「んっ」
もぞりと動き、閉じた瞼の上から降り注ぐ日光を感じる。
睡眠欲求に抗いながら、日光を腕でさえぎってその重い目蓋を開いた。
さざなみの音が優しく打ち寄せてきて、またもやその場で眠ってしまいたくなる。
もっと寝ろと主張する体に鞭打って、腹筋に力を入れ、勢いをつけて起き上がる。
しかし、寝起きのせいで力がうまく入らず、勢いのまま立つことは出来なかった。
そのまま座り込んで、あたりを見渡す。
白い砂浜が、太陽の光を反射して、目に突き刺さるようだった。
そして、わたしの後ろは熱帯に生えているヤシやシダなどが生い茂り、ジャングルとなっていた。
私の手や腕は、白磁のように白く、傷ひとつなかった。
被っている帽子を手に取ると、そこにはソヴィエト社会主義国連邦、通称ソ連のあの特徴的なマークがあった。
かつては資本主義経済のアメリカ率いる西側、NATOと、社会主義のソ連率いる東側、ワルシャワ条約機構が一切戦火を交えない冷たい戦争、冷戦を起こし、その代理戦争として朝鮮戦争、ベトナム戦争などの悲劇が起こった。
そして、デタントや核軍縮の動きを米ソが見せ、冷戦が1989年にマルタ会談で終結。
しかし、その後すぐにソ連はあっけなく崩壊し、ここにかつて米国と肩を並べたひとつの国は崩壊した。
そこまで思い起こして、ふとなぜ私はこんなことを知っているのだろうと疑問に思った。
確か私はソ連に賠償艦として引き渡された後、ヴェールヌイとなってソ連海軍の駆逐艦となり、その後練習艦デカブリストとして余生を過ごした。
1980年代以降のことなんて知らないはずなのに、知っている。
でも、知らないはずの知識も、ひどく他人事のような、要するにただの歴史上に起こった物事としか感じられず、本当にただの知識のようだった。
第二の祖国、ソ連の崩壊もそうなのかとしか思わない。
反対に、大日本帝国の敗北と、日本国の誕生、それから第二次世界大戦のときの記憶は生々しい。
次々と沈んでいく仲間、終わりの見えない戦いのなかで国全体が疲弊していった。
戦いの中で海に還っていった仲間たちを思った瞬間、胸がずきりと痛んだ。
そして、とてつもない孤独感と寂しさが頭の中で暴れまわった。
とくに特Ⅲ型駆逐艦を思うと、胸が張り裂けそうになった。
どうやら、ここら辺は私には思い浮かべることが禁忌らしい。
いったん海水で顔を洗い、思考をクリアにする。
そして、改めて自分が知るはずのない知識を知っているという事実について、考える。
すると、自分の知らないはずの、しかし知っている、家のなかの自室が思い浮かんだ。
親が死んで、ふさぎこんでしまい、家の中に引きこもってしまった日々。
お金は親の遺産で一生暮らしていけるほどあったが、そんなことよりももっと両親にいてほしかった。
そんな感情が思い出された。
段々と状況が分かってきた。
ようするに、この妙な知識はこの娘のもののようだった。
かといって、この娘が私の中で生きているということもなく、本当に残滓としてあるくらいだった。
とりあえず、自分の内面に整理がついたところで、海を見る。
いつの時代にも変わらない海。
時にはその牙を向けることもあるが、いつもは穏やか。
そして、かつて多くの命が散った墓場。
その水平線上から、見慣れぬ黒い物体がその姿を現した。
とたんに、本能が警鐘を鳴らす。
体が、自然と戦闘へと意識を向けていく。
黒い物体が、私に向けて口の中の砲を向けた。
わたしは本能で知っている艤装の取り扱い方を想起して、手元に主砲を出す。
てっきり、50口径三年式12.7cm砲が出てくると思ったけど、130 mm口径・70口径長のAK-130が手元に現れた。
お互いが、砲を向け合って硬直している。
私は、相手が撃ってこなければこちらも撃つつもりはなかった。
万が一相手を撃沈しても、正当防衛で言い訳が効くからだ。
そうして、お互いが睨み合って数分。
黒い物体は徐々にこちらに近づいてきた。
警告のために、空に向けて一発撃つ。
黒い物体は止まった。
こちらが敵意から警戒に切り替えると、相手は困惑したようにその巨大な体を捻った。
まるで首をかしげるように。
こちらが砲をおろすと、あちらも砲を口の中にしまった。
なんなんだろう。
とりあえずこちらに来るように促す。
相手も恐る恐るといった感じで島に近づいてきた。
「なにがしたいんだ?」
手で触れるところまでやってきた黒い物体に、疑問をぶつける。
しゃべれると思っていなかったのでたいした答えも期待していなかったが、突然相手の気持ちがこちらに入り込んできたことに驚く。
曰く、どうして攻撃しないのかと。
艦娘と深海棲艦は殺し合うのではないのかと。
「そういうものなのかい?」
うん、と黒い物体はうなずく。
「なら、やるかい?」
ジャキッと黒い物体の頭にAK-130を突きつけると、やりたくないです、といってかなりの恐怖を垂れ流している思念が流れ込んでくる。
「プッ」
ふざけて突きつけたけど、どうも相手は本気で捉えてしまったらしく、その反応が可笑しかった。
冗談でもやめて、といった様子で、短い足でべしべしとこちらを叩いてくる。
もはや、そこには敵意などというものは存在しなかった。