ヘロヘロの残滓が遺したのは《完結》   作:メロンアイス

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第七話

 西暦2138年の地球は汚染されつくし、コロニーやアーコロジーといった巨大企業の資金力に物を言わせた人工のオアシスを除きまともに人が住める場所はない。

 そのため人類のほとんどはその劣悪な環境下で生活を強いられていたのだが、幸いというべきか不幸にもというべきか最新鋭の科学技術は生物が暮らしていくに適さない場所であってもなんとか生かしていくことを可能にしていた。

 空気汚染も、土壌汚染も、致死量の紫外線や放射線に塗れた土地ですら対策をして生き汚く暮らしていたが所詮は焼け石に水。

 深刻な汚染区域に居る者は遅かれ少なかれ生身ではいられなくなり、人工臓器を初めとした生命維持装置を移植せざるを得なくなる。

 

 アインズは鈴木悟の頃の知識で知ってはいたが、だとしても目の前の男の体内は終わりすぎていた。

 斬撃で露出した胴の断面は皮と血肉以外は機械と人工物ばかり。死にかけの人間というよりは壊れかけた自動人形(オートマトン)といった方がしっくりくる終末期患者の成れの果て。

 小卒の彼ですら一目で文明のバックアップなしでは到底生きることが出来ないと判断できるそれを見て。

 

「貴方は……!」

 

 精神作用安定化などしなくても。

 激情が渦巻いていようとも。

 ヘロヘロのこれまでの行動の違和感が次々とアインズの頭に浮かんでは冷静に処理していく。

 何故、ナザリックに最初戻りたがらなかったのか。

 NPCに正体を隠して彼らに触れあうことをしていたのか。

 この世界の詳細を知りうる限り余すことなく伝えていたのか。

 全て、自身がそう遠くない未来に死ぬことを予期していたからだとすれば辻褄があってしまう。

 以上のことを踏まえ、導きだされるヘロヘロが成し遂げたかったことはアインズ・ウール・ゴウンというオーバーロードの死などではなく。

 

「初めから……! 俺に……!!」

「……そうだよ。殺されるつもりだったのさ」

 

 回りくどい自殺をする気だったのだと。荒い息を整えて、オーバーロードの言葉を引き継いだ。

 青い顔でしてやったりなドヤ顔を浮かべるものの、直後に吐血するヘロヘロ。胸から下がごっそりなくなっていて人工肺は損傷が激しいのだ。とてもではないが、呑気に会話している状況ではないだろう。

 しかしアインズには「ヘロヘロさんっ!」と言って側に駆け寄ることしか出来ない。

 魔法は使えない。超位魔法も明日にならなければ使えない。NPCを呼ぶにも時間がかかりすぎるし、そもそもありとあらゆる回復手段が効かないタレントがあるヘロヘロに助かる道はない。

 手をこまねくだけの己に無力感をアインズが抱いていると「ちょっとこのままじゃゆっくり話せないな」といってヘロヘロはある魔法を唱えた。

 

「《リペア/修復》」

 

 ワールドアイテムすら効かなかったヘロヘロの命をほんの少し永らえさせたのは超位魔法でも、第十位階魔法でもなくこの世界の凡庸な魔法詠唱者にも唱えられる第一位階魔法。

 破損した人工肺と全部とはいかなかったが幾つかの機械を修復して、致死は免れないが猶予は多少増えた。

 体内にある機械類は肉体の一部として世界に認識されてないからタレントの効力はないんだよ、とヘロヘロはゲームの裏技をこっそり教えるような気安さで言う。

 

「魔法って本当に便利だよね。壊れるたびに腹を弄くる手間が要らない。これがリアルであったら僕も病室で絶対安静しなくてよかったのに」

 

 はっ、とアインズは気付く。

 彼が以前言っていた『得意魔法は一番使う機会が多くこれがなきゃまともに生活出来なくなるまで依存しているまでになった《リペア/修復》である事』という言葉の本当の意味に。

 そして、行き着く。彼がナザリックで《リペア/修復》を使用する許可を得ていた真相へ。

 

「耐久値限界か……!」

 

 718の魔法を習得し、その全てを暗記しているアインズは《リペア/修復》の修復する度に耐久の値が僅かに下がるデメリット効果があるのを記憶の片隅から引っ張り出していた。

 彼が一年も生きてこれたのは《リペア/修復》のおかげだろう。同時に一年にも及ぶ《リペア/修復》を使った応急措置による耐久値の減少はもはや恒常的に機能不全を引き起こす域に達していたのだと。

 ちょっとの情報ですぐに分かっちゃうんだもんなあ、とヘロヘロは笑いながら話すがアインズは自分が察しがよくないことを自覚している。本当に察しがよかったらこんな結末は未然に防げたはずだから。

 よって、ヘロヘロが()()()()()()()()()()()()()()()と理解させられていた。

 

「……何でこんなことをしたんですか」

 

 長く生きられない体なのは分かった。自分に殺されようと思ったのも理解した。

 だがしかし。

 鈴木悟の残滓を持っただけに過ぎないオーバーロードはエルダー・ブラック・ウーズを宿しただけの人間がどのような思考の果てでこんな凶行に及ぶことになったのかを全く解明できない。

 故に直球で問う。彼の真意を知るため。避けられない死がヘロヘロに訪れる前に。

 

「……カルネ村のことを話したとき、貴方が何を話したか覚えていますか?」

「聞いているのはそんなことじゃ―――」

「僕は覚えています」

 

 迂遠な言い回しで話を切り出したヘロヘロに思わずアインズは異を挟むが無視してそのまま語る様を見て口をつぐむ。今は一秒でも時間が惜しいから。

 

「貴方が人を殺してしまったことがショックでした。殺したことに罪悪感を感じないことを聞いて嘆きました。人の記憶を弄くりまわしたことを些事として扱い、あの残虐な拷問を躊躇いなく実行したことをなんでもなく語る変わり果てた貴方を見て、僕は恐ろしかった……!」

 

 解明できるはずがなかったのだ。鈴木悟は、モモンガは、人の心が分からない怪物(オーバーロード)になってしまったのだから。

 かつて同じゲームをした仲間が怪物になった自分をどう思うかなんて分かるわけがない。

 

「そ、そんなことで」

「ああ。そんなことなんでしょう! 今の変わり果てた貴方にとっては!」

 

 ゴホッ、ゴホッと血反吐を吐き、拳を地面に擦り付けながらヘロヘロはアインズを泣きそうな顔で睨み付ける。

 彼は選択を迫られたのだ。

 アインズ・ウール・ゴウンという思い出か、この美しき世界のどちらを取るか。

 

「ズレた倫理観で狂的な妄執を懐く怪物はきっとこの美しい世界を汚す。僕はそう感じたからこそ、アインズ・ウール・ゴウンと心中しようと思ったんです」

 

 耐性無視の攻撃を真骨頂としていたヘロヘロ。

 初め、彼はギルド拠点を崩壊させて心中しようとしていた。

 エクリプスの特殊スキルと同等の習得難易度を持つ特殊スキルで、ギルド武器スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを破壊し、ギルド拠点を潰す、ということが実際出来るのだ。

 けれどもそれまでだ。

 ギルド拠点を失ってもNPCが消えるわけがないのだ。八欲王の再来を早めるだけで無駄死にでしかない。

 理屈ではこうだがそれ以上にヘロヘロは。

 

「でも、出来なかった……! 変わり果てた怪物と分かっていてもギルド長と話すのは嬉しくてたまらなかった。僕たちの拠点が現実になった事実は悍ましいはずなのに素晴らしく感じる自分がいた。貴方が危険だと言いながら、この世界が好きになって守りたいと思いながらも僕は今でもアインズ・ウール・ゴウンが結局一番大切で仕方ないどうしようもない狂人だった……!!」

 

 モモンガだったオーバーロードがアインズ・ウール・ゴウンが狂的にギルドメンバーへ執着していたように、ヘロヘロであった人間もアインズ・ウール・ゴウンという居場所にイカれていたのだ。

 

「だから世界をアインズ・ウール・ゴウンの脅威から守り、僕の大切なアインズ・ウール・ゴウンも傷つけないたったひとつの最悪の手段が思いつけたんです」

 

 それを語るヘロヘロは青白い顔も合わさり狂的な迫力があった。アインズは何故ヘロヘロの意図が分からなかったのかをやっと掴む。

 アインズは人の心が分からない。人であった頃の経験と知識からそれらしい反応をしているだけ。

 ならば、狂った人間の行動なんて想像の外なのだ。

 

「それが()()だっていうのか!? もっと他にもあったんじゃないのか!?」

 

 全くもって合理的ではない道筋と帰結にアインズは激昂する。

 

「いいや。これが考える限り、一番の解決法さ。素直に僕の体のことを聞けば貴方はどうした?」

「決まってます。ヘロヘロさんを救うためにあらゆる手を尽くしますよ」

 

 仲間を救いたいという一見綺麗なお題目。

 実態はそんなものでは勿論ない。

 

「だろうね。きっと貴方は僕の意志も聞かずに問答無用で凍結保存でもして、ナザリックの支配者らしい吐き気を催す外法で世界を蹂躙しながら生き永らえせる手段を必死で探すんだろうさ」

 

 二人が想定していない仮定の話になるが彼を救える手段の最有力候補に始原の魔法(ワイルド・マジック)がある。

 ユグドラシルの絶対的法則をめもすり抜けるこの世界由来の魔法はワールドアイテムですら回復出来ないヘロヘロを何とか出来る可能性が非常に高い。

 現存する始原の魔法の使い手の一人、真にして偽りの竜王ドラウディロン・オーリウクルスがその類いの魔法を習得していた場合。

 アインズ・ウール・ゴウンは躊躇いなく竜王国を治療のためのモルモットと魔法使用で大量に消耗される人間たちの牧場(ゲヘナ)へ瞬く間に変えたであろう。

 似たような未来予想図を描いていたヘロヘロはそんなのはゴメンだ、と嫌悪感を滲ませながらヘロヘロは言い捨てた。

 

 

「……確かに人間だった頃の自分には出来ないような手段で貴方を救えるなら迷いなく実行するでしょう。けど、大切な仲間を悪魔に魂を売ってでも生かしたいという思いはそんなに間違っていますか!?」

「間違ってるわけがないさ。一種の眩しさすら僕は感じる」

「なら―――!」

「そんな貴方だから僕はこんな手段をとったんだよ」

 

 最も簡単で確実な妄執の殺し方は、より醜悪で歪な新しい妄執で覆い隠してしまうこと。

 例えば、仲間を病的に大切にしていた男がその思いの重さのせいで仲間を死に追いやったとする。ならば、その仲間の死に際の言葉はきっと忘れられない十字架にならないだろうか?

 

「仕組まれて殺すことを強要されたとしても。自分のせいでそうなってしまった罪悪感に苛まれながら大切な仲間の最期の頼みを君は必ず承諾してずっと守り続ける。そうだろう?」

 

 全幅の信頼を置いた声音で語られたのはヘロヘロがアインズに殺されることで成立した約束。身勝手で卑怯で一方的な通告。

 アインズは折られざるを得なかった。

 

「やり方が悪劣すぎますよ……。ヘロヘロさん……」

 

 相手の大切なものを破壊して心を折るのはヘロヘロの十八番。

 今までの流れは、ただ遺言を永遠に守らせるこの瞬間のための布石だったのだ。

 ただ折れていなくても抗える訳がない。

 かつての最高の仲間が自分を信じ、命を捧げてまで願う最期の頼みなのだから。

 項垂れたオーバーロードにヘロヘロは願う。

 

「反論はないみたいだね。ギルド長。貴方にはこの世界に関わらずナザリックのNPCが危害を加えないか見張りながら、ただひっそりと生きて欲しい。僕の願いはそれだけなんだ」

「馬鹿な!? そんな願いのために!?」

「まあ、詳しいことは僕の部屋にある百科事典(エンサイクロ ペディア)に挟んだ手紙に詳細を(したた)めているんだけどさ。……約束してくれるかい?」

 

 告げられたのは、アインズ・ウール・ゴウンには命を賭ける程の重みがなく、ヘロヘロにとってはあった至極単純な内容。

 詳細をあえて省かれたのは分かった。

 もしかしたらその手紙を見て後悔するかもしれない予感はある。

 分かってはいるがオーバーロードは承諾する以外の選択肢はない。

 目の前の脆弱な人間の命の灯火は間もなく消え去るのだから。

 

「分かりました! 分かりましたから死なないでくださいよ!」

 

 ヘロヘロは力なく笑うような顔をして「すまない」と言うだけ。

 

 

「ちょっと、眠ら、せて……」

 

 呂律がろくに回っていなかった正真正銘最期の一言は当たり障りのないログアウト理由みたいな台詞。

 

「ヘロヘロさん……! ヘロヘロさん……!」

 

 アインズは名前を呼ぶ。何度も。何度も。

 返事がかえってくることなど永遠にないというのに

 これで終わり。ヘロヘロの人生は終わりなのだ。

 楽しかった日々を回想し、この結末を避けたIFを空想することも彼が最終日に残って共に支配者となる妄想で逃避なんてはしてはいけない。

 オーバーロードになったアインズは空想の中で生きられるが、そうなってしまえばNPCたちは世界を蹂躙しアインズに献上して壊れた心を癒そうとするだろうから。

 ヘロヘロの決死の遺言を不意にするなんて出来るはずがない アインズ・ウール・ゴウンはこの苦しい現実と向き合わなければならないのだ。

 

 だけれども。

 精神作用無効化を解除されている今だけは。

 願わくば、貴方の魂が救われんことを、と決して本人には届かない言葉だけれどもオーバーロードは思わずにはいられなかった。

 アインズの勝手な思い込みかもしれないけど、彼の死に顔は――――――。

 

 

 

 


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