各階層で聞こえる報告は「この階に逃げ込んだヤツは倒したが、まだ上に逃げたヤツがいる」という悲報ばかり。マオはとうとう5階層にまで到達してしまった。
「だぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「……くくっ! ……くっくっく! ……ひーっ! ひーっ! ……くくくっ!」
大絶叫の後、かすかに聞こえる声、《
(あー……やっぱりこれは、かすかに残る記憶のアレだったか)
転生前に見たアニメ。そのワンシーンがついさっき起こったのだ。この目で見たかったという悔しさはあるものの、まずは目の前のアイズを励ます事が先決と声をかける。
「アイズさん、もう他にミノタウロスはいませんか?」
「うん、今ので最後……」
「何か、あったのですか?」
「助けたガキがアイズにビビッて逃げて行きやがってよ! ……くくっ! ダメだ、治まんねーっ!」
ヒーヒーと腹を抱えて笑い続けるベートがアイズの代わりに答える。《
顔と頭を真っ赤にして叫び、走り去る様子も確かに見ていた。だが、聞かずには慰めようがないと思い、アイズに問いかけた。ベートの笑い声にどんどん硬くなるアイズの表情。親しいものなら彼女の表情の変化を読み取ることは可能だ。マオも4年の歳月の中で確かにそれを見て取れるまでになっていた。
(これは悲しんでいる)
ベートに笑いモノにされている悔しさや恥ずかしさというものもあるが、それ以上に助けた少年に逃げられたことにアイズは心を痛めた。
「アイズさん、とりあえずは無事に済んだことを善しとしましょう」
「……うん」
「ほら、ベートさんも、いつまでも笑ってないで荷物の確認に行きますよ」
「あー、腹痛ぇ……わかってるって。 ……くくっ!」
中層に置いてきたカーゴを守りながら運ぶフィンたちと合流すべく、マオたちは再び階下へと足を運ぶ。ミノタウロスのような事件はその後は起こることも無く、無事に地上へ全員と全荷物を運び出すことが出来た。
北のメインストリートから少し中に入ったところにある【ロキ・ファミリア】のホーム『黄昏の館』。長方形の敷地に複数の尖塔がそびえ立っている様は圧巻である。
遠征組は団長のフィンを先頭に今ホームへとたどり着く。門番をしていた男女の団員が「おかえりなさい」と声をそろえ、玄関を開けてくれる。
「みんな、おっかえりぃぃぃぃぃ!!」
勢い良く飛び出してきたのは赤い髪の女性。【ロキ・ファミリア】の主神ロキだ。暇つぶしに神々に殺し合いをさせるような悪趣味な神であったが、下界に来てからは
そして、今もアイズたち女性陣の一角に向かって飛び掛っている。が、アイズたちはいつものことと、ひょい、ひょい、ひょいと第一級冒険者らしい敏捷で
「え? あっ! きゃああああああああ!!」
「ぐへへへ! この声はレフィーヤか。 んんぅ? この感触は……まさか!? ぐべっ!」
「天下の往来で恥晒しな真似をするんじゃない!!」
後ろにいて前で何が起こっているのか分からなかったレフィーヤがロキに抱きつかれ、そのまま押し倒されてしまう。ロキの成すがままにセクハラ行為が行われていたが、リヴェリアがそれを手刀と共に一喝する。
「ただいま、ロキ。 全員無事だけど、残念ながら踏破記録の更新はできなかったよ。 詳細は後で報告するよ」
「かまへん、かまへん。 みんなが無事なら言うことなしや」
開け放たれた玄関扉から居残り組の団員たちも現れ、片付けの手伝いを始める。細かい片付けは明日に回し、今日のところは大雑把に荷物を放り込む。それでも結構な数があるため時間がかかっている。
終わった者から順番に入浴を済ませろということで、片付けに関して役割の与えられていないアイズやマオたちが遠征組で最初の入浴となった。
脱衣所で身に纏う僅かな布を脱ぎ捨て足早に浴室へ向かうアマゾネス姉妹。
浴室は脱衣所から入って左の壁に複数のシャワーが設置されており、右手奥に5人も入ればギュウギュウになりそうな大きさの浴槽がある。今、レフィーヤ以外の4人はシャワーの前に立っていた。
「レフィーヤ遅ぉーい!」
「すっ、すみません。 ティオナさん」
既に頭も身体も泡だらけになったティオナがいつまでも入ってこないレフィーヤを糾弾する。アイズやマオが全身をシャワーで濡らしているだけなのを見れば、ティオナが単に早すぎるだけだと誰もが思うだろう。それでもレフィーヤは咄嗟に謝ってしまう。
「馬鹿ね、エルフの服は私たちより脱ぎにくい。 単にその差でしょ」
「じゃあレフィーヤも私たちと同じ服にすれば良いんじゃない?」
「あら……それも良いわね」
ティオネが妹の糾弾をぴしゃりと打ち落とすが、ティオナは天然を炸裂させる。ティオネも少し考え、アマゾネスの衣装を身に纏うレフィーヤを想像し、面白そうだと同調する。
「それは、ちょっと……いや、かなり恥ずかしいです」
「いいじゃん! 1回くらい試してみようよ!」
レフィーヤが顔を真っ赤にしながら拒絶するもお構いなしに次の買い物の予定を立てていく。
「ならウチが採寸したるーーーっ!!」
「きゃあああああああああああっ!」
脱衣所から服も脱がずに猛スピードで飛び掛ってくるロキ。一番近くにいたのはレフィーヤだったが、突然のことに反応できず、身をひねるようにかわそうとする。
「……ぐふっ!」
胸の前で交差させていた腕が身をひねることで、ロキの頬にレフィーヤの肘が炸裂した。そのまま壁に打ち付けられ、ロキは四肢をピクピクと痙攣させていた。
ロキは
しかし、レフィーヤは焦っていた。彼女自身、ロキのセクハラ攻撃を受けることは多々あったが、これほど強い打撃を加えたことが無かったうえ、それを受けたロキが未だ起き上がってくる気配が無いこと。
――そして決定的な恐怖が居る。
レフィーヤのシャワーの隣。今はアイズと髪の洗いっこをしているため、目は硬く閉じられ、耳もアイズの手によってフニフニといじられていて、ほぼ塞がれている。あの様子では周囲の様子の変化に気付けていないようだ。
ほっと一安心したレフィーヤだったが、今度はマオに嫉妬の炎が燃え上がる。憧れの存在であるアイズの髪を《
(私がアイズさんの髪を洗って、マオには私の髪を洗ってもらおう!)
そう決意し、目標であるアイズの髪に視線を向けた時である。
――目が合った。
マオは髪を洗われているため、目を固く閉じている。そのマオの髪を洗うアイズの視線は下方、マオの頭に向いている。それもより具体的に言うならマオの耳に集中しているような状態だ。アイズの頭上にいる無機質かつ無表情な
マオの《
アイズの頭の上にいる透明な水の人魚は、器用にレフィーヤのほうを見据えたままアイズの髪を隅から隅まで
泡だらけにしつつ、頭皮マッサージまでを行っているため、アイズは気持ち良さそうに目を細めている。泡や水が顔に垂れることなど一切無く、綺麗に洗い上げる。
「……レフィーヤ?」
こちらに身体を向けたままピクリとも動かないレフィーヤにようやく気付いたアイズが声をかける。
「あ……えっと……その……これは……」
歯をカチカチと鳴らし、アイズの頭上に視線を釘付けにし、呂律の回らない口で何か言おうとしている。
「アイズさぁーん、泡流してー」
「あ、ごめん」
目を固くつぶったマオの手が空を切る。シャワーの栓かアイズを探しているアピールなのだろう。アイズは慌ててお互いの頭についた泡を流す。
「もう! レフィーヤもアレくらいで私が怒る訳無いじゃないですか。
そう言いながらペタペタと足音を立てながらロキの元へ行き、治療するマオ。痛みに呻いていたロキもキズが引くや落ち着いた様子になる。
「さ、ロキさまも落ち着いたことですし、洗いっこ再開しましょうか。」
有無を言わさず淡々とマオはロキの服を剥ぎ取っていく。元々それほど肌を覆い隠していない少ない布地があっという間にマオの手の中に納まる。
「さぁさぁ、仲直りのスキンシップですよー。 みんなでやれば楽しいかも! ティオネさん、ティオナさんも一緒にどうですか?」
「うん! やるやるーっ! ほら、ティオネも行こう!」
「ああん、もうっ! 仕方ないわねぇ」
マオはロキの手を引いてレフィーヤのシャワーの前に押し込む。そのまま自身はロキの服を脱衣所に置きに行き、すぐさま戻ってくる。ティオナもティオネの手を引いてアイズのシャワーの前に集まっていた。
アイズ、レフィーヤ、ロキ、マオ、ティオネ、ティオナの順で円を作り、時々向きを変えてはお互いに身体を洗いあう。
「やっぱりレフィーヤ大きくなってないか?」
「ッ! なってないです!!」
「またまた~♪ アイズはどう思う?」
「私は、わからない。 触ったこと無かったから」
「ぐぬぬぬ……」
「ティ、ティオナさん、痛いっ!」
「あっ、あぁ、ごめん……」
「まだ気にしてるの。 アンタも恋すれば大きくなるんじゃない?」
「ティオネはフィンを好きになる前からもう大きくなってたじゃん!」
「まぁまぁそう言わんと、ティオナのちっぱいもウチは好きやで」
「……だったら! 勝手に大きくならないでよーっ!!」
「そない言うんやったら、ティオナも試したらええねん。 なぁ、マオ」
「はい。 ですが、発育不良といった異常であれば効くというものですので、過度の期待は……」
いつの間にやら胸の話になり、マオの《スタンド》の1つ《
「いい! なんでもいい!!」
藁をも掴む心境なのだろう。ティオナの滅多に見ない……いや、ティオネ以外は初めて見る表情に一同
善は急げと言わんばかりに洗い流して脱衣所へ急かすティオナ。その心情がわかるだけにロキは慈愛に満ちた眼差しで、ティオネは飽きれて半眼で見送る。
「ティオネさん、上がられるのでしたらティオナさんに伝言お願いします」
「いいわよ。 なんて?」
マオは浴槽に浸かってから上がりたいらしく、ティオネに伝言を依頼する。
「では、『今晩、食後のデザートで試すので、それまでお待ちください』と」
「デザートね。 わかったわ」
ティオネは伝言を受けると浴室を後にする。湯に浸かる習慣の無いアイズとレフィーヤも後に続く。ロキとマオはそのまま浴槽に身体を沈める。
「マオ、帰って来て早々で大変やけど大丈夫か?」
「スキルも上がっていますし、今回の料理そのものは手を抜かせてもらうつもりです」
「ほう……何作るんや?」
「ミルクプリンです」
――おっぱいにはおっぱいを
そう結論つけたマオは調理も楽なミルクプリンを選択する。
「なぁ、マオ……」
「えぇ、ティオナさんとロキさまの分はちゃんとおっきくなるように念じておきますよ。 他の方の分は単に美味しくなるようにだけ《
「さすがやなぁ……そうか、マオももう4年過ぎたか」
「ええ、4年と、半年ほどですかね。 もうロキさまに収まらないくらいには大きくなりましたよ!」
ロキが感激して抱きつくも、4年前はすっぽりと覆ってしまえたマオの手足ももうはみ出てきている。
「ふぅぅ……あかん、のぼせてきた。 先に上がるわ。 マオものぼせる前に上がりやー」
「はーい」と返事を交わしてマオは1人浴槽に浸かり続ける。長湯が好きなマオは、こうして1人のんびりと過ごすことが多い。とはいえ、【ロキ・ファミリア】は大所帯なファミリアである。特に遠征帰りで皆が隙あらば風呂へとやって来るので、ロキたちが去った後も代わる代わる誰かがマオと挨拶を交わしていた。
最後に水をサッと浴び、空いているスペースでストレッチを入念に行ってから脱衣所へ上がる。マオの風呂での習慣だ。屋内でも基本土足なオラリオでは風呂上りに地面に寝そべってストレッチと言うわけにもいかず、浴室の一角で行っていた。
一旦私室に荷物を置いたマオはそのまま調理場へ向かい、夕食の手伝いをしつつデザートの仕込を行う。他の団員たちも慌しく片付けを行い、終わった者から順番に入浴していくと、あっという間に夕食の時間となっていた。
「よっしゃ、みんなグラスは持ったな? ほな、乾杯の挨拶をフィンよろしくー」
「みんな、遠征お疲れ様。
『乾杯!!』
そこかしこでグラスや木のジョッキがぶつかる音が響き、ダンッと机に打ち据える音や「おかわり!」と言った声がすぐさま響き渡る。誰も彼もみな笑顔だ。
「おっと忘れとった!! 今日、更新したい奴はこのあと先着10人な。 ほんで遠征組は明日が打ち上げ本番やから、今日はほどほどになー!!」
食事の内容もいつものメニューを少し豪華にした程度。皆あっという間に食べきり、ほとんど酒宴となっていた。遠征に参加したほとんどの者が食堂を去ったにも関わらず、マオとティオナは食堂にいた。
――否、マオのデザートが食べられると知っている者は食堂にいた。
一度は食堂を出た者も明日の準備や入浴など、自身のやっておきたいことを済ませて戻って来ており、その中には【ステイタス】の更新を行っていたアイズもいた。ロキはもちろん更新の真っ最中であろう。
「はい、お待たせしました」
「これで……私も……」
集まった団員たちに配られるガラスの容器に入った白いプルプルと揺れるプリン。その中で1人だけ器の違うティオナのミルクプリン。ティオナとロキの分だと聞くと、皆が「あぁー……」と慈愛に満ちた目をした。
「おいしい!」
「やさしい味がするー」
「お風呂上りに冷たいお菓子は、もう言うこと無いね!」
「ふんっ……
テーブルの端に座る男の
「ベートさんの口にも合って良かった。 甘くなり過ぎないように気をつけた甲斐がありました」
その一言でベートが一緒に食べていることに今の今まで気付いていなかった団員は驚く。以前マオのスキルの餌食にされたベートは、マオの作る料理に過敏になっていたからだ。ベートが甘味に負けたのかと皆は思っていた。
しかし、真実は少々異なる。
マオが以前、
あの後、マオはベートにアイズに万が一があった場合の押さえ役として居て欲しいと頼み込んでいた。その狙いは単に甘いものが苦手だったり、好きでもない人間にも受けるスイーツ作りであった。
マオはこっそり聞き出す味の感想から、順調にベートの舌が肥えていくのも感じ取っていたのだが、問題があれば私が作れば問題ないだろうとあまり気にしていなかった。
「ごちそうさまでした! で、マオちゃん、いつ効果でるの?」
「わかりません」
パァン!と手を合わせる音を響かせてティオナは目を輝かせながらマオに尋ねるも、マオは心苦しそうにしながらもきっぱりと返事をする。
「ロキさまの時は一晩で効果が出ましたが、さてどうなることやら」
“貧乳はステータスだ! 希少価値だ!”
という言葉がある。ステイタス異常ならマオのスキルで治るのだが……こればかりは神のみぞ知ることであろう。――夜が更けていく。
――効果があったかどうかは、ここでは言及しないでおきたい。
ティオナがこのあとどうなったのか、それに関しては一切答えないで行こうかと思っています。あえて言うなら、お好きな方でお楽しみください。