雪ノ下雪乃さんが猫の話をします。小一時間。

1 / 1
 他のサイトで投稿していた作品ですが、こちらも試しに使ってみることにしました。使いやすそうなので今後他の作品も上げていこうと思います

 よろしければ感想お願いいたします。


思い切って、どうぞ

 不意に目頭が熱くなり、慌てて手にした文庫本を閉じた。パタンという音と急な動作に、携帯をいじっていた由比ヶ浜がこちらを見た。

 

「ヒッキー、どうかした?」

「いや、なんでも」

 

 どうにかいつも通りの声を絞り出し、本を机に置く。

 読みかけのその小説はクライマックスを迎えていた。本当は最後まで一息に読みきってしまいたいところなのだが、家族の死を悲しむヒロインが涙をこらえ逆境に立ち向かう決意を……というところで中断せざるを得なくなった。これ以上先読んだら絶対泣く。危ない危ない。今度部室で泣いたりしたらいよいよ学校来れない。

 

「比企谷くん、暇ならメールの確認をお願いできるかしら」

 

 目を休めつつ涙の気配を心の奥に封じ込めていると、雪ノ下が声をかけてきた。

 

「どうせ大したの来てないと思うけどな」

 

 とは言え、本を閉じると途端に手持ち無沙汰なのがこの部活、奉仕部の常である。忙しいときは本当にクソ忙しいのにな……。まぁ、この感動の余韻を打ち消すにはとにかく手を動かすのがいいだろう。立ち上がってノートパソコンの準備を始める。

 起動の待ち時間が長いので、その間にまたヒロインの切ない心情が甦ってうるっときてしまう。いかん、早々に切り替えなければ。

 

 それでは本日も!「千葉県横断お悩み相談メール」のコーナー、いってみよう!

 

 無理に士気を上げつつ、メール画面を呼び出す。しかし案の定、未読メールは材木座の戯言くらい……おや、一件だけ例外がある。

 めんどくさい内容じゃありませんように。祈りながらクリックすると、思いの外丁寧な文面が現れた。

 

「お、なんか珍しくまともっぽいのが来たな」

「どれどれ?」

 

 由比ヶ浜が椅子を寄せ、雪ノ下は立ち上がって画面をのぞき込む。

 

 

 

〈PN:2年J組11番さんからのお悩み〉

『国語の平塚先生に教えて頂いてメールしました。奉仕部のみなさんにお願いがあります。

 

 今週、私の誕生日にペットを買ってもらえることになったのですが、何を飼うか家族の中で意見がまとまりません。私は猫が飼いたいのですが、両親はあまり乗り気じゃないみたいです。

 

 ぜひ家族にも猫の魅力をわかってもらいたいのですが、上手く話す自信がありません。 しつこくお願いすれば一応猫にしてもらえるはずですが、それではワガママを通すことになってしまいます。それは避けたいと思っています。

 

 家族全員が心から納得した上で猫を飼いたいです。第三者の立場から、私に代わって家族に猫の魅力を話し、説得して頂けませんでしょうか』

 

 

 

 ……。これアレだ、メールの返信だけで完結しないケースだ。しかも大人を相手にする依頼。大人というやつは基本的に平日は忙しい。依頼内容こそシンプルだが、ほぼ間違いなく土日に時間を取られると見ていいだろう。気乗りしない……。が、個人のやる気の有無はこの際関係ない。それが仕事というものである。

 

「この内容なら、受けるってことでいいよね?」

「そうね。対外的な活動になるでしょうから、平塚先生に報告しておきましょう」

 

 案の定、俺のローテンションを差し置いて話は進む。この部活、なんだかんだ言ってほぼ全部の依頼に対応してるよね……。断る勇気、大事だよ?

 2年J組は大半が女子生徒の国際教養科。依頼者は雪ノ下のクラスメートということだ。それも猫に関する依頼である。となれば主役は、奉仕部が誇る猫ペディアこと雪ノ下雪乃を置いて他にない。俺と由比ヶ浜が雪ノ下に目を向けたのは同時だった。

 

「出番だよゆきのん!」

「おあつらえ向きだな」

 

 ところが雪ノ下さん、すぐには首を縦に振りません。

 

「そうかしら……。猫を飼っているあなたの方が適任だと思うけれど」

「あ、それもそうだね」

「適任ねぇ……」

 

 まぁ、素直じゃありませんこと。そんなこと言って本当は引き受けたいんじゃないですか? 確かに奉仕部の三人の中、猫を飼っているのは俺だけだ。しかしこんなの絶対引き受けたくない。面識もない女子生徒のご家族に会って猫談義など御免こうむる。

 ここはさり気なく雪ノ下を後押しすることで、面倒を回避するが吉。

 

「なぁ、由比ヶ浜。犬の良いとこって何がある? 教えてくれ」

「え、い、犬の? えと、犬……か、かわいい? 後はえっと、癒されるし、一緒に遊ぶのとか……うん。かわいい」

「見ろ、雪ノ下。この説得力の無さを」

 

 奉仕部きっての犬党わんこ派、由比ヶ浜のこの回答がいい例だ。自分が飼ってるからって、人に上手く勧められるとは限らない。

 

「な!? バ、バカにすんなし!」

「何言ってんだ、バカになんかしちゃいない。アレだ、身近過ぎるものだと、いざその魅力を説明してみろって言われてもなかなか難しいだろ」

 

 はっきり言っちゃうと今のはバカっぽい回答だったが、急な無茶振りだし仕方ない。

 

「確かに、そうかもしれないわね」

 

 雪ノ下がふむと頷く。ていうかこの人の場合、普通に褒めることすら碌に出来てない気がするんだけど。俺の思い込みかな? まず俺が褒められた人間じゃないもんなぁ。

 

「むしろそういうのって、悪いとこまで含めて好きだったりするもんだからな。例えば、俺が小町の良いところを挙げようとしても『小ズルいしワガママだし発言はアホだがそこもひっくるめてめっちゃ可愛い』とかになる。ほら、結論は由比ヶ浜と同じだ」

「なんか、今のヒッキーと一緒にされたくないかも……」

 

 なんでだよ。妹のダメなトコまで愛する兄、超ポイント高いだろ。

 

「つまりだな、一歩退いた立場からの意見の方が参考になるってことだ」

「それは一理あるけれど……」

 

 まだ煮え切らない様子である。もう一押し必要らしい。

 

「それに、この依頼内容だと真正面からの説得だしな。俺の屁理屈よりお前の理屈が活きる。論破してやれ、論破。得意だろうが」

 

 ていうか理屈より屁理屈が強い状況っていろいろ間違ってるよなぁ……。実際わりとあるからほんと困る。

 

「何か引っかかる物言いね」

「気のせいだ。褒めてるぞ」

「どうかしら……。でも、そうまで言ってくれるなら私が担当させてもらうことにしましょう」

 

 ようやくご納得頂けたようです。後は丸投げしちゃって問題ないだろう。

 

「そうなると、まず返信で詳細を確認ね。ご家族とお会いする日時と場所。ご両親が猫に賛成でない理由も詳しく聞いておくべきだわ。それに飼いたい品種が決まっているならあらかじめ知っておきたいわね、一度部室に来て話してもらった方がいいでしょう」

 

 引き受けた途端にこのやる気である。最初からやりたいって言えばいいのに……。

 

「説得については……プレゼンテーションのようなものと思えばいいのかしら」

「そんなとこだろうが、まぁ別に難しく考えなくていいんじゃねーの」

「そうだよ。気軽に聞ける方がいいし。あ、それじゃあ」

 

 由比ヶ浜がぱちんと両の手を打った。

 

「試しにさ、あたし達に話してみてよ。猫の可愛いとこ!」

 

 名案! とばかりに笑顔を浮かべる。期待に輝くその目を見れば、由比ヶ浜結衣の意図は明白だった。そう、由比ヶ浜は雪ノ下に話してほしいのだ。彼女の興味を、関心を。好きなことを、好きなものを。

 去年の秋、修学旅行で行く京都の寺社について語る雪ノ下は、どこか生き生きとして見えた。実は京都観光が待ち遠しい雪ノ下。楽しみにしていることを認めない雪ノ下。どこまでも素直じゃない彼女がおかしくて、思わず笑ったことがあった。

 きっと由比ヶ浜は、友達のそんな姿をもう一度見たいと思っている。

 

「ま、そうだな。予行演習しとくのもいいだろ。メールの返信くらいやっとくし」

「うん! あ、練習って言っても、全然考えすぎなくていいからね?」

「あら……そう、では聞いてもらおうかしら」

 

 以前の雪ノ下は、猫やパンダのパンさんと言った、自分の好きなものを隠そうとしていた。柄じゃないとかキャラじゃないとか、本人にしかわからない理由はいろいろあったのだろう。それが最近は、無理に誤魔化そうとはしなくなっている。

 きっと、悪いことではない。彼女自身も話したい、聞かせたいと、もしもそう思ってくれているのなら、これは良い機会だろう。

 では。

 思い切って、どうぞ。

 

「そう、ね、そう……猫の、魅力……では、まずは……」

 

 雪ノ下雪乃は姿勢を正した。そのしなやかな指先が、白い喉元を押さえる。そっと確かめるように、静かな咳払いをひとつ――

 

 

「まずは鳴き声なのだけれど!!!」

「ストップだ」

「ちょっと待ってゆきのん」

 

 前がかりになる雪ノ下を、思わず二人揃って押し留める。ダメだ、力こもり過ぎてて直視できない。ていうか、一歩退いた意見どころか十歩迫ってくる勢いだなコイツ……。固い蛇口をようやくこじ開けたと思ったら、いきなり熱々のお湯がざぶざぶ出てきた感じ。火傷注意。

 

「何か問題があったかしら」

 

 端から話を遮られた雪ノ下は不服そうにしている。

 

「ご、ごめんゆきのん。あの……うん、ちょっと覚悟足りてなかった。もう大丈夫だから」

「気にしなくていいぞ。続けてくれ」

 

 気を取り直し、咳払いをもうひとつ。そうして、雪ノ下は語り始めた。澄み渡るその調べが、熱を伴って耳を打つ。……この話、多分長くなるな。早く帰って本の続き読みたいんだけどなぁ……。

 まぁ、これだってきっと、悪いことではない。だって、聞いている彼女はあんなにも嬉しそうで、話している彼女はやはり、こんなにも生き生きとしている。

 

 

 

 

 

 

「――こんなところね」

 

 これでもかとばかりに語りつくした雪ノ下は、ふうと息をついた。

 

「すごいよ、ゆきのん! なんかカッコよかった!」

「お疲れさん」

 

 うーん、さすがはNDF(猫大好きフリスキー)。にゃんこの魅力を再発見させる熱弁だった。アツいな、おい。由比ヶ浜とかちょっと拍手してるし。俺も思わずカマクラに想い馳せちゃったぞ……。今日帰ったら遊んでやろう。多分逃げられるけど。

 しかしある程度は予想していたものの、長い。とにかく長い。四、五十分は喋ったぞコイツ。授業かよ。うん、授業だな。結構勉強になったし。

 

「でも、あれだな。もうちょい、なんだ……調整? が、必要だな」

「そうかな? 今の、すごい良かったよ? これだけ話したら伝わるよ、きっと! 熱意が違うもん」

 

 どうツッコんだものか頭を抱える俺に対して、由比ヶ浜はご満悦の様子。猫が苦手な彼女にそこまで言わせるのだ、改めて大したものである。

 

「……それほどでもないわ」

 

 雪ノ下がふいっと視線を逸らす。またまたご謙遜を。

 実際、熱意についてはそれほどでもある。しかし照れノ下さんには悪いが、その点が逆に依頼内容にそぐわない可能性はある。ここはしっかり言っておくべきか。

 

「あー……その、いわゆるプレゼンってのはだな、要点まとめるっつーか、的を絞って話すもんだろ?」

「もちろんその通りね。一から十まで聞かせていたのでは、何時間もかかってしまうわ」

「……あ、うん。そう、そうだな。そうか、そう来るかー……」

 

 どうやら認識が甘かったようです。つまり一時間近くにわたる先程のお話は、簡潔にまとめた内容だったってことですか。由比ヶ浜は考えすぎなくていいと言っていたものの、かなり本番を意識して話していたらしい。さすがと言ったところか……いやいや。天然さんかよ。

 

「歯切れが悪いわね。人相や性格に飽き足らず」

「お前は毒舌に限って歯切れ良すぎるだろ。分けてほしいもんだな」

「何か直すべきところがあるならはっきり言いなさい」

「まず罵倒は控えろ……」

 

 本人も言っていることだ。率直に指摘するのが一番良いだろう。

 

「さすがにちょっと話長いだろ。もちろん依頼者次第なんだが」

「けれど、ペットの飼育を簡単に考えるべきではないわ。慎重な判断の助けになろうとすれば、この程度でも十分かどうか」

「お、おう」

 

 た、頼もしすぎるぜ猫ペディアさん……。元から妥協を許さない性格だが、猫が絡むとさらに手強い。

 実際、雪ノ下は何一つ間違ったことは言っていない。言っていないのだが……、その熱意に気圧された依頼者が「も、もう大丈夫です、すみませんでした」と逃げ帰ってしまう未来が俺には見える。誇張ではない。そして恐らく杞憂でもない。

 

「だよね、うん。家族が増えるわけだしね。家計の影響もおっきいし!」

 

 一方の由比ヶ浜はうんうんと頷いている。薄々気づいていたが、どうやら今回由比ヶ浜のツッコミには期待できないらしい。お前さっきは「気軽に聞ける方がいい」って言ってたんじゃないのかよ……。

 ともかく、このままでは雪ノ下がクラスメートにドン引きされてしまいかねない。小学生の頃、クラスの連中との話題に困り、小説や漫画を勧めては拒絶されてきたこの俺の経験がそう言っている。幾多の名作傑作感動作を、鼻で笑われる屈辱ときたら……いや、笑われてたのは俺でしたね。

 さて、誤解を生じることなく問題点を指摘するには、いかなる手段がふさわしいか。

 答えに辿り着いた俺は携帯を取り出し、一本のメールを用意する。

 

『お忙しいところすみません。雪ノ下が近場の美味しいラーメン屋に興味あるようなので、おススメ教えてあげてくれませんか』

 

 はい、送信。宛先は我らがラーメン老師、ならぬ顧問教師である。すみません平塚先生、脳内とはいえ〝老〟師とか言っちゃって。他意はまったくありません、本当です。

 

「何をしているの?」

「いやちょっと、実例をだな」

 

 二人の目に怪訝な色が浮かぶ。

 

「後で平塚先生からそっちに連絡くるから。そのときわかる」

「話が見えないのだけれど……。回りくどいわね」

「確かにな。でもこれが一番わかりやすい。多分」

 

 直に平塚先生からわけわからんほど丁寧な長文メールが雪ノ下に届くのは間違いない。それを目にすれば、否応なく気づかされるだろう。力を込めればいいってもんじゃない。肝心なのは匙加減、過ぎたるは及ばざるが如しである。

 

「ま、先生のメール見てからもっかい考えてくれ」

「はぁ」

 

 腑に落ちないご様子だが、無理もない。携帯をポケットに収め、ノートパソコンの電源を落とす。

 ……あ。しまった、忘れてた。

 

「依頼者への返信しないといけないんだった……」

 

 雪ノ下の猫トーク中にメールしておくつもりが、いつの間にか頭から消えていた。ちくしょう、もう一回立ち上げないと……。幾分古いパソコンなので、立ち上がりに時間がかかってしまう。ええい、歯痒い。

 とりあえず、待ち時間を使って文面をまとめておくことにする。もう一度電源ボタンを押し込み、鞄から筆記具と不要な紙切れを引っ張り出した。よれよれになった数学のプリントの裏面に、返信の内容を書き込んでいく。

 

「まずは『ご依頼の件、了解しました』……。これ、『誕生日おめでとうございます』くらい書いといた方がいいのかね……まぁそれはいいや。んで、なんだっけ、さっき言ってたの。日時と場所と……親が反対する理由か。もう一個あったっけ?」

 

 雪ノ下も由比ヶ浜も反応がないので完全に独り言だが、そのまま続ける。

 

「ああそう、飼いたい猫の品種ね。でもそのへんは会ったときに聞きゃいいし、それなら……『一度部室にお越しいただけますか』……で、あとは部室の場所くらい……ん、何? どうした?」

 

 あまりに静かなので不審に思って目を向けると、二人は寄り添ったままの状態で固まっていた。雪ノ下が手にした携帯の画面を、戸惑いの表情で見つめている。

 

「え、まさか……平塚先生からか?」

「……ええ」

 

 早い。早すぎです先生。まだ仕事してるはずの時間ですよね?

 

「すっごい長いメール……それも、全部ラーメンの話……」

 

 横から画面をのぞく由比ヶ浜は、恐れをなしたと言わんばかりの震え声である。どうやら予想以上の効果があったらしい。

 

「まぁ、なんだ。その」

「結構よ。そこまでにして頂戴、言いたいことは十分わかったから……」

 

 俺が口を開きかけたところを、雪ノ下が即座に制止する。な、なにそのちょっと傷ついた表情。落ち込まなくていいんですけど……。

 

「いや、とにかく聞け。お前の話の内容は問題ないんだ。でも今回は猫が好きじゃない人間を説得するわけで、相手が今のお前らみたいな反応になるかもわからん。だからもうひと工夫要るんじゃねーの、って言いたかったんだよ。ていうかお前、そこでへこむのは平塚先生に失礼だぞ」

 

 慌ててフォローの言葉を重ね、ついでに先生を擁護しておく。いやまぁ、落ち込む気持ちもわからなくはないな、うん。すみません先生、こっちのリクエストとは言えノータイムで超長文ラーメンレビュー返してくるのはドン引きです。

 

「あら、へこんでなんかいないわ」

 

 む、と雪ノ下が眉を吊り上げる。どこで意地張ってんだコイツ。

 

「とにかく、まずは依頼人と打ち合わせしてからだ。それでいいだろ」

 

 この際、きっぱりと言い切る。雪ノ下と由比ヶ浜は不思議そうに顔を見合わせたが、やがてそれぞれに頷いた。一応は納得したらしい。

 

「では、今日はここまでね。遅くなってしまったわ、早く出ましょう」

 

 二人が荷物をまとめ始める。え、ちょ、ちょっと待って。メール! まだこれから送るとこだから!

 慌ててメール画面を開き、返信の内容を入力する。既にコートに袖を通した二人は鞄を持って俺の側に立ち、作業が終わるのを待っている。黙って見られてるとプレッシャーになっちゃうからやめてほしいなぁ……。雑談とかしててくださいません?

 

「ヒッキー、前よりちょっと打つの速くなった?」

「あぁ、フリペのコラムとか書いてるうちに、少しは……」

「それでも私の方が速いようね」

「唐突に張り合ってくるんじゃねぇ、負けず嫌いさんめ」

 

 仕上げた文章には一応目を通してもらう。はいはい、送信送信。さっさと帰ろう、猫と遊ぼう。ノートパソコンを片付けヒーターの電源を切り、二人に続いて部室を出た。廊下に踏み出すと、室内との温度差に震えがくる。

 雪ノ下と由比ヶ浜は、体温を分け合うように寄り添って前を行く。熱心に何を話しているのかと思えば、また猫のことらしい。まさか、まだ話し足りないの……? 話し足りないようです。いつもは密着されると少々不服そうにして見せる雪ノ下さん、今は話に夢中でまったく意に介していません。

 ぴたりとくっついたまま話し込むせいで、二人の歩みはとても遅い。何とはなしに、こちらの歩幅も狭くなる。止まらないお喋りをこうして後ろから見ていると、あぁ、そう言えばこいつら女子高生だっけ、なんて妙な感想を抱いてしまう。

 さり気なく傾聴しつつ、足取りはゆっくりと、職員室へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 土曜日でございます。ただ今午前十一時十五分。本日はここ、幕張へとやって参りました! 少々雲が多いようですが、風がないおかげでそれほど冷えませんね。さぁ、今日はどんな猫ちゃんに出会えるのでしょうか? さっそくゲストの待つペットショップへと向かってみましょう。

 ……飽きた。集合時間よりかなり早く着いてしまったので、専門店街をぶらぶら歩きながら脳内で地方ロケごっこをしていたのだが、うん。飽きた。ていうか最初からわりとつまんなかった。もうそろそろ集合場所に向かってもいいだろう。

 先日の依頼の猫プレゼンについては、翌日依頼者との打ち合わせを経て、週末にはさっそく本番、ご家族の説得に臨む運びとなった。それが今日だ。

 雪ノ下先生のにゃんこ教室五十分コースを概略するところ、「子猫を抱っこさせればイチコロ」となった。実際にペットショップに来てもらい、本命の猫を前にしてお話ししましょうという計画である。是非ともスパッと決まってほしい。

 俺の出る幕はなさそうなので来る気はさらさらなかったのだが、小町に家から追い出されてしまった。由比ヶ浜から依頼について聞いていたらしい。アイツ最近寝てる俺を叩き起こすスキルに磨きかかってんな……。いや、意地でも布団にしがみつく覚悟が不足している俺にも問題がある。今後は一層気を引き締めて惰眠を貪る所存。

 それにしてもこの寒さの中、ショッピングモールを一人歩いていると、クリスマス前の重たい記憶が甦ってくる。そうだ、マリンピアのケンタッキーで、クリスマス用のチキンを予約した後だった。あの日向けられた笑顔、向けられた言葉が立て続けにフラッシュバックする。

 あぁもう、やだやだ。やめやめ。考えない考えない。

 

「あら、今日はまた一段と酷い目の腐りようね」

 

 不意に涼しげな声が響いた。

 

「やっはろ!」

「こんにちは」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が正面から歩いてくるところだった。今回は依頼者の家族と会うため、二人とも制服の上にコートとマフラー。見慣れた姿である。

 

「ご挨拶だな……別にいつもと変わんねぇよ」

「え、でもちょっと暗かったよ? いつもは『どよん』だけど、さっきは『どよよーん』て感じ」

「俺の目に辛気くさい擬音を添えるな」

 

 何、俺の目ってそんなにどよんとしてるの? わちふぃーるどの住人になれそう……うん、それはダヤンですね。猫になって自由気ままに生きるのは魅力的だが、残念ながらワニにもウサギにも友達がいない。言わずもがな人間にもいない。

 

「ちょうどいい時間だし、このまま行こっか?」

「そうね」

 

 ぼさっとしている俺を放置してさっさと歩き出す二人に、数歩遅れてついて行く。よくあるショッピングセンターなのだが、ここには一館まるごと動物専門のペットモールがある。その入り口のひとつが待ち合わせに指定されていた。

 ちょうど目的地が見えてきたところで、向こうから依頼者の……あれ、名前なんだっけ? えっと、出席番号11番だから、そうだ、カ行から始まる名前だった。か、川……川なんとか……川崎……じゃないのは確かだな。『川崎じゃない人』でいいや。川崎じゃない人がこちらを見つけて走ってきた。

 

「すみません、雪ノ下さん、すみません!」

 

 川崎じゃない人さんは、挨拶を返す雪ノ下と由比ヶ浜に対して妙に腰が低かった。ご足労いただいて申し訳ない、みたいなことなんだろうか。猛烈にぺこぺこ頭を下げ、何かを話している。なんか加わりづらいので、数歩離れた位置で待機しておく。

 会話の内容はよく聞えないが、まぁ蚊帳の外のままでも一向に構わない。打ち合わせのときもこんな感じだったし。明後日の方向を見てぼーっとしていたのだが、雪ノ下の声が耳に届いた。

 

「それでは……依頼は取り下げ、ということかしら」

 

 ん? え? 何、なんだって? 聞き間違いだよね? 訴えかけるように目を向けると、由比ヶ浜がちょっと困った苦笑いでこちらを振り向いた。マジかよ……。

 雪ノ下はと言えば、難しい顔でこめかみを押えていた。呆れ果てたときによく見るポーズだ。ますます恐縮して、下げた頭をさらに深く下げる川崎じゃない人さん。

 

「本当に、すみません!」

 

 あぁん……? 頼みごとしておいて当日集合直後にドタキャンとはいい度胸だなオイ。どうなるかわかってんだろうな? いや別にどうもしないんだけど。せいぜい当て付けに嫌そうな顔をするくらいしか出来ない。雪ノ下曰く、不快感を煽る表情は俺の標準なので、つまりいつもと変わらないことになる。貴重な休日の午前を無駄にされても普段どおりでいられる俺、マジ泰然自若。

 

「なにか、都合悪くなっちゃったの?」

 

 由比ヶ浜が気遣わしげに質問する。会話を言い訳しやすい方向に導く思いやり、さすガハマさんでいらっしゃいます。どうせアレでしょ、親が休日出勤になって来られなくなったとかでしょ? うんうん、あるある。わかるよ、うちにも日曜に社会を呪いながら出勤する父親とかいるし。朝から居間でだらだらしてると、俺もついでに呪われる。

 

「その、実は……ついさっき、猫を飼うことに、決まってしまって……あの、家族全員、絶対この子しかないって……」

 

 はぁ……。そうでしたか、出会っちゃいましたか……。さしもの雪ノ下さんもこれには絶句です。……そして溜め息。そりゃそうだ、この依頼に誰より注力していたのは雪ノ下である。徒労感も俺とは比較にならないだろう。

 気詰まりな沈黙の中、依頼者はとにかく申し訳ないと頭を下げ続ける。由比ヶ浜がなんとかフォローしようと口を開いた。

 

「あ、えっと……じゃあ、一応話だけでも聞いてもらうとか、どうかな。ほら、ゆきのん詳しいし、飼うときの注意点とか」

「要らなくなった仕事わざわざせんでもいいだろ。逆に気ぃ遣わすぞ、それ」

「すみません、本当に」

 

 川崎じゃない人のぺこぺこが加速する。謝られてもなぁ、って感じなのだが、謝る以外にどうしようもないことはこっちもわかっている。苦手な状況だ、さっさと切り上げたい。

 

「仕方ないんじゃねえの。することないんだし、もう行っていいだろ」

「あの、お詫びに何か……」

 

 川崎じゃない人さんがおずおずと申し出る。ちら、とペットモールの入り口に目を向けた。おそらくは館内にいらっしゃる、両親のことを気にしているのだろう。依頼の件をどう説明しているのかは知らないが。

 しかし、お詫びと言われましても。

 

「それはそれでなぁ……」

 

 頭を掻きながら雪ノ下の方を見れば、俺と似たりよったりの反応だった。詫びと言ったところで、大したことは出来ないだろうしさせられない。ご家族まで交えて大袈裟な話にされるとそれはそれで面倒くさいし。

 

「交通費だけ貰うとか?」

「あー、それ忘れてたね」

「それはもちろんお出しします!」

 

 俺が提案すると、慌てて財布を取り出そうとする。待て待て。ストップ、お嬢さん。

 

「いや、俺らだけでやりとりしていいのか、これ」

「問題にはならないでしょうけど、望ましくはないわね」

「だよな。今は止めといた方がいいだろ」

 

 些細なことだが、部活の範疇だ。金銭が関わるなら顧問に確認は取るべきだろう。

 ……と言うのはただの口実に過ぎない。

 

「平塚先生経由の方がいい。ついでにそっちで先生に報告してくれ、週明けにでも」

「あ、えっと、はい」

 

 これぞ古来より伝わる回避術、「ちょっとわかんないんで上の者に直接どうぞ」応用版である。後はスマートかつ速やかに離脱するのみ。俺の言葉の続きは、雪ノ下が引き取った。

 

「ではまた来週、都合のつく時で構わないから」

「あ、あの、じゃあ月曜日に」

「ええ、また」

 

 こっちの意図を汲み取っているのかいないのか、雪ノ下もさっさと撤収する構えだ。少なくとも、もたついている間に向こうの親が出てきたら面倒が増えることは察しているに違いない。話はここまでとばかりに、てこてこ歩き去る。俺は頷く程度の会釈をしてそれに倣い、由比ヶ浜も気づかうように笑いかけてから後に続いた。

 最後に振り向くと、深々と頭を下げる川なんとかさんじゃない人さんの姿が見えた。うん、やっぱ無駄に長いな、この呼び名。

 

 

 迷いのない足取りで颯爽と歩く雪ノ下に、半歩遅れて由比ヶ浜、五歩遅れて俺がついて行く。ペットモールからかなり離れた頃、由比ヶ浜が口を開いた。

 

「ゆきのん、もう帰っちゃう?」

「ええ、まぁ……今日は他に目的もないもの」

 

 駅に向かうつもりなら、さっきの角曲がっとけばよかったんだけどな……。まぁ、そこで何も言わなかった俺もアレなので、余計な茶々は入れないでおく。

 

「もったいなくない? せっかく来たんだし、何か見ようよ」

「確かに、このまま帰るとただの無駄足ではあるけれど……」

 

 だからと言って、雪ノ下は無目的なウィンドウショッピングを楽しむ性分でもないだろう。何か買うべきものはあったか、と考え込んでいるご様子である。

 

「強いて言うなら、ペットモールは見てみたかったわね」

「ああー……」

 

 なるほどね。そうでしょうね。本来なら猫といっぱい触れ合えるはずだったものね。しかし、今からすぐに戻れば依頼者ファミリーと鉢合わせることになりかねない。間違いなく気まずい。

 

「いや、それにしてもさ。びっくりしたよ」

「あまり責める気にはならないけれど、……思わぬ空振りだったわね」

 

 さっきの依頼キャンセルのことだろう。二人は揃って苦笑を浮かべていた。

 

「ていうか二人共、さらっとし過ぎだよ。さっさと行っちゃうから、怒ってるのかと思った」

「いや、怒るだろ普通に。わりと礼儀正しかったから黙ってたけど、軽いノリで謝られてたら舌打ちのひとつもしてたぞ」

「えー、どうせヒッキー女の子にそんなことできないじゃん」

「ぐ」

 

 真顔で言われて思わず黙る。言われてみれば確かにその通りだ……。ちなみにそれ、ヘタレって意味じゃないよね? 紳士的ってことだよね? そんなにズバッと来られると前者に聞こえちゃうから言い方気をつけてほしいです。

 

「比企谷くんの心の狭さはともかく、こちらが無用に気を遣うことはないでしょう」

「長引くとそれだけ長く謝らせることにもなるしな」

 

 気を遣うということは、ある程度は相手にもそれを求めるということでもある。

 

「それに場合が場合だ、仕方ないとしか言いようがない。こっちも所詮部活だし。運動部だって雨で活動中止になるし、似たようなもんだ」

「少し……いえ、全然違うと思うけれど」

「ヒッキーそれ、本人の前で言ってあげればよかったのに」

「あ? いや、無理だろ。言ってどうなるもんでもないし」

 

 よく知らん女子をフォローするとか絶対裏目に出る。挙句、微妙な表情を向けられて俺が傷つくまである。

 

「ちょっとしたことだけど大事なの!」

「めんどくせぇ……」

「さっきの笠原さんだって、絶対勇気出して正直に断ってたんだから! よく知らない子でもちゃんと応えてあげないとダメだよ、そういうの」

 

 ああ、依頼人の子、そんな名前だったっけか。

 

「それより、どうするの? 由比ヶ浜さんが買いたいものがあるなら付き合うけれど」

「え、あ、えーとね……」

 

 お説教モードの由比ヶ浜を、雪ノ下が遮る。

 しかし、勇気に応えろと言われると、なるほどもう少し良い対応があったようにも思えてくる。ごめんね、笠原さん。あとちゃんと名前覚えてなかったのもごめんね、笠なんとかさん。

 

「映画とかどうかな」

「観たいもの、あるの?」

「うーん……」

 

 さっきから適当な案が出されては次々却下されているが、由比ヶ浜は粘り強い。最後には雪ノ下が折れて、一緒に買い物して歩くのだろう。

 発言する、口に出す、声を上げる。それは確かに怖い。無意味に緊張する。無駄に身構える。無闇に力が入る。虚しく間違える。言われるまでもない、俺はそれをよく知っている。

 無意識にそのハードルを越えることができる者もいれば、滑稽なほど長い助走が必要な者もいる。知れた仲が相手でも、中身は些細なことでも、意外なほどの勇気が要る。

 

「あの、お前らさ」

 

 例えば今、こんな一言でも。

 

「腹、減ってるか?」

 

 出し抜けの発言に、二人は揃ってきょとんとしている。ダメだ、自然に喋ろうと意識して思いっきり態度が不自然になっている、自分でわかる。なんで今さらこんなことで……。

 慌てて続く言葉を探す。

 

「あ、いや……平塚先生に教えてもらったラーメン屋とか、どうかと思ってな」

「確かにそろそろそんな時間ね」

「あたしもお腹空いてるよ」

 

 由比ヶ浜は柔らかく微笑んでいる。雪ノ下すら、少しだけ笑っている。正直ほっとした。ひょっとして、この笑顔はお手本のつもりだろうか。何それなんか恥ずかしい。 

 雪ノ下が携帯を取り出し、さっそく平塚先生のメールを読み返している。それを由比ヶ浜が隣から覗き込む。

 

「ここから近いとこ、どっかある?」

「たしか、京葉沿線のお店がいくつか……」

 

 二人が店を選ぶ横で、静かに息を吐き出す。また無駄に緊張してしまった。意気込み、力んで、やはり間違えた。ただ、虚しくはない。多分、勇気を出した甲斐はある。

 

「どっちにしろ電車乗るなら、とりあえず駅行くぞ」

「ええ……え? 駅、そっちだったかしら」

「こっちで合ってるよゆきのん」

「もっと早く言って頂戴……ちょっと、比企谷くん。何が可笑しいのかしら」

「なんでもねぇよ」

 

 慌てて二人に背を向ける。なんか急に腹減ってきた、ラーメンに煮たまご、いやチャーシューでも付けようか。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。