十一月二十七日
外はちょうど数日前から急に冷え込みだし、冷たい雨がそぼ降る灰雲に覆われた薄暗い様相である。
雨は苦手だ。吸血鬼にとって雨は弱点となりうる。また私にはアイドル活動で服が透けるという苦い思い出があった。
でも。
「…………、」
白いワンピースの上から黄色いレインコートに身を包み、下はチノショーパンにレインシューズを羽織った私はザアザアと降る雨の音を聞いてそっと息を呑んだ。
手に持つ傘の上を跳ねる雨音。木に降り落ちる雨粒。道を歩きながら私は吸血鬼特有の優れた聴覚で聞き取り、この忌々しい雨でも唯一嫌いではない点を思う。
――――でも雨音は嫌いじゃない。
雨音が跳ねる。それだけで心が揺れ動く。さながら自然が奏でる音楽と言っても良い。雨なんて意識して聞く者は居ないが、案外聞いてみると聞き入ったりするものだ。
私はこの雨音は嫌いじゃなかった。雨の日に散歩することがあれば大抵雨音を聞く為と言ってもいい。
(――――♪)
今回もそうだ。香霖堂に呼び出されたついでにこうして雨の中を歩いていく。急ぎなら空を飛ぶが今日はそこまで急ぎではあるまい。だからこそこの十五、二十分の散歩を楽しんでいるのだ。ひとしきり満足すればあとは
そしてその通り満足した私は香霖堂への
頭の中で目的地を意識し、魔法を行使する。それからゆっくり目を開ければ目的地は目の前だ。
「……到着っ!」
僅か前までは店の前や周りにまで森近さんが拾ってきたガラクタが溢れていた香霖堂だが、最近ではリアラさんがいる為か綺麗なものである。店の見た目も綺麗にペンキで塗り直され、僅かにあったヒビなども全て修繕しており、見た目新店のようだ。
その扉を叩くと中から扉が開き、森近さんが私を迎えてくれる。
「やぁフラン、待ってたよ。つい先日で商品の方向性が決まったからね。ついてはこれからこの商品をどう売り込むかを話したいと思って君を呼んだんだ。僕としてもマーケティングは重要だと考えているからね」
「売り込みですか?」
聞き返すと森近さんはうんと頷いた。
誰でも弾幕ごっこが出来るアイテム。商品名『デバイス』。先日の話し合いで商品の大まかな形が完成し次は大量生産とデザインが問題だと言っていたのに。
思いがけない話に私は顔を上げた。単に失念していたというのもあるが、これまで商売などしたことの無い私には売り込みはとんと縁の無い話だったからだ。
「まぁともかく入ってくれ。座って話そう」
森近さんの言うままに雑多な商品の置かれる香霖堂内の会議室(和室)に入るとそこにはリアラさんが座って待っていた。次に視界に部屋の中央に置かれた急須とミカン、それから湯呑みが三つ映る。どうやら私待ちで話し合いの準備は出来ていたらしい。
軽く挨拶を済ませると早速リアラさんが議題を挙げた。
「今回の議題はマーケティングです。これまで私達は誰でも弾幕ごっこが出来るというコンセプトでデバイスの開発を進めて来ましたが、まずそれを販売する上でどのように人々に周知するか、それを考えましょうか」
「人里の規模を考えれば草の根販売でも構わないとは思うが、ただ僕の店に置くだけでは売れないのは明白だからね。立地が悪過ぎる。出来れば人里内に新店舗を設けられれば良いんだけど、それは不可能。だからこそ商品は委託することになるけど、どこと提携を結ぶかも問題になってくる。生半可な店に置いても所詮僕らの商品は画期的であれど、眉唾物の商品に違いないからね。だから里人にこの商品は本当に誰でも弾幕ごっこが楽しめるようになると周知させなければならない」
それに値段的にもそこそこするから、本物か疑いのある商品なんて誰も手に取らないからと彼は述べる。
成る程、つまりあれか。私は思ったことをそのまま口にした。
「この商品への信憑性を与えるマーケティングが必要、と」
「その通りさ」
森近さんは頷くと淡々と続ける。
「そのことで今回のプロジェクトに――いや、端的に言ってしまえば君の意見が聞きたくてね。何か建設的な提案はあるかい?」
「いきなり言われても。正直私には実際里人に使わせる――デモンストレーションするくらいしかアイデアはありませんけど」
「君もおおよそ同じ考えか……ふむ」
どうやら森近さん達も同じ案を出していたらしい。まぁそれが一番手っ取り早く分かりやすいのは私も同じ考えだ。
しかし腕を組んで森近さんは唸る。
「……デモンストレーション以外で何か無いかい?」
「実地説明以外で?」
聞き捨てならぬ話である。
「条件を付けるのはなんでですか」
「今回の商品。デバイスだが、真っ先に委託先として考えたのは霧雨商店なんだ。人里で最も権威があり、あそこの家に若かりし頃僕は世話になった商店だからね。でもあの店は魔法商品を取り扱わないんだ。それに家出して魔法使いを名乗ってる魔理沙の件もあるからね。デモンストレーションするには霧雨の親父さんを含めた人里の有力者からの許可を得なければいけないんだけど、それが貰えるか微妙なラインで……それに僕自身あの家には恩があるから、恩を仇で返す真似はしたくないんだ」
許可を得なければならない話は初耳だった。それ以外は商人としては致命的な優しさだと思うがそれも森近さんの美点だろう。
「それで私達も話が詰まってたのよ」
「そうですか。でも森近さん、霧雨商店に話をしてみるだけしてみたらどうですか? あちらも商売人なら今回発売するデバイスはかつてない利があると判断する筈です! それぐらい自信ありますよ?」
「利益の話じゃないんだ。魔理沙が家出した時はそれはそれは壮絶な喧嘩があってね。親父さんからすれば娘をあんなに捻じ曲げた魔法なんて反吐が出るわ、って思ってるハズさ……まぁ可能性は無いわけではないと思うけどね」
「どういうことですか」
「魔理沙の八卦炉があるだろう。実はアレを魔理沙に渡すよう依頼してきたのは魔理沙の親父さんなんだ。内容としては、親父さんが僕にお金を払って依頼した形だけどね……内緒で渡してくれと言われて驚いたものさ。でもその時完成した八卦炉を何とも言えない顔で見ていたから」
「言いづらい、ですか」
多分あまり触れたくないのだろう。でもどっちにせよ売るならデモンストレーションしようがしまいがその考えは意味無いのでは、と私は思う。
そして、それよりなら否定される覚悟で話を付けるべきとも。
(人の過去に足を踏み入れるのは好きじゃないけど)
それでも今回の商品は売れる価値ある品だ。私情で埋もれさせるのは容認出来ない。
それに――――人々に知ってもらいたいのだ。
空を飛ぶ爽快感を、弾幕を撃ち合う白熱を、瞬間の駆け引きを。
そして――――私達の夢を
その考えは妖怪としては問題あるものだろうけれど、別に妖怪と人間との力関係が逆転するような商品ではない。あくまで弾幕ごっこという娯楽を皆が楽しめるようにするものだ。
だからこそ里で一番の商店である霧雨商店に販売委託すれば間違いなくデバイスへの信用が生まれる。デモンストレーションが出来れば人々にこの商品の素晴らしさが伝わる。
ここは引けない場面だ。私はそう思ったのだ。
「……森近さん、やっぱり霧雨商店に話を付けて」
それからそっくりそのまま先程考えた利点を述べる。
「霧雨商店がデバイスを販売すれば信用が生まれる! 霧雨商店の力を借りれば間違いなくこの商品は売れる! 森近さんも信じてるんでしょっ!? デバイスが売れるって!」
「しかし……」
「だいじょうぶ。だって霧雨の家は人里で一番の商店だもん。私達よりもよっぽど商売人してるんだから! だからこそ絶対に分かる筈なの、この商品の価値が!」
渋る森近さんに私は最後の手札を切る。
「それに……それにね。もし魔理沙のお父さんが魔法の道具を売るようになれば――――魔理沙が親父さんと仲直り出来るチャンスが出来るよ。人の親なら誰だって自分の子供は心配な筈だよ。だって森近さん言ってたもん。魔理沙の八卦炉は魔理沙のお父さんがプレゼントするように言ってきたって。森近さんは霧雨の家に恩があるんでしょ!? だったら、最愛の娘さんと仲直り出来るチャンスを与えるのが一番の恩返しじゃないのっ!?」
「…………ッ」
感情的になって言い切ると森近さんの表情が変わった。
森近さんの目の中でどっちが良いか推し量るような天秤が動いている。
そして私はその揺れ動く天秤を傾ける最後の分銅を載せた。
「
森近さんを名前で呼ぶと彼は目を見開いて私を見る。
それは答えを求める催促だった。もう一度名前を呼ぶと霖之助さんは腹積もりを決める為、一度目を閉じる。
「………………、」
その間誰も口を動かさない。時間にして数秒の空白。
その間しとしと降る雨の音だけが耳に付いた。
しかし。やがて彼は目を開いて私達を見つめるとゆっくり告げる。
「――――分かったよ、僕の持てる全力で話を付けよう」
揺れ動いていた天秤が傾き、静止した。
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「魔理沙さんとお父さんの関係……かぁ」
「……マーケティングは重要ですが人との関係もまた重要。相手を考える余り森近さんは悩んでいたんでしょうね」
「フランも良い説得をするじゃない。流石私の妹ね、紅魔の生まれついての帝王学がしっかりと身に付いている」
「いやアンタの書いた帝王学は書店でも不評浴びてるじゃない」
「所詮、有象無象の凡人どもに私の至高なる考えが理解出来るわけないってだけよ。人間の中でも智の英雄と呼ばれる人種が読めば孔子の教えなんて比較にならないと思うはずだわ」
グッと拳を握り締め、張れる程ない薄い胸を張って力説するレミリアを見て早苗は思う。
(……どこから湧いてくるんだろう、この自信)
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十一月二十八日
早速霖之助さんが話を付けたらしい。
概要は知らないけど上手くいったそうだ。
一度怒らせてしまったらしいけどそれでも食い下がって説明を続けて、ようやく森近さんの真剣な思いを理解してくれたらしい。
最後には「ありがとう」とまで言われたそうだ。
そして「やるからには必ず成功させるぞ!」とも。
森近さんもより一層気合が入ったみたい!
沢山の人の思いが掛かってるデバイスプロジェクト、絶対成功させないとね!!
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「おー!」
「霖之助さんもやるわね」
「……良い話ですね」
「これだけの思いが掛かっていたからこそ成功したのね」
それぞれ一言ずつ思いを語り四人は次のページをめくる。
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十一月二十九日
商品の販売開始日についてのお話をした。
デバイスが腕輪型なのでその材料や大量生産の目処、その検討をしてようやくだ。
とはいってもかなりのハイペースだけどね。
会議も意見が飛び交うもので、かなり有意義なものになっている。
中には私が想像もしなかった良いアイデアもあってアッと驚く為五郎した。あっ、アッと驚く為五郎っていうのは1960年代に流行った驚く時の言葉らしい。
会議してる時に若者を真似ようとしてるおじさんがいて変な言葉使ってた。
「これはナウでヤングな言葉なんだ」って。
絶対古い気がするけどまぁいいや。
ともかく会議はとても実りのあるものだし皆一生懸命に商品開発をしている。
きっとデバイスは良いものになる。そんな予感がした。
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「随分古い言葉が出てきたわね」
「そこはツッコミ入れるところじゃないでしょ霊夢さん」
「……ともかく全員が一つの商品に全力で取り組むって良いですよね。私もコミケの時はサークル全員で必死に入稿まで済ませようと頑張るのでよく分かります」
「いや……その例えはどうなのかしら?」
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十一月三十日
十一月最後の日だ。
と、そんなことより商品の発売日が決定した。
十二月十日。
吸血鬼としては語りづらいけど人間にとって十二月後半のクリスマスからの時期は年末商戦といって財布の紐が緩みやすくなる時期だ。つまり少々高いものでも販売するには絶好のタイミングとも言える。
そしてデモンストレーションが十二月五日に人里で行われることに決定した。商品発表には霖之助さんと霧雨商店当主、つまり魔理沙のお父さんが商品説明を行う。また私は司会進行と客引き目的のアイドルとしての参加をお願いされた。
……でもアイドルとして参加するからにはプロデューサーの魔理沙の許可が必要になる。
近いうちに必ず魔理沙にお話しして許可をもらう必要が出てきた。
でも霖之助さんだって頑張って霧雨商店との合意を手に入れてきたんだ!
私だってやってやる! デモンストレーションまでに必ず魔理沙の許可を得るんだ!
よーし、頑張るぞーっっ!!
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「霧雨の親父さんの次は魔理沙の許可か……」
「フランちゃんならやれますよ! でも私、ちょっとハラハラしてきました!」
「……親父さんは八卦炉の件から分かるように家出しても魔理沙さんの事を心配していたようですが魔理沙さんはどうなんでしようか……?」
「……わからないわね。読み進めましょう」
幾つか懸念もあるが読まなければ話は進まない。
四人はそのまま次のページをめくるのだった。