ギリギリ今日中に間に合った……。
フランに尋ねたことがある。
――『ねぇ、フラン、これからも一緒に居てくれる?』
何か明確な答えを求めて発した言葉ではない。
フランは、レミリアの瞳をしばし覗き込むようにしてから、微笑んで答えた。
――『お姉様がそう思い続けてくれる限りは。』
と。
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四月一日
今日で日記をつけ始めてから一年だ。
去年は楽しかったよ本当に。
さて、本題に入ろうか。
……私はこの日を待っていたんだ。そう、一年前からずっとずっとこの日を待っていた。
たかが一年、されど一年。この一年はとても充実してとても長く感じた。長く感じたのは去年からずっとこの日を待ち焦がれていたからかな?
あぁ、去年まではお姉様への恨みを晴らせる事がこれ程愉悦だなんて思っちゃいなかった。
いざ実行に移すとなると余計に愉しい。口角が吊り上がりそうになるのを堪えるのが大変だ。
思えばお姉様への恨みも多いよね。どれもこれも赦しがたい恨みがさ。
去年から日記を始めたのもこれが理由の一つだったりもするんだよ? 全てはこの四月一日が『
エイプリルフールなら例え恨みだとしても嘘だった、と言えば済むからね。私としても紅魔館自体を揺るがすのは本意じゃないし、やるならこの日が一番手っ取り早い。
さて、今から実行に移すわけだけどその前に咲夜。お願いがあるんだけど……私が恨みを晴らすまでは私のことを見逃して欲しいんだ。
きっと咲夜ならもうこの日記を読んでるでしょ? 私を止められる時間帯に。
……だからお願い。私、貴女と敵対したくはない。
じゃ……それだけ。
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一ページに書かれていたのはそれだけだった。
「……やっぱり」
読んでレミリアは呟いた。
その顔色は見えない。下を向いているせいで彼女の前髪が顔を隠しているのだ。しかしそれも仕方のない話だろう。
――やはり、そうだったんじゃないか。
暗い顔でレミリアは小さく自嘲するように笑い、言った。
「――
それは彼女が出した結論だった。
静かに部屋にこだまする言葉が消えないうちに彼女は続ける。
「……やっぱりフランは私に恨みを返そうとしていたのよ。それが真実だったの。全ては私を亡き者にするための布石だった。だからこれで決着だわ」
そしてレミリアは顔を上げた。
露わになる彼女の顔は己を自嘲し、糾弾する引きつったもの。
それでいて全てを諦めたような、受け入れた顔だった。その
そして机に日記を置くと三人に向けて告げた。
「……フランの日記を読むのはここまでよ」
その声は拒絶だった。それでいて静かな声だった。
そして――決定的な言葉だった。
「……帰って頂戴、用事が出来たわ」
「ふざけないでください!」
静かに拒絶したレミリアに真っ先に食い下がったのは早苗だった。
彼女は怒りを露わにし、レミリアを怒鳴りつける。
「まだ四月一日を最後まで読んでもいないのに何が『終わり』なんですか!? 諦めるにはまだ早いでしょう!? なんで途中で駄目だって諦めてるんですか!! そんなの――そんなのレミリア・スカーレットじゃない!!」
「……一つ聞きたいけど風祝、貴女にレミリア・スカーレットの何が分かるの? 私を分かるのは私だけだわ、ましてや貴女との間に交流なんて無かったのに」
「っ!!」
サラリとした反論に早苗は息を呑んだ。分からなかったからだ。
いや、分からないというのは語弊になる。正しくは今の反論したレミリア・スカーレットがいつもの彼女の様子と大きく異なるものだった――だからこそ分からなくなってしまったのだ。
「簡単な事でムキになって、ちょっとした考えであれこれ実践するのがレミリア・スカーレット? それとも大人を振舞おうとするけど所々ポンコツが見え隠れするのが貴女の知るレミリア・スカーレットかしら? ねぇ、貴女が言うレミリア・スカーレットって誰なの?」
「…………レ、ミリアさん?」
信じられないものを見たように早苗は呟いた。
レミリアの豹変ぶりについていけないのだ。代わりにさとりが語気を荒くして述べた。
「……レミリアさん、そうやって誤魔化しても意味はありませんよ。少なからず今の貴女は逃げています! これ以上やったって意味が無いと決め付けて! それに……貴女この後死ぬ気でしょう。そんな姿を見てはいそうですか、と帰るわけにはいきません!」
「悟り……心を読まれるのは厄介ね。それに分からない論理ね。何をどうしようが私の勝手じゃない。それに私、さっき言ったわよね? 『どんな真実だったとしても受け止めたい』って」
「……それは受け止めじゃありません。諦め、惰性、そして逃げ。とても傲慢な感情です! 貴女は『フランに殺される事が最も良い』と考えているけれど、それは――――」
珍しく感情的に、さとりが真実をぶつけようとした瞬間だった。
ッッッズン!!!!!! と、凄まじい妖力が部屋一帯へと均等に襲いかかったのだ。
「……、」
三人は、身構えて爆心地の方へ目をやる。
――レミリア・スカーレットが、そこにはいた。
背中から生えた二対の蝙蝠翼。途方も無い妖力を秘めた小さな少女。その顔は全てを受け入れた顔をしていた。
「……静かね、最初からこうすれば良かったんだわ」
「……レミリアさんっ!!」
叫んだのはさとりだ。しかしもはやレミリアはピクリとも反応しない。自分の世界に入った彼女は顔と不釣り合いな笑みを浮かべる。
「フフッ、さて……宣言通り『終わり』にしましょうか」
両手を胸の前で組むいつものポーズで彼女はそっと呟いた。
早苗とさとりは動かない。レミリアの妖力に当てられて、動けないのだ。
そして残された一人、博麗霊夢はぼんやりと思考を動かしていた。
レミリアは死ぬ気だ。それは分かった。
それが最も良い選択で、真実を受け入れる事だ。そう考えているのも分かった。
だから死ぬ、自らを罰するために。
彼女が溢れ出る妖力を部屋の中に留めたのは、そんな事を知ればどう行動するか分からないフランドールに知られない為だ。レミリアが死ねば紅魔館の当主は彼女になる。そんな彼女がレミリアを殺したとなれば従者達もそう簡単に従わないだろう。それを防ぐ為に。
彼女は、無言のままにこう語っているのだ。
やっばり。
こんな私に生きている資格なんてなかった、と。
「…………、」
霊夢はレミリアの真意を悟った。
レミリアが『諦めた』事を知った。
そして、ギチギチギチ!! と凄まじい力で『日記』を握り締めた。
その上で彼女は一つ尋ねた。
「レミリア、アンタはその選択に後悔はないの?」
霊夢の問い掛けにレミリアは頷く。とても自然な動作で、彼女は笑みまでたたえて。
「当たり前よ。自分の行動は自分で責任を取るわ。私は今こうすべきだと心の底から思ってる。だから後悔なんてしない。レミリア・スカーレットは嘘は吐かないわ」
そこまで聞いた霊夢は、薄く笑った。
握り締めていた拳を解いて、彼女は言う。
「……何だ、分かってんじゃん」
「……?」
「ちゃんと役割が分かってるってこと。ただ諦めただけならぶん殴ってやろうかと思ったけど、それなら安心だわ」
「それはどういう――?」
首を傾げたレミリアに対して、霊夢は破顔した。
そして。
だって、と彼女は告げる。
真っ直ぐに、レミリアの目を見て。
「だって、日記に書いてるんだもん。『さぁ、お姉様への恨みを返す時だ。私のプリンを食べられた恨みをね!!』ってね」
言って。
笑って。
日記の一ページを開いた霊夢がそのページを見せ付けて。
――空気が凍った。
そこに書いてあった内容はこうである。
『
とりあえずあった事を書こう。
お姉様に恨みを返す前に、まず私は地下室の部屋に行くことにしたんだ。あそこはなんだかんだ私の一番使ってた部屋だからね。
それにこの前血を使う魔法に失敗して部屋にばら撒いちゃったり、縫う練習をしようと引き裂いた縫いぐるみを放置したりしてたし。
……お姉様の杖を使ったのもあの部屋だしね。いやぁ大変だったよ。あの杖を作るための媒体に『想い』を具体的な力に具現化する為にわざわざ血文字でしかも想いを込めてノート一冊に対象を指す言葉を書かなきゃならなかったんだから。
まぁ部屋が汚れてるのは地下で、牢屋みたいに頑丈な作りだから色々実験しやすいのが理由なんだけどさ。
ともかくそれらを処分しておこうと思ったのだ! 危ないしね! まぁノートも想いを込めて書いたものだけど他人からしたらただの恐怖ノートだし。特にお姉様にとっては。『お姉様お姉様お姉様お姉様お姉様お姉様お姉様お姉様お姉様』って自分を指す言葉が血文字で書かれてるなんてまるきりホラーだもん。
少なからず私だったら怖い。サイコパス感じちゃう。
あ、そうそうサイコパスといえば。
『……あはァ、楽しみだなぁ……絶望に歪む顔が目に浮かぶよ……』
地下って結構声が反響するのね。この後のお姉様の顔を想像してたら楽しみ過ぎてついつい口にした言葉だけど、ゴーーって地下の風音と混じってすごーく怖く聞こえたよ。
それで面白くなってついついあれこれ言ってるうちに地下について、キチンとノートとかは処分しました!
燃やした後にメドローアで消滅させたけど何もない空間に放り投げても良かったかも。今更ながらだけど。
さて、一年だよ。長かったなぁ。
ずっとこの日を待ちわびてたよ! エイプリルフール、この日をね!
……いやー実は去年エイプリルフールの存在を知った時には四月一日の午後でさ、嘘をついちゃダメな時間帯だったのよ。
ほら、エイプリルフールは午前中のみ嘘をついて良い日だからさ。
で、さっきの恨みにも関わってくるけど色々お姉様に対して恨みがあるのよ。
まずワガママ過ぎ! あと思い立ったらすぐ行動する割にすぐに飽きて後片づけを放棄するし!
あとご飯だって好き嫌い言うし、私のおやつのプリン食べるし! 食べ物の恨みは怖いんだから!
私だっておかんむりなんだからね! だからエイプリルフール、今日は特大の嘘を吐いてお姉様を困らせちゃうだから!
そう、『もう二度とオヤツ作らないよ!』って嘘をね!
お姉様からごめんなさい! って言ってくるように仕向けてやる!
と、思ったけどなんか紅魔館にお姉様の姿が見えない。
……逃げられた? うう……運命読むって卑怯だよ!
くぅ……来年こそお姉様を騙して灸にすえてやるんだから!
』
「」
読み終えてもなお空気が凍ったままだった。
いや、それは少し違うか。ピシッ、と音が鳴るのを三人は確かに聞いた。同時にレミリアの体から溢れていた激しい妖力は消散し、顔を伏せたレミリアは顔を下に向ける。
そして、
「「…………っく」」
堪えきれず早苗とさとりが小さく呻いた瞬間、一際大きな笑い声で静寂をぶっ壊したのは霊夢だった!
「ぷっ……あははははっ!! こんなの可笑しいわよ! あはははは!!」
大笑いして霊夢は無言のまま顔を上げないレミリアによく聞こえるように言う。
「だってあれでしょ! うふふふ、あれだけ騒いでおいてその原因の恨みってのが『プリン』でしょ! あっはははは!!」
少しレミリアの眉が動いた。
だが霊夢は止まらない。お腹を押さえてヒーヒー言いながら彼女は述べる。
「それなのに勝手に勘違いしてっ! キメ台詞は『宣言通り終わりにしましょうか』(笑)って! あはっ、あはははは!!」
「ぅ…………」
レミリアが小さく呻いた。
霊夢はといえばもうバンバン! と机を叩きながらの一人大爆笑状態である。
と、その時笑いを堪えていた早苗は必死に真面目な声を維持して言う。
「……つまりあれですか。ぷふっ……血文字のノートはレミリアさんのクリスマスプレゼントの杖を作る為に頑張って作ったもので、部屋の惨状は別の魔法の実験の跡で、フランちゃんの聞いた事ないほど邪悪な声ってのは地下室で反響してそう聞こえてしまっていただけって、そういうことですか?」
「っふふふ、そう! そうなの! それなのに勘違いして自殺まで考えるとか(笑)」
ぷくくく、と笑って霊夢はちょんちょんとレミリアの肩を触る。
そして耳元に口をやると呟いた。
「……プリン自殺未遂異変」
ボソッと。呟いた瞬間もう限界だったのだろう。
さっきからの衝撃の事実で既に顔真っ赤なレミリアはガバァ! と顔を上げて腹の底から叫んだ!
「う、うううううううううう!! うーっ!! うーっっ!!」
カリスマブレイク。
顔真っ赤にして涙まで浮かべてのブレイクであった。
「今のは嘘だからぁ! 忘れて! 忘れてえええええ!!」
頭を押さえて叫ぶレミリアだが、そこで霊夢があれっ? と反論する。
「さっき言ったでしょ? 『後悔なんてしない、レミリア・スカーレットは嘘を吐かない』って」
「う、うううう!! うううううう!! うるさい! 黙れっ! 黙れええええ!!」
「はいはい殴ってきてもそんな単調攻撃じゃ当たらないから」
「……ま、まぁまぁ。レミリアさんも落ち着いて、良かったじゃないですか。下克上なんて企まれて無いって分かって!」
「良い筈なのに納得出来るか! うわあああああああ!!」
「そもそもアンタがシリアスやってるのがおかしいのよ。どうせこんなこったろうと思ってたわ」
「そうですね。レミリアさんの特性を理解してませんでした。思えば月に入った時も何してもギャグ要因でしたもんね、レミリアさん」
「……まぁ、そうですね」
ボコボコだった。ザクザクと言葉のナイフに滅多刺しにされたレミリアはとうとう咲夜に抱き付いて泣きじゃくる。
「……ひっぐ……うわああああん!! 咲夜あああ! こいつらが! こいつらが虐めるうううう!!」
「そうなんですか、お嬢様」
「うえぇ……ひっぐ、うん……」
もはや子供のようになってしまったレミリアには先程まであったカリスマは欠片たりとも存在しなかった。
多分カリスマを使い切ったのだろう、なんとなく霊夢は思う。
(……まったく人騒がせな姉妹よね、本当に)
ともかく今日のところはこの程度にしておいてやろう。
レミリアが落ち着いたら次のページね、と呟いて泣きじゃくるレミリアをよそに霊夢は紅茶を啜るのだった。
……この為の残酷な描写タグ(ボソッ