――――人里を妖怪が襲った。
その報せを聞いて人里に急行した
何が起こったの? 私が首を傾げて地面に降り立つと近くの人々が騒ぎ始める。博麗の巫女が来た、と口々に言い合っているのだ。
それと同時に大勢の人達が一斉に事件を説明しようと話しかけてきたので私は舌打ちして、一発空に弾幕を放って静かにさせると近くの見知った顔に尋ねた。
「慧音。妖怪は? 何があったか教えてもらえる?」
「あ……あぁ、霊夢。妖怪が……寺子屋を襲って来たんだ。子供達は全員無事だったんだが、フランがこれ以上危害は加えさせまいと妖怪を退治したらしい。だがそれ以上は私も知らん。なにぶん今来たばかりで」
(……フランが妖怪を倒した? となると、この血溜まりはその跡って事かしら。肉塊も残ってないって事はあの子の能力よね。いやでもその割には血が多い……最初から破壊したなら血ごと消し去ってしまうのに)
フランが妖怪を倒した。
一部引っかかる点もあるが手持ちの情報は少なく推理するには不十分である。仕方なく溜息を吐いて改めて周りを見回して、違和感を感じた。
(……あれ?)
瞬間的に頭の中に疑問符が浮かぶ。
私が見た光景が妙だったのだ。
(なんで―――)
妖怪が退治されて危険は無くなった筈なのに。
(――誰も心から安堵してないの?)
それは表情の違和感だった。
三百六十度、ぐるりと見渡して。誰も彼も顔が引き
「あの――――」
そして、疑問に思って私が尋ねようと思ったその時だった。
振り絞ったような怒号が響いたのは。
「ふざけるなッッ!!」
(妖怪の次は喧嘩か何か? あぁもう!)
こちとら全員無事で安堵したところだというのに。少し面倒に思い、振り返って声のする方を見ると数人の大人に突っかかる少年の姿が見えた。
「ちょっと退いてちょうだい」
人の山に声を掛けて道を開けさせると私はその間を抜けて前に出た。慧音の不満足な説明に付け加えて何かを言いたそうな空気があちこちから発せられたが、一旦無視して声のする方まで躍り出る。
すると私の耳に叫び声のような説教が聞こえてきた。
「お前らはどんな気持ちでフランが妖怪を殺したと思ってんだよ! 言うに事欠いてあいつが狂った妖怪だと!? ふざけんな! 確かにさっきのあいつは少し様子が変だったさ。狂ったように何度も妖怪を突き刺して、最後はドカーン、だ。でもそれはあいつの全部じゃない! あいつは、狂った妖怪なんかじゃない! 楽しい時は笑って、悲しい時は泣くような普通の女の子だ。それを知ったように断定しやがって!」
「くっ……離せこのガキッ!」
「はいはーい。そこまで、それ以上何かするなら私が黙ってないわよ」
襟首を掴み上げている少年の肩を叩いて止める。
少年は首を動かして私を見て、目を見開いた。
「博麗の、巫女っ……?」
「えぇ」
頷いて、それから私は少年に問い掛ける。
「早速で悪いんだけど、私ここに来たばかりでまだ状況が分かってないのよ。アンタは状況分かってるみたいだし説明してくれない?」
1
少年は名前を『ナナシ』と名乗った。
中肉中背の黒髪で、何処にでも居そうなありふれた少年だ。
さて、彼の話を要約し、慧音の話と組み合わせるとこういうことらしい。
事のキッカケは授業中に寺子屋が妖怪が強襲された事だ。ぬうっ、と教室のガラスから伸びた影が見えた瞬間、無造作に振るわれた一撃で寺子屋が全壊したらしい。
幸いにも怪我人はなく全員をフランが魔法で助けたそうだが、その後その
「……ブチ切れたっていうのかな。目が、いつもと違ってた」
寺子屋のすぐ外で、まずフランは虚空から剣を生み出すと妖怪の体を貫いたらしい。最初の一撃でほぼほぼ致命傷だったが、彼女の攻撃はそれに留まらず、一本、二本、三本と、数秒毎に剣を突き刺し、その度に血飛沫が飛び散ったらしい。
その赤い血を全身に浴びながら彼女は何度も貫いた。何度も、何度も何度も何度も何度も。
そして体ごと剣で地面に突き刺さり身動き一つ取れない妖怪に対し、無造作にフランはこう呟いたらしい。『キュッとして……ドカーン』と。
瞬間だった。妖怪が圧縮され、破裂した。
その後、剣を握り、血溜まりの中に佇んでいた彼女にナナシも声を掛けることが出来ず、やがて人々は余りにも様子のおかしく、残虐的な殺戮に対し「恐ろしい」と呟き始めたのだそうだ。
そしてふと、した瞬間だった。フランの目に元の色が戻った、とナナシは語る。
「……正気に戻ったっていうか。我に返ったっていうか。そんな感じだった。それからあいつ、急に震え出して……逃げたんだ。ごめんなさいって繰り返し呟いて……」
話し終えて彼は自嘲するように顔を怒りに染めた。
「……、くそ。俺は何やってたんだ。誰よりも早くあいつの味方になってやらなきゃならなかったってのに……拳を握らなきゃならなかったのに……!」
それから彼は俯いた。前髪で顔が見えなくなる。私の目には、食いしばっているようにも見えた。
そこに込められた感情は、紛れも無い後悔だ。何も出来なかった自分に対する中傷だ。
が、急に顔を上げると彼は両手で自身の頰を張った。
「いや、違う。だとしたら俺は今こんなことしてる場合じゃない。どうするべきか……考えないと。動かねぇと。後悔するだけで終わらせちゃ駄目なんだ。進化しねぇと。次はどうするか考えないと……!」
張ったあと、閉じた目を開けた彼は呟く。
それから彼は地面を蹴った。ふわりと体が浮かぶ。慣れた動作だった。彼は空を飛んだのだ。
「ちょっ、アンタ何処に行くのよ?」
「決まってんだろ」
吐き捨てるように呟いて彼は言った。
「紅魔館だ。フランに会う」
が、その発言は直ぐに認められるようなものではなかった。
私は彼を引き止めるべく声をあげる。
「駄目よ、行くなら私が行くわ。あの子の知り合いだかなんだか知らないけどこれは博麗の巫女の役目よ」
「でも……」
「でもも何もない――任せてちょうだい。悪いようにはしないから」
渋る彼を諭す。けれどあまり納得していないような顔だった。
だから私は一言付け加える。
「……それに、フランを助けたいって思いが貴方一人だなんて思わないで。私だってフランの友達なんだから」
「…………」
彼はその言葉に少し考えているみたいだった。
けれど、やがて。決意した顔を滲ませて、笑みを浮かべる。
「……、分かった」
彼、ナナシは真っ直ぐと
それから右の拳を握りしめ、甲を見せる。
「それで全部上手くいくなら。だから霊夢さん、フランを頼む。俺は人里で俺に出来ることをするよ」
「えぇ、任せなさい。あとあんまり無茶はしないでよ?」
面倒になるから、と。冗談交じりに私も笑みを浮かべ、彼の手の甲に私の手の甲をコンッ、と当てた。
2
紅魔館に着いた頃には夕暮れだった。
門の前に降り立つと「こんにちは」という声が耳に届く。そちらをみると紅美鈴が手を振っていた。
「こんにちは、美鈴。通してもらうけど良いかしら?」
「えぇ、人里の件ですよね。通すのは良いんですが……その、実は妹様はお疲れになられたのかお風呂に入ったあとすぐに倒れるようにご就寝なされまして。出来れば妹様が考えるだけの時間を頂ければ個人的に嬉しいかなーって思ってるんですけど」
「私もそうしてあげたいところだけどゴメン無理。人里に妖怪が攻めて来たとなると実際矛を交えた本人の話を聞かないといけないのよ……」
「ですよね……なら、仕方ありません。正直したくはありませんが弾幕ごっこといきましょう。こちらは妹様の為に本人が考える為の時間が欲しい、霊夢さんは妹様に話が聞きたい。お互いの利害の提示はこれでよろしいですよね」
「……はぁ、結局こうなるのか」
溜息を吐く。何となく嫌な勘はしていた。
(……だけど)
『フランを頼む』と、そう約束した。だからこそこんな所で立ち止まってなどいられないのだ。
「アンタはそれがフランの為になると思ってるだろうけど。ただ、お生憎様。元より私はメンタルケアも兼ねてここに来たの。だから引く気はこれっぽっちも無い!」
叫び、呪符を握り締め飛び上がる。
対し美鈴は拳を構え、態勢を整えた。
直後、弾幕ごっこが始まる。
3
勝負は数十分を掛けたものとなった。
空はすでに夕陽は暮れ、淡く青みがかった闇を覗かせていた。
「……私の負け、ですね」
霊力の檻に囚われ、弾幕を打ち込まれ地面に倒れた美鈴は呟く。
やっぱり弾幕ごっこは苦手です、笑い交じりに
「良く言うわ。前より大分キレが上がってたわよ。紅霧異変の時とは比べものにならないくらい」
「そうですか? 妹様との修行の成果が私にも出たかなぁ……はは」
「まったく、勘弁して欲しいわ。私が疲れるから」
少なからず三面なんてレベルではなかったように感じる。
それくらい彼女も本気だったということだろう。
ともかく初っ端からかなり消耗させられた。微かな疲労感に浸りながら私は紅魔館内部に入っていく。
紅魔館内部は相変わらずの趣味の悪い赤の内装だった。
その薄くランプに照らされた暗がりの廊下を歩いていく。目的地はフランの部屋だ。確か大図書館から地下に繋がる階段があり、その先に彼女の部屋があったと記憶していた。
(疲れて寝てるって話だから別の部屋で看病されてる可能性もあるけどその時はその時で適当に妖精メイドでも捕まえれば良いかな)
万が一の事も考えているが、少なからず巫女の勘は地下室に行くべきだといっている。
仮にいなくともまさかハズレなんて事は無いだろう。何かしら私が有利になる何かがあるはずだ。
果たして地下室に向かうとそこには誰かいた。
水色の混じった蒼髪に真紅の瞳。その背中から二枚の蝙蝠羽根を生やしており、幼いながら妖艶さを身に纏う少女だ。
ベッドの上に座る彼女は私の姿を見て口角を吊り上げた。
「やぁ」
「レミリ、ア? ……いや、違うわね。アンタは誰?」
「流石博麗の巫女ってだけはあるか。違うと気付くのね……私はリメリア。レミィたんでも良いわよ。それで、見たところフランに用があるみたいだけど何の御用かしら?」
「……その前にアンタは何者? レミリアそっくりの奴が居るってこと自体見過ごせる事じゃないわよ」
「私は人形よ。フランに作られた人形。有事の際にはレミリア・スカーレットに成り替わり、代わりに死ぬという役目を持っている。影武者というのかしら……まぁ私の話はどうでも良いのよ。貴女はフランに何の用?」
「……話を聞きに来たの。あの子自身から今日起こった出来事を聞きたい」
「今日はやめといた方がいいわよ。あの子、不安定だもの」
「不安定?」
「心が、よ。一時的に心を閉じ込めているというのかしら? 人間に恐れられた事がかなりキタみたいね。あれだけアイドルだとか、そうじゃなくとも人との関係を持ってきたのに、たった一つで手のひらを返された。あの子は何も言ってないけど、急に沸いた感情に戸惑っているのよ。勿論、怒りとかも感じてる。ただ一番は怯えてるわね」
「怯えてる?」
「あの子、感情をあまり知らないのよ。フランに作られた私だから分かる事だけどあの子は四九五年も無感情に過ごしてきた。だからこそこの一年で多くのことを知ったわ。笑い、泣き、怒り。でもそれでもだあの子は感情に慣れてない。つまるところ、あの子は感情を勘違いしてるのよ」
具体的には、とリメリアは告げる。
「他にもトラウマがあるのかもしれないけど。あの子は『辛い』気持ちを狂気だと勘違いしている節がある」
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知る由も無い話だ。
フランドールはただ一人何も無い世界に囚われたことがある。
行けども行けども何もなく、歩けども歩けども変化のない。
三百六十度どこを見ても全ては黒一色で、人工物らしい人工物も自然物らしい自然物もない。
息は出来ないが酸素不足に陥る事なく、食べる事は出来るのに食べずとも生き続けられる世界。
そんな世界に囚われた彼女がどうなったのか。
しばらくは耐え切れたが、ただ一人という孤独が彼女を蝕んだ。また変わりのない景色が彼女の精神を摩耗させていった。
辛い。辛い、辛い、辛い。
けれど救いなんてない。それでも彼女は考える。この状況から脱することが出来るのだろう、と。
そして辿り着いた答えは自分自身を壊す狂気だった。
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「……感情を勘違い?」
「えぇ、間違いないわ。それも今のあの子は一種の狂気状態に近い」
霊夢の質問にリメリアは頷く。
それから彼女は一つ、問いかけた。
「さて、それでも貴女はあの子の元に向かう?」
それに対する返事は一つだった。