遊戯王ARC-V 崩壊都市の少女 作:豆柴あずき
現在、私は郊外のほうにある小さな店へと忍び込んでいた。
すでに荒らされた棚に残った食料のうち、日持ちのしそうな物を中心に背負っていた鞄へと詰め込んでいく。
今の状況下だと、次に食べ物が手に入るチャンスなんていつになるか分かったものではない。
「アカネ……大丈夫かな」
万札を無人のカウンターへと置きつつ、親友の身を案じる言葉を紡ぐ。未だ、アカネとは再会できてはいない。
「あれから、もう三日……」
灰色の雲に覆われた外を眺め、一人口にする。窓の外には廃墟と化した街並みがあり、心すらもひたすらに曇らせていった。
遠くにはこの街の象徴である、ハートをてっぺんにかたどったタワーも見えた。
シンボルマークにも欠損が見られている事実こそ、この街が既に戦場となっているという現実を雄弁に物語っている。何ともまぁ、皮肉な話だろうか。
突如都心を中心に現れた、謎の集団。そいつらはデュエルディスクを介して見たこともないモンスターを実体化。次々に街の人たちを襲っていき、カードに封印していった。
まるで映画のような現実離れした事態に、市民の多くは逃げ惑うばかり。未だ被害は拡大し続けており、その魔の手は中央から徐々に外壁の方へと広がっている。
「とりあえず、何をするにしてもアカネと合流しないと」
店を出てすぐに歩き始める。周囲には人影がないせいか、頭の中は親友の事で満たされていく。
アカネだって、ダイヤ校ではトップクラスの実力者。今回の予選でも準決勝まで残っているほどだ。だから絶対に大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、無意識に止まらなくなっていた震えをどうにかしようとする。
「まだこれ、持ってるままなんだから……」
失くさないように右腕に着けていた、あの子から借りたままのブレスレット。それを袖をまくって眺めてみる。街は様変わりしていても、怪しげな輝きは何ひとつ変わっていなかった。
「こいつを返すまでは、死んでもカードになんてなるかっつーの」
決意を口にして再確認しつつ、少し開けた通りに出ようとした、その時。
「っはぁ……はぁ……」
「アカネ!?」
つい数秒前まで身を案じていた親友が息を切らしながら走っている姿が、私の目に飛び込んできたのである。服装は乱れたまま、必死に迫りくるものから逃げようとしている。
左腕にはデュエルディスクを装着してはいたものの損傷が激しく、液晶に至ってはひび割れている。デュエルが――抵抗ができる状態ではないのは、誰の目から見ても明らかだった。
「まさか、あの連中と……!」
呟いた直後、また別の足音が迫ってくる。
身を隠しながら覗き見てみると、案の定侵略者の一人がアカネを追っていた。機械の犬を併走させているその光景は、この三日間で嫌というほど目にしているものと全く一緒だった。
理解したくもないし、受け容れたくもない現実。それを見て、身体が凍り付いたのはほんの一瞬だけで。
「……ッ!」
直後、脚は勝手に動き出していた。アカネを守るべく、そのまま全速力でひたすら走る。
敵はアカネを追うのに夢中なんだろう。後ろから追ってくる人間がいることになんて気づきもしていなかった。
しばらく追いかけていると、曲がり角に差し掛かる。
連中から送れること十数秒。私も曲がり終えると、そこに広がっていた光景は……。
「行き止まり……ッ!?」
瓦礫によって塞がれた空間が、そこにはあった。これではもう逃げることはできない。
仮にアカネがよじ登れたとしても、だ。敵はすぐにモンスター達に破壊を命じ、向こう側へと突撃するだろう。
完全に、詰んでいた。
「手こずらせやがって、このアマ……!」
「嫌……あなたの言いなりになんか……ッ!」
壁を背に、震える手でディスクを構えるアカネ。自分のことでいっぱいなのは傍目にも分かり、すぐ前にいる私にも気がついてはいない。
当然、もう鉄屑と化したデュエルディスクが反応することはなかった。カードをセットするためのプレートすら展開することはなく、男の嘲笑を買うだけに終わった。
「エクシーズの屑にしちゃ面白いジョークだなぁ! だけど、もういいぜ。大人しくカードになっちまえよ!」
カードに、なる……? アカネが!?
そんなこと……絶対にさせない!
「ふざけるなッ!」
叫び声とともに駆け出すと、勢いよく蹴りを叩き込む。暴力なんてデュエリストにあるまじき行為だけれど、今はそんな事を言っている暇じゃない!
火事場の馬鹿力というのだろうか。女の私が蹴ったとは思えない威力を叩き出した。敵は地面に大きな音を立てて倒れていき、気を失っていった。
「あや、か……!?」
アカネの、私の名前を口にするその声。それはさっきまでの気丈なものとはひどく違い、弱々しく震えていた。ずっと一人でいたうえに、あんな事態に巻き込まれてたんだ。きっと緊張の糸が切れたのだと思う。
「アカネ! 大丈夫?」
「これが大丈夫に見えたら……綾香は相当なバカだよ……」
涙を拭いながらアカネは私の差し出した手を握ると、立ち上がって駆け出す。
こんな状況なのに冗談交じりで言い返してくれるアカネは、私が思っているよりもずっと強い子だ。これなら大丈夫かもしれない――いや、大丈夫だ。そうに違いない。
「行くよ!」
そう言うやいなや、私は力いっぱいアカネの手を引いて走り出した。男はまだ目覚める気配がないため、今が絶好のチャンスだ。
できるだけ、遠くへ逃げなければ!
「……うん!」
勿論、そんなことはアカネも分かっている。満身創痍の身体であるにも関わらず全力を振り絞り、私のスピードに合わせてくれていた。
そうして走ること数十分。私達は数キロ先の、大きな公園まで逃げ延びていた。お互い息を切らせていて、これ以上は走れそうにもない。
「とりあえず……ここまで来れば大丈夫かな?」
「っはぁ……はぁ……。私、こんなに走ったのなんて初めてかも……」
公園の奥にある、遊具の下にもぐりこんだ私達はそう漏らす。大粒の汗を流しながらも、互いに再会の喜びが顔からどうしようもないくらいに滲み出ていた。
「……会いたかった、アカネ」
「私もだよ……綾、香」
「何? 泣いちゃってるワケ?」
「そういう、あんた、こそ……」
アカネに指摘されて、はじめて気づいた。自分の目からも、いくつも涙が零れ落ちているという事に。そのことに気が付くと、私ではどうしようもなくなってしまう。
ぼろぼろと涙は零れ落ち視界は滲み始め、お互い声をあげて泣いてしまった。
しばらくそうしてから、今度は沈黙が続く。アカネとこんな気まずい空気でいるのって、いつぶりだろう……。
「……これから、どうしよっか」
静まり返った遊具の下、意を決して口にした私の言葉が響き渡る。さすがにこんな場所にずっといるわけにはいかない。
「スペード校の校舎に生き残りのデュエリストたちが集結しているって聞くし、そっちへ向かわない?」
「例のレジスタンス?」
私の質問に対し、アカネはこくりと頷いた。
この三日間でハートランドの住民たちは散々に蹂躙されていたが、もちろん指をくわえて見ているだけなんて事もなかった。
侵略者の攻撃に対抗できる兵器はなく、戦えるのは敵の利用するデュエルをできる者たち――つまり、私達デュエリストだけ。
だからこそ各地のプロデュエリストや、ハートランド四校のプロデュエリスト志望を中心にした一部の人達は侵略者にデュエルを挑んでいた。私も逃げ惑う中、彼らの決闘を何度か横目にしている。
それだけではない。レジスタンスを結成し、組織だった抵抗を行う動きもあるとも耳にはしている。噂によるとカイトや黒咲、ユートといったエース級も既に合流しているとも聞いていた。
本当ならばダイヤ校の予選突破者で、前回の大会でも代表に選ばれた私も参加すべきなのだろう。
だがどうしても、そんな気にはなれなかったのだ。
デュエルをそんな手段に使うなんて……。そう思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。
レジスタンスに参加した他の決闘者達と違って、どうしてもそこを割り切る事が出来ないでいた。
「綾香……」
一人考え込んでいると、不安そうな顔をしたアカネがこっちの顔を覗き込んでくる。こんな親友の顔なんて見たくないのに、心配させちゃったな……。
怖い目に遭っていた子にそんな顔をさせた自分がどうしようもなく愚かに思えてくる。
「ところでこれ」
とにかく今はアカネの心のケアのほうが大切で、多少無理やりにでも別な話に持って行くべきだ。
そんな事を思いながら、私はブレスレットを取り外してアカネの前に差し出した。
「……ちゃんと持ってて、くれたんだ」
「何よ。借りたものをなくす奴だとでも思ってたの?」
「今まで何回あったと思ってるのさ……」
「うぐっ……」
幼馴染にそう指摘されると、流石に言葉を詰まらせざるを得ない。この子から借りパク状態になったものなんて、両手で数える以上のレベルだものなぁ……。自分のモノの管理の悪さを呪いたくなってくる。
「ほら、受け取りなさいよ」
「……いいよ。それ、綾香にあげる」
アカネは差し出そうとしたブレスレットを複雑そうな目で眺めるとすぐに俯き、とても予想だにしていなかった言葉を発しだす。
どうにも嫌な予感がしつつも、私は続ける。
「あげるってアンタ……これ、お母さんから貰った大事なものなんでしょ!?」
「私の家族ね。カードにされちゃってたんだ」
「……ッ!」
アカネの口から放たれた、残酷な事実。
それを聞き、私は自分の振った話題が最悪だったとひどく後悔するも、後の祭りだ。きりきりと心が締め付けられていく。
さらに言えば、私はかける言葉を持ち合わせてなどいなかった。
勿論、大事な人を失うということがどういうことか分からないわけではない。私だって、あれだけ優しくしてくれたアカネのご両親がもういないという現実に絶句している。
ただ中学までは施設育ちで今は一人暮らしをしている私が、家族を失ったアカネにどう声をかければいいのだろうか。
きっと何を言ったとしても、下手な慰めにすらならない。
「分かった。じゃあ、私が預かっといてあげる」
そんな私にできることは、せめて今は本人の意思を汲んであげることくらいだった。
だけど、あくまで貰うつもりはないから「預かる」と口にした。
いつかアカネの気持ちに整理がついたとき、きちんと返してあげたい。そう思っての発言だった。
「……ありがと、綾香。……ところで、そろそろ行かない?」
「そうだね。今から移動しないと、辿り着く前に夜になっちゃうだろうし」
二人立ち上がり遊具の下から出て、入って来た時とは逆側の出口へと向かっていく。
レジスタンスに参加するかはまだ分からないが、戦力のあるところに行けばアカネ私も一息つけるだろう。その後どうするかは、ついてから考えればいい。
虫のいい話だけれども、私はそう考えていた。
ここからスペード校までだいたい5キロ。道の途中で敵がうろついていることを考えると、いつもの倍以上の時間はかかると見て間違いない。
なにせ今のアカネは戦闘不能状態なのだ。見つかったら大変なことになるのは目に見えている。
そんな事を考えながら、二人して出口に差し掛かった時だった。
「見つけたぜ!」
「どうして、ここだって……!」
唖然とする私の目に留まったのは、奴のディスク。その球体上の液晶部分。
地図と思しき線が表示されているモニターには青い点が一つに赤い点が二つ、計三つのアイコンがチカチカと点滅していた。
そこから察せる事なんて、ひとつ。
「感知、センサー……」
「ご名答。エクシーズの奴らにしちゃ察しがいいじゃねぇか」
「……チッ」
その事実に舌打ちしつつ、私はさっきのように手を引いて逃げようとする。
だが、そう何度も上手くいくはずもなかった。
「ハッ、逃がすかよ!」
敵は驚くべき早さでデュエルディスクを構えると、私に向けて照準を合わせてきたのだ。
冷や汗と恐怖、それに今まで生きてきた十六年の記憶が走馬灯のように駆け巡っていく。
そして――。
「綾香」
優し気に微笑むアカネが繋いだ手を解くと、力強く両手で私を押す。
直後、アカネに光は襲いかかった。
私の、代わりに。
「アカネェェェッ!」
まだ間に合うかもしれない。二人一緒に助かるかもしれない。いや、助かってみせる!
必死に、押されてよろめきながらも伸ばした手は、むなしく空を切って。
光は無慈悲にもアカネという存在を消していく。
そんな光景を、涙で滲んだ眼はしっかりと捉えてしまった。
ほんの僅かな時間を経て、目の前の光は収まり。
そして――1枚のカードが空を舞い、私の手元へと。風によって運ばれていった。
消える直前のアカネの顔がそのまま映った、カードが。
「どうして……」
こんな事に。
口をついて出ようとしたのは、そんな言葉だけど。震える唇では上手く言葉を紡ぐことはできない。ただ公園内は、涙でかすんだ視界の先にいる敵の嘲笑だけが響き渡る。
「なぁに、テメェもすぐに後を追わせてやるってんだよ!」
「――ッ!」
呆然自失の私のもとに、そんな言葉が聞こえてきた途端。
すぐさま正気を取り戻すや横にステップし回避。直後、ついさっきまでいたところにはカード化光線が着弾する。危ないところだった……!
アカネが助けてくれた命なんだ、こんなところで終わってたまるか。
それに……。
「ふざけるな……ッ!」
悲しみとは別の感情が、頭を支配している今。
目の前のこいつを倒さなきゃ、絶対に気が済まない!
「ふざけるな、だと? そいつはこっちの台詞だっての。せっかくの上玉には逃げられるし、お前には蹴られるし……おまけにターゲットを外すと来た。最悪だっての」
奴はそう言って、ひとしきり笑い始める。こんな外道に、アカネは……ッ!
「アンタはここで私が潰してやる、この外道が!」
自分でもこんな声が出せるんだ、というほどにまで怒りを含んだ咆哮を発し、デュエルディスクを構えて戦闘態勢に入る。
「ハッ、やれるモンならやってみやがれ! エクシーズの屑が!」
そんな私に対し、応戦すべくデュエルディスクを構え始める青服の侵略者。
直後、相手のディスク反応を感知した私のディスクの液晶に「4000」という数値が表示され、デッキのオートシャッフルが開始された。
それらをひとしきり終えると、遂にデュエルが開始される。
「デュエルッ!」
戦いのゴング代わりに、敵と同じ言葉を重ねるかたちで叫ぶ。ここだけは変わらない。
だが、ここから先はもはや別物だった。
私のやっていた、大好きだったデュエルではない。正真正銘の殺し合い。
それが今、始まった――。