しばらくすると袈裟を着た御坊が一人帰ってきたのである。その顔は吾輩よく見知っている。妙な髪の色をしているその女子を見間違えるはずはないのである。
聖であるな。わがはいこの名前を忘れたことはない。いや、少し間違えていたことはあるのである。ふと、といちりんは庭で弾幕ごっこをしているのである、それを聖は首を振りながらため息をついて見ているのである。
「あとでお仕置きね」
ちょっと吾輩も怖くなってしまうのである。それはともかく、聖は吾輩に挨拶してくれたのである。
「こんにちは猫さん」
にゃあ、吾輩も挨拶は欠かさぬ。これは人としていや猫として当たり前のことである。そんな吾輩は背筋を伸ばして、かくりと首を垂れる。これが人の挨拶であろう。ごうに入ればごうに従うのである。しかし、はて「ごう」とはなんであろうか。吾輩にもとんと分からぬ。
聖はニコニコしながらいつも通り吾輩を縁側に連れて行ってくれたのである。そこで聖も座りながら、吾輩はそのひざに寝転がる。ううむ、てーいちというものであろうか。
今日は良い天気であるな。聖の着ている袈裟はふかふかしているのである。こう膝の上に載ってごろんごろんしてみると肌触りがいい。服という物を吾輩着たことはないのであるが、ううむ吾輩におあつらえ向きの服はないのであろうか。
暖かいお天道様の下でこうお昼寝していると吾輩は感無量であるな。ううむ聖よお腹をさする手がくすぐったいのである。吾輩はそう簡単な抗議をしようと体を起こしかける。親しき中にも礼儀はあるという、ここはびしりと言わねばならぬ。
「ほら、今日は里で煮干しを貰いました」
にゃあにゃあ。は、いかぬ。これでは「わいろ」というやつではないか。しかしわいろとはなんであろうか、食べられるのであろうか。かりかり。ううむ。これは良い味。
「お茶が欲しいわねぇ」
何か言いながら何故か聖も煮干しを齧っているのである。ううむ吾輩と聖は煮干し友達というところであろうか。
「聖様、お疲れ様でした」
いい香りがするのである。吾輩が身体を袈裟の上で動かしながら見てみると、金色の髪をした派手な格好をした女子が立っているのである。それは湯呑の入ったお盆を持っているのである。おそらくお茶を持ってきたのであろう。
それも二つ湯呑があるのである。吾輩の分もあるのであるな。好意はありがたいのであるが、吾輩はお茶を飲んだことがないのである。だが、物は試しであるな。吾輩はちゃれんじゃーなのである。
「ありがとう、星」
聖が湯呑を受け取ったのである。ううむ、この女子はじょーというらしいのである。妙な名前であるな。いんぐりっしゅであろうか。
じょーは聖に湯呑を渡した後にその場に座ったのである。着ている服はまるでアレであるな、良くお寺の奥の方にいる人間のおじさんの銅像のようである。しかし、なぜ頭に粒々を付けたあやつは寺の奥にいるのであろうか。もしやあれがうわさに聞く仏というものであろうか。
ううむ? 吾輩ちょっとわからぬ。この近くにお寺と言えばここしかないのである。しかし、昔どこかで見たことがある気がするのである。はて? いつ寺などみたのであろう。
まあいいのである。
ずずーと音がしたので吾輩の耳がぴくぴくしてしまう。見ればじょーが湯呑からお茶をすすっているのである。……聖ともう一つはじょーの分の湯飲みであったか、吾輩はやとちりをしてしまったのである。
「あつぃ」
じょーが舌を出して熱がっているのである。こやつ、自分で持ってきた気がするのであるがそれにしてもこういうのを猫舌というらしいのである。吾輩心外である。吾輩は我慢強い方であると自覚しているのである。
縁側から見える庭にはいちりんとふとが寝ころんでいるのである。引き分けであろうか。あたりに割れた皿が散らばっている光景は、こう吾輩には言い表すことが出来ぬ。
「ほら猫さんもご利益があるかもしれませんよ」
聖が吾輩を抱え上げて前足を取った。それから肉球と肉球を合わせた。それからじょーに吾輩の体を向けたのである。おお、これはよくおじぞうさんにあきゅーがやっているポーズではないか。吾輩祈ったのは初めてである。
しかし、お茶で熱がっているじょーに祈って何かあるのであろうか。まあいいのである。
じょーもにこにこしながら片手をあげている。ううむ少しおじぞうさんのポーズに似ているのである。
「ふふ、その猫よく寺に来ますね。聖様」
「私のおともだちですから」
えっへんと胸を張る聖が吾輩を抱えてたかいたかいする。おお、たかい。しかし吾輩この前にもっと高いところに行ったのである。
「ご主人様~」
ほう、また声が聞こえるのである。どことなく気の抜けたような声であるが、吾輩どこかで聞いたことがある気がするのである。
「あ、ナズーリン。こっちです」
「……ご主人様。こっそり食べたいからって人里に買いにいったお菓子がありますよ」
「え、ええ? あ、いや違う。聖様違います。な、ナズーリン! 」
慌てるじょーが声の主を呼んでいる。吾輩はじとっとじょーを見ている聖に抱えられたままである。声の主が近づいてきた。
そこに立っていたのは、あっと驚きながらお盆に乗ったお菓子を持った少女である。吾輩も固まったのである。あやつはケチンボではないか、以前何もくれなかったから嘗めてやったことがあるのである。
「そ、その猫は。なんでここにいるんだ!」
なんか怒っているのである。吾輩も負けずに鳴くのだ。というか、このナズーリンなる女子、口元に何か付けているのではないか。お菓子をつまみ食いしたに違いないのである。
にゃああ。
「な、なんだこいつ」
にらみ合うナズーリンと吾輩。見れば見るほどネズミ顔であるな。いや、似ているかと言われれば似ていないのであるがなんとなくネズミっぽいのである。何故であろうか。
「こら、ナズーリン。私の客人ですよ」
聖が怒ったのである。ううむ吾輩の味方をしてくれるのは嬉しいのであるが、胸に押し付けられるように抱かれると息が苦しいのである。にゃ、にゃあ。
ナズーリンも味方を探すようにじょーを見ているのであるが、何故かため息をついて座ったのである。ううむ、今日は雌雄を決するときではにゃい、いやないようであるな。
「ご主人様。お菓子です。ご主人様の言った通りにこっそり買ってきましたよ」
「…………あ、あのナズーリン。……えっとひ、聖様? こ、これは違うんです」
「星。お菓子くらい正直に食べたいと言えばいいんですよ?」
★
それから吾輩はお寺でのんびり過ごして、夕日が沈む前にふとと一緒帰ったのである。本当は泊ってもよかったのであるが、どうにも気になることがある。
今朝は巫女の顔に乗ってしまったのである。紳士としてあるまじきことであるな。
しかし、吾輩はとんと謝る方法がわからぬ。こみゅにけーしょんの難しいところである。そこで少し聖たちの食べている「きんつば」なるものを分けてもらい、巫女にあげようと吾輩は思ったのであるが聖たちとは喋れぬ。
吾輩にゃあにゃあと訴えてみると、なぜかじょーが「きんつば」を袋に包んで首にかけてくれたのである。
「ほら、これでいいですか?」
じょーの情けないところばかり見てしまっていたのであるが、お地蔵さんのように優しい顔をしていたのである。なぜ、吾輩の思っているところがわかったのであろうか、実は猫かもしれぬ。
ともかく、吾輩は月夜を神社に急いだのである。