大きな木の陰から「鈴奈庵」を覗くのである。
上からはたて、もみじ、こがさと吾輩の顔が並んでいるのであるな。こんな経験は初めてである。
「いや、はたて。さっさと中に入りましょうよ」
もみじの声がするのであるが吾輩が見上げるとこがさが笑っているのである。うむ。笑うことはいいことである。しかし、もみじの顔がみえぬ。ちょっとどいてほしいのである。
にゃー
吾輩はそう厳然と抗議したのである。こがさとはなかよしさんではあるが、親しき中にもまたたびがあるのである……。なにか違う気がするのであるが、またたびは大事である。
「にゃ~」
こがさと吾輩はそうやって鳴きあったのである。しかし、こがさはどかぬ。吾輩はもう一度鳴いてみるのであるが、こがさは「ふふふ」と言った後に「ごろにゃーん」と言ってきたのである。
いや、どいてほしいのである。
吾輩は悩んでしまったのである。はむはむ。おお。間違えて自分の尻尾をはむはむしてしまったのである。悩んでいると何をするか自分でもよくわからぬ。もしかしたらこがさも悩んだ時は傘をはむはむするのであろうか? きっとなすびの味がするのである。吾輩は食べたことはないのである。
「私も早いところ帰りたいですし、さっさと用事は済ませましょう」
もみじが木を回り込んで吾輩達の前に出たのである。くるりと吾輩達を振り返った後ろでカエデの葉っぱがひらひらとゆっくり降っているのである。吾輩達が寄り掛かっていた木はカエデであったやもしれぬ。
「あっちょっと待ちなさいよ」
あわててはたてが前にでたので、こがさも吾輩も前に出たのである。どうせなら一番前に行くのである。吾輩はもみじの前にでてとことこ、堂々と歩き始めたのである。
「ほら、はたて。猫の方が堂々としていますよ」
「猫と私を比較するんじゃないわよ……。わかったわよ。こうなったらままよ」
まま? はたてのお母さんがどこかにいるのであろうか? 吾輩はあたりをきょろきょろ見回してみたのである。誰もおらぬ。
「なんでいきなり止まってんの?」
はたてが聞いてきたのであるが、いや。はたてが気になることを言ったのが悪いのである。吾輩はしかし、気にせぬ。紳士は細かいことは気にしないものなのである。ちゃんと胸を張って歩き出すのである。
とことこ
ちらっ
後ろを見たら胸を張って歩くこがさともみじとはたてが付いてきているのである。吾輩は先頭であるな。誇らしいのである。まあ、特に意味はないことはわかっているのであるが、みんながちゃんとついてきているのは吾輩のおかげやもしれぬ。
吾輩達はそのまま貸本屋の暖簾の下をくぐったのである。
うむ……急に暗くなったのである。吾輩はお散歩から帰ってきて神社の軒下に潜るときもこんな感じで苦手である。……吾輩は別に神社に住んでいるわけではないのであるが、なんとなく帰るところと思ってしまったのである。なんでであろうか。
本のにおいがするのである。
吾輩はこのにおいが嫌いではないのである。たまにけいねの本の上でお昼寝をしたりするのである。けいねが本を読んでいるときに間に座って寝ることもあるのである。だいたい「めっ」されるのであるが……なんで怒られるのかはわからぬ。
「いらっしゃーい」
鈴の音がして吾輩はそちらを見たのである。
すると頭に鈴をつけた少女がこちらを見たのである。こすずであるな。吾輩はちゃんと知っているのである。
吾輩はちゃんと挨拶をするのである。するとこすずも小さく手を振ってくれたのである。笑顔で手のひらを上下させているのである。うむうむ。あまり見たことのない挨拶であるな。吾輩も後ろ足で立って真似してみるのである。
するとこすずは困ったような顔で額を手で押さえたのである。ううむ、吾輩の真似があまりうまくなかったのかもしれぬ。
「こーらー。駄目じゃないこんなところにきちゃ」
こすずがなぜか吾輩に言ってきたのであるが……貸本屋とはそんなに危険なところなのであろうか? そうするとこがさが危ないのである!吾輩はしゅっばっと後ろを向いてこがさを探したのである。
本を手に取って表紙をふーふー息を吹きかけているこがさがいたのである!なにをしているのであろうか、本が熱いのやもしれぬ。吾輩が助けるのである。
「ぺっぺっ。埃っぽいなぁ。おっ!?」
吾輩はこがさの足元ですりすりして見るのである。熱いならすぐに離すのである!
こがさは吾輩をみて、目をぱちくりしているのである。おお、目が充血しているのである……いや昔からそうであった。
こがさは本を置いたのである。よかったのである。
それからこがさはしゃがんで吾輩を抱きかかえて。ぎゅーっとしたのである。苦しいのである。
「あ、猫さんの頭にほこりついてるわ」
ふーふーと吾輩に息を吹きかけてくるこがさである。吾輩は熱くないから必要ないのである。
「ちょっとちょっと。飼い主さんですか?」
こすずよ吾輩に飼い主などおらぬ。
「え? そうです」
こがさよ、嘘をつくでない。吾輩は抗議するのである。
「ダメですよ。猫さんを連れてきてもらったらきっと本をかじかじしちゃいます」
「大丈夫よ。この猫さんに限ってそんなことはないわー」
「そ、そんなお母さんみたいなこと言われてもこまるんですけど」
そうであるこがさの言う通り吾輩はかじかじなどせぬし、こすずの言う通りこがさもお母さんでもないのである。……大変である! 両方ともいいことを言っているのである。
吾輩はとりあえずこがさの手から逃れて下に降りたのである。こういう時はもみじに聞いてみるのである。もみじは頭がいいからわかるのである。
「あっちょっと」
こすずよ吾輩を追いかけまわすのをやめるのである。吾輩はちゃんとわかっているのである。本をかじかじなどせぬ。もうけいねに怒られたからわかっているのである。
「ありましたよ。はたて」
もみじはすぐに見つかったのである。手に新聞を持っているのである。吾輩はちゃんと知っているのである。もみじも吾輩を見つけてちらりと吾輩を見たのである。それからすぐに新聞を読み始めたのである。
なんとなく悔しいのである。吾輩はおなかを見せてごろごろして見るのである。するともみじはちらっとみてまた新聞を見始めたのである。……こうなったら奥の手である。あまり使いたくはなかったのであるが……。
みゃーみゃーみゃーみゃー
気が付くまで鳴いてみるのである。もみじは頭を掻きながら吾輩に言ったのである。
「あーもー、にゃおにゃお。うるさい。どうしたんだ!」
やはり奥の手である。だいたい怒られるのである。それよりももみじよ、こがさとこすずのどっちを褒めたらいいであろうか。どっちもいいことを言ったのである。吾輩はもみじに縋りつこうとして、宙に浮いたのである。
「もみじ。なんで叫んでんのよ。静かにしなさい」
「え? は、はたて。それは猫が」
「いや。何猫と張り合っているのよ」
はたてが吾輩を抱っこしているのである。後ろからとは卑怯であるな。まあ、許すのである。もみじも静かにするのである。
もみじのほっぺたがほんのりと大きくなった気がするのであるが、気のせいであろうか。
「ま、まあいいです。ほらはたてさん。お目当ての新聞は見つかりましたよ。それなりに売れているみたいですねっ」
もみじが吾輩達の前に新聞を広げたのである「文々。新聞」と書いているのであるが、やはり読めぬ。
「へ、へー」
はたてよ力を入れるではない苦しいのである。