もし、宝物殿の一部が別の場所に転移していたら? 作:水城大地
目の前で、深々と頭を下げる受け受けの女性を目の前に、パンドラズ・アクターは苛立ちを募らせていた。
本来なら、女性相手ならば持ち前の紳士ぶりを発揮して、さらりと流していただろう、彼らしくない態度になったのには、それなりに理由がある。
それは……
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パンドラズ・アクターが、女性に対して紳士ぶりを発揮出来なかった理由は、フレットたちと別れた直後から始まっていた。
最初は、妙な違和感から始まり、微妙な体臭が鼻について吐き気を伴うようになったかと思うと、くらくらと目眩までしてくるようになって。
フレットたちと別れて、わずか数分で発生した症状は、確実にパンドラズ・アクターの精神を削いでいく。
もちろん、これからは一人で旅をする予定な上に、先程から誰かにつけられている以上、弱っているところを見せれば付け入られるのは間違いないので、その不調を表に出したりしてはいないが。
さて、なぜ急にパンドラズ・アクターは急に体調を崩したのだろうか?
その理由を一言で言うなら、パンドラズ・アクターは【人酔い】してしまったのだ。
高レベルのNPCでありながら、【人酔い】などあり得ないと思うかもしれないが、そもそも【人酔い】は病気ではなく、人混みになど慣れない環境に対して精神的なストレスから発生する症状である。
つまり、パンドラズ・アクターの場合は、いつ発症してもおかしくない症状なのだ。
元々、彼は人と殆ど接する事がない宝物殿の領域守護者である。
当然だが、街を行き交う沢山の人々の中に来るなど、初めての事で。
ナザリックと共に来ていたのなら、多少のストレスを感じたとしても特に問題なかったのだ。
だが、今のパンドラズ・アクターには仲間は一人も居ない上に、自分のレベルを犠牲にしてまで守るべき秘宝を抱え込んでいる。
そのストレスは、本人が考えていたよりも遥かに強いものだったのだろう。
また、レベルダウンと外装を人間種にした事も、それに拍車を掛けていた。
異形種であれば、種族特性などで精神面に関する補正もかかっていたのだろう。
だが、外装を人間種にした上に種族レベルの大半をレベルダウンで失った事により、その補正効果がほぼなくなっていたのだ。
その結果、小さな村程度の人数なら全く問題無くて気付かなかったのだが……この規模になって、初めて【人酔い】の症状が出てきたのである。
パンドラズ・アクター本人がその事に無自覚だったのは、街の中に入ってから今までフレットとファラの二人が一緒にいたからだ。
この世界に来て、初めて接した相手がずっと側に居たことで、精神的に安定していたのである。
その為、二人と完全に別れた事で表面化したのだ。
残念なことに、こんな事になるのは当然だが初めての為、何が起きているのか良く判っていなくて。
まさか、街の中で一人になった途端、こんな自分でも訳が分からない症状が出るとは全く予想していなかっただけに、どう対処していいのか戸惑いが隠せなかった。
それでも、原因は漠然と街に入って一人になったからだとは、気付いているのだ。
まぁ……フレット達と別れてすぐに症状が出れば、それ以外に思い付かないだろう。
念の為、異常耐性の腕輪を服の下に身に着けているのだから、毒などの異常が起きているとは思えなかった。
だが、ナザリックを捜して一人で旅を続けるならば、街を避けていては情報を集める事は出来ない。
その為、これは慣れるしか無いとパンドラズ・アクターは気分がこれ以上悪くならない様に気を付けつつ、ゆっくりと目的地に向かって歩き始めた。
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そうして、出来る限り気分が悪くならない様に、できるだけ人混みを避けるように時間を掛けて冒険者組合まで辿り着いたパンドラズ・アクターだったのだが。
冒険者登録に為に、組合の建物の中に入るとすぐに視線を巡らせ、目的の場所は見つかったのだ。
そこに向かうべく、ゆっくりとした足取りで冒険者登録受付をしているカウンターへ歩き出した途端、面倒事に巻き込まれたのである。
一応、
絡んできた冒険者曰く、
【装備は大層な品の様だが、お子様には分不相応の代物じゃないか。
親が金持ちだと、子供でも良い装備が買って貰えるみたいで……ホント、良い身分だねぇ。
親の金を、自分の実力だと勘違いしているような、お前のような年端もいかない子供が冒険者など、周囲の足を引っ張るだけだ!
それとも、冒険者が金持ちの道楽だと思っているのか?
これだから、ガキはどうしようもねぇな!】
と言うものだった。
確かに、パンドラズ・アクターの今の外見は、フレット達と変わらない位の少年だと言っていいだろう。
装備品などが、通常よりも立派な物であり、パッと見た感じが貴族などの裕福な存在に見える事も承知している。
しかし、だ。
実際の自分の実力は、目の前で絡んできた相手よりも数段上である。
その事を、昨夜の経験から自負している身としては、この罵倒は納得がいかなかった。
そもそも、何をもってこちらの実力を判断しているというのだろうか、この相手は。
言われない罵倒に対し、正直言って酷く苛立ちを感じて仕方がない。
ないのだが、ここで相手の挑発に乗って、腹を立てるのも馬鹿らしい。
それに、余り体調も良くない状態で、こんな面倒事に自分から乗ってやる必要もないだろう。
素早く思考を巡らせ、そう判断したパンドラズ・アクターは、にっこりと笑って見せると、するりと相手を避ける。
「ご忠告、わざわざどうもありがとうございます。
一応、これでも第三位階の攻撃魔法と支援魔法、後は弓と剣が自分を守る程度までは使えますので、ご心配なく。
それと、この装備は全て自作の物ですので、別に大した代物ではありませんよ。」
チョイッと、自分が着ている服を指先で摘んで見せながらさらりと言って退けると、パンドラズ・アクターの言葉に驚いて目を見開いている相手を避けて、受付カウンターへと足を進める。
事実、今、パンドラズ・アクターが身に着けている物は、全て自作の物だ。
これは、【ユグドラシル】時代に、あまのひとつ達生産系ギルドメンバーの構成の重なる部分を踏まえ、全て生産系スキルが問題なく使用出来るかどうかの確認の為に、モモンガから与えられた素材を使ってパンドラズ・アクターが自作した
これなら、他の手元にある装備に比べて安価なものだし、多少ダメージを与えたとしてもある程度の素材さえあれば自力で修復可能だった。
自分の手で、どの様に作り出したのか覚えているのだから。
何より、万が一壊してしまったとしても、モモンガに対してそれ程罪悪感を覚えなくて済む。
そういう判断から、幾つもあった候補からこれを選んだのだが。
これは、あくまでもパンドラズ・アクターの主観であり、周囲から見ればとんでもない話だった。
そもそも、この世界の生産レベルでは一般的に出回るのは上級アイテムまでであり、特級ですら余程の事が無いと出回らない、冒険者でもミスリル以上のものが装備する上級装備である。
そんな、出来れば後方で生産系職業として技量を揮って欲しい相手が、冒険者として登録するなどと言う状況を、素直に受け入れるのは流石に冒険者組合側としても難しいというのが、彼らの主張だったのだろう。
「すいません、冒険者の登録をお願いしたいのですが、こちらで宜しいでしょうか?」
丁寧な口調で問えば、受付カウンターの女性はにっこりとした笑顔を浮かべた。
「はい、冒険者の登録はこちらで承っております。
ただ……その前に、一つ確認をさせていただいても宜しいでしょうか?」
一旦間を置いて、こちらの装備一式を確認するように覗き込んでくる。
数回視線が上下した後、彼女は改めて口を開いた。
「そちらの装備は自作と言う声が、私共の元にも聞こえてまいりました。
なので、念の為に確認させていただくのですが、登録は本当に冒険者で間違いありませんか?
冒険者ではなく、鍛冶師等の生産系の職業が希望の場合、こちらでの受付ではなく生産者組合の方になりますので、ご案内させていただきますが。」
是非、そうであって欲しいという色を滲ませながらの言葉に、パンドラズ・アクターは眉を潜めた。
こうして、わざわざ冒険者組合まできて【冒険者の登録を】と明言しているのに、何で間違えていると思うのだろうか。
確かに、全て装備は自前の作品だ、
だが、装備を自作したからと言って、別に鍛冶師を名乗ったつもりもなければ錬金術師を名乗ったつもりもない。
それなのに、まるでそれが当たり前といったようなこの対応をされた事に、苛立ちを覚えるのは当然だった。
普段なら、それでも感情を表に出すことなく、上手く言葉を紡いでやり過ごしていただろう。
【人酔い】で体調不良でさえなければ。
体調不良は、パンドラズ・アクターに余裕ある対応をする事をさせなかった。
故に、気付けば不快さを全面に出して口を開いていたのである。
「……確かに、これは自作で間違いありませんが、私は冒険者の登録をお願いしたいと申し上げた筈です。
もし、私がこの装備一式を作る事が出来るという理由で、冒険者としての登録が出来ないとおっしゃるなら、別にこちらで登録しなくても結構です。
すぐにこの街から出立し、別の街で改めて冒険者としての登録を希望するだけですから。
どうも、お邪魔いたしました。」
そもそも、冒険者には素性を問う事無く誰でも簡単になれるものだと、フレットたちから聞いている。
だから、冒険者組合があるこの街で登録しようと考えただけで、別に急いで冒険者になる必要はないのだ。
路銀の都合もあるし、フレット達とも先程この冒険者組合の手前の道で無事に分かれた今、先を急いでも構わないだろう。
それこそ、移動手段に
何より、先程からしつこいほど自分に向かう不愉快な視線達から、離れられるだろう。
情報収集が出来ないのは少し痛いが、この体調不良と不快な視線の中で無理に続けても、ろくなものは得られない可能性が高い。
そう、頭の中で既に今後の方針をさくさくと決めたパンドラズ・アクターは、迷う事無く受付カウンターの前から移動しようと、身を翻そうとして……受付嬢から引き留められたのである。
「あの……お待ちください!
今の対応は、全てこちらの間違いです。
そちらのおっしゃる通り、どなたでもこちらのカウンターで申請をされれば、冒険者に登録する事が可能です。
ご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした!」
彼女が、自分に出来る最大限の謝罪の意を示しながら。
******
そして……話は冒頭へと戻る。
席を立ち、深く頭を下げながらそうパンドラズ・アクターに向けて、精一杯の謝罪の言葉を述べる受付嬢。
なぜ、彼女がここまでするのか、その対応を不思議に思う者も多いだろうし、別に気にしなくても冒険者のなり手などそれこそ掃いて捨てるほどにいると言う者もいるだろう。
しかし、だ。
問題なのはそこではない。
どう考えても、今回は受付の言動に明らかにミスがあった。
彼女の立場に立てば、あくまでも【間違えていたら大変だから】と言う思いがあったのかもしれない。
それでも、何も詮索する事無く【冒険者になりたい】と申し出た相手を受け付けるのが、彼女の役目だ。
例え、自分がどう思ったとしても、それを口に出して問いただすような真似はするべきではなかったのである。
だからこそ、彼女は自分が役職に外れた行動をとった事を、パンドラズ・アクターに謝罪しているのだ。
あくまでも非は彼女にあり、パンドラズ・アクターでなくても同じように詮索して、勝手に大丈夫なのかと確認を取られたら、不愉快になって同じ様な事をするだろう。
それなのに、何故か大声で謝罪を口にした彼女の行動によって、周囲からの視線が非常に痛く感じられた。
興味本意で向けられているだろう視線が、パンドラズ・アクターの中の体調不良と結び付いて不快さを増していく。
正直……彼女の謝罪を無視してこのまま出て行っても構わなかったのだ。
だが、それをするとそのまま面倒な事になりそうな気がしたので、仕方なくそれを受け入れる。
「……判りました。
そこまでおっしゃるなら、今回は水に流してここでの冒険者としての登録をお願いします。
ですが、私は人捜し中ですので、この街はもちろんですがこの国にもそれ程長く滞在出来ないかもしれません。
それでも、冒険者としての登録をここで行っても大丈夫なのですよね?」
念を押すように、パンドラズ・アクターはが静かな口調で問い掛ければ、受付嬢は当然だというように頷いて同意する。
「もちろん、大丈夫です。
冒険者は、自分の意志で所属する国を選ぶ事が出来ますから。
それでは……登録の手続きの説明に入りたいと思いますので、登録されるお名前を教えていただけますか?」
「では、サーティ・ルゥでお願いします。」
パンドラズ・アクターとしては、きちんと登録受付さえしてもらえれば文句がない。
多少の不快さは残るが、ここで揉めるよりも素直に名前を名乗り、手続きを済ませる方が面倒がないと名前を口にした。
あちらも、これ以上こちらを怒らせたくないのだろう。
素早く手続きを済ませていく。
そうして、冒険者となる為に必要な手続きと講習を、無事に終了させたのだが……
面倒事とは、一度起きると立て続けに起きるものらしい。
多少揉めはしたものの、この街で冒険者として登録出来たので、一先ず宿を取って今日はもう休みたいと、本気でパンドラズ・アクターは思っていた。
それ位、思わぬ気疲れをしてしまったのだ。
冒険者組合までの道すがら、フレットからこの街の宿屋でも比較的安くて安心して泊まれる場所を教えられていたので、そちらへ足を向ける。
宿屋は、表通りから一本奥に入ってすぐの場所だ。
そんな場所で、バカな真似をする者は居ないだろうと思っていたのだが……道を曲がった途端、レベル十五前後の集団に取り囲まれてしまったのである。
その中に、先程絡んできた
一応、こちらの実力は伝えたものの、相手が本気にしていないのかもしれない。
もしくは、街の中での魔法行使が有事以外では法に抵触する事から、集団で取り囲めば抵抗出来ないだろうと判断したのだろうか?
魔法が使えなければ、身を守る程度の剣と弓の腕前など、それなりに仕えたとしても子供と大人の対格差を考えれば、特に問題ないと思ったのかもしれない。
どちらにしても、不愉快極まりない行為を受けている事は、間違いなかった。
「……なぁ、坊や。
装備を自作する位腕の良い鍛冶師なんだってなぁ。
確かに、坊やが身に着けている装備は一級品だ。
そんな腕がいい鍛冶師の坊やが、一人で旅しようなんて危ねぇぜ?
人捜しするのだって、人手がなけりゃ時間ばかりかかって仕方がねぇもんだしよ。
だから、物は相談だ。
うちのチームに入らねぇか?」
パンドラズ・アクターを取り囲んだ集団の中で、一際装備がいい男が声を掛けてくる。
装備は見た所上級で固められていて、本人のレベルは二十前後といった所だろうか。
なるほど、この男がこの集団のリーダーなのだろう。
≪……薬品店で目を付けられたのかと思っていましたが、もしかしたらこの街に到着した辺りから付け狙われていたのかもしれませんね。
装備だけなら、鑑定スキル持ちが見れば直にレベルが判明してしまいますし。
そこで、貴族の子供だと思ってちょっかいを掛けたら予想外の付加価値が判明して、こうして直接声を掛けてきたといった所でしょうか。≫
先程、自分に絡んだ男がこのチームの斥候役といった所なのだろう。
自分たちにとって、様々な意味で味方に引き入れたら有益そうな新人に目星をつけ、こうして勧誘するための試金石の役割を請け負っていたからこそ、あんな風に絡んできたのかもしれない。
貴族の子弟で、高価な装備を平然と着こなしている時点で、実家からの支援があると思ったのだろう。
絡まれた理由には納得したものの、別の意味で不愉快に感じた。
実力が段違いの劣る相手に、こんな風に試されて気分が良い訳がないのだ。
元々、体調不良だったところに大勢で囲まれた事も、不愉快さに拍車を掛けていく。
しかし、相手はパンドラズ・アクターの機嫌が悪くなっている事など欠片も察することなく、自分たちの都合だけで勝手に話を進めていた。
「なに、それほど話は難しいもんじゃない。
坊やが、俺たちのチームに入って装備を全員の分作り続けてくれるなら、これからの坊やの護衛と人捜しの手伝いをしてやろうって事さ。
それだけの装備を俺たち全員に作ってくれるなら、むしろ坊やの人捜しが終わるまで面倒見てやってもお釣りがくる位だしな。
そっちだって、人手があれば人捜しも早く終わるだろう?
どうだ、お互いにとって悪い話じゃねぇだろうし、坊やさえ良ければ今からでも冒険者組合に戻って登録を追加してきてくれねぇか。」
こちらの意見などまるで聞かず、一方的に話を進めて決定事項の様に冒険者組合へ行こうと言い出す男と、同意する様に頷いている取り巻きたち。
その、あまりにも身勝手で不愉快すぎる言動に、パンドラズ・アクターは小さく溜息を吐いた。
お互いにとってなどと言うが、正直言ってパンドラズ・アクターにはメリットなど殆どない。
パンドラズ・アクターがしているのは、単純な人捜しではないのだから。
モモンガやナザリックの特異性を考えれば、むしろこの手の男たちの手を借りるのは最悪の方法だと言っていいだろう。
それが判っていて、こんな身勝手極まりない提案をパンドラズ・アクターが受ける筈がなかった。
「……勝手に話を進めないでください。
申し訳ありませんが、そのお話はお断りさせていただきます。
確かに、私は人を捜しておりますが、これは私自身の師から与えられた課題のようなもの。
少なくても、あなたたちのような方々の手を借りていては、例え師を見付けたとしてもその課題を終了させたというお許しをいただく事は出来ないでしょう。
そう、これは私自身が自分の足で師を見付け出すという、そう言う類の課題なのですから。
後、この装備と同じレベルのものをあなたたち程度の者の為に【制作しろ】などと、随分と欲深い事を言い出すものですね。
そもそも、あなたたちはこれを作り出す為に必要な素材を、どの様に捻出するつもりなんですか?
先に言っておきますが……このレベルの装備を作る為には、それに応じたレベルの素材が必要なのですよ?
この辺りなら……そうですね、鉱石ならミスリル銀は最低でも必要ですし、他にも
装備に必要な素材の確保から、私にすべて任せるなどと言う話なら、最初からお話にならないレベルですね。
以上の理由から、改めてお断りさせていただきます。
……宜しいですね?」
相手に合わせ、口を挟む隙を与えずにつらつら断る理由を連ねてやれば、顔を強張らせて怒りを耐えている様子の男達。
まさか、自分たちの提案が断られると思っていなかったのだろう。
これだけの集団相手に、見た目に弱そうな鍛冶師であり
そんなもの、相手の勝手な思い込みでしかなく、パンドラズ・アクターには関係がないので、あっさりと放置する事を決定して、彼らの脇をすり抜けようと一歩足を踏み出した瞬間である。
自分との実力差も判らず、パンドラズ・アクター物言いに腹を立てたらしい、取り囲んでいた男の一人が既に抜き身で持っていた剣で切り掛かってきたのは。
誰もが、このタイミングでは避けられないと思って見ていたのだろう。
取り囲んでいた人垣で、剣を上手く隠していた上で背後から一気に切り掛かったのだから、周囲の反応は当然の反応かもしれない。
むしろ、彼らにとってこれは常套手段の一つであり、失敗した事が無い攻撃だったのだ。
先制攻撃が成功し、相手の心を恐怖で折るまでが一連の流れであり、今回もそうなる筈だったのだ。
しかし、今回ばかりは相手が悪かったと言っていいだろう。
何故なら、パンドラズ・アクターは冒険者組合で自己申請した以外の戦闘手段を山ほど持ち、それこそ彼ら程度の相手なら片手で捻る事が出来るだけの実力者だったのだから。
そう、この彼らにとって常套手段である不意打ちの先制攻撃も、最初の段階で抜き身の剣の存在とその位置を把握されており、彼にとっては別に不意打ちですらなかったのである。
最初から、断れば即座に攻撃が来ると判っていれば、パンドラズ・アクターにとって避けるのはそれほど難しくはない。
体調不良も手伝って、暴漢相手に手加減などしてやる余裕はなかったので、パンドラズ・アクターは背後から切り掛かってくるのを感じた瞬間、大きく一歩踏み出して距離を取る事で剣を避け。
次の瞬間には、一旦開けた間合いを更に大きく一歩踏み込む事で一気に詰める。
相手がその素早い動きに怯んだ瞬間、剣を握る手を掴んでその鳩尾に一撃、全身の体重を乗せた掌底を放つと、その衝撃に相手の身体が前のめりになり、そのままぐらりと体が揺れて。
掌底を食らい、その衝撃に膝から崩れ落ちる相手に対して、更に首筋に手刀で追い打ちをかけて完全に意識を刈り取ると、パンドラズ・アクターはこの集団のリーダーに対して視線を向けた。
静かに、周囲を威圧するような鋭い視線を向けられ、思わず怯む相手の様子を気にする事無く、パンドラズ・アクターはゆっくりと口を開く。
「……自分たちに従わなければ、実力行使という訳ですか。
まるで、盗賊と変わらない行動をするのですね、あなたたちは。
これでは、胸元の
後、自己申告したのは特に私が得意な分野だけで、一応武芸一般は師から仕込まれていますのであしからず。
では、これで失礼させていただきます。
もう……二度と絡んでこないで下さいね。」
にっこりと笑みを浮かべながら、体調不良など欠片も悟らせない様にゆるりと殺気を放って威圧すると、その場にいた全員が一気に震え上がり、恐怖で腰を抜かすように崩れ落ちていく。
その様子を一瞥しただけで、何の興味もないかのように身を翻すと、パンドラズ・アクターはそのままその場を立ち去った。
これ以上、彼らに関わり合いになりたくなかったからである。
***************
結局、パンドラズ・アクターがこの街の宿屋を取ったのは、一泊だ。
フレットに勧められた宿屋は、比較的安価で安全なだけではなく、宿屋の亭主も人が良く色々と気遣いが出来る人だったから、その場で宿を取ることを決められたものの、もしそうでなければそのまま街を出ていただろう。
それ位には、嫌な事が重なり過ぎてこの街の住人に対して良い感情を抱けなかったのだ。
この宿は、どちらかと言うと冒険者たちよりも商人たちが利用する事が多いらしく、下手に絡んでくるものもいなくてとても気が楽だった事も、その宿屋で一泊お世話になる決め手になったと言っていいだろう。
用意された食事も、値段と比較して十分満足いくものだった。
これならば、確かにフレットが進めてくれるだけはあると思いつつ、疲れが溜まっていた昨夜は早々に部屋に引き上げたのである。
とにかく、一晩ゆっくりと過ごす事が出来たのは、今のパンドラズ・アクターにはありがたかった。
ゆっくり休めたお陰なのか、昨日程体調が悪くないからだ。
今日は、半日掛けて街の中を急いで見て回りながら簡単に情報を集め、ついでに普通の冒険者として必要最低限の品を揃えて偽装する必要がある。
そう、偽装。
正直言って、モモンガから与えられたアイテムのおかげで、パンドラズ・アクターは飲食などの必要がない。
だが、普通の人間は食事をしないなんて事はありえない訳で。
そう考えると、本来なら必要のない携帯食などを買い集めないと、例え数日間の移動でもそれが何回も重なれば不自然に思われるだろう。
昨日の一連の出来事で、自分には大した装備ではないと思って自作したと言った事でも、この世界ではとんでもないレベルの技術に当たる為にトラブルを招き入れる事を、目の当たりにさせられたのだ。
出来るだけ、周囲から目立たない様に行動する必要性を、この一件で思い知らされたと言っていいだろう。
故に、誰の目から見ても不自然な行動は、どうしても避ける必要があった。
こんな事から、この国に出入りしているというスレイン法国の関係者に目を付けられたら、それこそモモンガ様たちを捜すのに余計な手間が掛かるからだ。
「……本当に煩わしい事ばかりですが、仕方がありませんね。
全て、モモンガ様の元に辿り着く為に必要な事だと思って、割り切る事に致しましょう。
それにしても……路銀、思ったよりも掛かりそうです。
一応、宿代は先払いしていますし、買い込むのは携帯食と地図程度で済むでしょうから、次の街までは持つと思いますが……
こんな事なら、二日前の山賊達の襲撃の際、彼らを倒した証になる様な物を、手に入れておくべきでした。
私の持つ、消耗品系の下級アイテムを売り払うという手もありますが、それは最終手段にしておきたいですし。
この装備程度で、昨日のあの騒ぎですからねぇ。」
そんな事をしたら、今度こそ生産者組合に所属して、この街でアイテムや装備を作り続けるように強制されそうである。
まぁ……パンドラズ・アクターにはそれに従う義務も義理も責任もないから、無視して先へと進むだけなのだが。
ただ、その事を伝令か何かで国中に伝えられ、指名手配のような扱いにされてしまっては流石に困るのだ。
せっかく、この姿で【道化師の請願】の能力と【至高の方々】の能力の双方を安定させている状況なのに、それが使えなくなるのは困るなんてレベルでは済まない。
うっかりすると、どちらかが暴走して大騒動になるか、逆にどちらも一時的に使用不可能になる可能性すらあるのだから。
「とにかく、これ以上は目立たない様に気を付けないと、それこそどこで足元を掬われるか判りませんからね……」
「本当に、侭ならない」と溜息を付きつつ、朝食を取る為に一旦部屋を後にしたのだった。
久しぶりのパンドラ視点の更新になります。
正直、加筆部分が多すぎてこちらの話の更新が遅れました。
いっそ、分割して二話分にしようかとも思ったんですが、既に一話分分割済みなので、このまま投稿する事にしました。
これで、パンドラ視点のストックも終了です。
これからは、毎日投稿は難しいかもしれません。
のんびり更新に変更するので、気長にお付き合いください。