ヘロヘロの残滓が遺したのは《完結》 作:メロンアイス
体感型。
専用の器具を利用して、虚構を現実に錯覚させる娯楽品。
自宅にいながら地球の反対側の観光地を堪能したり、トッププロレベルの身体能力でスポーツをしたりすることもできる素晴らしい人類の発明。
特にD M M O R P Gのようなファンタジーを現実に落とし込んだ体感型は老若男女問わず人々を夢中にさせていた。
かくいう僕もユグドラシルというゲームで廃人と言われる程度にはやりこんでいた。上位ギルドの初期メンバーだったのは密かな自慢だ。
だから体感型を使った治療を行うと言われたときは驚いたものの、ヴァーチャル・リアリティという技術自体がそもそも精神的に不安定な患者の気持ちを和らげるセラピー・ツールとしての利用を提唱されていたらしい。
それを聞いたとき、すんなり理解した。だって、僕がいたギルドでMMO自体を引退したメンバーのほとんどはリアルが充足しているのが傍目にも分かるような人達ばかりだったから。そしてゲームにのめり込むのは暗い情熱を宿した人ばかりだったから。
僕も強制的に入院をさせられなければ間違いなく、最終日の今日までユグドラシルにしがみついていたはずだ。
―――目の前のギルド長のように。
ナザリック大地下墳墓、その奥深く。ギルメン以外のプレイヤーが誰も到達できなかった円卓に佇むオーバーロード。
異形種のみで構成された社会人ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドマスターのモモンガさん。
悪役ロールをしていて、攻略wikiにPK方法を書かれるぐらい嫌われているけど41人の誰よりも優しく常識人だった彼。
あの無茶苦茶濃い面子が集まったギルドが空中分解ではなく自然消滅に落ち着いたのは間違いなく彼の功績だろう。
ギルド長がいなければ最終日にかつてのメンバーの一部と会うことすら叶わなかったはずだ。
それを分かっているからこそ、僕は他愛もない作り話を最後にすることにした。
ユグドラシルを捨てることができないぐらいに追い詰められたリアルを生きているギルド長にこれ以上心理的負荷をかけたくなかったから。
転職なんてしていないし、きっと再就職は無理だろう。
ある意味デスマーチだ。僕はあとどれくらい生きられるのだろう。
体はボロボロなんてもんじゃない。現実では満足に体すら動かせない。踊るように体を動かす感覚なんてもはや仮想現実でしか味わえない。
けれども楽しかった。この時間が永遠に続けばいいと思うぐらいには楽しかった。身体を壊す決定的な原因になった会社の愚痴すらも話のタネになって嬉しかった。
しかし、もうそんな時間も終わり。DMMORPGを病室で特別にプレイする許可を貰ったものの、使えるのは消灯時間までである。
出来れば終わるその瞬間までユグドラシルにいたかったがこうして最終日にログイン出来ただけでもよしとしよう。
眠いという当たり障りのないログアウト理由を述べて別れの挨拶をする。
「……今までありがとうございました、モモンガさん。このゲームをこれだけ楽しめたのは貴方がギルド長だったからだと思います」
これは本当に心から思っている。目の前で大げさなジェスチャーをして否定する彼のようなムードメーカーがいたからアインズ・ウール・ゴウンというギルドは素晴らしい場所だったのだ。
願わくば、貴方のリアルが救われんことを。決して本人には言えないけれども、そう思わずにはいられなかった。
僕の勝手な思い込みかもしれないけど、ログアウトする直前のオーバーロードはとても悲しそうだったから。
白い壁に囲まれたリアルに戻ったというのに僕は先ほどのギルド長が脳裏にこびりつき、まるでそれを振り払うかのように首をふった。
これで終わり。僕が生きたユグドラシルは終わりなのだ。
僕は体をいじくり回してただ生きてるだけのリアルと向き合わなければならないし、ギルド長も苦しいリアルを迎えなければならないのだ。
人は空想の世界では生きられない。それは子供でも分かる当たり前のことなのに……。
僕は回想する。アインズ・ウール・ゴウンにいたかつての日々を。
僕は空想する。ユグドラシルが終わらなかったパラレルワールドを。
僕は妄想する。エルダー・ブラック・ウーズとして異世界を生きる自分を。
かつての仲間を中二病と笑っていたが僕の方がよっぽど重症だ。あまりにも馬鹿馬鹿しい夢を本気で願っている。救えないにも程がある。
グルグルと、そんな非生産的なことをいつまでも考えて気づけば日付は変わっていた。
この時間ならユグドラシルのサーバーも停止だ。……なんて呆気ない。
あれほど流行ったゲームですらこれだ。なら僕は?
僕は遠くない未来死ぬ。明日か。一ヶ月後か。一年後か。分からないけれどもそう遠くない未来、この病室で一人で死ぬ。
何も為せないまま誰にも気にも留められず死んだ次の日には忘れ去られるような人生で終わる。それがどうしようもなく悲しくて空しくてたまらない。
「嫌だ、死にたくない。このまま死にたくないッ!」
死にたくない、死にたくないとうわ言のように僕は繰り返す。
懇願じみた嘆きをみっともなく涙を流し、鼻水を垂らしながら繰り返す。最後の方にはもはや言葉にもならない叫びになっている。
そうして喉も涙も枯らし、心が死人のようになり、防衛機制が働いてようやく眠りにつくのだ。
嫌な現実から逃げるようにして。
そして夢見る間もなくすぐに朝がやってくる。まぶたを閉じていても光に照らされる感覚ですぐ分かる。
ただ、いつもと違ってなんだか光が暖かいような気がする。新しい人工灯だろうか?
それに地面が固くて、顔の辺りがガサガサする。まるで地面に寝ているようだ。
そして。
目を醒ませば。
筆舌に尽くし難い美しい異世界が眼前に広がっていた。
「…………へ?」
原案はコメディでした