Deathberry and Deathgame Re:turns   作:目の熊

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お読みいただきありがとうございます。

四十二話です。

前半はキリト視点、後半は一護視点です。

キリト視点では小難しい説明が続きますが、ご容赦ください。
一応一つめの"◆"までは読み飛ばしても、ある程度繋がるように書いております。

よろしくお願い致します。



Episode 42. X-Over -to last-

<Kirito>

 

「うーむ…………」

 

 決勝前日の昼過ぎ、俺は新生アインクラッド二十二層にあるプレイヤーホームの中で、独り思案に耽っていた。

 

 闘技場近辺は部分的アップデートが入る関係で立ち入り禁止となっているが、それ以外の場所であれば通常通りに行動することが出来る。いつもの調子なら、目下絶賛攻略中である三十層の迷宮区へと向かっていたところなのだが、生憎と今日はそんな気分ではない。

 

 俺の頭を悩ませているのは勿論、昨日の準決勝第二試合の終盤で起きた事。ユウキ対サクヤの戦いで遭遇したユウキの超絶的強化が如何にして行われたか、ということだった。

 

 決勝を明日に控えた今日、敗退してしまった俺が悩んでなにか変えられるわけでもないし、知った真実が制止すべきものであったところで止められる気もしない。

 それでも、あのかつての死神代行の全盛を彷彿とさせる程の立ち振る舞いの謎を放置することは、一人のゲーマーとして、将来VR技術に携わろうと志す者として、そしてそれ以上にユウキと一護の友人として、鈍感を決め込むことはどうしても出来ず、今日は朝からこのログハウスに籠って調べものを続けている。

 

 ユイもそれに助力してくれて、先ほどまでネット回線を通じて俺が求める情報を適宜要約して報告してくれていた。粗方欲しい情報が集まった今は、流石に疲れたのか、揺り椅子に腰かける俺の膝の上で丸くなって眠っている。

 アスナも先ほどまでは一緒にいたのだが、ユウキとその主治医に連絡を取ってみると言い十分ほど前にログアウトしている。外野の俺が下手に推測するより、当事者に訊くのが一番確実だ。アスナからの問いかけに答えが返ってくれば、俺の調査は全て無意味とあっさり放棄も出来るのだが……。

 

 自分を半円状に取り囲むホログラムウィンドウの群れを整理しつつ、これまで得た情報をまとめていると、部屋の隅で青白い光が瞬いた。いつもの治癒術士のコスチュームではなく、ゆったりした部屋着姿のアスナが現れ、少し安堵した表情を俺に向けてきた。

 

「ユウキから返事があったよ。『今日は面会謝絶になっちゃったけど、明日の決勝には出られそうだから心配しないで。終わったら、ちゃんと全部話すから』……だって」

「とりあえず、最悪の予想だけは避けられたな。主治医の人からは何かなかったのか?」

「ううん。倉橋先生からは、まだ何も」

「そっか……まあ、とりあえずこれで、ユウキの置かれている状況は何となく推測できるな」

 

 『面会謝絶』『終わったら、ちゃんと全部話す』

 

 この文言と主治医からのレスポンスが無い点を踏まえると、やはりユウキが行使した『手段』はあまり褒められたものではなかった、ということになる。

 

 しかし、ユウキ本人が『明日の決勝には出られそう』と言えるだけの状態にある点から、危機的状況が差し迫っているというわけでもない。おそらく現在、ユウキは主治医を面談して、「あと一回だけ、あの『手段』を使って戦わせてほしい」と頼んでいる状況だろう。

 

 詳しい病状を俺が訊いても、そこから何かを判断するのは難しい。だが脳の機能とVRマシンの相互関係に関してはそれなり以上に勉強してきたつもりだ。

 衰弱しているはずのユウキが何故最後にあのような闘いを成し得たのか、彼女の仲間として、俺たちはそれを理解した上で最後の試合を見届けるべきだと強く思っていた。

 

 アスナが俺の向かいのソファーに腰を落ち着け、常備しているハーブティーを一口飲んだのを見てから、俺はこれまでの調査で解ったことを説明し始めた。

 

「ひとまず、現状の疑問点は大きく分けて四つだ。

 一つ、ユウキに超人的強化をもたらした強力な電気信号はどのようにして発生したのか。

 二つ、ユウキ自身の知覚能力の向上の原因は何か。

 三つ、上記二点は果たしてユウキの自己意識によって意図的に引き起こせるものなのか」

「……そして最後に、それら全てが可能だとしても、どうしてユウキが意識を失わずに戦っていられたのか、ってことだね」

「ああ。特に疑問なのが三つ目と四つ目だ。前二つに関しては、個々で理屈を付けて説明することは可能だと思う。人体構造とメディキュボイドのスペック上無理のない範囲で可能だってことは、今日散々調べた結果分かってきたからな。いくつか可能性はあるんだけど、一番妥当な気がするのは、何らかの方法を用いて小脳を活性化させることだと思う」

「しょ、小脳……?」

「ああ。ユイが精神論ではどうにもならないと判断した点から、とりあえず通常の大脳皮質の活性じゃないってことは確かだ。けど、大脳基底核の認知機能や大脳辺緑系の情動作用を活性化させたところでVR空間内の動きが良くなるとも思えないし、脳全体に占める神経細胞の割合や機能的にもその可能性が一番高いかなって……アスナ、どうしたんだ? ピナのバブルブレス食らったMobみたいな顔して」

 

 俺の大層失礼な比喩にツッコミをいれる余裕さえないらしいアスナは、ひきつった笑みを浮かべながら、一言。

 

「え、えっと……ごめんなさい、キリトくん。私、脳の機能とか、あんまり知らなくて……小脳って、なんだっけ?」

「いやいや、生物の授業でやっただろ? 人間の脳の構造と機能」

「うん……でも、大脳とか右脳とか左脳くらいしか覚えてなくて……っていうか、脳の詳細な機能なんて、専門で授業取ってないとやらないよー」

「……そっか。じゃあ、そこから説明していこうか」

「なんか、その……ごめんね」

「いや、いいんだけどさ」

 

 出鼻をくじかれた形になり、ちょっと話の勢いが減速したのを自覚しながら、俺は手近にあったホロウィンドウに脳の断面図のイラストを展開し、アスナから見える位置に移動させた。

 

「うっほん、では講義を始めよう。まず、人間の脳は大きく大脳、小脳、脳幹の三つの部位に区分できる。形としては、大脳が脳幹をすっぽり覆う形になっていて、その大脳の下部分に小脳が食い込んでる、みたいな感じだな」

「あ、このイラストは見たことある気がする」

「そりゃそうだ、アスナも使ってる参考書から引っ張ってきたんだから」

「…………べ、勉強しまーす」

 

 そう言って、アスナはバツが悪そうに首を竦める。本当に俺より一歳上の秀才エリートお嬢様なのかと思ってしまうが、まあ人間の脳構造を平素から頭に入れている高校生なんて、相当成績優秀か、あるいはただの変人かの二択でしかない。客観的に見て俺がどちらに含まれるのかは……推して知るべし、だ。

 

「で、ここで一つ問題。VR世界で『意志の力』と言われる力、これは一体どの部位から発生するものでしょーか?」

「え、えっと……大脳?」

「正解。より正確に言うのなら大脳の中の大脳皮質って部分だ。

 VR空間にダイブするためのマシンインターフェースは総じて脳全体から電気信号を読み取っているんだけど、その中で唯一、人間が自分の意識一つで自己活性化させることができる部位が、この大脳皮質なんだ。如何にしてこの大脳皮質を自らの意志で活性化させ、発せられる電気信号の強度を高めるか。この技術を『意志の力』と呼んでいるというわけさ」

「成る程……でもユイちゃんは『精神論ではどうにもならない』っていう言い方をしてたよね? それってつまり、大脳皮質だけじゃ発生させることができないレベルの電気信号が起きてた、ってことになるの?」

「そういうこと。で、それで考えた結果に辿り着いたのが、小脳だ」

 

 俺は脳の断面図のイラストを再度示し、その下段部分を拡大して見せた。

 

「小脳っていうのは大脳皮質と違って、人間が自分の意識だけで活性化することはできない。五感のいずれかを通じた、何らかの外部刺激で活性化する構造になっているんだ。

 主なはたらきは知覚と運動機能の調整と統合。例えば……俺たちが自転車に乗るとき、なにも考えなくても運転できるだろ? 身体全体でバランスとって、足でベダルを回転させて、両手のハンドルで進行方向を決めて、障害物が無いか視界で判断して、物陰から何か来てないかを聴覚で探る……パッと思いつくだけでもこれだけ複雑な動きをしなきゃいけないのに、全くの無意識でも乗れている。

 与えられた複雑な動きに対し、最適なパターンを構築して無意識でも出来るようにする……つまり「モーションの自動化システム」を可能にしているんだ。さらに言えば、身体の各部位の位置、運動状態、身体にかかる抵抗の把握、重力感知も担っている。俺たち人間が複雑な運動をこなせるのは全て、この小脳のおかげだな」

 

 そして、この小脳の活性化はそのまま、運動感覚の劇的な向上に繋がる。

 

 運動感覚の向上と行動の最適自動化。これら二つが急激に促進された場合、早い話が「何も考えなくても最適な行動がとれる」範囲が一気に拡大すると考えられるのだ。

 

 相手の剣が迫ってきたら防御か回避。

 相手の身体が露出したら攻撃。

 

 この単純なアルゴリズムを小脳が自動で最適化し、かつそれに耐えうる運動感覚を手に入れたことで成しうる戦闘行動の()()()()

 

 これこそが、ユウキの知覚能力の急上昇の原因だと俺は考えている。

 

「あくまで可能性の話だし、脳のはたらきがアバターの動きに直結する仮想世界に限定しての仮説、だけどな。

 それに小脳の神経細胞数は1000億個、対して大脳皮質は140億個だ。小脳を完全に活性化できれば、発生する電気信号の総量も大脳皮質のそれとは比較にならないレベルに到達するだろう」

「そんな……そんなこと、ユウキはどうやって……」

「……問題なのは、そこなんだ」

 

 そう、この仮説で最大の問題はその一点。ユウキがこんな芸当をどのようにして行っているのか、ということだ。

 

 小脳は人間の無意識や生物学的な自然感情に結びついており、意識や人間的感情や理屈で活性化することはできない。その無意識の発現を促す外部からの刺激がない限り、完全活性化したとは考えられない。

 

 百歩譲って何らかの方法による「自己意識だけで可能な小脳活性化」があったとして、それをユウキが自覚している可能性が果たしてどれだけあるのだろうか。

 

 加えて、意識と思考を司る大脳皮質と異なり、小脳の機能系統は運動制御。身体へのフィードバックも大脳皮質活性のそれとは比較にならないはず。

 

 自分の意志だけで仮想の身体能力を劇的に引き上げる。

 

 見せかけだけなら簡単なことなのだ。

 

 今まで本気を出していなくて、あの瞬間だけ本気を出した。そう考えてしまえば、これまでの小難しい考察のほとんどを覆せる。

 ただ一点、人体ではありえない電気信号強度という疑問点が残るが、そんなもの個人差があるだろうと言われてしまえば「ユウキはそんな器用な性格じゃない」という感情論でしか反論できない。

 

 ……しかし、だからと言って考えることを諦めてはいけないと思った。

 

 ここで自分たちの中での考察を打ち切ることは、ユウキに対する俺たちの信頼、それの否定に他ならないような気がした。

 

 感情で現実を否定するなんて非常にみっともない真似だとは思う。だがここで諦めてしまっては……。

 

 

 ……感情で、現実を否定する?

 

 

 待てよ。

 

「……アスナ、ユウキは確か今月に一度、強制回線切断で落ちてるんだったよな? その原因は何だった?」

「え? えっと、ユウキが言うには、季節の変わり目で元々体が弱ってて、その状態で感情が高ぶったショックから来る血流不足で、メディキュボイドの機能で強制的に回線を切られたって……何をしていてそうなっちゃったかまでは訊けなかったけど……」

「感情が高ぶって、血流が不足。それによる回線切断……まさか!」

 

 あったはずだ。

 

 見てきた資料の中に一つ、それが脳の活性化に繋がる、いや繋がってしまう現象が。

 

 ホロウィンドウの中に羅列される文章を全力でスクロールして、目当てのページはニュージーランドニュースサイト。英文が並ぶその中から記事を探し出し、読み込み、さらに既存の資料と照らし合わせる。

 

 間違いない、けれどこの予感は違っていてほしい、そんな相反した感覚を抱きながら調べること数分……俺の中で、一つの、最悪の結論が導き出された。

 

「……ど、どうしたの? キリトくん、怖い顔して……」

「アスナ。ユウキが専門知識を持っていなくても引き起こせる脳の活性化方法が、一つだけある。人体での証明が完全になされていない以上、仮説の上での仮説でしかないが……」

「それは……?]

 

 

 

「ユウキの脳を活性化させている原因は、おそらく……()()()()()だ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 走馬灯。

 

 人間が死の直前に視るとされる、人生全てを圧縮したかのようなフラッシュバック。

 あるいは、ベッドから体が浮き上がったり、宙を飛んでいるかのような体感。

 

 臨死体験をしてきた人たちによって語られてきたこの現象だが、近年それが生物学的に証明可能なものとされてきている。

 脳波計測から死を意識した脳が活性化を引き起こすことが判明。ラットによる生物実験の結果、その脳波強度は通常時の八倍。活性部位は実験ごとに異なり、後頭葉視覚野だったり、前頭葉だったりと様々だが、そのいずれも「原因は脳へ供給される酸素と血糖の不足」となっていた。

 

 つまり、精神的ショックで回線切断を引き起こしかねないユウキが取った行動――それは「感情のリミッターを外すことによる急速な血流減少」だったと考えられるのだ。

 ユウキは自分の感情を隠すことはしない。だが、その感情の大きさをある程度セーブしていたのではないだろうか。下手をしたら、その感情の高ぶりだけで回線がきれてしまうがために。

 

 おそらくユウキが取った行動はこうだ。

 

 まず、武器解放を行うことで運動神経による負荷を、次いで自分の中でセーブしていた感情の抑制を止めることで精神的な負荷を、それぞれ現実の身体に与える。

 

 精神的負荷で血流が低下し、その代償によってユウキの小脳が活性化。劇的な運動制御能力を得る。

 同時に運動的負荷が一気にのしかかるが、衰弱しきった身体が突如として重大な危険を感じた場合、いわゆる「火事場の馬鹿力」によって体機能は一時的に通常時よりも頑丈になる。

 

 自分で自分の身体を傷つけないようにと生物の本能で抑え込まれているそれがユウキの身体を支え、ほんの数分だけ、ユウキの限界を越えた仮想空間での戦闘に耐えうるだけの頑強性を持ったとしたらどうだ。

 

 見た目だけは、通常時よりも遥かに高い水準のスペックを持ち。

 

 しかしその代償として、身体に「死を意識させる」レベルの負荷をかけ続け。

 

 終了すれば、限界を越えた代償として相応に身体を摩耗する。

 

 ユウキはデュエル終了時、ウィンドウを開く動作をした後すぐにその場から消えていった。あれはおそらくこれを分かっていたためだろう。

 

 武器解放が切れ、運動的負荷が消えれば、現実の肉体を支えていた「火事場の馬鹿力」も消え、残るのは感情抑制を放棄したことによる重大な血流不足。

 今までは限界を越えたことによる体機能強化で少ない血流でも耐えていた身体の各臓器が悲鳴を上げ、メディキュボイドはユウキに強制回線切断を強いるだろう。それを衆目に晒さないために、ユウキはあの場ですぐに自己ログアウトによる退場、などという真似をしたのだ。

 

 そして、ユウキはこの理屈を理解していなくとも、代償については理解しているはずだ。

 

 にも関わらず、こんな無茶をしたのは何故か?

 

 サクヤに勝ちたかった? それは確かだろう。

 

 だが、決勝に出ることを望み、それをアスナにちゃんと伝えている以上、最大の動機はただ一つ。

 

 

 ……一護と戦いたい。

 

 

 ただその一心なのだ。

 

 それはおそらく、色々なものを諦めて、それでも尚生き続けたユウキにとって最大級の願いであるはずだ。末期と呼ばれる身を逆に利用し、自分の限界を越えてまで、たかがゲームで数分間戦いたい。

 

 ただ一人だけ、ただ一人の男との、数分間の一試合のために。

 

 命を危険に晒して挑むその意志からは、恋愛の情、家族の情とは別種の強い感情を感じられた。あらゆるデメリット、リスクを承知し、しかしその先、一護と戦うことで手に入れられる何かを求める。それの是非を推し量ることは、本人以外の誰にも出来やしない。残り少ないこの世界での日々をどう生きようが彼女の自由と突き放すことも、そんなものに命を賭けるなんてやはり子供だと嘲笑うことも。

 

 俺から推測を聞いたアスナは「そんな……ユウキ……」とその場で呆然としてしまっている。そんな彼女をなぐさめる余裕もなく、俺はメール画面を展開し、完成した仮説をホロキーボードに叩きつけ始めた。

 

 送り先は決まっている。一護だ。

 

 ユウキが次にログインする地点はおそらく闘技場控室。入室制限を「参加プレイヤーのみ」にされたら、他のプレイヤーは接触できない。よって、ユウキを制止できる権利を持っているのは主治医の先生と、実際に舞台で相対するアイツだけになる。俺が打ち立てた仮説が当たっていようがてんで的外れだろうが、不戦も会戦も一護次第。そして、敗者たる俺にそれをどうこうできる力は、ない。

 

 ……だからと言って、黙ってなんていられるか。

 

 ユウキはこれ程の覚悟を持っているかもしれない。その可能性を知らず、ただ大会だからという理由でユウキと戦うなど、絶対にさせない。仲間を護ろうとする一護に、仲間が命を削って挑む光景を、単なる一試合で終わらせるなんてできるものか。

 

「……いくら鈍いからって言っても、ユウキやアスナを泣かせるようなマネしたら、社会的に抹殺してやるからな……死神代行……!」

 

 誰にともなく、俺はそう呟いてた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

<Ichigo>

 

 ガキの頃から、幽霊は当たり前に視えていた。

 

 人の生き死にの境界さえ分かんなくなるぐらいに当たり前で、人間ならそれは尚更。だからウチに来て元気になって帰っていく患者も、悪化してデカい病院に入る患者も、当時の俺から見れば何も変わりやしなかった。

 

 腕がなかろうが目が見えなかろうが、人は人。

 

 生きてても死んでても、人は人。

 

 死神になって色んな連中と会ってきても、そのヘンの境目は未だによく解らないまんまだ。ただ居る世界が違うだけで、現世にいようが尸魂界にいようが、人間だろうが魂魄だろうが死神だろうが、皆そこで「生きて」るんじゃねーのか。そう思うことが、偶にある。

 

 今いる場所から視える景色。その中のほとんどは人間で、ほんの二、三体の整が混じってるのが感じられる。空座町を横ぎる大きな河。賑わう土手のグラウンド。それに隣接する遊園地の観覧車。死神化した俺は、その上空に突っ立って眼下をただジッと眺めていた。

 随分昔にも、こうやってこの場所から何かを眺めていたような感じがする。何をしたくてそうしてたのかはサッパリ忘れちまったけど、なんかゴチャゴチャしてて分かんなくなった時、こうやって高いところにいるとそれがハッキリする……そんなことを言った奴が、遠い昔にいた気がした。そしてそれは多分、今の俺にも必要なことのような気がしていた。

 

 

 ALOの決勝前日、昼過ぎになって、キリトから長文のメールが送られてきた。

 

 中身はユウキが昨日のサクヤとの戦いで使った超強化に関する仮説と、その参考資料。相当急いで書いたのか、段落も改行もないその長文の末尾には、

 

『ユウキは必ず決勝に現れる。そして戦うはずだ。おそらく自分がどうなろうと、自分の全てを賭けて。

 敗けるなよ、一護。もしも敗けたら、俺はお前を許さない』

 

「……お節介な奴だな。おめーに言われなくても、()()からそのつもりだ」

 

 口で、声に出してそう言ってみる。が、胸の中に渦巻いている煙のような感覚は消えない。いつもならイライラしてるはずなのに、舌打ちの一つだって出てきやしない。それを晴らすために、こうやって死神化して外に出てきたのに。

 

 ユウキの病状は、この前アスナ経由で訊かされた。

 

 ……そんでキリトの推測も、当たってるような気がする。

 

 でもそれで本当に命が削れるかと言われると、どうとも言えねえ。ユウキが発症してる合併症はサイトメガロウィルス網膜炎による失明、非定型抗酸菌症由来のリンパ節腫大と体重減少、それからHIV自体が原因の脳症だ。

 

 AIDS末期ってのは、誰がどう足掻いても覆らない。

 

 普通に安静にしてたとしても、抗酸菌が肝臓か脾臓を腫大させるか、それともCMVが肺を潰すかした時点で、確実に内臓機能はやられる。

 人工臓器にも限度がある以上、今身体に気を遣ってどうこうしようがしまいが、余命に然したる違いはない。この前石田の親父さんと会ったとき、そんな冷徹な話をされたことを思い出す。

 

「……クソッ」

 

 悪態を吐き、髪を乱雑に引っ掻き回す。色んな感情が俺の中でせめぎ合い、一つの形を成せないままでいる今がどうしようもなくイヤだったし、それ以上にユウキに明確な想いを持ってやれない自分がイヤだった。

 

 たかがゲームに命削ってんな、という怒り。

 

 そこまでして戦いてえのかよ、という驚き。

 

 確実にリミットが迫っている、という哀切。

 

 ……そして、そのユウキと本当に戦うべきなのかを、女々しく迷う自分への苛立ち。

 

 分かってるハズなんだ。

 

 どうこう迷ったって、ユウキが戦いたいと本気の本気で願ってる。その事実を考えりゃ、俺も全力で応えてやるしかねえんだ。詩乃にも「最後までちゃんと見守って」って言われて頷いたはずだ。それが一番いいはずなんだ。

 

 なのに。

 

 護ってきたはずの仲間が、俺との戦いのために命を削っているというその事実が、最後の一歩を踏み出せない重石になっていた。かつて俺自身もやったはずの無茶な命賭け。それを仲間から自分に向けられる初めての感覚は、思っていた以上に俺の中身をかき乱していた。

 

「……なにやってンだよ、俺は」

「全くだ。こんなところで何をしているのだ、貴様は」

 

 独り言に返事が返ってきた。

 

 誰だだのいつの間にだの騒ぐ気もしねーし、そのつもりもない。同じく死覇装姿のルキアが、俺の横に立っていた。

 

「よう、何か用か」

「今言ったはずだ。虚の一体も出ておらんのに死神化して上空に突っ立っている阿呆がいれば、誰だって気に留めるだろう」

「そうかよ」

「……全く。何があった」

「別に。なンもねーよ」

 

 軽口はそれ以上続かなかった。どの面提げて言うつもりだ貴様は、とか言われると思ってたのに、ルキアはそのまま黙って前を見続けていた。俺も自分から打ち明ける気もせず、ただ黙って立っていた。

 

 ……と、ふと思いついたことがあった。

 

「なあ、ルキア」

「なんだ」

「お前さ、尸魂界に捕まった後、俺が助けに行ってお前の前に来たとき、正直なトコ、どう思った?」

「……どう、とは?」

「別に今更恩着せるつもりはねーし、感謝の言葉なんざ要りゃしねえんだ。ただ、『来るな』って言ったはずの俺が手前を助けに来た時、本当のトコはどんなことを感じたのか、なんとなく気になってな」

「あの時最初に言ったぞ、『莫迦者』と。それで全部だ。隠すことなどありはせん」

「……そうかよ」

 

 あの時、懺罪宮の前で見たあの顔が俺の脳裏に蘇り、それで納得した。程度と中身は違えど、今の俺とそう大差ない。感情の収拾がつかない顔つきだ。

 

 その俺の横で、ルキアが黒髪を揺らして盛大なため息を吐いた。

 

「成る程な。貴様が何故このような場所にいるのか、今の問いでだいたい解ったぞ」

「嘘つけ。ンなので解られてたまるかっつの」

「ふっ、貴様の表情は解りやすいことこの上ないからな。その顔とあのような突発的質問で未だ悟られぬと思っていたのなら、私を侮り過ぎだ、小僧」

「……百五十越えは伊達じゃねーってか」

「喧しい。女の前で年の話をするな、気が利かん奴だな」

「おめーが先に話フッたんじゃねえかよ」

「煩い。黙って聞け」

 

 話を打ち切ったルキアがこっちを見上げるのが視界の端で見え、俺もそれに合わせて視線を合わせる。副隊長になった時に短く切ったらしい髪は再び伸び、元の長さも越えている。その下から覗く双眸は、相変わらず静かだった。

 

「私が尸魂界に連行される少し前、貴様はグランドフィッシャーと戦ったな」

「……あァ、覚えてる。それが何だよ」

「あの時お前は、何のために戦っていた? 母のためか? 家族のためか? ……違うだろう。己の自責の念、それを晴らすために刃を振るっていた。違うか? これは俺の戦いだ。そう私に言い、手は出さぬよう頼んだのだから。つまるところ、アレは死神になって初めて、お前が自分自身の為に戦った戦いだったのだ」

「………………」

 

 答えない俺に構わず、ルキアは続ける。

 

「それが間違っている、等と言うつもりはない。だがよく考えろ、そして思い出せ。貴様が賭けた命は軽くなどなかった。しかしそれと同じくらいに護りたいものが己の中に在ったはずだ。

 良いか、一護。戦いには二つあり、我々は戦いの中に身を置く限り、常にそれを見極め続けなければならない。

 

 命を守るための戦いと。

 

 誇りを守るための戦いと。

 

 この世に大切でない命など一つとして存在せぬ。そして同時に、この世で一番大切なものが命とは限らないということもまた真実。

 護るための力がお前の全てで、お前の前に立つ誰かが命以外の『何か』を大切にしていたのなら、お前も一緒になってそれを護ってやれば良い。他の誰が嘲笑おうとも、ただ胸を張って護り抜け。私の(なか)に居る貴様は……いや、私()()(なか)に居る貴様は、そういう男だ」

 

 言いたいのはそれだけだ、私はもう帰るぞ。そう言ってルキアは踵を返した。

 

 あァ、とだけそれに返し、俺はまだ前を見たまま立ち続ける。ルキアがそのまま瞬歩で消え、遥か遠くに去っていくのを感じてから、思いっきり息を吸い、特大のため息を吐いた。

 

「……ちぇっ。うるせえんだよ、ホントに」

 

 まだアイツが残っていたら、助言してやったのに何だその言い草は、とか言われそうな愚痴を吐きつつ、もう一度眼下に広がる街並みを見渡す。そこで生きているのは、九割九分の人間と、ほんの少しの幽霊。向いている方向は違っても、全員同じようにそこに居て、同じように生きていた。

 

 ……まだ、スッキリはしてねえ。

 

 怒りも何も、色んな感情は確かにまだ俺の中に在る。でもやることは決まった。元々最初からそれしか選択肢はなかったんだが、それでも今、全力を賭して挑む覚悟が心の底から決まった。

 

 

 ユウキを、倒す。

 

 

 ユウキの中に在る命以上の「何か」に応えるために、希望通りに剣を合わせてその真意を分かち合って、その上で思いっきりブッ飛ばしてやる。

 

 だが、今のままじゃ、おそらく俺はアイツに負ける。

 

 縮地、いや瞬歩に迫るスピード。ユウキ自身の能力向上。そんで俺に戦いを挑む気概。どこにもスキはねえ。強いて言えば太刀筋が素直すぎるトコぐらいだが、あってないようなモンだ。

 でも勝たなきゃいけねえ以上、最低でも同じ土俵に立てるだけの性能は手に入れる必要がある。幸いそのアテは俺が家を出る直前、アルゴからの連絡で掴めていた。

 

 

 俺がユウキに勝てる唯一の可能性。

 

 

 ただし、その代償として――俺は仮想の斬魄刀《天鎖斬月》に、別れを告げることになる。

 

 

 

 

 




感想やご指摘等頂けますと、筆者が欣喜雀躍狂喜乱舞致します。
非ログインユーザー様も大歓迎です。

脳の機能云々と走馬灯現象に関する研究は、一応リアルで調べた情報を元にしています。
分かりにくかったらすみません。

次回は決勝戦です。

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