AQUA ~その水と出遭いの惑星で~   作:ノナノナ

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Serenata2 青の島に降る雨は

 「止まないね」

 「ずっと降り続いてます」

 「話には聞いてたけど、ほんと雨だね」

 「ぷ~~い~~」

 縁側で空を見上げる。

 アイ、アーニャ、あずさのテルツェット(三人組)と、アリア社長。

 「せっかくの休みなのに、どこにも行けないねー」

 「に~う~~~」

 「シベリア送りになったようなもんです」

 「だから、シベリアってどこなのよ」

 「知りません。」

 「私たちのミラクルに、ネオ・ヴェネツィアだけじゃなくAQUAも元気を貰っちゃったのかな」

 「なにその微妙に恥ずかしいセリフ。ジイシキカジョウ禁止―」

 アクア・アルタでミラクルなパーティーを計画した三人組。先輩たちも大先輩のアリシアさん晃さんも喜んでくれた。そして伝説のグランマも。

 けれどもミラクルが少し効きすぎたようで、翌日になっても水は引かず、何でも数日間続くらしい。お店もお休みで、先輩たちから「どこか遊びに行って来たら」と休暇が貰え、三人は憧れのグランマの故郷を訪ねることにした。以前からグランマの素敵を育てた土地はどんな所なのだろうと興味があったのだ。

 でもグランマの故郷、青秋津嶋のいまは梅雨。

 「AQUAって、ほんと水の惑星よね。ネオ・ヴェネツィアも水浸し、青秋津嶋も雨浸し。」

 ころんと縁側に寝転ぶあずさに、アーニャが突っ込みを入れる。

 「雨浸しなんて言葉はありませんよ。それに青秋津嶋はいつも雨が降っている訳ではありません。アクア・アルタは大潮と季節風で起きますが、ちょうどその時期、青秋津嶋は季節風による気圧配置と前線で梅雨と呼ばれる雨期になるんです。アリス先輩が教えてくれました」

 「アリスさんって、ほんといろんなこと知ってるんだね。操舵も凄いし街の知識も豊富だし、やっぱ天才」

 「観光案内ならうちの藍華先輩の方が上よ。アリス先輩に観光案内を鍛えたのは藍華先輩だもの」

 普段は先輩の方が自分に惚れ込んで弟子にしたと言っているあずさだが、自分の先輩を見比べられると反応してしまう。

 「嬢ちゃん達、せっかく来たのにどこにも行けないね。果物食べるかい」

 お世話になっている民宿のおじさんが、籠に盛られた果物を差し入れてくれる。

 「わあ、ありがとうございます」

 「ぷいにゅ~!」

 果物の山にさっそく飛び起きるアリア社長。

 「これって、枇杷?ですよね。はじめて見ました」

 「この小さな桃みたいなのは杏子ですね。そのままよりもジャムやシロップ漬けにするのが一般的では」

 最近プリマに昇格した杏先輩の名前と同じ果実を見るアーニャ。

 「まあそうなんだが、酸っぱい感じが、じめじめした梅雨時にはいい刺激なんだよ」

 橙色に熟した実をかじる。桃よりも固く柿よりも柔らかい食感。――そして。

 「「「すっぱーい」」」

 「うんにゃーい」

 思わず口をすぼめる三人と一匹。そんな様子をおじいさんは笑って見ている。

 酸っぱいけれど嫌な酸味ではない。レモンよりも丸っこく甘みがある。たしかにじめじめした雨気を払うにはもってこいだ。

 「口直しに枇杷を食べなさい」

 おじさんは手で表の薄皮を剝いてあげて、アリア社長に渡す。

 「あんにゃ~い」

 目を丸くして歓声を上げるアリア社長。もう次をねだっている。

 おうおうと次を剝く。その様子に見よう見まねで剝いてみて、枇杷を食べてみる三人。

 「これは――」

 「甘いです。」

 「甘いけど、優しい味。オレンジ色のAQUAの風と夕日を、実の中いっぱいに集めたみたい」

 「アイ、恥ずかしいセリフ禁止」

 「え―――」

 

 「止まないね」

 「ずっと降りっぱなしです」

 「雨だね」

 「・・・・・・」

 ざーざーと屋根を叩く雨の音。

 果物でお腹いっぱいになったアリア社長はお昼寝タイム中。

 庭では紫陽花が青く雨に濡れながら咲き誇っている。生け垣にクレチマスが可憐な花をつけ、どこからかクチナシの甘い香りが運ばれて来る。

 軒から落ちる雨垂れのリズム。

 「でも、とってものんびりできますねー。」

 「アンタん処(ARIAカンパニー)は、いつものんびりしてるじゃない」

 「日頃の喧騒から自由になれます」

 アイはグランマも自分と同じくらいの頃は、こうして梅雨のときを過ごしていたんだろうなと想う。ゆったりした時間が流れる土地で育って、やりたいことを見つけて、ネオ・ヴェネツィアで大妖精と呼ばれるプリマ・ウンディーネにまで登りつめた。アリシアさんはネオ・ヴェネツィア生まれのネオ・ヴェネツィア育ちだが、きっと一緒だろう。そして師匠である灯里さんは自分と同じマンホーム生まれで、やりたいことを見つけてネオ・ヴェネツィアに来て、AQUAからいっぱい素敵を貰った。

 こののんびりした時間は、まさにAQUAがくれる贈り物。

 まったりしながら、色々な想いをとりとめも無く思っていると、玄関から子供の声がした。

 『こんにちわー』

 おじさんが表口に出ていく音。

 『おう、遅かったな――』

 どうやらおじさんとは知り合いの様子。

 『遅かったなじゃないよ。アクア・アルタで大変だったんだから』

 『アクア・アルタとはいい経験をしたな。狙って出会えるもんじゃないぞ』

 お互い会話しながら三人の居るほうに上がって来る。

 「あ。」

 タオルで濡れた頭をゴシゴシしながら、おじさんと一緒に入って来たのは、リュックを背負った十歳前後の男の子。

 「お客さん、居るんだ」

 「こんにちわー。お世話になってまーす」

 男の子に挨拶するアイたち。

 ちょっと驚きながら男の子はお辞儀をする。

 「いまはシーズンオフって聞いたけど」

 「アクア・アルタで仕事がお休みになったウンディーネさん達だ。ゴンドラ、動いてなかっただろ。まあ年中シーズンオフみたいなもんだがねウチは」

 濡れたままでは風邪をひくからと風呂に案内する。聞けば、男の子はおじさんの孫で、ご両親の仕事の都合でマンホームからAQUAに一人でやってきたらしい。

 「一人で?!」

 と驚く三人。

 特にアイはそうだった。自分が初めてAQUAに来たのが男の子と同じ十歳の時、それも両親にせがんで連れて来てもらってだ。そこでいまの師匠の、まだシングルだった灯里と出会う。

 「そうびっくりするほどのことじゃないさ。AQUAとマンホームは乗り換えなし。儂らの時分は軌道エレベータと月のツィオルコフスキー・ターミナルで乗り換えて十日はかかったからな」

 「十分驚きです」

 「お客さんより先に風呂を使ってしまってすまなかったが、お嬢さんたちもゆっくり浸かってくれ。――ここのお風呂は自慢の温泉なんでね」

 そう言うと、おじさんは夕餉の支度をするよと告げて奥に引っ込む。

 

 日が落ちる時分には雨もやんでいた。

 風呂から浴衣に着替えて戻って来ると、料理のいい匂いがしてくる。

 「これが噂に聞いた温泉なんですね」

 「あったまったわー」

 「ぱいにゃー」

 「身も心も染みわたる感触です」

 「雨上がりの風がまた良かったねー」

 「アイはマンホームで温泉の経験はあるんじゃない?」

 「マンホームの温泉に露天風呂なんてないよ」

 初めて入った露天風呂の感想に盛り上がる。

 さっきの男の子が、お風呂上りにどうぞと麦茶を運んできてくれた。

 「うあ、早速お爺さんの手伝い? すごいわね」

 誉められて少し照れる男の子。

 「お爺さんから聞いたんだけど、一人でマンホームから来たんだって」

 コクリと頷いて、自分も麦茶を飲んでいる。

 「AQUAは初めて?」

 「うん。」

 「名前きいていい? 私はあずさ、あずさ・B・マクラーレン」

 「野分望海――」

 「望海くんかぁ。でこっちの巻き毛の子がア―ニャ・ドストエフスカヤ」

 「どもです」

 「それと、愛野アイとアリア社長。」

 あずさの仕切りで紹介がすすむ。この辺は師匠とそっくりだ。

 「よろしくね望海くん」

 「ぷいにゅー」

 「社長!?」

 えらく太った丸まっちいアクア猫に目を移す。――どう見ても猫だ。

 「やっぱその反応するわね。ネオ・ヴェネツィアにある水先案内店は店の守り神に青い目の猫を社長にする習慣があるの。でこのもちもちぽんぽんがアリア・カンパニーの社長ってわけ。言葉は喋れないけど、結構頭がいいのよ」

 あずさに言われて胸(お腹?)を張るアリア社長。

 「どお、AQUAの感想は」

 アイが望海に尋ねる。自分たちの大好きな惑星への第一印象に、ワクワクする三人娘たち。

 「どおって・・・不便。」

 「不便?」

 意外な低評価に少し困惑。

 「ネオ・ヴェネツィアは洪水で歩けないし、乗り物もないし、ここまでだってビーグルじゃなくて船なんだもん。しかも博物館で見たようなやつ。時間もかかるし、面倒だし」

 あ、ネオ・ヴェネツィアはアクア・アルタだったと気付く。

 「水浸しの運河で荷物を載せた手漕ぎの舟が行き交ってたけど、あれはアクア・アルタだったからなの?」

 「ああ、あれは個人所有の黒いゴンドラです。荷物の運搬や配達なんかに普段から使ってるわ。船外機付きのもあるけど街の運送や移動は大概それですね」

 アーニャが説明する。

 「それって、不便――」

 それを聞いて、アイが苦笑する。なんだかとても既視感のあるやりとりだからだ。

 「どうしたのお姉さん。僕なんか変なこと言った?」

 「いやいや全然おかしくない。おかしいのはアイの方、アイが初めてAQUAに来たときも同じ反応だったそうよ。アイもマンホーム出身なの。それでねー、藍華さんに聞いたところでは、ゴンドラただ乗り――」

 「あずさちゃん!!」

 アイが慌ててあずさの口をふさいだ。

 やがてみんなの元に、夕餉が運ばれてきた。

 「さあさあ、お待たせ。たんと食べてくださいな。望海もね」

 「ありがとう、おばあちゃん」

 膳にたくさんの料理が並ぶ。ネオ・ヴェネツィアとは違う、見たことのない料理ばかり。少しづつ器に盛られていて、なんだかおままごとの世界のよう。自分がお人形さんになったような気分だ。でも、とても上品。

 彩りよく調理された小鉢たちを従えて、中央に置かれたものは、特に調理した様子が見られない、焼いただけの川魚。

 「焼き魚?」

 けれどいい香りがしてくる。

 先程からしていた食欲をそそる匂いの正体はこれだった。

 「鮎というんだ。ここ青秋津嶋の名物さ。AQUAにもここにしか居ない、いやマンホームでも絶滅してしまって食べることの出来ない代物さ。わざわざこれを食べるためだけにマンホームから訪ねて来るほどだよ」

 「へえ~。でもすっごくいい匂いです」

 箸をつけてみると、ほろりと身がほぐれ、湯気と一緒により鮮烈な芳香が立ち昇る。

 口に含むと、魚とは思えない繊細で高貴で、若葉のような香りが口いっぱいに広がって鼻に抜ける。まるで酔ってしまいそうな味。そして骨まで一緒に食べてしまえるほど柔らかい。

 「焼き方にコツがあるんだよ。こいつは炭でなくちゃこうは焼けない。どうしても水っぽくなるかパサパサになるかだ。そして火に近すぎても遠すぎても駄目。味付けは塩のみだが、塗り塩にも気を使うねえ」

 「ただの焼き魚じゃなくて、すっごい手の込んだ料理なんですね」

 ソースもスパイスも使わずに、塩だけで引き出された味に一同感動する。

 「素材がいいから出来ることだよ。AQUAがくれる恵みの味さ」

 「そうですね、AQUAの夏がこのお魚さんを通して、私たちの体に染み渡っていくようです。まるで木々の緑や透明な水のせせらぎに抱かれているよう」

 うっとりするアイ。

 「もー、とっても恥ずかしいセリフ禁止!」

 「皆さんに気に入って貰えておじさんも嬉しいよ」

 「まだまだ鮎はいっぱいあるから、おなかいっぱい食べてちょうだいな」

 そう言っておばさんが運んで来るお代わりに歓声が上がる。

 「「「ありがとうございまーす」」」

 「あんにゅー」

 アリア社長も大喜びだ。

 

 「ほら、この鮎には二本の線が付いているだろう。これは神様に饗される鮎の印なんだ」

 おじさんがお代わりの鮎を示す。初めて食べた鮎の美味しさに気付かなかったが、確かに鮎には二本の傷が走っている。

 「これは鵜飼いで漁った鮎にだけ付くんですよ」

 と、おばさん。

 「鵜飼い?」

 「マンホームで大昔から行われていた、伝統的な漁法の事ですね。なんでも鳥を使って魚を獲るのだとか。この青秋津嶋でイワレビコと呼ばれる女性の鳥使いさんたちが行っていると聞きました」

 マンホームから来たばかりの望海も知らない事をスラスラと述べるアーニャ。

 「よく知ってるね、お嬢さん。ネオ・ヴェネツィアのウンディーネが、見習いのペア(両手袋)・シングル(片手袋)、一人前をプリマと呼ぶように、鷹匠や鵜飼いの鳥使い達は、見習いをワカタケヌ、一人前をイワレビコと言うんだよ。神様にお仕えする伝統芸能で観光化されてないから、ウンディーネのようには知られていないがね。鵜飼いはお嬢さんたちのように舟を操るんだ」

 おじさんの話におばさんが付け加える。

 「柴舟っていう、ちょうどお嬢さんたちのゴンドラと同じぐらいの舟よ」

 「へえ。」

 自分たちのように、お仕事で舟を操る女性がいることに興味を引かれるアイ。

 「アユは魚偏に占うと書いてね、大昔この魚で占いをやったそうだ。その独特な香りに神秘的なものを感じたんだろうな。いまも神社に饗される鵜飼いの鮎は神事で使われる。――あ、お嬢さんたち、神社って解るかい?」

 きょとんとするあずさやアーニャに代わってアイが答える。

 「日本の神様をお祀りしている神殿の事ですよね。灯里先輩から聞いたことがあります。」

 「うん、そうなんだがちょっと違う。日本の神じゃなくて、このAQUAに居ます神様をお祀りしている所処なんだ。神殿のように大きなものもあれば、ネオ・ヴェネツィアの辻にあるような小さな祠だったり、建物が無いところもある。由来はマンホームの日本なんだろうが、そこに居る神様は、みんなAQUAの神様なんだ。マンホームからAQUAに来て、ここが好きになっちゃって住みついた神様も居れば、火星がAQUAになるなかで生まれた神様もいる」

 ここAQUAでは神様も好きで移って来るんだ。

 なんだかAQUAに魅せられた自分や灯里先輩みたい。――神様が気に入って住みついちゃうって、なんだかとても親近感が湧く。

 「イワレビコは、獲った鮎の表情で吉祥を祈念するんだ。まあ神様との交感だな」

 「お魚に表情なんかあるんですか?」

 「まあイワレビコの話なんだが、精悍な顔付きもあれば恍けた顔の鮎もいるそうだよ。ある意味思い入れの強い人達だからなあ。だから神様から、いろんな経験もするそうだ」

 「へえ、じゃあ灯里先輩が出会った不思議も、そんなAQUAの神様だったのかな。青秋津嶋じゃあないんですけれど、多島海の島にある、鳥居がいっぱいある神社で『狐の嫁入り』に遭ったって言ってました」

 「狐の嫁入りとは珍しいもんに出くわしたものだなあ」

 「きっと伏見神社のことですよ。あそこの神様は悪戯好きだから。その灯里さんてウンディーネさんは、よほどAQUAの神様に気に入られたんでしょうね」

 おばさんの言葉にうんうんと頷くおじさん。

 「お嬢さんの師匠さんは、ウンディーネより巫女さんの素質があるのかもしれないな」 

 「まあ、プリマ・ウンディーネさんにそんなこと言っちゃあ失礼ですよ」

 おじさんの言葉にアーニャとあずさが相槌を打つ。

 「それはあるかもしれません。灯里先輩って思い入れが強いし、不思議遭遇率がやたら高いですし」

 「藍華先輩の話だと、一緒にいると異次元空間に巻き込まれるって」

 何とも酷い言われようだが、アイも否定しきれないところがつらい。

 「お嬢さんの師匠もマンホーム出身だと聞いたが、神社に関係する家の出なのかい」

 「名前は水無灯里って言うんですけど、聞いたことありません」

 「水の惑星に気に入られたのに名前が『水無』とは面白いな。マンホームの日本のヒダって土地に水無神社という古い社があるが、そこにゆかりのある人なのかな。もし灯里さんが鳥使いでも、きっといいイワレビコになっただろうよ」

 「イワレビコは、舳先に篝火を焚いて夜に漁をするのよ。丁度雨も上がったし、今夜もやっているんじゃないかな。興味があったら見に行ってらっしゃい」

 いったいどんな人たちなんだろうと、楽しみな三人だった。

 

 

 


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