ラブダブル!〜女神と運命のガイアメモリ〜   作:壱肆陸

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お久しぶりです!!!!!!!!!
実に1年弱の休載期間、帰ってまいりました。院入試と卒論、あとは新作などもあり中々手が付けられず……大変お待たせして申し訳ございません。

これ以上待たせるのはダメなので、前置きはここまで。
今回は切風アラシ……だった少年の孤独な闘い。遂に『暴食』の素顔に迫ります。


タップorスライドで「ここすき」をよろしくお願いいたします!


第63話 Aの別れ/制服を着た怪物

積み上げた石とか、丁寧に並べたドミノとか、ほんの些細なことで声を上げる間もなく崩れ去る。どこの世界でも例えるまでもなく同じ、絶対の原理。『創造』と『破壊』は等価じゃない。

 

『彼』は薄汚い野犬だった。愛の感触を知らず、差し出されたそれを好意と見ず、誰も信じずに生きた人ではないナニカ。

 

やがて『彼』には『切風アラシ』という名前が与えられ、世界に漂っていた愛が分かるようになった。それが欲しくて、憧れて、誰かの役に立とうとした。野犬の嗅覚を買われ、探偵になった。

 

そして今、化けの皮は剥がれ落ちた。

『彼』はまた己の名を忘れ、黒い感情のままに生き始める。

 

 

「永斗。この事務所は今後お前に任せる」

 

「……は?」

 

 

それは余りに前置きなく放たれた発言だった。

だが、唐突かと言われると否定せざるを得ない。予測はできて、遂にやってきてしまった現実を、それでも永斗は受容できるわけがなかった。

 

 

「俺もお前も空助のやり方は見てきたんだ。継ぐのが俺である必要はねぇ」

 

「待ってよアラシ……僕が一人で探偵なんてやると思う!? 面倒くさがる僕の尻を叩いて、アラシが力づくで推し進める。それが僕らだ! 僕らは二人で一人だろ!」

 

「だからそれはもう終わりだ。見ただろ、ダブルはもう俺の方が使いものにならない。戦えない仮面ライダーに価値はねぇ」

 

「そんなの……ほのちゃんの事は心配じゃないの!? ステージで倒れて……脚を壊したって病院で聞いた。断言できる、ラブライブ本選までに治すのは不可能だ。μ'sはステージには立てない……!」

 

「……そうか」

 

 

廃校を阻止するために、これまでずっと頑張ってきた。そして本選出場ランク圏内に到達し、夢が見えてきた矢先にこれだ。未だ目覚めない穂乃果の意見を聞く余地もなく、間もなくμ'sの名前はランキングから消滅する。

 

 

「いま、μ'sは最悪に不安定だ。海美ちゃんから聞いた、ことり先輩の話も……! このままじゃ崩れる……今だからこそアラシが必要なんだ!」

 

「今更……俺が何を言えって? 俺がいて何になる。俺にはもう……アイツらに与えられるものは何一つ残っちゃいねぇ。いや、そんなもん最初から無かったのに、それすら知らずに一緒にいすぎたんだ」

 

 

駄目だ。チルドの事件の時から、アラシは永斗の言葉を聞いちゃくれない。その目が見ているのは彼女たちでも、相棒でもなく、怒りと殺意の矛先だけ。もうアラシは境界を踏み越えてしまった。

 

 

「俺は暴食を殺す」

 

 

その目は、もう探偵の目ではなかった。

 

 

__________

 

 

組織の幹部『暴食』は、音ノ木坂に学生として潜伏している女だ。

 

音ノ木坂付近を巣とし、メモリを販売して優れた素材を見つけ、そうして管理下に置いた犯罪者たちを暴れさせ、ハイドープへと育てる牧場としている。全ては育てたドーパントを『キメラ』の能力の糧とするため。

 

長い因縁だった。暴食のせいで、数えきれない悲劇が起きた。

あの常軌を逸した怪物との決着をつける時だ。

 

 

「お前言ったよな『自分しか知らない組織の情報がある』って。吐いてもらうぞ、三流手品師」

 

 

アラシが向かった先は刑務所だった。目的は『面会』だ。これまで倒してきたドーパントたち、暴食の正体に迫れるとしたらそこしかない。アラシが狙いを定めた相手は、先月矢澤にこの声を奪ったサイレンス・ドーパント。『魔術師』と呼ばれた男だった。

 

 

「吐いてもらう……だぁ? あー確かに言ったさ、取引としてね。だがテメーは僕をぶん殴ったよなァ!? 僕を無視してッ! 契約なんざ不履行だバアァァァァァァカ!!」

 

「何か勘違いしてるな、お前」

 

 

サイレンスの男、本名「池谷九郎」。アラシは彼と交渉をしに来たわけではない。ガラス越しでアラシが池谷に見せたのはリズムメモリ。池谷の態度が怯えたものになるのも当然、それはかつてサイレンスを完膚なきまでに叩き潰した決定打なのだから。

 

 

「ガラスは振動して音を伝える。ってことはだ、お前はそん中にいようがリズムメモリの射程圏内ってことだよな」

 

「……ハッタリだね! そのメモリの適合者は矢澤にこだ、お前に使えるワケが……!」

 

「現に使ってぶちのめされたの忘れたかクソボケ。ハッタリと思って沈黙決めんのは自由だが、今の俺はお前を殺すのに欠片の躊躇もねぇぞ?」

 

 

これまで何人もの人間を騙してきた池谷には分かってしまう。その言葉は真実だ。草だけ食って生きた温室育ちの動物のそれではない、法を障害としか見ていない獣の顔。こういう奴を操ることはできない。

 

 

「はっ、誰か殺されでもしたか……!?」

 

「そうなる前に殺すんだよ、あの女をな」

 

「だったらしっかり殺せよ。刑務所だろうがなんだろうが、僕はまだあの女の皿の上なんだ」

 

 

暴食は捕まった配下のドーパントに、食材としての興味を示さない。だが、情報の漏洩を懸念しないわけもない。だから暴食は配下にほとんど情報を与えなかった。彼女の正体を知っていた者は、シルバーメモリを保有していた山門と氷餓のみ。

 

だが、池谷は『魔術師』だ。静寂を司り、沈黙を操る詐欺師。

彼はただ一人、暴食の眼を掻い潜ってその情報を手にしていた。いずれ組織の幹部との取引のカードとするために。

 

 

「暴食は12年前、『エンプティ』のメモリを手にした。それが始まりだ」

 

「エンプティ……ついこの間そいつが出た。もう暴食に食われただろうけどな。だがそいつは変だ、エンプティは使用者の命を吸う呪物のはずだろ」

 

「当時彼女は年端もいかない幼女だったはずさ。エンプティでなくとも仮に使ってれば、まぁ毒素で死ぬだろうね。つまり彼女はメモリを使ってないことになる。まぁここまでは余興だよ、問題はその情報(カード)の『裏面』───彼女の()()、『石井美弥』」

 

 

___________

 

 

暴食の『本名』、想像以上に大きな獲物が釣れた。警察とのコネクションでなりふり構わず手に入れた3回の面会権利、1回目の狙いは大当たりだ。だが、その名前の学生は音ノ木坂にはいなかった。恐らく名前も顔も変えているはずだ、真実への直通切符にはなり得ない。

 

 

「名前が分かった……でも、『検索』には頼らねぇ」

 

 

どの口で永斗に頼めるというんだ。彼には今、μ'sのケアという大役がある。アラシは『探偵』として暴食を追ってるんじゃない。この道の行きつく先はただの『殺人犯』だ。

 

残り2回の面会権利。これまで叩き壊してきた、犯罪者たちのことを思い出せ。奴らが起こした事件のことを思い出せ。暴食の撒いた餌の、その痕跡が、何処かに必ずあるはずだ。

 

 

「───あの人しかいねぇな。会いたくは、ねぇが……」

 

 

面会の手続きを終え、その人物は面会室に現れた。

その事件が起きたのは春だ。アラシがまだ音ノ木坂の清掃員をやっていた頃のこと。それはちょうど制服姿の『暴食』を見た直後に起きた事件。

 

 

「……お久しぶりです。痩せましたね、小森さん」

 

「さすが探偵、よく見ているね……久しぶり切風くん」

 

 

小森茂道。かつて、音ノ木坂学院の清掃員をやっていた初老の男性。彼は夜の静寂を汚す迷惑な若者を許せず、ダークネス・ドーパントとして暴れ、そしてダブルに敗れて逮捕された。

 

複数の暴行罪、殺人未遂、メモリ使用罪で服役中の彼だが、それは正義の暴走故だ。敬語を使うほど、アラシは小森に敬意を表している。だからこそ、今は会いたくなかったのが本音だ。

 

 

「───信じられないな……あのフードの子が、音ノ木坂の生徒だったなんて」

 

「生徒に紛れて悪意をばらまく、貴方にメモリを与えたのは学校に巣食うバケモノだ。その立ち姿に見覚えは? 清掃員として生徒を見てきた小森さんなら、何か気付いたんじゃないんですか?」

 

「残念だけど……心当たりは無いよ。彼女からは底知れない闇と、蠱惑的なものを感じた。今思うと、とてもじゃないが人間にすら思えないよ」

 

 

ここまでは予想できた返答だった。暴食は周到に、秀逸に、自身の邪悪を腹の中に隠して生きているのだから。

 

 

「だったら生徒の中に違和感はありませんでしたか」

 

「……どういう事かな?」

 

「前の面会で『暴食はたった1年間の実験と成果で幹部になった』と聞きました。付け加えて、前に戦ったヤツがこんなことを言っていた」

 

 

思い出すのは先日世界を巻き込む大事件を起こした、エンジェル・ドーパント───山門の言葉だ。彼は自身の計画を語る時、ダブルの猛攻を受けながら意気揚々と口走っていた。『彼女が暴食になったのは5年前。その時には音ノ木坂を餌場にしていた』と。

 

 

「これがマジなら、暴食は音ノ木坂に『6年』いることになります。音ノ木坂中学か? いや、アイツは進学で律儀に巣を変えたりなんかしねぇ。『老化のメモリ』で老けて『高校』に6年いたんだ。いったん卒業して、顔を変えて、誰かに成り代わってアイツは巣食い続けてる」

 

「入学したのが6年前だとしたら……もう2回は卒業してる計算になる。つまり……」

 

「俺はヤツが1年生の中にいると踏んでます。暴食は二度も違和感の温床を残しやがった。ありませんか。今年入って来たばかりなのに見たことがあるような、卒業したはずなのにそこにいたような、そんな違和感を覚えたことは!?」

 

 

鬼気迫る様相で、アラシは小森に問い詰める。口調と態度は小森の知る彼に取り繕いつつも、剥き出しになっているのは傷だらけの殺意だ。

 

かつて義憤だったものが変容した狂気、それは小森がガラスの向こうにいる理由そのもの。それを目の当たりにして、怯えたように、小森は首を横に振る。

 

 

「───ックソ!!」

 

 

やっと見つけた匂いは、拭えば消えてしまった。

だが音ノ木坂の1年生は僅か1クラス。人数にして30人と少しだ。その素性から生い立ち、学校内での行動まで、虱潰しに追跡できない数ではない。()()()()()()()()でも、暴食を殺さなければならない。

 

 

「切風くん、君と私は……最後まで分かり合えなかった」

 

「それが……どうしたんですか」

 

「相手の正義を理解する必要があると、私が言ったのを覚えてるかな。しかし本音ではね、正義の無い者に正義は無価値なんだと思っていたんだ。だから罰した。でもそんな私に切風くんは、最後まで声を……」

 

「そいつは俺じゃない。空助の真似をした……出来の悪い模造品だ」

 

 

手作りの仮面を被って探偵を演じていた、それが切風アラシだ。出会いを重ねて、居場所を知って、心を許すたびに堅牢な鎖が解かれていった。そして同時に、濃い悪意にあてられるたびに封じ込めた感情を思い出してしまった。

 

徐々にアラシは、名もなき殺意へと戻っていった。

 

 

「“俺”なら理解できますよ、小森さんの言葉。クズは正義が見えないからクズなんだ。クズを裁くのはクズでいい。一片の正義も無く、俺は『石井美弥』を殺す……!」

 

「……石井……!?」

 

 

その名前を出したのは初めてだった。暴食は顔も名前も変え、『記憶改竄』の能力で誰かの人生を乗っ取っているのだとアラシは思っていたからだ。大体、本名なんてわかりやすい痕跡から辿れるものなんて、暴食は既に消していると踏んでいた。

 

 

「関係は……きっと無いと思うよ。でも……12年前で、『石井』という名前を聞いたら、ある生徒を思い出して───」

 

 

小森の口から語られたその話が、アラシの記憶を貫いた。

結論から言って、それはアラシもよく知っている『事件』の話だった。だがその前提に『石井美弥』という存在がいて、それが原点であったと、そう仮定するのなら───

 

点と点が繋がっていく。暴食が学校に植え続けた悪意が、アラシが音ノ木坂で過ごした全てが、脳細胞を突き破っていくように破線で結ばれた。

 

 

「やっとだ……! 感じたぞ……テメェの匂いを……!!」

 

 

巧妙に隠されてきたその影を遂に捉え、照準は定まった。そいつを『殺してもいい』と確証を得るために、ここから先は詰めだ。だとしたら、次に打つ一手は考えるまでも無かった。

 

 

__________

 

 

日が落ちたタイミングを見計らった。誰とも会いたくなかったからだ。

アラシが赴いたのは音ノ木坂だった。文化祭の2日目が終わり、片づけを待つ空の教室を素通りし、向かう先はアイドル研究部でも屋上でもなく『新聞部』。

 

 

「いるか、鈴島」

 

「おやや……切風さん! 文化祭にいなかったからつまら……じゃなかった、心配したんですよ~! いやぁ、それにしても昨日は災難でしたね」

 

「記事にしたら殺すって嘉神の野郎に言っとけ」

 

「嘉神くんですか~……彼、私の言うことあんま聞いてくれないんです。まぁ流石にしませんよ、ニュースはジョークとエンタメ! 不謹慎はNGです!」

 

「説得力がねぇな」

 

 

新聞部部長の3年生、鈴島貴志音。虚構脚色たっぷり迷惑新聞でお馴染みの彼女だが、ガイアメモリを発見したり盗聴器をそこらじゅうに仕掛けてたりと、学院内で彼女より上の情報持ちはいない。

 

 

「それで、やっと私と手を組む覚悟ができたんです!?」

 

「あぁ。俺はもう手段を選ぶのをやめた。お前も覚悟を持てよ、人を殺す覚悟をだ」

 

「そんなのジャーナリストなら当然の覚悟ですよ」

 

 

鈴島の方もアラシが自分を頼りに来たのだろうと、既に親身な姿勢でアラシを見る。それに応えるように、アラシも今度は包み隠さず情報を開示した。

 

 

「……この学校にメモリをばら撒く黒幕がいるって話はしたな」

 

「あっ、はい。それはもう血眼になって探してますが、今のとこ進展ナシですよ?」

 

「目星が付いた。アイツは1年生の中にいる。お前の知見を借りたい」

 

「んーーーーーっ!!?? 遂に来ましたかこの時がっ!! そうと決まればラストスパート、この大スクープは必ずモノにしますよ!」

 

 

ニュース狂いの想像通りの反応を横目に、アラシは話し始めた。

小森から聞いた事実から推測し、検証した、暴食の足跡を。

 

 

「今でこそ暴食のせいで事件多発の音ノ木坂だ。だが、昔は超が付くほど穏やかな学校で有名だったらしい。それでも……一度だけ悲劇は起きた。12年前の水泳部だ」

 

「12年前……それって!」

 

 

鈴島が部室の備品を弾き飛ばしながら試料を漁る。そして見つけたのは、一枚の『捜索願』。

 

 

「12年前、当時水泳部のエースって騒がれてた部員が行方不明になってます。で、確かその真相は部内でのいじめが原因の自殺、そして首謀者による死体遺棄。そして、この事件は……!」

 

「あぁ、つい最近別の事件を生んだ。被害者の友人が、当時の関係者をメモリで殺して回ったんだ。そして最後には音ノ木坂の校舎そのものを壊そうとし、仮面ライダーに阻止された。犯人の名前は『内藤一葉』、使ったメモリは『ギャロウ』───『絞首台の記憶』」

 

 

忘れもしない、アラシたちが直接解決した事件だ。

瞬樹と出会ってすぐの事件だったはず。事の顛末は話した通りの復讐劇だが、重要なのは『被害者』の方。

 

 

「暴食の本名は『石井美弥』。そして、この事件で自殺した生徒の名前は『石井聡美』。調べた結果……石井美弥は石井聡美の妹だった」

 

「うぉっ……!? つまりそれは!!」

 

「あぁ、12年の間明かされなかった事件の真相には、まだ裏がある。この事件こそが暴食の原点だったんだ」

 

 

アラシの推理はこうだ。石井美弥は手にしたエンプティメモリを自分で使わず、姉に使わせたのだ。

 

エンプティメモリは人間の負の感情を溜め込むだけで、ドーパント態への変身はできない。だがメモリには共通して毒素があり、それは人間の脳を狂わせて多幸感と高揚を与える。石井聡美はすぐにメモリの虜になったに違いない。

 

だが、エンプティは同時に人間の生気も奪うと言っていた。

だからアラシは、あの事件の当事者で唯一生き延び、時効が成立して逮捕されなかった静音羽華に話を聞いた。遺体発見時、石井聡美は首を吊っていたわけでも、頸動脈を斬っていたわけでもなく、ただ部室で倒れて死んでいたという。つまり死因は不明。

 

石井聡美は自殺ではなく「エンプティメモリによる衰弱」で死んだのだ。

 

 

「そんな話が……!? あり得るんですかホントに!?」

 

「あの女は姉くらい殺す。自分の欲のためならな」

 

 

息子を食った女だ、何をしてももう驚かない。

これを裏付けたのは「ギャロウメモリ」の存在。あのメモリは他に現れなかった「複合メモリ」だった。

 

暴食は「同系統の能力を食べると力が飛躍する」と言っていた。

彼女のキメラメモリの能力は「食べて」「溜めて」「掛け合わせる」に三分される。それぞれ「プレデター」、「エンプティ」が該当すると考えたとき、複合メモリは「掛け合わせる」に該当する。

 

暴食は本命のメモリに対し、手間と時間を惜しまず、「シチュエーション」を重視する。プレデターの氷餓は自分自身で出産した実子だし、エンプティは12年もの間監視しながら放置し、機が熟するのをずっと待っていた。自分をルーツに持つ存在を喰らいたい、その歪んだ嗜好は顕著だ。

 

これらの事柄を複数方向から追跡すると、繋がるのだ。実の姉が死んだ事件を発端とし、復讐鬼に仕立て上げられた内藤一葉は見事にそれに当てはまる。

 

 

「そこで俺は事件の犯人だった内藤一葉と面会をした。石井聡美と親しかった彼女は知ってたよ、石井美弥の存在を。彼女が実家に残していたアルバムから石井美弥の写真も手に入れた。見せて貰うのには多少苦労したがな」

 

「それなら話は早いじゃないですか! 顔と名前が分かれば警察に追えないワケありませんよ!」

 

「辿れるわけねぇんだよ。仮に辿れるなら、内藤一葉とその家族を生かしておくはずがねぇ。調べられる範囲じゃ、石井美弥は小学校卒業と同時に両親共々行方不明だ。何が起きたかは分かり切ってる」

 

「んぬ~もどかしいですねぇ。届きそうで届かない、もうちょっとな気もするのに、遥か遠くにも感じる。私ができることと言えば……そうです! 全生徒のスキャンダルを振り返ってみましょう! なにか手がかりがあるかも、えっと1年生は……」

 

 

鈴島が席を立ち、今度は分厚いファイルを開いて情報を探し出した。この部屋にはきっと、全校生徒のあらゆる情報が載っている。簡易的な地球の本棚のようなものだ。その執念には関心さえ覚えてしまう。

 

 

「……顔と声が分からねぇからほぼ手詰まりだ。だが、ヤツも変えてない部分は確かにある」

 

「変えてない部分……ですか? それは気になりますね!」

 

「例えば性別。男になれないのか、ならないのか。それと───」

 

 

アラシが鈴島と距離を詰め、その髪にそっと触れた。

 

 

「ザッ」という短い音が、部室に落ちた。

 

 

崩れる書類、倒れる備品。散らばった記事や写真を踏みつけに。

資料に滲む赤色の染み。漂う鉄の匂い。ファイルごと鈴島の掌を貫いたのは、アラシが振り下ろしたナイフだった。

 

 

「───ッあっ……!? は、な、なんのつもりですかっ……!? これはッ……!?」

 

「頭の傷」

 

「……ッ!?」

 

 

悲鳴を抑える鈴島の髪をアラシは掻き上げた。一部分、髪が生えてない部分がある。これは手術の痕だ。

 

 

「……俺は暴食が1年生の中にいると思った。だが違った。ズレてたんだ、実の息子の氷餓がその証拠だ」

 

「な……なにを言って……ッ!?」

 

「『妊娠期間』だ。学校生活じゃ誤魔化しようのねぇ体型の変化……調べたらいたよ、4年前に1年間休学してた生徒がな。その生徒は後に復学して卒業してた。つまり推測から1年ズレて、暴食は今の『3年生』だ」

 

「……!? 嘘……ですよね切風さん……!? まさ、か……ッ!?」

 

「石井美弥は3歳のとき、事故で頭を怪我してる。ちなみになんだが、鈴島貴志音の親曰く彼女に手術歴は無いそうだ」

 

 

アラシはナイフを引き抜いた。

その血を拭わないまま、鈴島に向け、アラシは刃よりも冷たくその言葉を告げた。

 

 

ずっと素知らぬ笑顔で潜んでいたんだ。

僅かに有害な存在として、彼女は全ての生徒に寄り添っていた。

愉快な生徒を装って、その行動全てを奇行に見せかけて、アラシの前で堂々と生徒の情報を集めて『顧客』と『獲物』を探し、学校を掌握していた。

 

その悪意は、アラシが清掃員として音ノ木坂にいた時から、カメラと新聞を通じてずっと近くで嘲笑っていた。

 

 

「───『暴食』はお前だ、鈴島貴志音……!」

 

 

二人だけの部屋で、男は女に全てを晒す。

腹の底で練り固めた殺意。幾重にも折り重なった恨み。眩暈のする怒りも、慟哭してしまいそうな吐き気も、憎悪で崩れ落ちそうな脳髄から絞り出した言霊に乗せて吐きかける。

 

 

「な……んです、それ……? 学年に、傷に、ッ……!? ダメですよ、そんな理論じゃあ……探偵でしょ……!? 馬鹿にしてます……!!?」

 

「……お前は本当に厄介だったよ。犯罪のエキスパート共の飼い主だけあって、手がかりも証拠も残しやしねぇ。煽るだけ煽って、正体を匂わせて、必ず途切れる道を辿らせる。だが……一つだけお前はボロを出した。それがやがて疑いに化けた」

 

「……!?」

 

「チルド・ドーパントのメモリは、お前が落し物から拾ったって聞いた。一本だけな。こいつは嘘だ」

 

 

一本だけなうえに、置いて行くという不用心さ。状況から考えて、その落とし主はメモリを購入した使用者で間違いないだろう。しかし、そのメモリは後に流出して別の使用者が事件を起こし、そのまま犯人は五体満足で逮捕された。

 

しかし、()()()()()()()()()()()

 

 

()()()()()()()()()()()()。チルドほど低いランクのメモリが『使い回し』なんかをして、反動が起きないわけがねぇんだよ。ついこの間、どっかのヤクザがメモリ使い回して死にかけてんのを見たばっかなんでな」

 

「っ、でも!! ありますよね……可能性!? 私が拾ったメモリが、まだ未使用だっただけっていう……!」

 

「あぁだから『疑い』が限界だったんだ。警察か、或いは探偵じゃあ辿り着けなかっただろうな。でも俺はもう探偵じゃねぇ。疑いと、俺の中の確信さえあれば、俺は人を殺せる」

 

「はっは……冗談じゃないですよ……! やっぱり今日の切風さんはおかしい。貴方こそ本当は……!」

 

「シラを切って時間稼ぎか。生徒に見つけてもらうか、部下を呼んだか……でもまぁ元探偵の性だな。お前を刺す切札はもう手の内にある」

 

 

鈴島の血液が付着したナイフを左手に、アラシは右手でポケットから小瓶を出した。それを満たしていたのは、どう見ても『血液』だ。

 

 

「あの時、お前が食い残した氷餓の血を回収した。DNA鑑定でチェックメイトなんだよ。ここで逃げようがもう『鈴島貴志音』に居場所はねぇ」

 

 

確たる証拠はまだ存在しない。もしアラシの推理が尽く外れていて、鈴島が白だったとしても、やるべきことは変わらない。疑わしきは排斥し、刈りつくす。もう誰も信用できず、誰にも信用されないから、その身が滅びるまでただ一人歯向かい続けるだけだ。

 

鈴島も理解した。ここにいるのは『探偵 切風アラシ』じゃない。

 

 

「……小さいときのことってあんまり覚えてないですよね、人間って。でも私、3歳の事故のことから先はぜーんぶ覚えてるんです。きっと私は、その時まで死んでたんですよ」

 

 

『嘘』や『偽り』は人間の専売特許じゃない。

自然界の捕食者、被食者は、生存のために他種を騙す。植物に化け、天敵を騙り、風景に溶け込む。

 

 

「そのとき舌に流れた、自分の血と、髄液の味が忘れられないんです。それからもっと欲しくなって。そしたら他人の心とか道徳とか、どうでもよくなったんです。嫌がってるのとか、苦しんでるの見ると、どうしようもなくお腹が疼くんです」

 

 

彼女は捕食者として『擬態』をしていた。

だが、それは人間相手の嘘である。『悪意から産まれた怪物』の『同種』相手に、擬態は必要ない。

 

 

「だから本当は、もっと信用されて、もっと仲良くなってから食べようと思ってたんです───えぇとても残念よ、仮面ライダー」

 

 

怪物には、怪物として。彼女は擬態を解いた。

両親を殺し、姉も息子も喰らい、一般人も犯罪者も等しく食い物としてきた、青春に寄生する齢19の人外外道。

 

七幹部『暴食』が、その素顔を晒した。

 

 

「同じ顔でも……消えるもんだな、面影ってのは。もう疑いようもねぇ。ようやくそのフード引っ剥がせたな、会いたかったぜ……『暴食』!!」

 

「あら嬉しいわね。でもなんか期待外れ。もっと驚いてくれたりとか、ショックを受けてくれるのが見たかったんだけど」

 

「生憎だが俺は、最初から誰も信じちゃいなかったみたいだ。何一つ感慨も沸かねぇし、そのデカっ腹ズタズタにしたいって気持ちはブレねぇよ……!」

 

「まさか相棒も彼女たちも捨てて、たった独りでここまで来るなんて。関心するわ、あそこまで執心だったものを捨てるなんて、私にはできない」

 

 

暴食はアラシに対し煽るように背を向け、その人差し指で引き出しを開ける。そこから引っ張り出された一枚の張り紙は、黒に染まったアラシの感情さえ揺らす代物だった。

 

「来年度入学者受付のお知らせ」の文字が、アラシの視線を滑らせる。

 

 

「───こいつは……!」

 

「おめでとうスクールアイドルさん、廃校は取り消しよ。この知らせは明日にはもう学校に張り出される。彼女たちは喜ぶでしょうね、それが目標だったんですもの。それがどういう意味かも知らずに」

 

 

アラシも喜ぶべき場面だ。たとえラブライブに出られなくても、μ'sは目的を達成したのだから。しかし、暴食が浮かべる艶めかしく醜悪な笑みが、アラシにその真相を突き付ける。

 

 

「こんな事件だらけの学校の悪評を……スクールアイドルの活躍で搔き消せるもんなのか……?」

 

「ひどいマネージャーさん。彼女たちの努力を肯定しないの?」

 

「お前が……手を回したのか……!?」

 

「……っふふ、あははははっ!! そうね、その通り! 音ノ木坂は私とお姉ちゃんの思い出の場所、私の巣よ!? 最初から、廃校なんかで潰させるわけないじゃない」

 

 

アラシの手からナイフが落ちる。

身体の全身から力が抜けた。考えるのを辞めたがる頭が、音も光も拒絶して、ただどこか深くに墜ちていく感覚だけが、アラシの思考を包んだ。こんなにも怒っているのに、叫ぶ気にすらなれない。喉だけが震えて声が出ない。

 

なんで、どうして気付かなかった。

気付きたいわけがない。気付いて何になるんだ、こんな真実。

 

『学校を守ろう』という決意から始まった、μ'sの物語。

その夢は全部茶番だった。彼女たちが叶える物語と勘違っていたそれは、暴食の悪意一つで叶う、醜い食欲の結実だった。

 

アラシが守ってきたものに、μ'sの歩んできた道に、意味はなかった。

音ノ木坂はとっくに、『暴食』のために存在する蟲毒の壺でしかなかったのだ。

 

 

「───滑稽だよな。俺も、お前も……!」

 

「あら、どうして私が?」

 

「だってそうだろ、お前もう幾つだよ。いい歳して制服なんて着て、学生2週目のくせに初心ですって顔で青春してたんだろ?」

 

「まぁひどい人、レディになんてこと言うの?」

 

「人間の心なんて分かりもしねぇ癖に、装って、フリをして。何がレディだ、俺たちは進化に遅れた動物の雄と雌だろうが。授業も、部活も、文化祭も───全部意味のねぇ真似事なんだよ」

 

 

ここに入るために着てきたブレザー制服を脱ぎ捨て、ネクタイを解く。

 

彼女たちがいる学校に、人に擬態した怪物はいちゃいけない。アラシの左手に握るのはジョーカーメモリだけ。ダブルドライバーは、どこにも無い。

 

それが意味するのはただ一つの覚悟。未練と憧れさえも捨て去った、人間との決別の意志。

 

 

「制服脱げよクズ畜生。人間ごっこはもう終わりだ」

 

《ジョーカー!》

 

「いいわ、来なさい。ここで貴方を喰らってあげるわ『切風さん』!」

 

《キメラ!》

 

 

首元に出現した生体コネクタに、アラシはジョーカーメモリの端子を叩き込んだ。黒い雷が弾け、散らばった紙類と制服が発火する。火災報知器が感知する前に、それは不可視の風となって炎もろともキメラを部屋から消し飛ばした。

 

 

「っ……!? 何が───」

 

「どこ見てんだ目暗か?」

 

 

変身と同時に後ろに弾かれ、窓ガラスを割って外に追い出された。それをキメラ自身が認識し、振り返った瞬間、顔部に触れる漆黒の拳。桁外れのパワーが頭部装甲を破砕する。

 

そして、彼女はようやくその目で姿を捉えた。

影だ。己で黒を放ち続ける影が、肉体を持って佇んでいる。その刺々しい外殻から想起されるのは、悲劇の舞台で滑稽を演じる『道化師(ピエロ)』。

 

首元で紫に輝く生体コネクタは、オリジンメモリのドーパントの証。

黒い衝動を以て舞台の幕を下ろす殺人道化師(キラークラウン)───ジョーカー・ドーパント。

 

 

「素敵な姿ね……お似合いよ、帽子や制服なんかよりずっと」

 

「そりゃそうだ。人の皮剥いだバケモノ同士、殺し合おうぜ。消えてなくなるまでな」

 

 

ジョーカーが右足を踏み込む。爆発的に加速する肉体を阻むのは、六方を塞ぐ透明な防壁。

 

箱の記憶(ボックス)×材料の記憶(マテリアル)

出現した鋼鉄の箱を、ジョーカーは一撃でぶち破って、弾丸の如くキメラに迫る。

 

 

「一撃で……!? だったら、これはどう!?」

 

 

ディノニクスの記憶(ディノニクス)×発電機の記憶(ダイナモ)×大蛇の記憶(アナコンダ)

肉食恐竜の脚力で跳躍し、ジョーカーの頭上を取ったキメラ。この運動をそのまま電気エネルギーに変換し、大蛇の構造となった右腕に電撃を纏わせて鞭のような攻撃を仕掛ける。

 

 

「同じ手喰うわけねぇだろ。やったの忘れたか低能」

 

 

キメラの攻撃を薙ぎ払い一発で弾くと、ジョーカーはキメラを遥かに上回る脚力で跳躍。空中で地上と遜色なく放たれる回し蹴りが、キメラをグラウンドに叩き落とした。

 

強過ぎる。そのスペックは確実にゴールドメモリにも匹敵している。単純な身体能力しか持ち得ないジョーカーメモリでこの強さ、これがオリジンメモリのドーパントか。

 

しかし、解せないのはさっきの攻防。高圧電流が流れていたはずのキメラの腕を、ジョーカーは触れて弾いていた。

 

 

「こんなもんか暴食。こんな力で、猿山の主気取ってやがったのか?」

 

「あら心外。腹が立つものね、まな板の魚に睨み返されるのって」

 

 

泥沼の記憶(スワンプ)×磁石の記憶(マグネット)

グラウンドの一帯を泥沼に変え、キメラ自身は磁力で浮遊した。このまま放っておけばジョーカーだけが生け埋めにされて息絶える。

 

しかし、それも『もう見た』攻撃だ。スワンプ・ドーパントと遭遇した際、異世界から来た仮面ライダーがそうしたように、ジョーカーは一歩一歩に凄まじい衝撃を纏わせ、泥沼を踏み固めながら駆け抜ける。

 

この対応は予測済みだ。だからこそ、キメラは罠を張った。

爆発の記憶(エクスプロージョン)。泥沼に仕込んだ地雷を踏み、ジョーカーの体を爆炎と衝撃が襲う。

 

 

「何遍も言わせんな。見飽きたって言ってんだよ」

 

「まさか……冗談でしょう……?」

 

 

殺せなくても、僅かでも足を止めれれば泥沼で捉えられる算段だった。しかし、ジョーカーは1秒とて怯まず、キメラに肉迫した。磁石の記憶(マグネット)をジョーカーに付与して攻撃からの離脱を測るが、反発が起きない。能力が作用しない。

 

拳が迫り来る瞬間、キメラはそのメカニズムを理解した。

ジョーカーの全身を真っ黒なオーラが覆っている。感情を力に変えるジョーカーメモリによって、体から溢れた生体エネルギーが体表に留まっているのだ。それは電撃も、衝撃も、能力さえも遮断する鉄壁の防護膜。

 

 

「罪数えんならあの世でやれ。テメェは死刑一択だ」

 

 

ジョーカーの拳がキメラの肉体に爆ぜる。痛みを感じるより先に、次の一撃が叩き込まれる。怒り、憎しみ、恨み、絶望、その全てがジョーカーの力と速度に変換され、炸裂する殺意のラッシュ。

 

そして、ジョーカーは腕から切札を引き抜く。

生体エネルギーの圧縮により、生成されたカード状の刃がキメラに突き刺さる。刹那、解放された無尽蔵の悪感情がキメラの全身を内側から切り裂いた。

 

 

「……上限の無いパワー、アジリティ。無限に補填される無敵の鎧に、必殺の武器……! ああああああっ……! 疼かせてくれるわね、切風アラシ……!!」

 

「くたばれっつったろ、死ねよ化け猫の分際で」

 

「でも本当に最高なのは、その醜い心よ。一発一発から感じる微塵も揺るがない私への殺意。それは私への『同族嫌悪』? ほんっとーに理解できないわ。同族こそ、自分に近い存在だからこそ、その味で舌を満たしたいものでしょう!? 私が私であるからこそッ!!」

 

 

もうこれ以上怒りようもない。溶岩のように熱された頭で、ジョーカーは確実に敵を殺す生存戦略を組み立てていた。

 

キメラの能力は永斗の検索で既知だ。その能力ストックは最大で「12個」。ここまでの戦闘でキメラは能力を「8個」使った。食ったところを確認したプレデターとエンプティを含めれば10個。氷餓の育成にも使った『老化(オールド)』と『記憶改竄(アルター)』は学校に潜むのに極めて有用、捨てることは無いはずだ。

 

つまりこれで12個。どこかで見立てを間違えてたとしても、未知の能力はあって精々2つか3つ。そんな知れた手札じゃ、ジョーカーは殺せない。

 

 

「気色悪ぃんだよ。そんなに共食いしたけりゃ、自分でも食ってやがれ!」

 

 

ジョーカーは攻撃を再開。声にすらならない激情が、致死量の暴力となって発露される。カードがキメラの肉を切り刻み、抉り傷から溢れ落ちる生命。

 

 

「───それじゃあ、満たされないのよ」

 

 

その夥しい殺意を、喉笛に迫る獣の牙さえも、暴食は手を伸ばして腹の中に迎え入れる。

 

キメラの傷と足元から成長する無数の腕。それらは何重もの蔦によって補強され、掌と同化しているのは食虫植物の捕虫葉。引き千切れないほど強固な触腕は次々に増殖し、歯の立たないジョーカーの腕を捕まえて地中へと引きずり込む。

 

 

捕食者の記憶(プレデター)×庭園の記憶(ガーデン)×ヘカトンケイルの記憶(ヘカトンケイル)

 

そして、キメラと共にジョーカーは地中へと沈んだ。

泥沼の中じゃない。まるで海に潜るかのような感覚の後、空と大地が反転した世界へと浮上した。明暗の定義の無い、怪しい大気が充満する吐き気のする世界。

 

 

「どういうことだよ……!?」

 

「場所を変えたわ。誰かに見られるのは嫌でしょ? 私たちだけの愛情表現に衆目は無粋じゃない」

 

 

深層の記憶(アンダー)×道の記憶(ロード)×構築の記憶(クリエイト)

人間の知覚の底に定義した裏世界。そこに彼女自身が喰った人間の血肉で生成した『道』を、切り取って並べて不可侵の空間を創造したのだ。

 

 

「私の能力、12個だけだと思った?」

 

 

血肉の大地を突き破り、ジョーカーの足元から登り迫る小生物の群れ。

 

女王蜂の記憶(クインビー)×ナメクジの記憶(スラッグ)×発電機の記憶(ダイナモ)×酸の記憶(アシッド)

地を這うナメクジと蜜蜂の合成生物がジョーカーの両足を覆うと、体内内蔵の発電機構で激しい電熱を発生させた。その熱殺鉢球は熱による攻撃に留まらず、硝酸を基軸に合成された爆発性物質に着火させる。

 

跳躍しようが逃げられない不意打ちの爆弾。合成生物たちはジョーカーの下半身を起点に大爆発した。生体エネルギーの装甲ですらダメージを阻み切ることはできず、ジョーカーの両足が焼け爛れる。

 

 

「貴方が推理したのよ? 同系統の能力を食べることで、能力は進化する……空虚の記憶(エンプティ)を食べたことで、私の容量(メモリー)はやっと私の食欲に追いついた」

 

「……ッ、ふざけ、やがって……! テメェ、昨日の今日で……()()()()()()()()……!?」

 

「そうね。まだまだお腹いっぱいには足らないけれど……50人くらいかしら」

 

 

エンプティによって得られる無限の胃袋、それを視野に入れて、彼女はこの6年間育ったドーパントたちを『保存』および『飼育』していた。それを一気に取り込んだ。犯罪シンジケート「悪食」に所属していたドーパントも、堪える必要がなくなったのだから全て食い尽くした。

 

それにより獲得した絶望的な数。新たな「50」以上の能力。

 

欲の歯止めが消えた今、彼女はもう止まらない。

満たされない胃袋の声に従うまま、暴食は善悪の区別なく全てを喰い散らす。

 

 

「5年前、私は『暴食』を継いだ。私の前に暴食をやっていたお姉様は、自分の身を滅ぼそうとも手を止めない、欲に従順な人だったわ。だからこそ……『この力』がよくお似合いだった」

 

 

捕食者の記憶(プレデター)×空虚の記憶(エンプティ)

 

×禁忌の記憶(タブー)

 

 

キメラの全身に発現する異形。あらゆる悪感情を攪拌し、濁り切った混沌が縫い込まれた無数の『口』が、その身体と空間全体から出現する。

 

それらを束ねる圧倒的な闇こそが、先代『暴食』のメモリである禁忌の記憶(タブー)。裏世界で血色に輝く蠱惑的な力の奔流は、彼女が侵してきた倫理そのもの。人の業を見通す瞳が、ジョーカーを覗き込む。

 

与えられるのは凄惨な罰。赤い空から垂れる「食欲」を持った肉塊が、無限に降り注いだ。ドチャドチャと鼓膜に張り付くような音を鳴らし、流動的な肉塊は触れた存在を破壊して喰らう。

 

ジョーカーの姿が、血肉の世界の中に溶けて消えた。

 

 

 

「───あぁ、臭ぇな」

 

 

破裂する肉塊。生ける屍を見たキメラは鳴くように嗤う。

 

坩堝の底から這い出で、ジョーカーは吠えた。触れる者全てをズタズタに引き裂くような叫びを上げ、傷だらけのバリアを晒し、形を保てていない肉体で疾走する。

 

ざらついた吐息、滴り落ちる涎、向けられる食欲をその腕で掴んでは引き千切る。

 

 

「臭ぇんだよ……! 噎せ返っちまいそうな、ゲロ吐きたくなるような匂いだ。肉の匂い、酒の匂い、金の匂い、ヒトの匂い───臭くて仕方ねぇ。充満して、蒸れてんだよ、気色悪ぃんだよこの世界の全部が!!」

 

 

痛みと悪意だけが、彼の記憶だった。絶望の中で理性と思考は火花となって弾け飛び、少年の内側を本能だけが逆流する。

 

 

「旨そうに食ってんなぁ、テメェ。楽しそーにベラベラベラベラうっせぇんだよ!! その汚ぇ腹も舌も、テメェらの幸せってやつ全部ッ……! 磨り潰してやるよ、どろどろのぐっちゃぐちゃになァ!」

 

 

少年の人生は、不幸だった。

ただ、その不幸が彼を作ったのではない。少年は夥しい敵意を生まれ持った、往来の怪物。

 

物心ついた時から、

 

この世界は濁って汚く見えた。誰も信じられなかった。

見下す親気取りが憎い。近寄る全てが憎い。世界が憎い。

 

少年は生まれつき、自分の物語を憎んでいた。

 

 

「やっぱり……貴方と私は“同種”なのね。誰にも理解されない壊れた生物。世界に生まれるべきじゃなかった突然変異体。そう貴方は……肉親よりも深い縁で繋がれた、私の運命!」

 

「うっせぇつったよなゲボクズデブババア」

 

 

ジョーカーの前に存在する無数の異形たち。

 

キメラから伸びる触手を掴む。

舌の根を握り、引きずり出す。

邪な視線に詰め寄り、目玉を掘り返す。

その全てが泥になるまで、執拗に踏み躙る。

 

 

「舌噛み潰して死ねよ」

 

 

暴風雨の記憶(テンペスト)×爪の記憶(ネイル)

斬撃を伴う横向きの台風が、砲撃としてジョーカーを襲う。

 

 

「胃ぃ引き裂かれて死ねよ」

 

 

信じられない光景だ。ジョーカーは肉を削がれながら、ダメージに目もくれず前進する。狂っている。常軌を逸している。彼は、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「なぁ死ねよ。できるだけ不幸に死ね。テメェのゲロと糞に溺れて死ね。楽しかったこと全部忘れるくらい、嫌な形で苦しんで死ね!」

 

 

彼は他人の不幸の事しか考えていない。

その躍動に技や戦略は無い。視界に入った敵意に反応し、純粋な暴力を以て厭悪を発露するのみ。

 

殴られ、齧られ、傷ついても体を微塵も止めない。その眼に恐怖が映っていない。暴食の悪意を猛追し、肉迫する。能力の掛け合わせで向けられる殺意を両手で切り裂いて、遂にその腕が──キメラの首を掴んだ。

 

 

「死ねッッ!!!」

 

 

裏世界の大地に叩きつけられるキメラの体躯。血肉で作られた脆い地盤は易々と砕け、溶けて崩壊し、2体のドーパントは流体となった地面に沈降する。

 

ジョーカーは血に塗れ、溺れながらもさらに深くへとキメラを沈めようとする。底無しの敵意は裏世界の次元を突破し、地面の境目を突き破って通常の世界に到達した。

 

 

「───ぁっ!!」

 

 

墜落するキメラ。そしてジョーカー。

座標は大幅にずれて、音ノ木坂から離れたどこかの河川。握りつぶされた喉で呼吸を試みるキメラ。顔を上げた瞬間、見たのは立ち上がって迫っていたジョーカーの姿。

 

その時、彼女は恐怖を自覚した。伸ばされる腕、決して絶えることのない憎悪。振り上げる爪刃、揺るがない殺意。彼はきっと地獄の果てまで追いかけて彼女を殺す。

 

これが彼の生まれ持った性質。

叛逆の意志に愛された、名もなき少年の正体だ。

 

 

「あぁ、残念───もう少し貴方を味わっていたかった」

 

 

その執念はいずれ彼女を殺しただろう。

ただ、彼には『理性』が無かった。故に、殺意より先に途切れたのは『体力』。

 

ジョーカー・ドーパントはキメラを眼前にして、声も出せない程に力尽きていた。

 

 

「貴方を今すぐに食べてしまいたい。でも……悲しいわね、貴方はオリジンメモリの適合者。殺してしまうと、全ては無意味に帰してしまう。だから……」

 

 

キメラが触れたことで、ジョーカーの体が薄れていく。

彼女が発動させた能力は『抹消の記憶(デリート)』。

 

彼をこの世界から追放する能力だ。

 

 

「さようなら愛しき私の同胞。私が全てを手に入れた後、最後の晩餐にまた会いましょう」

 

 

彼の『存在』が断絶された。

河川の流れの中心に佇むのは、ただ1体の異形の怪物。

 

 

「───ごちそうさまでした」

 

 

____________

 

 

「ほのかちゃん……よかった、起きられるようになったんだぁ」

 

「うん! 風邪だからプリン3個食べていいって!」

 

 

ライブ中に高熱を出し、倒れた穂乃果。

その結果として足を捻挫したものの、体調は順調に回復。既に様子は平時と変わらず、見舞いに来たことり、海未、そして3年生の3人も胸をなでおろす。

 

 

「今回はごめんね……せっかく最高のライブになりそうだったのに……」

 

 

穂乃果が倒れた理由は明白、過労だ。

過密なスケジュールに加えて、彼女は明らかに根を詰め過ぎていた。体調管理ができていなかったのは間違いなく穂乃果の落ち度だが、気付けなかったメンバー全員に余裕がなかったのも事実。あの場で倒れていたのが誰でもおかしくはなかった。

 

 

「穂乃果のせいじゃないわ。気付けなかった私たち全員の責任」

 

「あんまり気にしとると、どっかの騎士さんが腹切っちゃうかもしれんし」

 

「実際、瞬樹が『コーチの責任だ、切腹する!』とか言って大変だったんだから。うるさいから1年がいま暴れる瞬樹を止めてるわ」

 

「あはは……悪いことしちゃったなー、あと永斗君にも謝っとかないと……」

 

 

3年生たちの言葉を聞いて、いつものように自然に吐いた台詞。

そこで、穂乃果の声が止まった。今なにかがおかしかった。まるで、何かを大きなものを忘れてしまっているような。

 

 

「……穂乃果、話があります」

 

 

海未が、今話すべき本題を、重い声色で切り出した。

予感がした。大事なものが瓦解する予感が。だが、その背筋を刺す冷たい予感の正体は───

 

 

「μ'sはラブライブに出場しません。理事長に警告され、時間も無かった。だから意識の戻らない穂乃果を除く───私たち8人と瞬樹と永斗、1()0()()()()で決めたことです」

 

 

知らないうちに夢が崩れていた、その喪失の中に確かに感じる、途轍もなく大きな違和感。でもそれに名前を付けることができない。

 

絶望で脚を止める思考は、その結論に至らない。

この場の誰もがそれを知覚していない。覚えていない。

この話の中に存在しない『誰か』のことに気付けない。

 

ただ、その目の前の現実が重く穂乃果の背中に圧し掛かり、違和感は忘却の底に沈んでいく。

 

 

───その日、『切風アラシ』が世界から消失した。

 

 

 




待ってたんですよ……風都探偵でジョーカー・ドーパントが出るのを!
もちろん嘘です。ジョーカーの登場は完全に偶然の事故です。

今回はキメラの能力として、夏夜月怪像さん考案の「アナコンダ・ドーパント」、MrKINGDAMさん考案の「ヘカトンケイル・ドーパント」、τ素子さん考案の「ガーデン・ドーパント」、SOURさん考案の「ルーム・ドーパント」を少し変えた「クリエイト・ドーパント」を採用させていただきました!

かくして少年は、己という存在を思い出す。理由のない純粋な、生まれついての「敵意」。それが彼の正体です。彼もまたラブライブの世界にはいてはいけない存在でした。

その名前が世界から消え、μ'sは夢を失い……
残されたのは生まれついての「食欲」と、探偵の片割れ。
次回はなるべく早くお届けしたいです。

感想、高評価、アドバイス、オリジナルドーパント案ありましたらお願いします!


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