空には血を垂らした様な赤が広がり、ビルの谷間には切り裂かんばかりの風が吹き荒ぶ。木っ端人間は風に追いやられていそいそと家路につく。木枯らしの寒々しい音と、バタバタと忙しい布の音が響く街の隅、街を東西に貫いて走る大きな川を跨ぐ木製のボロついた橋。赤い夕日すら手の届かないその橋の下、下校途中の女子高生がスマートフォンを片耳に押し当て、笑い声を響かせながら学校指定のローファーを鳴らして歩く。
「そうそうっ! でさ〜そいつ駅前の本屋に入っていって何買ってるかってチラッと見たら『オカルト決定版! UMAの居場所とは!?』なんて買ってやがんのっ。しかもそれ3000近くしてたし! 馬鹿みたいじゃね?」
キャハハと高い声で誰かの悪口を喜々として漏らす女子高生。電話口の相手の対応が気持ちよかったのかその声はしばらく続いて、橋の作る影の終わりが近付いてきた辺りまで続いた。しかし、日の当たるあちら側まで数メートルという所で彼女の口と足が止まった。
『どうしたの?』
電話口の相手も訝しげに尋ねる。
「いや、なんだろう。なんか変な感じがする…」
知らずの内に小さく震える彼女の声に電話口の相手も心配そうに声色を変えた。
『えー、何? ストーカー?』
「いや、ううん。もっと…違う」
彼女が見据えるは今まで歩いてきた後ろ道。しらと続く黒絨毯にスマートフォンを握る掌に汗が滲む。
「……」
いつの間にか音の消えた空間に響くのは向こう側の生活音だけ。あれだけ喧しかった風の音も、川の流れる音も、何もかも聞こえなかった。まるでそこだけが切り離されてしまったかのような錯覚すらした。
「っ!! 」
目を細めた女子高生は闇の中に何かを見つけ、何かを口にするより前に、振り返って全力で走った。闇とは逆の方向へ。
して、すぐに気付く。振り返った先にも闇しか無いことに。正確に言うなら日の当たるあちら側が酷く遠いことに。
『? どうしたの?』
「何あれ!!」
困惑する話相手を置き去りに、吹き出る汗をそのままに彼女を走らせるのは背後に蠢く謎の影。辺りの暗闇に同化したその姿をハッキリと見ることは難しかった。
『ちょっと、どうしたのって。もしかしてほんとにヤバイ系?』
事の深刻さに勘づき始めた話相手。察し始めたはいいがどうしたものかと狼狽えているのが音だけでも分かる。
「た、助けて! あれっヤバイ! 本当にヤバイ! 助けて! けーさつ! けーさつ!」
『え、ちょっと何何?』
「裏門から出てっ、ちょっと行った橋の――」
制鞄を投げ捨て、スマートフォンに向かって殆ど叫ぶようにして助けを求める彼女の声は半ばにて千切れる。カラカラと滑り、夕日の赤を反射するスマートフォン。慌てる相手の声だけが虚しく聞こえた。
〇
「ねーねー知ってる? あそこ、出るんだって。ほら、学校の裏門を出て、駅から離れる方の坂道あるじゃん? それを下って、公園を突っ切って右手に曲がった先にボロっちい橋あるでしょ? その下。そこで最近、よく人が消えるらしいの。実際、ここの生徒も消えちゃったんだって」
姦しいクラスメートの噂話が耳につく。イヤホンを付けていると言うのにノイズキャンセリングを貫通して私の鼓膜にダメージを与える彼女たちのハイパーボイスには心から賞賛の拍手と「くそくらえ」という素敵な言葉を送ろうと思う。悪口、ゴシップの類が大好きな彼女たちなら喜んで受け取ってくれることだろう。
「はぁ…」
さらに、彼女たちの情報に訂正を入れさせてもらう。最近、人が突如消える事件が多発している訳だが、それはあの橋に限った話ではない。裏路地、公衆トイレ、人のいないトンネル、情報だけならわんさかある。あの橋で事件が起きる数週間前から私はこの話を調べていた。決して彼女達のように流行りに流されて調べているわけではないのだ。
「誘拐とかじゃないのー?」
馬鹿。これはそんな単純な話じゃない。幻想郷に行き来する私だからこそ感じるのだ。あれはこちらの者の仕業ではない。
「あんたそんな事言ってると連れてかれるよー。なんせ――」
なにせこれは『神隠し』なのだから。
「という訳なんですけど、霊夢さん何か知りません?」
こういうのは本職の人に聞くに限る。私ならそれが可能なのだから。
「それはいいけど、あんた最近ずっとここ来てるわよね。大丈夫なの?」
「ぐっ…、いいんですよ、私は。勉強なんてしなくてもそれなりに出来ますから」
怒られはするかもだが、私の生きがいは向こうの世界ではなく、こちらの世界にしかないのだ。幻想郷という秘を暴いたのだから多少の居眠りくらい許されるだろう。
「それより、どう思います? 『神隠し』」
「神隠しねぇ…。何だか物凄い心当たりがあるのよね…」
バツが悪そうに頭を掻きながら目をそらす霊夢さん。心当たりがあるって反応である。やはりビンゴ。
「教えて下さい」
「教えたらどうするの?」
「街の平和を守るべく、私が退治します」
「じゃあ教えない」
「えーっ!?」
まさかである。完璧な返答だったと思ったのに流れるようにそっぽを向かれてしまった。実を言うと、散々心の中でクラスメートを馬鹿にした私だが、私だってこの件に関して知っていることはとても少ない。だからこそ、ここで貴重な情報源を逃すわけにはいかないのだ。
「どうしても教えないって言うなら」
力ずくで。それが
「あ、後ろ」
「その手には引っかかりませんよ! いざ尋常に――」
「霊夢よりも私に聞いた方がいいと思うわよ」
「ギャー!?」
突然頬をつつかれたのに驚いて飛び上がってしまった。まさか本当に後ろに誰かいるとは思わないじゃない。
「あらあら、そんな驚かれると妖怪冥利につきますわね」
私を飛び上がらせた犯人は、上半身だけを空中に浮かせて、空間の縁とでも言えばいいのかそこに肘を付いて閉じた扇子を勢い良く開いた。最早隠されてしまった半分の顔からしか慮ることしか出来ないが、とても綺麗な人…妖怪だった。
「れ、霊夢さん?」
「そいつは八雲紫。面倒臭くて胡散臭い、ひたすら臭い妖怪よ」
臭いと言われれば反射的に鼻を摘むのが人間である。如何に強靭無敵の女子高生たる私でもそれは例に漏れない。
「酷いわ霊夢。私ほどフローラルな香りを発する妖怪もいないものよ? ほら」
あっ、ほんとだ。凄くいい匂い。
じゃなくて
「どちら様です?」
「そこの怠け者に御紹介与りました八雲紫と申しますわ。私は臭い妖怪ではなく、スキマ妖怪」
スキマ妖怪とは聞いたことない妖怪だ。この前買った本にも載ってなかったはず。
「貴方のご執心な『神隠し』の主犯に御座いますわ」
「へ?」
〇
「という訳で現在私の街で神隠しが多発しているのですが、紫さんの仕業ですか?」
「ええ、そうよとはいかないわね。もしかしたら貴方の街でも一度くらいならあるかもしれないけれど、そう短時間に何度も同じ場所でなんて風情がない、そう思うわ」
場所を母屋に移して卓を囲む三人。大妖怪を前にしてなお勢いよくずずいと身を乗り出す女子高生に神社の巫女さんも若干引き気味である。
「こいつの言うことは信用しなくていいわ。そう言う妖怪だから」
白湯気揺らめく湯呑みを置く霊夢は愚痴のように零す。うんざりしたような霊夢とは対照的にスキマ妖怪は薄笑いを深めた。
「酷いわ霊夢、私ほど真正直に生きている妖怪なんていないのに」
「アンタで真正直なら私は何? 聖人?」
「堕落の化身とかでしょ」
「よし分かった。表へ出ろ」
流れる様にバトルモードへ移行した霊夢。恐るべき沸点の低さを露呈した巫女の肩を止めたのは菫子であった。
「ちょっと霊夢さん。話が逸れてますって」
「ちっ…命拾いしたわね」
「まあ、霊夢ったら如何に私には敵わないからって死ぬ気だったの?」
「死ぬのはアンタの方よ!」
折角菫子が衝突を防いだのも束の間。ジッパーのついていない口から繰り出された些細な言葉にも律儀に反応してしまい、再度発火した霊夢。
幣を振り回す巫女さんの怒りが治まらねば話も進まない。
「はい、では続きを聞きましょう」
弾幕ごっこもひと段落。スカートの端が擦り切れたスキマ妖怪とリボンに穴の空いた巫女さんは再度同じ卓を囲む。
「はっきり申し上げて、私は貴方の探している『神隠し』には関与してないわ。霊夢は私が犯人だと思ってたみたいだけど全く的外れね」
「しょうがないでしょ。普通、神隠しって言えばアンタなんだから」
ぶすっと頬を膨らませる霊夢。それを見た紫はいつに無く清々しい笑顔を見せた。
「犯人ではないけれど、代わりに犯人の目星は付いてるわ」
扇子を広げ、口元を隠して目を細める。その表情は菫子からは読み切れなかった。
「誰ですか?」
「それを教えちゃつまらないわ。是非貴方が見つけて頂戴。貴方の街の問題なんだから」
くつくつと笑う紫にため息をつく霊夢と露骨に面倒臭そうな顔をする菫子。似たり寄ったりである。
「まぁまぁ、そんな嫌そうな顔しないで。ヒント位は教えてあげるわよ」
ニヤニヤと笑う紫は不意に姿を消す。そして菫子の背後に開いたスキマから体を覗かせて耳元で囁いた。
「貴方の街で神隠しが多発している原因は貴方ですわ、宇佐見菫子」
「はい?」
払うように菫子が振り返るとそこには誰もおらず、先ほどの場所から紫が歌うように語りかけた。
「実は私、ここの結界の管理なんかもしているの。それで、私の引く結界ですからそれはもう厳重なわけなのだけど、不思議と貴方はコチラに来れてるわよね。それは何故?」
「何故って…寝てたら来れたってだけで――」
「そう、寝てたら来れた。普通は寝てるだけでこちらには入れないの。でも貴方が来ているのは、貴方がとある特別な通路を使ってるから。その通路を貴方が通ることで貴方以外もそこを通れるようになったみたいね」
「通路…?」
おさげを傾ける眼鏡っ子。
「通路と言ったのはある意味で正解、でも正確には通路ではないの」
「???」
数学だの物理だの英語だの、学業にならそこそこ自信がある菫子が頭を捻るも妖怪の賢者の伝えたいことは分からないらしい。
「それは――」
「シーッ…」
先をせかそうとした現代っ子の視界は突如暗く落ちる。菫子の鼻に漂ってくる甘い香りが紫が至近距離にいることを告げていた。
「私が伝えるのはここまで。ここからは貴方が頑張ってみなさい」
囁かれた言葉に頷くと菫子の視界が晴れ、その時には紫の姿は無かった。
「…不思議な方ですね」
「知ってるならはっきり言えばいいのに、面倒な性格してるわホント」
プンスカ怒りながら、いつの間にか飲み干されていた紫の湯呑みを片す霊夢。現実世界で目覚めが近いのか、視界が薄くなっていく景色の中で菫子は眠りについた。
〇
「ドレミー様! また料理を作ってみました!」
「え"っ!? そ、それはいいで…いや、えっと」
今日も麗らかな第4槐安通路。お日様も見えない異世界的空間の我が家。変わらぬ景色に目を流しながら珈琲をすすっている所に思わぬ爆弾が投下された。ルーさんには申し訳ないがルーさんの料理は…その、不味い。不味いというよりテロに近い。飯テロとかそう言う話ではなく。
「大丈夫です! 前までは食材を使った料理だったので感覚が掴めませんでしたが、今回は夢を調理してみました!」
「……」
夢の食べ方には幾つかある。普段は悪夢をその場で頂く、まぁ踊り食いみたいなものだ。そして今回ルーさんがしたらしい様に、調理も可能なのである。調理と言っても、本物の料理のように複雑な手順が必要なものではない。単純に幾つかの夢をブレンドするだけだ。カクテル感覚かな。
そんな調理の簡単なカクテルですらルーさんにかかれば私の胃を破壊しかねない。そう思ってしまうのは失礼過ぎるだろうか。
「大丈夫ですって! 何度か味見しましたが結構美味しいですよ?」
ルーさんの舌は少し、いやかなり特殊な訓練を施されているらしく、生半可な刺激ではびくともしない。私にはレベルの高過ぎる話だ。
「ではどうぞ」
そう言って私の前、机の上に置かれたスープ皿。中ではキラキラと輝きを放つ美しいスープが揺らめいている。見た目は素晴らしいけれど、逆にどうしたら光り輝くのか分からない怖さもある。
「……では」
かと言って捨てるのは勿体無い。折角、作って頂いたというのもあるし、元々が誰かの夢なのだから。まぁ、どうせ食べても死ぬわけではない…はず。
「んん、これは」
美味しい…美味しいが何か残る臭みがある。何処かで感じたことのある臭み。喉元まで出かかっているのだけれど何だったか。
「どうですか? 上手く出来てますよね?」
「え、ええ。そうですね。美味しいです」
「やったー! 沢山作ったので持ってきます!」
両手を上げて引っ込んでいくルーさんを見てやっと思い出した。長らく食べてなかったものだから直ぐに気付かなかった。あの臭みの正体、それは
「…人工的な臭さ、養殖臭さですね」