ネムの駆けていく世界   作:社財怪剣

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虚ろな在り方

 「ネム、そこで伏せてッ!」

 

 アウラの指揮に従い、その場で地べたへ身を屈めると同時に鋭い爪が頭上を通過する。

背後にあったジャングルの木が大きな音を立てて薙ぎ倒されるのが見えた。

「あわわわ……」と声をあげるネムの上空、息をつく間もなく飛び掛かる巨大な魔獣、ギガントバジリスクの影が迫る。

 

「側面に飛んで!タイミングを計って着地した瞬間を斬り付けるの!」

「はい!」 

 

 ネムが横へジャンプして向きを直すと、タイミング良く巨体が樹木の間を縫うように落下してきた。地面に大きな衝撃が走り土煙が上がる。しかしその瞬間こそが狙うべき着地硬直の隙。反撃のチャンスだった。

<二光連斬>

とっさに背を向けて回避しようとしたのか、無防備なギガントバジリスクの背面に一対の剣撃が迫る。鋼の鱗に刃が当たり、ギギィンという硬い金属音がジャングルに響いた。相手は背後を見せたまま。このまま後ろから追い打ちをかけようとネムは刀を構えて飛び掛かる。

 

「あ、ちょっと。それはまずいって…」

 

 耳に入ったアウラの声に攻撃を止めようとしたが、飛び掛かった勢いは止まらない。木々と似た保護色で横から迫る攻撃、図太く長いギガントバジリスクの尻尾が無防備だったネムの側面を捉える。刀を立てて防御したが威力は殺せなかった。尾撃はネムの脇腹を大きく打って吹き飛ばす。

 

 「きゃあああっ!」と悲鳴を上げながらネムはジャングルの木にバサバサと音を立てて突っ込んでいく。急いで立ち上がろうとしたが、ダメージが大きいのか足に力が入らない。見上げるとギガントバジリスクの大口が牙を剥いてネムの頭上で止まっていた。実戦ならばそこで命が無いかもしれないがこれは模擬戦だ。勝敗が決まったことを悟ったギガントバジリスクは舌を伸ばしてネムの擦り傷から滲んだ血をぺろぺろ舐めていた。

 

「負けましたー」

「はいはいお疲れ様。これで49敗1引き分けだね。ずいぶん防御が上がってきたみたいじゃない。最初の頃なら体が真っ二つに千切れてもおかしくない攻撃だったよ」

「バジーくんなんだか手加減がなくなってきているような気がしますよぉ……」

 

 バジーくんというのはネムが名付けたギガントバジリスクの愛称だ。ここ数日、手合わせしている内にバジーくんとはとても仲良くなっていた。第6階層に住むモンスターにも顔見知りが増えて、ナザリックこそがネムの居場所となっている。ネムはそんな毎日がとても楽しいのだった。

 

「いい友達が出来たみたいで良かったじゃない。あんたの強さに合わせて戦ってくれてるんだよ。まあ、さっきは負けないようにかなり本気だったみたいだけど」

「わたし、あんまり強くなれた気がしないんです。アインズ様に叱られてしまうでしょうか」

「肉体的にはけっこう強くなったんじゃない?問題はそこじゃないかもしれないけど、あんたの成長ってよく分かんないところあるからね。それもあって明日はアインズ様に呼び出し受けてるんだから落ち込んでないでしっかりしなさいよ」

「でも、せっかくアインズ様と同じ異形種になれたのに。人間みたいに弱いままでは何の役にもたてません……」

 

 だがネムの不安は身体的な強さではなく別の方にあった。アインズが自分を救ってくれた時に見た奇跡、絶対的な力を振るう戦いの光景が今も目に焼き付いている。瞬時に無双の兵を作り出すスキルに神のごとき威力を誇る魔法の数々。それに少しでも届かなくてはアインズ・ウール・ゴウンの使い魔として失格だろう。もしかしたら役立たずとして捨てられるかもしれない。全てを失い、アインズの為に尽くす以外に存在理由のないネムにとってそれが一番怖かった。

 

「あんた、少し勘違いしているみたいだけどさ。今のネムより弱い奴なんてナザリックにもたくさんいるんだよ」

「それでもアインズ様の役に立ちたくて……」

「そいつらはどんなに望んでも、アインズ様の為に戦いたくてもステータスは変わらない。成長できない。だから創造主が望んだ存在でいられるように、在るがままを全力で生きてる」

「そ、それは……」

「ナザリックの一員ならば自分の存在に自信を持ちなさい。思い通りに強くなれないのもあんたの在り方、そうあれという意思の下に創造されたんだから」

「…………」

 

 アインズ様はどうして自分を異形種にしてまでナザリックに置いてくれたのだろう。ネムには決められた在り方というものすら与えられていない。ナザリックには守護者をはじめ強い方たちがたくさんいる。使い魔なんていなくても世界を手に入れることなんて容易いはずだ。ナザリックに……アインズ・ウール・ゴウンに望まれていないのなら……あの時の選択は間違いだったのだろうか。

 

 

 視界が霧にかかったようにぼやけて暗くなっていく。闇の向こうで村のみんなが呼んでいる声が聞こえる。闇の中にあるカルネ村では懐かしい風景と変わらぬまま。農業に勤しみ、薬草を集めながら村人たちが笑顔で暮らしている。

 

「お前も早くこっちに来なさい」「ネムがいないと寂しいわ」「みんな待っているぞ」

みんなが呼んでいる。行かなくてはいけない。でも一人だけ、自分がそこへ行くのを否定する人がいる「こっちへ来てはダメ!」と強い瞳で自分を逃がそうとしてくれる。だから……わたしはあの方に付いていく。絶望と恐怖を模った黒いオーラを纏う創造主の為に生きる。

 

“絶望のオーラⅠ”

 

 ネムの体から黒い靄のようなオーラが立ち上っていく。それはユグドラシルのキャラクターが使える特殊能力の一つ。範囲内のレベルの低い相手にバッドステータスを与える効果があるスキルだった。

 

「ふ~ん、やればできるじゃん」

「これはアインズ様の……」

 

 初めてアインズと出会った時にこの黒いオーラを見たことがある。でも何か弱い気がする。アインズのオーラはもっと禍々しくどんな相手でも戦意を失いそうなくらい恐ろしいものだった。それでも主に少しでも近づけたことはとても嬉しい。ネムの顔に僅かに笑顔が戻るとアウラは機嫌が良さそうに後ろ手を組みながら歩いていく。

 

「あの……今日も特訓ありがとうございました」

「はいはい、また機会があれば付き合ってあげるよ。あんたもナザリックの仲間なんだから」

 

 「それじゃ、今日はお疲れ様」と言いながらアウラはギガントバジリスクを連れてどこかへと走り去っていった。あの力強さはどこから湧いてくるのだろう。たとえ少し強くなったのだとしてもネムはアウラにまったく近づけた気がしないのだ。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ナザリック地下第10層。夜が明けてネムが呼び出されたのはナザリックの最奥地、終点ともいえる玉座の間だった。そこは神々の住む世界。ナザリックに来た日、第9階層の一部に連れてこられた事があったが、その時は周りを見る余裕がなかったため気が付かなかった。重要な命令があると緊張していたネムだったが、玉座の間に広がる幻想的な景色に目を奪われてしまう。豪華で巨大なシャンデリアが並び、すべての柱が宝石でできているかのように輝いている。玉座は世界の支配者が座るに相応しい装飾の結晶であった。そこに座すのは会いたかった主の御姿。夢のような世界に胸がワクワクして止まらなかった。

 

「使い魔ごときがアインズ様を前に頭を下げないとはどういう了見ですか?」

 

 玉座の傍に控えていたアルベドが警告の言葉を投げかけたが聞こえていないようだ。ネムは景色を眺めながら回るように目を輝かせていた。しかし客人の立場ならともかく使い魔がこれでは示しがつかない。

 

「凄い……凄いです!」

「控えろ……と言っているでしょう」

 

 キョロキョロと周りを見渡して興奮しているネムを見兼ねたアルベドが一歩前へ出ようとしたところをアインズの右手が制した。

 

「何がそんなに凄いのかね?」

「凄いです!このお部屋キラキラですよ。こんなの凄すぎます!」

「ふむ、そういえばお前にナザリックを案内したことは無かったな。そうだ。凄いだろう」

 

 時間があるならナザリックの内部を見せても良かったかもしれない。ネムが客人だったらアイスクリームでもご馳走してやりたいくらいだ。凄い凄いと玉座の間を駆け回るネムを見てアインズは上機嫌に笑い続けた。

 

 

 

 

「先ほどは興奮して済まなかったなアルベド」

「アインズ様がお喜びになられるのであれば私は構いません」

 

 その様子に少し拗ねたようなものが感じられたが仕方がない。友人たちを……ナザリックを純粋に褒められるという、なんとも言い難い感情は抑制で止まるようなものではなかったらしい。呼び出した件について話を始めるとしよう。

 

「どうだ少しは成長したか?」

「アウラお姉ちゃんは前より強くなったって言ってくれましたけどよく分かりません。あとは魔法を一つ使えるようになったくらいです」

「ほう、その魔法を見せてみよ」

「はい……」

 

“絶望のオーラⅠ”

 

 ネムが軽く息を吸い集中すると背後から禍々しく黒いオーラが放たれる。見たこともない魔法などは期待していなかったがこれは魔法ですらない。自分もよく知っているスキル、絶望のオーラだった。それより気になるのは、ネムがいつか見たことのあるレイプ目になって薄笑いを浮かべていることだ。やばい薬でもやっているのか、それとも絶望のオーラは本来このようなものなのだろうか。どういうことだ……デミウルゴス説明しろと言いたくなってくる。

 

「どうでしたか?」

「どうと言われてもな。驚いたのは確かだが、今のは魔法ではなくスキルだ」

 

 しょんぼりと肩を落とすネム。未だ不確定だがこれからの方針の参考にはなった。それにプレイヤークラスの者をナザリックに揃えるという考えは捨てたほうが良さそうだ。ナザリックは友人たちと創ったギルド、愛すべき家族たちが暮らす場所にそんなものは必要ない。それはさっきこいつに教えられたことだ。ネムがこの世界でナザリックのメンバーとして受け入れられる最初で最後の者かもしれないな。アインズはそう思いながらこの先の方針について思案した。

 

「ところでネム。異形種になってから感覚の変化や人間というものについて考え方が変わったりという事はないか?例えるなら人が虫けらのように見えるとかな」

「そんな風には思ったことないですよ。でも…そういえばナザリックの方々の声が聞こえるようになった気がします。デス・ナイトさんはクールなセリフが似合いますよね」

「え、マジで!?ゴホンッ、いや……それは良いことだな……うむ」

 

 これからの任務で人間を虫けらのように感じていては辛いかと思ったが、そういう変化もあり得るのか。たっちさんがいたら虫の声が聞こえるとか言い出しそうだ。

 

「ネム、お前にはこれから旅に出てもらう」

「ふえぇ……やっぱりネムは捨てられてしまうんでしょうか」

「お前は何を言っているんだ。すでに外の世界の情報を集めるために守護者を含めたナザリックの者を向かわせている。その援護ができるように冒険者として活動するのだ」

「え、冒険者ですか。モンスターを倒したりしてお金を稼ぐ人たちですよね」

「そうだ。アウラの話から今のお前の強さはガゼフに並ぶほどと見積もっている。十分やっていけるだろう。それに……冒険ほど成長できるものはないぞ」

 

 正直なところ、ネムがガゼフに勝てるとは思えない。ナザリックでレベルを上げ、異形種の肉体的強さで並んでいたとしても戦闘に関する経験や知識が圧倒的に足りない。それは冒険で獲得していくものだろう。かつてのプレイヤー『モモンガ』がそうであったように。

 

「今は……そうだな。冒険者として一人前になることを目指すといい」

「アインズ様のご命令ならどんなことでも頑張ります。ナザリックのみんなを助けられるように冒険者で一番を目指しちゃいます!」

「うむ、期待しているぞ」

 

 アインズは旅立つ前にナザリックにある予備の装備を渡そうとしたが思いとどまった。大昔のゲームで冒険者に竹槍を渡して旅立たせる無能な王がいたという話があるが、なるほど冒険へと旅立つ者に余計な物は必要ない。それらは自分で手に入れてこそ価値があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今後についての話も終わり、アインズは何かの準備があるという事で早々に自分の部屋へと転移していった。その場に残ったのはネムとアルベド。何度か会った仲ではあるが、二人きりになるのはこれが初めてだ。互いに意識するところがあるのかどことなく部屋の空気が重い。

 

「少しお話ししたいのだけどいいかしら」

 

 先ほどから黙って事の成り行きを見守っていたアルベドが声をかけてきた。ネムも彼女に用事があった。先ほど失礼な態度をとってしまったことを謝らなくてはいけない。

 

「さっきは騒いじゃってごめんなさい」

「別にいいのよ。アインズ様が喜んでいらしたのなら、それ以上に優先するものなど存在しないわ」

「ありがとうございます。わたしもアルベドさんとお話ししてみたくて……」

「そう、偶然ね。それで……お前は何を企んでアインズ様に従うのかしら?」

 

 漆黒の羽がはためき空気がピリッと冷たくなった気がする。そこにあるのは純粋な殺気。ナザリックでこんな感覚になるのはマーレに睨まれて以来のことだ。アルベドの表情は敵を見るかのように鋭く、真面目に答えなければいけないという圧力があった。どうして自分はアインズ・ウール・ゴウンに従うのか。そんなものは考えるまでもなかった。

 

「えーと、アインズ様が命令をくれるから。それだけです」

「――貴方、元はこの世界の住人でしょう。信用なんてできないわ。貴方の存在がアインズ様の脅威になるとしたらどう責任を取るというの?」

「ネムのせいでアインズ様が悲しむくらいなら死にます」

 

 もし、本当にそうなるのなら死を選ぶと思う。ご主人様を苦しめる使い魔に存在理由なんていらない。それを聞いたアルベドは納得したように「そう……」と呟くとネムが背負っている刀に目を向けた。

 

「アインズ様からの命令よ。その刀で自分の左腕を切り落としなさい」

「えっ?」

「帰り際にそう伝えるように承ったの。貴方はこの数日間、アインズ様の期待していた事に何の成果も上げられなかった。その罰を受けてもらうわ」

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい……」

「もう一度言うわね、アインズ様の御命令よ」

「はい……分かりました」

 

 アインズ様の命令。怖い。とっても痛そう。でもアインズ様の命令ならそれは正しい。期待を裏切ってしまった。命令を聞かずに見捨てられるくらいならこのぐらいきっと平気。そう思いながらネムは刀を抜いて左腕に刃を向ける。

 まだ刃が当たっていないのに痛みを感じるような幻覚がある。まるで斬りつける箇所を誰かに撫でられているようだった。ふぅふぅ…という自分の荒い息遣いが聞こえてくる。迷っていたらいつまでも行動に移すことはできないだろう。ネムは覚悟を決めて目を閉じながら思い切り自分の左腕に向かって刀を振り下ろした。

 

 聞こえてきたのはキィンという硬い音。痛みもまるで感じない。目を開けるとアルベドが二本の指で刀を掴み、ネムの左腕に当たる直前で止めているのが見えた。

 

「さっきの命令は嘘よ、ごめんなさいね」

 

 刀が音を立てて床に落ちるとネムはへなへなと床に尻もちをつき、安堵と緊張が解けたこともあって鼻を鳴らしながら涙を浮かべていた。

 

「うっくひっく……アルベドさん酷い……怖かったです」

「ほら泣き止みなさい。玉座の間で血を流すなんて事するわけないでしょう」

 

 アルベドは先ほどのは演技だったかのように殺気を消してネムの頭に手を乗せていた。本性というものは追い詰められたときにこそ表に現れる。ナザリックとしてネムを信用できないままアインズに近づかせるのは守護者たち全員の不安でもあった。ネムに恨まれるのを承知でその役を引き受けるのは守護者統括としての責務だろう。

 

「嫌ってくれて結構よ。貴方にアインズ様の使い魔である自覚があるというのならそれでいいの。まだ少々頼りない所があるみたいだけど認めましょう。これからもナザリックの一員としてアインズ様に従いなさい」

 

 コツコツコツ……。遠のいていくアルベドの靴音がネムの耳に残った。いつかこの方にも信頼してもらえるような使い魔になれるだろうか。そして今日のお礼もしなくてはいけない。旅立つ前にアルベドからナザリックの一員として認めるというプレゼントを貰ったのだから。

 

 

 









【あとがき】

ここまでがプロローグみたいになりました。

ナザリックで修行して少しだけ成長したネムは冒険者になるため旅立ちます。



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