ネムの駆けていく世界   作:社財怪剣

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冒険者

 

 エ・ランテルは王国領において重要な拠点である。スレイン法国とバハルス帝国との国境に近いこの都市には、高い城壁が築き上げられ城塞都市とも呼ばれている。人口も多く活気に溢れていることもあり、自然と武器や道具などを扱う店も増えるという賑わいをみせている。そんな様々な目的を持った人の溢れるエ・ランテルでは冒険者組合への依頼も多く、近隣から冒険者を目指す者たちが野望や夢を抱いて集まっていた。

 

「とうちゃーく!」

 

 ネムは都市の門を潜ると辺りを見渡しながら、久しぶりのエ・ランテルの光景に胸を弾ませた。この都市へ来るのはネムにとって二度目だ。一度目は親に連れられて薬草の運搬に連れていってもらったとき。カルネ村からほとんど出ることの無かった彼女にとってエ・ランテルのような都会は新鮮な光景だ。

 

 自分は何故アインズ・ウール・ゴウンに従うのか。心の中にアルベドの問いが木霊する。アインズから命令をもらえるから?あの時の答えはきっと正確じゃない。でも他に何もないんだから仕方ないじゃないか。すでにネム・エモットという人間はあの日、村人のみんなと一緒に死んでしまったんだ。姉が必死に助けようとしてくれたのに何も出来ずに、ただ泣いているだけだった無力なネムは騎士に斬られて命を落とした。

 

 ネムはお気に入りの髪留めを外して活気のある街の空気を感じていた。縛っていた髪を解くと風に乗って肩の後ろまで赤髪が揺れている。ここにいるのは種族も生きる目的も分からない異形種。だから……これでいいんだ。

 

「わたしはアインズ様の使い魔『ネム』」

 

 髪留めをポケットへ押し込めるとにっこり微笑んだ。ネムは村にいた頃のような表情を取り戻すと、目指すべき冒険者組合を探し始める。

 

 髪と共に風に揺れるのはアルベド手作りの黒茶色の風除けローブ。はためくローブの下はいつも着ていたネムお気に入りの服。そして背中にはアインズからもらったネムの背丈には大きすぎる刀剣。腰に下がった小さな袋にはアインズ曰く、お小遣いという名の銅貨が50枚といくつかのスクロールが入っている。

 

 ネムはその恰好をかなり気に入っていた。服の上からローブを羽織っているだけなのに旅人のように見える。他の冒険者に歓迎されることを期待しながら、エ・ランテルの街を駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バンッ!冒険者組合の受付前にいた者たちの視線が自然と音のした方に集まる。予想通りと受け流す者や、ニヤニヤと事の成り行きを楽しむ者まで様々だ。受付嬢は机を叩くと笑顔で迎えるべき登録希望者に眉をひそめながら強い口調で答える。

 

「ここは遊び場じゃないんだよ。冒険者組合だって暇じゃないの!」

 

 困った顔で遊びじゃないよと喚くネムに受付嬢の怒りは分かるはずもない。自分だって初めは冒険者に憧れたこともあった。だがその過酷な環境、命がけの仕事を目の当たりにして今は受付嬢として働いている。常に命の危険と隣り合わせで生きるのが冒険者というもの。だから実力がどうあれ必死の覚悟をもって働く冒険者に彼女は敬意と笑顔をもって依頼を託すのだ。どう考えても目の前の存在は冒険者を勘違いしている。昔の自分のように……いや、それ以上の世間知らずの馬鹿なのだろう。

 

「冒険者の登録は流れ者だろうと得体の知れない奴でも問題ないわ。でもね、命がいくつあっても足りないような依頼だって多いの。それを分かってる?」

「お姉さんが何で怒ってるのか分からないですけど……たぶん大丈夫です。わたしは冒険者で一番にならなくちゃいけないの」

 

 はぁ、とため息をついて受付嬢は髪をかき上げる。その小さな風体でよくもそんなでかい口が叩けるものだ。冒険者の頂、アダマンタイトの冒険者は庶民にとって憧れの存在であり、何人もの冒険者が目指す英雄とも言える地位。立派な武器を背負ってはいるが、そんな村娘のような格好で何が出来るというのか。

 

「はいはい。子供は夢が大きくていいわね。ところであんたの名前は?ついでに自己紹介とかあると依頼主の希望の人材を聞くときに助かるんだけど」

「名前はネムです。身寄りがなくて近くを旅しているところを紹介されてここに来たという設定で……あ、えーと……冒険者に憧れて村を飛び出した旅人でしたっけ?」

「なんでそこで疑問形になるのよ!?」

「えへへ。そんな感じでお願いします!」

 

 受付嬢は『どこぞの村から飛び出してきた頭の沸いた田舎娘』と自己紹介文に記入すると引き出しを開けて紐のかかった一枚の銅板を取り出す。

 

「それじゃあ現実を知ってくるといいわ。これは冒険者のランクを示す証だから首にでも下げておきなさい」

 

 そう言うと受付嬢は(カッパー)のプレートを取り出すと嫌そうに顔を背けながら差し出した。ネムはプレートを受け取ると「わぁ……」と目を輝かせながらプレートを持ち上げて興味深そうに眺めている。

 

「ありがとう。受付のおねーさん」

「……怖い目にあって冒険者を辞めるならここに帰ってくるといいわ。あんたみたいなのを受け入れてくれそうな仕事場でも紹介するからさ」

「うんっ!」

 

 まあ、すぐに泣きながら返却しに来る事になるだろう。これから紹介する冒険者の宿は銅から鉄のプレートの冒険者が集まる酒場でもあるのだから。彼らが世間知らずの田舎娘へそれなりの洗礼をするはずだ。ここで会ってしまったのも何かの縁か……できるだけ傷つかずに戻ってくることを祈ろう。そう思いながら受付嬢はネムに宿の場所を教えると、小さな後ろ姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

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 都市の中心部から外れて人通りの少ない路地の一角にその建物はあった。ギィ…と硬い音を立ててネムは冒険者の宿の扉を開ける。埃や食べかすが落ちている汚らしい床にアルコールの匂い。宿の一階は意外と広く椅子や机が並べられた酒場となっており、そこには危険を匂わせる雰囲気の者たちが集まっていた。どう見ても柄の悪いゴロツキのたまり場としか言いようがない。そのまま扉を閉めて外の看板を確認するが、どうもここが冒険者の宿で間違いないらしい。

 

 再び扉を開けると、ほぼ全ての視線が自分に向けられている事に気づく。確認するのは胸に下がった銅のプレート。それ以前に彼女の容姿を見て口を開けて固まる者や、眉を顰める者もいる始末だ。

 

 冒険者組合でもまともに相手にされていなかったのだから、こうなるのも仕方ないのかなとネムは肩を落とした。カルネ村にいた頃からイメージとして知っていたが、ランクの低い冒険者がここまで暴漢と変わらない人たちの集まりだとは思わなかった。

 

 きっとナザリックに来る前の自分だったら泣いてしまうくらい怖い場所だったのかもしれない。でも不思議と怖いという感情は湧いてこなかった。だってそこにいる全員がいつも特訓していたバジーくんに比べてとても弱そうだったから。

 

 視線を気にせずに酒場を見渡すと、薄暗く汚い店内の奥のカウンターらしき場所にモップを持った大男がいる。前掛けからすると、この宿の主人と思われるが他の人と同様に呆れたような視線をこっちに向けている。

 

「何の用だ。ここは託児所じゃねえぞ」

 

 大男の声に合わせるように店内に笑い声が木霊する。プレートを持っているんだから冒険者だと分かっているくせに。ここまで笑いものにされるとさすがに怒りが湧いてきた。主人の言葉に真っ赤にして頬を膨らませてるネムの姿がツボに入ったのであろう。店内の笑い声はさらに大きくなっていく。

 

「宿をとりに来たんですけど。おいくらですか?」

「ここは冒険者の宿だ。受付のねーちゃんが何を考えてるか知らねえが、お前みたいなガキが来る場所じゃ……」

 

 ガシャンと食器の落ちる音や椅子が倒れる音が響くと、先ほどまで笑いに包まれていた店内には悲鳴と這いずるような軋みが残った。

 

“絶望のオーラⅠ”

 

 我慢の限界に達したネムの体から黒い絶望を模ったオーラが発せられると、そこにいた冒険者の誰もが恐怖に縛られて動くこともできない。倒れ込んで体を震わせながら、情けない声をあげる事しかできなかった。見た目は強そうだった宿の主人は倒れることは無かったが、顔を真っ青にして手を震わせている様子からまともに動けないことが分かる。どうやらネムの使ったスキルを無効化できるほどの強者はここには居ないらしい。

 

 そんなに弱いのになんで意地悪するんだろう。ネムは都会って怖いなあと思いながらカウンターの上に飛び乗る。絶望のオーラを止めるとスキルの余韻で動けない宿の主人の眼前にゆっくりと刀剣を突き出した。

 

「宿に泊まりたいな!」

「わ、悪かった。一日銅貨2枚だ。詫びに食事代はサービスしてやる」

「最初からそう言ってくれればいいのに……」

「親切心で追い返そうとしてやってたんだが。まあいい……部屋は二階だ」

「はーい」

 

 ネムは主人の眼前に突き付けていた刀を鞘にしまうと不満げな顔でカウンターを飛び降りた。その様子を冒険者たちは静寂をもって眺めていた。彼らの化け物でも見るかのような眼差しを受け、ネムの額に嫌な汗が浮かぶ。少しやり過ぎたかもしれない。

 

 ネムはこの世界の常識を知っている。ナザリック以外では普通の人間が出来ないこと、異形種であることを疑われるようなことをするべきではなかった。みんな怖がって当たり前だ。

 

「こんにちは冒険者の皆さん。今日から新しく冒険者になったネムです。お仕事で一緒になったら、さっき見せたような武技とかを使ってお手伝いするのでよろしくお願いします」

 

 ネムが深くお辞儀をしながら丁寧なしぐさで挨拶すると、ああ…と数人から乾いた声が聞こえてきた。それを聞くとネムはにっこり笑いながら、宿の階段を二階へと上がっていった。一歩間違えば得体の知れない化け物という評価をされていたのかもしれない。だが残された冒険者たちの顔に浮かんでいたのは安堵と驚愕、そして羨望だった。

 

 その姿が見えなくなると一階の酒場はネムが来る前以上の騒々しさを取り戻し、各々が好き勝手言いながら話は盛り上がっていく。話題はもちろん先ほどの新入りについてだ。

 

「凄ぇガキが来やがった。あんな武技見たことがない」

「いつの間にでけえ刀を抜いたんだ。あの小さい腕で抜けるのか?」

「だが礼儀正しいじゃないか。俺は気に入ったぜ」

 

 盛り上がる一階の様子を階段の手すりから見下ろしながらネムは小さく溜息をつく。上手く誤魔化すことは出来たのだろうか。自分が魔物である事を気づかれてはいけない。これはアインズから念を押して言われていたことだ。

 

 もしも……バレてしまったら都市の冒険者が総出で襲ってくるのだろうか。それは都市の平和を守るために仕方のない事なのかもしれない。

――たとえ同じ人間であっても自分の都合で村ごと皆殺しにするくせに……。

 

 ネムは階段に背を向けると、刀剣を大事そうに抱えて部屋の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ネムは午後からエ・ランテルを巡りながら街並みを満喫していた。露店にはカルネ村にはない美味しそうな物が陳列されているのでつい見入ってしまう。銅貨一枚で買ったお菓子を手に持ちながらの観光はとても気分の良いもので、朝の嫌な疲れが吹き飛んでしまった。そしてアインズがくれたお小遣いの多さに血の気が引いてしまうのだった。

 

 都市を一通り回ってみたものの、今のところアイテムや装備などは必要なさそうだ。防具はほとんど大人向けで装備できず買っても邪魔なだけだろう。だからお菓子をもう一つ買って行く。必要な物なのだから仕方ない。

 

 

 夕焼け色に都市の空が染まり、辺りに夕食の香りが漂う中、冒険者組合の近くで馬車の準備をする人たちがいる。胸には銀のプレート。自分より少し年上くらいに見える女性を含めた若々しい冒険者の一団が旅の準備をしているようだ。これから夜になるというのに出発するのかな?と眺めていると、その女性がこちらに気づいたようで微笑みながら手を振ってくれた。そんな優しい対応が嬉しくて無意識に手を振り返していた。

 

 ネムは少し冒険者というものを誤解していたのかもしれない。あの宿を紹介した受付のお姉さんに苦情の一つでも言いたくなってくる。ネムは仲良さげに声を掛け合う冒険者を見て、くすっと笑うと宿の方へと歩き出した。

 

「ネムッ!」

 

 急に後ろから名前を呼ばれて思わず振り向いてしまう。声の主は先ほどの馬車の方向。荷台から身を乗り出し、冒険者とは違う人物が驚いた顔でこちらを凝視していた。目元を隠すほどに前髪を伸ばした女性のように弱々しい姿はネムにも見覚えがある。

 

「ンフィーレア……お兄ちゃん」

 

 ネムが呟くように小さな声で名前を呼んだ。ンフィーレアは馬車の荷台から飛び出すとネムの方へ走り寄って来る。彼はカルネ村へよく遊びに来てくれた薬師。そしていつか……本当の兄になるかも思っていた人だ。エ・ランテルで唯一ネムの事を詳しく知る人物なのかもしれない。ネム自身も会えてすごく嬉しい。でも……ネム・エモットはもういないんだ。

 

「そうだ間違いないよ。今朝、村が襲われてみんな殺されたって王国の戦士から聞いて……心配してたんだよ!」

「わたしの名前は確かにネムっていいます。でもお兄ちゃんが探してる人とは違うと思うよ」

「そんな……間違えるわけがない。何度もカルネ村で遊んだじゃないか」

「わたしは旅の冒険者だよ。その子とは似ているかもしれないけど違うでしょ」

 

 結んでいた髪を解いただけで印象はかなり変化する。ンフィーレアはネムの真っ赤な髪と、紅い瞳を見つめながら苦々しい顔を浮かべる。そして銅のプレートに背中には大きな刀。かつてのネムから今の身なりを想像するのは難しいだろう。

 

「ごめん……人違いだったみたいだ」

「うん、人違いだよ。ンフィーお兄ちゃんてばそそっかしいんだから!」

「………これからカルネ村に行くんだ。襲われたのは何日か前らしいけど、生き残った人がいるかもしれない」

「そうなんだ……カ、カルネ村っていう所は知らないけど」

 

 ネムは俯いたまま暗い返事しかできない。生き残りなんていない。それはネムが一番よく知っているのだから。ンフィーレアは確認するかのようにネムの反応を見ながら話を進める。

 

「たしか君は冒険者だよね」

「まだ銅のプレートの新人なんだけどね」

「じゃあ僕が君を……ネムを雇うよ。カルネ村まで一緒に来てほしい」

「えっ、ちょっと待って。依頼の受け方とかまだよく分からなくて……」

「ごめんね。ちょっと急いでるから正式な手順を踏んでる場合じゃないんだ」

 

 返事を待たずにンフィーレアはネムの手を引いて馬車の方へと向かって行く。「ネムはお腹空いてない?」と声をかける様子はまるで以前と変わらない。さっき…人違いって言ってくれたはずなんだけどな。小さな疑問を持ちつつも暖かい手を壊してしまわないように優しく握り返した。

 

 冒険者としての初任務はなんとしても成功させなければいけない。

 アインズ・ウール・ゴウンの為に。

 

 

 

 


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