AQUA ~その水と出遭いの惑星で~   作:ノナノナ

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Serenata3 その篝火と集う妖精は

 月明りのお陰で、夜道はそれほど暗くない。

 川辺までの道筋。広がる田圃からカエルの合唱が聞こえる。

 どんな水の妖精なんだろう。

 アイはまだ見ぬゴンドリエを想った。イワレビコと呼ばれる舟乗りたち。小舟を操る職業は自分たちのような水先案内人(ウンディーネ)や渡し守(トラゲット)、郵便配達人ぐらいしか知らない。それもネオ・ヴェネツィアの中だけだ。

 自分たち以外にも、ネオ・ヴェネツィアの外でも、ウンディーネのような水の妖精とよばれる人々がいる。

 聞けば鵜飼いは、それこそ二千年以上も昔から行われていたらしい。それはゴンドラよりも、それこそマンホームのヴェネツィアよりも古い歴史。

 「ユニペディアの検索では、地球時代の日本のギフという地方で行われていた伝統漁法だとあります。なんと二十二世紀まで国家公務員だったそうですよ。鵜匠と呼ばれ、おもに男性の職業だったようです。女性が行うようになったのはAQUAにおいてから。その辺はウンディーネと一緒ですね」

 モバイルを操りアーニャが解説する。アーニャもあずさも好奇心で一杯の様子。

 アイはマンホームからやって来た日本人だが、そんな歴史は知らなかった。そして望海も。アイや望海はマンホームでなく異星(AQUA)で自分が知らない日本の事を聞いている。それは何だか不思議な気分。

 雨上がりで大気中の塵が払われ、空気が澄み切っている。

 くっきりとスカイラインを刻む紺色の山並み。月の光に青く浮かんだ千切れ雲。その雲の切れ間から、二つの月と、砂子を散りばめたような星空がのぞいている。

 雲間から見える天の川に、四人は息をのんだ。

 宇宙が、見える。

 大昔のマンホームでは普通に見られたという風景だが、望海にとっては初めてだった。なにしろ月明りと星しか明かりが無いという夜に経験が無い。アイたち三人にとっても同じだった。建物がひしめく都会のネオ・ヴェネツィアではなかなか見られない星の密度だ。

 師匠である灯里や藍華、アリスたちが、自分たちと同じ年頃だったときにグランマの家で見たという星空もきっとこんなだったのだろう。

 

 がわがわと水の流れる音がしてきた。

 葦の茂みを抜けると川に出る。

 幅は一五〇メートルほどもあろうか。両岸の河原も含めるともっと大きい。

 ネオ・ヴェネツィアにも水の流れはあるが、ここの流れは速い。カナル・グランデはいわば内海の続きでたゆたゆとした動きだがこれはまるで渓流だ。水が平地を滝のように流れている。

 そんな流れの中に、火が幾つか見える。

 ゴンドラよりも細身なシルエット。舳先から川面に突き出た鉄籠で、薪を燃やしている。茜色の明かりに、黒い鳥影と舟に立つ女性の姿が浮かんでいる。舟は六艘ばかりか、おのおのに二名が乗り込んでいる。

 ひとりが櫂で舟を操りながら、時々櫂で船胴を叩いたり「ほーい」と聞こえる声を上げ、もう一人は舟縁に飛び上がって来る鳥の世話をしている様子。ちょうどプリマとシングルのようだ。それなら立っているのがイワレビコ、しゃがんだ方がワカタケヌか。

 二人の服はそれぞれ違い、どちらもネオ・ヴェネツィアでは見たことのない衣装だ。灯里先輩から聞いた、神社の巫女さんという女性の姿に似ているが、もっと精悍な感じ。

 「イワレビコの服装は『狩衣』といい、ワカタケヌの方は『水干』といいます。どちらも中世の日本で使われていた装束ですね。巫女というより白拍子の姿に近いようです」

 とアーニャがモバイル片手に説明。

 「制服が違うんだ」

 アイが呟く。水先案内業界は会社ごとに制服は違うが白を基調とした同じようなデザイン。会社の中ではプリマも半人前も同じ制服を身に着ける。呼び名も同じくウンディーネ。違いは手袋が有る無しだけだ。

 「でも、漕ぎにくそう」

 あずさの言う通り、どちらも袖が袋をぶら下げているように大きい。あれでは操船のときに邪魔にならないだろうか。

 「そうでもありません。脇を見てみなさいな。両サイド丸開きです。それに袖口には紐が通っていて窄めることも出来る様ですよ。袴という穿きものも、いわばたっぷりしたキュロットのようなもので、いくらスリットが入っているとはいえ裾が長く細身なウンディーネの制服より動きの自由度は高そうです」

 烏帽子と呼ばれる帽子を被るが、それも衣装と同様にイワレビコとワカタケヌは違った。イワレビコはすっくと立った立烏帽子、ワカタケヌのほうは折り畳んだような折烏帽子だ。ウンディーネが被るものより大きく、とくにイワレビコのものは大仰だが薄い材質で出来ているらしく光が透けて見える。見かけよりずっと軽いものなのだろう。

 そんないで立ちで舟を操り漁をしている。

 「あ、鳥が魚を捕まえてる」

 魚をくわえた鳥が舟に戻って、ワカタケヌが鳥の首をつかみ揺するような仕草をすると、もう幾匹かの魚を口から出している。それらを籠に入れる。ワカタケヌは左手に何本かの紐を束ねていて、それらの紐にも鳥が結わえられている。でも大方の鳥に紐はついていない。

 「鵜という水鳥です」

 アーニャが望海に教える。鵜はネオ・ヴェネツィアにも普通に見かける。

 鵜たちは獲った魚を戻すと、イワレビコの所作と声で再び川面へ漁に向かう。イワレビコは鵜が魚を獲りやすいように船を操り、櫂で篝火の方向を調節している。

 時々篝火の籠を櫂で叩く。すると火の粉が立ち鵜たちが奮い立つ。

 「紐が付いている鵜は、まだ見習いのようね」

 あずさの言う通り、紐付きの方は動きもバタついていて漁に慣れていないと言った感じ。鳥が行こうとする方向を、ワカタケヌが引っ張ったり紐を緩めたりして調節している。戻って来る鵜にも対応しながらだ。

 イワレビコもワカタケヌも、一度にいくつもの事をこなさなければならない。

 「鵜と人の呼吸が合わないと出来ない漁だね――」

 「人馬一体というやつです」

 「馬じゃないけど」

 望海も呆然と見つめていた。漁の仕方よりも、川面に映える篝火の火、バチバチと火の粉が舞い、キラキラと光る細波のなかで、動き回る黒い鳥たちと人の姿に心を奪われていた。そして波の音にまじって響く舟胴を叩く音と掛け声。

 「何だか、夢の中みたい」

 望海が呟く。

 ウンディーネ三人は、イワレビコの所作に心を奪われていた。

 美しい。

 そう思った。

 舟と鵜を同時に操りながら、動きに無駄が無い。それでいて女性を感じさせる優雅さが漂っている。精悍さと優しさが同居している感じ。

 「あの立ち姿は、晃さんを思わせるわね」

 「そして櫂捌きは、まるでアリシアさん――」

 それは舞踊を舞っているようだった。

 やがて、それぞれに漁をしていた鵜飼い舟が集まり出す。

 お互いが行きつ戻りつしながら、円を描くように水面を走らせる。

 篝火を円の中央に向けて、鮎を囲い込んでいるのだ。その統率された舟の動き。――この早瀬の中でだ。

 「すごい」

 三人は息をのむ。自分たちもゴンドラを操船するからその凄さが解る。

 かつて自分の師匠たちがシングルのときに練習していたように、ネオ・アドリア海の岬で合同練習をしたことがあった。潮の流れがあって小島も多く操船が難しかったことを思い出す。まだ完全に沖まで出ていなかったにもかかわらず、あの複雑な水の流れだ。

 夜目にも川には、浅瀬で細波立っているところもあれば、深みで瀞んでいるところがあることが解る。正確に水面の流れを読み、川底の様子を計っている。それもお互いの漁の動きを見ながらやっている。

 「ほーい、おーい」

 声を掛けあい、舟はまた陣形を変えていった。

 円陣から両側に縦二列に並ぶ。

 そして一人のイワレビコが詠い始める。

 それを合図に、各艘があいだを徐々に窄めていく。

 「恵みを寿ぎ奉る」

 『よーおー』

 一斉に舟胴を叩き篝火を揺らす。

 狭まった水面に鵜たちが群がり、囲い込まれた鮎で水が湧きたっている。

 イワレビコ、ワカタケヌ、鵜たちによる総掛りだ。それはまるで合戦。

 合戦は唐突に終わると、鵜たちは自分の舟に戻っている。櫂を叩く音も掛け声も止み、静かな川面の上で、またイワレビコが詠いだした。

 「恵みを寿ぎ奉る」

 それに合わせてイワレビコ全員が斉唱する。

 『鵜飼舟 あはれとぞ見る もののふの

  八十宇治川の 夕闇の空』

 『八十宇治川の 夕闇の空。』

 澄んだ歌声が、朗々と夜のしじまに響き渡っていく。

 「まるで、アテナさんのカンツォーネを聞いてるようです・・・」

 節回しも抑揚もまるで違うのに、それはカンツォーネ(歌)だった。

 

 『あらたまの 年行きがえり 

  春されば 花のみにほふ 

  あしひきの 山下とよみ落ち激(たぎ)ち

  流る僻田(さきた)の 河の瀬に

  鮎子さ走る 島つ鳥

  鵜飼伴なへ 篝(かがり)さし 

  なづさひ行けば 我妹子(わぎもこ)が

  形見がてらと 紅の

  八入(やしほ)に染めて おこせたる

  衣の裾も 通りて濡れぬ』

 『八十宇治川の 夕闇の空。』

 

 最期に柏手を打ち、篝火が川面に落されて漁は終わった。

 月明りだけのなかを鵜飼い舟は立ち去っていく。

 

 何事も無かったかのように静けさが戻った川。ただ水の流れる音だけがしている。

 「何だったんだろう・・」

 夢うつつな心持ちで望海が呟いた。

 それはアイたちも同じだった。自分たちとは全く違う、こんなに凄い技量を持つウンディーネがネオ・ヴェネツィア以外にも居たなんて。

 四人だけを残した川面に風が渡った。

 すると、葦原から無数の光が飛び立った。

 蛍。

 見たことも無い蛍の群れが、河原と四人たちを包んで乱舞した。

 「水の妖精――」

 星のような蛍を見ながら、望海は呟くのだった。

 

 


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