬鹿騒ぎしているトンチキ集団であるが、頭領を立てるとしたら勇儀がそれにあたるだろう。事実、地獄移設時に尽力したのは彼女であるし、実力的にも他に適任者はいないだろう。そんな事実上の鬼の管理者がルールを破ったならばその下に下っているほかの鬼に示しがつかない。まあ、地上に出るだけならまだしもそこで大暴れとなると話は違ってくる。また最悪の場合、彼女が呟いた通り、我も我もと同じことをして地上を荒し回る事だろう。勇儀は地上を荒らしたいのではなく、心ゆくまで喧嘩がしたいだけなのだ。

 

「私の味方はこれだけだな」

 

 こうやって考えを巡らすのも一度や二度ではない。圧倒的な力を見せて戦いとも呼べない一方的な試合が終わったあとの寂寥感に浸る度にこうして悩み、そしてやがて諦め、酒に身を委ねるのが常であった。酒が嫌いなのではなく、諦めから逃れるための酒を勇儀は好いていなかった。

 

「偶には本気で喧嘩してみたいもんだ」

 

 ボソリと呟かれた言葉。前を歩く若い鬼にすら届かなかったそれは誰の耳にも止まること無く、地獄の底に消えてい――

 

「その願い! 聞き届けようじゃありませんか!」

 

 ――くことは無かった。

 

 ちょうど先程勇儀によって吹き飛ばされた一帯の脇、かろうじて生き残った岩山の上に一匹の妖怪が立っていた。

 

「お前は?」

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 ぞんっと音を立てて消えた妖怪は勇儀の目の前に着地。ゆらりと上体を起こして気取ったように笑を浮かべる妖怪は恭しく名を告げた。

 

「私、ドレミー・スイートと申します。しがない獏なんぞをしております」

 

 

 

 〇

 

 今宵のお客様は鬼の星熊勇儀さん。であるからして流石の私もかなり緊張している。彼女はそりゃもう有名なので私は知っているものの、勇儀さんからすれば売り出し駆け出しの私なんかは知らぬ存ぜぬ些細な存在だろう。しかも獏とかいう劣等種族。文字通り吹けば飛ぶ存在だ。

 

「へぇ、獏なんて珍しい。昔はよく見たんだが」

「おお、私たちをご存知で。光栄なことです」

「それこそ幻想郷(ここ)が出来る前なら知り合いもいたんだがな。気付いたら居なくなってたよ」

 

 勇儀さんの知り合いだったという獏に心当たりがありすぎる私。…その、私がここに来た当時、幅を利かせていた獏がいて、その獏はギラギラしていた当時の私にこう言った。

 

『一部だけ分けてやるから我慢しな』

 

 今考えたらそれだけで非常に魅力的な提案だろう。しかし、当時の私は満足しなかった。なんやかんや端折って言うと、エリアの一部を分け与えると言った懐の深い先輩獏を私は容赦なく蹴落とし、幻想郷全土を私のテリトリーにしたのだ。いや、非常に申し訳ないと思っている。反省もしている。

 

 本当だ。

 

「そ、そそーですか? きっと何処か旅にでも出たい気分だったんでしょうね」

「まあそれでいいさ」

 

 鬼という種族は総じて嘘を好まない。そして概して鬼はこと嘘に関して、異常に敏い。しかし、嘘でなければ案外トラブルは避けられるものである。私が鬼の方とコミュニケーションを取る時に心掛けているのは決して嘘はつかず、殆どを推測で誤魔化すことだ。一歩間違えれば体の何処かが吹き飛ぶだろうけれど上手くいくことの方が多い。死ぬ覚悟が出来て遺書を残してから是非お試しあれ。

 

「それで、その獏が何だって?」

「私が貴方様の望みを叶えて差し上げます」

 

 主が誰であろうと何であろうと所詮夢は夢。存分に戦いたいなんて鬱屈とした思いを発散させるくらい訳ないというものだ。むしろそれくらいしか私には出来ない。

 

「ほう、確かにお前はそれなりに楽しめそうだ。アイツを殺したのもお前らしいしな」

 

 ボキボキと指の骨を鳴らし始める勇儀さん。勇儀さんの言うアイツってのは恐らく先程述べた先輩獏であるが、殺したというのは酷い間違いだ。少々痛めつけて何処かに捨てただけである。

 

「滅相もない。私なんかは貴方とは戦いませんよ」

 

 夢の中で負ける気なんて無いが、怖いから嫌だ。それに、負ける気もしない代わりに勝てる気もしない。

 

「望みを叶えてくれるんじゃないのかい?」

「ええ、勿論。そこで用意したのがこちらになります!」

 

「これは?」

 

 私が前に出したのは一体の人形。それもただの人形ではない。

 

「この子は私が丹精込めて作り上げた人形、スパーリング君です。勇儀さんと全く同じ力、同じ速さ、同じ知能をインストールしています。要するにもう一人の勇儀さんです」

 

「……」

 

 何処か曇顔の勇儀さん。何が気に入らないのだろう、やはりビジュアルだろうか。

 

「私に人形遊びをしろと?」

「今申しました通り、ただの人形では御座いません。貴方自身ですから油断すると少々でもなく不味いかもしれませんよ」

 

 どうやら勇儀さんは私のスパーリング君の力を侮っているらしい。舐められたものだ。私がその気になれば勇儀さんをボコボコに出来る人形だって作れる。

 

「ならそいつを出してみなよ」

「あら?」

 

 声に出ていたらしい。私の発言が悪かったのか、すっかり勇儀さんが戦闘モードにギアチェンジしてしまった。口は厄の元とはよく言ったものだ。

 くわばらくわばら。

 

「早くしな。じゃないとお前からいくぜ」

 

 私の胸倉を掴んで持ち上げる勇儀さん。完全にカツアゲである。誰か警察を呼んでください。

 

「スパーリング君!」

 

 私の声に反応したスパーリング君は勇儀さんの腕に掴みかかり、思い切り捻った。

 

「……」

「あ、あれ? スパーリング君?」

 

 まったくもって捻れていなかった。勇儀さんの同じ力を持っているはずなのにビクともしないとは何事だ。スパーリング君(キミ)の力はこんなものじゃないはずだ。もっと熱く――

 

「邪魔」

「あ」

 

 ポコポコと勇儀さんの腕をぶん殴っていたスパーリング君。主である私を助けようとしてくれていた健気な彼は勇儀さんの無造作な拳で顔面の4分の3が破損。その勢いのまま流星となって吹き飛んでいって見えなくなった。

 

「す、スパーリング君んんん!」

 

 生誕さっき、死せるもさっき。どんな儚い命よりも短い生しか与えられなかった哀れなスパーリング君に幸あれ。

 

「茶番はいいからさっさと出しなよ」

 

 そう言って私を下ろす勇儀さん。雑に下ろすものだからお尻から地面についてしまった。

 

「い、いいでしょう。分かりました。そこまで仰るのなら見せて上げましょう」

 

 鬼である勇儀さんの面目を潰してしまうのは誠に忍びないが、他ならぬ彼女が望んだことである。

 

「スペシャルスパーリング君! この子が貴方をけちょんけちょんにしますよ!」

 

 死んだ彼の意思はこの子に受け継いだ。スペシャルスパーリング君はあらゆるバロメーターをカンストさせたチートキャラみたいなものだ。勇儀さんなんか目ではないはず。

 

「それでいいのか?」

「ええ、勿論です。 やっておしまいなさい!」

 

 私が命令したと同時に目にも止まらぬ速さで勇儀さんの前に飛んだスペシャルスパーリング君。そのままゴリゴリに膨れ上がった筋肉を唸らせて勇儀さんの立っていた場所に振り下ろした。

 

「うわぁ…」

 

 我ながらその威力にドン引きである。その拳が着弾したと同時に地震を起こしながら地面が破裂、舞い上がった土煙のせいで何も見えやしない。怪力乱神を超える力のその異常さがよくわかる。ボコボコというかヘタをすれば粉々にでもなっているかもしれない。

 まぁそれが勇儀さんの望んだ夢であるからいいのだけれど。ドレちゃんは相手が望むとおりにキャラを変えられるのだ。SでもMでもなんでもござれ。

 

「…わお」

 

 引き気味にドヤ顔晒してしばらく。今だその煙幕は晴れないものの、徐々に先が見通せるようになってきたのだが、随分と予想と違う光景になっていた。

 聳え立つ一本角。我が愛すべきスペシャルスパーリング君の姿は何処にも見えなかった。

 

「確かにさっきよりはマシだな。…昔ならこれ位の奴はゴロゴロいたけどな」

 

 そう言って何かをこちらへ投げた勇儀さん。まもなくぐじゃりという生々しい音と共に私の背後の壁にとてつもなく大きな花が咲いた。

 

「っす、スペシャルスパーリング君んんんん!」

 

 私の足元に転がってきた彼の首。目とか鼻とか面倒臭いパーツは作っていないので表情なんかは分からないが、何となく悲しそうな目をしている気がした。

 

「なんてことを! この子はついさっき生まれたばかりなのに、貴方には心がないんですか」

 

「おいおい、私は言ったぞ」

 

 爆音。

 土煙が完全に霧散し、勇儀さんがいた場所が破裂した。隕石でも落ちたかのように抉れた地面に気付いた時には勇儀さんが目の前に立っていた。

 まるでバトル漫画のようだ。

 

「茶番はいいってな」

 

 なるほどルーさんが失禁したのも頷ける。自らと力の差が絶大な者が眼前に立つだけでこの緊張感である。正直、めっちゃ逃げたい。

 

「お、お見事です。楽しんでいただけましたよね。そうですよね。悪夢は去った様なので私はこの辺で――」

「満足したと思うか?」

 

 華麗に身を翻した私の肩を勇儀さんが掴んだ。掴んだっていうか千切られるかと思った。

 

「痛い痛い痛い痛いもげますってば。私の何かがもげます」

「あんな半端もん寄越されて中途半端に煽られて、このまま終わりなんて不完全燃焼にも程がある。私にとっちゃ元より酷い悪夢さ」

 

 めしめしと軋む私の肩骨。まあ、そんなものはどうとでもなるのでどうでもいいのだが、勇儀さんの発言は聞き捨てならない。私が悪夢を生んでしまうなどあってはならない。私の沽券に関わる上に何よりも私自身が許せない。

 

「致し方ありません。ポンコツ人形では駄目みたいですね」

 

 あんなスパーリング君だのスペシャルスパーリング君だのに頼っていた私が愚かだった。どうせ死なぬのだから初めから私が出張っていれば良かったのだ。

 

「お、ようやくかい」

 

「申し訳ありませんでした。私は獏であるというのになんと愚かな事をしたのでしょうか。私が作ってしまった悪夢は責任をもって私が処理いたしましょう」

 

 平和の使徒たる私がまさかこんな身体を張ることになるとは思わなかった。アイドル枠で呼ばれたのに汚れ役を強いられた気分だが自分の撒いた種だ。

 我慢我慢。

 

「えいっ」

 

 勇儀さんの拘束を解いて後退。いくら戦うと言ってもただの殴り合い、蹴り合いなんて芸がないし華もない。ここはやはり幻想郷に住まう者らしく華麗に戦おうではないか。

 

「おいおいよせよ。そんな弾幕ごっこ(お遊び)なんかでお茶なんか濁すなって」

「私は殴る蹴るよりこっちの方が得意でして」

 

 嘘じゃない。私みたいなナヨナヨの体で殴っても鉄より硬い勇儀さんの体に傷なんて残せないのは明白。ならばこそ私は現実世界でも夢世界でも絡め手しか使わないのだ。

 

 それに、そんな戦い方は美しくない。ラブリーチャーミードレちゃんには合わないのだ。

 

「そこまで言うならやってみなよ」

 

「眠らせてあげましょう。貴方の槐安は今作られる」

 

 試合に勝って、勝負にも勝つ。大きな声では言わないがドレちゃん実は負けず嫌いなのである。

 

 


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